夕飯を食べ終わって携帯を見たら人からメールが届いていた。
人生は一度きり。
望まずして、こんなもの欲しくないと語りつつ
いくつもの幸せを手にする人もいれば
たった一つのものに懸けて
すべてを失う人生もある。
風呂から上がって携帯を見ると、今度は写真が届いていた。
秋の木立が少し逆光気味に写してある。無意識なのかもしれないが、この人は自分の感情そのものを楽しんでいるのだと思った。
深夜、パソコンを開いてみて歳の離れた友人からのメールに気付いた。
わずか数行の短い、アドバイスのような気休めのような言葉。
少しシニカルな書き方。おおげさにならないようにと彼なりの心遣いなのだ。
夏頃だったろうか。
つらい時。神田の古い喫茶店でお茶を一緒に飲んだ後、私が歩き疲れるまで、連れまわしてくれた。
別れ際に友人の顔をじっと見た。自分では微笑んでいるつもりだった。感謝の気持をなんとかあらわしたかったが、言葉にすれば涙があふれて止まらなくなりそうだった。
彼も私をじっと見た。何を考えていたかは分からないけれど、私の様子に不安を抱いたのかもしれない。
車のヘッドライトでときどき彼の瞳が静かに光った。
今、友人に返信を書いていたら、涙が止まらなくなった。
目の前にいなくても、やはり彼には甘えてしまう。
甘えが入ると感情的になっていけない。
助けて、助けてと、叫び出したくなる。
知っている。誰にも助けられない。自分を救えるのは自分だけだ。しかしもう、私は自分を助ける気もなくなってしまっている。
自分の感情からどうしたら逃げられるだろう。もう向き合うつもりはない。命が終わる時までそのつもりはない。
仕事にたんたんと取り組んで、私は私でなくなりたい。
私を私たらしめるものは感覚と感情だ。その二つが死んでしまえば、私はいなくなる。ほんとうに空っぽになれる。
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