みち に まよう

午前中は病院。

やたらと血圧が低い・・・・・・。

昨日、たくさん運動してみたのだが、あんまり効果ないみたい。低血圧には運動と栄養が大切、って昔読んだ本に書いてあったのに、おかしい。

もともと血圧低いが、夏は血管が開くせいか、特にひどくなる。

ダルいわけだ。とにかく横になりたい。いや、でも寝てばかりいると、それはそれで悪化するからダメだし・・・・・・。

いったん家に帰って遅い昼食を取り、再度、外出。打ち合わせへ。

なんと炎天下の中、道に迷ってしまった。

ああ、どうしたらいいの?

だけど、今日はいつもの方向音痴に輪をかけて、方向音痴。

もうどこにいるのかさっぱり分かりません。

完全に迷子です。

恥をしのんで打ち合わせの相手に電話。道を教えてもらう。

打ち合わせ終わって、稽古場へ。

ダルいが、とにかく身体を動かす。夏に負けるな。低血圧に負けるな。

10月公演の読み合わせと打ち合わせに参加して、深夜、帰路に着く。

久しぶりに猫の母子に会った。

こんばんは。本日はいささか疲れました・・・・・・。あなたはどうですか?

母猫にめくばせを送ると、陰から子猫はふざけた様子で飛び出してきた。

ずいぶん大きくなったなあ。

もうひとり立ちしてもいいくらいかも。

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ねむたーい いちにち

ピアニストの友人と音楽事務所の方と一緒に、外出。

懇意にしているライブスペースのマスターに紹介した。

ピアニストの友人と音楽事務所の方は中学の時からの親友とのこと。端からみていても、すごくよいコンビだ。

表情も会話もまばゆいばかりの明るさ。いい人たちだなあ。

マスターは二人を気に入ったようだ。

紹介して良かった。

ひとしきりお喋りして、帰路につく。

スーパーで買い物したら、何だかすごく疲れて、ソファで1時間以上も寝てしまった。

目が覚めたら真っ暗。うわあ。

パソコンつけたら、仕事の依頼が来ていた。真夏。7月末に台本の仕事を終えてすぐの日程だ。

仕事はいつでもありがたい。

時期的にはいろんな意味でかなり綱渡りだけど・・・・・・やりたい。

ちなみにこれは書く仕事ではなく、読む仕事。慣れればリズムに乗ってきて、なんとかなるだろうか。

せっかくのお話しなのでお引き受けすることにした。

さて、寝てばかりはいられない。

今週末からまた原稿書きが始まる。小さい仕事は、できるだけ、この数日で片付けようね。

ふああ。ねむ。

請求書、投函してこよう。

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髪を切る/新世界

久しぶりに髪を切った。

帰りに買い物。

途中で電話があって、友人と夕飯を食べた。

この前までは同じような立場だったのに、今は、それぞれ別世界に生きてるんだなあ、と切なくなった。

恋愛とか趣味とかを中心に置いた生活。

私もつい最近まではそうだったんだよなあ……。

まあ私の場合は恋愛じゃなくて、悩みごと。趣味じゃなくて、仕事、だけど。

それでもそこに身を置いていた時は、必死で生きてる「つもり」だった。

今から考えると、あれは、すご~く余裕あって優雅な生き方だったのね。

あの頃の悩みなんて、全部ナイーブ過ぎてこっ恥ずかしいものばかり。

今も同じ悩みは抱えているけれど、それに向き合って時間とエネルギーを費やすほどの余裕はまったくない。

台本と舞台の仕事を続けてゆくことには変わりないし、要するに、何も目に見えての変化は何もない。

取巻く環境が変わるだけ。

だけどそれだけで、生きる世界が変わり、風景が変わる。

もう、あの生活には二度と戻れないんだなあ、と思う。

正直言えば、恋を楽しそうに語る同い年の友人がうらやましい。彼はこれからもずっと、青春が続くのだ。

だけどさ。私は私の生き方に、自信と誇りを持とう。

長年親しんだ、懐かしい、キラキラした世界を、私は他ならぬ自分の意志で捨てたのだから。

新しい世界の入り口で私はまだ、ハイハイしてる状況だ。

大人の赤ちゃん。

その世界がキラキラしてるかどうか、私にはまだ当分、分からない。

自分の足で立って、歩き回ってみないと。

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ひとくぎり

やっと何とか台本の仕事にひと区切り。

とは言え、おそらく、今週末からまた別件に着手することになる。

うえーん、結構余裕ないなあ。

身体がつらいからとか、理由つけてサボってると「あとが怖い」ってことになりかねない。

週末までの間に、個人的な用事や、劇団の仕事をいっきに片付けよう!

