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2009年10月

かたこり こり こり

外は嵐。

お天気のせいか肩凝りがひどい。視界が暗くなるくらい、凝っている。

整骨院へ行った。

こういう日はみんな古傷が痛んだりするのかな?混んでいた。

施術を受けて帰宅すると、ゲーム会社の人から電話。

急に小さな脚本を引き受けることになった。

来年の夏くらいまで舞台の仕事以外はやらないつもりだったけれど、

なんだかんだいって、結局、埋まっていってしまう。

うーん、やっぱり当初の予定どおり、仕事をやらないほうがいいのではないだろうか、

と考え込んでいたら、

また、肩が凝ってしまった。

何のために整骨院に行ったのか、分かりゃしない。まったくもう。

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とりのはねみたいに

公演「ROOM」も楽日を迎えた。

最終回、満席とのことでオペ室から見た。

小窓の中から見る舞台は、いつもより何だか少し遠く見えた。

隣には今回、演出をやってくれたHちゃんが座っている。

これでこの舞台も最後だけれど、役者の動きやら、転換場面の段取りやらが気になるらしく、立ったり座ったりして、確認している。

「私が演出するなら、ここはこうするなあ」と好みの違いを新鮮に思ったり、「私が演出していたら、あの役者さんはここまで力を発揮できないかもしれないなあ」と感慨を覚えたりした。

嬉しくもあり、淋しくも、あった。

最後の短編が終わり、カーテンコール。

私はHちゃんの肘にそっと触れた。

オペ室が客席に近くて「お疲れさま」と言えなかったから。

触ったら、何故か涙がこぼれた。

初めての演出ですごいなあ、私の短編を愛してくれてありがとう、私も参加できてほんとによかった、いろんな思いがあふれてきて、胸がいっぱいになった。

Hちゃんがまだ10代で、ふらりとオーディションにあらわれた時の姿が、ふと浮かんだ。

あれから時が流れて、大人になったんだなあ。

彼女の成長に立ち会えたことが嬉しくてならない。

「ROOM」は本当に私にとって、特別な舞台となった。

打ち上げに行く途中、近所に住む女優のSさんに会った。

お誘いしたら快くついてきてくれた。

会場はいつもお世話になっている目白のエスニック料理屋さん。

スタッフの方やお店のオーナーに挨拶などしていると瞬く間に帰宅時間になった。

小さな同居人は熟睡している家人の横で丸くなっていた。

「ごめんなさい。急いだんだけど、ちょっと遅くなっちゃった」

同居人は口元をへの字に曲げたまま薄目を開けて私を見るが、やがて小さく息をついてまた目をつむってしまった。

許してくれそうにないので私はドキドキ、オドオドする。

そっと抱き上げて、自分の寝室に運ぶ。

ベッドに寝かそうとすると、同居人が懸命に私の指を掴んだ。

まるで、これを離すとどこかの穴に落ちてしまう、とでもいうように。

「大丈夫だよ。これからまたずっと一緒にいられるんだよ。ずっと離れないよ」

ささやき終わるより前に、小さな手のひらの力は抜け、私の指から離れていった。それは闇の中で布団の上にふわりと着地する。

鳥の羽みたいに、はかない。

私はまた、もう一度、少しひんやりしはじめたその手を、そうっと両手で包んだ。

蝶をつかまえて閉じ込める時のように。

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おままごと

本番初日。

私は午前中から劇場入りして場当たりとゲネプロに参加。

その後、家にとんぼがえり。

小さな同居人は機嫌が悪い。顔も見てくれない。

淋しくて悲しくて、涙が出そうになる。

しばらく一緒にいたら、ようやく私の顔を見てくれるようになったのでほっとした。

お風呂に入れると、すっかり機嫌が直ったのか、いつものようにはしゃぎはじめた。

その後また小さな同居人を家人に預け、劇場へ。

今日だけアフタートークがある。

きちんと打ち合わせをしていないのでかなり心配だ。

できたばかりの詩(のようなもの)を朗読することになっているけど、ちゃんとできるかなあ。

おにぎりを齧りつつ線路脇の道を急ぐ。

本番を見た後、アフタートークに出演した。

お客さまが結構笑ってくださるので、私としてもほっとした。(?おかしなことは言っていないのだが、何故か、何度か笑いが起きた)

アフタートーク終了後、昔からお世話になっている方々に何人かお会いする。お祝いの言葉を掛けられたりして、なんだかタイムスリップした感じ。受賞は一年前なのに、ずっと昔のことのような気がするなあ。

