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2009年8月

らむね

深夜の病室。

4人部屋だがカーテンで区切られていて、一人一人のスペースは割と広い。

私は締め切りの迫った仕事をなんとか片付けようと必死だ。

仕事は二つある。

一つはどうしても引き受けなければならなかったもの。分量も結構多い。

一つは友だちから何となく引き受けたもの。分量は少ない。どちらかと言えば、気の進まない前者の作業を機嫌よくやるためにこちらを気晴らしに引き受けた。

嫌なことと楽しいことは織り交ぜてやると、気持にメリハリがつく。

と、かすかに、病室の一方からかすかに、カタカタとキーボードを叩く音。

こんな時間に起きてて大丈夫?と自分のことは棚上げして心配する。

彼女も私と同じで、何か差し迫った仕事でもあるのかもしれない。

お互い頑張ろう。エイエイオー。

とりあえず今は集中しないと。

時々、見回りのナースが私のスペースを覗き込む。

そのたび、仕事をしていることが後ろめたくて、「あ、えーと」などと変な声を出してしまう。頭ごなしに叱りつけてくる人がそんなにいなくてありがたい。

身体の痛みでくじけそうな時、傍らに横たわる人の寝顔をちらっと見る。

その途端、理不尽なほどの喜びが胸にあふれてくる。

くじける、という言葉がラムネの粒のようにスウッと、溶けて、無くなった。

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夜明け

時々身体中に激痛が走るが腰を曲げヨロヨロすればするほど

痛みは激しくなる。

先生のおっしゃる通り、しっかり背中を伸ばして歩く。

病室にいろんな人が訪ねてきてくれた。

痛いけれど、笑って過ごす。

笑うたび、また腹やら腰やら背中やらが痛むのが、また何だか間抜けで可笑しくて。

それらすべてを最近出逢ったばかりの大切な人と分かち合う。

なんという、喜び。

夜、なかなか眠れなかった。

少し騒がしい病室を抜け出して、ほの暗い病院の廊下を二人して歩く。

ん?いつの間にか私たちの足元には紅色のストライプが広がっている。

ふと見るとブラインドの向こうに朝焼けの空が見えた。

薄紫色から鮮やかな赤のグラデーション。

かけがえのない人と見る初めての朝焼け。

私とその人はそっと秘密の目配せを交わした。

「これからいろんなことがあるだろうけれど私たちはこの美しい朝のこと、ずっと忘れずにいましょう」

空の向こうから

透明な紙飛行機がすうっと飛んできて、私たちの目の前に着陸した。

私たちは手を握り合い、二人して、行き先の分からないその乗り物の、透明な羽の上に腰をおろした。

やがて、紙飛行機は音も無く、すうっと

飛び始めた。

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地球にいるという確信

朝、目覚めてすぐに親しい人たちと仕事の関係者に連絡を入れた。ただただほっとする人、喜ぶ人、愉快がる人、反応はさまざま。改めて、自分は気持の優しい楽しい人たちに囲まれているなあと、幸せな境遇を実感した。

人と同じであることが幸せとは限らない。
私は私の道をしっかり、面白がりながら、生きて行こう。

午後、うとうとしていたら、古くからのつきあいで現在の仕事の仲間の一人でもある知人が、病室に来てくれた。
まだ少しモウロウとしていたが、とても嬉しかった。現実の世界に帰還したのだ、という実感がやっと少しだけわいてきた。
そのあと、友人やら後輩やら、家族やら来てくれて、自分は今宇宙船にいるんじゃなくて地球にいるんだ!とさらに実感。

それにしても今日は午前中、はっきりしない意識の中、携帯に仕事先から問い合わせがきてたのでつい、仕事をしてしまった。
なんであんたって幸せに浸りきれないの?などと言われることもあるが、そんなことはない。
幸せで夢見てるみたいな時ならなおさら、仕事もやりたいのだ。現実を放り出さなくたって夢は紡げる。その逆もまた真なり。

