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ひ・けんせつてき な かなしみ と はきけ

連日の稽古で少しずつ、芝居が締まってきた。

あと少し頑張れば、楽しむという領域にゆけそうだ。

ここ数日、言葉を出力できる状態ではなかった。

メールもできなかったし、ここに来て書きつける気持も起こらなかった。

一人の時はほぼ涙ぐんでいて、どうにもならない。

私のような人間はやはり雪のように消えてなくなればいいのになどという思考が垂れ流し的に頭の中で繰りかえされる。

私が抱えている問題はほぼ、私個人が全責任を負っていることなので、自分自身が解決しなければどうにもならない。

悩むこと自体がナンセンスで、気持を決めて行動すればよいのである。

それなのに私は悲しんだり苦しんだりしているばかりで、ちっとも具体的な行動が取れない。

もちろん「建設的な悲しみ」などというものがこの世に存在しないことも分かっているけれど。

ここ数日で私はさらに人間嫌いになった。自分をどうしても愛せないからだと思う。

それに、信じていた人の信じられない一面にも接した。

己を愛せる人は素晴らしい。

しかし自分を守るために常に防御線を張りめぐらし、安全圏にしがみつくなら、それは醜い。

私は自分をあんまり好きじゃないくせに、臆病者なのでずっとそうしてきた。だからそれが醜い生き方だと痛いほど知っている。

汚い、と思う。

答えを保留にしてごまかしたり、まだ分からない、と答える。

本当は何かが分かる、なんてありえない。分からないけれど、決めるのだ。現実を切り開くために。過去を現在に変えるために。

分からない、とは思考を放棄する時に使う言葉。まだ、と加えることによって、そのうちに、という未来を匂わせる。匂わせておいて同時に「どうだか分かりません。責任は負いませんのであしからず」とも暗示する。

吐き気のするほど、汚い、と感じる。

それはかつての私。

だからだから信じられない。

嫌悪感が奥底からこみあげてくる。

身動きできないまま、その吐き気みたいなものを感じている。ずっと感じている。

それは私から生きてゆく力を急速に奪う。

非建設的な悲しみを感じながら、他人事のように、弱ってゆく自分を見つめている。

まるで何かの実験のように。

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