あれから、ものすごくたくさんの出来事があった。

劇作家協会に所属しておられるという作家の方も来ていた。

私よりだいぶ若い方で、私の芝居を早稲田のスペース5でやっていた頃から見ていたとおっしゃった。

「いつも舞台を拝見してどうしてもっと認められないんだろうってすごく歯がゆかったです。だから受賞されて『やっと』と感じた。嬉しかったです」

どうして認められないんだろう、か……。

私自身はそんなこと、感じなかったな。マイペース?ともちょっと違う。なんていうか、そこまで頭が回っていないというか……。劇団を運営してゆくのに必死で余裕がなかった。

あと、どういうのが「認められている状態」なのかが情報不足(単なる勉強不足)でよく分かっていなかったというのもある。

演劇の世界にいくつかの協会や協議会があるとか、コンクールがあるとか、助成金があるとか、そういうことを知ったのは、どちらかと言えばここ数年のことだ。

私は創作そのもの以外のことに関して、ほんとに疎い。

それで損もたくさんしてきたんだと思うけれど、無知は無知なりに、良いこともある。

「認められない」なんて悲しくなることもないし、人と比較してクサることもない。

ときどき、私みたいのは「おままごと」に過ぎないのかな、と不安になる。

手作りの学芸会みたいに見えるのかな、とヒヤヒヤする。

一般には二つとも、よく芝居をけなすのに使う言葉だ。

大きな問題がある。

私は「おままごと」みたいに芝居を作りたいし、「学芸会」のような無邪気な舞台が好きだ。

本番の日を楽しみに、小さな舞台を大切に、失敗を重ねながら、自分の手を使って、作りたい。

私の書く物語を、作る舞台を愛してくれる人たちがいる。

それだけで、幸せ。

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なぞ

母性って何だろう?何を指すんだろう?