何故だか分かんないが、いつの間にかそう信じてる。

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うつくしい いちにち

体調が悪く、吐いてばかり。とうとう入院。自分でも不安になるような日々が続いた。
結局思ってもみなかった展開になったが、結果的にはよかった。
いろんな方の優しさに触れた数日間となった。
涙が止まらなくなる瞬間が何度もあった。つらくて、悲しくて、苦しくて。そして嬉しくて。私は生涯、そのどれもを忘れることはないだろう。

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おうじさま の つかい

今日は午前中から一気に具合が悪くなった。

こんなに顔色の悪い自分、久しぶりに見た。

と思いながらも、体調悪すぎて何もできないから仕事をしてみた。

ピンチヒッターで頼まれた携帯サイトの原稿だ。

私が担当しているのは王子サマのコメント。

可愛い王子サマが、ギスギスした生活を余儀なくされている女の子たちに、

愛あるメッセージを贈って癒してあげる、という設定なのだ。

(この理解は私の独断と偏見なので、正しいかどうか分からない)

こんな私が書いていると知ったら

利用者の人は、どんな気分になるんだろうか。

ごめんなさいね。

現実主義者のあんまり可愛げのない女が王子になりかわって書いてます。

申し訳ない……。

私自身は王子サマは好きなので、割と楽しんでやっている。

途中で何件か人と電話で話したりメールしたりしたのだが、

何故か「王子口調」が会話に出てきてしまって困った。

夜、散歩に出たら、何度も人とぶつかりそうになって閉口した。

珍しく、視野が狭くなってるかもしれない。

ショーウィンドーに土気色の顔をした私が映っていた。

いやだなあ。この顔色が一生続いてしまったらどうしよう。困ったな。

いつもと変わらず私は冷静なのに、

体調はアップダウンを繰りかえす。

そのうち無事復活できますように……。

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おせんち な どようび

今週に入ったら過ごし方がだいぶ変わるのかなあ、と予想していたが、

結局、普段どおり稽古場に行ったり、打ち合わせしたり、原稿を書いたりしているうちに

とうとう週末が来てしまった。

時々、近所に住んでいるライターの女の子が仕事をしにやってくる。

お互い気が向いた時にお喋りしたり、一緒に夕飯を食べたりして、なかなか楽しい。

変な時間にうたた寝しなくなった分、夜まとめて眠れるようになった。

今日の午後はスタッフと打ち合わせ。

来月、私はお休みを少しだけもらうことになっている。その時期に何をやって欲しいか、要望を伝えた。

暑さと身体の痛みで私の話はかなりまとまりを欠いていたが、

意図はじゅうぶんに汲んでもらえたようだ。

とりあえずほっとした。

頭がぼーっとしているのに仕事はできるのが不思議だ。

でも今やっている原稿書きがたまたま簡単だからなのかな。

この種のものなら半分意識を失っているような状態でも、ある程度の速さで書き続ける自信がある。

深夜、例の母猫を見た。

子猫は、少し離れたところで、近所の人にもらったエサを食べている。

母猫はそれを満足そうに眺めていたが、私の視線に気付いてふと、振りかえった。

目が合ったら、なんだかそらせなくなった。

見つめあったまま時が過ぎた。

不覚にも涙が出てきたので、慌てて目をそらし玄関へ向かう。

振りかえると母猫がまだ、私を見ていた。

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ればにら

昼頃、近所に住んでいるライターの元劇団員から電話。

私の家で、一緒に仕事をやることになった。

アイスなんかを食べながら二人で、原稿をひたすら打った。

頼まれた分が終わったので、私は先にひとやすみ。

夕飯は近くの中華屋さんへ。

私は貧血対策で、レバニラ。

運ばれてくるまではイヤで仕方なかったのに、ひと口食べてみたら、すごく美味しくて、ガツガツ食べた。

先週もお医者さんから叱られたが、今週の検査はこれでOKだろう!

