« 2008年7月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

悲しくて悲しくて

でもそれは私自身のせい。

お酒と薬を飲んで、今夜は「私」から逃げ出そう。

私が悲しくなる分、誰かが幸せになりますように。

偽善とかじゃなくて、ほんとうにそう思う。

変かもしれないが、自分がつらい時は、誰かが代わりに幸福を掴んでいて欲しいと思う。

そうしたら、プラスマイナスゼロだし。

何がゼロなのかよく分からない。

少し多くいろいろと飲みすぎたかもしれない。ppppppppppppppp

|

はじっこ を つかまれる

作業と稽古。

たぶん誰にも分からなかったと思うが、実は一日イライラしていた。理由は分からない。

稽古の帰り、客演Sさんと少し離れたJRの駅まで歩いた。

うまく話せなかったが、Sさんと言葉を交わしているうち、気持がだいぶリセットされる。

駅に着いたところで人からメール。待ち合わせをしてラーメンを食べた。

向かい合ってみてイライラの原因はこの人だったと気付いた。

小指かしっぽか、とにかく身体の端っこをつかまえられていて、逃げられない。

どうしても逃げ出すとなれば、トカゲのように切り離すしかないのだけれど

意気地がなくてそれもできない。

動物でも人間でもそうだが、つかまえられていることに気付かなければ

とてもくつろいで落ち着いているのに

いったん気付いてしまうと

離して離して、逃がしてくれとモガき始めるものだ。

まるで室内にさまよいこんだ鳩。

自分で窓から入ってきたくせに慌てふためいてバタバタあちこちに身体をぶつけてまわる。

満腹になったら急速に神経が丸くなってきた。

眠いと自分が自由かどうかなんてどうでもよくなってくる。

重要なのは、柔らかくて、安心して丸くなれる場所が、今すぐにあるかどうか。

店を出ると家に急いだ。

早く眠らなければならなかった。

|

ごはん を つくろう

久しぶりにたっぷり寝た。

夢もほとんど見なかった。

昼ご飯にカブのあんかけ風煮物と、炊き込みご飯、カブの茎と油揚げの炒め物を作って食べる。

自分で作ったものを食べればほとんどお腹を壊したりしないのだと気付いた。

というか、自炊できるくらいの気持の余裕があれば

大丈夫なのだ。

しばらく外食しないで、家で仕事とご飯作りに専念しよう。あとは眠る。

午後は掃除や洗濯をしながら、11月公演の音楽関係の演出を練った。

やり始めるまで時間が掛かったが手をつけてみたら楽しくて、すぐに終わってしまった。

気持や体調にほぼ左右されず仕事ができる。数少ない(少なすぎるかもしれない)私の長所なのだから、大切にしなければ。

心の中は自由なのだ。何を思おうが私の勝手。だあれも私の頭の中までは入ってこられない。そうだ、不埒なことを考えたって銃殺されるわけじゃない。

くらいの気持で

過ごしたい。

|

からだ の げんかい

ゆうべは、激しい腹痛にみまわれ吐いてしまった。

気持は頑張ろうとしているけれど、身体がついてゆかない。

だめだ。

困ったな。

ここのところ食べられないし、食べても吐いてしまう・・・・・・。下痢も続いている・・・・・・。

なんとか今日の稽古は乗り切ったけれど、明日はどうなるか。

夜、私のそういう事情など、人に打ち明けた。

弱い部分をさらすのはみっともなくて恥ずかしいが、そんなことを言っていられる場合ではない。

結局これが私の限界なのかな。

私っていうか、胃腸。精神的なことがちょっと何かあると、激しくお腹を壊してしまう。

作りおきのチンゲンサイと鳥の炒め煮をゆっくり食べ、薬を飲んで寝た。

|

信頼 について

ゆうべ、信頼について考えた。

人からメールをもらったからだ。

私を信頼する、と書いてあった。

仕事以外で、つまり個人的な関係の中で、人を信じたり、信じられたり、ずっとずっとしてこなかった気がする。

仕事上では人を信じすぎる、と批判を受けるくらいなので、信頼について何も知らないわけではない。

人を信頼するのは仕事の場ではひとつのマナー。当然、仕事だからダメだった場合のリスクと対処法も頭の片隅で考えながら信じる、これは簡単だ。

一方、プライベート(この言葉はキライなんだけど……)について。

若い頃、非常に場当たり的に生きていた時代があり、そのせいでまずは自分を信じられなくなり、その私に対して人が信頼を寄せないのは当たり前なのだが、それにも気付かず、人を信じられなくなり、そして今に至る……。

