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2008年5月

三日目

劇場への途上、地下鉄の中で涙が止まらなくなる。

昨夜、死んだと聞いたその人のことを思うと悲しくてたまらない。

泣きながら歩いていると、役者のTさんに会った。

朝っぱらからはた迷惑な人間になってしまった。本当にごめんなさい。

Tさんがあまりこちらを見ないでくれたので助かった。

マチネの後、見知らぬお客さまから声を掛けていただく。

いつも観てくださっているのだという。ありがとうございます、と答えると、あなたの作品はいつもファンタジィーだけれど最後が悲しい、どうしてなの?訊ねられた。

どうしてでしょうね。私がペシミスティックな人間だからでしょうか。短編だと、ハッピーエンドもありますよ。と私が小声でボソボソ答えると、その人は「いいのよ、私はそれが好きなんだから。また来ます」とおっしゃって帰ってゆかれた。

昼も夜も満席。というか足りなかったので席をなんとか増設してしのぐ。

帰りは古い友人のI氏とお世話になっている制作者のO氏、それにワークショップ生のYさん、それにメンバーとでご飯を食べた。

I氏は微妙なことを言った。「きみは目の前で起こることを全部実験みたいにして見てるんでしょう」

私は否定したけれど、眼でうなずいた。

うん。そうです。だから生きている実感が少し乏しいのかもしれない。だから、怪我しても痛みをあまり感じないのかも。

Iさん。私もこれからでもいいから実験ではない、何かを生きなければいけないと思っています。でも、でも、でも・・・・・・でものあとが率直に話せません。

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二日目

二日め。

本日も満席。お客さまに感謝感謝である。

芝居はだいぶテンポがよくなってきたかなと思う。体感としてはそれほどでもないけれど。

まだまだ改善の余地がある。もっとよくなる。皆でそのことを話し合って別れた。

近くの飲み屋お世話になっている制作者のT氏やS氏と帰りにご飯を食べた。

彼らは作品についてとてもほめてくれて、いろいろなホールで上演したほうがいいとすすめてくれた。

とても有意義で楽しかったのだが帰りの電車の中で、私は何のために生きているのだろう、生き永らえることに何の意味があるのだろう、などと考えてしまった。

30歳を超えると女は心が丈夫でないと生き抜いてゆけないな、とつくづく思う。自分がとても汚れてしまったような、価値のない存在のような気がしてきて耐えられなくなる。

帰宅してから友人と電話。友人の大切な人が亡くなったらしい。まだとても若い女性。私の芝居を観に来てくれたこともあったらしい。友人は泣いていないのに私は涙した。キラキラした価値ある命が失われたというのに、私は既にくすんでしまっている生の途上にいる。それがとても不合理に思えた。

きれいごとでなくて、本当に代われるものなら代わってあげたい、と私はその見知らぬ女性に対して思う。そうしたら友人も大切な人を失わずに済む。私もある意味本望だ。

友人に涙のわけを訊かれて躊躇した。

こんなことを説明しても悲しみの中にいる友人にとっては、鬱陶しいだけだから。

泣きながら眠った。

その人が死んで、私が生きていることが悲しくて。生きていることを感謝しなくてはならないのに、そうできなくて。自分の価値が何も感じられないことに。作品を書いても演じてもやはりあまり生きている意味が見出せないことにが悲しくて。

まだ泣けるだけいいのだ。

きっとそうだ。

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めいろあそび 初日

午前中は場あたり。昨日の続きをやる。

午後はゲネ。終わってすぐに本番準備。初日はお客さまが少ないと聞いていたので、座席は少なめに用意する。

しかし客入れが始まってみたらみるみる満席になってしまったようだ。制作さんが忙しく椅子を増やす音が楽屋まで聞こえて少し落ち着かない気分になる。

本番は役者さんの緊張感にバラつきはあるものの、全体としてはスピード感もあって悪くなかった。

終演後、見知らぬ紳士から声を掛けられた。

先日のオペラのイベントのお客さまだ。あの時、朗読を気に入ってくださり、芝居に来ると約束してくださったお客さま。ありがとうございます。私もまたお会いできて嬉しいです。

