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2008年11月

もみじどろぼう なきがら

表現活動を続けてゆくには心の丈夫さが足りない。

しかし私が物語をつむぐのはその弱さがあるからこそ。

だから

作り手としての私を守ってくれる人が欲しい、と思い続けてきた。

でもそんな都合よくはゆかない。

誰も守ってはくれない。大切なメンバーが離れて行って、心細くてたまらなくなって、守ってくれる人が欲しくて、仕事を一緒にしてくれる人が欲しくて、賞に応募した。でも結局自分自身のその行動に傷ついた。

他人と比較される場所に行き選ばれようとする、という行為は表現とは正反対なのではないか、そう思ってきたから。

私は淋しさに負けて、自らポリシーを破った。弱い人間だ。

芝居を一本観たあと、友人と豪徳寺へ。

ライトアップされた紅葉は、鮮血の色。

さやさや、楓が風に揺れている。

さやさやさやさや、私の血もこんな侘しい音色で流れているのだろうか。

いちばんあかく見える葉を一枚むしりとってハンドバックにしまいこんだ。

世田谷線に乗り込んでから取り出してみると乾いたかさぶたのように見えた。

さっきまで確かにほとばしる血のようだったのに。

光の加減だろうけれど。

手のひらの上の紅葉は、ぐったりとして、まるで亡骸のように見えた。

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いちばんぼし にばんぼし

12月20日から『ちびたんのクリスマス』という作品で横浜・東京・千葉をまわる。

本日はスタッフとともに千葉の会場を下見に出掛けた。

眠れないと思っていたが電車の中で深度のある睡眠が取れた。

朝寝坊したため何も食べていない。空腹を抱えたまま佐倉ミレニアムセンターのホールを下見。

次は柏に移動。同じ千葉とはいえとても離れている。電車の中でスタッフとサンドイッチを半分こして食べた。

車窓から幻想的な風景を見た。北欧みたい。雲の低く垂れ込めた空。灰色の草原に道があり、それに沿って樹が等間隔に植わっている。

行儀よくじっと並んだ小さな樹木がいじらしく、胸を打たれた。

この風景をずっと忘れないでいようと思った。また、ドビュッシーの「夢」が頭の中でループしはじめた。

柏に着くと、すっかり晴れ上がっていた。あまりの空腹に、何か食べようということになった。久しぶりにパスタを食べた。明太子とキノコのクリームソース。意外に美味しかった。結局胃にもたれたけれど。

会場ではメモを取りながらの下見。写真を取るのもいいんだけれど、結局後で知りたくなるのはビジュアル的なことというより、細かな寸法や構造だったりするので、メモに取ったほうが役に立つ。

終わってすぐにバスで柏駅にとんぼがえり。ビルの谷間から夕焼けが見えた。それに一番星と二番星。振り返るとスタッフが写真を取っていた。

私はなんだか疲れきっている。電車の中でまた熟睡してしまった。今日は眠い、とても眠い。頭の中では「夢」がずっとループしている。ふわふわふわふわと漂いながら千葉から都内に戻ってきた。