個人的な人間関係の中で、リスクを考えるのは打算的なのではないか。それなら最初から、信じないでフラフラと場当たり的に物事決めていったほうがいい。思ってきた。

この前、訣別した長年の友人。

我々はお互いに信じ合ってこなかった。そして最近になって、それが正しかったことが判った。

人を信じてはいけないと、私は彼から教わった。おそらく彼は、私の弱い心を守ろうとしていたのだと思う。

仕事などで人を信じては結果的に裏切られ苦しむ私を、見ていられなくて、そう言ったのだと思う。

逆に言うと、彼も私を苦しめる可能性があって、それが怖いから、人を信じるなと教えたのだ。

すべては友情から。

信じてはいけない、という彼の教えを、私は信じた。そして彼を含めて誰のことも信じなかった。

考えてみれば、自分を信じる前に「人の言ったこと」を信じてしまったのが間違いなのだ。

自分の感じていること、思っていること、考え。

それ自体が間違っているとしても……

ずっとずっと昔に哲人も言っている。

そう思っている私がここにいる、それだけは、確か。

信頼している、というメールをもらって、少し動揺している私もここにいる、それも確か。

でももう、逃げ隠れするつもりはない。

私は自分の気持を知っている。知っているのだから。

稽古の帰り、駅で人に会う。

不安で不安で、崖っぷちに立っているような気になった。

何が怖いのか、分からない。

分からないだけに不安も募る。

人に対してでも、自分に対してでも、信じるってとにかくしんどいなあ。

もう逃げ出したくなったよ、と心の中で思った瞬間、

「大丈夫だよ、大丈夫」とその人がひとりごとのように小さな声で呟いた。

|

手を ながめる

目覚めれば激しい雨。

久しぶりにぐっすり、長時間眠った。

今日は稽古はお休み。家で静かに仕事を進めるだけだ。

窓をつたう大きな雨粒。ガラス越しに触れてみる。

昨日の夕方のことを思い出した。

メールがあってお茶でもしようということになった。

私は稽古、その人は急ぎで行かなければならないところがある。だからほんの少しの時間。

何を話すでもなく、ぼんやりとお互いの顔を眺めて過ごす。それに、手。

その人はいつも私の手をしげしげと見る。観察、といってもいいくらい。顔や身体にくらべたら少し大きめというくらいしか特徴のない、平凡な手なのだが。

またたく間に時が過ぎて、駅で別れた。

その人が手をじっと見るせいか、私も自分の手を最近眺めるようになった。

私の指先はこれからどんなものに、どんなふうに触れるのだろうか。

私の手のひらは何をつかむだろう。

さっきまで冷たかった指先が熱を持ち始めた。

夜は知り合いの出演している舞台を観に両国へ。

なかなか工夫のある舞台だった。

棒やふすまを使ったビジュアル表現はたいそう勉強になった。

見せ方が上手だ。私もこんな発想力が欲しいなあと強く感じた。

しかし

1)オープニングとラストシーンのまとめかた

及び

2)音(音響を使用した音楽と生演奏の使いかた)に違和感を覚えた。

私だけが感じたのだとは思うのだが

だからこそ、自分の記憶に留めたくて、書いておく。

演出家の方は、1)といい、2)といい「現代」という要素を意識しているように思える。

近松門左衛門の世界を現代に蘇らせる、というねらいを持ってのことかもしれない。

ただ私には、あえて強調しなくても、衣装がスーツやワンピースなのだし、口調も口語体だし、動きも普通の所作だし、それだけでもじゅうぶんに「現代」という要素は伝わるように思える。

たぶん、この演出家の考えている「現代」の音や言葉が、私にとっては必ずしも現代的なものではない、というところがまた、この点に対して私が過剰に反応してしまう原因なのだろう。

世代的な問題かもしれないが、私や演じている俳優にとっては少し昔っぽい、現代なのである。

そのせいか、演出家の考える現代、に役者もついていっていないよう見て取れた。

いち観客として、演出家と「現代」を共有できなかったところが不満で、モヤモヤしてしまった。

帰宅してまた少し仕事。

今日はとても勉強になった。

私も頑張ろう。

歩みは遅々としているが

人からストップと言われるまでずっと歩き続けていられるところが

私の長所。

(同時に短所でもあるが)

