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2009年9月

えいきゅーほぞん

午後、古いメンバーが遊びに来てくれた。

懐かしい時間が流れる。

きれいになった彼女に、何だかドキドキする。

お化粧もしていないし、着飾ってもいないのに、華やか。

変わった理由は新しい恋人が出来たせいなのかなあ、などと考える。

1歳の誕生日を迎えたばかりの超若い恋人は彼女の膝の上ですましてバナナを食べ、機関車トーマスのオモチャを床に叩きつけてワイルドに遊ぶ。

この前まで男の子、という前に「赤ちゃん」という感じだったのに、すっかり男前になっている。

それに合わせて彼女も「赤ちゃんを抱いているママ」から「男の子と一緒にいる女性」という感じに変化したように思う。

やっぱり女の人って男から愛されると輝くんだなあ。

この時期の男の子って、たぶんお母さんが女性のすべてだ。

世界じゅうで一番美しくて優しいたった一人の女性。

おとぎ話の中にしか存在しないような、永遠の、特別な、愛。

母親の姿が一瞬見えなくなっただけで、激しく動揺し、泣き出した彼の姿に、そんなことを考えた。

彼が成長するにつれて、永遠の愛はいつしか霧のように消えてしまう。

母親が息子のためにすべてを投げ打つのは、この愛の記憶の残像のため。

恋愛に行き詰まった時、恋の始まりの頃の鮮やかで美しい思い出を何度もリフレインして、困難を乗り越えるみたいに。

美しい記憶を胸の中に永久保存し、日常を生き抜くエネルギーに変換する。

男の人はどうだか分からないが、

女ってヤツは、花火みたいにきらめく瞬間が一度でもあれば、それを糧に長いこと我慢していられる種族なのである。

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ふるさとへ

久しぶりに稽古場へ。

地下鉄に乗っていても何だか夢の中にいるような感じ。

バス停を降りて歩いているうち、だんだんと実感が湧いてきた。

そうだ、私はやっと、稽古場へ、舞台の現場へ復帰するんだ。

ひと月半ほど離れていただけなのに、こんなにも懐かしいなんて。

こんなにも胸が震えるなんて。

とてつもなく、センチメンタル。

稽古場。

ここが私の故郷。生まれた場所。

演出と役者に挨拶して、稽古を見せてもらう。

不思議なほど集中できた。

今回は普段と違う立場で公演に参加させてもらっている。

よし、この役割を楽しみつつ、真剣勝負で取り組もう。

自分に何ができるのか、ワクワクする。

帰宅した途端、恐ろしいほどの眠気に襲われた。

少し休もう。

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なぜか ありがとう

昼、忙しくて阿鼻叫喚のうちに時が過ぎる。

普通に起きて、食事してこまごましたことをやってるだけなのに、どうしてこんなに時間が経つのが早いんだろう!

同居人の相手もしなければならないし、忙しい忙しい。

わあああ。

パニックとパニックの間にちょっとソファに腰を降ろしたらどうもそのまま昼寝してしまったらしい。

腕の中で小さな同居人が「むあ~」と欠伸している。

何だか今日は暑いねえ。

冷たいトマトをかじって、暑さをしのぐ。

夕方、スタッフが家まで打ち合わせに来てくれた。

今後の活動について話した。

喋っているうちにだいぶ頭の中が整理された。よかったよかった。

荷物などを運ぶ手伝いもしてもらった。本当にありがたいなあ。私も何かで役に立てるといいんだけど。でも何ができるだろう……。

スタッフが帰って、また家の中が静かになった。

同居人をお風呂に入れる。

私はデタラメな歌を大声で歌いながら石鹸を泡立て、丁寧に身体に塗りつける。

小さな小さな湯船がちゃぷちゃぷと軽やかな音を立てる。

一番楽しい、幸せな時間だ。

それが終わるとしばらくはくつろぎのひとときを過ごす。

ときどき同居人が私の指を、小さな手で握り締めてくる。

「ありがとう」という言葉が思わず口からこぼれる。

言ってからハッとする。

なんで「ありがとう」なんだろう?自分でも分からないけどありがとう。そんな気持。

夕飯を食べ終わった後、古いメンバーが訪ねてきた。

ドーナツをつまみながら楽しく語り合う。

彼女は最近なんだか雰囲気が変わった。私は最近、彼女の夢を見たことを思い出した。すごくリアルな夢。夢の中で彼女は立派な母親であり、息子を片手に抱えてバリバリ家事をこなしていた。「おかあちゃんにまかせな」と言っていた。(何をまかせるのかは不明……)

