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2008年4月

ルーニーは欠場?

午前中は打合せで外出。寝坊したので朝ごはんを食べないで出掛ける。

暑いから血圧下がっちゃってつらいな。血の巡りが悪い感じ。

5月公演『めいろあそび』の音楽について演奏家と話し合う。

白熱してしまい、昼ご飯を食べる時間がない。

昼過ぎ、劇団員と舞台装置の素材の下見と打合せ。

全部終わったのが夕方。やっと今日初めての食事にありつけた。

夜、友人から電話。バイクの後ろに乗せてもらってお台場方面へ。

結構長いことブラブラと走り回って、よい気分転換になった。

帰宅してTVをつけたらマンUがバルセロナに勝ったというニュースをちょうどやっていた。ルーニーは欠場。何故?まあいいや、テベスも好きだよ。

得点はスコールズ。ベテランの活躍に私も嬉しくなる。見事なミドルシュート!!!

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鉢植えの花の前で

昨日ゴールデンウィークのライブのリハを終えたばかりだからか、今日は何だか具合が悪い。

気持が落ち着かないし集中力が続かない。

それに胃が痛いよぅ・・・・・・。

ある知人に電話でもしてみようかと思ったが時間が遅いのでやめておいた。

それに何を相談したいのか自分でも分からない。友人と呼ぶには距離のある関係かもしれない。ただ、最近ときどき、あるシーンを思い出すことがある。

飲んだ帰りみち散歩した時のこと。酔って私の足元がふらついていたのだろう。その人に手を引かれるか腕を掴まれるかして歩いていた記憶がある。大きなクリーム色の花の前で私が立ち止まるとその人は私を後ろから支えていてくれた。

私とその人は鉢植えの札に書いてあった花の名を呪文のように繰りかえしつぶやいた後、しばらく無言でそこに立っていた。

花の名前は忘れてしまった。あとで思い出して調べたが結局分からない。長いカタカナの名前。

特に意味のあるエピソードではないのだけれど強く印象に残っていて、あの時の映像がときどきこうしてふっと頭をよぎるのだ。

思えば私はあの時、何も考えていなかった。まるで真空のような時間。

だからなんだろうな。頭が言葉やら思いでパンパンにふくれあがってしまった時ほど、頻繁に思い出す。

たとえ一瞬でもいい。真空になりたい。あの時みたいに。

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ミリオン・ダラー・ベイビー

今日は3日~6日までやる仕事のリハ。

下高井戸のライブハウスでオペラのイベントがあるのだがそこで朗読をやるのだ。

http://www.blue-t.jp/gwopera.pdf

歌手のNさんはたいへんな美声の持ち主。その歌の前後に喋るのが怖くなるほど、魅力のある声だ。

私も頑張らなくちゃ。

リハの後、ピアニストの方とお喋りする。音楽の話などたいへんに参考になった。

帰宅後、友人から借りてあった『ミリオン・ダラー・ベイビー』を観る。

クリント・イーストウッドの作る映画、どれも好きだ。これもすごくいい。

ストーリーとか語り口がいい、というのもあるけれど、何より、演出や映像が素晴らしい。

『マディソン郡の橋』のラストシーンの雨と小道具の使い方、演出が本当に的確だ。この映画の原作はあまり好きではないんだけど。映画のほうは泣いてしまった。上質なメロドラマになっていたと思う。

ミリオン・ダラーは前半からものすごく工夫されている。

ボクサーとトレーナーの不器用さが、あれほど痛々しく生々しく感じられるのは

この細かい演出と効果的なカットの積み重ねがあってこそ。

もちろんポール・ハギスって人の脚本もいいんだろうね。自分で監督した『クラッシュ』はあまりよくなかったけれど。

というか、私はやっぱりオーソドックスな映画が好きなのかなあ。

だけどいまだにナンバーワンは『トト・ザ・ヒーロー』だ。こっちはあまりオーソドックスとは言えないな。なんか、オモチャみたいな映画だから。オモチャと言っても、一生、絶対に捨てられないような特別なオモチャ。