でもほんとに背中の筋が痛くて痛くて・・・・・・

筋?筋肉?よく分からないのだが、大量に原稿を打っていると、いつも痛くなる・・・・・・。

今日は久しぶりに母猫&子猫たちを発見。

ここのところ雨降りだったり、暑かったりしたので、たぶん涼しい所にでも避難していたのだろう。

子猫たちはまたしても大きくなっていた。成長が早いなあ。

栄養状態もいいみたい。

この母猫は、子猫たちの相手をしてあげてるほうだと思う。

もう若くないとあんまり子猫の遊び相手をしてあげないことが多いと思うのだが、この母猫は違う。

かなり、真面目に?激しく?遊んであげている。

ひょっとしたら、自分が遊びたくて遊んでるだけかもしれないが・・・・・・。

たくさん相手をしてもらっているからか、子猫たちは、腕っ節の強いノラになれそう。

一匹だけ成長が遅れていた白黒も、他の二匹にほとんど追いついたように思う。最初に見かけたときは行動も頼りなくて、今にもカラスの餌食になりそうだったが。

今はだいぶ、動きも敏捷になり、知能も発達したようだ。

(以前は母猫のすぐ側にいるにも関わらず、居場所が分からなくなり、よく一匹で鳴いているのを見掛けた)

しかし母猫はまだまだこの白黒が心配なようで、いつもこの子を押さえつけ、顔を舐めてやっている。

末っ子?なのかな。

子猫たちもあと少しで、母猫と別れて一人立ちするだろう。

それまで、たくさんお母さんに遊んでもらって、いろんなことを覚えようね。

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さんぽ

都心で大事な用件があったが一人ではこころもとないので、友人につきあってもらう。

用件自体はとどこおりなく済んだ。

友人だけでなく、まったく初めてお会いする係員の方たちも含めて、親身に対応してくださる方ばかり。とても心強い。

とにかくどのような状況になっても、落ち着きを失わず冷静でいようと思う。

体調を保つためにも、まずは気持をしっかり持たなければ。

用事を済ませてから、日比谷公園に面したカフェのポーチでランチを取った。

スズメが隣のテーブルで食べ物をねだっている。

ちょっとずる賢い感じがユーモラスで、友人と一緒に笑った。

屋外なので、犬を連れた人も食事をしている。

犬は、飼い主にもらった氷を動物園の白熊のようにうっとりしてなめている。

きっと暑くてたまらないのだろう。

その後、彼女と少し散歩して、銀座から電車に乗って帰ってきた。

疲れが出たのか、午後はほとんど寝て過ごした。

夜から台本書きの仕事。

腰が痛くて、体操とトレーニングを、サボってしまった。

ダメだなあ。明日はやろう。

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ははこ

ここ数日台本書きは順調。

やっぱり一週間くらいはぶっ続けで書かないと、調子が出てこないのだと実感した。

ここ二日ばかり猫の母子が姿をあらわさないので心配で仕方ない。

どこに行ってしまったんだろう?

暑いので、どこか涼しいところに避難しているのだろうが、それは、どこ?

