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2010年3月

となかい と さいかい

午後、小さな同居人とともに東京へ。

春休みだからか、車内は結構混んでいる。

同居人は膝の上でちんまりおとなしく座って、窓からの風景を楽しんでいる。

ときどき「ほう~」「なむ~ぐんだだ」などと呟く。

にぎやかな家族連れが途中で隣に乗り込んできた。

4歳だという男の子は、小さな同居人を見るなり「可愛い可愛い~」と叫び、ほっぺたをつついたり、手を握ったりする。

おい、ちょっと待ってくれ。

「やめなさい」と彼の妹を抱いた母親が笑いながら言うが、男の子はますますウキウキして、「いいこいいこカワイコちゃ~ん」と言いながら乱暴な手つきでちょっかいを出してくる。

こら。乱暴なナンパ師め。

好いてくれるのは嬉しいんだけど……。

困ったねえ、といつになく大人の顔で私を振りかえる小さな同居人。

「そうだね。あの人はまだ子どもなんだよ」と視線でメッセージを伝える。

しかし反対側にも女の赤ちゃんはいるのに何故小さな同居人にだけ?

むむ。

そして、帰ってきた。

トナカイにミッキーマウス、黄色いワンワン。

小さな同居人は懐かしい面々に再会し、感動の叫び声をあげている。

そうなの?

あっちの家のほうが好きになったのかと思ってたよ。

やっぱり我が家はいいよね。うん。

パソコンを開いて仕事をいくつか片付けていたら、

ギエッ足の指が何か鋭いものに挟まれたっ!

机の下を見ると小さな同居人が足の親指を握り締めている。

なんと。

ついにここまで来てしまったのか……。

だってさっきまでかな~り遠くにいたよね?

とうとう、かように高速で動き回るようになってしまわれたのですか……。

いや、めでたい。

嬉しいんだけど、危険すぎます。

対策を練らねば。

疲れたのか、小さな同居人は入浴の前に寝入ってしまった。

しめしめ、その間にやることを全部片付けよう。

やっと済ませて夕飯を食べよう、としたその時、同居人が目を覚ました。

と、あたりを見回すと泣き出した。

どうも、あっちの家のつもりで目を覚ましたら、ここだったので、驚いたらしい。

しかも側に私しかいないし。

二人っきりは、イヤですか?

私は嬉しいんだけども。

抱きしめて、ダンスして、ふざけっこしたら、最後は笑い出した。

良かった。

あっちの家を出るとき、秋に上演しようと思っている作品のアイディアを思いついた。

環境を変えてみるのはいい。

発想が浮かぶ。

真夜中、窓の外を見ると、となりの公園で遅咲きの桜が咲き始めていた。

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あなた が はじめて

朝、「わ~はよ」という同居人の声で目覚めた。

「おはよ~」って言ったのかな?

とにかく寒い。

寒くて、ホットカーペットの上から動けない。

小さな同居人とおもちゃを広げて朝から晩まで遊ぶ。

途中イトーヨーカドーまで車で連れていってもらう。

私はペーパードライバーだから自分で運転もできない。

教習所に通いなおしてちゃんと運転できるようになりたいと、昨日から思い始めた。

やっぱり不便だ。

でも東京にいれば必要ないしなあ。迷うところ。

夕飯の炊き込みご飯が美味しいので、作り方を細かく訊いた。

でもこちらは最新式の炊飯器だからなあ。

私の信じられないほど古くておんぼろの炊飯器で、これを再現できるか、かなり疑問だ。

明日は小さな同居人とともに電車の旅。東京に帰る。

小さな同居人は歌うようになった。

いや、旋律とか言葉ははっきりしないのだが、本人としては歌っているつもりだろう。

「犬のおまわりさん」「小鳥はとっても歌が好き(なんていうタイトルだったか忘れた)」とかに合わせて「ぐっむっほうほう~だでぃ~」とさかんに声を発する。

それにしてもいつも笑ってばかりだなあ。

私、こんなに笑う人、今まで会ったことない。

あなたが初めて。

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きっかけ の ひと

小さな同居人とともに私の故郷へ。

今日は二人で高校時代の恩師に会う。

彼は私が芝居をやるきっかけをくれた人。

「きみは文章を書くよりセリフを書くといいかもしれないよ」

小論文指導の際、言われた言葉だ。

先生は大学の時に演劇をやっていたらしい。

授業では古典を教わったが「大鏡」を朗々と読んでくださる姿は本当にかっこよくて、憧れたなあ。

先生が朗読すると、昔話がまるで今を描いた物語のように浮かび上がって聞こえるのが不思議だった。

結局、二つ受かった滑り止めの大学、どちらにするか迷った際も「きみは演劇をやるんだろ?映画や美術館にゆくにも都心のほうがいいんじゃない?」というアドバイスをくれた。

何故か先生の中では私が演劇をやる、ということを前提になっているようだった。

そして、私は、大学一年の春、とうとう芝居を始めた。

先生と近所のファミリーレストランの駐車場で待ち合わせ。

そこで食べるのかなあと思っていたら、少し歩いて別の場所へ行くとおっしゃる。

先生は相変わらず姿勢が良くてスマートだ。

またお会いできるなんて夢みたいだなあ。

と思っていたら、お洒落な煉瓦造りの建物の前で立ち止った。

うわ、フランス料理店のランチですか……。

嬉しいけど、小さな同居人、おとなしくできるかしら。というか、お店にOKもらえるのかな。

あっと言う間に先生がお店の方に了解取ってくださり、席へ。

小さな同居人はシーリングファンをじいっと見つめてから「あぐむん」と呟いている。

三人での不思議なランチが始まった。

私はお会いできた嬉しさでたくさん喋った。

高校生の時は寡黙な生徒だったから、先生はきっと内心驚かれていたのではないか。

小さな同居人が少し飽きたそぶりを見せると、先生が膝の上に乗せてあやしてくださった。

二人はたいそう気が合うらしく、結構話がはずんでいる。

先生は日本語だけじゃなくて、同居人の言葉にも通じているらしい。

私と先生は、そのうちここG県で私の作品を上演したいと考えている。

今日はそのこともあってお会いすることになったのだ。

具体的な上演方法はまだ模索中だが、いつか実現するといいなあ。

先生が帰りは車で送ってくださった。

小さな同居人はランチの途中、先生の腕の中で寝てしまって、熟睡している。

ああ楽しかったなあ。

ほんとに夢みたい。

先生はいつも私に啓示のようなものをくれる。

今日もいろんなことに気付かされた。

「意気消沈していると周りからあっという間に人がいなくなる」と世間話の中で先生が呟いたけれど、うんうん、思い当たるフシめちゃくちゃあります。

その都度、私に必要なことを押しつけがましくなく、言ってくださるのだ。

「ひとそれぞれ」という作文を書いて、先生に高い評価をいただいたことがある。

日本人がひとそれぞれという言葉を発する時、欧米で言う個人主義とは違う意味なのではないか、という内容の文章だった。

私は今でもこのテーマを作品にぶつけることがある。

もし先生がほめてくださらなかったら、私がこのテーマを後生大事にすることもなかっただろう。

天性の教師とは、生徒に「きっかけ」を与える才能を持っている人のこと。

先生はまさにそういう人なんだと思う。

いつもさりげなくて、自然体なお人だけれど。

ありがとうございます。

いち生徒として、もっと頑張ります。

そして、また会いに来ます。

小さな同居人とともに。

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さびた くさび

昨日に引き続きたいそう寒い。

しかも雨。

午後は小さな同居人の予防接種へ行く。

帰りに、同じ建物の2階で劇団の用事を済ませた。

買物をして帰宅。

疲れてめまいがする。たいしたことしてないのになあ。

ドアチャイムが鳴って、ヘルパーさんが来た。

小さな同居人の世話を頼み、パソコンで細々とした作業をする。

夜は作曲家のTちゃんが奥さんと一緒に来てくれた。

さっそく打ち合わせ。

5月2日「新宿たかのや」というところでピアニストIさんと朗読ライブをやるが、なんと彼のバンドとタイバンなのである。

私たちが仕事でよく組んでいるのを知った、ライブハウス側のはからいだ。

それぞれのステージが終わった後、一緒に何かやろう、ということになった。

結局、Tちゃんと私のお気に入りの短編に決める。

彼とは7月の子ども劇でも一緒だ。

楽しみだなあ。

その子ども劇を横浜以外でも上演できそうだ。

さっき、決まりそうだ、という電話をもらった。

嬉しい。嬉しい。

せっかくだからたくさんの人に見てもらいたい。

小さな同居人を寝かしつけて、パソコンの前に戻ったら、友人からメールが来ていた。

最近、顔を合わせたら顔色が悪かったので気になって、メールを送ってみたのだ。

大丈夫、と書いてあった。

こういう場合、大丈夫、という返事がいちばん心配になる。

でも私は親じゃないんだものね。

ときどき、ドアをノックするくらいしか、できないのかな。

ここ数日、怖い夢を見る。

正確に言うと、夢だけではなくて、なんといったらいいか、白昼夢のようなものも。

その映像の中で、私は何度も、少しの迷いもなく、男を殺している。

いや、殺す、という意識はないのだけれど、逃げ出すために必要だから、物を倒して下敷きにしたり、銃で撃ち殺したりする。

夢の中で下敷きになった人物とは、もうずっと会っていない。

しかも憎しみなど感じていないように思う。

思う、と書いたのは、無意識下では分からないからだ。

ひょっとしたら意識の暗がりで私は彼を憎んでいたのだろうか。

穏やかで優しい人だった。

なのに夢の中で、彼を非常に煩わしく思ったのを覚えている。何故だか、強烈に、近寄らないで欲しくて、コンクリート塀を倒して下敷きになったのを放って逃げた。

白昼夢の中では、必ず、銃だ。

銃で撃つのだ。いつも同じ相手を。

理由は自分と小さな同居人を守るためだ。

その時の私には感情はほとんどなくて、とても冷たい。

ふと我にかえる。

ここは安全な場所で、何も怖がることなんかないんだ、と心の中で呟く。

だけど、やっぱり怖いのだ。

暴力の記憶が、錆びた楔のように私の心に刺さって抜けない。

しっかりしなくては。

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そのちょうし

今夜は団員ミーティングで今後のスケジュールについて話した。

少し頭の中が整理された。

やる気もだいぶ起こってきた。

仲間っていうのはいいなあ。

ほんとのことだけ話せるし。

小さな同居人は、HちゃんとKさんの顔を交互に見くらべて「ほうっ」とか「はっ」とか言っている。

変にテンションが高い。

歯が生えてきたせいなのかなあ。

それとも感じのいい女の子が好きなだけ?

(同居人は受付のお姉さんが大好きだ)

今夜はお風呂の時に泣かなくて嬉しかった。

いつもより楽しそうだった。

工夫は大切だ。

それにしても、検診、女優さんと打ち合わせ、ミーティング。

三つしか用事を入れていないのに、ひと休みする時間がない。

あ、そうだ。

例の二次会の段取り確認のメールを送ったり、7月の子ども劇の役者手配などもした。

うんうん。いろんなことがはかどった感じがする。

いい調子。その調子。

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とおく はなれた せかい

ここ数日、小さな同居人が、私の顔に吸いついたり、噛みついたりしてくる。

ひょっとして、と指先ではぐきを探ったら、小さな突起が。

とうとう、歯が生えてきたのだ。

最近泣いたり笑ったり、興奮状態が続くので、予感はあった。

見ようとして頑張って口の中を覗きこんだが、舌を突き出してきたりして絶対に見せてくれない。

きっと、秘密のたからものなんだね。

今日は昼過ぎから、マリンバ演奏家二人と打ち合わせ。

小さな同居人は最初は泣いたが、すぐに片方が名古屋に一緒に行ったお兄さん?だと気づいたらしい。おとなしくなった。

最近、古いメンバーが結婚して、その二次会の音楽のコーディネイトを任された。二人はそもそもマリンバ演奏家なのだが、ピアノも達者だしアレンジもできるから起用してみたのである。

家で軽く打ち合わせした後、近くのピアノ練習室へ。

もちろん小さな同居人も一緒だ。

練習室はガラガラ。そのせいか、一番大きな部屋に案内してもらえた。

小さな同居人は少しむずかっていたが、ピアノの演奏が始まるとピタリと愉快そうな表情になった。

それにピアノ担当のKくんがどうも気に入ったらしい。何故?眼鏡の人はキライじゃなかったの?彼、そんなに素敵かなあ……。

目を輝かせてKくんを見つめる同居人に、ちょっと複雑な気分になる。

吉村昭の短編集「月下美人」を再読。

誰かがテーブルの上に出しっぱなしにしていったのを、食事中パラパラめくっていたら、いつの間にか物語の世界へ。

同居人の「るー」という声でハッと我にかえった。こっちを見ろ、という意思表示。

でもまた気になって読み始めてしまう。

しまいには、半泣きで怒り始めた。

小さな同居人は私が台本書いたり、小説読んだりするのが大キライだ。

育児書とか読んでる時は全然怒らないのに。

遠く離れた世界に私が行ってしまうのが、きっと分かるのだ。

姿が見えなくなった時にも必死で探すけれど、魂がどこかに行ってしまった時にも「後追い」するのだなあ。

ごめんなさい。

ときどき、気がつかないうちに、あっちの世界に行ってしまうことがあるんだ。

あんまり行かないように気をつけるね。

身体だけでなくて、心も、隣にいるようにします。

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はなうらない の ように

小さな同居人とともに小さな動物園へ。

たいした動物はいないけれど、象もいるし、モルモットとの触れ合いコーナーなどもある。

それに小さな同居人とちょっと休憩するのによい穴場スポットがある。

園の中心部から離れた林の中に北村西望の彫刻を展示してある建物がいくつか建っている。

ここにはほとんど人がいないのだ。

いるのはちょっとひと休みしたい子ども連れだけ。

古びた頑丈そうな建物に、西望さんの作ったブロンズ像が突っ立っていて、なんだかもの侘しい雰囲気が漂っている。

村上春樹とか小川洋子の小説に出てくる見離された(忘れられた)博物館とか図書館とか、そんな感じ。

ほんとはもう少し柔らかく、清潔で、あたたかい雰囲気のところで休みたいけれど、そういう場所ってほんとにないなあ。

あるとすればショッピングモールとか、区の施設とか、そういう場所だけだ。

とにかくその彫刻の館で、西望さんの作った巨大筋肉マンの像と向かい合いながら、小さな同居人とひと息ついた。

帰り道、みんなで街を歩いた。

姉が小さな同居人に服をいくつかプレゼントしてくれた。

ここはフランスの子供服メーカーの直営店で、どの服もとにかく素敵だ。

お正月の晴れ着はここで買った。

私にとっては目の玉が飛び出るほど高かったけれど、本当に素敵だったからいいのだ。

今日もらった服もシンプルでさりげないがとてもお洒落。それに機能的だし。

早く着せてみたいな。

最近、小さな同居人は寝かしつけようとすると私の身体の上にのぼってくる。

ずりばいを卒業し、よつんばいのハイハイができるようになったら、やりたいことが突然増えたようだ。

身体の上にのぼって何がやりたいのかはよく分からない。

私のあごに頭突きしたりスリスリしたり。

痛いような嬉しいような、やっぱり痛いような。

いたた、うれしい、いたた、うれしい、いたた……と花占いのように交互に思っているうち、眠りに落ちた。

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げすのそしりぐい

トイレに、ことわざ故事成語辞典を置いている。

黄色い表紙が可愛いし、トイレでちょっと読んだりするのにちょうどよいから置いているのだ。

「下種の謗り食い」という項目でちょっと笑ってしまった。

なんて鋭い言葉なんだ。

作ってもらった食べ物に難癖をつけながら、だらだら食べ続ける人。

いるいる。

このタイプには違和感をすごく感じる。

行儀が悪いかどうか、というより、生理的にダメ。

気持がすうっとひいてゆく。

作ってくれた人に対して「美味しい」「ありがとう」と言えない人。

母に対しても「わあ、美味しい」と言う家庭で育ったせいか、私には理解できない。

そういうのって小さなことだけれど、何にも通じると思う。

仕事でも何でも。

逆に、そういう感覚が合っている人だと、それまでなんとも思っていなくても、可愛げ?を感じてしまう。

演出助手のHちゃんには頼まれてもいないのに何故かご飯を作りたくなる。それはそういう理由からだろう。

礼儀とか行儀というより、それは愛されるためのスキルだと思う。

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とどかなかった

師匠のサイトに行ったり(まだ残っていた)、師匠が出演していた劇団のサイトで師匠の写真を見たりしているうち、複雑な、どうしようもない気分になってきて、これを書いている。
私は、ほんとに冷たい人間だ。
葬式も行かなかった。本番があったとはいえ、やっぱり冷たい。冷たい。
師匠の周辺の人とも連絡取ってないし。
知らない人たちが追悼文をそれぞれのブログに書いている。
彼らに憎しみを感じてしまう。
たぶん、妬ましいのだ。
素直に悲しめる彼らがうらやましいのだ。
最後まで一緒に舞台を作っていた、それがムカつくのだ。
あの時、師匠の芝居と訣別したことには悔いは感じていない。
でも、あの人の演技とギャグが私は何よりも好きだったなあ。
袂を分かってから、私は師匠の芝居はほとんど見に行かなかった。
私は一度逃げ出すと決めたら、絶対に後戻りしない。
師匠のHPにあったメッセージフォームに、短いメッセージを書いて、送信してみた。
届かなかった。
エラーになって戻ってきたのをみて、変な話だけれども、ほんとにいなくなっちゃったんだなあと実感がわいた。
さよなら。さよなら。
しかしこれから何度も繰りかえし言わなくちゃ、なかなかほんとにはいなくならないんだろうな。
私の中からは。

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いとし の えりー

細々した仕事をやりつつ、一日小さな同居人と遊んで過ごす。

相変わらずおもちゃのピアノに夢中だ。

30分は音あてクイズ?(同居人が鍵盤をでたらめに叩き、私がそれをあてる、という遊び)をやってつきあったが、昨日に引き続き私は飽きてしまった。

私は孤独にまた積み木で遊ぶ。

一緒に積み木やってくれないかなあ。

一人じゃつまらないよ。

午後は打ち合わせを一件、電話で済ませてから外出。

劇団の用事を一つ済ませたあと、街へ。

食事訓練用のエプロンを購入する。

この前ニンジンのペーストを食べさせたら、同居人の服にオレンジ色の点々がいっぱい飛び散らかってしまったからだ。

なかなか可愛いデザインのものがないが、まあいいか。

夜になったら喉が痛くて熱っぽくなってきた。

ダルい。

小さな同居人を早めに風呂に入れて寝かしつけようとしたが、何故かものすごく興奮している。

「ゆりかごのうた」を歌ってやったら、一緒に掛け声を出してきた。軍歌のようだ。

仕方なく寝たフリ→楽しげに背中をバンバン叩いてくる。

10分くらい耐えたあと、今夜はもう無理とあきらめた。

すでにトータルで1時間20分経っている。

きっと不眠症なのだ。

居間に連れてゆき、床をあたためたのち放してやる。

案の定、大ハッスルでピアノを弾いたり、おもちゃをまき散らしたり、やりたい放題が始まった。

それでも1時間くらい経つと電池切れ。私と視線が合うと弱気な笑いを浮かべるようになった。

よしよしそれでいい。

ベッドへ連れてゆくと驚くほど簡単に寝た。

ああくたびれた。

そうそう、最近よく亡くなったA先輩を思い出す。

細かなエピソード。

「いとしのエリー」をよく歌っていたこととか。

先輩はとても歌が上手かったっけ。それを自分自身よく知っていて悪ノリして歌うからタチが悪かったなあ。

それからいつか「恋なんかするなよ」と言われたこと。

どこだったっけか。どこかの駅前にあるマクドナルドだかロッテリアだか。モスバーガーだったかもしれない。

深夜、2階のカウンター席に二人で並んで腰掛けて、芝居のことを話していた。

稽古帰りのお決まりのパターンだ。

どんな芝居が面白いのか。何が美しくて何が醜いか。あいつの演技はくだらない。オリジナリティとは何か。先輩は私の目をじっと見つめてそんなことを熱っぽく語りかけてきた。

今思えば、私を洗脳しようとしていたのだと思う。

そんなことをしなくても、私もその頃は先輩の才能にすっかり傾倒していた。

「恋なんかすると自己完結してしまっていい舞台が作れなくなる」と言い始めたのは、おそらくその頃劇団内につき合いはじめた人たちがいて、それがうらやましかったからに違いない。

さすがにそのくらいはその頃の私にも分かったから、可笑しくて心の中がむずがゆくなった。

だけど私は神妙な表情を作って答えた。

「そうですね。気をつけます」

「そうだぞ」

頷く先輩の大真面目な顔が忘れられない。

ダメな人だったけれど、あんなに可愛い人は、なかなかいない。

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みに おやじ

朝はサバの味噌煮の残りを食べた。

小さな同居人はここひと月くらい、おもちゃのピアノに夢中だ。

よく飽きないなと思う。

鳴らすたびに私のほうを見るので、「それはドだね」とか「ファとごちゃごちゃ和音だね」とか試しに言ってみる。

ドレミなど分かるはずもないのに、何故かそういう反応をしたほうが、弾き続ける。

同じ音を弾きかえしてみたりもする。

すると興奮しながらその音を叩いてくる。

面白いが、さすがに30分も続くと私も飽きてくる。

だから「トナカイさんが遊びに来たみたいだよ」とヌイグルミで気をそらそうと試みるのだが、一瞥したきり、また鍵盤に向かう。

困った。

仕方ないのでほったらかしにして、私は脇にある積み木で遊ぶ。

右手と左手で同時に別々のタワーになるよう積んでゆくと、すごく頭が疲れる。

積み木は舞台装置とか考える時に便利だなあ。

午後、小さな同居人の世話を人に頼んで、仕事をした。

お仕事をいただいたホールに企画書を送る。

今日はとにかくたくさん食べることがテーマだ。

まずは作らないと。

鶏肉のローストとキャベツのレモン和え。

カボチャと豆乳のきのこスープ。

ほうれん草のおひたし。

貝柱と椎茸の炊き込みご飯。

ああ、美味しかった。

夜はスタッフの人と、秋の公演のことなど相談する。

それと5月のイベント、7月の子ども劇の仕事の件など。

全部情報を吐き出すだけ吐き出してみた。

すると、順繰りに台本を仕上げてゆかないとかなり危険だということが分かった。

ふええ。

まずは4月中に5月のイベント二つと、7月の台本を上げる必要がある。

5月は本番のための稽古。

6月に10月の台本書き。

7月は子ども劇の準備と稽古。

8月から秋の公演の準備と稽古。

そんな感じだ。

というか、4月まで待ってないで、今すぐ取り掛かれ!早く書き始めるんだ!

心の中の小さなオヤジが叫び始めた。

このミニなオヤジはサーカス団の団長みたいにワンマンで、気が短い。しかも頭が悪い。

仕事がたまってくるといつもカンシャクを起こす。そして飛び跳ねながら、やみくもにムチを振り回すのだ。

はいはい。

分かりましたよ。

やりますったら。

オヤジがキイキイうるさいので、耳の穴から引きずり出して机の上にセロテープで貼り付けてやった。

でもやっぱり視界に入ると余計に鬱陶しいのでもう一度耳の穴に押し込んだ。

仕方ないな。

やるとするか。

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だんご および だいふく

今日は思わぬ人から電話が来てとても嬉しかった。

以前お仕事でご一緒したKさんだ。

相変わらずの快活な口調にこちらまでウキウキと楽しくなってくる。

さくっと近況報告した後、お仕事のお誘いを受けた。

まだ本決まりではなくあくまでも可能性の段階だが、とにかく話せただけで良かった。

Kさん、元気そうみたいだったし、なんだか安心した。

でも彼からの仕事がもし決まるとなると、かなり忙しくなる。

楽しくなって「大丈夫です大丈夫大丈夫」と太鼓判を連発してしまったが、

舞台もいくつかあるんだよね。

んんん。

まあ大丈夫でしょう。だって大丈夫じゃなかったことなんてないもんね。

楽しんだり苦しんだりしてるうちに、

気がついてみると仕事って終わってる。

それにおいらももっとたくさん稼がなくちゃねえ。

住むところがあるからと、のんきに構えてちゃダメなのだ。

これから何があるか分からない。

お仕事はポリシーに反しない限りお引き受けする。

いや、ポリシーなんて言ってる時点でちょっとダメだな。

もっとガツガツせねば。

夜、メンバーとミーティング。

小さな同居人を早めに風呂に入れ、二人で遊びつつ団員を待つ。

みんな体調が悪そう。

私も昨日まで喉が痛くて仕方なかったもの。

季節の変わりめだからかな。

気をつけないと。

みんなでお団子を食べた。

私は大福も。

最近は食事のほかにおやつもたくさん食べないと、身が持たない。

それなのに体重はどんどん落ちてゆく。

授乳って本当に痩せるんだなあ。

いや、びっくりした。

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しげき → みそに

古いメンバーが息子を連れて訪れた。

しばらくお茶してから散歩に出掛けた。

川沿いの遊歩道をゆっくり歩く。

将来の展望など聞かせてもらった。

通信で資格を取るとのこと。

いろいろ考えてるんだなあ。

私も考えてはいるけれど不安ばかり。

学校で何を勉強するかまだ揺れている。迷っている。

どうしよう。

駅まで送ってからスーパーへ。

夕飯にはなにか安くておいしいものをつくろう。

しっかり生活してる彼女に、刺激を受けたのかもしれない。

帰宅後、ほうれんそうのおひたしと鯖の味噌煮を作った。

小さな同居人は私が生姜を刻んでるだけでも不満そうに声をもらす。

今度、台所にも居場所を作ってあげよう。

そしたらもう少し落ち着いて料理させてもらえるだろう。

味噌煮って簡単な割には美味しい。

それにしても今日の鯖は安かったなあ。

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よわたり

風邪をひいた。

喉が腫れて痛くて仕方ない。

だけど何だかやる気が起こってきて、仕事ははかどった。

頭がくらくらしてるほうが何も考えずに手が動く。

不思議だね。

小さな同居人と一緒に町を散歩。

自分はこのまま歳を取ってゆくのかなあ、などとふと考える。

それも不思議とイヤではない。

ちょっとやるせないだけで。

こんな日々が続けば、新しい物語がそのうち書けるだろう。

気持がぶれないって大事だね。

作品どおり、ふわふわした人ですね、とよく知らない人からは言われ、

メルヘンを書くくせに超現実的な人間だね、とよく知ってる人からは言われる。

自分ではどちらなのか分からないけれど、

どちらかと言えば、現実的でありたいと思っている。

ただ、現実をきちんと見据える能力が備わっているかといえば、微妙。

世渡りもうまくないし。

来年から学生になるかもしれない。

きちんと勉強して、現実を渡ってゆくためのツールを揃えたい。

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おしょうゆ の しみ

最近、世の中のどこかに恋とかってものが存在してるんだなあ、と思ったりする。

おとぎ話のように遠く感じる。

私自身の記憶もぼんやりあいまいになってしまって、何度か漂白したけれど落ちない、かすかに痕跡をとどめている、おしょうゆのシミみたいになってしまっている。

あのとき本屋の前で殴られたっけ、とか、

西武新宿駅近くのバーの前で頭をぽんぽん、と叩かれたっけ、とか、

あの人は廃人のようになってしまった、だとか、

スタスタ歩いて置き去りにしようとしたら、膝を抱えて泣いてしまった、とか、

いつまでも後ろ姿を見送っていた、とか、

別れぎわにもらった押し花はどこへやっただろうか、とか、

乾いた白い砂のような記憶がさらさらと実感もなく流れてゆくだけで。

いくつか、生々しく思い出されるのは、恋にならなかった思い出である。

あのときプラットホームで伸びてきた腕に私はどうして反応しなかったのだろうか。とか。

あの人はいつも正面から私の顔を見るのに私は決して視線をかえさないのは何故だろう。とか。

昔くらげの水槽が怖いという話をしながら夜更けいつまでも手を握り合っていたな。とか。

くらげ恐怖症と最近再会したら「なんでもほどほどがいいんですよ」などと口走りクラゲ風な男に仕上がっていた。とか。

さっき書いていて思ったのだが、男女問わず、私が評価しない人間の型がある。

リスクを背負わずに他人の心をつかもうとするヤカラである。

これは、ダメだ。

傷つかない、安全な場所から釣り糸を垂らすのは、私の美学にそぐわない。

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ちょうしょ を みとめる

携帯恋愛ゲームの台本を書いたときにお世話になった方のブログを偶然、発見した。

同い年だと勝手に勘違いしていたが、ずいぶん年上だった。

失礼なこと、言ってしまわなかったかしら。

ちょっと不安になった。

ほんの少し読んでみた。

やっぱり頭いいし面白い人だなあと思った。

それに自分のことを冷静に捉えている。

自分の長所を「人の長所を認めるところ」だと書いていたけれど、本当にそう。

ひとつの立派な才能だと思う。

すごくイイ人なので、もっともっと活躍してほしいなあ。

それと、幸せになってほしい。

なんとなく、さびしそうな感じがする人だったから。

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ちえ と ゆうき の ほかに

昨日から小さな同居人の目が少し赤い。

片目だけ泣いている状態。

朝から眼科へ行く。

同居人は、女医さんの話をニコニコして聞いている。

お医者さんも楽しくなってきたのか一緒になって笑っている。

たいしたことないとのこと。良かった。

待合室でも、薬局でも、知らないおじさんに微笑みかけられた。

きっと同居人がじぃっと見つめて、笑いかけるからだ。

困ったなあ。

いや、困ることはないんだけど、何だか怖いのだ。

知らない人についてゆかないでね。

お願いします。

午後、確定申告へ。

その後、少し買物して帰った。

台所用品と、カラフルなシャツ。

私は服とかどうでもいいんだけれど、同居人はきれいな色が好きだから。

帰りみち、風が強くなってきた。

春の嵐。

同居人と一緒に飛ばされそうになって、すごく怖かった。

一生懸命ふんばったが、1メートルくらい流されてしまった。

危ない危ない。

帰宅したら、同居人が膝をつかないよつんばいを始めた。

自分でもすごいと思っているらしく、得意そうな表情で私を見る。

私もマネしてみる。

確かにすごい大変だ。

よくこんな姿勢になれたねえ。

でも疲れるから膝をついたほうがいいよ。

膝つきのよつんばいで行進してみせたら、少しの間だけマネをやり返してくれた。

毎日、進化のスピードが速すぎて、ついてゆけなくなってきた。

あまり急がないでほしいなあ。

何だか怖いのです。

最近、いろんなものが怖くてしかたない。

幸せを守るって、孤独だし、大変なんだねえ。

知恵と勇気のほかに、何か必要な気がしてきた。

あ、そうだ。

体力。

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ふぁ の ♯

小さな同居人は私がほんの少しでも見えないところに行くと泣き出す。

それはそれはみじめで打ちひしがれた表情だ。胸が痛くなる。

トイレも洗濯物を干すのも、ご飯を食べることも、なかなか、むつかしい。

見えるところにいても、パソコンに近付くのはNG。

そばにいて、遊ぶか、抱っこするか、見守るか、しなければならない。

といって一日中それをやるのは不可能に近い。

「ちょっとトイレ」とか「ちょっと洗濯物」と言って、離れることになる。

最近は言葉を覚えたのか、トイレとか洗濯物と、言った途端、泣き顔になる。

困った困った。

パソコンをいじるのも敵対行為とみなされる。

この四角いマシンに向かってカチャカチャやりだすと、私が心ここにあらずの状態になるのが同居人にはちゃんと分かるのだ。

ここ数日、おもちゃのピアノを弾いて私の気をひくようになった。

私が他のことをやりだすと、這って行って、鳴らす。

鳴るのはファのシャープが多い。

何故だか分からない。

ファのシャープが好きなの?

今夜はメンバーミーティングをやった。

ライブや秋の公演、それに最近いただいた仕事のことなど、久しぶりにゆっくり話せてよかった。

気分が明るくなった。

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どうぶつえん

小さな同居人が初めてきちんとしたよつんばいになった。

どんどん進化してゆくなあ。

最近はつかまって立ったりもできる。長くは続かないが。

お雛様を飾ってあった場所が何だかガランとして淋しくなってしまった。

小さな同居人は、いろんなものがゴチャゴチャ並んでいるのを眺めるのを好む。

持っていた動物の形の置物(干支の土鈴や、バリ島のお土産の木彫りの猫、スワロフスキのオブジェなどなど)を全部並べて置いてみた。

動物園?