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良い人に向けるナイフ

恋愛相談の掲示板みたいなのを時々読むことがある。物語のヒントが転がっていたりするし、ただ意味もなく読んでいるだけでも結構面白い。その中に見受けられる言い回しで気になるものがある。

「彼に女性として見られたいのだが・・・・・・」とか「女性として自信がない」などの「女として」という表現だ。

男の人は「男性として見られたい」「~自信がない」とはあまり書かないし、私の周りでそういうことを言っている人もいない。

何故だろう。不公平だね。

ただ生きてるだけでも女性は女性なのにどうして「女性として見られる」ようにしなけりゃいけないの?生物学的な違いもきちんとある。だから別に「それらしく」なんて振舞わなくたっていいんじゃないか?

自分が自分であるために、「自分らしく」振舞う必要なんてないのと同じくらい、それは明らか。

私は生きてるだけで私。ある意味、私が私らしくない状態になろうとしたら生きるのをやめるしかないと思う。つまり死ぬしかない。

しかし私が「~として」を嫌うのはきわめて個人的な理由からだ。

私。

性別は女で胸やお尻がでっぱっている。

だけど心はそれを受け入れていない。小さい頃からいつも違和感がある。自由でない気がしている。

スカートをなかなか履くことができない。身につけた自分を見るのも少し苦痛だ。

なのにいつも恋人は異性で、そのことにも微かだが拭い去れない違和感を感じている。

年齢的にはもうとっくの昔に大人になっているのにときどき幼児退行してしまう。

グロテスクな人間。けれどそれが私なのだ。私らしくと努力するまでもなく。

「~として」「~らしく」と唱えることは逃れられない檻に自ら飛び込むようなものではないか。

結局

私は私であることを何とか受け入れて(あるいは受け入れるフリをしながら)

私のいる場所から物語を書いてゆくしかないのだろう。

受け入れるフリもできなくなったら選択肢は一つしかない。

稽古後の深夜、人と電話をした。私の何気ないひとことがその人を傷つけてしまったように思う。確信はないけれど。しかし本当に何気ないのかというと、自分でも判らない。

守りに入られると、ナイフを向けたくなることがある。好奇心とそれから・・・・・・何だろう?

私は彼が良い人間だと知っている。なのにどうしてこんな衝動が起こるのか。

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クラッシュ

先日、そういえばランニングしてから『クラッシュ』を観た。

ポール・ハギス、だっけ?『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家が監督した作品だそうだ。

賞とかもらった作品らしいのだが、私はいまいちピンと来なかった。

面白いんだけれど、ERとかシカゴホープとかプラクティスとかあのへんのアメリカのテレビドラマみたいな感じ。

映画でいうと『マグノリア』みたいな。(こっちは好き。トム・クルーズのクドイ演技など見どころがたくさんある)

群像ドラマは嫌いではない。でもなあ切れ味パッとしない。うーん。ランニングした後見たからダルかっただけかもしれないけれど。

今日はゴールデンウィークにやる朗読の仕事の台本を仕上げた。

寝不足なのでちょっと昼寝でも、と思ったが何だか頭が言葉でいっぱいで無理。そのまま稽古場に行った。

帰りは飲んだ。頭がパンパンな時には少しアルコールでも入れておかないと。

しかし飲みながらも演技の話を結構していたのでさらに頭がパンパンになった。

「酔い」と「頭がパンパン」なせいで、失礼なことやとんまなことをいろいろと言ったかもしれない。誰にも叱られなかったけど。ごめんなさい。ずっと笑ってばかりで覚えていません。