その方と挨拶を交わしたのち、続けてまた、別の紳士から名を呼ばれた。この方もオペラのイベントのお客さまだ。あの時もお声を掛けていただいたが、まさか観に来てくださるとは。「これまで芝居には興味がなかったんだが新しい趣味が出来た、ありがとう」というもったいないお言葉をいただく。こちらこそ感謝します。ありがとうございました。

その後はワークショップに来てみたいという若い女優さんや、他劇団の作・演出の方と話す。

初日の乾杯を簡単に行ってから、帰宅した。

帰り道、かなり酔っ払ってしまった。一緒にいた役者の人が送りましょうかと申し出てくれるが、本番中に迷惑はかけられない。断って駅で別れた。ぼうっと歩いていたら、友人からメール。今日観に来てくれたらしい。

私が疲れきっているのを知って、家に小さな花束を届けてくれた。ピンクとオレンジの小さな小さな花束。

きれいだなあ。家にこの花束が待っていると思うと、明日も家に帰るのが楽しくなるかもしれない。

明日も頑張ろう。まだまだ未完成の舞台、もっともっと良くなるはず。本番前の時間を有効に使って、手直ししようと思った。

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仕込み

今回は一日仕込み。

時間が足りなくなるかと思っていたがスタッフさんたちの力でどうにか夕方までには舞台美術と照明の仕込みに関しては完成。

美術はほぼプランどおりに出来た。鉄とか金属が錆びたみたいな感じなのに、シルエットだけ見ているとススキ野原みたいでとても不思議な感じだ。

無機質な素材感で有機的な雰囲気を作りたい、というイメージはほぼ実現できたかな、と思う。

夕方から場あたり。照明はいつもなのだが、とても美しい。夢のよう。

明日は本番。

今日までとはまた違う種類の頑張りが必要になってくる。

楽しんで頑張ろう。

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雨夜の猫

この前、雨の夜のこと。

打合せがてら馴染みの飲み屋へ。仲良しの猫、トムがいる店だ。

そしたらトムがいなかった。ふらりと出て行ったきり、もう4時間も戻ってこないのだという。

トムにしては長い外出時間。外は土砂降りだっていうのに、どうしたんだろう。

心配になって、外に探しに行ってみる。いない。

おかみさんが言った。「他の家に上がりこんでるのかもしれないねえ」

そんなことあるわけない。この店よりいい場所なんてトムにとってあるはずがないんだから、とカウンターのお客さん数人が口を揃えて言った。

しばらく公演の打合せなどをしていたら、トムと仲の良い他のお客さんが外へまた探しに行ってすぐに戻ってきた。

その人が「裏の家の車の下にいるけど、すごく困ったような顔をしてこっちを見ている。僕じゃダメだから迎えに行ってやって」と言うので、私はマタタビの瓶を持って雨の中、出てゆく。