目覚めると身体が冷え切っていた。

帰宅後、すぐに熱い紅茶。

それに夕飯を作る。眠いから簡単なものしか作れない。白菜と豚肉の蒸し焼きにほうれん草のおひたし、お味噌汁にご飯。はちみつ漬けの梅干をひとつぶ。

食べたらまた眠くなった。梅酒を少し飲んだがその後の記憶がない。「夢」はいつまでも遠く近くで鳴り響いていた。

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かくう の じこじつげん

昼頃、小さな用事がいくつかあって新宿へ。

帰りに修理のため預けてあった靴を受け取った。履いてみたらあまり具合がよくない。この靴自体がダメなんじゃないかという気もする。

私は足首の関節が異様に柔らかい。ぐにゃぐにゃと曲がる。それを支えるにはこの靴の革は柔らかすぎるのだ、きっと。

家で二・三件打合せの電話を掛けてから整骨院に行くことにした。このままでは身体が痛くて何もできない。

施術を受けると少しマシになった。激しい睡魔に襲われたので、友人と夕飯を食べたあとはすぐに帰宅。

いくつか打合せのメールを書いた。それと劇作家協会に本を注文。この前出版された戯曲集、送られてきた分は公演で全部売れてしまったから。

ありがたいことだ。

メールが済み、調べ物を済ませたところで爆睡。

目覚めると身体の痛みはだいぶ和らいでいた。

体力が回復したら、明日あたりから片付けを始めよう。

大学時代から溜めこんでいる創作のためのノートやメモ。ダンボールに何箱も持っている。捨てられないでいるガラクタなどなど。

顔を洗いながら考えた。本になった『しびれものがたり』について。あの物語の結末について。私自身はとても「しびれ」られない。しびれる気もない。

それなのに、登場人物たちは生きる手段としてのしびれを肯定する。そして生き抜こうと決心するのだ。

結局私の書く台本はすべて自分のできないことを実現するために書かれているのかもしれない。

この作品に限らず、どの物語も、理性では納得できるが感情的には飲み込むことが不可能な結末ばかりだ。

無意識的な行動とは言え、架空の自己実現のために、自分を救うために、物語を書いてきたのだと思うと、胸が悪くなる。

自分の書いたものを客観的に見られるのも、ある大きな苦痛を経たせいなのだと思う。

そしてその苦痛にしびれてしまわなかったからこそ、なのだとも。

かつてないほど私は今、冷静だ。

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あとかたづけ そら よはく

本日は後片付け。

特に感傷的になることもなく、たんたんと進める。

後片付けをきちんとやれば次の仕事にもスムーズにとりかかれる。

と分かってはいるのだが

身体が思うように動かない。私だけじゃなく、みんな。

きれいな空だなあ、と午後だいぶ遅い時間になってから気付いた。

それまで、まったく空なんて気にしてなかった。

作品のラストシーンの曲を思い出す。

メロディアスで素晴らしい音楽だった。細部にも気を配っているくせにイメージの飛躍もあり、作曲のT氏は本当にすごい仕事をしたものだと思う。

彼も進化しているのだ。

それは、まぶしくもあり、ねたましくもある。

ラストシーンの老夫婦の表情を思い出した。役者がイメージどおりの表情をしてくれることはほとんどないが、今回は本当にうまくいった。

ひょっとしたら、愛と幸せに対する考え方があの二人の役者はたまたま同じなのかもしれない。

長年連れ添った夫婦はお互い同化して双子のようになることが多いが、あの二人はそっくり同じような表情と仕草で、紙飛行機の行方を見守っていた。

そうしてくれ、と言ったわけでもない。所作について細かく注文をつけていったら、そうなった。演出が役者の役に立てた幸運なケースだ。

あたたかい色の明かりに二人の頬が輝いてやがて闇に消える。

私は上手のそでから彼らを見つめていた。作者としてでも演出家としてでもなく、ただのいち個人として。毎回同じところで涙がこぼれた。カーテンコールに出られないくらい大量の涙が出た。

ラストシーンもそうだが最初から最後までほんとに美しい照明だった。色もそうだけれど、濃淡のつけかたが素敵。

絵でも音楽でもきちきちな感じではなくて少し抜け感があるほうが好きだ。書道では文字を書いていない余白の部分が大切なのだが、今回、音楽も照明もその「余白の美」が感じられてよかった。

片付けのあと、韓国料理屋で食事。

帰ってソファに横たわった。まだお腹が減っている気がしたのでポテトチップスの大袋をあけてみたら、全部食べてしまった。

夜中に目が覚めた。人からメールが来ていたので返信すると、お茶を飲むことになった。

しかし向い合ってみると、何も話すことなどないのだった。全身筋肉痛がひどくて口もまともにきけない。

コーヒーを飲み終わるとまた眠くなった。

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なみだは すぐに かんそうする

公演が終わった。

私にとってはいろいろな発見のある舞台だった。

これまでこんなに自分の心理を投影した作品を書いたことはない気がする。

書いている時は気付かなかったが、こうして上演してみると

それを痛いほどに感じた。

表現として成功か失敗か分からないが

今の私にはとてもふさわしい舞台になったと思う。

その意味では満足している。表現者としてではなく、いち個人として。

表現者としてはダメかもしれない。舞台を自己実現の場にしてはいけない。そんなまがまがしい目的で舞台を汚してはならない。

でも今回はいち個人としての感覚も、持ち続けていたかった。

舞台のセットも、役者の表情も、光の色も、全部いち個人として、覚えておきたいと思った。

覚えておこうとすると、涙が出て困った。

頬をつたう涙は舞台の乾燥した空気ですぐに蒸発した。

暗転とともに消えてしまう、私の物語の世界のように。

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初日

公演初日。

特別招待者のための公演のため、お客さまはたいへん少ない。

しかし、リハやゲネにくらべて、かなりよい出来だったと思う。

特に生演奏は編曲やあわせかたがどんどん改善されてきており、新たな工夫も加わったりして素晴らしい。

音楽監督のT氏の手腕によるものだと思う。

クリスマスに公演することになっている千葉のおやこ劇場の方々がいらしてくださった。

遠くから来てくださって本当に感謝である。ありがたいこと。

終演後は初日乾杯。

T氏や演奏家と楽しく話した。しかしそんなに酔っぱらわなかった。酔っていられないものな。もう。

明日から通常公演が始まる。 頑張ろう。

劇作家協会の方からメールが来ていた。

12月5日出版されるはずの本がもう出来上がったらしい。

何冊か自宅に送られてくるそう。

なんだか受け取るのが怖いなあ。どうしよう。

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本番が近くなるとご飯を食べるのをつい失念する。

体力をこれほど必要とするときもないのに、とにかく忘れる。

貧血で目の前が暗くなってから気付くこともしばしばだ。

今日はまさにそんな日。

午前中から作業に追われ、気付けば稽古場。

夕方は会場に移動。その間にも一瞬食べたいとは感じたのだが、買う前に忘れてしまった。

帰り道、飢餓状態だと気付いた。

食べなければ。

しかしまた家にたどり着く頃には忘れてしまいそう。人と一緒に食べることにした。

鶏肉をカリカリに焼いて、野菜と一緒に食べた。

その人は幸せそうだった。私は飢えを満たすのに必死で、そういうハイレベルの感情まではとてもゆきつけそうになかった。

ただ食べた。

ミカンを買わなかったことが悔やまれた。

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いいこ

午前中は作業。昼夜と稽古。

帰りみちお茶を飲んでいたら突然、今朝がた見た夢を思い出した。

誰かに「いいこだね。いいこ」と頭を撫でられていた。母親のような、でも母親ではない、誰か。

あれは誰だっけ。

夢の中の私はうっすら幸せで少しもの悲しい気分。

「私はいいこでえらいんだな」と妙に納得。半分目をつむってじっとしていた。

一日忘れていたけれど、そんな夢。

ありがとう。私の頭を撫でてくれた人。

誰だったんだろう。私はその人の顔を見なかった。ただ「お母さんみたいな人だけれど、この人は違うんだな」と思った。

見ないで正解かもしれない。

ありがとう。

ちっともいいこじゃないしえらくもないのに、頭を撫でてくれて。ほんとにありがとう。

夢を反芻しているうち、何も聞こえなくなった。いつの間にかまどろんでいたらしい。向かいに座ったその人が「かわいい」と呟くのが聞こえた。

ぼんやりした頭でこの人はあの夢の中のお母さんみたいな人とは別人なんだな、と思った。

「かわいい」というのは「いいこ」とどう違うんだろう、どういうことなんだっけ。

無理にまぶたをあけようとすれば白目をむいてしまうほどの強烈な眠気。

水を飲みたいがグラスに手が届かない。こんな近くにあるのに身体が動かないせいだ。

眠気と喉の渇きを抑えるようとしていて、気がついた。

かわいい、は苦しみと関係があるのだろうか。

いいこ、と言われた時はあんなに幸せだったのに、今の私は極端な疲労に苦しんでいる。

少し震える手で私は頭を支えた。

これはどういう違いなのだろう。

問いが胸に浮んでも、今の私には考える力と時間が足りない。頭を支えている腕が痛み始め、まぶたも頬に落ちた。暗闇。静寂。

「かわいい」

閉じたまぶたの向こう側でまた聞こえた。

その人の願望なのかもしれなかった。

すまないなあ、とまどろみながら思った。私はかわいくない。かわいくなれない。もう大人だから。

「だけどそうなれたら本当はすてきですね。そうおもいますよ」

頭の中にヒゲを生やした小男の私が登場して言った。

すると

「ええ。努力はしてみるものですよね」とゴミ袋を抱えた私が振り返って気弱に微笑む。

苦しくなってきて目を開けると、前に水が置いてあった。

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はんとうめいの うしろすがた

やることが多くてひたすらバタバタしている。

バタバタするのは好きでないがしかたない。

とにかくたまりにたまった作業をベルトコンベヤー式に目の前にきたものから済ませてゆく。

おとといくらいから

仕事をリスト化したりがやっとできるようになってきた。

気分が落ち込んでいても仕事はできるのだけれど

やはり整理してものごとを考えられなくなる。

今は気持が落ち着いているというか、冷えて固まってきた感じ。

孤独。淋しいはずだが、今はもうあまり感じない。

心が身体ととても離れた場所に行ってしまった気がする。

物語の中にいる時にだけ、私の心は戻ってくる。

かりそめのひととき。

芝居に逃避している、というわけでもなく、現実世界での私はいつも留守なのだ。不在。空っぽ。

芝居が終わる瞬間、ときどき、私は私の後姿に「どこにも行かないで」と小さな声で叫ぶ。

しかし、後姿はすぐに半透明に変わり、ふと飛び去ってしまう。

うすみどりいろの蜻蛉のように。

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ひ・けんせつてき な かなしみ と はきけ

連日の稽古で少しずつ、芝居が締まってきた。

あと少し頑張れば、楽しむという領域にゆけそうだ。

ここ数日、言葉を出力できる状態ではなかった。

メールもできなかったし、ここに来て書きつける気持も起こらなかった。

一人の時はほぼ涙ぐんでいて、どうにもならない。

私のような人間はやはり雪のように消えてなくなればいいのになどという思考が垂れ流し的に頭の中で繰りかえされる。

私が抱えている問題はほぼ、私個人が全責任を負っていることなので、自分自身が解決しなければどうにもならない。

悩むこと自体がナンセンスで、気持を決めて行動すればよいのである。

それなのに私は悲しんだり苦しんだりしているばかりで、ちっとも具体的な行動が取れない。

もちろん「建設的な悲しみ」などというものがこの世に存在しないことも分かっているけれど。

ここ数日で私はさらに人間嫌いになった。自分をどうしても愛せないからだと思う。

それに、信じていた人の信じられない一面にも接した。

己を愛せる人は素晴らしい。

しかし自分を守るために常に防御線を張りめぐらし、安全圏にしがみつくなら、それは醜い。

私は自分をあんまり好きじゃないくせに、臆病者なのでずっとそうしてきた。だからそれが醜い生き方だと痛いほど知っている。

汚い、と思う。

答えを保留にしてごまかしたり、まだ分からない、と答える。

本当は何かが分かる、なんてありえない。分からないけれど、決めるのだ。現実を切り開くために。過去を現在に変えるために。

分からない、とは思考を放棄する時に使う言葉。まだ、と加えることによって、そのうちに、という未来を匂わせる。匂わせておいて同時に「どうだか分かりません。責任は負いませんのであしからず」とも暗示する。

吐き気のするほど、汚い、と感じる。

それはかつての私。

だからだから信じられない。

嫌悪感が奥底からこみあげてくる。

身動きできないまま、その吐き気みたいなものを感じている。ずっと感じている。

それは私から生きてゆく力を急速に奪う。

非建設的な悲しみを感じながら、他人事のように、弱ってゆく自分を見つめている。

まるで何かの実験のように。

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夕飯を食べ終わって携帯を見たら人からメールが届いていた。