帰宅してからまたちょっとだけ仕事。

気付いたら朝になっていた。

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いろんな耐久性

最近仕事を少しでもためてしまうと耐えられない。

イライラして早くやらなければ、という気持になる。

変なの・・・・・・昔は全然平気だったのに。

責任感が強くなった、とか、分別を身につけた、というわけでもなくて

ただ耐えられないだけ。

便秘みたいな感じで落ち着かない。何とかしなければ、と焦る。

(もっとも私は便秘しても全然気にしないけどね。別にほっとくよ)

自分的には気弱になった感じがしてあんまり嬉しくないなあ。

ビクビク、オドオドは嫌だ。もともと怯えやすいし。

のびのびとしていたいんだ。いつでも。大きく構えていたいんだけれど。

と言いつつ、細かい仕事を先回りしてやりたくなってしまう。

何だか胃が痛いぞ。

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なんとなくのわけ

家で一日仕事。

何だかぼんやりしてあまりはかどらないなあ、と思っていたら劇団員Sさんからの電話。

これから私の家に劇団のものを取りに来るという。

ご苦労さま。ジュースしかなかったがささやかにもてなす。

しばし雑談するが、その際、Sさんが思いも掛けないことを言った。

「シーンの練習中に演出家の指示がないのに勝手に中断してしまう役者は許せない」とのこと。

へええ。この人って意外に真面目で激しい人なんだ。内心、驚いた。

この人は去年、劇団のオーディションにふらりと現れた。メンバーの知り合いということだったが、とらえどころのない感じでよく分からない人、というのが第一印象。その後、ワークショップ公演に出演してもらった。その稽古の様子を見て、メンバーになってもらおうとふと思いついた。演技が上手だとか外見がどうだとか、そういうことはあまり関係なくて、ほんとうになんとなく。

この、なんとなく、というのがポイントなのかもしれない。

普段はよく考えてから慎重に選ぶことが多いのだけれど、時々、理由もなく「なんとなく」決めてしまうことがある。それは人でも、ものでも、あるいはやろうとする仕事でも。

なんとなく、選ぶと何故か失敗が少ない。

このことにはすごく昔から気付いているのだが、いつも「なんとなく」で選ぶわけにも行かない。

といっても私はSさんの考えに感動したわけではなくて、どちらかというと「組み合わせの妙」に感動したのだ。

とらえどころがなくとても穏やかに見える人が、実は激しい思いを持っている。

よくあることなのかもしれない。

でも私は今日、

この人を「なんとなく」選んだ理由が判った気がした。

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ほらあなにとじこめられる

ここ数日気分が滅入っている。

台本書き終えてしばらくするとこういう状態になりがちだ。

だからなるべく書き終えた日は飲みに行ったりするようにしている。

でも問題はその後。2、3日経つともう危ない。

稽古するには問題ないが家に帰りつくとおかしくなっている。

今朝は早く目が覚めてしまったので近くのカフェで仕事。

その後髪を切った。

昼から夜にかけて稽古。

稽古場では忍耐が必要だ。それが私の仕事であり役割だから。他人のワガママより何より、一番悩まされるのは自分自身のワガママさ、根気のなさ。その二つと闘っているとだんだん心が麻痺してきて、自分自身の感じていることが分からなくなってくる。

