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2010年2月

しふく の とき

朝、三鷹市福祉会館へ。

今日はむさしの地区の親子劇場「ゆめこうば」さんの主催で「ねこまち」を上演する。

ゆめこうばさんは大きな組織ではないけれど、アットホームな感じのイベントを数多く主催している団体だ。

午前中は仕込み。

大きな会議室のような場所がセットと小道具と照明で、街角に変身した。

ファンタジー作品にはやっぱりビジュアルも重要だ。

それにしても今回はみんなのチームワークがすごい。

結構な量の仕込みなのに、1時間半でほぼ完璧に完了した。

11時くらいからゲネ。

30分くらい休憩を取って、本番。

上演前、子どもたちのはしゃぐ声が客席から響いてくるのを舞台袖で聞いていると、何だかワクワクしてくる。

私も楽しんじゃおうっと。

本番開始。

客席には3、4歳から小学校低学年くらいの子どもたちとそれに様々な年代の大人たち。

子どもたちにだんだん歌と踊りを覚えてもらう、というアイディアが効を奏し、客席も舞台も集中力を保ったまま、進んだ。

初めて試したアイディアだけれど、これはなかなか良いスタイルだなあ。

歌を担当しているのはバイオリニストのUさん。

彼女には今回女優として参加してもらっているが、素朴でいい味出している。好きだなあ。

短編一つ一つに対して、子どもたちがビビッドに反応してくれるので、とても嬉しい。

「猫と桜」のような実は難しい物語の本質を子どもたちはいとも簡単につかんでみせる。

演じていて、それが痛いほどに分かる。

ある意味、とても怖い。怖いお客さま。

桜吹雪の仕掛けもとてもうまくいった。

Hちゃんは本当に器用だし、センスがいいなあ。

美しく舞い散る桜の花びらに、客席から小さく「わあっ」と歓声が聞こえてきた。

終演後、お客さまを見送っていると、子どもたちが私にマネをしてくる。

ロボット歩きをしてみせたり、「ひ~らひら」(これは猫と桜)と言ってきたりする。

私の手を引っ張って、それを見せたがる。

子ども劇を一生の仕事にしたいと思っている私にとってはまさに至福の瞬間だ。

バラシをやっていて、今回のメンバーはベストな人選だったと気付いた。

芝居がうまく行くときは、たいてい仕込みやバラシでチームワークを感じることが多い。

そういえば、集中力をとぎらすようなお喋りとかしてる人が誰もいなかった。

休憩時間でさえも。

みんなリラックスしているのに、本番のことばかり考えている、そんな雰囲気。

そうか。みんな大人だったんだ。

子ども劇でしかもファンタジーなので、可愛い雰囲気の人を集めたけれど、みんな外見には似合わずしっかりと大人で、舞台人だった。

舞台づくりはやっぱり大人とやりたいね。今回はほんとに良かった。

帰宅してみると、ご近所の女優Sちゃんから励ましのメールが届いていた。

昨日の稽古では彼女のアドバイスをずいぶん参考にさせてもらった。

Sちゃんは今は事情があって舞台から離れている。

早く復帰できるといいなあ。

またいつか、一緒にやるのが楽しみでならない。

夕飯の時、少し早いがひな祭りのお祝いをした。

小さな同居人は、母が何か言うと、いつも笑う。

私よりも母のほうが笑いをとる。

何故だ?

