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2010年5月

かいわ が おどる

昨日は本番。

とても楽しかった。

後で、昨日のことは書こうと思う。

今朝からさっきまでで、ゲーム台本を3.5話分書いた。

0.5話分、金曜日に書いておいてほんとによかった。

字数にして、10000字以上。

計算したくない。

そんでそれが終わってから、4話分の修正をやった。

すごい疲れた。

頭が変になった。

会話が脳ミソの中で踊っている。

もう何も考えたくない。

食べて眠りたい。

普通に人と話したりとかしたい。

私の欲求は極めて最低限のものだと思う……。

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ぜったい に たべたくないもの 

安全のため、段差を後ろ向きで降りるように教えたら、

ちゃんと、後ずさりのハイハイで降りるようになった。

すごいなあ。

覚えたんだねえ。

本番の疲れで、思わず先に寝てしまった。

真夜中起きだした小さな同居人が私の顔の上にぬいぐるみをどんどん投下するので困った。

気付けばぬいぐるみに、まみれていた。

それからもう一度寝たのだが、小さな同居人は、オムツ(もちろん使用前のきれいなオムツ)を私に食べさせてみようと、突然思いついたらしく、無理やり口の中に押し込もうとする。

頼むから、頼むからやめてくれ。

オムツだけは食べたくないです。

しかしそれで満足したらしく、パタンと倒れて眠ってしまった。

まったく、困った人だなあ。

本番は、昼も夜もなかなか楽しくできた。

しかし昼夜違う演目で、舞台監督を兼ねるのは、しんどい。

予算を用意し、やはり人を雇うべきだった。

この演目は、いろんな場所でやり続けてゆきたい。

昼の部の「こども&マタニティ」は、地方のホールからお話しがいただけそうだ。

何度も繰り返し上演してゆくうちに、もっと磨かれたものになると思う。

夜の部の「おとなのライブ」もホテルのカフェなどでやれたらいいなあ。

いろいろ考えて、営業してみたい。

こもりうたって素敵だもの。

それをみんなにも、伝えてゆきたいな。

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どうぞきねんび

小さな同居人が、私に次々とものを渡してくれるようになった。

犬のぬいぐるみ。

くまのぬいぐるみ。

鉄分強化のおせんべい。

離乳食用のスプーン。

私と、「受け渡し遊び」をやっていて、覚えたらしい。

遊びの内容は、まず私が「はい、どうぞ」と渡す。

同居人が受け取る。

私が「ください」と言う。

同居人が私にそれを差し出してくる。

私が「ありがとう」と受け取る。

同居人が手を伸ばしてくる。

「どうぞ」と渡す。

その繰りかえし。

今日はなんと、私が渡すと「はい。どうじょ」と言って受け取った!

受け取るのに「どうぞ」?

逆なのだが、本人はとにかく「どうぞ」という言葉(正確には「どうじょ」)気に入っているらしく、その後、ムーミンのぬいぐるみや絵本に向かっても連発していた。

今日はそんなわけで「どうぞ記念日」です。

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くふう

今回の「こもりうたライブ」は制作からなにからほとんどひとりでやっているので、

思わず、頭がパンクしそうになる。

昼と夜で内容が違うので、当日パンフも二種類作らなければならない。

ふえ~どうしよう、と悩むのも面倒くさいので、何も考えずとりあえず作ってしまった。

悩むのってエネルギー使うから、むしろやってしまったほうがラクだ。

誰でもそうかもしれないが、舞台活動に関して、自発的に働くのは楽しいのに、人からお前は主宰なんだから働けって言われたり、働くのが当然みたいなことを言われるのはとても苦痛だ。

お互いにやる気を高く保つには、工夫が必要だと思う。

でも、みんな自分の経験の中で価値観を積み上げてゆくから、仕方ないのかな。

たとえば料理出来ない人は、作ったことがないから、出されたおかずを見ても、その手間とか作るのに掛かる時間が分からない。

出来上がったものを見て「へえなんだ簡単そうじゃん、いただきま~す」って食べちゃって、手間暇のことなんか忘れちゃう。

作った側も、恩に着せるのなんかイヤだから、言わない。

こういうことが繰り返されたら、お互い、どんどん気持が冷めてゆく。

そういう漬物石みたいに重くて冷えた関係にならないために必要なのは

洞察力だ。

それと、変に我慢しないこと。

たぶん、私が今、向き合っている人間関係上の困難の原因は、

「我慢しすぎた」ことにあると思う。

結局自分が悪いんだよね。

ずっと創作を続けてゆくために、どうすればよいのか、考えたい。

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たべる たべられない

小さな同居人とゲーム台本の仕事の板ばさみになり、食べる時間もない。

食べるために書いているのに、食べられないとは、皮肉な話しだ。

昼間は、ライブの合わせや作業、小さな同居人の世話で、なかなか書く時間が捻出できない。

一時保育やベビーシッターさんをお願いしたりして、なんとか時間を捻出する。

それと真夜中。

しんどいなあ。

小さな同居人は、ますます複雑な言葉を喋るようになった。

と言っても、ふつうの日本語ではないけれど。

時々、私にも理解できることがある。

ずっと一緒にいたいのに、いられない。

淋しいなあ。

同居人のことを思い、泣きながら原稿書いてることがある。

助けて、助けて、と思うことがある。

結論は知ってるのに。

誰も助けられない。

これは私自身が切り抜けるべき問題だ。

さてどうするか。

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えぬ えっち けー らじお

結局、自分の出演しているラジオ番組を聞き逃した。

というか、土曜日は目覚ましも掛けてなかった。

放送時間が突然変更になり、6時台だったからだ。

ディレクターさんから、NHKラジオのサイトに私のインタビューがアップされている、というメールをもらったのを思い出した。

行ってみたら、なるほど載ってた。

http://www.nhk.or.jp/r1/asa/culture.html

今はちょっと疲れているので、聞くのはやめておこう。

あとで聞こうっと。

午後はリハーサル。

ピアニストのIさんと人形操演のHちゃんと、ガツンと合わせをやった。

とても楽しい。

特に音楽と朗読の合わせに関してクリエイティブな作業が出来た。

いい舞台になりそうだ。

今後の合わせでどんどん、密度を上げてゆきたい。

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かいふく

目覚めたらだいぶ回復していた。

小さな同居人とともに、たまっていた家事を片付けた。

それと、仕事。

小さな同居人は、私にずっとついてまわる。

トイレも洗濯も、料理も。

足元が危なくて仕方ない。

特に料理は危ない。

何度もレンジの前から退場をお願いするが、意志が固く、一歩も動いてもらえない。

やむなく無理やり床から引きはがし、拉致椅子へ。

きっと今日はぐっすり眠るだろう。

夜中、台本を新しいスケジュール通りに入稿。

(ゲーム会社の方が、スケジュールを新しく組み直してくださったのだ)

これから何度も小刻みに締め切りがある。

今まで遅れたことがないので、

そんなに締め切りって重たく感じていなかったけれど、

こうして体調を崩したりすると、

簡単に落としてしまったりするもんなんだなあと思う。

もっと謙虚に、注意深く、あらゆる面について危機回避してゆかねばならないと思う。

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はやりやまい

朝。高熱。

姉が来て、ポカリスエットをくれた。

午前中、小さな同居人とともにクリニックへ。

インフルエンザではないとのこと。

今、流行中の風邪で、回復までだいたい4日間くらいかかる、と言われた。

困ったなあ。

どうしたらいいんだろう。

頭に浮かんだのはゲーム台本の仕事。

昨日今日と仕事できないと締め切りに間に合わない。

だけど、休まないと治らない。

今はまだ授乳中だから、私が倒れたら小さな同居人が飢える。

それだけは避けたい。

帰宅後、ゲーム会社に電話して、事情を正直に話した。

クビになるかな、と思ったら、締め切りを延ばしてくださった。なんという温情。

ありがとうございます。

本当に恩に着ます。

団員ミーティングもできないので、その旨メーリングリストで流すと、私と小さな同居人を心配して、何人もの人が差し入れを申し出てくれた。

ただただ感謝である。

みんな優しいなあ。ほんと優しい。ありがとね。

みんなに会いたくてたまらなくなった。

午後、もともとベビーシッターさんを頼んであったので、そのままぶっ倒れて寝ていた。まだまだ熱は下がらず身体中が痛くて仕方ない。

夕方、両親が来たが、母親に風邪がうつっていたらしく、結局、吐いて田舎にとんぼがえりした。

夜になったら気分は少し楽になってきた。

ひと眠りして、ゲーム台本を少し書いた。

頑張りすぎるのもいけないから、一話分書いて、ベッドに戻った。

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おかん

朝から台本を書くつもりが、午前中具合が悪く寝てしまった。

午後起き出してなんとか書くが、夕方から吐き気。

めまいがするのでどうしたんだろうと思っていたら、悪寒がきた。

でも週末から来てもらっていた家人にはさすがにもう頼れないので、帰ってもらった。

夜中、トイレで吐いていたら、小さな同居人がはいはいして、ドアのところまで来て泣き始めた。

私の様子がおかしいことを察知して、動揺している。

ごめんよ。

なんとか、あなたをベッドに戻すので今は精一杯。

小さな同居人は、心細くて、私にしがみついて泣いている。

もしインフルエンザだったらどうしよう。

うつしてしまうかもしれない。

震えながら姉に電話。

朝、来てくれるという。

それまでなんとか頑張ることにする。

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ふるえ

朝起きて、台本。

午後、リハーサルに出かけた。

通しを一度終えたところで、NHKラジオのディレクターさんが、取材に来た。

ラジオって身軽でいいなあ。

今は機材も小さいし、一人で取材できるんだね。

と思っていたら、ディレクターさんも同じことを言ってた。

「身軽で俺には合ってます」とのこと。

この人、ちょっと私と感覚が似てるなあ。

ただ、私は芝居だから、身軽に、とはゆかないんだけれど。

その後、自宅にてインタビューを受けた。

小さな同居人のことを喋りたくないような気がして、でも、芝居のことを語ろうとするとなんだか出てきてしまうような気がして、うまく口がまわらない。

と思ったら途中からなんとなく震えのような悪寒のようなものを感じた。

なんだろう?

と思いつつ、取材を終え、雑談。

そのままディレクターさんを見送って、小さな同居人と遊んだ。

小さな同居人は、つたい歩きをするが、バランスがとれず、すぐにひっくり返る。

大人だったら、自分の限界を見極めて、ひっくり返るようなアクロバティックなことはやらないんだろうけれど、

今の小さな同居人には自信がみなぎっているのだ。

「重力と私は闘う、地球の引力に、私は断固として反対します」というスローガンを掲げる活動家のようなもんだ。

引力に反対しても、ねえ。

とにかく、こうと思ったことはやらなければ絶対に気が済まない人だ。

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いないいないばあ

こもりうたライブの台本も上がり、外注のゲーム脚本に取り掛かる。

風呂場での出来事。

小さな同居人がタオルをかかげて、自分の顔を隠した。

そしてクスクス笑いながら突然顔を出す。

「いないいないばあ」を自分でやってみようと思いついたらしい。

私が驚いてみせると、キャッキャッ笑う。

いつの間にか、こんなことができるようになったんだねえ。

昨日はつたい歩きをしていて、よろけてひっくり返り、泣いた。

本当は手で受け身を取っていたから痛くなかったらしいのだけれど、失敗すると、悔しいようだ。

小さな同居人を見ていると、変化とは別れなのだと、

そして、人生とは別れの連続なのだと、

あらためて思い知らされる。

子宮と別れて生まれ

抱いてくれる腕と別れて立ちはじめ、

乳房と訣別して食物を口にする。

小さな同居人はちゃくちゃくと、赤ん坊から子どもに変化を遂げつつある。

ときどき産まれたばかりの頃のポーズになって大泣きしてしまうのは、

別れがつらいからなのかな。

変化とは、厳しく、つらく、切ないもの。

小さな同居人との暮らしはあまりにも甘くて鮮やかなので

そんなことはつい忘れてしまうけれど。

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いちいち いちにち

朝からちょこちょこと「こもりうたライブ」の台本。

昼の部は「こども&マタニティライブ」で夜の部は「おとなのライブ」

台本も二種類用意しなければならない。

割と大変。

夕方、最近声を掛けてくださったゲーム会社へ。

担当の方と社長さんと、お会いした。

これまでは携帯のゲームを書いていたのだが、今度はプレステ用のゲーム。

こちらはどうなるかまだ分からない。企画がまだ本決まりでないそうだ。

関われたら面白そう。やってみたい。

帰宅後。

小さな同居人が私を探してパソコンのところまでハイハイして行ったけれど見当たらないので突っ伏して泣き出した。

という話を聞いて、私も泣きたくなった。

泣きたくなったポイントは、パソコンのところを探してた、というあたり。

そんなにパソコンに向かってるところ、見せてたのか。

切ない。

確かに、仕事のエリアは柵をつけてあるのだが、その柵につかまり立ちして、じっとこっちを見ていることがある。

柵を閉じるのを忘れていると、ハイハイにて突撃。私の脚に抱きついてくる。

いちいち胸が痛くなって、いちにち何度も泣く。

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ときどき/よしよし

頭がパンクしそう。

やることがたくさんあり過ぎる。

酸欠の時みたいに集中が長く続かない。

というかほんとに酸欠?

脈をはかってみたらやっぱり50ちょっとくらいしかない。やばい。

夕方から稽古に出掛けた。

女優Aさんと練習。

とても楽しい。

この頭痛さえなかったら最高なのに。

私は幼い頃から身体があまり丈夫なほうではないが、

20代半ばくらいで「このままじゃ何にもできない」と気付いた。

それからは体調が原因で仕事の予定を変更したことがほとんどない。

39度熱があっても敢行してしまう。

はた迷惑な人間。

他人は私に対して絶対に壊れないというイメージを持っているように思う。

接していてそう感じる。

そのイメージ通り頑張らなければ、という気持になる。

弱く頼りない人間として、両脇をふわっと抱えてもらいたいなあ、などとも思う。ときどき。

で、その次の瞬間、自分がずるいことを考えたみたいな、後ろめたい気分になる。

自分のこと弱いと思うのって、何だかズルしてる感じ。

私も人間だから、ときどき「よしよしよくやっているね」って頭を撫でられたく思うのだ。

よしよし。

よくやってるね。

よしよし。

深夜メールボックスを開けたら、友人から長いメールが来ていた。

先日、ライブで朗読した三つの作品について、感想が綴られている。

嬉しい内容だった。

「よしよし」されたみたいな心持になった。

ありがとう。

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おれさま

台本書きたいのだが、「書きたい波」と「書ける時間」のタイミングが合わない。

小さな同居人は、私が台本のことを考えているのがどうも分かるらしい。

私が「そろそろ書きたいな」と思い始めると、さっきまで眠りそうだったくせに、突然ぐずり始める。

次々とおもちゃを取り出し遊びに誘ってきて私を絶対にパソコンに近付かせない。

困ってしまう。

仕方ないのでアイディアを心の中のメモ帳に書きつける。

昔、会社勤めをしている時も、こんな風にしてたっけ。

物語作りは道を進むのと似ている。

風景を覚えておけば、思いついたその場でメモを取れなくても、あとで簡単に台本化できる。

現実の世界だと、何度か行った場所でも地図がないとたどりつけない方向音痴なのに、矛盾している。

人の話を聞いていると思う。

世の中の人たちは、恋愛したり、夫婦したり(変な表現だけれど、この言葉以外にうまく言い表せない)、してるんだなあ。

はっきりしていることが一つある。

前者も後者も、忍耐が必要だということだ。

私にもっとも欠けているもの。

仕事や小さな同居人のためなら堪忍袋の緒がゴムのように伸びたり縮んだりする私だが、異性のためには、たやすく切れてしまうかぼそい赤い糸しか持ち合わせていない。

こんな私が、恋物語を書いてメシを食っているのは、ちゃんちゃらおかしい話なのではないだろうか。

それにしても、ゲーム台本で注文されるのは「オレ様系」と呼ばれるキャラクターばかり。

世の女性たちはかようにオレ様を求めているのだろうか。

私は俺サマと接するのが昔からたいそう苦手である。

天敵と言ってもいい。

苦手なせいで弱気になるからだろう。結局「俺サマ」につかまってつきあってしまう。

総じてあまりいい思い出がない。

何故、オレ様って人気あるのかな。

受け身になりたい女子が多いってことか?

それはなんとなく分からなくもない。

私も、突然空から降ってくるみたいな感じで何かしてもらったりするのに弱いし。

とにかく、女子たちがそんなだから、世の中のきちんとした、地道でちゃんと生きてて、人の話もきちんと聞けて、しかしちょっと押しの弱いおとなしい男の人たちが、ソンしてるのではないかと思うのである。

草食系、とかひとくくりにしないで、ちゃんと評価してほしいよなあ。

義憤を感じたりする。

最近、友人にそういう人がちらほらいるので、よけいにそう感じるのかもしれない。

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すけて みえる

NHKラジオのディレクターさんから電話をいただいた。

インタビューを、とのこと。

月末にやる「こもりうたライブ」も取り上げてもらえるようなので、もちろんお引き受けする。

午後、こもりうたライブの打ち合わせと稽古。

4分の1ほど書けた台本を試しに読み合わせ。

方向性が見えてきた。

安心して書き進めることにする。

このイベント、存分に楽しんで、丁寧に作ろうと思う。

小さな同居人とキャッチボールができるようになった。

投げたり転がしたりのやりとり。

私が移動すると、ちゃんと私のほうに向かって転がす。

失敗しておかしな方向に投げてしまったりもするが、だいたいは、コントロールできている。

ボールが転がってくるたびに、嬉しくて「ありがとう」と言ってしまう。

そういえば、先日、人に世話になったので「ありがとう。いつもすみません」と言ったら「すみません」より「ありがとう」が好きと言われた。

思いかえしてみると、私の場合、「ありがとう」を単独で発することは少ない。

ほとんど「すみません」とセットだ。

「すみ・ありセット」あるいは「あり・すみセット」と呼ぼう。

何故かといえば、たいてい私が何か出来なかったり、ダメだったりしたときに、フォローしてもらったりしているからだ。

お返しができるような対等な立場ならば、ありがとう、だけでいいのだけれど、そうでない場合は、どうしても「申し訳のなさ」を表現したくなってしまうのである。

まあ、それはそれできっと鬱陶しいんだろうな。

その感覚もよく分かるんだけど……。

結局、仕事でも個人的な関係でも、お互い頼るのではなく、私が一方的に何かお願いしたり、相談を聞いてもらったり、というような場合は、どうしても「あり・すみセット」になってしまう。

というか私が人に頼り過ぎ?打ち明け過ぎ?なのか?

まあとにかく「申し訳のなさ」は胸の中にとどめておくとしよう。すっきりとしたお礼の言い方を心掛けなければならない。

昔、恋人が花束やアクセサリーをプレゼントしてくれたり、景色のきれいな場所へ連れて行ってくれた。

そういえばあの時はぜんぶ、「ありがとう」だったなあ。

それは何故?

別にお返しとかしなかったけど……。

お願いしたわけじゃなく、「空から降ってきたみたいに」してもらったことだったから?

ああ、そうか。

愛の存在によって、私は人と対等になれるんだ。

私だけじゃないのかも。

相手の中に自分への愛が透けて見えるとき、人は初めて対等になれるのかもしれない。

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じくう の ねじれ

真夜中、目を覚ますと小さな同居人が枕元のボードにつかまって立っている。

何をしているのかというと、薄暗い中で目覚まし時計をいじったりぬいぐるみを振りまわしたり、本をパラパラめくったりして遊んでいる。

すごく真剣でちょっと怖いくらい。

まるで研究でもしているみたいな感じ。

博士、目覚まし時計を倒して懸命にクルクル回しているのは何の研究ですか?

「時計の針ではなく時計自身を半時計回りに回したら時空がどのようにねじれるのかを確かめておるのじゃっ」

なあんてね。

声を掛けるとビクッとして振りかえる。どうして?

半分夢の中にいるのかもしれない。

今のところ、意味の分かっている言葉は、「チューリップ」と「象さん」と「ケロちゃん」「ボール」そして自分自身の名前。

あとは「トコトコ虫」、私がふざけてやる、指先を使った遊びの名前。

ひょっとしたら、ゲーム台本の仕事がもう一つ入るかもしれない。

そしたらどうしよう……。

そんなに書いたら頭がおかしくなるかもしれない。

大丈夫だろうか。

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のら か やせい か

今日は「新宿たかのや」での朗読ライブ本番。

午前中に小屋入り、リハ。

客席には、とても親しい人たち、劇団のコアなお客さま。

しばらくぶりに見る顔もあり、胸が弾んだ。

楽しんで読もう。

新作短編を二つ朗読した後、「犀」を読む。

これはタイバンの「lx+」さんたちと一緒に上演。

犀の曲はもともとlx+のT氏が作ったものだからだ。

さっきリハで初めて合わせた!が、なかなか悪くない出来。

ピアノ、キーボード、ピアニカ、朗読と、みんながそれぞれのパートで作品世界を楽しめたと思う。

本番後にみんなでお茶した。

カフェで打ち上げ、って何だかヘンだ。

T氏と、夏にやる子ども劇のことなどほんの少し打ち合わせする。

彼も相変わらず忙しそうだなあ。

家に帰ってきてから、メールをチェックしてたら、なんと今度引き受けたゲームの資料が大量に届いていることが判明!しかもおととい!

焦る。小規模なパニック。

とりあえず印刷。内容別に分類して綴じる。

具合が悪くなるくらいたくさんあるよう。

だけどこれを頭にインプットしないと、書き始められない。

うう、どうしたら……小さな同居人を寝かしつけてから目を通し始める。

しばらくしてモウロウとしてきた。ちょっと眠ってから、もう一度チャレンジ、9割くらい読むことができた。

最近、情に対して、用心深くなったなあ、と思う。

いや、最近ってわけじゃないのかな。

以前からその傾向はあるかもしれない。

無防備なままで感情のやりとりをすると、なにかトラブルが起こる気がしてしまう。

特にどういう種類であろうと、好意を抱かれた場合には。

怖くて仕方がない。

だから、かたちでは親しくはするが、近寄らない。物理的にも、精神的にも。

心身ともに距離を置いて座る。

近付いてきたら、さりげなく後ずさりする。怖くてヒヤヒヤするのだが、平気を装う。

ときどき、それを見抜いて指摘してくる人がいる。

そういう場合、迷う。

あと二倍くらい後ずさりしようか。

それとも、歯をむいて噛みつくか。

だいたい前者の方法を選ぶが、毎回、迷うことは迷う。

前者が野良で、後者が野生というところだろうか。

どちらにしろ、近付かれるまま、自然な情のやりとりをするという選択肢は最近なくなってしまった。

私は、私に近付く人がいつもうらやましい。

心がうらやましい。

童話にはよく、ボロを着た子どもが金持ちの家の窓を覗きこみ憧れるシーンが描かれる。

私も、そんな感じ。

ボロを着た子どものままじゃいけないな、とは思っている。

なんとかしなければなあ。

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