ってそんな単純なもんじゃないのかな。

とにかく薬もきちんと飲んでるし、プルーンとかも食べてるし、きっと大丈夫。

帰宅してから、今度は、とある団体から頼まれた仕事にかかる。

けっして大変な作業ではないが、とにかく量がある。こっちも頑張って片付けなければ。

彼女もひたすら、原稿打ち。

ときどき休憩を入れながら、お互いの仕事に取り組んだ。

いいなあ、こういうのも。

人がいるとうたた寝しないから、仕事が半端じゃなくはかどる。

暑かったり、眠かったりして、サボリグセが爆発しそうな時には非常によい方法だ。

彼女が入稿できたというので、また、一緒に仕事しようね、と約束して、解散。

結局、一人になったら、すぐにうたた寝してしまった……。

どーなのよ、それ。

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ごほうび を ほおばる とき

明日締め切りの仕事があって、夕方から、ライターの子と一緒に作業した。

教育や、個人の持っている素養などについて、彼女と話しているうち、今まで言葉にならないでいた疑問が、にわかにはっきりとした輪郭を帯びた。

「世の中には何故、理由もなく自分に自信を持っている人と、そうでない人がいるのだろうか」

そうだ。

学生の頃から私をうっすらと苦しめ続けてきた問題は、まさにこれなのだ。

才能がある人は才能を、特殊な能力を持っている人は能力を、体力がある人は体力を……それぞれの人が特別な長所に根ざした自信を持っている。

それは分かるのだ。

しかし、何も持っていない人はどうするのか?大学を卒業し、会社に勤め始めてから不安になった。

生きるには最低限の自信が必要だ、それなのに、自分には自信の拠りどころとすべき能力がない。

取り立てて優れた能力を持たず、スポーツもそこそこ、勉強もそこそこ、すぐに熱を出してしまう虚弱気味な身体で、好きで続けている芝居は飛び抜けた才能を持っているわけでもない……

何もかもが中途半端な私のような人間は……

どうしたらいいのだ?

客観的に見れば、私という人間は、「体力と知力、能力に欠ける小柄な女性」に過ぎない、と気付いた。

解決法として、仕事や芝居で役に立つ能力をいくつか身につけ、

体力の問題に関しては、改善がむつかしいので「体調をどんなに崩しても、予定を変えない」習慣をつけることにした。

そうして、やっと、ほんの少しだけ、人と対等に向き合うだけの自信を手に入れることができた。

そしてかなり後になって、気がついた。

能力なんかに関係なく自信を持っている人もいるんだ、ということに。

根拠なく、自分を大切に思っている人たち。

その人たちは、能力を焦って身につけたりすることもないし、具合が悪いのに無理して仕事場に行ったりすることもない。

日常を自然体で、楽しんでいる。

無意識なのだろうが、

自分が大切な、かけがえのない存在だと信じ、他人もそう感じているだろうという前提に立っている。

すごくうらやましい。

気付いた瞬間は、はっきり言って……

めまいがするほど、妬ましかった。

私は仕事ができなければ、とてもつまらない存在でしかないのに、

彼らは生きているだけで、ダイヤモンド。

この不公平はどうして?

どうして私は「生きているだけでダイヤモンド」の感覚を持てないんだろう?

自分を無条件に大切だと、何故、思えないの?

今も、その問題は私を苦しめる。

それはいつも、働き過ぎた時。

甘い物を食べたりして、自分で自分にご褒美をあげていると、声が聞こえる。

まあそういじけないで。

もし「生きてるだけでダイヤモンド」で、自分も日常もキラキラしてる世界に生きてたら、

キミは物語なんて書いてないんじゃない?

ダイヤモンドのないところにいるからこそ、キミは輝くものをずっと探して、書き続けてる。

そうだろ?

