« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

ぶっこわしてもいい

ゆうべ、ゲームの台本がひと段落。

今日は髪を切りに行ったり、打ち合わせしたり、本屋に行ったりとほぼ一日外出して過ごした。

夜は、古いメンバー二人が訪ねてきてくれたので近所に出来たパスタ屋で一緒に夕食をとった。

深夜、久しぶりにお通じがあった。

一日歩きどおしだったせいかなあ。

ここ最近ずっと苦しかったお腹が、たいそう楽になった。

ものすごく、スッキリ。

気持まで明るく軽~くなった気がする。

あとは……比較教育学系の新書を読んだ。

自己主張と自己抑制の関係についての記述が、なかなか興味深かった。

日本では、この二つを同一視している傾向があるというのだ。

なるほど。

自分の意見を述べて、「自分勝手」「わがまま」とか「冷たい」って言われたことが何度かある。

その時は、「何でだろう」と不思議で仕方なかったんだけれど、その人たちが二つを同一視してたなら、説明はつく。

私ってただ単に、「我慢が足りない人」に見えてたのかもしれない。

マナーを守らず感情的かつ攻撃的に「自己主張」するのはダメだけど、明らかにその場が必要としているアイディアを持っているのに、「恥ずかしい」とか「でしゃばりだと思われたくない」という理不尽な理由で黙っているのは、不誠実で卑怯だと思う。

自己抑制っていうのは、目立たないように息をひそめることではなくて、自分と違う意見が出てきた時に、それに対して耳を傾け、冷静に考えられるか、ということなんじゃないだろうか。

いわゆる「空気を読み過ぎ」ってのも問題だよねえ。

気を使い過ぎてお互い息が詰まるくらいなら、空気くらいぶっこわしてもいいじゃん。

|

ほうせき を もってますか?

最近思うのだけれど、

私はどうも、ある種の人をすごくイライラさせてしまうらしい。

短気で感情的な人に対する配慮が足りないのだと思う。

それは、認める。

たぶん、普通はそういう人が仕事の場などにいたら、その人の怒りを招かないように配慮して発言するのだろうけれど、

私はやらない。

それをやっていると、遠まわしになり過ぎて、意味不明になってくるからだ。

怯えて口の中でモゴモゴやるのはどうしても性に合わない。

怒りを爆発させる人、感情を必要以上にあらわにする人に遠慮すると、

声の大きい人ばかりが幅をきかせる現場になってしまう。

少しばかり気が弱くても、よいアイディアや能力を持った人が活躍できる、

そういう現場がいい。

少なくとも私が関わる場所ではそれが実現するよう努めたい。

どんな仕事場でも、一番困るのは、能力もないのに声ばかり大きい人(実際、大声かどうかではなくて)。自分の感情ばかり押し付けてくる人。

というか、逆なのかも。

能力がある人は、根底のところで自分に自信があるから、意見が通らなくても落ち着いていられるけれど、ない人は、自信がないので、一つ何か指摘されただけでも自分を全否定されたように感じる。だから常に怒りをあらわにして、恫喝する必要がある……のかな。

よりどころがないのかもしれない。

だけど、自信を手に入れたいと思ったら、自分で何らかのアクションを起こさなくちゃいけないんだよね。大人になったらさ。そこは自己責任なんだと思う。

仕事や趣味に関連して技術を身につけるとか、資格を取るとか、あるいは能力や発想力の点で少し問題があると思ったら、仕事に対する意識を人一倍厳しく高いレベルで持ってみる、とか、何か人に誇れるようなものを、手に入れるのが手っ取り早い。

