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2008年6月

覚悟

友達の身の上にとてもつらい出来事があった。しかし彼女は勇気を持って受けとめ、まわりの人を支えてゆく覚悟があるようだった。あらためて決心した、ということでもなく、自然にそういうふうに行動をおこしている。彼女になにか、私なりにできないだろうか、と思った。何ができるだろう。何が・・・。

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おんなのこのにおい

昨夜は友人のライブに行った。

ウクレレとベースが中心のバンドでジャズ寄りの選曲やアレンジが多い。

最近ボーカルの人も加わったらしい。

素晴らしい歌声。囁くように歌うタイプはあまり好きでなかったけれど、彼女の歌を聞いて考えが変わった。音程はすべて正確でありながら、歌いぶりは陰影に満ちていて、独特の個性も感じさせる、こんな人なら囁いて歌ってもOKだ。

このバンドの欠点は実力的に追いついていないメンバーのフォローができていないところ。

バンドでも劇団にも言えることだ。

全員の実力が揃っていなくてもいい。ただ、実力の揃わない者と一緒にやるならばそれ相応の覚悟が必要だろう。

何かの魅力をその人に感じて、実力が違いすぎるけれど一緒にやりたいと願う、それはいい。ただ、その人を同じステージに立たせようとするならば、観る人にもその人の魅力が伝わるように、あるいは観る人に違和感を感じさせないように、その人に恥をかかせないように、その人の表現の尊厳を守ってほしいと、強く願う。それがその人をメンバーとして受け入れた者たちの「責任」であり「覚悟」なのだから。

そのようにできないならば、力の違う人を引き受けてはならない。残酷なようでも最初に「一緒にやれない、ごめんなさい」と言わねばならぬ。

そんなことを時々考える。理想論だけれど、実行したいといつも思っている。

その後、猫のトムの店。トムは2階に上がったきり、しばらく降りてこない、とおかみさんが言う。

私が席に着くと、よくお喋りする印刷屋の人(名前は知らない)が入ってきた。手に何か大きな紙袋を下げていて、中にはオモチャの箱?のようなものが。

「それは何ですか」

「ああ、涼しく寝られるボードみたいなもの」

「ボード?」

箱には「ひんやり倶楽部」と書いてあって、中をのぞくとプラスチック製の板のようなものが入っていた。

さらに箱の裏面を見ると猫や犬がそのボードの上でこれみよがしに寝そべった写真が。

なるほどこの上で寝ると冷たくて気持ちがいいらしい。燐酸?の働きでボードが動物の熱を逃がし、気持のよい温度を保つようなのだ。

「うちの猫が使わなくなったから、トムにあげようと思ってさ」と印刷屋さんが言うと、トムが音もなくすうっと入ってきた。

店の客は皆そ知らぬ顔をしてトムから顔をそらした。トムにプレッシャーを与えてはいけない。猫に無理強いは禁物だ。ドキドキしながらトムがボードの上に乗るのを待ったが一向にその気配がない。

しびれを切らして振り返ると、見たこともない状態になっていた。トムはピクッとピクッと神経質に身体を時々揺らしながら、ボードから少しずつ後ずさりをしていた。臆病モードが全開になってしまっている感じで見ているほうが何だかこっ恥ずかしい。

普段はあんなに気取りやなのに、こんな状態を人前でさらすなんてよほどのことだろう。

何が怖いのか。たぶんボードについている他の猫の匂いだろう。印刷屋さんに聞いてみた。

「お宅で飼っている猫はどんな猫なんですか」

「おとなしいメス猫」

メス猫。女の子か。

ひょっとしたらトムは人間にたとえると頭でっかちタイプのオクテでオタッキーな中年男で、これまで女の子と話したこともない。それなのに突然生身の女の子が部屋にやってきてしまった、さあどうしよう、という感じなのかもしれない。

と私が向かいの席の友人に話すと「それはありえる。だって興味がないわけじゃなさそうだしね」

トムはまだボードを見つめたままウロウロしたり、またいだり、かと思えば大げさによけて歩いたりしている。

私はマタタビの粉をボードの上に振りかけてやった。

するとボードの上に乗ってマタタビを舐め始めたではないか。やった。なんだ、マタタビで全部解決じゃん。猫って単純だね。

しかしトムは舐め終わると、また元の位置まで後ずさりして、ボードを監視?観察?する体制に入った。

「嫌いじゃない、だけどなんかおっかないんだよ」

トムはおかみさんを振り返って鳴いてみせた。そうだよ、トム。生身の女の子はおっかないぞ。

だけどまあ、今回は実際メス猫が来たわけじゃないし、匂いだけなんだしさ。楽しんだら?

来週、トムが「ひんやり倶楽部」のトリコになっているかどうか、とても楽しみだ。

友人に共通の知人の話をした。最近私にメールをくれること。不思議なメールの文面について。そうそう、あんたのこと好きなんだって。

俺の?どこが。

知らない。雰囲気じゃない?

LIKEか?とカタコトの英語で彼は言う。

違うよ、LOVEだよ。と私もカタコトで返した。

ふーんお前にLOVEな奴がお前と仲のいい俺のこともLOVEだってことか。と真面目な顔をして友人が言うので

違うよ、さっきのは冗談。その人は別にLOVEじゃないよ。もちろん私にも。と返すと

それはお前が分かっていないだけだ。と友人はごにょごにょ言った。

私がその人について何かおかしな喋り方をしたのかもしれない。変な誤解を招いた。

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じゅもん

友人にもらった花の中で名前の分からない花があったので調べてみた。

アルストロメリア、という名前らしい。球根の植物。南米のほうのお花なのね。

http://flower365.web.infoseek.co.jp/00/027.html

アヤメに似てると思ったけれど、ぜんぜん似ていない。

私がもらったのは写真よりももっと青い感じで色も薄い。

6枚ある花びらのうち3枚に斑が入っている。昆虫を誘い込むための模様なんだって。そう、私もこの模様のせいで気になったんだもの。見つめているとちょっとぞくぞくしてくる。

ゆうべ、花束をほどいて活けるとき、アルストロメリアだけの花瓶も作ってみた。何だか涼しげだ。

あるすとろめりあ、あるすとろめりあ、何だかおまじないの呪文みたいだね。どんな魔法がかけられるんだろ。

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星の海を飛ぶ

仕事が終わって帰宅。

掃除と洗濯を徹底的にやる。終わった頃にチャイムが鳴った。

友人が花束を手に立っていた。バイクで来たようだ。花束は向日葵にガーベラ、それに小さなアヤメのような花も混ざって、カラフルなのに不思議とシック。

渡された革張りの小さなボックスを開けるとペンダントが入っている。アメジスト、誕生石だ。

ありがとう。大切にするね。

バイクの後ろに乗って、ご飯を食べにゆく。

大通り沿いにある中華料理屋の「刀削麺」という看板につられて、つい店に入った。わあ、削ってる削ってる。麺が宙を飛んで鍋に飛び込んでくぞ。初めて食べるけど、刀削麺って美味しいな。食べるまでは何でわざわざ削るんだろう、麺なんてうどんみたいに粉を打って刻めばいいじゃん、って思ってたけど、削るのは正解。私に言われるまでもないんだろうが、ほんと正解。美味しい。まいった。