うん。そうだ。変な風にいじけてごめんなさい。ほんとは、分かってるの。

と、私はポソポソと、見えない誰かに謝る。

そして、もうひと口、ご褒美を、頬張ってみる。

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ねこ えくすぷれす

空き地の猫。

とうとう、母猫と子猫が日中は別行動を取るようになった。

子猫、と言っても、身体はもう小柄な成猫ほどに成長している。

よく見ると、頭が小さく、仕草に落ち着きがないので、まだ子どもだと分かるのだが。

母猫は、自分から離れて出掛けてゆく子猫をじっと見つめている。

そして、ゆったりとした自分だけの時間を楽しんでいるようだ。

時々、心細くなるのか、子猫が母猫を甘えた声で呼ぶのが聞こえる。

お腹が減ったり、おっかないボス猫に出くわして怖くなったりした時だけ、母親を呼ぶらしい。

だけどもう、お母さんも必死で探し出してあげたりはしない。

呼ばれても「よっこらしょ、やれやれ~」と億劫そうに起き上がって、ノビをしてから、側に行ってあげる。

子猫が小さい時は、飛び上がるようにして、駆けつけてあげてたのにね。

子猫も、母親にやたらと身体をすりつけて甘えたり、ふざけかかったりはしなくなった。

こうして、だんだん、二匹の間は遠くなる。

猫世界では、こんなふうに、時間が超特急で過ぎ去ってゆく。

母猫も子猫も淋しがっていないけれど、

傍観者の私は、

切なくなる。

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ざひょう/ふぇあねす

暑い……仕事がまだまだ片付かない。

保冷剤を首筋とおでこの二箇所にくくりつけ、

ひたすらパソコンに向かう。

なんでこんなに忙しいんだろう……。

時々、隣の公園からセミさんが飛んできて、窓の網戸で鳴き始める。

うああ、勘弁してください。

網戸を叩いて、立ち退いてもらう。

ごめんなさい。うるさいんで、公園で鳴いててね。

信頼ということについて、考えさせられる出来事があった。

人によってだいぶ意味の違う言葉なのかもしれない。

人と人の間に漂う、ふわ~っとしたキレイな感情を指して、使う人もいるだろう。

しかし私は違う。

確かに心情的な意味も含むけれど、それだけでは

この言葉を語れないと思っている。

お互い信じあって、一緒に仕事をしていたけれど、後で食い違いが生じてしまうなんてことはしばしばあるからだ。

食い違いの理由は三つ。

誤解:人間はそれぞれ、言葉のカテゴライズが微妙に違う。その積み重ねが、誤解を形成する。

時間の経過:記憶が風化して、事実がどうだったか、あいまいになる。

状況の変化:時間が経過することによって、状況が変化する。変化の中で、約束した時点での真実を正確に捉えることは、極めてむつかしい。(飛行中の飛行機から、空港の場所を特定するみたいなもの)

だから、きちんと約束事は人に見せられるような客観的なかたちで記録に残している。

お互いに誠実な気持があれば、そんなことくらいで興醒めになったりはしない。

大切なのは約束した時点で、どのような約束をしたのか、判断をしたのか、鋭く切り取って、記録に残すことだと思う。

気持や状況が、時間の経過によって変化することを

私は肯定的に受け止めている。

何故ならそれは、生きている証だからだ。

しかし、約束がなされるその時点での、その瞬間瞬間の真実を、はっきりとしたかたちで残しておくこともまた、大切だと考えている。

言い換えれば人間は移動する生き物だからこそ、「正確な座標を残す」必要がある、ということだろうか。

「記録」は、私にとって不都合な真実も明らかにするはずだ。

それでいい。その公正さこそ、私が望んでいるものだから。

フェアであることを目指す人間はいるけれど、誰から見てもフェアな人間なんていない。

逆に言えば、

それを自覚して生きられれば、

ほんの少しフェアでいられる、フェアな人間になれる、可能性があるのではないか。

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ふ の すぱいらる

問題にぶつかった時、根本的に解決しないで、

「相手の感情に訴えかける」だけの人がいる。

その場に異性がいれば、奇妙にスリ寄ったり。

・問題にぶつかる(例えばミスをおかす、とか)