これまでの人生、これが母性だ、と思っていたものが、実は勘違いだったんじゃなかろうか。

母性って穏やかで、優しくて、包み込むような愛……女性ならではのもの……だと思っていた。

でも、私の持っている母性は違うみたいだ。

激しくて、そのくせ冷徹。

胸がいつもドキドキして、苦しい。痛い。強烈な陶酔感。

恐ろしいくらい刺激に満ちている。

私が思い描いていた母性が勘違いだったのか、

それとも私のがただ単に変なのか、

謎だ。

さて、明日は公演、初日。

明日は場当たりの後、ゲネプロ、本番。

私もビジュアル・サウンドのプランナーとして立ち会って、

音楽が場や役者ときちんとあっているか、最後の調整を行なう。

Sちゃんの演出の舞台、私もしっかり役割を果たして、役に立ちたい。

私はアフタートークで朗読をすることになった。

たまたま、ピアニストの曲を聞いて、こんな感じがした、と感想を送ったら

その文面をたいそう気に入ったらしい。

朗読してはどうか、と提案された。

Sさんに許可をもらって、読むことになった。

楽しみだ。

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げーむ/とくめい

ゲームの台本を書いていて思うこと。

ゲームで遊ぶ人たちはいくつかの選択肢からセリフなり、展開なりを選んでいるうち、「物語の作り手」「登場人物」という二つの気分を味わうことになる。

しかしそれはどちらも錯覚に過ぎない。

二つとも、別の作り手によって用意されたものだからだ。

ゲームとは複数の物語の集積。

しかし最後まで物語を見届けるために「選ぶ」という能動的な行動(よく考えてみれば、提示されたものを「選ばされる」わけだから受動的な行為なのだが)をともなう。

だから、二つの錯覚を強く呼び起こす。

小説や戯曲などではこうはならない。

読者は登場人物になりきることはあっても、作り手にはならない。展開に、選択の余地がないからだ。

まずは、他人が考えた空想として、そのまま受けとめなければならない。その後に、物語自体を好きであれば登場人物になりきる、という行為が二次的に出てくるわけだ。

書いていて、錯覚が怖いなあ、と思う。

錯覚を錯覚として、「大人の遊び」とできればいい。

「錯覚」している、という自覚を持つためには、訓練されていることが必要なのではないか。

主観とか、客観とか。

自分と他人とか。

能動と受動とか。

そういうことを考えたり、感じたりするのって、ある程度訓練が要る。

街に出て、時々感じること。

電車で必要としていそうな人に席をゆずるかどうか、

荷物を持った人、お年寄りが自分の後ろにいたら、ドアを開けてあけるかどうか、

倒れている人がいたら、助けるかどうか、

それは思いやりの問題ではない。

自尊心。

おかしなこと、不正なこと、卑怯なことをしていて、自分が自分に対して、胸を張っていられるかどうか。恥ずかしくないかどうか。

「思いやりはあるんだけど、目立つのが嫌だから」

「優しい気持は持っているが、急いでいるから」

そんなぬるい思いやりなんか、なまくらな優しさなんか、要らない。

自分のために、やって欲しいのだ。

時々、人に助けてもらわないと外出できないなら外出するな、助けてもらおうなんて甘えだ、というような意見に遭遇する。妊婦さんとか、お年寄りに対して。

もちろん、匿名の意見だが。

匿名。

他人に対しては自分が誰だか隠せても、自分に対しては隠せない。

自分に対して、その意見は、胸を張れるのか?

匿名さんに訊いてみたい。

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あたらしい こどく

午前中、穏やかな日差しのなかで小さな同居人を見つめていると、胸が苦しくなるくらいドキドキする。

切なくなる。

幸せを感じる。

そして、自分がいつか死ぬ日を想う。

たぶんその時、私は、小さな同居人と出逢った日のことを繰りかえし考えるだろう。

私が予想するより、その日は早くやってくるかもしれない。

それまでに、なにができるだろう。

できることは全部やろう。

突然、力が身体の奥底から湧き出てくる。

そして、これからの人生をウキウキと想像する。

しばらく、そわそわ、考えをめぐらせたあとで、ふと無になってしまう。

味わったことのない、孤独が襲ってくる。

ある人が私の心をジグソーパズルに例えて、「あなたは無くしていたピースを見つけて、やっとはめることができたんだね。だからもう淋しくないでしょう」と言った。

私は気付いた。

やっぱり淋しいのだ。

ピースは見つけた。でも、私はそれをはめられない。最後のピースをはめるのは、命がつきる時。

だから、そうっと大切に手のひらにのせて、じっと眺めているだけだ。

そういう、新しい孤独。

ドキドキする、幸せな、淋しさ。

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てつや

徹夜してしまった……。

うう。身体がつらい。

恋愛ゲームのシナリオの仕事、断ろうと思ったのだが、話をもってきてくれた担当の方のメールがあまりにも爽やかなので、なんだか自分からは断れなくなってしまった。

台本って書いてると自分が誰なのかよく分からなくなってくる。

どこにいるのかも忘れてしまう。

何かしてて、途中で思いついて台本を書き始めてしまうと、もういけない。

電子レンジでハンバーグを温めていたのを忘れて、イメージが途切れるまで書き続けてしまう。

で、しばらくしてから、牛乳を温めようとして冷め切ったハンバーグをレンジの中に発見するなんてことも、しばしばである。

困るんだよねえ。

今まではそれで良かったけど、これからはそれじゃ困るし。

どうしたものか。

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どろくさい いけん

劇団の音楽メンバーが遊びに来てくれた。

彼女はバイオリニスト。今は時々教えたりするほかは、普通に会社員をやっているそうだ。

会うのは本当に久しぶりだが、そんな気はしない。

小さな同居人は彼女がとても好きなようで、ずっと視線で追いかけている。

近況報告などをしながら、音楽や演劇について語り合った。

彼女は表現に関して、泥くささみたいなものを重視するタイプだ。みんなで努力して、チームワークで良いものを作ろう、っていうのが好き。

彼女が語ると、何だかとても新しい意見のように感じるから不思議だ。そして共感する。

彼女は小さい頃から音楽の修練を積んでいる。

私も中学生くらいまでそのような状況に置かれていたことがあるから分かるのだが、芸事を真剣に学べば学ぶほど、人生のかなり早い時点で、「表現には努力だけではどうにもならないことがあるのだ」ということを、悟らざるを得なくなる。

そういう彼女が言うからこそ、根性論的な意見が説得力を持って響くのだと思う。

私は彼女の話を聞くのが、好きだ。

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つりあっている

ときどき、人から「いい気になっている」とか「お気楽だね」とか言われる。

日々の生活の中で美しい、楽しいと感じたこと、胸を打たれたこと、刺激を受けたこと、そんなことばかり話すから。

私だって、自分のここが嫌だなあとかつらいなあとか、あんなことはしなければよかった、と思うことはたくさんある。

でもそんなの人に話して何になるのだろう?