その後、海のほうへ。

いつも思うけれど両サイドに夜景の広がるこの道を走るとまるで星の海の上を飛んでいるみたいだ。

お台場ビーチの岸辺に打ち寄せられたくらげの亡骸。人間の魂ってかたちにするとこんなかな、とふと思う。

帰り道、センチメンタルな気分になって、背中で少し泣いてしまった。

友人はきっと気付いていないと思うけれど。

昼、携帯をいじっていたらメールの受信履歴のところにあの人のアドレスがまだ残っているのに気付いた。

急ぐ用事があり消すのは後回しにしていたら、結局忘れてしまった。

さっき眠る前にあの人にメールしてみようかと思ったけれど、やっぱりやめておこう。

自分から連絡を取るのは苦手だ。頼ったり甘えたりしているようで、どうしてもいや。

おやすみなさい。

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いつでも嘘ばかりついて

天気の悪い日は憂鬱が激しくなる。昨日はそんなにひどくなかったのに。

でも昨日は、自分の気持に、嘘をついた。

ワイルドな友人にも会いたかったけれど、身体が痛むほど会いたかったのは別の人だ。別の人。暗い夜道、その人をふと思ったら肩や胸や指先がしくしく、しびれるみたいになったのだ。

曲がり角、暗がりで青く発光する紫陽花の花を見て、その人の仕事を思った。あなたの仕事はこれなんですね、と私は話し掛けたかった。

今朝、仕事先でトイレに入ったら、え?と思うような青い顔をしていた。

何も手につかない、というわけでもなくていろんな仕事を効率よくやれているつもりだし、本も読んでるし、音楽も時々聴いている。料理もしてる。

だけど、ここのところ音楽を聞いても何も感じない。お気に入りのルビンシュタインのCDを聞いたら、いくら大きな音で聞いても何だか遠く、向こう岸で鳴ってるみたいで、ショックだった。

ご飯。お腹は減るんだけれど、何を食べてもあまり美味しくない。

仕事中、生きてゆくのもエゴだけど自分で死んじゃうのもエゴ。生きてゆこうとするエゴだけが、よし、とされているのは何故?などとふと考える。

その瞬間、携帯が揺れた。心の友からのメール。「そろそろお互いに誕生日だね。一緒にこれからも生きてゆこう」どうして分かったのかな。あなたはどこからか私を見ているの?

お誕生日おめでとう。でもこれからも、はむつかしい。うん、とは言えない。言えないまま生きていくかもしれないけれど、やっぱり、うん、とは言えない。

私のは悩みというような高尚なものじゃなくて、疲れてるに近いのかな。でも疲れるほどすごいことをしてるわけじゃないし。怠けてる、なのか。

怠けるって言葉も状態も嫌いじゃないんだけど、これが怠けてるということならば、私はどうしてもっとほんわか楽しい気分じゃないんだろう。

迷惑掛けそうな人の連絡先は全部消してしまった。ほんとはそんなことしなくても迷惑掛けないという自信が持てればいいのに。

崖っぷちに一人でしばらく立ってれば、そのうち根性が据わるのかな。

大人のはずなのにどうしてこんなに「してはいけない」ことばかり考えてしまうんだろう。

違うな、「してはいけない」ことばかり考えながら我慢して実行に移さないのが大人なんだ、きっと。

好きになってはいけない人を好きになって、

だけど黙っていたり

殴りたいのに

にっこり笑っていたり

消えてしまいたいのに

やはり生きていたり。

いつでも嘘ばかりついて。

だけど1000回に1度くらいは我慢に失敗してしまうかもしれない。って考えると何だか冷や汗が出てくる。

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仕事が終わってメンバーの出演しているライブを見に行く。

音楽を教えている小さな学校のようなところがあって、発表会のようなものらしい。

聞いていて、彼女の歌は、彼女の演技とまったく同じ長所と短所を備えているように思った。

歌と芝居は同じだ、とよく言われる。歌の中にも芝居があるし、芝居の中にもリズムやメロディーがあるもんな。その通りだ。

帰宅する途中、あの人に猛烈に会いたくなった。

短いさらさらした髪を振りながら鞭のような身体をゆすってワイルドに歩く映像が、突然、胸を突くように浮んだ。昨夜からずっと会いたかったけれど、身体の一部がしくしく痛むほど、会いたくなった。

長い脚と長い腕。一つ年上の友人。理知的でワイルドで心も身体も強靭な人。私にいろんなかたちの愛があることを教えてくれた。

明日はあの人の誕生日だ。

まだきっと仕事が終わっていないだろう。電話はあと少し経ってから。

と本を読んでいたら知らない間に寝てしまった。

明け方目が覚めた。しまった電話ができなかった、と思って携帯を見たら、あの人からメールが来ていた。

会いたいと書いてあって、私もと答えた。あたりまえじゃないですか。私も会いたいです。

考えてみれば私たちはいつも、たいてい同じ頃に連絡を取ろうとしている。

まだちっとも親しくなかった頃、ずっとずっと昔。あなたは私に木綿のスカーフをプレゼントしてくれた。あなたが I国と日本を行ったり来たりしてる頃だったからきっとおみやげだったんだと思う。私はちゃんとお礼が言えなかったけれど、内心は嬉しかった。

あのスカーフ、まだ持っています。喉が痛い時、首に巻いて寝ているの。

もう一度眠ろう。おやすみなさい。

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難破船から

事情があり昨日今日と東京から離れた。小さな旅。

帰京の途中、Kというその駅の名が引っ掛かった。何だろう。記憶の海に潜るとやがて大学時代の風景にたどりついた。海の底でそれは、ところどころ鮮やかでところどころぼんやりと波に揺らめいて見えた。

まるで沈んだ難破船のように、記憶の海の中で、打ち棄てられていた。

中からあの子が現れた。色の白い、ちょっと特徴のある顔立ちの女の子だ。その駅の近くから大学に通っていて、彼女の会話にはよくその駅名が登場した。私たちはサークルの中で同期で、そして「ある程度」親しい関係だった。

親友、というには距離がある。しかし、仲間、というにはお互いにまだ芝居に対する覚悟が足りなかった。

表現に対する情熱がカラマワリしたり、女にはあるまじきワイルド振る舞いをしたり、礼儀や場所も考えず理屈を振り回したりで、私はいろいろな点でサークルの女の子たちから敬遠されていた。そんな中で彼女は私に時々話しかけてくれる貴重な存在だった。