実際には、他人から何とも思ってもらえないようなつまらない技術でも、経歴でも、いいのだと思う。

自分が、それを誇れれば。口に出して他人に自慢したり、他人に理解してもらう必要がないくらい、自身で誇りに思えれば。ポケットの中の宝石のように。

私が今現在、こんな風に考えることができるのも、これまで、出逢った人々の導きがあったおかげなんだと思う。

素直に感謝。

ありがとう。

|

やりなおせるとしても

午前中は台本。

午後は、役所めぐり。

手続きでいくつか証明書などが必要になったため、合計3ヶ所も回ってしまった。

ああ、疲れた。

高校の時の恩師から手紙が届いた。嬉しくて何度も読み返す。

私の手紙にはいつもユーモアがある、だそうです……。先生がちょっとニヤニヤして読んでいるのは、想像つきますよ。ええ。

特に自分の生活をユーモラスに書こうと思ってるわけじゃないんだけど、現実をシビアに見つめると、ついそういう語り口になっちゃう。

昔から、深刻な状況を正確に表そうとすると、どうしても可笑しい表現になってしまう。ふざけるつもりはないんだけど。なんでかな。

中学の時、「身近な人の死」っていうテーマで作文の宿題が出て、祖父のお葬式の様子を書いて提出したら、国語の先生にはすごくほめられて、みんなの前で読まされたけど、クラスメートには冷たいって言われたっけ……。友だちに言わせると、冷静に見つめ過ぎ、らしかった。

私は冷たくないし、冷静でもない。って言い返したかったけれど、あの時は勇気がなかった。

とにかく、手紙を何となく反芻しながら過ごした。

先生は私が演劇を始めるキッカケを作ってくれた人だ。

おそらく、先生の一言がなかったならば、私は全然違う道を歩んでいたに違いない。

時々、その、「違う道」について考える。

たぶん浪人して理系の大学に進み、何かの技術者になっていたんじゃないだろうか。

そっちの人生も、面白そう。

だけどまあ、もう一度、繰りかえすなら、こちらの道を選びたい。

人が大声で「失敗だ」と糾弾するようなことをたくさんやってきているけれど、それも「込み」で。

現在の厳しい状況にまた性懲りもなく直面するとしても。

もう一度、やり直せるとしても、やっぱり夕暮れの職員室で、作文を読み終えた先生に、「キミは台詞でも書いてみたら」と言われたい。

|

よかん ちょっかん

直感って大事だ。

悪いことが起こる前って、たいてい予感みたいなものがある。

それに逆らうとひどい目に遭う。

いいことが起こる前にも予感を覚えるといいのだが、

それはない。

今のところ。

私の直感は危険を回避するためだけに働いている。

この人から早く離れて。

そこへは行っちゃダメ。

彼女を守らなくちゃ。

黙って。今、喋ると誤解を受ける。

足を踏み外しそう。注意しなければ。

この雰囲気が続くと、怪我人が出る。空気をいったん断ち切らないと。

そんな感じ。

予感の後にはいつも、どこからか指令が飛んでくる。

今日も。

はっきりとした理由は分からないが、とにかく何か、匂うのだ。

厄介事の匂い。

もうこれ以上巻き込まれたくないから、離れよう。

たぶん、それが正解。

|

白いお城 黒いお城

性善説も性悪説も、どちらも半分ずつ正しいと思っている。

人間はどっちも合わせ持って生まれてくるんじゃないだろうか。

だからこそ、環境は大切。

死角の多い環境にいると、人は性格的な短所を発揮しやすくなる。

つまりアンフェアな行動を取りやすい。

反対に、風通しのいい誰からも見える場所にいる時、人は長所を発揮しやすくなるのではないか。

フェアで、気持のよい振る舞いを心がけるものだ。

仕事においても、個人的な人間関係においても、あまり死角や密閉空間は作らないほうがいいと思う。

「本音トーク」がしたいからと、密閉空間でばかり話をしたがる人も時々いるけれど、賛同できない。

「みんなのいるところでは怖くて口にできないから」……?