帰りみち友人と電話で話す。

彼の「愛している」という言葉はきっと嬉しいはずなのに心が麻痺しているせいか、鼓膜に何重にも膜が張ってしまったみたいだ。言葉は私の身体の中に入ってきてはくれない。

理由もなく落ち込んでいるので、気分を立て直す方法がいつも分からない。

だって、台本が書き上がる、って悪いことじゃないでしょ。むしろ、きっと素敵だ。

なのにどうしてこんなにいつも暗い洞穴に閉じ込められたみたいになるんだろう。

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東西線がハイジャック

3時20分くらいに落合にて東西線に乗る。一番後ろの車両。

発車間際、突然、大声がして振り向くと男が車掌室で暴れている。

「早く出せ、早く!!!」などと叫びながら車掌ともみあっている。

最初は運転室かと思ってしまったので、「すわ、ハイジャック?」と思ってしまった。

男は車掌さんに追い詰められて、客席との境にある扉を開けて逃げようとしていたが

鍵が掛かっていて開かないのか、ガラス部分を激しく叩いて割ろうとしている。

ホームにいる駅員さんが非常ベルを鳴らすとどこからか駅員さんや鉄道警備隊の人がバラバラと集まってきて男を取り押さえた。

男はホームに引きずり出されてからも「会社に早く行かないと!」などと喚いている。

会社?男は会社に行く割には手ぶらで携帯しか持っていない。しかもTシャツ・・・・・・。

いや、もちろんそういう会社もあるし、文句はないんだけど。かなり変な感じ。

あれでナイフでも持っていて車掌さんを人質に取っていたら

男の勤め先まで直通運転になっていたかもしれない。

とにかく危ない人だった。ああいう人はアクション映画の見過ぎなのかもしれぬ。

電車が再び動き始めたのは10分あまりしてから。

車掌さんはひどい目に遭った割にしっかりとアナウンスしていた。

偉いなあ。尊敬してしまった。

今日は台本が書き上がったので稽古の帰り一杯飲んだ。

皆がねぎらってくれるのが少しこそばゆい、というか、申し訳ない。だって、これが私の仕事なんだから。

当たり前のことをしただけなのに皆、声を掛けてくれてありがとう。ありがとう。

芝居作りはまた次の工程に入る。

ありがとうの気持をそのための原動力に変えてゆこう。

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風に吹かれてドンキホーテ

別役実を観にhippopotamusの公演に行った。

小屋はシアターイワト。

神楽坂の比較的分かりやすい場所にありグランドピアノもある。天井もそこそこ高くていい劇場だ。

お芝居は二本立てで最初は「卵の中の白雪姫」二本目が「風に吹かれてドンキホーテ」。

花房さんの噂を聞いて観に行ってみたのだが見れば見るほど本当に可愛らしい、魅力にあふれた役者さんだった。

小柄なキラキラした目の初老の男優さんで、とにかく身が軽い。

ちょっと妖精みたいな感じのする人。

別役実の世界にあった役者さんばかりだったので楽しく観ていられた。

たぶんプロデュース公演なのだろうけれどその割に手作りな雰囲気があって好ましかった。

音楽もなかなか素晴らしかった。音楽でユーモアを表現するのってむつかしいけれど、それが成功している。

しかし残念なことに音響がかなりヤバイ。

別役実の作品に「風の音」は欠かせない。その大事な効果音があんなでは困る。何とかして欲しい。まあ部外者だから何にも言えないけどさ。

音響さんが本職の方ではないのかもしれないけれどもっと大切にオペしてあげて欲しい。それともああいう演出なのかな。

帰りに札幌ラーメンを食べた。

時々、別役実を観るとよい気分転換になる。

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じゆうなすがた

昼は仕事。台本の手直しと制作の手伝いなど。

夜から外出。

音楽をやっている友人とおでん屋さんで飲んだ。

「最近遭遇した不思議な出来事」というテーマでしばし語りあう。

普段悩んでしまうような問題も

「宇宙人がやってきて」という感じで話しているうちにだんだん客観的になってきて

最後には笑い話になってしまう。

その後、彼が運動不足だというので近くにある大きな公園を一周。

そり犬たちがどうしてあんなに嬉しそうに走るのか、お喋りした。

お互い、何だか気持が分かる、というところで一致。

ちなみに私はリーダー犬は嫌。やりたくない。後列がいいな。(お尻をかじられることもなさそうだし)

「自分がどこにいるのか分からなくなる」という状態に頻繁になるので困っている、と相談すると彼は自分もそうだから大丈夫だ、という。

いや、大丈夫じゃないよ。やっぱり。自分でもいやだもの。

稽古場に行く電車の中とかでふと物語や芝居のシーンのことなど頭に浮び、そのまま200メートルくらいの深海に潜ってしまい、気付いたらものすごく何個も駅を乗り過ごしている、とかよくある。