彼女はタバコを吸いながら私にいつも片思いの人の話をしてくれた。ヴァージニアスリムライト。彼女の日本人離れした白くて長い指がそのタバコをすっと挟むと私は何故だか胸がドキドキした。彼女といる間はいつも、吸い寄せられるように、細い指と手入れの行き届いたピンク色の爪を見つめたものだった。

彼女の「想い」は少し私にはむつかしかった。私は恋人がいるにはいたが恋というものがまだぜんぜん分からない時期で、彼女の話をただうんうんと頷いて聞くしかなかった。

ある日、彼女のタバコがキャスターマイルドになっているのに気付いた。私は残念に思った。彼女の指にはバージニアスリムの長いタバコのほうが断然似合っていたから。

どうしたの?と訊ねると彼女はこたえた。

「何故だか分からない?これが好きなの」彼女は不思議な目つきで私を見た。当時の私にはよく分からなかったが、今思いかえすと大人っぽい、色気のある目つきだったと思う。

ある日、私も彼女に何か話してみたくなって、Pのことを喋った。Pは私と彼女の共通の知人で、私は彼をとても尊敬していた。恋人とは別の意味で好きだ、Pとはとても気が合う、と私は話した。

「浮気なの」と言うから「そうじゃない、Pとは何もしてないしその予定もない。ただ、好き。それだけ」と答えた。

「それは浮気じゃないの?」

Pとの恋愛など想像の範囲外だったが私は意地を張って「心の中は自由でいたい」と言った。

「あんたって最低の女だね」

見ると彼女の顔色が変わっていた。

「やってられないよ」と吐き棄てて彼女は去った。

私と彼女はそのあとしばらく、顔を合わせなかった。その出来事のせいだったかどうか、覚えていない。とにかく半年ほどたって、深夜、電話が鳴った。

彼女からだった。泣いているようだった。

「どうしたの?」

「ほんとうに気付いてないの。私がなんでキャスター吸ってたか、分からないの?」

なんでそんなことで泣いてるんだろう。困ったな、と思った。実際分からないし。

「Jくんと同じタバコを吸いたいと思ったの。好きだから」

何故気付かなかったんだろう。彼女が好きだったのは当時私のつきあっていたJだったのだ。

「あんたは最低。Jくん思ってる私に無神経過ぎるよ」

ごめん、ごめんと謝りながら、悲しくて、私も泣きそうになった。彼女が近付いてきたのは、私からJのことを聞き出そうとしていたのではないか、と思えたからだ。私と話したかったんじゃなくてJが目的だったのか、話を聞けば聞くほど、そう思えた。

恋が嫌だった。気味の悪い沼みたいに感じた。彼女はそれに足を取られてしまっているだけなんじゃないか。だけど、私が何を言ってもダメなんだ。知らない間に当事者になってしまっているのだから。

2年ほどして私はJと別れた。

しばらくして彼女がJの家の近くに引っ越してきたそうだ。彼から聞いた。

「本とか持ってきてくれてるみたいなんだ」

「みたい、って?」

「ノックされても、俺はドアを開けないから」

何故ドアを開けないのか、とは聞けなかった。久しぶりに会う彼は何だか廃人のような雰囲気を漂わせていたからだ。ずっと部屋にこもりきりだと言う。ちょうど将来に悩む時期だったのだと思う。

「今は、誰にも会いたくない」

部屋を出るとドアの外に彼女が置いていった本が古いビルのように傾いて、山積みになっていた。

私は彼女の真っ白な細い指を思った。

こんなにたくさんの本を、あの人があの華奢な手でここまで運んだのだ。

Jのことが好きでたまらなくて、故郷のKから遠く離れたこの海沿いの町に引っ越したのだ。

それから数年後、彼女が結婚したと聞いた。もちろんJとは別の、もっとまっとうな男と。

彼女は今どうしているだろう。

新宿駅に着いた頃、私の意識は難破船の周りを泳ぎ回るのをやめてやっと水面に戻った。

今もやはり、恋を薄気味の悪い沼のように思うことがある。

それはそれで一つの真実なのかもしれない。

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嘘/優しさ

書いても言っても言葉は嘘をつく。

そのつもりがなくてもどこかに必ず嘘がまざってしまう。

振舞いもまた嘘が混ざる、思ったまま行動するほうがむつかしい。

法律や社会規範に倫理、社会人マナー、女性としての常識などなどにのっとって

きわめて普通に、はみださないように振舞おうとすれば

必ず嘘が混ざる。

ここでいう嘘、とは思いや考えに反したこと、である。

私は物語という嘘を書いて生きている。つまり虚構。しかし、今言った意味では嘘ではない。私にとって物語とは思いや考えから生まれたものなのであるから。

人って嘘に疲れてくると感覚ばかり求めるようになるのかもしれない。

今の私は猫の額にしつこくキスすることを求める。

くちなしの花に鼻をうずめるようにして匂いを嗅ぐことを求める。

好きな肌ざわりのTシャツに顔をすりつけることを求める。

友人のひげにざらざらと触れることを求める。

感じることだけはすべて真実だ。

しかし感じたものが出力され表現に変わる時

嘘が混ざる。

混ざるどころでなく、思ったことが倫理に反したことだと、100パーセントの嘘をつかなければならなくなる。

嘘ばかりだと、心が痺れてきてしまって、感情や思考が死んでしまう。

せめて身体だけは死ぬまいとして、感覚ばかりが研ぎ澄まされるのかもしれない。

私は嘘ばかり。

あなたにも嘘ばかりついている。

私もあなたのように

嘘をついても嘘をついたことに気付かなければいいのにと思う。

人はそれを鈍感さとは言わず優しさと呼ぶ。

私はそう呼びたくない。あなたにはそんなものではない本当の優しさがあるでしょう。

私はその優しさにいつも傷つけられているけれど

やはり、その優しさが好きです。

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のれん・方向音痴

先日、知り合いからメールが来た。

思わず幸せになりそうになったが、やめておいた。

しかし実際会って話してしまうと、結局はうっすら幸せになった。

その人はぽかんと黙ってから「楽しいですね」と宙を見つめた。

「心配するのはもうやめてください」と私はふてぶてしく言うと困ったような顔をして笑った。

そしてしばらくして、誰にも話していないしどこにも書いたりもしていない私の過去のことをふと言いあてた。

ずいぶん昔の話だ。最近知り合ったばかりなのに何故分かったんだろう。

最初、打ち消したが、その人の焼酎を少しもらったら言いたくなってきて「そうですよ」と白状してしまった。

この人はいつも静かでふにゃふにゃとらえどころがなくて、でも変にするどいところもあって、川上弘美の短編に出てくる男のようだなと思った。

川上弘美の描くふにゃふにゃ、いや「のれん男」と呼ぼう。物語の中でのれん男は同じくとらえどころのない、すごく諦観している感じの「スライム女」と恋愛する。どちらも「とらえどころのなさ」で世界に順応したり疎外されたりする。