そんな生半可な覚悟で「本音」とやらを語って欲しくない。

悪口や中傷や自己弁護、自分を守るための言葉を、本音と呼んではいけない。

「本音」や「率直な意見」は、風通しのよい場所で、ある意味、斬りつけられるかもしれない、という覚悟を持って口にされるべきものだと思う。

暴力は、いつも、閉鎖空間で起こる。

言葉の暴力も含めて。

誰にも知られない、と思うと、行動をエスカレートさせてしまうことが多いのではないか。

その人が悪い、という訳ではなくて。

明るい場所にいる時は、「刺激的な物語」に過ぎなかった空想が、

暗がりに長いこといると、感覚が麻痺してきていつの間にか、「実行可能・手の届く現実」になってしまうのだ。

そんなことを、なんとなく古い知人と話した。

私は、突然、萩尾望都の短編を思い出した。

白い石と黒い石でお城を作るという話……。

|

すずしい ばしょ

ずうっとずうっと後まわしにしていた仕事を、昨日今日で片付けた。

出来た!ばんざーい!

分量的にはさほどでないが、注意深くやらなければならない作業だったので、本当に気疲れしてしまった。

この、「綿密に注意を払って」っていうのが苦手なんだよねえ。特に夏場は。

暑さで溶けてるし、脳ミソ・・・・・・。

最近、偶然だと思うが、身の回りで幾人かの友人が、中傷被害に合っている。

気の毒だなあと思う。

だけども、私を挟んだ間柄、というわけでもないので、助けるのもなかなかむつかしい。

そういう人とは距離を置いたら、などのアドバイスは出来る。

でも実際には、アンフェアな人ほど、他人の弱みを握るのが上手いし、立ち回りも根回しもも得意ときている。

素朴で、真っ直ぐで、いささか気の弱い私の友人たちに、勝ち目はない。

とりあえず、中傷されたからって、傷ついたり、自分を責めたりするのはやめたら、と言ってみる。

あなたは間違っていない。

だから、堂々と、毅然としてればいい。

アンフェアな人は、じっとしているのが苦手。自分のやっていることに自信がないから、陰でコソコソ余計なことをしでかす傾向がある。失敗した結果、いずれは反省するか、自滅するか、のどちらかである。

そういう人に何かされても、オドオドしないで、普通に振舞い続ければいい。

風通しのよい場所で、じっとしてればいい。

私も風通しのよい場所が好きだ。

涼しいし、ね。

|

まよなか の うんどうかい

古いメンバーOが息子を連れて遊びに来てくれた。

生後10ヶ月の赤ちゃんだ。

二ヶ月ほど前に会った時より、一段と成長して表情がだいぶ豊かになっていた。

私を見るなり、笑い出した。どうやら覚えているらしい。

どうも「愉快な人」と認識しているらしく、私を期待の目で見ているから、いくつかインパクトの強い表情を作ってみた。

Oと息子はウケてゲラゲラ笑っている。ありがとう。なんかナガシの芸人になったような気分・・・・・・。

何がウケて、何がウケないのか、いろいろ試してみる。

どうも「ぽわー」とか「きえ~」とか擬態語?を発しながら奇妙なポーズを取ると、喜ぶようだ。

不思議なことに、この子の笑い顔はメンバーOの一番末の妹にそっくりである。

Oと妹はまったく似ていないのに、この子は似ている。

血というものは不思議なあらわれかたをするものだ。

Oは、子どもを産んだら、肌がツヤツヤになって何だか女っぷりが上がった。

今、舞台に戻ったら、すごくいいんだろうなあ、と内心思った。

物理的に、きっと無理だろうけれど、劇団の古いお客さんに、今の彼女を見せてあげたいなあ。きっと喜ぶだろう。

夜は、法律関係の仕事をやっている古い友人と会った。物柔らかな、楽しい人。

最近、熱心に身体を鍛えているらしく、さらにスマートになっていた。

やばい、私はちょっと太ったのに・・・・・・。

お互い近況報告などをしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。

こんなに親切に大切にされると、なんだか勇気が湧いてくる。人生を丁寧に生きよう、と思えてくる。

彼は、自分自身を大切にしている人だ。だから他人を尊重できるのだと思う。

私もそうしたい。

反対に、自分も他人も粗末にする人には絶対なりたくない。

真夜中、窓を開けると母猫と子猫が空き地で遊んでいるのが見えた。

よかった。元気そうだ。

実は昨日、子猫が二匹しか見当たらなかったので、気になっていた。もちろんいなかったのは、白黒の少しトロい子猫である。

白黒だけカラスにでも襲われてしまったのではないか、と不安で仕方なかったが、今夜はきちんと三匹揃って遊んでいる。

母猫も、取っ組み合いに加わったりしてなかなかワイルドな遊び方である。パシ、パシ、パシ、とお母さんの鋭いパンチが飛ぶ。子猫がそれをよけながら、お尻に飛びかかる。激しく走り回ったりジャンプしたりする。