食後、母が「桃太郎」を話して聞かせてやるのを見て気がついた。

昔話そのままのようでありながら、ずいぶん脚色が入っている。

語り口も独特だ。

なるほど。

ここに私などよりずっとすごい表現者がいた。

私はこの人に育ててもらったんだなあ、と改めて感じ入った。

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ねこまち

今日は笹塚のカフェBlue-Tで「ねこまち」本番。

昼過ぎに小屋入り。

月のランプ、街灯、電飾などを仕込んで、場当たりを兼ねたリハーサル。

お客さまは子どもより大人のほうが多かったけれど、

最後のほうは歌にあわせて手拍子なども起きた。

子どもたちの反応を見ることができて良かった。

やはり、猫やロボットなど、動きのある演目が好きなんだなあ。

終演後、男の子たちが、ロボットの真似をしていて小躍りするほど嬉しかった。

お客さまとして来てくれた女優Sさんからのメールに

演技の熱量について書いてあった。

そうなんだよなあ。

彼女は演出もするので、やっぱりそういうことに敏感なんだと思う。

特に子ども劇には「熱」と「ユーモア」が大切。

みんなにも明日、もう一度そのことを伝えなくちゃ。

どういうかたちでなのか、まだ分からないが

こども劇は、一生取り組んでゆきたいなあ、と思っている。

頑張ろう。

楽しもう。

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わたし も しんか する 

来年分の「劇作家協会プログラム」に応募してみたが落選。

昨日通知が来た。

受賞とかしても、結局何も変わらなかった。

人脈を作らないと、なかなか活動が広がってゆかないな。

でもそんな時間も余裕もない。

仕事の原稿書いて、舞台の脚本書いて、準備して、公演して、そして何よりも、小さな同居人といろんなことを一緒にやって。

どうしたらいいものか。

でも、友人から優しいメールをもらって、気持がやっと少しだけ落ち着いてきた。

ありがとう。

とても救われました。

芝居だけじゃなくて、いろんなことを学びたいなあ。

最近、ピアノの調律、できるようになりたいなって思った。

あとは児童教育とか保育。

両方、芝居にも役立てられるし。

少し勉強でもして、錆び錆びな頭に、油をさしたいところだ。

小さな同居人は、ほふく前進の体勢で後ろに1メートル、前方へは30センチほど移動。

引き出しをバタンバタンと開け閉めし、箱の中のものを引っ張りだす。

そして私を「アッママ」と大きな声で呼ぶようになった。

急速な進化を見ていると、私自身も進歩したいという欲求が高まる。

明日は「ねこまち」の本番。

三鷹の親子劇場に乗り込む?前にまずは近所のカフェで上演。

どうなりますやら。

頑張ろう頑張ろう。うん。

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なみだ

昨日から何だか精神状態が最悪。

おかしい。

道を歩いているだけで涙が出てくる。

でも、変だなあ、と自覚があるだけマシなんだと思うことにしよう。

自覚があれば、外側に出す前に、調節できるものね。

たぶん理由はないのだと思う。

しいてあげるとすれば疲労か。

たくさん寝て、余計なことは考えないようにしよう。

特に自分には何ができないとか、何を持っていないとか、

去っていった友人たちのこと、

消えてしまったチャンスのこと、

そういうネガティブなことは頭から追い出そう。

考えてもしょうがないんだからさ。

人間、たった一つの幸せがあればいいはずなのに、

私には二つもある。

舞台と、小さな同居人と。

二つも宝石を持っているのだ。

磨くのだ。

ピカピカに磨いて、大切にするのだ。

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わーぷ

目がとても悪くなった気がする。

同世代ではもう老眼?になった人もちらほらいる。

私もそうかな、と思って本の距離を変えてみたけれど、どうやっても見えないということは遠視ではなさそう。

むしろ近視?

しばらくパソコンで仕事をするのをやめようかしら。

体重を測ったらすごく痩せていた。

目も見えないし、痩せたということはひょっとして、栄養不足?

そうだ。そういえばここ2日間くらい、めまいがする。貧血もあるだろう。

何とかしないと。

といっても今は料理できる状態ではない。

いや、食事すらあやうい。

ここ数日、同居人は私の気が少しでもそれると「ママッ」と言って泣き出すのだ。

私の能力が低いのかもしれないが、小さな同居人の目を盗んで仕事や家事をするのが精一杯だ。

仕方なくスーパーでお惣菜とほうれん草を買ってきた。

同居人が泣いても気にしないでどんどん食べた。

「泣け泣け祭り」が始まったと思うことにする。日本のどこかにそういうお祭りがあるんだ。私が今まで知らなかっただけでね。

ごめんなさい。

食べないと、生きられないんだよ。

ガツガツ食べていたら、泣き声が止んで、目が合った。

「美味しいよ」と言うと、微笑みがかえってきた。

風呂掃除から帰ってきたら、小さな同居人が1メートルくらいワープしていた。

こんなわずかな間にどうやって移動したのか?

ほふく前進ができるようになったとはいえ、そんなにまだ上達していない。

寝返りを繰り返した?いや、でもうつぶせから仰向けになるのが苦手なはず。

それとも、ほんとは結構動き回れるのか?

私の前では、できないフリをしている?

「ねえ、どうやったの?」と訊ねたが、黙ってニコニコしている。

でもワープするにしても、1メートルで助かったよ。

1キロくらい移動しちゃったら、探しようがないからね。困っちゃう。

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ぷーあ じゃ ない

朝から小さな同居人が「あきた、あきた」と言う。

飽きた?秋田?

意味などおそらくないのだろうが、「(お前には)飽き飽きだ……」と言われたように感じ、ちょっとショック。

私ってつまらないかな。もっと面白い顔ができるよう頑張るね。

あと、ちょくちょく耳にするのは「プーア」。

はい。よく分かりましたね。たしかに貧乏です。

いや、可哀想って意味で言ってるかも。私って可哀想かな。

自分じゃかなりの幸せものだと思ってるんだけど。

午後から外出。

ホームセンターで買い物したり、手続きのため区役所に行ったりした。

区役所には休むところがあるからいいなあ。

建物は古いけれど、今まで関わってきたお役所の中では一番いいかも。

夜はHちゃんと一緒にちょっとだけ作業。

Hちゃんが帰った後、また一人でちまちまと手作りしてしまった。

小さな同居人がいつ目を覚ますか分からない。

つい焦って雑になってしまう。

手芸で活躍している人たちだって、みんなこういう状況で作っているに違いない。

それなのに、どうして丁寧にやれるんだろう?

私も達人になれるよう、まずは心を鍛えよう。

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つき を つくる

「ねこまち」の準備であわただしい。

作業と稽古。

なにせ稽古の回数が少ないので、一回一回を大切にしないといけない。

友人からのメールに

一緒に眠れるっていいね、と書いてあった。

ほんとにそうだなあ。

小さな同居人と出逢うまでは、一人で眠るのは好きだったけれど、

今はもう、離れ離れになるなんて想像もできない。

甘い匂いのする小さな頭に鼻を押しつけていると、

ドキドキわくわくして、時が過ぎるのがもったいないような気がしてくる。

私にメールをくれた人も含めて、みんなが幸せになるといいなあ。

深夜、起き出して、「月」を作った。

「ねこまち」で月が登場するシーンがあるから、舞台にぶら下げてみようと思ったのだ。

針金で骨を作り、和紙を貼って完成。

本番の時は中に電球を仕込もう。

子ども劇だと、こういう可愛い工夫をたくさんしてみたくなる。

明日も何か作ろうっと。

そのうち作・演出じゃなくて、小道具として舞台に参加してみたいなあ。

けっこういい仕事ができると思う。

部屋の中に三日月があるって何だか素敵。

子どもの頃、雲が地面まで降りてくる、という夢を見たことあるけれど、

月が部屋の中にふいっと遊びに来た、って感じ。

アンデルセンの絵のない絵本みたい。

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こういうことだったんだ

午前中、作業。

小さな同居人は、自分以外のものに私が注意を向けているのが気に入らないらしく、足をバタバタさせて泣く。

ほんとに悲しそうな顔だね。

身も世も無く、という感じ。

役者にこんな顔をさせるとしたらすごく難しい……。

などと考える。

あ。ごめん。私が冷静に見てるのも気に入らないんだよね。

はい。抱っこ抱っこ。

午後は読み合わせ。

ヘルパーさんが来てくれたので小さな同居人の相手をまかせる。

みんなが帰ったあと、小さな同居人と「集中して」遊ぶ。

ほふく前進が本当に上手になった。

おもちゃのピアノの鍵盤を私と代わりばんこに鳴らして遊ぶ。

どうやら、代わりばんこ、という概念は、2ヶ月くらいの時からあるようなのだ。

会話ってやり取り、つまり代わりばんこだものね。

本能の中にプログラムされてるのかなあ。

一日があっという間に過ぎてしまう。

以前、縮んでゆくお母さんを娘が世話する物語を書いた時、「母さんの世話をしていると一日があっというまに過ぎてしまう」と書いたけれど、

こういうことだったんだ。

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あひむんも~

ゆうべはリハ。

帰宅して寝かしつけ。

今朝は4時に起きて短編小説4本を改稿し、8時頃入稿。

もうひと眠りしようかなと思ったら、小さな同居人が「あひむんも~」と言う。

よく分からないが、機嫌良く目覚めたようだ。

朝ご飯食べながら会話。

「ぶぷひぎぅ~ぽぷまんまん」

「ぷひ~あっぷぷ~むんごー」

ここに記した音は正確ではない。

日本語では表記できないような微妙な音が多いのだ。

流暢に喋る同居人にくらべ、私はだいぶ片言だ。

でもだいたいの意味というか、感情みたいなものは通じてるような気がする。

11時くらいまでオタケビを上げながらほふく前進していたが、そのうちパタリと倒れて眠った。

良かった。しめしめ、と私も隣で眠る。

2時間くらいは昼寝できた。

15時くらいからみぞれが降ってきたから、もう今日は出掛けるのは止めて家にこもることにする。

音楽聞いたり、廊下を散歩したり、ボールで遊んだり、合間合間に仕事したりして、あっという間に夜。

26日と28日に上演する「ねこまち」の劇中歌を歌って踊ってみせると、小さな同居人は手を振り回してマネしている。

ちょっと自信が湧いてきたぞ。よしよし。

何故か寝かしつけに2時間もかかった……。

でも一日中一緒にいられるというのは、幸せだよねえ。

ほんとに幸せ。

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マンマン

しばらくは、安全な場所で、静かに活動したいなあ、と思っている。

あまり遠出したくない。

できるだけ自宅から近い場所で。あたたかく、清潔な場所で。

そうでないと小さな同居人を連れてゆけない。

気持的にも、ギリギリになったりしたくない。

私が心身のバランスを崩せば、同居人の栄養源がなくなる。

ゆったりと楽しく、マイペースに。

そんな風にしていると、演劇シーン(?そんなモノあるのか?)の流れについてゆけなくなるのかなあ、などとも思う。

もっとも、最初からついてゆけていない私なのだが。

何が評価されるかとか、どういうものが流行りなのかとか、私はいつも、全然知らない。

そういう情報に敏感であろうとすると、活動を続けられなくなる気がする。

少なくとも私はそうだ。

知らなければ、自由でいられる。

だけど、そういう姿勢は不勉強あるいは怠慢だと言われやすいんだよね。

私が情報から離れた場所にいようとするのは、自由でいたいから。

離れていなければ縛られてしまうくらい、心が弱いから。

みんな、昔の仲間は芝居をやめた。

何が売れるとか、そんな情報に自分をさらして傷ついて、辞めた人も多い。

安全な場所で、じっくり続けてもいいのに。

どうして、自分を傷つけるような情報に、身をさらしたがるの?

あなたの才能を疑う人は、あなたを含めてたくさんいる。

でも、信じる人は、あなたしかいない。

かもしれない。

そんなヘタレな考えだから、お前の表現は自己マンなんだ、と言われればそれまでなのだけれども。

怠マンだしね。

自己マンだしね。

はっきりしているのは、気が済むまで、そして最後まで、書き続けるのは、怠マンで自己マンな、この私だということ。

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べろ こみゅにけーしょん

昼はメールで原稿納入先と打ち合わせ。

何だかやっかいなことになってきた。

大丈夫かなあ……。

条件面などの話が二転三転するので、心細くなってきた。

夕方から友人に付き添いをお願いして、稽古場へ。

月末にやる児童劇「ねこまち」の練習。

何だか慌ただしいなあ。

明日からはもう少しゆったり過ごせると思うんだけど……。

友人についていってもらって本当に良かった。

小さな同居人も、彼女が大好き。ウキウキ楽しそう。

同居人はこのところ、「ママー」と言う回数が増えてきた。

たいていは要求があって半泣き。

私を指して言っているのか、要求はすべて「ママー」なのか、そのあたりがまだはっきりしない。

魚のぬいぐるみに「ワンワン」と言っていったこともあるし。(10日くらい前?)

私や、今日付き添ってもらったライターの友人には、ベロを出してみせたがる。

何故だか分からない。

とにかく、挨拶代わりにベロを出してくる。

しかたないのでこちらもベロを出しかえす。

そうすると、またベロを出したり引っ込めたりする。そうしながら「ずー」とか「じぶー」とか話し始める。

そんな感じ。

今は「舌によるコミュニケーション」がブームらしい。

私も早く身につけないと、置いてゆかれる。

ずー。

じぶー。

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にんまり

小さな同居人がとつぜん甘えん坊になった。

とにかくくっついていたいらしい。

ずっと抱いているわけにもゆかないので腕から降ろすと、顔を真っ赤にして怒る。

涙をポロポロ流す。

慌てて抱っこすると、ニンマリ笑う。

その繰りかえしだ。

ご飯を食べる隙もない。

長久手に行くためほったらかしにしておいた作業が山積み。

そして旅先から持ち帰った洗濯物……。

パニックである。困った困った。

一瞬、「わああっ」と爆発しそうになったけれど、授乳していると頭がボウッとしてきて眠くてしかたない。

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ぱんつ は じぶん で

私は、外見に気をつかう男が苦手である。

自身が身なりに気をつかわない人間だからだろう。

身だしなみを整える、ということが人よりできないのは、育ち方に関係あるかもしれない。

私は小学校三年生まで、自分でパンツをはけなかった。

はかなかった、のではない。

パンツや靴下など衣服というものは、自分一人で身につけるものだ、ということに気付かなかったのである。

母親に着せてもらうものだと、思い込んでいた。

何故だか分からない。

成長してから、訊いてみたが、母は自分で身につけるように教えた、と主張している。

髪の毛も自分でとかすものだ、と気付いたのは小学校五年の時である。

クラスの友だちに「ボサボサだよ。とかしてから学校に来ないの?」言われてやっと分かった。

そうだ、髪って自分でとかすんだね!

ピアノの発表会の時、母につかまえられて、髪を編まれたのを覚えている。

服や靴、アクセサリー、ヘアースタイル、メイク。

興味はあるが、それらの素敵なものたちが、自分と必ずしも合体しなくてもいいと思っている。

つまり、見ているだけで割と満足なのである。

屋根があるところに住んで、ご飯が食べられて、小さな同居人のそばにいられれば、それでじゅうぶん。

でも同性の家族や周りの女優さんたちにはできるだけ、素敵な装いでいて欲しい。

自分勝手なのだ。

で、男の人は、私と似ていて欲しい。

「見た目などにこだわらず、魂を磨いていろっ」と思うのである。

ますます、自分が女ではない気がしてきた。

そんなことないよね。

うん。自然にしてればいいや。

自然にしすぎて、今日も寝癖全開で、何人もの人に会ってしまった。

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こうひょう

講評を受けた。

マキノノゾミ氏に「作品から熱を感じた。書きたいという衝動を感じたから一番高い評価をつけた」と言われた時、何だか申し訳ないような気がした。

もっと熱を込めれば良かったと、後悔。

そしたら、きっと、ずっと覚えていてもらえるのに。

青井陽治氏に「戯曲としての可能性を感じた」と言われて、身体が痛くなった。

私はいつも何故、可能性を「暗に示す」ばかりで、それをしっかりと作品中で実現できないのだろうか?

「どう?母親って素晴らしいでしょ、とあなたは言いたかったんでしょうけれど」「あなたの表現はズルイ」「この作品はキライ」と女性の劇評家に言われた。

全然違う。

素晴らしいでしょ、なんて全然言ってない。

「男らしさ」というものと同様に、女性性や母性というものが「伝説化」され、誤解されやすい存在である、と伝えたかったのだ。

同性にすら誤解されるような書き方しかできなかったのは、力不足。

柄本氏に言われた「本来はもっと笑える台本なんだよね」という言葉もそうだ。

笑えるはずなのに、笑えるように演出できないのは何故?

どうしたらよかったのか。

とても、勉強になった。

でも、またしてもとっても疲れた。

消化できないものでも、とりあえず頭にしまっとかなくちゃいけない。

その、理解できないものを、引き出しにしまう、というのが

結構しんどい。

消化できる時まで、その苦しさは、ずっと続く。

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まぼろしママン

本日は劇王の本番。

私の作品「まぼろしママン」上演順は一番最後。19時45分頃からの上演となった。

小さな同居人とともに撮影用の小部屋から舞台を見守った。

YさんとSちゃん、二人とも、稽古でやったことを生かし、好演してくれた。

小さな同居人も興味深げにステージを見守る。

ただしラストシーン近くになると、興奮しすぎて、例の不思議な言語を喋り始めた。

だからほとんど最後のほうは台詞が聞き取れなかったけれど、

二人が苦しみつつ、楽しみつつ、まぼろしママンの世界を生きてくれていることだけは、

よく分かった。

芝居が終わると、投票結果を舞台上に正座して、待たなければならない。

そういうシキタリ?らしい。

同居人を連れて、まずは楽屋へ。

ちょうどYさんに出くわしたので同居人を預け、ステージへ。

走って走ってギリギリ間に合った。

投票結果は、二位。

一般のお客様からの評価はだんとつで低かった!ので悲しかったが、マキノノゾミ氏、青井陽治氏、西山水木氏、柄本明氏など審査員からの得点が高かったので、なんとか浮上できた。