うとうとしはじめた同居人が彼女の指をそっと握った。

何故か彼女は「ありがとう」と呟いている。

「やっぱり?私もありがとうってよく言っちゃうんだよ」と私。

彼女も首を傾げながら言った。

「あれ?何故だろ。なんかありがとうって思っちゃったんですよね。ありがたいって」

釈然としないまま、お互いに頷きあった。

みんなそうなんだ。

ありがたいようなもったいないような、不思議な気持。

深夜は仕事。

手伝いで頼まれていた仕事が昨日完了したので、これからしばらくは舞台の仕事に集中できそうだ。

10月と年末、2月に二つ、私の好きな小さな規模の公演ばかり。とにかく楽しい舞台にしたい。

音楽家たちと連絡を取ったり、台本を直したり、2月の地方公演の劇場図面をチェックしたり。

そんなことをしていると、今決まっているのとはまったく別の公演をやりたくなってくる。

初めての場所で今までやったことのない種類のイベントをやってみたいなあ!

ああ~ダメダメ。

受験勉強してる時に部屋の模様替えしたくなってくるのと一緒。

今はとにかく、目の前にある仕事をやるのみ。

でもなあ。なにか新しいことやってみたい。う~ん。

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ぴすたちお

毎日理由もないのにウキウキと幸せ。

いろんなことがありがたく、自分にはもったいないと感じる。

住むところがあって、きちんと三度のご飯が食べられて、何とか生活できて。

贅沢さえしなければ、ではなくて、贅沢なんてぜんぜん必要ない。

ささやかだけれどじゅうぶんに楽しく、幸せ。

朝はアンデルセンの「絵のない絵本」の中から適当に一つ選んで朗読してみる。

小さな同居人は聞いているのかいないのか、愉快そうに私を見ている。

それからゆっくりと起きだして、それぞれ朝食。

私はデザートにヨーグルトを食べる。ブルーベリーの砂糖漬けの凍ったのを添えて。噛み砕くと爽やかな酸味が口いっぱいに広がる。ああ美味しい。

陽射しが高くなると、ときおり隣の公園から子どもの声が響くほかは、まったく静かだ。

夜中まで断続的に仕事をして過ごすという点ではほぼ以前と変わりないが、

一日中、なんとはなしに身も心もフワフワと浮き立っているというところが違う。

時々来客があって、ひととき家の中が賑やかになる。

そういう華やかな時間もよいけれど、その後のひっそりと静まりかえった居間が好きである。

他人から見ると、私たちはたいそう頼りなく見えるのかもしれない。

私自身はその「よるべなき」状況を楽しんでいるところがあるのだけれど。

同居人と二人、シーンと見つめあっていると、何だか胸が痛いくらいドキドキしてくる。

切ないような、そのドキドキが、好きだ。

おやつにトウモロコシやトマトやいただきもののお菓子なんかを食べる。

パリのお土産にもらったピスタチオ入りのヌガーはとっても滑らかな舌触りだ。

しみじみと、味わう。

美味しい。

気付けば日は傾きかけている。

さあ、こまごました用事を済ませてしまおう。

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はつじょう

身体じゅうが痛い。

もう少し元気になりたいのだけれど、食事も取ってるし、結構のんびりしてるし。

何故復活できないのか分からない。

はっきり言って、退院直後より、しんどい。

張り切り過ぎたかなあ。

問題は睡眠があまり取れないこと。何とかしなくっちゃ。

ここ数日あまりにも幸せで、興奮状態が続いていた。

気が高ぶってしまって眠れないのだ。

興奮の質は恋愛にもやや似ているが、それより、動物で言うところの「発情した状態」に近いのかもしれない。

小さな小さな同居人は、ときどき私を大きな瞳で見つめて微笑む。

身体の奥底から、喜びが、あふれてくる。

それは激しく、暴力的なまでに強く私の心を揺さぶる。

まっすぐ立っていられないほどに。

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とうとう、おわかれ

夜、用事があって外にでたら、後ろから控えめな「あ~ん」という声がした。

一瞬、耳元を羽虫がかすめたのとまごうばかりの小さな小さな鳴き声。

振りかえると、子猫、いや子猫だった猫が立っていた。

