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2009年1月

じかんは いつも

ダルくてダルくて午前中はずっと寝てしまった。

昼、所用を済ませるため外出。

帰宅して昼食を食べた後、また動けなくなって寝込んだ。

夕方、そろそろ起き出してほんの少し台本を書く。

その後、友人とお茶。

別れた後、探し物があって本屋をうろついていると、親しい人から電話。

夕飯を食べることになった。

仕事や生活のことなど話していると瞬く間に時が過ぎた。

苦しいこと悲しいことばかり話す私って、端から見たら、「重た~い女」なんだろうなあ。

イヤだなあ。

だけど聞かされる側はもっとイヤだよね。ごめん。

改札で見送っていたら、ふいに涙がこぼれてきた。これからのことを考えると不安で耐えられなかった。

時間はいつも、人と別れた瞬間から流れ出す。

ばいばーい、と手を振って、歩き出す。すると、また私だけの、一本道が始まる。一本道では何があっても誰にも助けてはもらえない。獣が道をふさいでも、暴漢が襲ってきても、私一人で立ち向かわなければならない。

私の涙に気付いたらしくその人は駆け戻ってきてくれた。遠くにいるからもう見えないと思ったのに。

我ながら情けないが、少し落ち着くまで一緒にいてもらってから別れた。

大丈夫、大丈夫だ。

今の私の使命は、仕事をたくさんやること。体調に気を遣うこと。劇団を運営すること。

これ以外に、何もできない。体力的にも精神的にもそれが限界。

割り切ってかからないと、自分が壊れる。今、壊れるわけにはゆかない。

他のことを求められたら躊躇なく、逃げ出そう。心の自由を奪われる前に。

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とつぜんあらしのごとく

久しぶりに家人が訪れた。

この家の本当の持ち主たちだ。

長年に渡り、居候させてもらってて、ほんとに申し訳ない。

ごめんなさい。

でもここに越してきてから仕事やりやすいです。

窓がいっぱいある部屋って、原稿書くのにいいんだよねえ。

飽きたら空見ればいいし。

空に飽きたら、また原稿書けばいいし。

割と不思議がられるのだが、

家人がテレビを見ていても、

劇団員が横で音を出す作業をしていても、

私は原稿を書くことができる。

そんなに気にならない。

たぶん、その必要性について十分理解ができているからなんだと思う。

家人が横でテレビを見ている。→ 彼らの家なので好きなところで好きなことをする権利がある。

メンバーが作業をしている。→ 私の仕事を直接的に手伝うか、公演の準備をしている。しかも私の側でなければできない内容の作業である。

要するに、筋が通っていれば、気にしないでいられるのである。

理屈じゃなく、うるさいのはダメ、という人もいるだろうが、

私は理屈が合えば、ある程度OK。

仕事に関する集中力ならなんとか調整可能である。

今日は区役所に行った帰り、いいお天気なのでなんとなく歩き回っていたら、突然空腹で倒れそうになった。

衝動的にラーメン屋にふらふら入り、海老ワンタンメンを注文。一気に食べた。

最近こういうパターンが多い。

油断して歩いていると、突然、発作的な空腹に襲われるのだ。一種暴力的と言ってもいいくらいの、激しい腹ペコ状態。

そんな時の私は冬眠明けの熊のような目つきになっていると思う。鼻もヒクつかせているに違いない。

原稿書きでほとんど家に缶詰状態だから、ストレスたまっているのかなあ。

過食、というわけでもない。

とにかくだんだんお腹が減るのではなく、突然、嵐のごとく、なので困る。

倒れそう、と思うけど、ほんとは倒れないんじゃないかな。

今度、実験してみよ。

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ことば が こーちょくか する とき

言葉ってナイフと一緒だ。

人を思い切り傷つけることができる。

言葉は論理を表すもの。だと思いたい。

感情を表現するのには、言葉は足りない。表情なり、行動なり、何かもう一つ必要だ。

言葉は自由でなければ。いや、そうあって欲しい。

自由に発することが出来なくなった時、その関係は終わるのだと思う。

恐怖に心が支配されたら、自由は失われる。言葉は硬直化する。

衣食住、というけれど、それに私はもう一つ、言葉、をプラスしたい。

生きるために、最低限保障されるべきもの。

言葉。

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雨 ゴミ捨て

昨日、今日とつらいことが続いた。

なにかと大切な時期なので仕事と体調を整えることに集中したいが

うまくゆかない。

自宅にいながらこれだけストレスが多いというのは問題があると思う。

なんとかしなければ。

一番大切なのは不快な事柄から距離を置くこと。

不快な状況を避けること。

解決しようとしないこと。今は仕事と体調に気をとられて、それ以外の問題を解決するエネルギーを持っていない。ドツボにはまる前に逃げ出すしか術はない。

今を大切にして常に未来を描くようにすること。楽天的過ぎてもいいから、夢物語でもいいから、計画を立てる。未来のために今何ができるか、楽しみながら考えてみる。

人から否定されても沈黙を守りつつ自分の知恵と勇気にささやかな誇りと自信を持ち続けること。

無理に認めてもらおうとしないこと。私の考えや仕事や人格を尊重しない人は世の中にたくさんいる。その事実を受け入れる。日常的に接する人がそのうちの一人だったとしても、気にしない。いちいちショックを受けないようにする。