今夜は誕生日を祝ってもらった。

普段は会えないような人まで駆けつけてくれて嬉しかった。

毎日、家にこもって一人で仕事ばかりしているから、顔を見てお喋りできるだけで、大きな喜びを感じる。

ってこうして文字にしてみると、私ってかなり人恋しい生活を送っているみたいな感じ。

事実、まあ、そうなんだけど。

でもたぶん、普通の人よりは、一人ぽっちに耐えられるタイプだと思う。本とかテレビとか、観察する対象とかがあれば。

今年は、状況が状況なので、歳を取ったことに関して感傷的になったり、感慨を覚えたり、ショックを感じたりする余裕がない。

頭の中は、「体力を保とう」とか「仕事をもっと頑張ろう」とか当面の目標が浮んでくるばかりだ。

とりあえず当面の目標を達成できるように、日々努力するのだ。

帰宅する途中、母猫と子猫たちを発見。

よかった。無事だったのねえ。

元気に育ってね。お母さんにもずっと生きていて欲しい。

しばらくして、窓から空き地を見たら、背の高い女の人が立ち止まって、母子をじっと見つめていた。

母猫は前に出て、「これ以上、私の子どもたちに近付かないで」と静かに警告を送っている。

女の人は、母猫を撫でたそうにしていたが、しばらくすると諦めて去っていった。

みんな、あなたたちを見ると、胸がキュッと締めつけられるような気分になるみたい。

だから優しくしたくなる。

何故だろう。

今は食べ物には特に困っていないようだ。

完全なノラではなく、半分飼い猫のような境遇なのかもしれない。

でも、何か必要なものがあれば、いつでも窓に向かって合図してくださいね。

いつでも、飛んでゆきますから。

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ははねこ

長いシマシマの尻尾をパタパタと動かし、茶のぶちをあやして、

後ろ足で白黒の相手、

前足で茶トラを押さえつけ、顔を舐めてやっている。

三匹の子猫のお母さんはいつも忙しい。

それにしてもすごいねえ。

どうやったら三つのことが同時にできるんだろう・・・・・・。

チビたちは母猫の気もしらずに、お母さんの尻尾にタックルしたり、物陰に隠れたかと思うと後ろ足に向けてジャンプしたり・・・・・・。

お母さんは微動だにしないで、一心不乱に茶トラを舐め続けている。

原稿を書きつつ、窓から空き地を時々眺める。

母猫と子猫をどうも近所の人全体が見守っているということが分かってきた。

みんな心配なのね・・・・・・。

そういえば母猫は食べ物に困っている様子がなかった。

こっそりみんなあげてる気がする。

これまでにも何度か出産をしてきたこの猫だが、だんだん老いてきたのが分かる。

それだけに、憐れだ。

この子たちを育てあげたら、死んでしまうかもしれない・・・・・・。

母猫の表情にはそんなことを思わせる儚さがあった。

だけど、あなたは幸せなのねえ。

あなたの顔を見ていれば分かりますよ。あなたは、いい人生だと思っているでしょう?

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かおみしり

真夜中、書き疲れて、ひと休みしていると、かすかに、鳴き声がした。

窓を開けて下をみると、暗がりに白っぽい毛のカタマリが三つ浮かび上がって見える。

大きいのが一つ。小さいのが、二つ。

下に降りてみると、毛のカタマリが、ちょっと逃げた。

母猫と、子猫2匹。と、思ったら、少し離れたところにもフワフワが一匹。

母猫とは顔見知り?である。

愛想が良かったり悪かったりする気分次第の女。可愛いけれど、ちょっと性悪。そんな猫。

耳と尻尾だけ、茶色で、ほかの部分は真っ白。

確か2年ほど前にも子猫を連れているのを見たから、また産んだということなのだろう。

今回は三匹も。ちゃんと育てられるのかな、と思ったら胸がキュッと痛くなった。

この母猫は、子猫がひとり立ちして一匹で行動している時には、私に敵対的で歯をむいたりするくせに、子猫がいる時には友好的なことが多い。

今夜もまるで私に子猫を見せに来たみたいな態度である。

「あたくしが産んだ子どもたちを見てもらえるかしら。すごいでしょ。可愛いでしょ」と言わんばかりに、私から少し離れたところに落ち着いた様子でデンと座っている。

どの子も健康そう。目やにも出ていないし、目鼻立ちは母に似て整っている。

子猫たちは片時もじっとしていられないらしい。母猫から離れて、飛び回っている。

一匹、少しトロい猫がいて、不安になった。母親がどこにいるか、すぐ分からなくなってしまうらしい。

母猫を疲れさせたくないので、すぐに、中に入った。

階上の窓から観察することにする。

母猫は、迷子になりやすい子猫を思い切り遊ばせよう考えたのか、私の家の向かいにある、見晴らしのいい広い空き地に連れて行った。

その空き地もまた私の家の窓から丸見えである。

母猫は空き地の真ん中に手足を投げ出して休み始めた。きっと子守で疲れていたのだろう。

しかし母親の思いとは裏腹に、子猫は何故か、危険なことばかりするのである。

道の真ん中まで出て行って寝転んだり(危ないよ!)、電信柱の陰に隠れているうちにお母さんの居場所が分からなくなったり、崩れかけた塀に登って降りられなくなったり・・・・・・。