トムにマタタビの瓶を見せると、にゃあん、とすぐに反応するが、いつものようには飛びついてこない。確かになんだか困ったような後ろめたいような顔をしている。

私は一瞬の隙をつくと、トムを飛びかかり抱きかかえた。大役を任されたのだから責任を果たさなければ。

猫を抱いて、店に戻ると、お客さんたちから拍手がわいた。

不思議なことにトムは少しも濡れていなかった。雨はずっと降り続いていたのに。

そんなに長いこと車の下で熟睡していたとも思えない。

それにトムの不思議な表情。居心地悪そうにしたかと思えば、おかみさんに頭をすりつけたりする。すまなそうに出されたご飯を気の無さそうに食べたりして・・・・・・

これはやはり。

私たちは確信した。トムは別の家に行っていたのだ。

カウンターのお客さんが言った。

「こいつ、人間だったら間違いなく浮気がばれるタイプだな」

トムはわざとらしく欠伸をしてみせると突然後ろを向いて毛づくろいを始めた。

なるほどねえ。

人間も猫も浮気をすると同じことをするんだね。

おかみさんが、トムの肩を揺さぶって訊いた。

「ねえ、ほんとなの。どこの家?」

あまり訊かないほうがいいよ。放っておけばそのうちおさまるんだから。

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優しい便り

苦手な季節がやってきた。

暑い。暑いのは苦手だ。

しかしいろんなことがやっと順調に転がりだしたような気がする。

稽古もそうだし、公演準備もそうだし。

あとは細かいことを詰めてゆくだけだ。これが結構やっかいだけれど。

友人から優しいメールが届いていた。

私も。私も会いたいです。でも今は逃げ出すわけにはいかない。

ありがとう。公演終わったら飛んでゆきます。

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知らせに来た赤いブツブツ

昨夜あんなことがあったわりには、元気に早朝目が覚めた。

何だか眠れなくなって、仕事を始めてしまった。

そのまま、夕方まで結局仕事。

かなりくたびれたはずなのだが、何だかよく分からない。感覚に蓋がされてしまったみたいな感じで全部他人事のような気がする。

夜は先日仕事をいただいたライブハウスに領収書を届けに行く。

帰宅してみると腕の内側にジンマシンが出ていた。

ああ、とうとう来てしまったか。キミが。それにしてもいつもこれ見よがしな場所に出て来るねえ。そんなに目立ちたいの?

私に急いで知らせに来たんだね。

たしかに最近、ストレス、ためこみ過ぎだったかもしれないね。

もっと休むようにする。いや、きっと普通の人にくらべるとぜんぜん働いてない気がするんだけれど、くらべても仕方ないものね。

痛いとか、疲れた、とか、嫌だ、とかもっと感じなくちゃ、自分で。誰かに言わなくちゃ。泣いたりすればいいんだ。

でもほんとに別に何ともないような気がするんだもの。

発疹の出た腕を見下ろしながら「またおおげさぶってるよ、この人」と心の中で呟いていたら涙が出てきた。なんだろうなあ。なんともないくせに。

ジンマシン、本番までに消えるだろうか。

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大事な栄養分を失う

大学時代の友人と飲んだ。

私の家のすぐ近所に引っ越してきたのだという。

たくましい感じの女だったが10年ぶりくらいで会ったらさらにたくましくなっていた。

彼女はスポーツ新聞のカメラマンで野球が専門だ。

カメラの機材を持ち歩いて鍛えられたのか肩のまわりがひとまわり大きくなっている。

まずはお互いに近況報告。

彼女は飲む飲む。私は稽古帰りでお腹が減っていたので食べてばかりいた。

飲み屋が早く閉まってしまったので、そのまま友人の家に行った。

その途中で何となく気分が悪くなった。

ひょっとしたら食あたり?と思っていたら友人も気持が悪いと言い出した。

やたらピンク色が鮮やかだった、イカ明太が怪しい。

友人宅に着いてから友人、私の順で吐いた。

吐いてしまったらスッキリしたが、大切な栄養分なども失ってしまったためか、寒気がする。

お喋りもそこそこに、タクシーで帰宅した。

せっかく会えたのに、残念だな。もっととことん話したかったのに。

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がむしゃらで繊細な友

稽古の後、友人と会う。

この人は一歳年上で、私と一日しか誕生日が違わない。何か不思議なめぐり合わせを感じる。

たまにしか会えないが、とても気が合う。「がむしゃら」な部分と「繊細」な部分も両方好きだ。この人の前にいるとのびのびとくつろぐことができる。

年代と誕生日以外に共通点は特にない。しいて言えば、二人とも飾り気のない格好をしていることくらいだろうか。(この人の場合はお洒落のポリシーなのかもしれないが、私のほうはただ、気が回っていないだけだ)

お酒を飲みながら近況報告。

友人はプライベートの人間関係について。私は最近抱えている仕事場での人間関係の悩みについて話す。

「大丈夫だよ」と友人は言う。「あなたは間違っていない」

私はこたえる。「ありがとう」

だけど問題はたぶん間違っているかどうか、じゃない。相手がどう捉えるか。だもの。

でも涙が出るほど嬉しかった。

声に出して「あなたは間違っていない」と言ってくれて、嬉しかった。

私はこの種の苦しみの末にいずれ死んでゆくのかもしれない。小学校四年くらいのときにすでにそういう予感があった。

怪我の痛み、仕事や創作の大きな苦しみには耐えられても、人間関係の軋轢には耐えられない。耐えているフリをしてもやはり耐えられない。創作も恋も私をその苦しみから救えない。今まで生きてきてそれははっきりしている。