平塚さんは才能豊かな人だと、予想していた。

やはり一位になったので、明日同居人の機嫌が良かったら、舞台を見せてもらって、勉強したい。

私としては今いる状況の中でベストを尽くした。

出演者たちに本当に感謝している。

一緒にやってくれてありがとう。ありがとう。

また出演してもらえるように、もっともっといい作品を書くね。

小さな同居人もいるし、打ち上げには参加できない。

柄本明さんは明日はいらっしゃらないというので、審査員室に行って、挨拶した。

今回の作品は本来もっと笑えるんじゃないか、と言ってくださった。

じゃあどうすれば、お客さんまでその可笑しさが届くのか、

それを訊ねてみると、

役者に対して、何かしてあげられる、なんて思うのはカン違いだよ、と遠い目をして言った。

小さな同居人は江本さんを好きになったらしく、じいっと見つめている。

柄本さんが話しかけると小さな声で「ハウ」と返事らしきものをした。

みんな疲労が激しく、打ち上げには参加できなかったが、ホテルの近くで簡単に乾杯した。

疲れているのに、時間を作ってくれたのだ。

30分だけだったけれど、すごく幸せな時間だった。

役者も音楽家のHくんも私の作品を、大切に思ってくれている。

幸せです。

あなたたちから与えてもらうだけではなくて、与えられる人間になりたい。

頑張るから。

絶対に。

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朝、新幹線で名古屋へ。

小さな同居人と初めての旅。

とても緊張する。

電車を乗り換えるたびに、

自分一人では何もできないんだなあ、と落ち込む。

荷物持って、同居人を抱いて、身動き取れない。

すっかりパニックになった。

長久手文化の家へ到着。

稽古時間以外は頭がぼうっとして、何も考えられなくなる。

いろんな方に親切にされた。

ありがとう。すみません。

二つしか言ってなかった気がする。

夜、小さな同居人を連れてホテルへ。

やはりメンバーの手を借りた。

無力感を感じる。

やっぱり私は来るべきではなかったのかもしれない。

芝居以前の問題で、あたふたしている。

なんだか恥ずかしい。

明日は、本番が終わったら、すぐに小さな同居人とホテルに帰ってこよう。

メンバーたちは打ち上げにゆくのをきっと楽しみにしている。

邪魔してはいけない。

もっと一人で何でもできるようにならなければ。

本番さえ終われば作家はいらない。

明日は頑張って稽古して、夜の本番に備える。

精一杯やろう。

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はじめて

昨日は「まぼろしママン」東京公演の本番。

仕込みを演出助手のSちゃんと二人でやったので体力的に結構きつかった。

ここのところ、携帯小説の原稿書くのと、「ママン」の演出で頭がパンパンになって、本当に大変だった。

たぶん頭のいい人だったらこのくらい大丈夫なのだろうけれど、ネジが5つくらい足りない私の頭では、とてもとても。

処理しきれない。

小さな同居人の世話や遊び相手などを、人に頼んだりしながら、なんとか乗り切った。

と、過去形なのは、携帯小説の原稿を入稿し終わったからである。

改稿は来週にしてもらった。

内容はまだ言えないが、なかなか良い出来だと思う。

女性向けだが男性にも楽しんでもらえる内容になった。

明日から長久手。

名古屋に行くつもりでいたけれど、長久手って名古屋から結構遠いんだなあ。

小さな同居人と二人、初めての旅。

何だかドキドキする。

何が不安って、電車の乗り降りや乗り換えである。

迷子になったらどうしよう。

行きと帰りは制作の人と別行動だから心細い。

とにかく女優さんたちとはぐれないようにしよう。

さて、寝よう。

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まま VS むう

ここ数日、小さな同居人が「ママ」「マンマー」と、ときどき言うようになった。

私に言うこともあるが、気に入りのオモチャに呼びかけたり、私の母の背に向かって言っていたりもする。

不満があって泣く時にも。

どんな意味で発しているか、分からない。

良い時も悪い時も、とにかく使える言葉ということなのか。

ママ。

私としては、「むう」という言葉のほうが使える気がするんだけど。

困ったとき……「むうう」

つまらないとき……「むううん」

不満があるとき「むむうう」

満足したとき「むうむう」

疑問を感じたとき「むむ」

どうでしょうかねえ。

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