歩き続けていよう。とりあえず。

|

ぬるーい から とんがり へ

たった今、11月公演の台本を書き上げた。といってもラストシーンを書き残していただけなのだけれど。

とにかくこれで、ひとつ仕事を終えた。あとは稽古と公演準備に打ち込むだけだ。

私の場合、精神的にぬるーい感じでいないと書けない。

だから書き終わるまでは稽古でも作業でも、かなりぼんやりしている。

テキパキ効率よく、と言われてもその時期はできない。効率をよく物事を進めてゆくためには多少尖がった精神性も必要。

でもこの時期だけは尖がりに遠慮してもらう。

ぬるい気持でダラダラ、も長い期間続けるとなると、結構しんどいね。今回は書き始めてから書き終わるまでが比較的長くかかった。

とにかく今日は何か祝いたい気分だ。

|

しあわせ に なるため の スキル

ずっとこれまで、未来を信じられなかった。

何故か、未だ起こっていない出来事を描く、つまり物語をつむぐことはできても

自分の未来については

一年先も思い描けなかった。

突然ぽっくり死ぬかもしれない、という馬鹿げた考えに逃げ込んでばかり。

数年前に引越しして以来、ずっとここに住んでいるにも関わらず、近所のスーパーのポイントカードも作れない。

自分は明日いなくなってしまうかもしれないのだ。自分は消えてしまうかもしれない。毎日買い物をするか分からないのだから。と思い続けて、はや五年。

最近、私は変わった。

思い描けないのは一緒なのだが、想像してみようという努力をするようになった。

でもむつかしい。

おそらく幸せになれる人というのは、このあたりのスキルが高いのだと思う。

幸せな生活を思い描き、そうなるために何が必要かを考えて、実行する。

私には途方もなくむつかしい。

悲観的だから幸せな自分をどうしてもイメージできないのだ。

日常のふとした瞬間に幸せを感じることは、しばしばある。刹那的な感覚として。

しかし未来の幸せを空想するには現在の自分と「つなげる」、という作業がどうしても必要だ。どうやってつなげたらいいのか、皆目見当もつかない。

現在の私。

電線がもじゃもじゃと絡まったままハンダ付けしてしまった基盤みたいなものだ。

こんなに混乱した配線を、どうやって整理整頓すればよいのか。

どこかに、未来とつなげられる線がピュッと出ているはずなのだが

もじゃもじゃすぎて見つからない。

思いつきとフィーリングのままに配線してしまった結果だ。

それに第一、私は幸せになる資格のない人間だ。

どう考えても。

冷静に考えれば考えるほど。

だけど、人を幸せにすることはできるかもしれない。

それならイメージできそうだ。

実行に移せるかは、ちょっと分からないけれど。

|

からだのざつおん

ゲラを発送したついでに医者に寄ってみた。

ずいぶん長いこと咳とダルさが続いていたからだ。

ただの風邪かと思ったら右肺から雑音が聞こえるとのこと。

お医者さんは少し怖い顔になって、気管支炎まで進行してますよ、と言った。

こうなるまで自覚はなかったが心も身体もくたくたになっていたかな。ここ最近。

雑音、雑音。私の身体じゅうで雑音が鳴ってる感じ。

実際呼吸するたびにヘンな音がしてるし。

帰ってからカブのスープを作って飲んだ。

昼寝。しかし悪夢を見て起きてしまった。

さて、稽古に出掛けよう。

稽古場で身体を動かしてみて分かった。

どうやらほんとに具合が悪いみたいだ。

呼吸するたびにスーピー奇妙な音が出てくる。苦しい。

休もう。

携帯を見たらメールが届いていた。

この人にはたぶん私の言葉は通じないのだろう。言語が違うのかもしれない。

今の私には自分の心と身体を回復させる義務がある。これから年末まで劇団は忙しい。

倒れたり情緒不安定になるわけにはゆかないのだ。

何が必要か、私には分かっている。それを実行するつもりだ。

そのために、幸せや愛を逃すかもしれない。それもいい。

いつまで続くか分からない人生について考えるより、目の前にある仕事と、目の前で私を必要としてくれる人を優先したい。

約束。

私は他人に約束するが、他人には約束を要求したくない。

自分は約束をしないのに、何かを要求する人にはうんざりする。生きてゆくうえでは非常に効率のよいやり方だが、私はそのようなやり方を認めない。

一番嫌なのは自分が約束したくないから他人にも要求しない、それも嫌だ。

それは自由と呼ばない。ただの責任回避だ。自由モドキ。

|

からだのなかもそともじんじんいたい

昨日は作業と稽古。

身体が泥水の中に浸かっているように重たい。しかし朝早く目が覚めた。台本を書かなければ。

台本を書いたらもう一度寝ようと思ったが、雑用をいくつか片付けているうちに眠れなくなった。

電話が鳴る。しばらく話すと私はまたグズグズと泣きだした。

傷に支配されてはいけないといつか本で読んだ。今の私をそのままうつしとったような表現だ。

ここ数日、傷に支配されている。良くないとは思う。本で読んだ時、強く共感したくらいだから。でもどうしようもない。

その人は私の言葉にじっと耳を澄ませていた。

やがて仕事に戻らなければならない時間がやってきて、私から電話を切った。仕事?そう。そういう意識だけはどんな時でも私から抜けることはない。

私の傷なんてしょせんあさはか。大げさぶって痛い助けてと悲鳴をあげてみせているだけだ。

作業の後は稽古。

身体のなかもそともじんじん痛む。疲労なのか、体調が悪いのか。

稽古から帰るとすぐに寝てしまった。

|

浅はかさと疲労は比例する

一日、家で仕事。

外出予定がないって本当に気楽だ。

朝からとてもイライラしているけど全開にして過ごす。一人で仕事してるから関係ないもんね。イライラ。

夕方、メールがあり、人と会う。イライラのエネルギーがみるみる落ち込みに変わってきて、とうとう泣き出してしまった。なかなか涙が止まらなくて困った。

迷惑を掛けた。

私が傷ついているのは私自身の感じ方そのものに対してであって、その人には関わりがないのに。他人よりむしろ表現に関することだ。だけど、こらえきれない何かがこみ上げて、身体は嗚咽に支配され、しまいには姿勢を正常に保てなくなった。

悲しむだけ悲しんでしまうと、激しい疲労に襲われ眠くなった。

私の悲しみなどしょせん浅はか。

疲れると感情がマットになりやっと話せるようになった。その人が最近決めたことに対して反論する。

しかし決心は固いようだった。

私とは違う物事の決め方をする人なのだ。

私は決断が早いから比較的タイムリーな行動ができるのだが、反論されているうちに、心に陰りの出るタイプ。

その人はずっと迷っていて、決めるのがゆっくりだけれど一度決めてしまうと覆さないタイプ。

反論にもだんだん疲れてきて、さらに眠くなった。

私の理性などしょせん浅はか。

夕食後少しだけ眠ろうとベッドに入ったらそのまま朝まで寝てしまった。

|

しじん の つもり は ありません

詩人のつもりですか?

と言われてショックだった。非常に、とてつもなく、恥ずかしい。

そんな風に見えるのだろうか。

詩人じゃないです。つもりでもないです。

どうしようもなく憂鬱なとき、そのままここに書いてしまうことがあります。

気持をどうしてもおさめられない時、まとめられないまま書いてしまうこともあります。

それが、詩人気取りに見えるのかもしれません。

詩人は厳しい職業です。自らの血や肉を言葉に換えなければならない。

小心者の私にはなりたいなんてとうてい思えません。

いい気にもなってないです。

でも、なんとなくいい気になってる=なんとなく自信がある という雰囲気を出してるほうが仕事の上ではいいと思います。

自己否定や謙遜を鎧にして自分を守るより、常に隙のある人間でいたいのです。

人が否定したり批判したりを、自由にできるような「隙」を持っていたい。

自己否定は、します。間違っていたら否定して正さなければ。

だけど自己否定を何かの道具に使ってはいけない。鎧にしたくありません。

隙を持てば、相手がナイフを持っている場合は切りつけてくる可能性もあります。

怪我をします。

でも仕方ありません。受け入れます。

隙を持つ、と決めたのは私ですから。

|

ゆうせんじゅんい を かんがえて

去年の台本が出版されるというので誤字脱字を確認。

気が進まなかったが読み進めてゆくうち、楽しくなってきた。どうしてこんなこと書いたのかなあ、と不思議な感じ。

まあいつもそうだけど。

昔書いたものって、よく知ってる他人が書いたみたいな気がする。要するに恥ずかしい。親しい人の書いたマンガとか小説とか、読むのが苦手。とにかく気恥ずしいのが先に立って、冷静に味わえない。