もし、もしも

すべてをあきらめてあの世に逃げ出してしまおうという瞬間が来たら、今夜のことを思い出してみよう。

「あなたは間違っていない」この言葉が私を生にひきとどめてくれるかどうか。

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なにもしたおぼえがないけれど

女の人からまた嫌われた。彼女の繊細さも優しさもわがままさも好きだったのに。

何もした覚えがないけれど、何もしなかったのがまずかったのかもしれない。

一年に何度も人に連絡できなくなる時期がある。

本番前とか、台本を書いている期間とか。

そういう時期はごく決まった人にしか会えない。みっともない姿を見られたくないから。

せっぱつまった時の私は、ジャージ姿で青い顔、頭はボサボサ(まあいつもボサボサだけど、さらにパワーアップして)、眼はうつろ、ほんとにひどい。

だから女の子と二人、洒落た店で飲むなんて絶対に無理。まず格好が無理だし、頭が作品のことでいっぱいになっていてそれ以外のことがうまく話せない。

みっともなくてギスギスして棘だらけの私。その時期は自然、そういう私に慣れっこの「神経が異常に太い」あるいは「ロクデナシ」の友人にしか会わなくなる。

せっかく知り合っても、年に何度もこういう時期があると、たいていの人は離れていってしまう。

淋しいな。

でも無理して会ったり連絡取るのもイヤなんだ。だって絶対変なこと言って傷つけちゃうもの。

共通の友人に電話した。(この人は「ロクデナシ」のジャンルに属している)

「どうしようどうしよう」と私がオロオロと電話口で泣き声を出すと「深刻に捉えすぎるのも良くない」とピシャリと言った後、今後の私の振る舞い方について冷静に細かくアドバイスし始めた。頭にくる。この人は私が泣き声を出そうが、まったく意にかいさない人なのである。共感というものが全く感じられない。(だからこそ私がどんな状態でも、いちいち気にしないでいてくれるのだろう)

友人にまことに勝手な怒りを感じているうち、気持の整理がついてきたので礼を言って(さすがに今夜は悪態をつくのはやめておいた)電話を切った。

すべては私の身勝手さが原因なのだ。受けとめるしかない。

現実を受け入れた途端?空腹が襲ってきた。スポーツニュースを見ながら夕飯を食べた。

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痛みを感じなくなるスイッチ

さきおととい、稽古の帰りにうっかり足の親指をくじいた。

稽古の時の複雑な動きの時には怪我しないのに、何故こういう何でもないところで「やらかして」しまうんだろう。

でもあんまり痛くない、ような気がしてそのままにしておいた。

頑張れば歩けるから。

しかしいろんな人から医者に行くようすすめられ、しぶしぶ診てもらったら・・・・・・

じん帯が伸びている、とのこと。お医者さん曰く、普通はとても痛むはずだし、直後に手当てする必要があるれっきとした「怪我」なのだそうだ。

そうですか・・・・・・痛みに鈍感なのも困ったものだ。

私は骨にヒビが入ったのに気付かず放置していたことが今まで二回ほどある。

しかも今日の診察で、ヒビが入り治った痕が新たに発見されてしまった。いつやったんだろう。

直後に手当てをしなかったせいで、おそらく痛みも腫れ(じん帯の周りが腫れているのだ)も長引くだろう、とのこと。

よし、これからは痛みに忠実になろう。と、右脚をかばいつつ稽古場へ。稽古中も脚をひきずってみる。しかし、何だか仮病みたいで居心地が悪い。大げさに痛がっているみたいで、罪の意識がある。

