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2009年4月

こうげき と しげき の ちがい

問題がある、という話を何度か聞いていたので、

普段は参加していない劇団員ミーティングに参加してみた。

確かに雰囲気が良くない。

自由に発言できる感じがあまりない。

メンバーはふだんはあんなに仲良しなのに、何故だろうと思った。

逆に言えば、仲良しじゃなくても普通、仕事場ではもっと有意義で刺激的な話し合いをするものだと思っていた。

報告に関して、ねぎらいや気遣いの言葉がほぼ皆無。

明らかに礼儀として感謝の言葉が必要なシーンで、それがないこと。

仕事に関する話し合いなのに感情的な表現や、無駄にトンがった言葉、ネガティブな表情が多いこと。

反対に、ポジティブな反応や喜びを分かち合う機会に乏しいこと。

などが原因だろうと思った。

みんな芝居が好きだから役者たちもそれぞれ制作面のスタッフワークをこなしているが、それ自体に楽しさややりがいがなければ続けられない。苦労と同じだけの喜びがなければ。

だけど、これでは楽しみを感じることなどほど遠い。

ふだん雑談なんかしてる時にはそうじゃない人が、何故仕事となると、こうなってしまうのか。

仕事って右から左にさばくってことじゃないのになあ、と思う。

「正確な言い回し」と「キツイ言い回し」は全然違う。

「攻撃的なひとこと」と「刺激的で興味深いひとこと」はまったく違う。

もっとみんなが自由に楽しく仕事ができるよう、私も何かしなければ。

今は創作面の仕事だけで手一杯で、制作面の作業はほとんど手伝うことができないが、打ち合わせに参加して、刺激物としての役割を果たすことくらいはできる。

役者の仕事もスタッフの仕事も知的な喜びを伴う作業には変わりない。

その楽しさをみんなが存分に味わえるよう、どうにかしたい。

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つぶやいたかいすうだけ

少し過剰労働気味なせいか腰がひどく痛む。

精神状態もあまり良くない。

朝から晩までずっとくらーい気分。

理由は分からない。

思考は常に安易な自己否定に走りがちである。

仕事はできる状態だが、少し息抜きしたほうがいいかもしれない。

深夜、再放送の番組を見た。たった一人、武力解除のための活動をしている女性の話。

すごいなあ。強いなあ。それなのに突っ張った雰囲気もなくて、素敵な人。

私もあんな風にちゃんと生きられるようになるんだろうか。

いや、精神的なところだけでも、自分の脚でまっすぐ立てるようになりたい。

友人たちの中で、私だけが頼りなく、ダメ人間に思えてきて、どうしたらいいのか、途方にくれてしまっている。

ちゃんとしなくちゃ、って気負ってばかりいると、何だかすごく落ち込む。

いつも「助けて」「助けて」と心の中で呟いてばかりいる自分がいる。

誰も助けてなんかくれない。

呟いた回数だけ、そのことが分かる。

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あえなくなったひとに

大学の時に、お世話になった先輩が

血のつながった兄になるという夢を見た。

古い電車の車両を棺桶として使っている鉄道マニアがいる、とのこと。

一緒に出掛けて行って、どんなものか見た。

電車に詳しくないので分からないがその車両は貨物列車の牽引部分のようだった。

見知らぬ人の遺体を二人でぼんやりと観察。

こんな巨大な棺桶をどうやって火葬場で焼くのか、と思った。

その後、もう会えなくなってしまった友人に偶然出会う。

夢の中で泣きながら謝っていた。