知能や身体性など、持って生まれたすべての能力が自然に伸びるよう、さりげない目配りで育ててくれた親と周囲の人たちに感謝し、自分を粗末に扱わないこと。

夜、具合が悪くて寝ていると、親しい人が訪れた。

先週も会ったけれど随分久しぶりな気がした。

ケーキとスティック状のパイを差し入れてくれる。町角にある昔ながらのケーキ屋さんのもの。

お茶を飲みながら、語りあった。

身体の中に澱のように溜まっていた、悲しかったこと、つらかったことが

少しずつ流れ出してゆく。

帰りがてら、ゴミ捨てを手伝ってくれると言う。

雨の中、背の高いその人が窮屈そうに身を屈め分別しているのを見て、思った。

何があっても、大丈夫なんだ。

優しさで支えてくれる人だっている。

私も強くならなくては。

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らびりんす から だっしゅつ する

ゲームの台本って、パソコンで囲碁をやるのと似ている。

実際に人と碁を打つときは、手は一つしか選べない。

これは通常の物語を書く時も同じ。

いくつかの筋道を思いつくが、最終的には選ばなければならない。

選択の連続、が勝負事であり、通常の物語なのだと思う。

しかしパソコンで囲碁をやる時は、何手も試せる。(私がやっているゲームはそうだ)そしてそれぞれの手の三手くらい先まで確かめたりもできる。

ゲームの台本はこれにあたる。

いくつかの手をそれぞれ、あるところまで追い掛けて行って書く。

ゲームをやる人が選択できるように、選択肢を用意するのである。

芝居の台本は迷路をさまよいながら書いて、作者自身が物語の出口を見つけてしまう。

見つからない場合でも「出口がない」という結論に至ったり。

ゲームの台本を書くという作業は「迷路そのものを構築する」という仕事なのだ。

私のように瞬発力で書くタイプにはもってこいの仕事なのかもしれない。

ただし、私自身はあまりゲームをやりたいとは思わない。

何故なのかなあ。

囲碁とか、バドミントンとか実際に人と向かい合うゲームにしか興味がない。

頭の中の世界=ラビリンス からいつも脱出したいと望んでいるからだろうか。

結局、身体を使うしか、脱け出す方法はない。

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ひみつ の じかん

家に缶詰になって台本を書く。疲れたら眠って、飽きたらご飯に美味しいものを作って。

という生活が特別楽しく幸せなものだとは思っていなかった。

ちょっと幸せ、くらい。

実際、生活状況の変化でそれがむつかしくなってしまった今、

なんて幸せだったのだろうと思う。

集中して快調に筆が進んでいても、いつ中断しなければならないか・・・・・・。

誰もが私の仕事を理解し尊敬してくれるわけではないということは分かっている。

仕方のないことだけれど。

自由がなくなった時、私は書けなくなる。

誰にも知られない秘密の時間。それがないと、窒息する。心が翼を失って、飛べなくなる。

今の日常はまさに苦痛に満ちているが、自由さえあれば。

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おとな の あかちゃん に なる

親しい人と大学時代属していた演劇サークルの先輩の芝居へ。

先輩は中盤から登場。雰囲気が個性的だからこういう大胆な柄の着物が似合うなあ。

こんなに着流しの似合う人ってテレビの時代劇以外では初めて見た。

カッコイイ。

普段から和服着ればいいよ、と思ったが、考えてみたらこの柄は日常生活にはちょっと特殊かも。