しまいにはあまり、関係なく動きまわってしまった。

こんなのだと、あまり早くは治らないかなあ。困った。

歯の治療の時はあんなに痛みに敏感なのに。あれは我慢できない。

帰宅して気付いた。一人になると結構痛いや。そうか、人前だと不感症スイッチが入るのかも。

歳の離れた友人からまたメールがあった。プライドが高いのはいいことなのかもしれないけれど、人生が窮屈にならないかしら。

でも人それぞれだものね。

仲良しに電話。彼の優しさにふわーっと気持がほぐれた。その途端、足の指の痛みがズキズキっとした。そう、痛がってもいいんだ。うん。

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音楽とあわせる喜び

『めいろあそび』、第1回めの音楽あわせ。

ハーピストのH氏と試行錯誤しながら楽しく進む。

今回はショパンにドビュッシー、サルツェードの曲を中心にすえつつ、そのほかタンゴやジャズなども演奏してもらうことになっている。ピアノ曲もハープにアレンジするとかなり雰囲気が違っていて面白い。

台詞とハープの音色のコンビネーションを考えつつ、編曲などを二人で模索してゆく。

困難はたくさんあるがやりがいのある作業である。

この楽しさをなかなか共有できない役者さんなどもいる。私としてはその楽しさを知ってもらいたい、とそのたびに思う。なんとか音楽とあわせる喜びを伝えたいのだが。どうすればいいのか。

私たちの芝居で使うクラシックやジャズ、シャンソンやタンゴなどは、役者さんたちが普段あまり接することのないタイプの音楽なのだと思う。私の周りの人はほとんどポップス?やヒップホップ、ロックしか聴かない。

ゲーム音楽などでもクラシックはアレンジされてしばしば使われている。でも生演奏の音楽とはまったく別物。だからといってデジタルっぽいのが嫌いなわけではないんだけど。

役者さんは音響を使うにしろ、音楽の流れる舞台で演じることが多いのだから、普段からいろんなジャンルの音楽に親しみ、好奇心を持って欲しい。

私だって時々は苦手な現代音楽とか聴いてみたりするし。ちょくちょくは疲れるけれど、時々なら勉強もいい。

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わたしの住む狭い世界

友人からまたメールがあった。

気遣いに対するお礼に付け加えた「今度飲みましょうね」というひとことがいけなかったみたいなのだ。

私の周りの人はこの言葉を立場の対等な友人や知人に親しみをあらわす慣用句として使っている。私もそうだ。

でもその友人はそう思わなかったようで、要するに「女として誘ってきた」という風に捉えたようなのだ。うわわ。

「女として誘う」なら違う方法を選ぶよ、あたしならね。

こういうことは時々あって、自分の性別が女性なのが呪わしくなる。何故こんな面倒くさいことになるんだろう。

恋愛がらみでない人間関係の場合、私はたいてい、相手に気持を伝えない。愛を打ち明けられたりしたら必要性を感じるから伝える。それが打ち明けられた側の責任だと思うから。

告白されてもいないのに自分の気持を伝えるつもりはない。匂わせたりもしたくない。賢い人だったら私がどう感じているか、分かるだろうし。多少勘違いされても気にしない。それで人が気分良くいられるならそれでいいじゃないか、と思っている。

一般論としての恋愛についてお喋りはするけれど、恋人に関しては滅多に人に話さない。相手が自分の恋人について何か面白い話を聞かせてくれた場合(物語を書く上でもとても参考になる)はお返しに私も打ち明けるけれど、そうでない場合はまったく話さない。

だから「いない」と思われてそれがまた誤解に結びつくのかもしれない。

もちろんそれはそれで構わない。しかし誤解された上、負担に思われたりするのはとても困る・・・・・・。

今回のことはいろんな意味で勉強になった。

人によって言葉のカテゴリーが違うのもさることながら、友人は私よりずいぶん世代が上だし生活もだいぶ違う。

それなのに私は普段どおりの、狭い世界でしか通じない言葉を使ってしまった。そのことが問題なのだと思う。

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なにげなく が ややこしく

午前中、友人からメールが届いているのに気づく。文面を見て驚いた。

私がなにげなく書いたお礼のメール。それがきっかけで奇妙なことになるとは。

ある時、気を遣っていただいたので感謝の気持をメールで伝えた。文面はいたってシンプル、出先だったので携帯電話からだった。

そしたらその人から長いメールをいただいた。「いつも優しくできるわけではない」という理由で気が重くなったようなのだ。(メールにはその経緯が書いてあった)

感謝の気持ちを伝えることが、「いつもそうして欲しい」という要求と取られるとは思いも寄らなかった。でもそう受け止めた人が実際いるのだ。

反省しなくては。だけど、どうすればよかったのだろう?