目が合うと、近付いてさらに近付いてきた。

「どうしたの?」と声を掛けると、私を導くように、先に立って歩き出した。

結局、隣の駐車場に連れてゆかれた。

母猫が座って私を待ち構えている。

「あ、どうもこんばんは」

あまり気の利いたセリフが出てこないが、とにかくこうしてまた母子に会えるのが嬉しい。子猫(元子猫、とでも呼ぶべきか)が私を覚えていてくれたことも嬉しい。

それにしても母猫は変わった。

子どもを産んだばかりの頃のよれよれだった姿がウソのよう。闇の中で、まるで光を放つかのごとく白い毛並みが浮かび上がって、美しい。

態度も変わった。子猫が頭をすり寄せても、もう、舐めてやったりしない。

そしらぬ顔をして、鼻を鳴らす。

それでも甘えかかる子猫の様子に、切なくなりながら、家に戻った。

真夜中、部屋で仕事をしていると、ふたたびあの、かすかな「あ~ん」という声が聞こえてきた。

窓から駐車場を見ると、元「子猫」がうろうろしながら鳴いている。

どうやら母猫を探しているらしい。

とうとう、お別れがやってきたのだろうか。

元子猫さん、どうかお母さんを探さないで。

きっと、お母さんも悲しいと思うよ。いや、そうでもないのかな。猫にそこまでの感情はないのかしら。

そうだとしたら、それはそれで、また、切ない話だけれど。

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つねくら

ここのところ、目眩がする。

立ちくらみ、ではなくて常にクラクラしている。だから「つねくら」。

たぶん貧血のせいなのだろうけれど、ときどき目の前がうっすら暗くなってきて気を失いそうになる時がある。

我慢できないというほどではないし、薬を飲むのも嫌だからそのまんまにしている。

よし。この「つねくら」を楽しんでしまおう。

この状態の良いところは、あらゆる複雑な思考を不可能にするという点である。

いや、はっきり言ってほぼ何も考えられない。

日常生活の細々したことをやって、劇団の雑用をほんの少しやって、頼まれた小さな仕事なんかをやると、もう一日終わってしまう。

あ、その合間にマンガや本を読んだり音楽を聴いたり……。

たぶん「非つねくら」の私だったらこの状態をおおいに不満に感じると思うのだが、

「つねくら」の私は違う。

うっすらクラクラしながらうっすら楽しく幸せなのである。

加えて、一日何度か、強烈に幸せな瞬間もある。

私は今、かつて自身の紡いだ物語のとおり

文字通り「痺れてる」んだなあ……と思う。

今日はサン・サーンスの「白鳥」をヴァイオリンデュオの演奏で聴いた。

この曲を聴いているといつも、涙が出る。

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ほうもんしゃ

ほぼ毎日、仕事の関係者か、友人たちか、だいたいどちらかが訪ねてきてくれる。

彼らが世話を焼いてくれるので、こんな身体でもなんとか生活できてしまったりする。本当にありがたい。

今日も友人たちが来てくれた。

いつか恩返ししたいなあ。

そのためにも、もっともっと元気にならなくては。

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再会

退院して数日が過ぎ、ようやく生活が落ち着いた。

ひどい頭痛に悩まされながらも少しずつ仕事や家のことなどできるようになってきた。

頭痛は貧血から来ているらしいが、これはしばらくどうしようもない。

深夜、マンションのゴミ捨て場に行った時のこと。

手術痕が痛くてたまらなくて、思わず道端で悶絶していると

視界の片隅に白いものがうごめいた。

猫の母子だった。

子猫は母猫とほぼ同じくらいの大きさに成長している。

母猫は産後のボロボロの状態から見事に復活し、もとの美しい毛並みに戻っていた。

再会に思わず涙がこぼれた。

ありがとう。あなたたちにまた会えてとても嬉しい。

私もここに無事、戻ってきました。

今はちょっとみっともない姿をしているかもしれませんが、私も元気になります。

足を引きずって、玄関に向かう。

身体は鉛のようだけれど、魂には羽が生えたみたいに感じた。

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