終演後に分かったのだが、主役の「小山力哉」さんには若いファンが多いようだった。私もちょっと好きだ。ジャック・バウアー声で喋っているところを見てみたい。

楽屋に寄って、先輩に挨拶。優しい笑顔で迎えてくれた。

その後はペットショップで子犬と子猫を眺めた後、ミッドタウンというところ?に行ってケーキを食べた。

帰り道、近況を話しているうち、不覚にも少し泣いてしまった。彼は稽古場の最寄駅までついてきて話を聞いてくれた。

確かに私の未来は私に掛かっている。私は一人で、自分で、何とかしなければならない。

でも、友人たちや家族がいる。

彼らがいれば、何とか乗り切れそうな気がする。

どんな仕事でもがむしゃらにやろう。芝居もやろう。

今は、ネガティブな気持になるような一切の事柄から離れて、前に進むための努力をしなければ。

悩むのもいい。愚痴るのもいい。それが何らかの前段階であるならば、否定はしない。

でも、それだけで毎日終わるのは嫌だ。それに悩みや愚痴をぶつけて人を傷つけるのも嫌だ。されるのはもっとイヤ。

さまざまな状況が私に「大人になること」「自立すること」を求めている。

おそらく、去年あったいいことも悪いこともすべて、私がこの状況を乗り越えるための準備だったのかもしれない。

毎日泣いてばかりいるけれど、これも大人として生まれかわるためのステップなのかな。

子供は泣きながら産まれてくる。

年取った子供の私も、泣きながら、とうとう「大人の赤ちゃん」になる時がやってきた。

「大人の赤ちゃん」は誰も育ててはくれない。可愛くないからね。自分で育つしかない。

まあ、やってみましょう。

稽古では他の作家の台本を読んだ。

台本はやっぱり目でよむより、読み合わせしたほうがよく分かる。それに面白い。とても楽しかった。続きを早くやりたいと思った。

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まいにち じゃーじ

発注元との取り決めで内容は書けないが、膨大な量のシナリオを書いている。

はっきりいって映像系の仕事より、キツキツなスケジュール。

今まで気合を入れて書かなくても人から「早いね」という評価しかもらったことがなかった。だから今回も普通に書いて入稿していたのだが、なんと「もっとペースを上げろ」とのこと。

どうなってるんだ?

映像系よりも、厳しい業界なのかしらん。

ということで今は80%くらいの力で出力中。

こんな生活をひと月以上も続けなければいけない。体調に気をつけないと、えらいことになりそうだ。

一度寝込んだらあとがない。挽回しようにも、今80%だもの。あと20%しか伸びしろがない。

演劇以外でのシナリオの仕事って、クリエイターというより「エンジニア」に近い気がする。頭の変なところが疲れる。

合間合間に筋トレとかストレッチとかをやる。運動不足だと便秘と下痢を繰り返しやすい。

あとは料理。

といっても凝ったものは作れない。なんとなく買い物に行く気が起こらないからだ。

一日でいいから休みが欲しいなあ。

だけどその後が地獄になりそうだし。うーん。

こういうのを考えると、台本の仕事は時給はいいけれど(時給ではないが、あえて換算すると)、やっぱり派遣とかアルバイトのほうが、精神衛生上はいいのかな。

あんまりお金はよくないのかもしれないけれど。

身綺麗にして、朝電車に乗って、という生活はやっぱりいい。

去年一年間、断続的に働いてみて思った。劇団のオフ期間であれば、両立の必要もない。

まあだけど、ずっと死ぬまでその生活って思うと、イヤになってしまうのかな。

この仕事が早めに終わったら、OLっぽい仕事もちょっとやりたいな、と思った。新しいソフトとか教えてもらえるし。お金をもらえてしかも教えてもらえるなんて。結構楽しいな、と思う。

