画面に向かう仕事をずっと続けていると表情筋が衰えるのかも。
無表情が続くから(表情豊かにパソコン一人でいじるのもどうかと思うし)当然といえば当然だ。
パソコンを使う作業を集中してやって、夕方から稽古に行くと頭もバカになっているし
身体も顔もコチコチになっていて使い物にならないのを感じる。
心も身体も表現活動に適した敏感な状態に保つにはパソコンの仕事はあまりやらないほうがいいのかな。
顔の体操しながら仕事してみようかな。肩こりも治るかしらん。
今日はとにかく心身ともに一枚膜が張ってしまったような感覚で稽古場に行ってもぼうっとしていた。
「海辺のカフカ」を読み返す。
中に出てくる猫と猫と喋ることのできるおじさんがなかなか興味深いことを語っている。
猫がおじさんに語る。
知らないうちに知らない場所へとりつかれたようにして行ってしまうことがあるけど、時々頭がおかしくなってしまうのは××のせいだよ。
私も××ってやつは曲者だと思うよ。
いけないものだとも特に思わないけれど。
例えば、よく遭遇する問題。
その人には好きな人がいて、相手も周囲の人も感づいている。だが、その人はみんなに知られているとはどうも気付いていないので行動がちぐはぐになっている。
人の気持は止められない。
しかし相手の気持がそれにそぐわなくて、しかも仕事に影響を与えてしまう場合は
せめてその仕事が終わるまでなんとか封印?してやり過ごせないものか。
猫と喋れるおじさんの言う××は恋や愛に付随するけれど実は完全に別物としても存在する。
もし少しの時間も気持をコントロールして保てないようならそれは恋より××の割合が大きいのではないのかなあ。
恋愛の「思い」ってものはすぐに消えてなくなるものじゃないし。
その区別がつかない人ほど場所と目的に合わない「分かりやすい行動」を繰りかえして相手も周りもシラけさせる。
全部終わった後で仕事にかこつけないで、明るくきっぱり正々堂々と誘ってみたらいいのにね。
確かに仕事がらみじゃないと断られたとき恥ずかしいけれど、この「大恥をかく覚悟」が大事じゃないのか?
その覚悟があるかどうかで
単なる「うっすら××」か、ちゃんと思いのある「恋」なのか
私は決まると思っている。
もちろん大恥かいて××をとにかく求めてゆくっていういわゆるナンパ師もいるけれど。
まあでも、なにかにかこつけて、っていう人よりマシなんじゃないかと思っている。
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