あと、稽古場でも何か言い掛けてストップモーションに入ってしまうことがよくあるらしい。

自分ではストップする、という感覚はないのだが、

ある日、人から「そういうのはやめてくれ」と言われて自覚した。

稽古やダメだし、打合せをやっていてふとフワフワとした考えの塊(綿毛のようなモヤモヤとしたもの)が目の前をよぎることがある。

それに気をとられると音が聞こえなくなるし、周りも見えなくなる。

実際その綿毛を捕まえて確かめてみると、たいしたアイディアじゃなかったりもするのだが。

人に聞いたところによればそういう時の私は突然電池切れになったロボットみたいだという。

電池切れじゃなくてね、私の立場からいうと、一番活動が活発な瞬間なんだけどなあ。

できれば突然、ではなくなってほしい。タイミングを自分でコントロールできればいいのに、と願い続けてきた。

でもその瞬間は必ず予期せぬ時にやってくる。忙しい、余裕のない、都合の悪い時に限って。

視界の隅をかたちにならないフワフワしたものがよぎる。

あるいは小さな扉が音もなく突然開いて見たこともない風景が見えてくる。

私は身体を置きざりにしたまま歩き始める。一番自由な姿になって。

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赤いテンション

稽古場のテンションがおかしい。

元気なんだけど、みんな顔が赤い?それに咳してる。

なあんだ、風邪か。

変にウキウキして異常なほど楽しい感じ。ゲホゲホ。私も顔が真っ赤。

帰りは客演さんと少し離れた駅まで歩く。風邪だけど少しは運動しなくちゃ。

バイトのこと、稽古についてなどいろいろ話す。

彼はいろんな場所で気をつけていることがあるという。

人が誰かに質問した時、その誰かより早く答えないようにするとのこと。

うん、それは大事なことだ。

質問された人が自分で答えを探すんでなけりゃ。

少し時間が掛かるようでも周りは待ってあげてほしい。

演出をやっていると自然と質問する側にまわることが多い。

そんな時、質問した役者さん以外の人が代わりに答えてくると、ちょっと困る。

相手に考えて欲しくて問いを投げかけるわけだから。

そういう「言いたがり屋さん」にしてみれば善意でも、それは過干渉の母親と同じくらい罪が深い。

でも思うんだけど

過干渉の母親に育てられると極端な「言いたがり屋さん」になるか極端な「人まかせさん」になるかどっちかだろうな。

ほんとにお母さんの与える影響って大きいよねえ。自分自身のことを振りかえってみても。

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首輪猫と会話

今日は和室の広間での稽古。

窓の外は小さな庭になっていて近所の猫の通り道になっている。

休み時間、窓を開けておいたら首輪をつけた猫が部屋の中を覗いていた。

入ってこようとしているのか?

「いらっしゃいませ」という意味で畳の上に正座をし丁寧に礼をしてみると猫は「ニャアン」と言って去っていった。

追いかけて窓からこっちも「にゃあん」と呼びかけてみると

「ニャアン」と振り返って答えた。

会話は成立した。

しかし会話の内容が分からない・・・・・・。

時々あの猫には会うから今度訊いてみよう。

しかし会話はできると思うけど内容が・・・分かるかどうか・・・・・・?

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表情筋/ナンパ師

画面に向かう仕事をずっと続けていると表情筋が衰えるのかも。

無表情が続くから(表情豊かにパソコン一人でいじるのもどうかと思うし)当然といえば当然だ。

パソコンを使う作業を集中してやって、夕方から稽古に行くと頭もバカになっているし

身体も顔もコチコチになっていて使い物にならないのを感じる。

心も身体も表現活動に適した敏感な状態に保つにはパソコンの仕事はあまりやらないほうがいいのかな。

顔の体操しながら仕事してみようかな。肩こりも治るかしらん。

今日はとにかく心身ともに一枚膜が張ってしまったような感覚で稽古場に行ってもぼうっとしていた。

「海辺のカフカ」を読み返す。

中に出てくる猫と猫と喋ることのできるおじさんがなかなか興味深いことを語っている。

猫がおじさんに語る。

知らないうちに知らない場所へとりつかれたようにして行ってしまうことがあるけど、時々頭がおかしくなってしまうのは××のせいだよ。

私も××ってやつは曲者だと思うよ。

いけないものだとも特に思わないけれど。

例えば、よく遭遇する問題。

その人には好きな人がいて、相手も周囲の人も感づいている。だが、その人はみんなに知られているとはどうも気付いていないので行動がちぐはぐになっている。

人の気持は止められない。

しかし相手の気持がそれにそぐわなくて、しかも仕事に影響を与えてしまう場合は

せめてその仕事が終わるまでなんとか封印?してやり過ごせないものか。

猫と喋れるおじさんの言う××は恋や愛に付随するけれど実は完全に別物としても存在する。

もし少しの時間も気持をコントロールして保てないようならそれは恋より××の割合が大きいのではないのかなあ。

恋愛の「思い」ってものはすぐに消えてなくなるものじゃないし。

その区別がつかない人ほど場所と目的に合わない「分かりやすい行動」を繰りかえして相手も周りもシラけさせる。

全部終わった後で仕事にかこつけないで、明るくきっぱり正々堂々と誘ってみたらいいのにね。

確かに仕事がらみじゃないと断られたとき恥ずかしいけれど、この「大恥をかく覚悟」が大事じゃないのか?