自分のは、書いた直後に上演を前提として読めば、恥ずかしくない。

でも、上演する予定も何にもないのに読むと、もう恥ずかしくて恥ずかしくて。罪悪感すら感じる。

意味もなく読みかえすという行為自体がナルシスティックな気がする。昔飼っていた犬が鏡があるとよく、じいっと見入っていた。時々尻尾を振ったりして。あれに近いような。

犬がナルシストなのは可愛くていとしさが増すが、自分がそうなるのは気持ワルイ。

台本の内容は、なかなか嫌いではなかった。(自分が書いたのだから当たり前か!)

でもこういう作品より、今年の5月の『めいろあそび』のほうがみんな好きなのかな・・・・・・。

まあ「みんな」のこと考えても仕方ない。だいたい「みんな」って誰さ?

おかしな感傷に浸ってないでさっさと原稿直せ。はい。

それ終わったら美術や衣装のプランも手をつけなくちゃ。あとラストシーンも早く書きたい。

台本のファイルを送信した後、今度は11月公演の台本。

その後はひたすら劇団の雑用。

大丈夫なのかうっすら不安になってきた。

さっき電話で説明されたけれど出版台本の校正やら最終確認やらのスケジュールもかなりタイトらしいし、11月公演の準備も進めなければならないし、12月には地方公演を控えている。

パニックになりそうだけれど、ここはひとつひとつ落ち着いて。

ゆうせんじゅんい、を考えて れいせい に 乗り切るのだ。

|

とてもさむい

朝、起きるがくしゃみに咳。

おかゆを作って食べ、二度寝。

電話が鳴った。

半分夢の中にいたから最初は何の話かよく分からなかったけれど、戯曲賞の最終選考に残ったから、原稿をメールで送ってください、とのこと。びっくりした・・・・・・。

わああ、とりあえず誤字脱字を直してから送らないと。ということでとりあえず印刷してみる。

前に書いた台本を読みかえすのって本当に恥ずかしい。稽古場に持っていって誰かに目を通してもらおう。

やっぱりサボっていたらダメだ。起きて仕事しなくちゃ。

さっき電話を下さった方も、私の要領を得ない受け答えにあきれておられるようだった。ううごめんなさい。今日の私はダメダメなのです。

仕事。だけど寒い。ひどく寒気がする。

と書いた後、結局悪寒に負けて寝てしまった。

起きたらちょっと元気に。夜は稽古。

帰宅後、夕飯を作って食べた。

いろんなことが身の回りに起こり過ぎて気持が混乱している。

私はどうしたらいいんだろう。

|

冷蔵庫の中が氷河期です・・・・・・

家の中に食べ物がない。

とうとう食べつくしてしまった。

インスタントラーメンとか残り物の野菜すら、もう、ない。

米と缶詰しかないよ・・・・・・。とほほ。

作業と稽古が同時に佳境に入ってくると、こういう事態がおきやすい。

ということで今日は絶対に買出しに行こう。

稽古は夕方までだし。

午前中は仕事。自分の作品について語るのは本当に苦痛だ。

というかそれじゃなくても台本以外の文章書くのは嫌なんだよう。

文章力がないからト書きだってちゃんと書けないのに。と妙な逆ギレを起こしてみたりする。

さあもう本当に出掛けないと。稽古場に出発。

|

さびしかりけり かなしかりけり

天気はいいが気分が重い。

好きだったものが好きでなくなってゆく、それに気付くのは悲しくて淋しい。

午前中は仕事。

早急に舞台の美術プランを詰めなければならない。

昨日も今日も昼から夜までみっちり稽古なので考える時間が足りない。とりあえず稽古場でも思いついたらメモできるように、メモ代わりの図面などを印刷して持ってゆくことにする。

稽古はまだパーツパーツでしかやっていないが、恐らく今週の半ばくらいから一気に仕上がる予感。

ということは早めにラストシーンの台本も書かなければならない。

なるほどやることが山積している。

稽古後、人と食事。

帰宅してニュースを見ていたら楽しい画像を見つけた。ちゃっかりもののカニの映像。クラゲに背に(背っていうのか?)乗ってぷかりぷかり。

http://www.upi.com/Odd_News/2008/09/30/Crab_videotaped_riding_giant_jellyfish/UPI-11051222771958/

これってやらせ?

カニもクラゲもじっと見ているとちょっと寒気がしてくるような造形をしているんだけれど、

出来事自体は童話みたい。

絵本になったら面白いなあ。

|

しゃぼんだま は 風がなくても 割れてしまう

今日は一日家にこもっていた。

台本と作業。

夕飯を久しぶりに作った。冷蔵庫の中に残っているキャベツと椎茸、これをなんとかしなければ。

とっても平凡にベーコンと卵を入れて野菜炒めと、お味噌汁。

一日中、煎餅ばかり食べていて炭水化物の摂りすぎだと思われるので、ご飯を炊くのはやめておいた。

夜、小雨の降る中、短い間だが散歩した。その人は時々うつろな目で私を振りかえった。苦しんでいるのだろうか。

私は細かい仕事を一日していたせいで頭がぼうっとしている。

こういう時は感情がマットだ。ぼんやりとしか感じない。

今日は十分に働いた。寝よう。梅酒と焼酎を一杯ずつ飲んだら強烈な眠気が襲ってきた。

真夜中、電話で目が覚めた。

私が悪いのだ。

傷つけてばかりでごめんなさい。

でも、心の中で幸せな空想にふけることだけは許してほしいのです。

実現するはずもない未来や実際には届かない感情を

胸の中でシャボン玉吹くみたいにして飛ばす。

でもしょせんシャボン玉ですから。

私の小さな胸の中ですら、すぐに割れて消えてしまいます。あとかたもなく。

空想をつむぐくらいしか

私は現実を生き抜く術を知りません。

私の夢が人を傷つけてしまうこともあります。

それが分かってからは

私は極端に胸の中のシャボン玉について、語らなくなりました。

それなのに、長年の禁を破って、私はその人に話してしまいました。

その時あまりにも悲しかったので、突然、シャボン玉を見てほしくなったのです。

空想だと前置きして話せばいいと思いました。

でもやはり、間違っていました。

間違っていた。

|

ふれーむ あうと

目が覚めたらすぐに台本。

台本がひとだんらくした頃、メール。

窓から外を見ると、その人がこちらを見上げて歩いていた。すぐに通り過ぎて窓からフレームアウトしてしまったけれど。

ふと笑い出したいような気分になった。

その後は制作からの頼まれ仕事。大変ではないけれど、時間を結構取られるなあ。

|

だまっているうちに

一日、台本と作業。

夜、お風呂に入っていたら人からメール。

こちらへ向かっているという。

とりあえず近所の飲み屋で一杯だけ飲んだ。

もう遅いので早く帰るよう促したがどうしても飲みたいのかなかなか帰らない。

一杯しか飲んでいないのにそのうち私も酔いが回ってきた。しまいには先週末のつらい出来事についてペラペラ喋り始めてしまう始末。

しょーもないなあ、自分。

その人はうなだれて「うんうん」と聞いている。あなたに関係ない話なのにすみませんね、と心の中で思うけれど、私の口は勝手に動く。しかも言葉は軽やかなのに、涙なんか出てくる。いかんいかん。

一方その人は私に話したいことがあると言う。

しかし内容が事実に関してというよりその人の気持に関することらしい。

聞いてはいけない気がしたので黙っていてもらった。

黙っているうちに長い時間が過ぎた。

その人はなかなか私の前から立ち去ることができないようだった。

嘘に傷つけられたから、人にも嘘をついて欲しくないと強く願う。

しかし結果的には

その私自身が人に嘘をつかせてしまっている。

何かを殺す夢ばかり見る。

不思議なことに自分を殺す夢は

まだ見ていない。

|

どくさつ する ゆめ

久しぶりに爆睡。珍しく10時半まで寝ていた。8時間は寝たことになる。なんだか嬉しい。いや、社会的に見ればダメなんだろうけど、本来の調子が戻ってきたようで。

恐ろしい夢を見た。

家族を毒殺する、という夢。(現実の私の家族ではなくて夢の中で家族だった人たち)

私は見知らぬ顔の見えない人たちと生活している。父と母らしき役割の人、それに加えて数人がいる(兄弟とかではないような気がする)

その架空の家族に私は閉じ込められ自由を奪われてしまう。

私は彼らに復讐し、脱出するために毒殺を試みる。

亜硝酸×××(×については思い出せない)という薬品を飲み物と納豆に混ぜていた。(調べてみたら血管を拡張する作用があるらしい。毒殺するなら硝酸のほうがいいんではないだろうか・・・・・・)

結果、皆が死んだかどうか、分からない。すりガラスの扉越しに人が倒れて悶絶している影が見えただけだ。

私のどこにそんな攻撃性が潜んでいたのか。ついに人格崩壊?

目覚めてから驚いた。

もう一つは、舞台の夢。

こちらは普通だった。(仕込みがうまくゆかない、とか、人間関係で悩む、とかよく見るような夢)

ショッキングな夢の影響で午前中は台本が書けなかった。

午後になって、眠たくなってきたところで取り掛かる。

稽古帰り、トラブルが勃発。舞台に対する考え方って本当に人それぞれだ。だから面白い、とも言えるけれど、考えの違いを超えて絶対に守らなければならない決まりごともいくつかあるのではないか。

どういう理由があってもやはり、人を殺してはいけない、のと一緒でね。

まあ舞台の仕事と命の問題を同次元にしてはいかんな。はい。

台本をまだ書いていることもあり、問題にどっぷり浸かってしまいたくない。メンバーと簡単な打合せを済ませて急いで帰った。

帰り、人から私の家近くの駅で待っているとの連絡をもらう。

地下鉄の階段をのぼってみると、小雨の降るなか立っていた。

お茶のつもりが、一杯だけ飲んでしまう。

この人は何の考えもなく私と会おうとする。計画性も何もなく。

私の知らない世界の住人だ。知らない世界からやってきて知らない世界に帰ってゆく。

物語に登場する宇宙人は必ず目的を持っている。地球の侵略であったり、調査であったり。

この人の目的はなんだろう。なんのために私の星にやってくるのだろう。

窓から雨上がりの光る路面を見ながら考えた。

また眠くなってきた。ありがたい。

猫の夢を見た。猫は可愛かったが、全体としては恐ろしい夢だった。

|

自覚 しているか どうか

午前中は台本。午後はテレビをつけっぱなしにして作業をしていた。

稽古場でときどき疑問に思うのだが

役者さんが一番楽しい瞬間って何なのだろう?

ひょっとして

読み合わせとか立ち稽古をやって作り上げてゆく時ではなくて

共演者とたわむれたりする瞬間なのだろうか。

役者さんにもよるけれど

演技では出てこないキラキラした色気がむんむん立ち込めていることがある。

複雑な気持になる。

どんなに頑張っても私の演出の力ではとてもこんな色気は引き出せない。

ふとその場で沸き起こる異性への興味や軽い欲望のほうが、私の地道な努力なんかより何百倍も豊かな表情を引き出すのだ。

問題はそれを、舞台に生かしてもらう方法が分からない、ということだ。

「あ、私(俺)、今、この人とふざけてたらこんなに色っぽい表情が出てきた」と本人が自覚してくれれば一番いいけれど。人間としてはイヤらしいが、役者なら当たり前だろう。そのくらいは。

しかし、稽古場で芝居の稽古以外の「活動」をする役者は、必ずといっていいほど自覚的でない。まあ自覚的だったら、稽古だけに集中しているだろうし。

どちらが良いとか悪いとかではなくて。(まあ私自身はどちらかといえば集中してやりたいほうだ)

とにかくいい表情が日常で生まれる、そしたらそれを生かさない手はない。しかし・・・・・・方法が分からない。

|

ひとり 墓場を さまよう

ゆうべ、とてもショックなことを聞いた。

長い間、嘘をつかれていたのだ。一年や二年ではない。約十年弱ほど。

驚いた。思いやりからなのか。それとも私の心の自由を奪うためなのか。しかし、私が真実を聞いて驚くことはあってもおそらく悲しみは感じなかっただろう。

真実を知っていたら私にも新しい未来があったのではないか。

しかし嘘だと知った今、悲しみとともに深い絶望を感じる。

何も戻ってこない。取り返しもつかない。

ここまで書いて読み返してみると、まるで配偶者に浮気でもされたかのような文面だ。しかし私に配偶者はいないし、浮気をする人とつきあい続けたことはない。

そういう苦しみだったらまだ心の鮮やかさを保っていられる。ひょっとしたら恋愛の駆け引きで女っぷりも上がろうというものだ。しかし私のは男女関係というのでもないから、まったく違う。

心が腐ってボロボロと崩れてゆく、もう自分ではそれをどうにも出来ない、といった類の絶望感だ。

しかし感謝している。遅すぎるけれど、とりあえず真実を伝えてくれたのだから。

昼は作業の途中、具合が悪くて何度も腹をくだしてしまった。

夕方、友人からメール。

趣味の活動で困っていることがあって協力してほしいとのこと。もちろんOKだ。

なんとなく気分が明るくなった。

彼のことをかなり若い頃から知っている。繊細な感覚の持ち主なのに積極的にいろんなジャンルに挑戦する大胆さもある。年下だけれど尊敬している。これからしばらくは時々会う機会があるだろう。楽しみだ。

深夜会う約束をして、稽古場へ向かった。

稽古後、友人と会って、打合せ。役に立てるのが嬉しい。いいえ、こちらこそ新鮮なものを味わわせてくれてありがとう。

別れた後、ご飯を食べていたら人から電話が掛かってきた。

家族の病気のため、田舎に戻っているそうだ。

私だって話を聞いてとても心配だけれど、心が煤けてしまっていて、柔らかく接することができない。

長電話になった。

途中でふいにその人が冗談を言ってきた。私は明るい声で笑ってみせた。

いい笑い声だ、とその人が喜んだ。

ギョッとした。私は笑いながら、何故だか自分が一人ぼっちで墓場のようなところを歩いている映像をふと思い浮かべていたからだ。

でも心の中がどうでも、結果が大切。私が笑い、人が喜ぶ。

それなら私は笑っていようと思う。

たとえ心が墓場や薄暗い沼地をさまよっていても

笑っていようと思う。

|

ホットココアを飲みながら

昼から制作者のOさんと打合せ。

寝てない&食べてない私はかなりボーっとしている。素っぴんだし服装もだらしない。

もっときちんとしたいんだけど、今はできない。台本書いている時期はむつかしいな。

彼は偉い。無駄なことは一切言わないし、とても有能だ。

友人が遠方から東京へ。池袋から新宿まで一緒に散歩。

話しているうちに頭がだいぶ整理された気がする。

話題は彼の勤め先での出来事と私の近況、それに自己愛と愛の違い、トーマの心臓、フラニーとゾーイについて。

夕闇の中で友人と別れた。

家のほうまで戻ってきて、近所の喫茶店で打合せ。

今度の舞台の装置と照明について。図などを描きながら明かりの効果についていくつか質問。教えてもらう。

なるほどなるほど。疑問が解決。それとともに問題点も浮上。

デザインと演出をもう一度考え直してみよう。

作っている最中も面白いが、作る前の段階のこういうミーティングも好きだ。

ただただ純粋に楽しい。

今年初めてのホットココアを飲みながら、ノートを閉じた。

|

あるけあるけのいちにち

おとといくらいから滅入っている。

台本ははかどった。

今回、手をつけるのは遅くなってしまったが、かなり快調に進んでいる。

あと二日あれば8割に達する。

台本は体調や精神状態に関わらずほぼ書けるのだが

個人的な連絡となると

まずダメだ。

メールも書けない。

もちろんここにも書けずにいた。

とりあえず、台本もはかどっているし絶不調な時だけでもエバミールを飲みたい。

結局、腹痛で台本書きしかできなかった。他の作業も並行して進めなければならないのに。

情緒不安定を落ち着かせるため歩いて稽古場へ。

ちょうど行こうとしているところへ人から電話。

今仕事が終わったという。一緒に歩くことにする。

途中でお茶も飲み公園でもひとやすみしたので結局2時間ほどかかった。

体調多少悪くても何キロも歩けるって本当に幸せなことだ。

稽古。客演のS氏が初めて稽古場へ。やっぱりこの人は面白いなあ。

読み合わせが楽しくて時間を忘れた。

帰り道、今度はS氏と歩く。その後、ファミレスでご飯。話していたらなんとなく気が楽になった。

夜は結局、導入剤はやめた。ないと眠れないが、腹痛があるから胃腸への負担を避けたいところ。下痢と不眠が重なったら肌がボロボロになりそうだ。

あんなに歩いても特に疲労感や筋肉痛もなく、しかも「眠れない」ってすごいなあ。いや、本当は困るけれど。あ、そうだ、それにほとんど食べてない。ファミレスでもサラダしか無理だった。お腹、減らないんだもの。

まあ本当にもたなくなったら倒れるだろうし、その前に私の場合はジンマシンが出る。

心配することはない。

|

« 2008年7月 | トップページ | 2008年11月 »