自己嫌悪や後悔など他人に話してもどうにもならない。(それは語られることでどうにかなる問題ではなく、要はそれをどう未来へつなげるかなのだから)語れば「謙虚な人」と評価を得られるのだとしても、私はイヤだ。

なら「ゴーマンでノーテンキな人」でいい。

ごく親しい何人かの人に、打ち明け話、つまり一方通行の話として語ることはあるけれど。

もっと想像すればいいのに、と思う。

気丈にふるまっている人がほんとに強い人か、それは分からない。

その反対に、謙遜ばかりしている人がほんとに謙虚な人か、それは分からない。

往々にして、人は「外に表すもの」と同じだけの「表さないもの」を持っている。

それで、釣り合っている。

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たべすぎ

午後、長野から友人が遊びに来た。

彼女は今、小さなホテルを経営していて、なかなか休みが取れない。会うのも久しぶりだ。

肩凝りに悩まされる私に、マッサージオイルをプレゼントしてくれた。

彼女は東京にいた頃はマッサージ師をやっていたのだ。

細やかな気配りが必要、という点ではホテル業もマッサージ師も似ている。

彼女でなければできない仕事だ。

雨音を聞きながら二人でしみじみとお茶。お互いの近況を報告しあう。

彼女は結局長野に定住してしまうみたいだ。何だか淋しいな。でもホテルに泊まりに行けば、会えるんだからいいや。

小さな同居人を彼女はコワレモノを取り扱うようにそうっと抱いて、「何だかうっとりするね」とため息をつくようにして言った。

夜、友人が来訪。

この人とは数年前からときどき会って、ご飯などを食べる。

何にでも積極的というか、尊敬できるところがいくつもある人。話していていつも「まだ若いのにエライなあ」と内心舌を巻く。それでいて偉ぶったりしないから素敵だ。

彼がもじもじと何かくれたので箱を開けたら、なんとアルバムだった。

しかも、欲しいなあ、と思っていたドンピシャリのデザイン。

「最近アルバムが欲しくて、探してたところなの」と私は食器棚に貼っておいた「アルバム バケツ」と書いた買い物リストを見せた。

「なんとなく、そういう気がして」と彼は言った。

人が欲しがるものがキチンと分かる人っていいなあ。私もそうなりたい。

喋っていたら時間がまたたく間に過ぎてしまった。友人は「また今度」と言って帰って行った。

深夜、夕飯。シュウマイにホウレンソウのおひたし、それに野菜炒め。今日は来客を口実に甘い物を食べすぎた(スターバックスのアップルシナモン味のマカロン、ハラダのホワイトチョコのラスク、月餅、プリンなど)から、ご飯はやめておいた。

お腹の調子が戻ったからといって調子に乗ってはいけない。ぶりかえしたら困る。気をつけないと。

しかし何故こんなに毎日、甘いものが食べたくて仕方ないんだろう?