「のれん」対「スライム」だから男女の間に特に問題という問題は起こらない。川上弘美はどちらかというとストーリーを読ませるというより世界や状態を蒔絵のように見せてゆく作家なのだ。

私の目の前にいる人はきっとこの「のれん男」だ。

「いつも私のこと好きじゃないんでしょって言われるんだよ」と彼は生活をともにしている人のことを言った。

「何度でも否定して好きだよと言わなくちゃダメですよ」

「分かってる。だからそう言うんだけど、向こうも好きじゃないんでしょって何度でも切りかえしてくるし」

ああ、たぶんそれはあなたが「のれん男」だから。壁や鏡ではなくて、のれん。ボールを打ち込んでも同じ強さでは打ち返してくれない。エネルギーがふわわんと吸収されてボールはどこかへ消えてしまう。きっとそれでは不安なのだ、不満なのだ。女の人は情が深くなればなるほど自分と同じ強さでボールを打ち返して欲しくなるものだから。

面白い。こういう人をそのうち書いてみたい。随分まえに「くらげ男」という短編で描いたことがあるけれど、もう少し描き込んだ作品にしてみたい。

のれん男にガンガンとボールを打ち込む女、その先はどうなるだろう。

でも私ならきっと、のれんにボールは投げないな。ボールがなくなっちゃうのはイヤだし。

それに

のれんは風にそよいでいたほうがいい。

今日はワークショップ最終日。今回は参加者がとても少ないので、みっちりと稽古をやれた。こういうのもなかなか楽しい。

帰ってきてみたら日本代表勝利のニュース。万歳!よかったよかった。私の好きなDFの内田くんが活躍したみたい。嬉しい。あの人のパスセンスがすごく好き。でもDFとしてはもう少し身体を大きくしたほうがいいかもしれないな。

筋トレで疲れているのだけれどなかなか眠れない。

あの人のメールに返信した。

もう知り合いというよりは友人なのかな。

ある種の人とは、仲良くなるよりも仲良くならないようにするほうがたいへんな場合がある。

遠ざかるつもりなのに近付いてしまう、そういうことがある。

現実世界でも方向音痴だけれど、人間関係でもやはり、私は方向音痴だ。

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悪夢/誰が演じるか

うなされて目が覚めた。

舞台袖で出待ちしてたら、自分が衣装をつけていないことに気付いた。

きれいな公共系のホール。舞台面積に比べて楽屋などのバックヤードが異常なほど広い。楽屋はビルの地下。地下は小さな商店やゲームセンターが立ち並んでいて、その中にひっそりと楽屋があるはずだ。

しかし見つからない。ゲームセンターの自販機の上の天井に穴があいていてそこから小さな空が見えている。(地下なのに変だけど)そこが楽屋に通じていると私は直感する。仕方なく自販機に上って、天井から外に出る。そこは屋上。地下からビルの上に出たのだ。

私はまたひたすら走る。隣のビルに飛びうつったりもする。

するとまた小さな穴がある。内側から数枚のベニヤ板のようなものでふさがれているが、おそらくそこが楽屋なのだろう。夢の中の私は怪我をまったく恐れていない。(舞台前だというのに!)勢いよく足で踏み抜いて中へ飛び降りると、楽屋に無事?到着する。

急いで衣装を持って舞台に引き返す。しまった、道に迷った。商店街を走る私。道を訊ねながら(すでに地下ではなくなっている)劇場に向かう。

なんとか到着するがとにかく舞台裏がやたらと広い。しかもモニターがない!だからどのシーンをやっているか、人が伝えてくれないと全く分からない。

最善を尽くそうと、適当な場所で私は衣装に着替えようとする。しかし、私の衣装の袋には衣装ととても似ているがサイズと素材の違う「他人の私服」が入っている。しかもとても大柄な人の。

一つ短い私の場面を私がいないので飛ばしてやってしまったことをスタッフの一人に告げられた。

しかしそのシーンの直後、2分後に出番がある。どうしよう。そこは長い場面だからもうカットして上演するわけにもいかない。意味が通じなくなってしまう。

裸で出るわけにも行かないし、どうしたらいいのだ。

私はウロウロする。とりあえずさっきまで身につけていたジャージでいいから着なくちゃ。と見ると、ジャージも、ない!靴もなくなっている!ああ、もうどうすればいいんだ!!!!!

うなされて目覚めた。全身汗だくだ。

ああ、夢で良かった。普通の夢だと「ああこれは夢だな」と途中で分かるのだけれど、舞台の夢はいつも最後まで分からない。だからこそ悪夢になるのだ。

考えてみると、「バックヤードが広くて道に迷う」というのは私にとっては典型的な悪夢だ。

人を殺す。殺されそうになる。のパターンもある。でもこれは途中で夢だと分かる。分かった時点からは楽しめる。

子どもの頃には「マラソン大会(あるいは陸上の競技会)の途中、走っていて道に迷う」ってのをよく見たっけ。私は長距離(大人になった今ではあんなもの長距離と呼んでたのが信じられないが)の選手で毎日走らされていた。だからそんな夢をよく見たのだろう。

道に迷う、というのは私にとって一番怖いのかもしれない。

方向音痴だから日常でもよく迷うけれど。

あの人と話したいなあ、と思った。私のことを知らないくせに心配ばかりしているあの人。

だけど会えない。友だちの言うとおり、よくないことだから。何も意味がなくても、他愛のない会話をかわすだけでも、よくないことだから。

あの人の近くにいるその人。私は昔、その人を深く傷つけた。たいそう昔の話だからもちろんあの人は知らないはずだけれど。

他愛のない、私ともう一人の仲間のおふざけが発端だった。何も問題はない、はずだった。

私はきっとまたその人を傷つける。あの人と二人で話すだけで、深く傷つけるだろう。

友だちは言った。

あなたがどう思うかではなくて、全部その人の身になって考えてみて。

うん、それは得意だよ。私はいつもそうやって台本も書いてるし、そうして演じたりもしているのだから。

「だけど待って」

尖がり帽子をかぶった小人が出てきた。

じゃあ、キミが全部その人の身になってしまったら、キミのことは誰が考えるの?大丈夫なのかな。

じゃあ、こうしよう。

もう一人、役者を増やす。そう、私の役はあなたが演じてください。そこにいる尖がり帽のキミ。

「無理なんだよ」と尖がり帽が言う。

「僕はキミに答えたり反論することしかできないんだもの。自分で何かを考えついたり、感じたり、できないんだ」

じゃあ、演じる人はいない。

「空っぽになっちゃうね」

うん、空っぽ。空っぽでも結構大丈夫なものだよ。

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助けを求めたりしないように、あの人のアドレスは携帯から消してしまおう。迷惑をかけたくないと言えば聞こえはいいがブザマな姿をさらすのが怖いのだ。用事があるときは探せばどこかに連絡先はあるから問題はない。
ありがとう。私はあなたのことあまり知りませんしあなたもそうでしょう。しかし私はあなたの言葉にどんなにあたためられたことか。でも私はわがままだから、重荷になるのはいやなんです。今はそうじゃなくてもいずれそうなる。だからここで失礼します。
ありがとう。
ご親切はずっと、忘れません。なにかで必ずお礼ができるように頑張ります。