今回の件はあくまでも私とその人だから、つまり組み合わせ的な問題なのか。

むつかしいなあ。

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悪意の小さな芽

何だか機嫌が悪い。

小さなパニックの始まり。

悪意の小さな芽が身体中に生えてきたみたいにムズムズする。ゆうべも友人にひどいことを言ってしまった。ごめんなさい。

本番終わったばかりだしたぶん少し休んだほうがいいんだと思う。

だけど昨日も落ち着かなくて明け方から仕事してしまった。

不安でイライラしてどうも落ち着かない。

今日も少しノンビリ過ごそうと思ったが、結局作業を始めてしまった。

ほんとはノンビリもイライラもしていられない。無駄な時間を過ごしている余裕などないのに。

誰か助けて、と言いたいけれど、誰に?誰も助けてなんかくれないよ。仕事を頼める人はいるけれど、助けてくれるわけじゃない。

落ち着いて。何が優先事項か考えなくちゃ。それにできることとできないことの見極めをつけて動くこと。

大丈夫。深呼吸して。現場ではいつも落ち着いて冷静でいること。他人の悪意を恐れず、しかし敵対は避け、できる限り効率的に。

笑顔でいること。笑いはきっとピンチを救ってくれる。

そうだ。やり遂げる方法は分かっている。落ち着いて。

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最終日

昼は公演の稽古。

夕方から下高井戸へ。

稽古場から現場に向かう時、私の大きな荷物を見かねて客演のTさんが荷物を持ってくれた。本当は別のルートで帰宅しようとしていたらしいのに。

ここ数日、体力の限界を超えたスケジュールだった。朗読は体力とコンディションが勝負。こうして少しでもラクをさせてもらえるのは何よりありがたい。

たとえ他に手伝う状況にある人がいたとしても、彼は必要だと思ったら自分で申し出てやってくれる人なのである。感謝しながら、内心尊敬してしまった。私もかくありたい。困っている人がいたら自分の決断で助けられる人になりたい。

本番。

体力の限界を感じつつも何とかラストは乗り切った。朗読は楽しい。自分の書いた物語を読み、中に入って、それを発信する、無上の喜び。

何人かのお客さまからお声を掛けていただいた。公演に来てくださるとのこと。ありがとうございます。見知らぬ人から花束をいただく。ピンクの薔薇とサーモンピンクのガーベラ。どうしよう、ありがとうございます。

終演後は打ち上げ。

お店の壁画を描いたという絵描きさんと、ピアニストK氏の生徒さん、それに店の常連客であり、時々バイトもしているNくん。

絵描きさんは富田靖子に似た顔立ちの美しい人。男からももちろんもてるだろうけれどある種の女の人からも追いかけまわされそうな感じ。美しいばかりでなく、特殊な魅力を持った女性だ。しかもあんな素晴らしい絵が描けるなんて。

Nくんは哲学科(!話をしてみたら私の学生時代とはぜんぜん違う真面目な生活を送っている)の学生。「青くさくて微笑ましい」発言をする可愛い若者だ。

歌手のNさんとピアニストK氏、それに彼らとお喋りしていると気持がウキウキと明るくなる一方で、淋しく孤独になる。少しだけ。

何だろう、いつもこうなのだ。楽しくて和やかで、もっと浸ってしまいたいのに、それができない。

でもやってよかったんだね。この仕事。ちょっと体力的にはしんどかったけれど。

勉強になった。

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3日目

昼は公演の作業。

夜は朗読の仕事で下高井戸へ。

ピアニストも歌手もカラッと明るい人たちだ。朗読も熱心に聴いてくれ、感想も毎日伝えてくれるので、とても参考になる。

店のマスターも私の朗読をとても気に入ってくれたみたいで嬉しい。

今夜は古い知り合いがたくさん来てくれた。感謝。あまりみんなに伝えていなかったのだが誰かが呼びかけてくれたのかな。

終演後、劇団のお客さまとお茶を飲んだ。彼は繊細だがとても強い人。時々会ってこうして話をすることが私の糧にもなっている気がする。バイクの免許を取るそうだがどうか安全運転で。