そのたびに、母猫は、子猫に注意したり、助けてやったり・・・・・・。まったく気の休まる暇がない。

子猫たちがお馬鹿さん過ぎるので、一匹一匹捕まえて、ちょっとお説教してやりたい気分だ。

少しお母さんを休ませてあげてね。

何だか心配症になってしまう私なのだった。

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ぎむ より たのしみ

ストレスなのか何なのか、突然具合が悪くなり、午前中寝ていた。

まあ昨日入稿したから、そのくらいはサボってもいいでしょう。

午後から起き出して仕事をやりかけたが、家人が買い物に行こうというので、少し遠出した。

朝から牛乳コップ1杯とレーズンを10粒くらいしか食べていないので、フラフラする。

帰宅してから、食べながら仕事。

幸せって何だろう、と思う。

何か一つ仕事をやる時でも「しなければならないから」とか「やるべきだから」とか「やるのが当たり前だから」「やらないと困るから」という

義務感とか責任感が前に出るとひどくつまらない。

それって、どうも他人の視線を意識してるものだから。

義務感とか責任感が大切だという考えには異論ないんだけれど、

仕事に限らず、何かを貫徹してやり遂げるには、喜びと楽しみが必要なんじゃないかなあ。

それは誰に強制されるものでもない。自分の内から湧き出てくるエネルギーそのものだから。

おそらく私自身が幼い頃から

「楽しみ」を重視しない、どちらかといえばそれに罪悪感を持つような価値観の中で育ったので

余計に、このようなことを意識するのだと思う。

「幸せ」になるために、小さな出来事に対しても喜びと楽しみを見出せるようになりたい。

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いみ を たしかめる

時々、理解できないことを確かめようとしただけで、

人を傷つけてしまうことがある。

「馬鹿にするな」という言葉を投げつけられることもある。

でも、分からないことが目の前にあるのに確かめようとしないのは、卑怯で臆病な気もする。

一つ一つ、質問して、分かろうとする努力が大切、そう信じてきた。

どっちなんだろう?

疑問を感じたら確かめたほうがいいのか、それとも、見なかったことにして、流せばいいのか。

よく分からなくなった。

人には、訊かれたくないこともある。

そのような場合、どんなに丁寧に質問しても、責めている、と捉えられてしまう。

しかし、例えばそのセリフがいくつかの状況で何度もリフレインされたりすると、

やはり、意味も分からないまま、聞き流してはいけない事柄なのかと思ってしまう。

だから、訊ねる。

しかし、それで相手が傷ついたりする。

「他人はあなたを素敵だと思っている」と伝える場合、そんなに深い意味はない。

たとえば

○相手をほめてあげたい。

○良い気分にさせてあげたい。

○実際にそのような根拠があり、情報を正確に表現したのみ。

などなど。

でも「他人はあなたを素敵じゃないと思っている」と繰り返し伝える場合はどうだろう。

ネガティブな言葉を人に伝える時、たいていは目的や意味があると思う。(反対にもしそれがないなら伝えるべきではないし、普通の人は言わない)

○自覚がなさそうなので、情報として知らせてあげよう。

○あえて伝えることで、世間の目に負けない精神力を鍛えてあげよう。

○思いあがっているようなのでちょっと鼻をへしおってやろう。

などなど。

単なる悪口として言われた言葉に関しては、意味を問いただす必要などないかもしれない。

でも、「悪口以外のネガティブなメッセージ」を受けとった場合、きちんと理解して、問題があれば解決したい。

逃げ出したくない。

なのに、やっぱり、確かめようとすると、傷つけてしまったりする。

困ったなあ、と思う。

卑怯者になるのはイヤだ。いつも、正面から向かい合いたいだけなのに。

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