その覚悟があるかどうかで

単なる「うっすら××」か、ちゃんと思いのある「恋」なのか

私は決まると思っている。

もちろん大恥かいて××をとにかく求めてゆくっていういわゆるナンパ師もいるけれど。

まあでも、なにかにかこつけて、っていう人よりマシなんじゃないかと思っている。

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ブロークバックマウンテン

晴れたので斜め向かいの工事は再開した。はーあ。

まったくうるさくてかなわん。

台本書いたり、作業したり、あらかじめまとめて作ってあるおかずやスープなんかを食べたりして過ごす。

夜、気晴らしにジョギング。街へ出た。

ついでにツタヤで「ブロークバック・マウンテン」という作品を借りる。

映像がとにかくきれいだなあ。

男どうしの純愛、と店の手書きPOPに書いて合ったんだけど、純愛とは何か、ですな。

小道具の使い方など結構ネタがばれてしまう感じなのだがそのワキの甘さがよい。

台詞があまり多くないのも素敵。

主人公のイニスを演じたヒース・レジャーって役者は最近、亡くなったらしい。残念だ。もっと彼の演技を見たかったな。

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雨の日が好きになった

今日は大雨。目を覚ますと嵐だった。

爆弾低気圧の影響らしい。

斜め向かいの工事は今日は中止。

だからとっても静かだ。

寝坊などしてみる。

今日は肩も凝らないし精神状態も悪くない。

こうしてみるとひょっとして最近調子悪かったのって、工事の騒音と振動のせいか?と疑いたくもなる。

集中しようとしなくても自然に集中できるって素晴らしい。

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家が揺れている

先週から日中はずっと家が揺れている。揺れっぱなしである。

斜め向かいの建物(どこかの社員寮)の取り壊し作業が本格化しているからだ。

私の住んでいる家は「カーテンウォール」とかいう耐震構造で微弱な振動でもよく揺れる。

振動に逆らわない。柳のように波打つ。

私はもともと小動物のように臆病者で小さな地震にも敏感なほうだ。

真夜中、しかも小さな地震でも3分ほど前、つまり本震の前の余震の段階で目が覚めてしまうことが多い。

こんな私にとって家がこんなに揺れている中で台本を書いたり作業をしなければいけないというのはかなりのストレス。

その証拠にスーパーで異常なほどたくさんの食材を買い込んでしまった。

しかもそれを全部使う勢いで、どうでもいいものを次々と作ってしまう。

今週はしばらく食事の仕度はしなくてすみそう。

ところでにんじんって炊き込みご飯にほんのちょっと入れると本当に美味しいな。

彩りにもなるし。

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不思議な夢を見た。

どこかの教室のような場所。

そこで勤め人だった頃の同僚Nくんと仲良く話をしている。

「自分はシロクマなので、北の国(アイスランドとかあっちのほう)の動物園に行かなくてはならなくなった」

とNくんは言う。

私はすごく悲しくなって泣きそうになるが

彼に見られないように背を向ける。

その気持を今すぐノート(現実に作品の着想などを書きつけている青いキャンパスノート)に記さなければ、と

ノートを探す。

しかしノートがどうしても見つからない。

悲しい気持よりもノートがないことのほうが気になってきて

学校のような建物のなかを私は探し回る。

その建物はとても大きい。

窓から下をのぞくと商店街が見える。

その通りを私の別の友人(最近もよく会っている)が

くわえタバコで掃き掃除している。

しかし彼はタバコを下に落としてしまうのであまり掃除になっていない。

そのうちノートがどこからか見つかったので

私は気持を記すことにする。

だいたいそんな夢だ。

Nくんは私のサポート的な仕事をしてくれていた同い年の契約社員の人だ。

沖縄出身でとても気の優しい男だった。

一緒に行動することが多かったけれど特に恋愛感情を持ったことはない。(お互い別の対象がいた)

私が希望の部署に転属してしばらくした頃、彼は故郷に帰った。

それ以来会っていない。

でも彼がシロクマで遠い国に旅立たなければいけない、と聞いて

とてもショックだったなあ。

それにしても

実際には南の国なのに、なんで夢の中では北だったのか。

今日は稽古場に行く途中で

ひとあし先に着いてジョギングをしている男優さんたちに出会ったので

私も5センチヒールの靴で一緒に走ってしまった。

結構走れた。

ほんとに履きやすい靴ならヒールが高くても走れるんだなあ。

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新しく

何だかCGIBOYの日記のページがいつの間にか消えてしまっていたので

新しくぷらぷら日記を作ってみた。

古いほうがどうなってしまったのか気になるけれど

とにかくこっちでいいや。

大切なことが書いてあったらどうしよう、と不安になるが

ちょっと思い出せない。

台本を書くときに使ったメモも捨てられないで全部取って置く性質だが

後で読み返したためしがない。

ダンボールで何箱あるだろう。

記憶力が悪いから

思い出せなくなったときのために全部取っておけばいいや、という安易な考えだ。

そのうち日記を失くしてしまったことも

忘れてしまうだろう。

今日は昼ごろ友人とランニングをしてその後、ヒレカツ定食を食べた。

夜より昼に走るほうが疲れるしお腹が減る。

揚げ物を食べたのに胃もたれしなかった。嬉しい。

午後は家で原稿を書いてから稽古場へ。

練習は今のところとてもスムーズに進んでいる。

ユーモアを忘れず、明るく緊張感のある稽古場を作る、

というのも実践できているように思う。

だけど何だか自分は最近

前にも増して人間嫌いになったような気がする。

冗談を言いながら、演出をしながら、作品の意図を語りながら、

心細くて泣き出したい時がある。

誰かに手を握りしめて欲しくなる時がある。

助けを求めてはいけない。逃げてもいけない。

できないなら公演なんか打つな。

言い訳無用。

そうだ、

昔、劇団を立ち上げたばかりの頃は

実際何が起こったわけでもないのに

泣き出してしまったこともあった。

稽古場に入ったら

私は一人だ。一人ぼっちだ。

今は何が違うかというと涙を流さないだけ。

違いは一つでもこれは大きいかな。

成長したじゃん。

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