・根本的な問題から目をそらす

・周囲の情を利用して「根回し」と「派閥」の人間力学で何とかしようとする

・異性にスリ寄る

どれも一つ一つは不愉快な行為ではないのだが、

この4つが結びつくと、特別な化学反応が起きて、醜悪で吐き気をもよおさせる状況になる。

感情に訴えるのは悪いことじゃない。でも、失敗するたびに泣きじゃくるの?情けをかけてもらうの?派閥を組んで力で圧倒するの?……同じ過ちを何度も繰りかえしそうな感じ。

異性にスリ寄る、って行動は本能に根ざしていて、単体としてみると何もダメなことはないんだけれど、問題がおこった時にやると、周囲の信用を決定的に失う。

彼らは、たいていの場合、周囲の人たちに見抜かれているとも気付かず、「自分こそうまく立ち回っている」と思い込んでいる。

安易な方法を選ばず、時間が掛かっても問題を根本的に解決すればいいのにね。

ちょっとつらいけどさ。

同じことを繰りかえしながら、歳だけ重ねてゆくのも、もっとつらいと思うよ。

そんなことを考えながら、その人の前から私はそっと立ち去る。

「涙にこたえられなくて、ごめんなさい」

「一緒にいられなくて、ごめんなさい」

念仏のように呟きながら、逃げ出すしかない。

負のスパイラルを見つめるのは危険。感覚が鈍磨してくる。絡めとられて身動きが取れなくなる。

彼らを助けられるのは、恋人か、家族だけ。

私に出来ることは何もない。

そう分かったら、身の回りの大切なものだけを持って、素早く立ち去るのみ。

一人ぽっちでも、持ちものが少なくても、私にはペンと紙がある。それに少しばかりの知恵と勇気。

それで十分。よくばらなければ、生きてゆける。

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こそだて と れいてつ 

子猫の成長とともに、母猫の態度が少しずつ変わってきた。

あんまり、一緒に遊ばなくなった。

今までは遊んであげてただけ?