何を謝っていたのかよく分からない。

目が覚めるとものすごく落ち込んだ気分になっていた。

ここ数日、なんだかつらい。

もっと楽しいことを考えなくっちゃ。

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ゆめもなく おそれもなく

午後、たまっていた仕事を片付けた。

仕事の途中、突然睡魔に襲われた。

気付くとソファで横になっていた。時計を見ると1時間が経過……ああ。

夜は、友人と夕飯を食べた。

この人は歳が離れているので人生の先輩という感じ。

だけど、決して叱ったりたしなめたりしない。じっと話を聞いて、自分なりの意見を伝えてくれる。

話しているといつも

いつの間にか自分の矛盾点や弱点に気付かされる。

その一方で不思議なことに、自信と誇りも心によみがえってくる。

おそらくこの二つの効果はこの人のねらいどおりなのだ。

生活を楽しむ、ということが分かっている大人の人間。たくましくて、しぶとい。

私もいつか、こんな風になりたいなあ、と思う。

しかし楽しむ以前に、もうちょっとちゃんと生きないと。

深刻になり過ぎず、感傷にとらわれず、あくまでも現実的に。

ルネッサンス時代、「夢もなく、怖れもなく」という言葉を書斎の入り口に掲げていた女性がいた。

夢もなく、という言葉の意味は、とてつもなく深い。夢を見ない、ということとはまったく違うような気がする。

現実をどうするか、を見据えて、そこから逃げない、背を向けない、という意味なのかな。

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しなだれ

午前中、クリスマスのイベントの件で柏から打ち合わせの電話。

先日の小さな提案が通ったようだ。

とても嬉しい。少し6月7月が忙しくなるが、頑張ろう。

制作とともに横浜へ。

年末のイベントについて、劇場と打ち合わせ。

夕方、そのままリハーサル会場へ。

二度目の音楽あわせをピアノで行った。

通しに合わせて、タイミングと楽曲の内容について確認。

ハーピストのAちゃんと久しぶりに顔を合わせた。いつ会っても気持のよい人だ。

次のリハはいよいよグランドハープと合わせる。とても楽しみだ。

芝居は通して見てみたら長いので

やはり台詞をカットしなければならないと感じた。

ただし余分な間などもあるからまずはそれを取り除いてから。

自分の頭で考えようとすれば当然、「自分は孤独な存在である」という事実を認めざるを得なくなる。

自分の考えを持つ前に、他人に相談する人もいる。

謙虚っぽく見えるけれど、私はどうかと思う。

それは依存。

やることをやる前に評価ばかり求める。それも依存。

他人から注目を浴びなくてもほめてもらえなくても構ってもらえなくても、自分の足だけで立っていられる。そんな時に評価は与えられるものだ。

心も身体も弱っていないのに他人にしなだれかかるのは、

ありかたとして美しくない。

私も時々、醜く寄り掛かってしまうことがある。

嫌だねえ。

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おやびん

午前中病院。

血を採られ、ちょっと貧血気味に。

たいしたことない、というか気分的な問題だろうが、帰り道、陽射しにくらっとする。

午後、去年の夏に出産した劇団員が遊びに来た。

二人でケーキとお茶。

母である彼女はとても小さいのに、息子は大きい。

まだ7ヶ月というのに、よゆうで1歳児に見える。

威厳のある表情をするなあ、と思っていたら、家では「おやびん」と呼ばれているそうな。

なるほど。可愛い親分さんだね。

