さいきん きづいた

Facebookを見ていて気付いたことがある。

私の周りで見ていると、

個人的なことを発信するために使用している人は、

ほとんどポジティブ寄りの発信を行なっている。

笑えないくらいネガティブなことは、Facebookではあまり発信しない。

個人的に使っているのに「公」なのだ。

あくまでも私の周りだけかもしれないのだけれど。

昔は、プライベートが大衆の目にさらされるのって政治家とか芸能人だけだった。

でも今は、それ以外の人たちも自ら進んで、

プライベートを「公」にしたがっている時代なんだなと思う。

理由は何だろうか。

もちろんツールとして便利なものが出てきた、というのも要因としてあるだろう。

加えて言うなら、

無意識的に、あるいは意識的に、

生きるためのモチベーションを保つために、自分という存在(特に表側の面)を公の目にさらしているのかな、とも思う。

公の目を意識することによってはじめて、自分がここに頑張って生きていることや、自分の素晴らしさや、自分が充実していること、などなどが確認できるのかもしれない。

批判しているのではなくて、私は心配なのだ。

そこまでしないと、生きるためのモチベーションを保てない時代だということが、心配なのだ。

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ながいことかかりました

学会の手伝いをやることにしたのは本当に失敗だった。

余興、などというものが私には向いていない。

というか、余興のための芝居やら音楽なんて、何だか馬鹿にしている感じで嫌悪感を感じているのにも関わらず、引き受けてしまった自分にも、嫌気がさす。

とにかく終わってよかった。

もう二度とやらない。

先週くらいに、昔気まずくなってしまいそれきりだった友人に、連絡してみた。

どちらも違ったパターンで居心地の悪い関係になってしまったのだが、

そのうち一人は、はっきりいって私のほうに全面的に非があり、

それを突然、謝りたくなった。

その人に電話してみた。

気まずさの発端となった出来事、もう11年くらい昔の話だからあまり覚えていないかな、と思ったらものすごく克明に覚えていた。

まったく恥かしいくらい。

めちゃくちゃな私の行動、記憶から消し去ってほしい。

謝ったら許してくれた。

というより、私が謝るずっと前から許してくれていたみたいだった。

昔も今も、この人の人間力にはいつもかなわない。

大丈夫。今度会いましょう、と言ってくれた。

あの時からどんな11年間を過ごしたか、お互いに話した。

話はつきなくて、夜更けまで。

昔の友人と長電話なんて、久しくしていなかったなあ。

本当に嬉しかった。

演劇関係の知人、特に制作や劇場スタッフの消息をきけたりしたのも嬉しかった。

あの頃は、自分のことが本当に大嫌いで、粗末に扱っていたから、他人のことも大切にできなかった。

それで周りの人に迷惑ばかりかけた。

居心地のよい場所をわざと壊したりして、めちゃくちゃだった。

去年、病気から回復して、生き方を変えようと決心して以来、

「私も、人も大切にしよう」と思っている。

無意識でそうすることはまだ難しいけれど、

自分の考え方のくせみたいなものを、しっかりと把握してコントロールすれば、

できるのかなあ。

許してくれてありがとう。

大切にします。

長いこと掛かってやっと分かりました。

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しんさおわり

今日は何だか仕事がはかどった。

戯曲の審査、私の担当分はほとんど読み終えた。

私のところに来た数十本の中には

歴史物とか、社会問題を取り上げたものがなくて残念だった。

そういうのは他の審査員のところに回ったのだろうか。

どれも手軽な雰囲気の会話劇が多かった。

私も今年はチャレンジしている。

童話。

文才はないと分かってはいるが、賞金がどうしても欲しい。

精進あるのみ。

毎日ほんの少しずつ原稿を直す。

台本書きとは違うペースだ。

先日は小さな同居人の誕生日だった。

家でケーキやプレゼントで祝ってから、お洒落をしてバレエを観にいった。