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ぎしぎし

だいぶ回復し、消化の良さそうなものなら食べられるようになった。

今日は、通しを見ることになっている。

昼から夕方に掛けて演出から頼まれた印刷の仕事などをやる。

夜、小さな同居人を母に頼み、稽古場へ向かう。

やる気は満ちているのだが何だか腰と足が重い。

身体中ギシギシいってる。

ありあわせの部品で出来たぽんこつロボットになってしまったみたいだ。

途中、ピアニストと一緒になった。楽しくお喋りをする。

彼女は優しくてきれい。才能もある。努力家でもある。こういう人っているんだよなあ。

稽古場で通しを他のスタッフたちとともに見学。

その後、ピアニスト、演出、役者などと打ち合わせ。

帰宅時間が迫っている。急がなければ。皆と別れ、大通りに走る。タクシーを拾って、自宅へ急行。なんとか時間に間に合った。

小さな同居人は私を見て不満そうに鼻を鳴らす。

申し訳ない気持でいっぱいになって、思わず泣きそうになった。ごめんね。ごめんなさい。

深夜、パソコンに向かう。明日締め切りの仕事があるのだ。

肩がつりそう……アンド、眠い……。

もうろうとしながら原稿をまとめる。何とかかたちに仕上げて、入稿。

ああ……忙しかった。

たぶん、私がもっと要領のいい人間なら、なんてことはないんだろうけれど。

っていうかここのところ、頭の働きがすごく落ちている気がする。

もともと良くない頭がこれ以上、機能低下したらどうなるんだろう。

マジで心配になってきた。

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朝、胃が痛くて仕方ない。

医者があく時間を待って、電話で問い合わせる。

すぐ診てもらえるとのこと。

インフルエンザなども心配なので小さな同居人は連れてゆけない。

ぐっすり寝ているのを何度も確認して家を飛び出す。

近所だから、走っていけば30秒。だけど胃が痛いし、まだ退院してひと月だしで、二重苦で走れない。

ふらふら歩いてゆく。

医者に到着したが、なかなか診てもらえない。

家で何か起こっているのではないかと、悪い想像ばかり頭に浮かぶ。

5分経ったところでガマンできなくなり、黙って医院を飛び出した。

帰り道は文字通りダッシュ。

走りながら気付いた。「なあんだ、走れるくらいなんだからたいしたことないじゃん」

部屋に入って何事も起こっていない、平穏無事を確認した途端、また激しい痛みを感じた。

昼近くになって、同居人を連れて今度は薬局へ。

漢方薬の胃薬を手に入れ帰宅した。

薬で胃痛が少し治まったところに劇団員がやってきた。そうか、彼女たちに頼めばよかったかもしれない。

久々に胃痙攣を起こしそうだったので、動揺しまくっていた。反省。

雑炊を作って食べ、あたたかくして休んでいたら、だいぶ良くなった。

しかし手を見ると発疹が。

昨日何か悪い物でも食べたのかもしれない。

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ひろうかん

夕方、新しくオファーのあったゲーム会社の方と電話で話した。

まだどう転ぶか分からない。

話を聞いていると執筆量が半端ではない。

やることに決まれば、またしばらくすさまじい忙しさになる。

どうなのかなあ。怖い。自分にやれるかどうか。

まだ決まった訳ではないが、ほとんど同時に話があったもう一つの仕事は断ることにした。

最後までねばって天秤に掛けるようなやり方は性に合わない。

どちらかに義理を欠いてしまう。

もしこちらの仕事が決まらなかったとしても、それはそれで仕方ない。

もともと7月くらいまでサボろうと思っていたのだから、そうなったら暇を楽しもう。

今日はものすごい疲労感。

深夜、激しい胃痛に襲われた。

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ちがさわいで

「発言小町」というサイトをわりとよく覗いている。

おっかない書き込みの続くトピもあれば、のほほんとした雰囲気のスレッドもある。

気に入っているのは「ペットになりきって悩み事を書く」などの動物トピ。

人生相談風のもいい。

時々、ごくまれに、すごく達者な文章を書く人がいて、感心する。どうしてこういう人が作家にならないのか、不思議である。(悩み事はいくらでも捏造できるけれど、文章力だけはごまかしがきかないし)もしかしたら、エネルギーの余っているライターが、暇つぶしに書いてるのかな。その可能性もある。

攻撃的な書き込みも勉強になる。

世の中には実にいろんなかたちの悪意が存在している。「顔も見たことがない相手なんだから容赦なく核爆弾を落としてやろう」というものから、「なんかイライラするからポケットに入っていた安全ピンでちょっと刺してやるか」的なものまで。

書き込む気はしないが、眺めるには悪くない。

朝、昨日友人が焼いて持って来てくれたアップルタルトを3切れ、あたためて食べた。

それに牛乳。

昼下がり、小さな同居人とともに検診へおもむく。

いくにんもの見知らぬ人たちに親切にされ「ありがとう」を何度も口にする。

ドアを開けたり荷物持ったり、そんな何でもないことが人の手を借りなければできない。

頭ばかり下げてかっこ悪い。

迷惑ばかり掛けて、恥ずかしくて、居心地が悪い。

このダサさが生きるってことなのかな。

帰宅して、遅い昼食を食べた。

ご飯に牛肉とネギの煮物をのせて、牛丼風に。

夕方以降、疲れてぐったりしていた。

夜は復活して、ぼちぼち働いた。

昨日、今日と別のところから仕事のオファーが立て続けに来た。

どちらも量が多そう。二つ両立するのは無理かも。

選ばなければならないのかなあ。

それにしてもこのご時世にありがたい。

来年の7月くらいまでのんびり舞台だけやろうか、とも考えていたが、やっぱり性に合わない。

話が来ると、血が騒いでつい書きたくなってしまう。

のんびりしたい。したいけど……何で休めないのかな。

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