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2010年6月

かすめ とる

稽古から帰ってきたら小さな同居人はぐっすり眠り込んでいた。

台本の続きを書いたあと、韓国×ウルグアイ戦を見た。

なかなかいい試合だった。

ウルグアイって、巧いなあ。

パク・チソンのいる韓国は巧いというより、力強い勝気なプレーだが、ウルグアイは巧い。

ゴールを掠め取ってゆく感じ。

スアレス、いい選手だ。

調べたらオランダで活躍してる人だそうで。

シミュレーションが多いと書いてあった……。

なんだかこの人ズルいと感じた直感は当たってたのかも。

パラグアイもいいチーム。

身体能力も高いし、勝つために必要な、ズルさも持っている。

日本にはないものをたくさん持っている。

でも日本だってオカナチオがある。

昔とは違って、鼻っ柱の強いのを隠そうともしない、イキのいい選手たちも出てきた。

ぜひきっちり暴れてきて欲しい。

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かんどう の さいかい

スタッフの方からのすすめでTwitterを始めてみた。

なんだか使い方がよく分からない。

ゲーム台本のことなど書いてみたいなあ、と思って始めたが……。

まあそのうち慣れるかなあ。

早朝、小さな同居人がベッドから起き出して別の部屋で遊び始めた。

「ねんねしよ」と諭したら、部屋の外に誘導され、しかも床のストッパー金具を外してドアを閉められた。

遊びの邪魔になるから追い出したのだろうが、いざ私の姿がドアの向こう側に消えると心細くなったらしく、ドアを叩きながら泣き出した。

やれやれ。

私を閉めだしたのはあなたですよ。

ドアを開けると、抱きついてきた。

朝っぱらから感動の再会。

嬉しいけど、う~ん、何が嬉しいのかよく分からない。

昼間少しだけ、台本を書いた。

今の私には何か決断力が足りない?

短くまとめて書いてゆくことができない。

まあ後で刈り込めばいいか。

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ちゅうしゃ して

小さな同居人は、このところキャッチボールがお気に入りだ。

布製のボールとゴム製のと両方で遊ぶ。

時々後ろに投げてしまったりもするが、たいていは、私の方に放ってくれる。

ソファの上からも自分で降りられるようになった。

危ないからと、一応見守るが、たいてい安全に後ろ向きで足から降りる。

積み木の楽しさが分かるまでにはまだ時間が掛かりそうだが、

どうやら色に興味が湧いてきたようだ。

今日は黄緑色のジョーロと、プラスチック製のいろんな形のブロックを集めて並べていた。

最近は「渡し遊び」が好きで、何でも渡してくる。

ぬいぐるみ、食べかけの赤ちゃん用おせんべい、おもちゃ、本から破り取った紙片などなど。

そのたびに「ありがとう」と受け取っている。

でも、本を破り取るのはやめて欲しい。

「海辺のカフカ」のブックカバー、グチャグチャになったので捨てた。ちょっと悲しい。

まあ、テーブルの上に置きっぱなしにした私が悪いんだけど。

今日、体重を測ったら、また痩せていた。

私は痩せても素敵になるタイプではない。

というか、外見より体力を取る。

できれば太ってパワーをつけたい。

もっと食べなくちゃ。

だけど、なかなか食べる時間がないなあ。

栄養を注射したい。

誰か注射してほしい。

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れんあい そうだん

恋愛相談したい、と知人から言われた。

以前だったら興味本位もあり、即OKなのだが、

あまり気乗りしない。

恋愛ってなんなのか、分からなくなってしまった……。

恋愛ゲームの台本、書いてるのにね。

いや、だからなのか?

まるで現実感がない。

ほとんど物語の世界の出来事だ。

恋愛相談したがってる彼は私とほとんど歳違わないのになあ。

最近、別のもっと年上の人と話してた時も、驚いた。

その人は現在恋愛中か、あるいはこれから恋愛したいと思っているようだった。

周りを見回しても同世代の女性は、恋愛は眼中にないという雰囲気の人しかいない。

枯れている、というより、ほかのことに夢中という感じ。

恋をいつまでも追い求めるのは

男性特有の現象なのか、それとも私の周りだけのことなのか。

知人には気乗りしない、とメールを送ったが、

結局片思い中の彼女に送ったメールが転送されてきた。

どういうことだ?