そうだ、上に桜の枝の造花もあしらってしまおう。

タイトルは「お花見する動物たち」だな。よし。

センスはあんまり良くない気がするけれど、同居人は「ほう~むーあぎー」と言って喜んでいるからいいや。

今日は5月のライブの会場を探したり、経費を試算してみたりした。

5月のライブは「子守歌」がテーマだ。

ピアニストも子守唄を歌ってもらう歌手さんも素敵な人が見つかった。あとは企画をやる劇団がうまく動いてゆくだけだ。

頑張ろう。

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がっかり

仕事でとてもがっかりする事件があった。

約束をすべて守っても、信じてもらえない場合、どうしたらいいのだろう。

その人はきっと、私だけではなく、誰のことも信じていないのだと思う。

頼まれたことは断らず、つねに引き受けてきた。

それなのに。

つらいなあ。

あとでその事件のことを電話で人に話していて、ある瞬間、気がついた。

今の私には頼る人がいない。

表現者としての私を守ってくれる人などいない。

おそらく、みんな、お互い利用しあうだけなのだ。

私はかつてA先輩の才能を守り、支えたが、

そんな存在は、私の目の前にはあらわれない。

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みずうみ の ほとり

昼過ぎ、確定申告にやっと手をつけた。

週末までになんとかなりそうだ。

明日は役所と郵便局の本局に行かなければならない。

今週はこまごました用事を片付けていたら終わってしまった。

最近、幼児虐待のニュースが多い。

飛び出して行って犯人を殺してやりたくなるほどの憎悪を覚える。

そうなる前に、どうして周りが助けられないのか。

私にも何かできることはないのか。

今日はのんびり、ゆったりとお風呂に入ってみた。

小さな同居人は、ものすごく機嫌がいい。

そうか。

こういうのを望んでたんだ。

何の意味もなくじっと見つめあったりするのが好きなんだね。

ドキドキする。

あなたは壁も扉もないみたいに、私の心の中にすうっと入ってくる。

いとも簡単に。

私たちは手をつないで、私自身も初めて行く、見知らぬ領域に入ってゆく。

透明な水をたたえた湖のほとりへ。

この水はすべて、あなたに差し上げます。

たいらな水面を眺めながら私はそっと呟く。

反対に、私があなたの湖のほとりに行くことはない。

絶対に行ってはいけない。

だから淋しいのだ。

これから先、ずっと淋しさが続くのだ。

でも美しいその場所を想像しながら生きられる、

そういうチャンスをくれてありがとう。

ありがとう。

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すっぱだか

今日はひなまつり。

といっても、もう雛人形は飾ってあるし、海苔巻きもお供えした。

それから昨日、知人が桃をあしらった花束を届けてくれたのでそれも飾った。

あとは何をしたらいいんだろう?

久しぶりにいいお天気だ。

午前中は小さな同居人とともに買物がてら町をぶらぶらした。

午後はメンバーが来て大道具の整理をしてくれた。

早めに終わったので、1時間くらい遊んでいってもらう。

小さな同居人は最初は戸惑っていたが、そのうち慣れてきたら、笑いかけたり「ばんばんばんむん」と話しかけたりするようになった。

メンバーも楽しそう。

仲良しになって良かった良かった。

気付けば日が落ちていた。

ほんとに一日、あっという間に時間が過ぎてしまうなあ。

深夜、近くに住んでいる女優のSちゃんが遊びに来た。

この前の公演についてお喋りする。

それから私の個人的な悩みについて。

私は鈍くて記憶力が悪い、とか、そんなこと。

去年の夏、人から好きだと言われた、というのを最近になって「あっ」と思い出した、とか。

なぜそんな重要そうな(今となっては重要だったかどうかも分からない)ことを聞いた端から忘れてしまうのか。

確かにその時はいろんな事件が重なっていて、最大限にテンパッていた。

ネガティブな言葉に対してはその場でショックを受けるのに、良さそうな言葉に対しては、何故かスルーしてしまって、あとでふとした折に思い出すか、あるいは完全に忘れてしまう。

損な性分だ。

今回はなんと9ヶ月以上も経っているではないか!

自分の鈍さがすごくイヤだ。

きっとそういういろんな「重要そうなこと」をスルーしてしまっているんだろうな。私は。

いや、とりあえず思い出しただけでも良しとしようよ。

Sちゃんが、「スルーしたのは防衛反応ですよ。その時処理できない情報だから、流したんです」と言った。

それはその通り。

でも、私も時々はセンチメンタルになったりロマンティックな気分になったりしたいのだ。

それでもって、葛藤したりとかねえ。

お風呂上り、泣き出した同居人を抱え素っ裸で走りまわる私には、

もう無理かもしれないなあ。

そういう女の子っぽいこと。

騎士道っぽいロマンチズムなら、小さな同居人に強烈に感じているけれど。

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おとな の ようちえんじ

朝、小さな同居人に頭をポンポンされて目が覚めた。

起こしてくれてありがとう。

洗濯物を干してる隙に体温計など、小さな同居人のグッズを入れたポーチから、中身を全部出して遊んでいた!

2メートルも移動してる。

あんまり進まないほふく前進と、ハイハイもどきの不思議な動きだけで何とか辿りついたらしい。

それにしても、おもちゃより道具に興味を持つのは何故?

午前中は予防接種を受けに行った。

小さな同居人はこの医者のことも好きみたいだ。

医者が好きなの?

それともおじさんが好きなの?

誰でもいいのかな?

買物もついでに済ませる。

午後はメンバーが来て、昨日使った小道具と衣装などの後片付けをしてくれた。

胃の痛みもなくなってきたし、疲労もだいぶ取れた。

穏やかな一日が過ぎてゆく。

小さな同居人は、私が少しでもそばを離れると泣き出す。

トイレから戻ってきてみたら、大声出すでもなく、シクシクまさに涙にくれている状態になっていたので驚いた。

自分がものすごくひどいことをしたみたいな気がしてしまって、ごめんね、ごめんねと繰りかえしながら抱き締めた。

ずっと一緒なんだよ。

と口に出してみて気がついた。

いや、ずっとじゃ迷惑だろうね。

あなたが「大人の赤ちゃん」になるまでは、一緒に。

その後は、少し離れたところから見守ります。

私も最近、少しずつだが、「大人の赤ちゃん」から「大人の子ども」くらいにはなった気がする。

子ども?まあ幼稚園児くらいかな。

別れが来る頃までには、私も「大人の大人」にならなければ。

きっと少し離れる、というのが難しいんだろうなあ。

想像しただけで、鼻の奥がツンと、痛くなった。

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