それにしても私ってそんなに全方向に対してわがままエネルギーを発散しているのだろうか。今日も私がワガママで甘えている、ということを前提に話をされてショックだった。その人はこことは別の現場で一緒の人だ。彼に対してワガママに振舞ったことあったっけ?確かにその現場にいる何人かの親しい人たちとは何でもざっくばらんに話すし、仕事の要求も前置きなしではっきりと伝えている。でも彼にはかなり丁寧に話していて、そのあたり随分使い分けているつもりなんだけれど。

私はもともとワガママでどうしようもない性格だから、とにかく現場ではそれを出さないように努めている。ワガママが出てしまうと困るので心もあまり開き過ぎないようにしているし。(今回の朗読の仕事の現場ではもっと思い切り人間性を出していい、みたいなことを言われたが)

この人は私のことが嫌で、その気持を遠まわしに表現したがっているんだろうな。そんなことされても困る・・・・・・。

まあでもこんなことくらいでショックを感じてる私はまだまだ甘いね。いいじゃん、別に彼は私の本性を見抜いて真実を言っただけなんだから。嫌うのは彼の問題。私は公平に?公正に?適切に?ぴったりした言葉が見つからないが・・・・・・そう、フェアに振舞えばいい。

私は彼を嫌いではない。この人にはいいところもたくさんあるのだ。

私を愛してくれる人ときっと同じ数だけ、私を嫌う人間もいるはずだ。

それを受け止めるのには勇気がいる。

だけど逃げるつもりはないよ。今のところ。

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二日目

今日も昼は稽古。

夕方から朗読の仕事へ。

今日は昨日にくらべて落ち着いて読むことができた。

一部と二部の間の休憩時間にお客さまから声を掛けていただいた。

劇団の公演『めいろあそび』にも来てくださるとのこと。

物語を気に入ってくださったようだ。嬉しい。

終演後にも何人かのお客さまから『めいろあそび』のお問合せをいただく。

一生懸命やっていればいいことあるんだな。じーんとした。

内心、劇団の公演と日程が近いのに引き受けてしまったことを悩んでいたから。

みんなに迷惑を掛けたくないから昼の稽古には集中して臨んでいるつもりだが、その分夕方からの本番の時に疲労を克服するのがむつかしく、葛藤があった。

だけど、やっぱり引き受けて良かったんだと思う。

歌手のNさんとご一緒したことは自分にとってかけがえのない経験になった。

お客さまの中には私の書くつたない、たどたどしい物語に興味を持ってくださった方もいる。

「やらない」「迷惑を掛けない」というネガティブな選択肢に逃げないで良かった。

不器用でもひとつひとつ、きちんと、頑張って、仕事をやっていけばいいんだ。すごく疲れるししんどいし、時々ひどいめには遭うかもしれないけどさ。

明日もきちんとやろう。大丈夫。きっとできる。

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本番

おかしな夢を見た。怖ろしい夢だった。もう見たくない。

昼は5月公演『めいろあそび』の稽古、夕方から朗読の仕事のため下高井戸BLUE-Tへ。

今日は本番。会場は混んでいて途中から酸欠状態になってしまった。

なんとかやり終えたが、明日からは休憩中は外の空気を吸いに出ようかしらん。

終演後は遠方から来てくれた知人とそれに出演メンバーとで一緒に食事をした。

私は酸欠の後遺症か視界がモヤモヤグルグルしていてきちんと話せる状態ではなかった。

エネルギー切れで目を開けているだけで精一杯。

帰り道、知人が荷物を持つのを手伝ってくれたのでとてもありがたかった。ほんとは寄りかかってすぐにでも眠ってしまいたい。

稽古と本番の両立、しっかりやらなければ。

明日に備えて早く寝よう。酸素でも吸入できれば一番いいのだが。

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