白黒猫だけちょっと、ついてゆけてない感じ。この子、これからきちんとしたノラ猫?になれるかしら。

母猫もこの白黒猫にはあまりパンチしない。捕まえると、何故か顔を舐めてやったりしている。そうすると、他の兄弟はちょっとつまらなそうに、二匹だけで遊び始める。そのうち母猫から離れ、細い路地に消えた。

母猫は白黒と一緒に手足を投げ出し、夜風を味わっている様子。

時々、近くのマンションの住人とおぼしきサラリーマンが通りかかる。しばらく立ち止まってぼんやり母猫を見つめた後、足早に「いかんいかん」という感じで立ち去る。

この一筋縄ではゆかなそうな、利口な母猫に、みんなが惹かれるのは分かる。

余裕があるのに、用心深くて警戒心が強く、

貫禄があるのに、一方では必死で

たくましいのに、可憐。

いずれは子猫を産むこともなくなり、野垂れ死にするだろう、誇り高きメス猫。

エサをどこでもらっても、結局、誰のところにも居つかない。

自由が幸せなのね。

もちろん、そんな甘っちょろい情緒で生きてはいないだろうけれど。

|

みち に まよう

午前中は病院。

やたらと血圧が低い・・・・・・。

昨日、たくさん運動してみたのだが、あんまり効果ないみたい。低血圧には運動と栄養が大切、って昔読んだ本に書いてあったのに、おかしい。

もともと血圧低いが、夏は血管が開くせいか、特にひどくなる。

ダルいわけだ。とにかく横になりたい。いや、でも寝てばかりいると、それはそれで悪化するからダメだし・・・・・・。

いったん家に帰って遅い昼食を取り、再度、外出。打ち合わせへ。

なんと炎天下の中、道に迷ってしまった。

ああ、どうしたらいいの?

だけど、今日はいつもの方向音痴に輪をかけて、方向音痴。

もうどこにいるのかさっぱり分かりません。

完全に迷子です。

恥をしのんで打ち合わせの相手に電話。道を教えてもらう。

打ち合わせ終わって、稽古場へ。

ダルいが、とにかく身体を動かす。夏に負けるな。低血圧に負けるな。

10月公演の読み合わせと打ち合わせに参加して、深夜、帰路に着く。

久しぶりに猫の母子に会った。

こんばんは。本日はいささか疲れました・・・・・・。あなたはどうですか?