子どもが小さいうちは可愛くて一緒に遊びたくなるけど

大きくなってくると、ちょっと鬱陶しくなってくるのかしら。

子猫はまだまだ赤ちゃんのつもりで、無邪気にふざけかかるけれど、

母猫は、以前と違って、前足で払いのけるだけ。

しつこくされると、仕方なく、という感じでほんの少し相手をしてあげている。

子猫は、遊んでもらえなくなると、虫や草を相手に一人(一匹?)遊びを始める。

時はめまぐるしく過ぎてゆく。

変化の中にいる子猫自身がついてゆけないほどに。

傍観している私が切なくて目をそらしたくなるほどに。

変化の傍らにいる、母猫だけが、

シビアにそれを受け止めている。

なるほど。

こんな風に時の流れを冷徹に見つめ続けることも、

「子育て」という仕事の一つなのかもしれない。

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地震とトイレ

明け方、大きな地震があった。

とりあえず、トイレへ。

トイレって四方に柱があるから安全らしい。

静岡寄りのところに住んでいる友人にとりあえずメール。

無事とのこと。よかった。

昼夜と、人の手伝いで、慣れないものを書いた。

今日は昼間暑かったせいか、すごく眠くて、

おかげで何度も昼寝をしてしまった。

マジで昼夜逆転してるよ。

困ったなあ。

頼まれ作業は納期に間に合ってほっとした。

お手伝いってなんかいいなあ。

つまり人と一緒にやるわけで。

シナリオの仕事は基本一人ぽっちなので、人と一緒っていうのが、新鮮で、楽しくて。

明日からは、一人の仕事ばかり。

ん~とりあえず、頑張ろう。

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とじこめられたら

先日、恐い出来事があったので、弁護士に相談。

対処方法などを聞く。

とりあえず、私は何もしないでいいとのこと。

ほっとした。

予定通りすべておまかせすることにして、電話を切った。

それにしてもここのところ、何だか忙しいなあ。

もともと決まっていた仕事のほかに、いくつか、引き受けてしまったものがある。

本来なら、大事をとってもう少しノンビリ過ごすべき時期なんだと思うけど、

罪悪感があってなかなか出来ない。

大げさぶってる感じがしちゃって。

ほんとーに、

風邪引いても、骨折しても、なかなか「休む」ってことが出来ないんである……。

きっと休めるとしたらインフルエンザとか、人に迷惑掛ける可能性がある時だけだなあ。

休めない理由は二つ。

1)自分が仮病を使ってるような気がしてしまう。

2)他人に私の体調は関係ないので、そのせいで影響を及ぼしたくない。

よく舞台の稽古に風邪を引いて突然休んだり、

仕事をキャンセルしたりする人がいるけれど、

私にとっては信じがたいなあ。

事情は理解できなくは、ない。

でも自分には出来ないな。

入院するか、強制的に閉じ込められるかしないと。

たぶん、他人との距離感の問題なのかな。

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ははごころ

午前中、近所のスタジオで10月公演『ROOM』の打ち合わせ。

10月は脚本は私、役者に関する演出は相棒のHちゃん、音楽面とビジュアル面は、私が担当と、分担してやることになったのだ。

Hちゃんがどんな舞台を作りたいのか、よく要望を捉えて、音と美術の面で私が支える、というかたち。

ただ、割合Hちゃんの意識は役者の演技に集中しているので、

私は他人の畑で、楽しく遊ばせてもらっている感じ。

打ち合わせは有意義で楽しかった。

やっぱり、一緒に仕事をやるなら、才能と人柄、両方を兼ね備えた人がいいなあ。

昼ごはんの最中、昔のメンバーから電話があった。

仕事の手伝いを頼みたいとのこと。とりあえず、夕方以降にお茶でもということになった。

その後、九段下へ。

一件打ち合わせを済ませた後、家の近所でお茶。

彼女はとても若い時期に劇団に在籍していたのだが、今はライターとして活躍している。

お互い近くに住んでいることもあり、ここのところ、時々ご飯を食べたりする。

仕事の話など聞かせてもらうたび、大人になったんだなあ、と頼もしく感じる。

うまく言えないが、ワクワクと胸躍る感じなのである。

仕事はお手伝いすると約束して、帰ってきた。

今日は一日外出していたけれど、何だかずうっと眠たかったなあ。

この前、病院でひどい貧血だと言われてしまった。

ダルいのは低血圧のせいだと思い込んでいたけれど、血が足りない(薄いのかな?よく分からない)せいだったのか……。

真夜中、空き地を見たら、猫の母子がいた。

エサをもらったようだ。

母猫は自分は口をつけず、子猫が食べる様子を満足そうに眺めている。

お腹減ってないのかな?それとももう食べ終わった?