これでもう、うっかりメールなんかしてしまう危険性はなくなった。

もう大丈夫。

とてもとても話したかったけれど。

さあ、これからワークショップ。腹痛もおさまったし、元気にいこう。

ワークショップから帰ってきた。チキンのトマト煮を食べる。ああ、美味しいじゃん。昨夜は作ったくせにお腹が痛くて食べられなかったけれど、いい味だぞ。

っていうか一日ほとんど絶食状態だったせいで美味しく感じるだけかも。

メールが来ないかなあ、とふと携帯を見てしまう。私からはもう出せないけれど、向こうが出すのは自由だし・・・・・・もう、私って馬鹿じゃないの。「YES」

もし来たとして、返事を書くのもやっぱり助けを求めることになってしまうのだろうか。それも甘えてることになるのかな。「YES」

まったくこんなこと考えているようじゃ、自立の道は遠い。

自分で立ちなさい。人に寄りかからないこと。

甘えるつもりじゃなくて、ただ、話してみたかった。それだけなんだけど。

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謝ってばかりのいちにち

メンバーと8月ライブの候補の会場に見学しにゆく。

なかなか面白い空間だったけれど、音が響きすぎてマリンバには向かない。

保留にして帰ってきた。

見学が早く終わったので、練馬で絵描きの友人Oさんに会った。

彼女にいろんなことを諌められた。そうですね。私は弱いです。もっと強い意志を持たなくちゃ。ダメなことは断る、断る、断る。

今日は昼からお腹を壊していたが夜になって痛みがとうとう頂点に。もうダメだ、とブスコパンを飲む。飲んだら激しくぼーっとなってしまって、しばらく動けなくなった。ああ、仕事がたまってるのに・・・・・・。

何とか起きだして仕事をいくつか済ませた。深夜、役者さんから電話。ぼーっとした頭でいくつか用件を切り出す。ああ、自分でもよく分からないことばっかり言っちゃう。もう少し熱を持って話したいのに、っていうか熱意はすごくあるのに、お腹が痛すぎて無理。

もうトイレには行く必要がない。水も食べ物も口にしていないし。ほんとは水分だけでも取ったほうがいいんだろうけれど。薬のほかにそういう意味でも頭がクラクラする。

忙しいだろうに、要領を得ない話しぶりで長電話になってしまった。本当に申し訳ない。ごめんなさい。

今日は謝ってばっかりだ。数時間前にも薬でぼーっとしてる時に友人に変なことを言って不快にさせてしまい、平謝り。

それに最近、頭が悩みボケしてたせいか時間の感覚がなくなってしまい、ワークショップの日程を一週間、間違えていた。

ひええ、今週じゃないか。来週のつもりで自分の週末のスケジュール、人に間違えて教えてたよ。実際何かの影響があるかは分からないけれど、とりあえず昨日の深夜、訂正のメールをほうぼうに流した。

ワークショップの内容は決めてあるから特に問題はないけれど。あとはテキストを印刷して、荷物をまとめるだけ。

とにかく体調と精神状態を治さないことには何も始まらない。でもお腹はさっきよりは調子いい。やっぱり食べちゃいけないんだ。

お腹は持ってた薬で治ったけれど、気持は自分じゃなかなかなおせない。しんどいなあ。こういう時ってSOSを出してしまいそうな相手のメールアドレスとか電話番号とか消したくなってくる。でも疲れてるから明日にしよ。

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潜水

大学出たての頃知り合った歳の離れた友人と久しぶりに再会。酒を飲む。

あれ?何だかお腹が引き締まってるぞ。

私の周りの同世代はみんなメタボ化していっているのに、彼はすごいや。

話しぶりも相変わらず知的で人情味があって、ほんとに素敵な人だなあ、としみじみ感じる。

人間関係の悩みを打ち明けると、冷静でまっとうなアドバイスをくれた。うん、そりゃそうなんだけどさ、と普段の私なら言ってしまうところなんだけれど、彼に対してはそうならないところが不思議。裏打ちされたものが感じられるので、言い返せない。

コンピューターのプログラムはどういう手順で作るのか、説明してもらった。

芝居のお客さんに何人かプログラマーやSEの方がいる。彼らに「物語を書くこととプログラミングは似ています」とよく言われるのだが、自分ではピンと来なかった。今夜初めて、どういうところが似ているのか、違うのか具体的に分かった。

なるほど、多くの人が台本を書く前に「箱書き」という物語の構造を示す表のようなものを作るのだが、それに相当する工程がプログラミングでもあるらしい。

それとは反対に頭っからただ綴ってゆくタイプのプログラマーもいるらしい。

私もそうだ。ここ数年「箱書き」方式は取っていない。なんとなくの構想はあるんだけれど、とりあえず「世界」に入ったら迷走?したほうがワクワクして楽しい。

私が作るのはプログラムとは違って「ほころび」や「破綻」があってもいい世界。

今やっている派遣の仕事はお金はとてもいいけれどデータを入力するだけでとても単純。だからいつも物語のことを考えている。他のことをやっているとかえってアイディアは浮かびやすい。身体はパソコンの前に普通に座っているんだけれど、魂は深く意識の湖の底に潜っている、そんな感じだ。秋の公演のアイディアも結構たまってきた。

こんなにうわの空でも申し訳ないような気がするが、表面上は真面目に作業しているので問題ない。どうしてあの人、あんなに虚ろな顔してるんだろ、と奇妙に思われている可能性はあるけれど。

だって、仕方ないじゃん。潜ってるんだもん。

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真夜中にオレンジを食べた

ゆうべ妙な時間に泣いたせいか一日眠い。夕方まで仕事をして、その後稽古と打合せ。

稽古はランニングと身体トレーニング。身体がなまっているからちょっとした運動も結構しんどい。みんなフウフウいってる。

久しぶりにメンバーのSくんと会った。彼は7月に客演するのでそっちの稽古場へ行っているのだ。時間があったので台本を読んで聞かせてもらった。すごいなあ。こんなむつかしい台詞を言うんだねえ。頑張って。

仲間として彼が試練を受けていることがとても誇らしい。

そのあと、メンバーでご飯を食べに行った。

若い人たち?の異性へのアプローチの仕方などをいろいろ聞かせてもらった。ふーん。男の子は私の頃とあんまり変わってないけれど女の子は昔よりサバサバしてきているのかしら。まあ個人差があるのかな。

さっき眠っていてふと目が覚めた。

私は地震が起こる少し前にいつも目が覚める。だから今度もそうかしら、と身構えて待っていたが地震は来なかった。

代わりに電話が震えだした。知り合いからメールが来たのだ。

この人、私のこと心配してるみたいだ。大丈夫なのに。

大丈夫だからこそここにこうして書いてるわけだし。今年の初め頃なんて身体をひどく壊していたので作品はおろか、日記もメールも書けないくらいだった。あの時は心身ともにギリギリのところにいたけれど、今は違う。精神的には少しまいってはいるが、いろんなことを選ぶだけの体力も気力もちゃんとある。と思う。自信は、ないけれど。

忙しいのにメールをありがとう。何だか喉の奥が痛くなるような不思議な気分になった。でも返信は明日にしておこう。朝が早い人なのだから、もう寝ているはずだし、起こしてはいけない。

甘いものが欲しくなってオレンジを切って食べた。おやすみなさい。

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感情の屈折率

友人と舞台を観に行く。

丁寧に作った舞台なのだとは思う。面白い演出がいくつかあって、刺激を受けた。

しかし、台本の内容がかなり気になった。姉妹とその両親を描いた物語なのだけれどなんだかしっくり来ない。あね、いもうと、ってそんなものだっけ?

デフォルメして描いてある、というのともちょっと違うし。

私としてはリアルなものでも作りこんである表現でもどっちでもいいんだけど女の人を描くなら、描きたいならもう少し、もう少し・・・・・・んんん何だろう。

男の人が書いたから、とは思いたくない。川端康成なんてすごい姉妹ものを書いてるわけだしね。

家族愛や夫婦の絆の描き方も何だか私には受け入れがたいものだった。これは好みの問題。私はひねくれものなので感情の屈折率がもう少し高くないと、共感できないのだ。

あとは、姉妹を演じている女優さんたちのメイクが「普段のナチュラルメーク」なので舞台上ではまったく自然に見えなくて、これも不満だった。

自分にとってのナチュラル、と舞台でのナチュラル、は違うのになあ。薄化粧なんかで舞台に出てしまうと、30代以降の女優さんは、不必要に疲れて見えてしまう。

若作りする、とか、顔を修正する、とかそういう意味ではなくて、役作りという意味でメークや衣装をもう少し大切にしてもいいのではないだろうか。演技が悪くなかっただけに惜しい感じがした。

いろんな見方のできる舞台だった。すべてが勉強になった。

友人とラーメンを食べて帰った。考えてみるとお昼にもパスタを食べたんだった。うーん微妙な一日。

今日は立て続けにめずらしい人からメールが届く。あの人からは来ない。まあそうだろうけど。

眠ろうとして横になったら、突然つらい出来事を思い出した。最初はちょっと涙がこぼれるくらいだったのが途中から大泣きになって、もう止まらない。立ちあがれないほど激しく泣いた。もう二時間経った。世の中からいなくなりたい。間違っているけれど、いなくなりたい、理屈じゃなく、いなくなりたい。ここひとつきほどこういう発作みたいなのが頻繁に起こる。さすがに疲れてきた。ここ2、3日はちょっと調子が良かったのに。そういえば今日は昼間、パソコンで作業をしているだけなのにドウキがやたらと激しかったりとなんだかおかしかったっけ。

医者に行ったほうがいいのかな。どんなにひどくなってもこれまで行ったことがないので分からないが、薬などをもらってしまうと、依存してしまうのではないかと心配だ。

ここまで書いてみたら少し落ち着いた。大丈夫かもしれない。というか、大丈夫。明日も仕事なんだから横になろう。

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日曜日

特に何をするということもなく過ごす。

電話やメールでいくつかの打合せや確認。しばらく会っていない友人と電話でお喋りをした。

あとは本を読んだり、掃除、筋トレ、昼寝。ゆっくりお風呂に入る。

そのうちに夕方になってしまった。

いくつか足りないものをリストアップして買い物に出かける。帰りに本屋に寄って立ち読み。

今年に入ってからこんなこともずっと出来なかったんだな。

ユーロのハイライト番組を酒を飲みながら見ているうちに寝てしまったらしい。

目が覚めると明け方だった。

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友人と昼食。

その定食屋で地震があったことを知る。

メンバーの実家のあたりだ。

早速メールを送ってご両親の安否を訊ねる。

すぐに返信があって、「ガスが止まったけれど大丈夫」とのこと。

ガスが止まったんじゃ大変だけれど、とりあえず怪我がないのは何より。よかった。

電車の中で昨夜のメールに返信。返信は期待されていない気がするが、私は自分からやりとりをやめることができない性分だ。いや、いい人ぶってるってわけじゃなくて。

何でも「うちどめ」にするのが苦手だ。小学生の頃、陸上練習で長距離の練習をやっていてK先生に「お前はやめろと言われるまで走り続けるなあ」とあきれられた。私はみんなが不思議だった。どうしたら「走りやめ」られるのか。疲れたら、走れなくなったら、やめていい、ということだったけれど、どの程度疲れたら、なのかが判断がつかない。

この人にメールを打つのはちょっと楽しい。でもねえ。今度、って書いてあるけれど、どのくらいの今度なんだろう。よく分からないから「そのうち」とこちらも書いておく。

家にもどってひとやすみ・・・・・・しているうちに・・・・・・少し昼寝をしてしまった。

その後は稽古とミーティング。

5キロくらいランニングをしてみた。走るのはいいね。お腹の調子がかえってよくなった気がする。走りながらお喋りするのも楽しい。

ミーティングが終わった後、近所の友人に電話して飲みに行ってみようと思いつくが、ひどく眠い。ソファに横になってしまう。目が覚めたら深夜になっていた。

『デスパレードな妻たち』を見てからベッドへ移動。

明日、日曜日は何も予定がない。ちょっとした雑用を片付けるだけ。

後でどうせ忙しくなるなら、何か予定を組んでおけばよかった。

なにしよう。

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傷・サンダル

昼は中野坂上へ。

昼休み読んだ本に「真の癒しは鋭い痛みをともなうものだ。傷に自分を支配されてはいけない」というようなことが書いてあってハッとさせられた。梨木香歩の『裏庭』。その通りです。甘えてはいけません。

「自分の傷を直視できないのにどうして他の人の傷を癒せますか」ええ、ええ、その通り。

夜は劇団の仕事。小さな作業をいくつか済ませた後、スタッフの人たちと電話などで打合せ。

猫のいる飲み屋に行ってご飯を食べる。皆、名前は知らないが顔見知りばかり。普段は印刷所のお兄さんとしかほとんど話さないのだが、その人がいないせいか、今夜に限って他の人からも話しかけられた。

深夜、サンダルさんが、顔を見せた。おや、今夜はスーツを着てる、とおかみさんが声を掛ける。

「今夜は仕事帰りでね」 

この人はいつも素足にサンダルなので勝手に「サンダルさん」と呼ばせてもらっている。ロマンスグレーで、猫の扱いが巧みな人。

空調設備や水まわりの設計が専門らしい。ビルが出来るまでにどういう種類の人がどんな風に関わるのか、説明してもらう。そうか、いろんな専門家が関わるんだねえ。彼がやっているのは設備設計らしい。すごく勉強になる。

そのうちビル作りの話も書いてみたいなあ。

見ると携帯にメールが届いていた。

この人は時々メールをくれる。私はそのたびに少し幸せになりそうになるのだけれど、途中で幸せになっていいのか疑問がわいて、結局複雑な気分になる。

彼自身はたぶんとてもシンプルで率直な人なんだろうけれど。

それにしても腕が痛いよ。家でレーザープリンターを一人で運んだのがいけなかった。それなのに、猫を何度も抱っこしてしまう。

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ミーティング

今日もひたすら眠い。

昼は仕事。夜は劇団のミーティング。

夏のイベントについて。なかなか面白いアイディアが集まった。

夜、鏡を見たら死人のような顔をしている。

なんだろう。目の下のくまがひどい。

仕事の相手からの優しさとか気遣いってどうとっていいか分からないことがある。

もちろんありがとう、って感謝しなければいけないし、実際すごく感謝している。

でもきっと、仕事の相手だから営業的な意味合いや礼儀もあってのこと。

気付いてはいるけれどそこは流して、「ありがとう。ほんとに嬉しい」って答える。でもそれって相手にとっては馬鹿みたいだったりするのかもしれない。

ああ、こういうのってあの漫画のノリだ。モーニングだったっけな。僕のささやかな生活っていうタイトルの。

友だちになれたらいいのに。

馬鹿でもお人よしでもいいから私としてはやっぱりそこは流したい。それが大人なんだと思うから。大人になるってしんどい。淋しくなる。

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気持の伝染

午前中はひたすら眠い。

あの人からメールが来た。私が落ち込んでいる時、優しい言葉を送ってくれた知人である。知り合ってからずいぶん長いけれど、親しくなるのは避けていた気がする。

でも、どうやら違ったみたいだ。いつの間にか、もう親しくなっていたんだ、と気付いた。よく考えてみればそうだ。たくさん人が集まるところで離れて座っていても、自然と目が合って、頷きあう。ずっとそういう関係だった気がする。心は隣にいたんだ。

今度ご飯を食べることになった。

私は彼に渋谷で初めて会ったときのことを思い出した。あの時はイベントの打合せで、他に数人いた。一人は知っている人で、あとは初対面の人ばかり。渋谷の人ごみの中にこじんまりと立つ彼を見て、私は「掃き溜めに鶴」という言葉を思い出した。

あれから随分時間が経った。

時々彼は私に言葉をくれる。それはピンとくる言葉であったり、優しいメッセージであったり。それはいつも私の感受性を刺激したりなだめたりする不思議な力を持っている。

私も何かできるといいんだけど。

何だかそう思った。

夜は友人とラーメン屋へ。何だか今夜は警官が多い。自転車二人乗りだから、怒られていちいち自転車降りなくちゃいけない。

ここのラーメンは美味しい。けれど、塩分がきついな、今日も。

入り口にいる犬に笑いかけたまま、店主と目を合わせてしまった。

店主は誤解して?私に微笑みを返してくれた。

違うんだけどな、犬に笑ったんだよ。私は。まあいいや。いつもしかめっつらの店主の微笑みがあまりにもチャーミングで可愛らしかったので、誤解されても気持悪くはない。

優しい気持は伝染するんだね。

まあ意地悪な気持もだけどね。

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憂鬱にも種類がある。

書きたくなるものと書きたくなくなるもの。

人に会える、むしろ会いたくなるものと人と顔を合わせること自体が無理、というもの。

最近のは何も書きたくなくなって、しかもむやみと人恋しくなって会いたくなるタイプの落ち込みだった。

それがここ数日で、人にも会いたくなくなってきた、かもしれない。

横たわって本を読み、じっとしていたい。ひたすら眠りたい。

知り合いの照明スタッフから再度連絡をもらう。

彼女は今年から地方のホールで働いている。先日電話が来て、来年フェスティバルがあるのでどうか、と誘われた。企画書をいくつか送っておいたのだが、彼女の考えている演目が抜けていたようだ。また追加で送る、と返信しておいた。彼女のところで作品を上演できたらいいなあ。楽しいだろうな。

といっても何だか身体がだるくて起きていられない感じがする。友人と電話で少し話してからベッドにもぐりこんだ。

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繊細ぶったってねえ

すごく具合が悪い。

低血圧?精神的なもの?とにかく眠いしダルい。

仕事しながらずっと居眠りしてしまった。まずいまずい。

今日からダンスのレッスン。調子が悪いのに今日は2回転のターンが左回りと右回り、両方回れた!!何故だ。

しかしレッスンが終わった途端、フラフラして気分が悪い。とにかくまともなものを食べようと帰宅後、ゴーヤの炒め物やシチューを作った。

しかし作り終えたところで心身ともにエネルギー切れ。生きていてどうなるんだ、などとまたもや馬鹿な考えがひょっこり顔を出す。招いた友人が到着する頃には相当ブルーになっていて、あたりちらしてしまった。

ブルーなんて繊細ぶったって、ダメだ。私はたぶんすごく丈夫なんだ。この前怪我した親指の傷はもう跡形もない。本番で作ったらしい大きなアザはとっくに消えてしまった。気持はどん底なくせにスタジオでは腹筋もダンスもやってしまう。

たぶんすごく幸せなことなんだろうな。そのくらい私だって分かっている。でも分かるのと感じるのは別だ。

身体と同じくらい心も丈夫ならいいのに。

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午前中は髪を切る。

その後、友人と待ち合わせて昼食。街から離れた場所にある飲み屋だが、なかなか風情があった。そこで秋葉原の事件をテレビで見た。メンバーのSちゃんが秋葉原に行っていたらどうしよう、と不安になるが、重症の方々はほとんど男性だというので、電話するのはやめておく。

午後は『ちびたんのクリスマス』の上演依頼をくださった都内の団体へ。

簡単に作品の説明をした後、正式なオファーをいただく。

ホールではなくて視聴覚室?音楽室?のような場所での上演なのでいろいろと工夫が必要だ。

アットホームな雰囲気が強く出るような演出をしてみよう、と考える。

疲れたのか、夕方家に着くと少しウトウトしてしまった。

夜は先日終わったばかりの公演の精算会。

反省点などを皆で話し合ってから、飲み屋へ行った。

直感や霊や運命、ひらめき、演技などについておしゃべりした。

私は最初からあえて近付かないようにしているあの人のことをふと思った。あの人と二人で話すことなんてきっと一生ないんだろうな。話したいことはたくさんあるのに。でもこういう感覚が大事なのかもしれない。

話したいことがたくさんあるのに、現実には話せない。そうなるともう、物語にでもするしかなくなるから。

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晴れた日

晴れた。

午後、メンバーとともに上野へ。

朗読劇の会場の候補であるギャラリーを訪ねる。

今は個展をやっていないらしくギャラリーは閉まっていた。

オーナーさんは今は猫のえさを買いに出ていて、小1時間は戻れないとのこと。

仕方なくメンバーとともに近所を散策。

黄色い首輪をつけた黒猫がよろけてしまうくらい脚にズリズリとまとわりついてくる。

何故か私たちの進行方向にバタンと倒れてみせるので、撫でてやろうと手を出すと激しくキックしてきた。どういう意味なんだろう?