人生は一度きり。

望まずして、こんなもの欲しくないと語りつつ

いくつもの幸せを手にする人もいれば

たった一つのものに懸けて

すべてを失う人生もある。

風呂から上がって携帯を見ると、今度は写真が届いていた。

秋の木立が少し逆光気味に写してある。無意識なのかもしれないが、この人は自分の感情そのものを楽しんでいるのだと思った。

深夜、パソコンを開いてみて歳の離れた友人からのメールに気付いた。

わずか数行の短い、アドバイスのような気休めのような言葉。

少しシニカルな書き方。おおげさにならないようにと彼なりの心遣いなのだ。

夏頃だったろうか。

つらい時。神田の古い喫茶店でお茶を一緒に飲んだ後、私が歩き疲れるまで、連れまわしてくれた。

別れ際に友人の顔をじっと見た。自分では微笑んでいるつもりだった。感謝の気持をなんとかあらわしたかったが、言葉にすれば涙があふれて止まらなくなりそうだった。

彼も私をじっと見た。何を考えていたかは分からないけれど、私の様子に不安を抱いたのかもしれない。

車のヘッドライトでときどき彼の瞳が静かに光った。

今、友人に返信を書いていたら、涙が止まらなくなった。

目の前にいなくても、やはり彼には甘えてしまう。

甘えが入ると感情的になっていけない。

助けて、助けてと、叫び出したくなる。

知っている。誰にも助けられない。自分を救えるのは自分だけだ。しかしもう、私は自分を助ける気もなくなってしまっている。

自分の感情からどうしたら逃げられるだろう。もう向き合うつもりはない。命が終わる時までそのつもりはない。

仕事にたんたんと取り組んで、私は私でなくなりたい。

私を私たらしめるものは感覚と感情だ。その二つが死んでしまえば、私はいなくなる。ほんとうに空っぽになれる。

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ゆめ を みて けつい する

車の運転をしている夢を見た。

交差点で間違った車線に入ってしまい難儀するのだが、スリルはあった。

実際にはもう10年くらい運転なんてしていないけれど。夢の中でも誰かにそう告白していた。

一緒に車に乗っている知り合い(女の人。でも目覚めてみると顔が思い出せない)が悪質な通販業者にはまっていることが話していて分かり、それをやめさせようと、説得していた。

それから、家に帰る。といっても実際の私の部屋ではない。ベージュの絨毯で覆われた地下室のような場所。上に上ってゆくと母親に「お前はゆうべも泣いたそうだね。全然知らなかったよ」と声を掛けられた。罪の意識を感じて「そんなことはない」と私は答えた。

そして部屋に帰って少し涙ぐんだ。

夢の中でごめんなさい。といろんな人に謝っていた。知っている人にも知らない人にも。人が私が心に抱いている決意と深い絶望を知っている気がして、申し訳なく思った。

目覚めると、実際に決心がついていた。二つ。

一つは夢の中でぼんやり思い続けていたこと。もう一つは、おとといくらいから考えていたこと。

かたほうの決心を人にメールで知らせると仕事を始めた。

作業で足りないものがいくつかあったので、買い物へ。

電車を乗り降りしていて何度か危ない瞬間があった。

重い荷物が重いと感じられないほど、感覚が麻痺している。

夕方、いちにち食べるのを忘れていたのに気付いてトーストと蜜柑を食べた。ひとくちひとくち飲み込むのにだいぶ時間が掛かった。

仕事や作業は簡単なのに生きるのはむつかしい。とてもむつかしい。

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昼過ぎから音楽合わせ。

音楽監督とともに音入りのタイミングや楽曲の内容をひとつひとつ検討する。

今回も楽しい曲がたくさん。

夜まで掛かったがなんとか最後まで仕上げることができた。

役者は待ち時間が多いと疲労が大きい。疲労の激しそうな役者には声を掛け、先に帰ってもらうことにした。

根性とか精神論は嫌いだし。

稽古後は音楽監督T氏とともにファミレスで打合せ。先ほどまでに決定したことの確認のみ。

T氏は私の状況を察した?のか、とにかく食べろ食べろとすすめてくる。幼なじみみみたい。近況を話すと、彼の顔がいつになく曇った。不思議なことに、その分だけ少し心が軽くなった。