赤ちゃんをはさんでお互いの近況など語り合った。

時間はあっという間に過ぎて私は稽古場へ。

彼女は家へ。

とてもよい気分転換になった。

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疲労

疲労が激しく午前中いっぱい寝てしまった。

午後、起き出して作業。

その後、舞台監督と打ち合わせ。

夜は稽古場へ。

昨日の音楽合わせを踏まえ、演出に手直しを加える。

それにしても頭がぼうっとしている。

やっぱり一日くらい寝てないとダメかもしれない。

明日は、そうしてみよう。

夕飯は、客演の女優さんとメンバーでファミレス。

いろんな人がいるなあ、と感じた。

人は仕事でも恋愛でも必ず同じことを繰り返すのだと思った。

それがイヤだったら自覚して、意識的に生きるしかない。

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ながい いちにち

午前中は作業。

古いメンバーが手伝いに来てくれた。とても助かるなあ。ありがとう。

だけど何だか身体がつらい。

学生の時はすごく体力なくて、毎日疲れて疲れて仕方なかったけれど、今はちょっとそんな感じ。

プールで泳いだ後みたいに身体中に倦怠感がある。

午後から稽古場へ。

今日は初めての音楽合わせ。

音楽監督のSさんは今回も刺激的な提案をいくつもしてくれて楽しい。

深夜までかかって何とか形になった。

後は木曜日、通し稽古にとりあえずピアノで合わせてみて、最終チェック。その後、ハープでリハーサルとなる。

帰宅する途中でスーパーに寄ったら、思いがけずたくさん食料品を買ってしまった。重たい荷物を台所にどさっと降ろすと、涙が出てきた。家に帰ってきてほっとしたのかな。

疲れたね。

今日は身体中が痛くて、しんどかったね。だけど、全部やり通せてよかった。

ソファでわあわあ泣いたら、少し食べられるような気がしてきた。

納豆にほうれん草、野菜炒めにご飯に味噌汁。

スポーツ番組をいくつか見る。そのうち寝てしまった。

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ひとり がけっぷち

稽古場から生活に戻ると途端にゆううつ。

悲しい気分。

だけどしっかりしなくちゃなあ。

いいこともたくさんあるよ。これから。

そう思いたい。

今はもう会えない人も、みんな幸せになりますように。

私も、崖っぷちから、少しでも離れたい。崖から離れた安全な場所で静かな幸せを手に入れたい。

できるかなあ。

今はひとり崖の上、足がすくんでしまって、身動きとれなくなっている……。

孤独と恐怖に耐える強い心が欲しいです。神さま。

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じゆう で いるために

お前という人間は勇気がなく、ごまかして生きている、と言われた。

心外だった。

嘘、ごまかし、どちらもいちばん私の嫌う生き方だ。

どうしてそう思うのか、理由を訊いたが、教えてもらえなかった。

私の言っていることがいかにも嘘っぽく聞こえる、ということなのかもしれない。

自分の身によほど危険が差し迫った時でもなければ、嘘などつかないのに。

だけど、その人に信じてもらえず、卑怯者だと断定されたということは、やっぱりそういう胡散臭さみたいなものが私にはどこか漂っているのだと思う。

無意識に嘘ばかりついているのか。

ジンマシン先生が教えてくれたのもそういうことかもしれない。

「平気平気」っていい加減なこと言うなよ。

本当は落ち込んでるんだから、どっぷり暗い沼に浸ってろ。

そう伝えに来たの?

ううん。

私はね、沼に沈没なんかするもんか。

今は、自分の身体と心を守るためには何だってする。

卑怯って言われても仕方ないのかも。

きっと全部ごまかしなんだ。私が考えてること。思おうとしていること。

でもつらさと悲しみから救われて、今生きていられるのだって、ごまかしのおかげ。

私自身が勇気と呼ぶものに背かなければ、それでいい。

人が私をいくじなしと呼ぶ自由もあれば、

私が自分のやり方で生き抜く自由もあるのだ。

他人から認めてもらえないのは淋しくつらいことだけれど、その現実から目をそむけてはいけない。

その現実にきちんと向かいあえなければ、自分が自由でいる資格はないのだから。

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ジンマシンせんせい へ

稽古場で鏡を見たら、顔にジンマシンが出ていた。

演出助手が「わあっ」と声をあげる。

「あ~あとうとうきたか」という感じ。

平気平気って適当にごまかしているといつもこれが来る。

医者に行く気はしない。「ストレス性ですね」と片付けられて、いつも同じ眠くなる薬をくれるだけだからだ。

ここのところ精神的にキツイことが続いていたけれど、「何でもない」と考えないようにしていた。

そういう時が危ない。発熱して赤い斑点みたいなのが出てくる。だけど顔に出るなんて嫌だなあ。いつも身体だけなのに。

明らかに落ち込んでる時は出たことがなくて、ごまかしてる時だけ。

「気をつけろ」というサインなのかもしれない。

あなたを支えている人はたくさんいるでしょう、とよく言われる。

そして多くの人がそう言っては去ってゆく。

そう言われるゆえんは

多くの人に囲まれて仕事をしているせい?けれど、それは一瞬だ。

台本書きを生業としているせいでほとんどの時間は一人。

冬から春にかけ、人生においてある決断をした。

それは客観的に見ればおそらく奇妙な選択で、そのため親しくしていた人の幾人かが私と距離を置き、あるいは去っていった。

自分の足で立とうという気持に満ちている時は、

人の支えを実感する。

しかし、気持が落ち込んでいる時は、

支えてくれる人などどこにもいないのだという気がする。

つまりは捉え方次第ということか。

頭ではいろんなことが分かっているけれど、

身体はうまくついてゆかない。

大丈夫大丈夫って、言い聞かせるのってそんなに間違ってる?ジンマシン先生。

生きてゆかなくちゃいけないし、そのために笑顔でいたいんだよ。

怖いものや嫌なものって見つめ過ぎると、目を離せなくなって身動き取れなくなるじゃない?

だから。

何でもない。大丈夫って言いたいの。

だけどあなたはいつもそういう時に顔を出す。

私に、何を知らせようとしているの?

あなたが出てくると、涙が止まらなくなる。自分の限界を感じて、泣けてくるよ。

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ねむねむ の いちにち

午後、千葉の柏で打ち合わせ。

クリスマスに関わるイベントについて、大学の職員の方と話し合った。

帰り道、寝過ごしてしまい、気付けば「お客さん、終点です!」

お掃除のおじさんに腿を思いっきりひっぱたかれた。

よほど寝呆けていたのだろう。

しばらく目が覚めなくて、なかなかトイレにたどり着けず上野駅構内をさまよってしまった。

構内では本当にさまざまな美味しそうなものがあり、寝ぼけたままいい匂いにつられて右往左往。あやうく、お腹が減ってもいないのに、おむすびやロールケーキやイチゴのお菓子を買ってしまうところだった。

頑張って山手線に乗ると、また眠気が……。一度眠いモードに入ると、ずうっと眠いんだよねえ。く、苦しい。

稽古場へ着いてメンバーと話しているうちに無事覚醒。

結局、稽古から帰ってご飯を食べたらバタンキューで寝てしまった。やらなくちゃいけないこと、いっぱいあったのに。

最近いろんな場所で感じることだけれど、他人と自分の区別がきちんとついていない大人が増えている気がする。

自分が何を思うかは自由。でも他人も自由。

人と人とは空に向かって生える樹のようなものだ。どこまで伸びていっても一緒の樹になったりはしない。

大人になるってことはその淋しさを引き受けた上で人と向き合うということなのかな、と思う。

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はなのぼんぼり

稽古はオフ。

いいお天気。そよ風が吹いている。

一日家で仕事をした。

陽射しが傾きかけた頃、風呂場をふと見たら窓がピンク色に染まっている。

窓を開けてみると、隣接する公園の八重桜が満開。

見えるのは花と葉っぱだけ。

向こう側にあるアパートのビルがまったく見えないくらい。

これならあちらからはまったく見えないんじゃないかなあ。

ということでお花見しながら入浴。

四角い窓の向こうに大気にかすんだ夕陽と桜のぼんぼり。風流です……。

失われた愛を無理やり取り戻すことはむつかしい。

なのに、そうなってみると、相手をやっつけようとする人がいるのは何故?

そんなことをしても相手の心は決定的に離れてゆくだけだ。

プライドを保つため?溜飲を下げるため?

物語にはよく登場させるし、描いてもみるのだが

私には分からない。実は。

理解できないから繰りかえし書いてみるのかな。

愛を継続させるには、努力が必要なんだと思う。

日常はたしかにハイイロに続く。そんなことは分かりきっている。

しかしハイイロハイイロ、と相手に呟けば、愛は荒み、風化するだけだ。

ハイイロの空にささやかでもいいから夢や希望を飾りつけてそれを星のように見上げ、時々は手を伸ばして掴もうとしてみる。そしてその空の下、互いに喜びや楽しみを伝え合う。

そんなアクションが必要なのだと思う。

それが「面倒くさい」「できない」となった時に、関係はすでに終わっている。

ハイイロ、と呟くなら相手はいらないのだから。

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崖っぷち

おととい、昨日と気合入れて仕事しすぎたかもしれない。

すごーくダルい。

でも午後から演出助手と打ち合わせなので、午前中に一人でやるべき仕事は済ませておかなければ。

ムクっと起きて、とりあえず仕事。最近、ダルくても投げ出さないようになったなあ。

まあさぼるとあとのしわ寄せのほうが大変だからね。

昼、テレビつけたら「真夏日まであと一歩」だって。

そうか。暑いからこんなに頭がクラクラするのかな。血管開いて血圧下がってるのかも。

昼下がり、Hちゃんと小道具・衣装などについて打ち合わせ。

私は狂犬病のようにウロウロ歩き回りながら水をガブガブ飲む。

仕事はとてもはかどった。

夜、人とご飯食べていたら、少しのことで気が高ぶり、涙が止まらなくなった。

たいへんな迷惑を掛けてしまった。

崖っぷちにいるせいか、神経過敏になりやすい。

一人で何とかしなくちゃ、しっかりしなきゃ、頑張らなくちゃ。毎日、自分にそう言い聞かせるのはいいんだけど、気を張り詰め過ぎたらいけない。もっと気楽にどっしり構えなくちゃ。

そうじゃないと、重た~い人になってしまう。

心身ともにギリギリな時は人に一人称で何かを語るべきじゃない。

ソファでうたた寝していたら、恐ろしい夢を見た。

メールが何通か届く。

「あなた(私のこと)はおかしなことばかり言っているから、女ではなく、男だと思うことにする」

「あなたがそのうち死ぬに違いないと確信している」

そんなメールが同じ人から届く。

以前、現実世界で怖いメールをもらったことのある人からだ。

私はまたいつものように意気地を失いビクビクする。すると、二つある玄関のうち、どちらかから、物音がした。その人が鍵をこじ開け、侵入して来たのだ。「助けて」と思うが、家の中には私しかいない。しかも私はソファから起き上がれない。「メールはどうやって読んだのだろう……」夢の中でうっすらとした疑問を抱く私。そうしている間にも物音は迫ってくる。「助けて、助けて」と小さく叫びながら目を覚ました。

明け方。

大丈夫だよ。何も心配はいらない。

何度か口に出して、言ってみた。

大丈夫なんだよ。

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ながい さんぽ

午前中ちょっとだけ台本の手直し。

昼過ぎから打ち合わせを2件。

夕方から稽古場へ行く。

練習の合間にバナナを一本食べた。

おやつに家から持って行ったのだ。

「スウィーティ」というバナナ。近所のスーパーでは、2種類のバナナが売られており、普段は何も考えずに安いほうを買っていた。バナナってあまり好きじゃないからだ。

だけどこのスウィーティってやつは……すごく美味しいじゃないか!口当たりがいい。一本あたりにして10円未満の価格の差だが、いつも食べてるのと、全然違うと思った。そもそもバナナって美味しいと思ったことなくて、疲労回復とか健康のために食べるものだと決めつけてたし。

稽古帰り、役者さんが、随分遠くの駅まで歩くという。

道案内がてら、一緒に歩いた。

たぶん4キロちょっとあったと思う。

よい運動になったよ。最近筋トレもさぼりがちだなあ。ちゃんと鍛えなくちゃ。

夕飯食べながら、だらだらテレビを観た。

NHK特集の「私の声が聞こえますか」を見た。植物状態になってしまった人達への新しい治療法と、回復に向かう患者一家の生活が描かれていた。

あらためて人間の脳の不思議さを感じた。長いこと掛けて、治療すると、やがて小さなことだけれど、家族にとってはとてつもなく大きな奇跡が起こる。

涙が出て仕方なかった。

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ねたり おきたり

土日、昼夜通して稽古だったせいか、身体がダルい。

身体中に乳酸が溜まっている感じ。頭も痛い。

結局、掃除をやってはひと眠り。洗濯してはひと眠り。鍋を洗ってひと眠り。

と、一日寝たり起きたりで過ごしてしまった。

夜は、川沿いの道を散歩。

桜が満開だからかなあ。道が明るく感じる。

街路灯を反射して路面が照らされてるのかなあ。

それとも気分的な問題?

友人とお菓子を買って行って、花の下で食べた。

ちょうど月も出ていて、いい眺めだ。

帰り道、キャベツとレモンを買った。

ほんとはゆずが欲しかったのだが、あいにく無かったのだ。

夕飯に鶏肉のローストとキャベツをレモンドレッシングで和えたものを作る。春らしい味になった。

あとは新しく出来たお惣菜屋さんで買った副菜をいくつか。

考えてみたらお味噌汁も作れば良かったな。

でもご飯炊いて一品作るだけでゼーハーしてしまうなんて、どうしちゃったのかなあ。

友人は美味しい美味しいとパクパク食べてくれた。嬉しい。

一日休んだから、明日は体力回復してるかなあ。

元気になりますように。

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さくら の におい

何だか頭がぼーんやりして、なかなか台本の書き直しが進まない。

とは言っても、もうあと残すは1割くらいなんだけど。

午前中は劇団の雑用。

午後は何もしないで台本のことをなんとなく考えながら、寝そべって過ごした。

夜、友人に誘われて神田川沿いの遊歩道を散歩。

桜は7分咲きといったところだろうか。

今の私は鼻がすごく鋭敏。

生まれて初めてといっていいほどはっきりと桜の芳香を感じた。

すごいなあ。こんなに匂っていたんだなあ。

これに気付いてなかったなんて。これまでなんとな~くしか分からなかったけれど。

爽やかでルンルンしてくるような香り。ちょっとハイになるような匂いだ。

今だけのことだから、よく覚えておこうと思う。

散歩の途中、大きな犬二匹(そっくりだからおそらく兄弟)と目が合った。

一度はすれ違ったのだが、犬たちが引き返してきた。

飼い主さんはリードを引張られ困惑している。

何故だか友人には目もくれず私にグリグリと身体や頭を押し付けてくる兄弟犬。

ちょっと撫でてやると、「もっともっと」とねだってくる。

ええっとねえ、そんなに押されるとよろけちゃうよ。キミ達すごくでかいんだもの。

ひょっとしたらまだ子犬の気分でいるのかもしれない。

甘え方がすごく子どもっぽい。

「可愛いね。いいこいいこ」と声を掛けてあげると、飼い主さんがエヘヘと笑った。

「いいえ、あなたのことじゃありません。ワンちゃんたちのことですよ」という突っ込みはかけないでおいた。

散歩の後は、ハンバーグを食べた。

思い出話などをしていたら、突然、「私は周りの人を不幸にする人間なのではないか」と不安になった。

私と一緒にいる時よりも、私から離れた後のほうが、幸せそうにしている人が多いような気がするのだ。

劇団を離れた劇団員たち。ほとんどが芝居をやめ、ダンサーになったり就職したり、出産したり。久しぶりに会うと皆それぞれに安らいだ顔をしている。

大学時代からつきあってきた歴代の彼たち。

つきあいはすべて例外なく、私が逃げ出してしまう、という結果で終わっており、相手はそれぞれ、数年後に幸せを掴んでいる。(追跡調査まではしていないので分からないが、今もたぶんみんな幸せだと思う)

彼らは、私と一緒にいる時はあまり幸せそうに見えなくて、だからこそ、逃げ出したくなるわけであるが、相手次第では幸せになれる人ばかりなのである。

相手の攻撃性や欠点を変に刺激して全開にさせてしまう、私はそういうタイプの人間なのかもしれない。

他の人の前では普通なのに、私に対してだけ暴力や暴言など異常な行動を取る人、時々いるし。

別に共依存ではないと思う。耐えられないと思ったらすぐに逃げ出すから。

でもその反対に、恐ろしいほど美しく純粋な真心をむき出しにされることもある。

そして意地悪で嫌な人で通っているのに、私に対してだけ優しさと思いやりを示す人もいる。

両極端。

要するに、人の核をなす部分に、直接触れてしまいがちということなのかもしれない。

なんだか人に近付くのが怖い。

深夜、台本を書いた。

こうしたい、こう書きたい、というはっきりした意識もなく、やみくもに綴る。

もやもやとして、なかなかよい感じのシーンになった。

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