母猫にめくばせを送ると、陰から子猫はふざけた様子で飛び出してきた。

ずいぶん大きくなったなあ。

もうひとり立ちしてもいいくらいかも。

|

ねむたーい いちにち

ピアニストの友人と音楽事務所の方と一緒に、外出。

懇意にしているライブスペースのマスターに紹介した。

ピアニストの友人と音楽事務所の方は中学の時からの親友とのこと。端からみていても、すごくよいコンビだ。

表情も会話もまばゆいばかりの明るさ。いい人たちだなあ。

マスターは二人を気に入ったようだ。

紹介して良かった。

ひとしきりお喋りして、帰路につく。

スーパーで買い物したら、何だかすごく疲れて、ソファで1時間以上も寝てしまった。

目が覚めたら真っ暗。うわあ。

パソコンつけたら、仕事の依頼が来ていた。真夏。7月末に台本の仕事を終えてすぐの日程だ。

仕事はいつでもありがたい。

時期的にはいろんな意味でかなり綱渡りだけど・・・・・・やりたい。

ちなみにこれは書く仕事ではなく、読む仕事。慣れればリズムに乗ってきて、なんとかなるだろうか。

せっかくのお話しなのでお引き受けすることにした。

さて、寝てばかりはいられない。

今週末からまた原稿書きが始まる。小さい仕事は、できるだけ、この数日で片付けようね。

ふああ。ねむ。

請求書、投函してこよう。

|

髪を切る/新世界

久しぶりに髪を切った。

帰りに買い物。

途中で電話があって、友人と夕飯を食べた。

この前までは同じような立場だったのに、今は、それぞれ別世界に生きてるんだなあ、と切なくなった。

恋愛とか趣味とかを中心に置いた生活。

私もつい最近まではそうだったんだよなあ……。

まあ私の場合は恋愛じゃなくて、悩みごと。趣味じゃなくて、仕事、だけど。

それでもそこに身を置いていた時は、必死で生きてる「つもり」だった。

今から考えると、あれは、すご~く余裕あって優雅な生き方だったのね。

あの頃の悩みなんて、全部ナイーブ過ぎてこっ恥ずかしいものばかり。

今も同じ悩みは抱えているけれど、それに向き合って時間とエネルギーを費やすほどの余裕はまったくない。

台本と舞台の仕事を続けてゆくことには変わりないし、要するに、何も目に見えての変化は何もない。

取巻く環境が変わるだけ。

だけどそれだけで、生きる世界が変わり、風景が変わる。

もう、あの生活には二度と戻れないんだなあ、と思う。

正直言えば、恋を楽しそうに語る同い年の友人がうらやましい。彼はこれからもずっと、青春が続くのだ。

だけどさ。私は私の生き方に、自信と誇りを持とう。

長年親しんだ、懐かしい、キラキラした世界を、私は他ならぬ自分の意志で捨てたのだから。

新しい世界の入り口で私はまだ、ハイハイしてる状況だ。

大人の赤ちゃん。

その世界がキラキラしてるかどうか、私にはまだ当分、分からない。

自分の足で立って、歩き回ってみないと。

|

ひとくぎり

やっと何とか台本の仕事にひと区切り。

とは言え、おそらく、今週末からまた別件に着手することになる。

うえーん、結構余裕ないなあ。

身体がつらいからとか、理由つけてサボってると「あとが怖い」ってことになりかねない。

週末までの間に、個人的な用事や、劇団の仕事をいっきに片付けよう!

でもほんとに背中の筋が痛くて痛くて・・・・・・

筋?筋肉?よく分からないのだが、大量に原稿を打っていると、いつも痛くなる・・・・・・。

今日は久しぶりに母猫&子猫たちを発見。

ここのところ雨降りだったり、暑かったりしたので、たぶん涼しい所にでも避難していたのだろう。

子猫たちはまたしても大きくなっていた。成長が早いなあ。

栄養状態もいいみたい。

この母猫は、子猫たちの相手をしてあげてるほうだと思う。

もう若くないとあんまり子猫の遊び相手をしてあげないことが多いと思うのだが、この母猫は違う。

かなり、真面目に?激しく?遊んであげている。

ひょっとしたら、自分が遊びたくて遊んでるだけかもしれないが・・・・・・。

たくさん相手をしてもらっているからか、子猫たちは、腕っ節の強いノラになれそう。

一匹だけ成長が遅れていた白黒も、他の二匹にほとんど追いついたように思う。最初に見かけたときは行動も頼りなくて、今にもカラスの餌食になりそうだったが。

今はだいぶ、動きも敏捷になり、知能も発達したようだ。

(以前は母猫のすぐ側にいるにも関わらず、居場所が分からなくなり、よく一匹で鳴いているのを見掛けた)

しかし母猫はまだまだこの白黒が心配なようで、いつもこの子を押さえつけ、顔を舐めてやっている。

末っ子?なのかな。

子猫たちもあと少しで、母猫と別れて一人立ちするだろう。

それまで、たくさんお母さんに遊んでもらって、いろんなことを覚えようね。

|

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »