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2010年4月

じかん は とまって いる

午前中から小さな同居人と格闘。

掃除をしてるのか、ふざけっこしてるのか、分からなくなる。

と、思ったらパタンと倒れるようにして昼寝を始めた。

その間に少しだけ原稿を書いた。

小さな同居人は家のすみからすみまで探検してまわる。

探検なのか、点検なのか、よく分からないが、とにかく、確かめてまわる。

床の状況に合わせてほふく前進と、よつんばいを組み合わせて移動する。高速。場合によってはいろんなものを踏みつぶしたりなぎ倒したりする。危険だ。

一番奥の部屋に着いて、ひと休み。

猫のような目で窓をじっと見つめている。

隣の公園の桜が風に揺れるたび、畳の上で陽射しが踊る。

おそらく「木漏れ日」ってものの存在に初めて気づいたのだろう。

サラダ記念日ならぬ「木漏れ日記念日」だな。

その後、初めてローテーブルの縁に手をつきながら、歩いた。

つたい歩き?

わっ初めてだ、とドキドキしながら見守る。

でも小さな同居人は割と慣れているような気もする……ひょっとして内緒で歩いていたのかもしれない。

それにしても、進化のペースが速すぎて、まったくついてゆけない。

とにかく安全面に気を配らないと。

夕方また少し仕事をやってから、安全対策の時間。

画鋲を粘着式のフックに変えたり尖っていて危ないところにカバーしたりする。

それと離乳食を作った。

ふと窓の外を見るともう暗い。

飛ぶように時間が過ぎてゆく。

いや、飛んでいるのは時間ではなくて、私と小さな同居人のほうか?

ひょっとしたら、時間は止まっていて、私たちが動いているのかもしれない。

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はんにん

今日、小さな同居人がつたい歩きをしているのを見てしまった。

声を掛けたら、発見された犯人のような顔をして、振りかえった。

ひょっとしたら今日が初めてじゃないのかもしれない。

何だかたいへんなことになってきた。

危険がないようにもっと家中を改造しなければ。

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ほうっ VS はあっ

部屋に季節感を出さねばならない、ということで、こいのぼりに挑戦。

手作り系のサイトで、ダウンロードして、手持ちの和紙に印刷。

もともとは軸棒に糸でつけて振り回して遊ぶもののようだけれど、私はモビールにしてみた。

こいのぼりが完成したら、重心点を探り、糸を通して完成。

なかなか素敵。

息を吹きかけると魚っぽい泳ぎ方(ただし小魚)をする。

小さな同居人は花のモビールの下にそれがぶらさがっているのを見て、驚いている。

おい、こいつはなんだ!という感じである。

ふわふわ動くと「ほうっほうっ」と声を出した。

私も一生懸命、息をはあっと吹きかけた。

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じぶん うけ

ギャグって本能なんだと思う。

小さな同居人を見ていると、そう実感する。

授乳中にときどき、私の服を口に入れて「あっ間違えちゃったよう」という顔をしてみせて、ぷふっと噴き出す。

同じことを繰り返すわけだから、本当に間違えたわけではないのである。

たぶん私を笑わせるためにやっているのだけれど、自分もつい可笑しさに耐えられず笑ってしまうのだろう。

いわゆる自分ウケの状態。

人を笑わせたり喜ばせたりしたいって最初からある程度プログラムされているんだと思う。

小さな同居人はときどきギャグを思いつくらしい。

何かをわざと間違えてみせるという「ボケ」が多い。

たいていの場合、やっている途中で耐えられずに噴き出して笑ってしまう。

ユーモアって完全に知的な働きだと思っていたから、とても意外だった。

まだまだ人生分からないことってあるんだなあ。

日々勉強ですな。

師匠が生きていて、私が今学んでいることを報告したら、どんな顔するだろう。

彼は「自分にとって最高に面白いことだけをやる」というポリシーを実践した結果、

ギャグをやりながらつい自分も笑ってしまうことがあった。

「いやゴメンゴメン。あんまり馬鹿馬鹿しいんで耐えられなくなっちゃった」

とまた思い出し笑いしてたっけ。

ユーモアの感覚ってだんだん成長するにつれ、鈍ってゆくのかもしれないなあ。

そんな気がする。

身体が固くなってゆくのと同じで感受性も硬直化してゆくのかもしれない。

でもストレッチをかかさずやれば身体の柔軟性は保てる。

じゃあ感受性を保つには?

どうすればいいのかなあ。考えてみよう。

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ぞう が おどる

最近寝室を大改造した。

ベッドに付いていた収納部分を外し、低くした。

小さな同居人がゴロゴロ暴れまわるため、安全性を考慮。

収納部分はベッドのヘッド部分に置いてテーブル代わりに。

インテリアが低くなったせいか、とても広々とした。

照明スタンドの位置を変えたら象のモビールの影が天井にくっきりと出る。

「象の行進」という商品名だったけれど、どっちかというと、象のダンスって感じだよね。

象の影がゆらゆら踊ってる。

もっとこの部屋を活用したいなあ。今は着替えるか眠るか、どちらかしか使っていない。

ここでも仕事できるようにしようかしら。

隣の公園では八重桜が満開だ。

夜になるとピンク色の花がぼうっと浮かび上がる。

花ってごくわずかの光でも、よく見える。

まるで発光してるみたい。

もう桜の季節も終わり。

居間に飾った桜のボンボリを外さなくては。

次は何を飾ろうかなあ。

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まてば かいろ の

おとなしく?ぼうっとしていたら、昼頃、ゲームの仕事の依頼がきた……。

待てば海路の日和あり、ってどういう意味だっけ?

調べたら「待っていれば、海が静かで航海に適した日がやってくるという意」と書いてあった。

う~ん。私に当てはまるかどうか。

とにかく5月のスケジュール、タイト過ぎるかもしれない。

本番もあるし、どうしたらいいんだ。

毎日ノルマを決めて、そしてそのノルマよりほんの少し超過して書き進めればいいかなあ。

貯金がたまったところで、一日だけちょっとサボったり。

午後、仕事でお世話になった方からメールが来ているのに気づいた。

嬉しいなあ。

近況など書いてあった。

私は彼の仕事のやり方を尊敬している。

この人は仕事相手にやる気を湧かせる方法を知ってるんだよね。

それはすごいことだ。私も真似したいと思っている。

あと、いつも格好つけたりしないで率直だから、話が面白い。ブログを偶然見つけて、すごく笑ってしまった。

でもあまりブログは読まないようにしたい。なんとなく。

小さな同居人と暮らし始めてからは、打ち合わせはすべてメールか電話なので、またそのうち会ってお話したいなあ。

小さな同居人は先週からつかまり立ちを覚え、今日も一日の大半を自主稽古?に費やした。

練習熱心だなあ。

誰から言われた訳でもないのに、自分でどんどん難易度の高いことにチャレンジしてゆく。

こういうのを見てると、練習とか研究って人間の本能なんじゃないかって思えてくる。

動きに関して、何か一つうまくできるようになると、後追いがさらに激しくなる。

今日は私が少しでも離れるそぶりをみせると、ふぇっふぇっと半泣きの声を出して、牽制する。

じぃっと見つめていないといけないらしい。

電話での打ち合わせの間、5分ほど側を離れたら、ひきつけを起こさんばかりに泣いていた。

もはや私がいないから泣いているのか、自分の泣き声がうるさすぎて「うるさい!」と癇癪を起こしているのか。

本人にも分からなくなっている様子。

大丈夫だよ。ごめんね。

抱きあって、お互いしがみつきあっていると、頭の芯がキュウッと締めつけられる感じがして、クラクラしてきた。

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かずお しりーず

深夜起きだして、原稿を書く。

ピアニストIさんのオリジナル曲「若葉」に合わせて読む朗読作品だ。

音源を聞きながら、二時間半でなんとか短編を書き上げる。

5月2日に朗読するのが楽しみ。

なかなか私らしい?場面が書けた。

昔書いていた、カズオシリーズみたいな雰囲気で、好きだなあ。

昼間嫌なことがいっぱいあったけれど、少し眠ったらリセットしたらしい。

目が覚めたとき、ちょうど人から優しいメールが届いていたので、気持が前向きになれた。

さて、寝よう。

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ぜんえい げいじゅつ

小さな同居人がおもちゃのピアノにつかまって立つようになった。

危ないので立つことに集中すればいいと思うのだが、

ときどき、演奏もしたいらしく、音を鳴らしながらつかまる、という難しい技に取り組んでいる。

しかも、歌声?のようなものもあげる。

弾き語りで、しかも、つかまっている。

まるで、ピアノと格闘しているみたいで面白い。

ちょっと前衛芸術みたい。

ビデオに撮ったが、うまくおさまらない。

撮り始めるとカメラを意識してしまって、歌わなくなる。何故だ?

サランラップの筒を口にあてて声を出してみせたら、真似するようになった。

仕事をしたり、側を離れたりすると、筒を拡声器代わりにして呼ばれる。

困ったものだ。

映画監督かいな。

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夜明けに小さな同居人が突然目覚めて、ハッスルしはじめた。

しばらく遊んでから寝かしつける。

ふと短編のアイディアが湧いた。

精神状態さえ安定していれば、発想って降ってくるものだ。

物語の世界に入ってぼんやりしていると、ストーリーが走馬灯のように見えてくることがある。

時間がとつぜん加速する感じ。

小さな同居人の頭を撫でながら、ピアニストのIさんから送られたきた曲を心の中で鳴らしていたら、いつの間にか夜の公園で雨に打たれていて、出逢った人についてゆくと……

そこから息ができないくらい、映像が早回しになった。

私はふだん記憶力がとても悪いのだけれど、その世界で聞いた物音、匂い、光景は忘れない。

5月2日の朗読ライブが楽しみだ。

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きかない ことば

とてもつらい出来事があった。

少しでいいから誇りを持って生きてゆきたいと思うのに、

それは許されないのかな。

小さな同居人の傷ついた表情を初めて見た。

言葉は理解できないが、人から無視されたらちゃんと分かるのだ。

守らねばと明るく堂々と振舞った。

オドオドしたり感情的になったらダメだ。

夜、寝かしつけながら、芝居を続けられなくなるかもしれない、という気がした。

動悸が激しくなる。

どうしよう。どうしよう。

言葉や意志が無視される日常を送っていると、感覚が麻痺してきて、創作が続けられない。

私は小さな同居人を連れて、どこかに行くべきなのか。

人に電話で話す。

話しているうち、涙が止まらなくなった。

だけど良かった。

泣いたら少し落ち着いた。

優しい人と接すると、何故か冷静に明るくなれる。

やらなきゃいけないことを整理して、ちゃんと進めてゆこう。

ありがとうに続けて「恩に着ます」と言うと、その人が笑うので何故なのと訊ねたら、

「最近聞かない言葉だから」と言われた。

今風の言葉だと、なんて言うのかしら、こういうの。

「忘れません」?

ちょっと重たいかな。

特にその人はなんだか忘れたそうな雰囲気の人だから。

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よませろよ

午後、A先輩(師匠)の死を看取ったOくんと会って、師匠の出演作の映像を受け取った。

Oくんはもとをただせば、私の主宰していた劇団のメンバーだった。

しかしA先輩の魅力に憑かれるようにして、そちらのユニットに移ったのである。

私にもプライドはあったから、意地で、もめたりしなかった。

頑張ってね、と送り出した。

とにかく私とOくんはそういう微妙な間柄である。

それなのに、そんな感じはなく(当たり前か。もう15年以上も前の話なのだから)和やかにお喋りした。

小さな同居人を連れて、川沿いの遊歩道を散歩した。

桜吹雪の中、師匠のことを話す。

Oくんは元看護士だからなのか、献身的に世話をしたようだ。

「俺は役割があったら果たさずにはいられない性格なんです」と言っていた。

うん。まあ昔からそうですね。あなたは。

それにしても記憶ってあてにならないね。

というか、記憶が意識を歪ませるのか。

Oくんの記憶が若い頃しかなかったせいで、私は彼が八つは下だろうと思い込んでいたのだけれど、実際には2歳しか違わなかった。

なあんだ。

そっか。きっとあの時は私も若かったんだね。

何となく、私は大人で、彼だけが若かった気がしていたんだけど。

現在の「大人の視点」から、過去を振りかえっているからなんだろうな。

ときどき、過去を振りかえっているうちに記憶の中に完全に入り込んでしまう人がいるけれど、

私には、無理だ。

去年の夏、小さな同居人と出逢った日の記憶は例外だけれど。

きっと、その記憶のデータが極端に重いせいで、他の記憶は極限まで軽量化されてしまったのだ。

Oくんに「しびれものがたり」の初演の台本を渡した。

この物語は、彼にはピタリと来るだろうと思ったからだ。

案の定、夜になってメールがきた。

気に入りました、と書いてあって、いくつかのセリフが抜書きされていた。

師匠は「しびれものがたり」どう思っただろう?

生きていれば、訊いてみたかった。

近所に住んでいたのだから、自転車で訪ねて行って……

いや。

きっと生きていれば、私は、意地でも、読ませないに違いない。

たとえいきなり連絡がきて「読ませろよ」と言われても、

「いーですよ。読まなくて」

できるだけ憎たらしい顔を作って言いかえす。

というか、そう言いたかったです。

言ってやりたかった。

師匠。

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いつか さくら の したで

午後、新宿御苑へ。

桜散る中、小さな同居人と友人と三人で散歩。

友人は段差などがあるたび、助けてくれる。

小さな同居人を連れている時は、こういう心遣いが何よりありがたい。

周りは60代くらいの女性のグループが多い。

みんな少しお洒落して、華やいだ表情をしている。

花びらと一緒に舞うみたいにひらひら歩いている様子はなんだかとても可愛らしい。

チェーホフの芝居の女主人公みたい。

私もヒロインよ。

そんな感じ。

私もあんなふうに歳を取りたいなあ。

彼女たちを見ていたらおセンチな芝居を書きたくなった。

美しいものに囲まれれば、女の人はいつだって、乙女に戻れるのです。

ははは。

女の人っていうのは美しいものと距離を取らない。

一体化したがる。

そこがなんか可愛い。

男性は違うなあ。まあ人にもよるのかもしれないけれど。

友人や、周りを歩く初老の男性たちを見ていて思った。

全然一体化してない。ジッと客観的に見ている。

距離を取って、対峙している感じ。

本来、美というのはそう味わうものだと思う。

離れて味わうべきもの。

それは正しい。でも、可愛くない。

実は私も、こちらよりの人間だ。

つまり、可愛くない。

美と一体化なんてとんでもない。

桜の下でひらひらなんてとてもできません。できないから、芝居に書くわけで。

でもいつか、オバサマたちのように、桜の花びらと一緒に舞ってみたいなあ。

芝居ではなく、現実で。

ひ~らひら。ひ~らひら。

池の周りを歩いていると、いくにんかの友人や恋人だった人のことを思い出した。

あずまやで小さな同居人を抱いて休んでいると、隣に掛けていたイギリス人らしき女性が、写真を撮らせてくれと言って、シャッターを切った。

デジカメの画面には、頼りなく笑う私と、同居人の弾む笑顔がおさまっていた。

不思議な気分になった。

この人たちは、何故見ず知らずの私たちの写真を持ち帰りたいんだろう?

でも、何だか嬉しかった。

この人のカメラの中でも、私と同居人は一緒だ。一緒なのだ。

帰ってきてからは打ち合わせが二つあって、何だか忙しかった。

小さな同居人は最近ちょっとしたことに失敗しては、泣く。

プライドが、もうちゃあんとあるのだ。

よろけかたがあまりにも可愛くて可笑しかったので思わず笑ったら、また泣いた。

失敗しただけでは泣かないのだが、それを見られて、しかも笑われるというのが悔しいらしい。

プライドは、尊重しなければ。

これからは心の中で笑います。

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しあわせぢから

今日は朝から気忙しい。

昼過ぎには出かけなければならない。

今日は元メンバーの結婚パーティー。

私は音楽演出ときっかけ合わせを担当している。

他の人は仕事として受けているようだが、私と演出助手のHちゃんはボランティアにしてもらった。

原宿はえらく混んでいたが、なんとか時間きっかりに会場入り。

小さな同居人を抱っこ紐で胸にくくりつけ、場当たりときっかけ合わせ。

スタッフのほとんどは元メンバーだ。

演奏家たち以外は、現場から離れて長く、会社員や主婦、ライターなど別の仕事についているから、みんなで息を合わせてということがなかなかにむつかしい。

それでも、それぞれの仕事ぶりに昔からのクセを発見して「変わってないな~」と、心の中でニヤニヤしてしまった。

Hちゃんは照明を担当。

花嫁に明かりをあてる。

照明を持ち込むことには反対意見があったが、やはり持ってきて正解。この店、暗すぎるもの。

花嫁が登場、トップ・オブ・ザ・ワールドを歌っている間、彼女と出会ってから今までのことがゆらゆらと頭をかけめぐった。

彼女は今まで夢ばかり見ている苦労人だったけれど、これからは違う。

夢をそのまんま生きてゆく人になるのだ。

きれいな花嫁さんになることも、幸せな家庭を作ることも。

すべての夢はかなった。

あとはその世界を大切にしながら生きるだけだよ。

ほんの少しだけど、今日は夢のお手伝いができて良かった。

小さな同居人は演奏の間は静かにしている。

音楽が好きなんだね。

パーティーが始まると、私はしばらく仕事が無い。

懐かしい顔が集まるテーブルで、近況など報告しあう。

帰り道、雨が降ってきた。

原宿駅の混み方は半端ではない。

困ったなあ。どうしよう。

メンバーが助けてくれて、何とか家に帰り着いた。

それにしてもこんなに近くなのに、地下鉄三つ乗り継ぐとは思わなかったよう。

眠る時、やっと同居人と二人きりになれた。

小さな同居人は私の手に頭をすりつけてくる。

今日はたいへんな一日だったねえ。

一緒にいたから頑張れたよ。ありがとう。

幸せって掴むのは簡単なのかもしれないけれど、幸せな状態をキープするのはむつかしい。

筋肉と一緒かな。

つけるのは簡単だけど、そのまんま保つのがむつかしい。

幸せ力って呼ぼうかな。

小さな同居人と出逢ってから、私は「幸せ力」がだいぶついてきたように思う。

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さくら と せせらぎ は かなであう

正午少し前、雨がやんだ。

小さな同居人と、友人とで、川沿いの遊歩道へ。

桜の天井の下を、のんびり歩いた。

花は五分咲きといったところだろうか。

桜の枝が水面を目指すのは、反射光に反応しているという説を聞いたことがある。

上からは太陽、下からは反射光。

光合成で生きる身としては最上の選択だろう。

その説が正しいかどうかは知らないが、確かに、いつも桜の枝は、光と、水を求めている。

こうして川を見下ろすと、花とせせらぎとが奏であっているみたい。

とても美しい。

途中、小さな公園に入った。

チューリップや、桜草、マリーゴールドなどが咲いていた。

マリーゴールド。

昔飼っていた犬はこの花が大嫌いだった。

すごく変な香りがするからだ。

春になるたび、花壇を掘り返してメチャクチャにしてしまったっけ。

家に帰ったら小さな同居人がハイテンションになって、困った。

やらなきゃいけない仕事がいくつかあるのに。

こっち見て。こっち見て、早く。

同居人はいつも、すべての眼差しをよこせと要求してくる。

私が他の何かを始めた途端、あらゆる手を使って振りかえらせようとする。

ときどき、私は嬉しくて泣いてしまう。

Tシャツからのぞいた背中をぺろりとなめられたとき。

資料に目を通していたら膝の上にのぼってきたとき。

離れたところで目が合っただけなのにお互いの気持がぜんぶ分かったとき。

ときどき、一日に何度も、私は泣いてしまう。

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