一人ぽっちでやる仕事、向いてるとは思うけど、何だかなあ。

毎日ジャージだし・・・・・・。

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はずかしくても

最近、精神状態が直接体調に響く状態なので

気持がかき乱されないように注意深く過ごしている。

普段から思っていることだけれど、ネガティブな雰囲気を出している人とは

あまり一緒にいたくないなあ、と強く感じる。

現場などで、よく前の仕事の雰囲気を引きずってくる人がいる。あれはいただけない。

まあ楽しい雰囲気を引きずって、フワフワしてる分にはまだいいが、

バイトだか仕事で何があったのか知らないが、

今日は何もやる気はありませんし、話を聞く気もありません、というある種の妖気のようなものを漂わされても、

こちらとしてはどうしたらいいか分からない。

現場の雰囲気も悪くなるし。距離を置きたくなる。

日常生活でも同じ。

何か一つのことを言うのに、ネガティブな言い方をする人がいる。

否定語をやたら使う人。

それは違う。

そうじゃない。

「~じゃなくはないんだけど」これは二重否定。

否定語がダメ、というわけではないが、それだけで話をされると、訳が分からないし、前向きな気持が消えてくる。

ものを否定するだけでは、言い表したいことを「特定できない」ということに気付かないのだろう。

明瞭に言い表すためには、否定語と、特定する言葉、をうまく組み合わせなければいけない。

楽しくないことはないんだけど。

じゃあ、楽しいって言えばいいじゃん。

あるいは普通なら普通、つまらないならつまらないって言えばいいじゃん。と私は思う。

照れたり恥ずかしがってばかりいると、

大切なものを失うような気がする。

素晴らしいことに対して大きな声でほめる、たたえる、素敵ねと伝える。

それって大人になるとちょっと恥ずかしいんだけど

愛や好意やメンバーシップを共有するためには

必要な勇気だと思う。

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よろこび の しょくたく

夕方から打合せのため外出。

携帯電話のゲームの仕事がいよいよ始まる。

今日は仕事をくれたライターさんと私、二人で打合せ。

優しい気遣いのある方でお役に立ちたいという気持が自然に沸き起こってくる。

最近、暗い気分が続いていたが、久々に前向きな気分になった。

帰宅後、スーパーへ。

今日は鮭の混ぜご飯とつみれ汁を作ろう。

作っていると友人から電話。会社帰りに家に寄るという。

しばらくすると大きなトランクを引きずって現われた。彼女はスポーツ新聞のカメラマン。厳しい世界でバリバリやっているいわゆる「できる女」だ。

夕飯を一緒に食べた。

彼女は私が作ったものを美味しい美味しい、これどうやって作ったの?お代わりとか、連呼しながらがつがつと食べてくれた。

やっぱりこうして喜んでくれる人のために作るのはいいな。

そうじゃないと無力感ばかり強くなる。

酒豪だが連日飲み過ぎだから今夜は酒抜きで、とのこと。

おつまみとして用意していたものをお茶を飲みながら一緒に食べた。

彼女とは割とちょくちょく会っているが、とりあえず近況報告。

驚きながらも励ましてくれた。友だちって本当にありがたいものだな。とつくづく思う。

友だち少ないから余計そう感じるのかな。

彼女の後姿が消えた路地を長いこと眺めていた。

また会いたいなあ。でも甘えてしまってはダメだ。もっと自立しなければ。

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にせんきゅうねん

2009年が始まった。

時間って不思議だな。

全部つながってるけどつながってるままだと不便だから

ここまでが2008年でここからが2009年、と区切ってるだけで。

でも時間そのものは区切れないしシルシもつけられない。

ともあれ、とりあえずみんなが2009年だ、と言ってるわけだから私もそれが始まった、ってことを信じてみよう。

今年は人生初めてのことばかり経験する年になりそうだ。

大学時代からの友人に会ったのでそんなことを話した。

私の身に起こった出来事に、彼女はいちいち涙ぐんだり、大きく頷いたりして耳を傾けてくれた。

そして現段階での状況を話すと、顔を喜びに輝かせて言った。「嬉しい。ほんとに嬉しいよ」

不安だと告げると彼女は興奮した様子で言った。「私がいる。大丈夫だよ」

うん。そうだね。

私もね、あなたがいるから大丈夫だと思う。

昔から私は度胸があるほうで、あなたは気が弱いって見られがちだけれど

本当は違う。

私はすごく臆病。でもあなたが目の前にいると何故だか勇気がわいてくる。

いつも、私の心を守ってくれてありがとう。

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