しばらくして子猫が食べ終わって毛づくろいを始めると、立ち上がって、食べ始めた。

なるほど。

子猫にたくさん食べさせようと、待ってたのね。

彼女の母心を思うと、切なくなった。

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まよなか の にゃーお

真夜中、ポコッガサッという微かな音と「にゃーお」という微かな鳴き声が聞こえた。

窓から見てみると向かいの空き地で段ボール箱がガサガサ揺れている。

?……見ていると、子猫が飛び出してきて、今度は横倒しになったダンボールの上で跳ねている。

続けて母猫も飛び出してきて、箱の上の子猫に軽くパンチ。

子猫は大興奮で、跳ね回っている。

箱一つがこんなに楽しい遊具になるなんて。

またしても真夜中の運動会。

母猫も子猫も楽しくて仕方ないんだろうなあ。

ちょっと切なくなった。

三匹いた子猫もいつの間にか一匹に。

他の猫はひとり立ちしたのか、それとも拾われたのかそれとも……命を落としたか……。

残った子猫はもう一匹で十分やっていけるだけの大きさに育ったが、まだまだ甘えん坊。

今でもおっぱいを求めて母猫の腹の下にもぐりこもうとする。

母猫はこの子しか残らなかったことをどう思っているのか。

まさか気付いてない?……とすれば、それはそれでもっと哀しい。

真夜中、天真爛漫に走りまわる猫の母子を眺めながら、思う。

ほんとに、あなたたちは輝いてるね。

私も一生懸命、生きよう。

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おいしい しゃーべっと

冬に上演する児童劇のキャスト候補を探しているため、ここのところ初対面の方にお会いする機会が多い。

皆さん才能に恵まれた人ばかり。

紹介してくださった方にも、わざわざ時間を作って逢ってくださる役者さんにも、感謝である。

今日も昼は面接、あとは寝たり起きたりしながらPhotoshopで劇団の作業。

結局暑くて日中はあまりはかどらない。

夜から本格的にパソコンの前に腰をすえた。

テレビをつけっぱなしにしてやっていたら、NHKの「たった一人の反乱」が始まった。初めて見たが、あまりにも再現VTRがひどいので驚いた。(正確に言うと見ていない。聴いていただけ)

NHKはどうしたんだろう?番組の作りそのものも、ちょっと雑過ぎるし……。

再現VTRは特にひどい。

特に、娘を亡くす母親の演技がお粗末そのもので、見るに耐えない。悲しいシーンは金切り声でわめちらせばいいというのは役者の勝手な思い込みだ。

扱っているテーマそのものに興味を惹かれるのに、VTRから受ける不快感がひどくて、見るにも聴くにも耐えないものになっていた。

こんなことなら再現VTRなど使わずにすべてドキュメンタリーか報道番組の形式で扱ってくれればいいのに、と強く思った。

何だか視聴者を馬鹿にしている。

腹を立てながら作業してたら、何故か結構はかどった。

適度のストレスって、いいのかもしれない。

作業がひと段落したので、買い物がてら深夜の散歩に出ることにした。

ここのところ連日、ハーゲンダッツのフランボワーズ・ソルベを食べている。

これ、美味しいけど、ちょっとしか入ってないし、高いんだなあ。

ちょっと贅沢しすぎ?と反省して、今夜はドールの100%果汁アイスバーのファミリーパックを買った。

だけど帰宅したとたん、結局三本も一気に食べてしまったので、結局同じじゃないのかなあ。

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おやつ は とまと

ゆうべ、お腹がスッキリしたのはいいんだけど、今日はちょっと下し気味……。

結局、仕事もしないで一日中、リチャード・パタースンの長編ミステリ「最後の審判」を読み続けた。

BGMはハイフェッツ→ビル・エヴァンス。

なかなか面白かったけれど「子供の眼」と若干似てる……。だから犯人はかなり最初のほうで分かってしまった。

お腹の調子が安定しないくせして、トマトが食べたくて仕方ない。

一日3個も食べちゃダメかなあ。

今日のおやつは午前中も午後も夜中もすべてトマト。

トマトは切らないで齧るのが好きだ。

カットしてサラダに入れることもあるが、正直あまり美味しく感じない。彩りとしてはいいんだけど。

かぶりつくと、何であんなに美味しいんだろう?

最近、演劇フェスティバルへお誘いいただいた。

時期は年明けで、状況的に参加できるかまだ分からないのだが、声を掛けてくださった方の対応の優しさに感動してしまった。

ここのところ、人の親切が胸に沁みる。

というか、実際以前より優しくされることが多い気がする。

見知らぬ人も含めて、いろんな人にありがとう、って一日に何度も言ったり書いたりしてる。

自分じゃ一人前のつもりで突っ張ってても、他人から見るとすごく頼りないんだろうなあ。何だか恥ずかしい。

さっき、考えた。

私ってあと何十年生きるんだろう……。

とにかくはっきりしてるのは、これからの人生は、今までのと全然違うってこと。

どれだけ違うのか、見当もつかない。

まるで冒険に出る気分。

考えてみると、今まで過ごした日々はすべて、この冒険に出るための修行だったのかもしれない。

知恵と勇気と、体力と……まだまだ足りないが、なんとかなるだろう。きっと大丈夫。

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