そうだ、現場では彼と一緒なのだ。大丈夫、大丈夫。

打合せの帰り、人と散歩。

川沿いの遊歩道を延々歩いた。

手すり近くに「スタート」と書いてある細い杭のようなものがあった。

「なんのスタートなんだろう」と私は言った。口に出してみると、その杭の前から離れられなくなった。何故だか分からない。生理的にどうしても。

何度も、スタートという文字を指先でなぞっていると涙が少し出てきた。

感情が死んでいるのに、どうして泣けてくるのか。

あまりの不思議さに思わず微笑んでいるとその人が「さあ、どっちにスタートしましょうか」と言った。

身動きできずにいると、その人は自分の発した問いの答えを待とうともしないで私を引っ張ってまた歩き出した。

何もかもが、膜の向こう側のように感じる。

水音も。ときどき「好き」と呟くその人の声も。

私が悲しくなればなるほど、何も感じなくなればなるほど、人はみな私を好きになるのだという気がした。

青い小さな鷹に、襲われそうになる夢を見た。

獰猛で恐ろしかった。

私は自分の家に帰るために壁をよじ登っていたのだ。すると鷹の子どもがバサバサと空から降ってきた。爪が異様に大きくて青く光っていた。

頭をつかまれそうになり、半狂乱で振り払った。

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小雨降る 街の上空から

信じていたものがガラガラと崩れていってしまった。

「お前の身の回りに起こることは、すべてお前の責任なんだよ」

幼い頃からそう教わってきた。

ということは

信じていたものが消滅したのも私のせいだ。

ずっと、未来へと続く想像を封印してきた。

激しい感情が、コントロールできなくなるような気がしていたからだ。

しかし信頼は未来と強く結びついている。

信じれば、自然とその向こうに未来がぼんやり透けて見えてしまう。見ないようにしていても、やはりその未来に心が感応してしまう。

しかしその未来も消滅してしまった。まるで砂のお城だ。

ここのところ死ばかり夢見る。白昼夢のような。目覚めている間は十分に一度くらいの割合で、自分の死を空想する。

芝居をやるには、何種類かのことを同時に考えられる能力が必要だけれど、それが完全にわざわいしている。

仕事をしていても、自分が死に向いさまざまな方法を試みている様が映像として頭に浮んでくる。あまりに頻繁なので、ほとんどずっと、と言ってもいいくらいだ。

稽古の後に人に会う。

抜け殻と化した私の肩を強く揺さぶり話しかけてくれるけれど遠い世界のことのように感じる。

膜の向こう側。

その人の語る愛は文字化けした画面のようだと思った。私にできるのはただ意味も分からず眺めることだけ。いや、混乱しているせいできちんと言葉を受け入れられないのだ。

さっきうたた寝をしていて夢を見た。見知らぬ、色彩のない、小雨降る街の上空を私の魂はさまよっていた。

生きてはいるらしく、トイレなどにも寄った。間違った入り口から入ったあげく混んでいるので諦めた。

それから父親に(といっても現実の父親ではない。同世代の知人が私の父ということになっている)「私のせいです」と頭を何度も下げる。

飛びたい方向へは飛べない。間違えて乗ってしまったバスのように、必ず行きたいのと反対の方角へ曲がってしまう。

目覚めるとメールが来ていた。返事をしては、いけない気がした。

冷たく石のように死んだ心で、言葉をつむいではいけない。

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てき ぱき ってなあに

いい天気、こんな日は近所の人と散歩にゆこう。

心もからだも薬の影響でぼんやりしているが

陽射しを浴びてぶらぶらしたら

すぐになおってしまうだろう。

リフレッシュした後は

仕事もどんどんすすめてゆかなくちゃ。

てき、ぱき、てき、ぱきって

なんの擬態語?擬音語?なのかしらないが

すごくいい言葉だよね。

特にぱきっていうのがいい。何かをへし折る音かしら。

これから散歩。

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