バレエの舞台は、大手のバレエ教室の発表会だから無料だ。

でも新国立で普段踊っているようなダンサーがゲストで出演していて、すごく見ごたえがあった。

その後は、プール教室へ。

本当に大きくたくましく育った。

それなのに、時々赤ちゃんのようになる。

でもきっとそれもあと何年かで卒業だね。

神さま、見守ってくださってありがとうございます。

こんなに素晴らしい子どもに育ちました。

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とぶ おかね

ずいぶん長いこと、ここに来なかった。

この夏は、児童文学賞にいくつか応募してみようと考えている。

お金が欲しいというなんとも浅ましい理由である。

台詞以外のものが苦手なので、たぶん入賞はできないと思うが、

今年から修練を積めば、来年以降、引っ掛かる「かも」しれない。

8月の前半に行ったドラマ・イン・エデュケーションのワークショップは有意義だった。

学校の先生が多かった。次に多いのが、新劇の劇団の役者。

教師の方々は勤務している学校から参加費が出るとのこと。

役者の方々は、芸術文化振興基金のスカラシップで来ているとのこと。

なんて羨ましい。

自費で23000円は痛かったが、有意義だったし、いろいろな方と知り合えたし、よしとしなければ。

その他でも、飛ぶようにお金が出て行く。

小さな同居人のバレエやらプールやらピアノやら。

自分の学費。勉強のための書籍代。

生活は何とかなるけれど、その他の項目がでかすぎる。

なりふり構わずに台本を売ったり、応募したりしないといけない気がしている。

いろいろやってみよう。

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ぴんく と むらさき の ゆめぶたい

音楽劇『ちびたん と はずのくに』の上演を終えて、ほっとしている。

今回は、失敗も多かったが、得るものも大きかった。

小学2年生の男の子が見終わってから「物語って途中で終わるのが多いね」としんみり呟いていた、という話を聞いて嬉しかったこと。

涙が出た。

これこそ、私のやりたかった舞台だから。

その少年の小さな頭の中には、まだちびたんと仲間たちが空を飛び続けている。

なんて素敵なんだろう。

今回は、子どもたちの反応も本当に良かったなあ。

積極的に手を打ち鳴らし、歌ってくれた。

何より、小さな同居人がウキウキと楽しんでいたのが嬉しかった。

今回は何度かリハーサルにも立ち会い、舞台の準備にも参加した。

女優さんたちと一緒に空気入れを使い、ピンクや紫の風船を膨らませる姿の可愛かったこと。。

最後はすべての歌や音楽を覚えてしまって、

家でもずうっと口ずさむようになった。

大人の観客も、ラストシーン近くで涙をぬぐっている方がいらした。

私も泣いた。

不器用ながら、現実の世界で生きていく決心をするちびたんと仲間たちの姿には、心を揺さぶられる。

私も。

生きてゆこう、と思う。

終演後は、大切な人が来てくれているのに忙しくて挨拶もできなかった。

バラシの途中で、受付を通りかかると、

「素敵な物語でした」というメッセージが残されていた。

ありがとうございました。

頑張ってよかったです。

舞台美術に風船を採用したことは正解だったが、

上演中に割れてしまうことがあるということをもっと計算に入れて、

風船と役者の距離をとるなど、対策を取るべきだった。

子どものための舞台には、まだまだ学ぶことや、発見がたくさんある。

だから面白い。

これからも続けていこうと思う。

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ちゅういてん

先週くらいから執筆の仕事に完全復帰している。

目の調子があまりよくないのと、頭がボウッとする……

秋に倒れる前の症状と頭のぼんやり仕方が似ている気がする。

続けて執筆しないように気をつける、とか

気晴らしをする、とか

昼食を食べる、など

注意点を書き出して貼っておいたほうがいいかもしれない。

最近、仕事仲間と会うくらいで、個人的なつながりの人とはお喋りしていないなあ。

メールは時々やりとりするけれど、忙しくて会えない。

先週、担当するリトミックの集まりが終わって、

ピアノも全然弾かなくなってしまった。

発表する場がなくても、コンスタントにピアノを弾いたほうがストレスの軽減にはいいのに。

何だかエネルギーが湧いて来ない。

いやいや仕事をし、いやいや生きている。

生活に喜びを感じることが少ない。

問題なのは、たいていの人が私に物を教えたがっていることだ。

私が毎日やっていることだったり、専門としているジャンルだったり、得意なことだったりしても、おかまいなしだ。

皆が私にありとあらゆることを教えてくれる。

そして、私も何故かそれを謹んで傾聴する傾向がある。それも問題。

それが知っていることだったり、興味のないことだったり、私の意見と異なっていることだったりしても、

聞かなければならないような気がして、傾聴してしまう。

ストレスだったらシャットアウトすればいいのに。

参考にしなければいけない気がして。

周りを見てみると、他の人は、私ほど教えられていないように思う。

私はよほど、物知らず、かつ、知識を得たがっている人、に見えているのだろう。

仕事でもいつも調べ物に追われていて、私の小さな脳は常に半分溺れている。

それとね。

皆さんよりは少ないかもしれないが、私も知っていることはいくつかありますよ。

日常生活ではあまり教えてもらいたくないし、かなりストレスなのだ。

昔、会員制のクラブで少し働いたことがあるけれど、そこにくる小金持ちの男性たちはみんなそんな感じだった。

単純に、気分がいいのだろう。

俺はこんなことを知ってる。

オレはオレは。

まあ、あそこに来る人たちは、話を聞いてもらうために高いお金を払うんだものね。

そして高い時給がもらえるから、話を聞いているフリをする訳で。

でも時々、私の知りたいことをたくさん知っている人がいて、質問責めにしてしまうこともある。

面白い人って少ない。

私も間違いなくつまらない人の一人だし。

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じぶんから むかう

ゲームの脚本、ぼちぼちやっている。

リラックスしてだらだらと書きたいが、精神的余裕がなくそれもできない。

今週良かったこととしては、小さな子育て広場からの依頼で、リトミックをしたこと。

活動も楽しかったし、終わってからも演奏を続けてみたら、子どもや保護者たちが音楽を楽しんで聴いてくれたのも良かった。

音楽や表現活動は強制されてやるものではなく、自分から楽しんで向かうものだ。

小さな同居人の通う保育園では、それが実現していてすごいなと思う。

夕方、お迎えに行った時のこと、

数人の子どもたちが小さな声で口ずさんだのに合わせて、

みんなが声を合わせて歌うという場面に何度か遭遇した。

その歌声は本当に素晴らしい。聴くたびにいつも涙ぐんでしまう。

芝居や音楽、続けていきたいなと思う。

劇場やホールじゃなくたって全然構わない。

場所はどこでもいいのだ。

表現することは素晴らしい。

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きおくりょく

昨日、今日と続けて区民センターでピアノ練習室を借り、

リトミックの稽古をした。

来週は親子劇場の運営する子育て広場で、子どもたちの相手をするのだ。

純粋なリトミック、というより音楽を使った表現遊びをできればいいなと思っている。

指ならしと思って、今ピアノでレッスンを受けている曲の練習を始めたら結局止まらなくなってしまった。

でも不思議なことに普通の曲を練習すると、

即興演奏もラクになる気がする。

明け方、日本の近代史の本を読んだ。

今度執筆するゲームの台本の準備である。

つくづく私って記憶力悪いなと思う。

戊辰戦争って何だっけ?というレベルなんだよね。はあ。

いや、別に戊辰戦争が舞台になるものを書くわけではないのだが、本を読んでいると

具体的に分からない戦争やら、事件がいろいろあって、いちいち調べていると私が求めている時期までたどり着けない……。

考えてみると

私の得意なことって、運動系でも長い距離をただ走るとか、そんな感じで球技はサッカー以外苦手だし。

頭脳プレーが苦手ってことじゃないのかな。

反射神経は男性と同じくらいある、と昔、スポーツクラブの反応検査で言われたけれど

ボールとか道具を器用に扱えないから、芝居でしか役にたってない……。

あとは絵を描くとか、デザインするとかも他のことより比較的得意だ。

考えてみると台本書くのも反射神経でほとんどやっている。

アイディア、って降ってくるのを受け止める、という運動だし。

記憶力とか思考力とか、もっと欲しかったな。

ミステリー小説を何度も楽しめるから、経済的ではあるのだが。

それってどうよ。

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すっきりした

正月から教科書の改訂(保育士国家試験対策のテキスト)の仕事をやっている。

今週いっぱいかかるだろうと思っていたが、なんと今日終わった。

良かった。

パソコンを使う仕事はやはりまだきつい。

昨年秋の病の後遺症なのか、それとも症状が続いているのか、

とにかく目が疲れる、というかかすんだり二重になったりして見えなくなってくる。

おかげで明日は図書館に行ったり、再来週にあるリトミックの仕事の準備ができそうだ。

即興演奏の練習がまったくできていないので、

母校に行って、思い切りピアノの練習をしてこよう。

先ほど「古畑仁三郎」を再放送で初めて観た。

あまり魅力が分からなかった。

犯人に絶対音感がある、というのが推理の決め手になっていたり

(おいおい、一流オーケストラの関係者だったら、絶対音感がある人なんてうなるほどいる。あと、このドラマだと「相対音感」でも成り立つような設定だし……)

棋士のヒロイン(犯人)が、まったく先を読まずに行動していたり

(5段のプロ棋士が先読みしない性格、というのは、すごく無理がある)

なんかものすごくアバウトな作りなのだ。

「相棒」に出てくる犯人のほうがよほどリアリティがあると思う。

謎を解く側の人には、リアリティが無くても構わないのだが、

犯人には多少のリアリティが備わっていないと、何だか面白くない。

まあ、私には昔からこの作者(M氏)の書く台本の魅力がよく分からないのだ。

相棒も時々、つまらない人が台本を担当してて、ガッカリすることあるけれども。

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しゅたいであれ

正月。

小さな同居人がスケート好きなので、近くのアイスリンクが主催する短期スケート教室に行ってみた。

とても楽しそうに滑っていた。

やはり基礎を習うと滑りもスムーズだ。

行ってみてよかった。

そのほかは気詰まりだった。

正月はいつもそうだ。

ひどいストレスのせいでいつも調子を崩す。

小さな同居人に対する感情が劣化する。

という悪循環が生まれる。

今年はそれを防ぐため、一人で外出をしてみることにした。

とても効果があったが、それでもやっぱり大変だった。

正月が終わったことがとても嬉しい。

小さな同居人との二人の暮らしに戻れてほっとした。

今は何となく分かるのだ。

子どもの頃、何故母がいつもあんなに苛立っていたのか。

何故素敵な絵を描いて持っていっても無反応だったのか。

周りから尊重されず自己肯定の気持ちを持っていない母親は、

子どもに対して美しい感情を抱くことがとても難しい。

身を持って分かるのだ。

それでも母は頑張って愛情を持ち続けようと努力してくれていたと思う。

感謝している。

しかしその努力を感じれば感じるほど、

私は自己否定に走っていったのだ。

自分が素敵な存在だと、生きていることは素晴らしいと感じている時、

小さな同居人に対して、心の底から透明な愛情が泉のように湧き出てくる。

もしこの国が少子化を何とかしようとするのであれば、

女の子が本当の意味で自己肯定できるように、

文化や価値観を変えていくべきだと考えている。

女の子が客体ではなく、主体であり実体となれるように。

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