夕方、上野から新宿へ向かう。

仕事関連の用事を一件済ませた後、友人と飯田橋でご飯を食べた。この人とは久しぶりだ。

あまりにもお腹がいっぱいになり過ぎたので早稲田まで散歩。

私は新宿での用向きのため、慣れない踵の高い靴を履いていたのだが、なかなかうまく歩けない。

不器用に歩く私を友人は楽しそうに見ていた。頭にくるがどうしようもない。自分が欝で見も心もだるいせいかもしれないが、今日の彼はとても楽しそうだ。うらやましい。顔色もいいし。でもある意味ほっとする。一緒になって落ち込まれてもイヤだしね。

早稲田に着いたのでひとやすみ。喫茶店に入ってお喋りをした。テーマはハプニング、運命などなど。それに何がロマンティックで何がロマンティックでないか。彼はものすごくロマンティストなので、それについて定義するのがむつかしそうだった。

なんとなく、昨日親切なメールをくれた知人の話をした。たぶんハプニング、とか、運命、とかっていう言葉から連想したのだと思う。

運命なんてあまり信じていない。でものちのち親しくなる人って、男女問わず初めて逢った瞬間が印象に残っていることが多い。偶然かもしれないがその知人に逢った時のことはよく覚えているから。

友人は私が店の床に脱ぎ捨てた靴を眺めながら言った。「たぶん意味はないんじゃない。その人にとっては」

私はハイスツールにちんまり座って脚をブラブラさせながら答えた。「知ってる。だけど何だか今日は調子いいの」

結局、高田馬場まで歩くことにした。もちろん靴を再び履いて。

彼は病気の家族の世話をしながら家のことも全部切り盛りしている。偉いなあ。何だか涙が出そうになった。私も見習って頑張ります。

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閉め忘れた窓

横浜の劇場から提携公演とは別に、お仕事をいただく。

結局、東京、千葉、神奈川で『ちびたんのクリスマス』をやることになった。この作品には劇団員もみな愛着を抱いている。よかったなあ、と思う。

しかしいずれも決まっているのが各地方一件ずつなので、もう少しまとまって欲しいなあ。劇団員とも相談して作品を紹介してまわることにする。

夜、仕事がひと段落したところで、昨日のことを思い出す。

その人は私を愛していると言う。

私は魂に膜が張ってしまったようになっていて、何も聞こえない。

感じたいのに、膜が邪魔で何も感じない。

破って外に出たいのにまとわりついて、私から離れてくれない、このうっとうしい膜。

閉め忘れた窓の、雨に濡れたレースのカーテンみたい。

そうだ、外は雨なのに、土砂降りなのに、私はいつも窓を閉め忘れる。

気付いて閉めようとしても、窓枠にへばりついて離れない。

深夜、一度ご一緒した照明さんから電話。仕事の話だった。軽く打合せ。

気付くと知人からメールが来ていた。

優しい言葉。

彼がうらやましい。才能があって、人柄がよくて、いつも自然体で、まれに自然体じゃない時もちゃんと自然じゃないふうに見えて。気分が素直に外側に出ていて、それがみんなに受け入れられる、そういう人だから。

私なんか、好きな人にも好きじゃない人にも態度が同じだ。表情も同じだ。自分を大切にしていない証拠だと思う。ものすごいエゴイストのくせに、自分を粗末にしているからときどきこんなふうに反動が来てしまうのかな。

彼の話はピンとくる。ピンと、きすぎる、ので、私はいつも遠くから話を聞くようにしている。私はいつも意識的にあまりピンとこない人の隣に座る、無表情か、笑いを浮かべて。だけど、いつか、彼の近くで話を聞いてみたい。窓の鍵を閉めながら、そう思った。

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公演中から打ち寄せ始めた欝の波が頂点に。

今日は一日、最低限の仕事をするほかは横になって本を読んでいた。

夕方、整骨院に行ったけれど、あまり気分が良くならない。

軽い吐き気が続いている。

昨夜は友人が夜、家の近くまで会いに来てくれたので何とかなった。

今日もまた甘えるわけにもいかないのでとにかくじっとして我慢している。

医者に行こうかとも思うが治療するほどなのだろうかという疑問もわく。

大げさぶっているだけなのではないか。

私は骨にひびが入っても、放っておいて治ってしまうくらいの人間なのだ。大丈夫なんじゃないのか。などと思う。

公演は評判も悪くなかったし、毎日満席で興行的にも特に問題はなかった。

だから理由なんてない。

ただ、自分が生きている理由と意義が分からないだけだ。もっと分からないのは何故、理由とか意義なんてことを考えているのか、ということだ。暇人だから?という突っ込みも自分で入れてみたけれど、そういう考えが浮び始めたのは公演の直前くらいから。もっとも忙しい時期だ。生きる意味なんてあるわけがない、と普段の私はよく知っている。だけれど、今の私はある一つの結論を出すためにそのことをずっと考えているみたいだ。

自分に襲い掛かろうとする獣を見つめたまま目をそらせなくなるように、怖ろしいその結論の前から私は離れられずにいる。

来週から新しい仕事が始まる。今週中にいろいろ済ませなければならないのに、私は時間を無駄遣いしている。

だけれどどうしようもない。

身動きが取れない。

涙ばかり出てくる。

実のところ、この前の作品は、たぶんスランプの中で書いたものだと思っている。今年に入ってずっと心身ともに不調だったので、新しい発想を求めずに、とりいそぎ自分の中に広がっている世界をそのまま映し出したものだ。だからといって妥協して作ったというわけではない。不調な自分なりに、頑張って書いた。ベストをつくしたつもりだ。

私自身は、去年の『しびれものがたり』などのほうが書いていても稽古していても楽しかった。見知らぬ道を彷徨いながらつくるのはいつもスリリングで楽しい作業だ。一般的には今回のほうが出来がいいのかもしれない。しかし私の評価はまったく違う。

作品に不満を抱く、というほどではないが、あまりすっきりとはしていない。

たぶんこの点は欝の波とは無関係だろう。

生きている限り作品は作ってしまうだろう。

しかし作品を作ることが生きるモティベーションにつながるとは限らない。

こういうことを考えてしまうこと自体が問題なのだと思う。

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