でも、まあ、読んでしまったので、感想は送らねばなるまい。

むむ。

そのメールを読んでいたら、すごく年下の友人が勤め帰りに訪ねてきた。

小さな同居人はネクタイを締めたお客さまを珍しそうに見つめている。

出前の釜飯を食べながら、友人と語り合う。

彼は去年、社会人劇団を旗揚げしたのだ。

9月に公演をやるとのこと。

彼は制作チーフ。

「制作ってのは」

舞台の先輩として、つい、いろいろ出過ぎたことを言ってしまう。

しかも制作なんかちゃんとやったことないのに。

彼は反論しながらも、きちんと耳を傾けてくれる。

大人だねえ。

時々は子どもっぽくなればいいのに、とも思う。

彼の長所はもっと別のところにある、と私は知っている。

その長所は、遠い星のようだ。

肉眼では見えないけれど、確かに輝いているのだ。

暗闇の中で。

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ほんと の ことなど いうな

友人とともに、川沿いの遊歩道を歩いた。

以前から気になっていた寒天の工場直営の甘味処に入る。

私は人が欲しがっているものを、読み取って言い当ててしまうことがある。

言い当てる、というのは語弊があるかも。

当たっているかどうか、他人の心の中など分からないし。

ただ、しばしば、当たっていると言われる。

友人から、「ふわふわとした可愛らしいものを欲しがっている」というオーラのようなものを感じた。

私「猫を飼ってみたらどうだろう?」

友人「何故?」

私「ふわふわとした可愛らしいものが、部屋に帰ると『待ってたよ』と見上げてくれるんだよ。それって良くない?」と説明。

友人「別に猫じゃなくてもいいよ」

私「猫じゃなくてもというのは?」

友人「人間でも」

そこで飛びのいた。

私は、「ふわふわ=人間」というイメージを読み取っていなかった。

だけど、話を聞いていて納得した。

私「でも成人した女子だと『待ってたよ待ってたよ』と言って迎えてくれる人は少ないかもなあ」

友人「え?自分は、そんなことないよ」

ここで友人は男なのに、自分を引き合いに出した。

私「でもさ。女は待っているという期待感がやがて恨みへと変わりやすいから」

友人「……」

友人はピンとこないらしかった。

男性は、待っているという期待感がファンタジーへ結びついて、奇妙なロマンティックモードに突入するのかもしれない。

現実では分からないが、私が物語で描く男性はこういう人が多い。

でも、女性は待つというのが恨みに変わる人のほうが多いんじゃないだろうか。

ということで、

私は「ふわふわ=人間の女以外」と読み取ってしまったらしいのだ。

「女は待っているという期待感がやがて恨みへと変わりやすい」

と口にした後で、ハッとした。

二つの意味で。

「真実をえぐっている言葉だなあ」

「この人からファンタジーを奪い兼ねない、イヤなことを言ってしまったなあ」

真実は、人を傷つける。

作品以外で本当のことを言ってはダメだ。

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うしろ しゃっせ

ゲーム台本を完納。

よかった。

約束した時間の15分前に書きあがった。

計算してみるとだいたい平均して毎日、12000字前後を書いていたことになる。

舞台の仕事と体調崩して何度か中断しているけれど、一ヶ月弱掛かった。

この仕事を専門にやっている人はすごいなあ。

私は短期の仕事でないとやれない。

やれて一ヶ月くらい。じゃないと、耐えられない。

小さな同居人には、淋しい思いをさせた。

今日は昼、一時保育で預け、夜は入稿時間3時間前からベビーシッターさんを頼んだが、泣いて泣いて、切なかった。

もう大丈夫。

どこにも行かないよ。

小さな同居人は先週の土日から、踊るようになった。

音楽を掛けると、つかまり立ちをして、片手を離す。

そして片方の脚を上げ、リズムに合わせて後ろシャッセ(正しい用語じゃないかもしれない)をやる。

腰を振ったり、離したほうの手でバイバイもする。

アリーマイラブで、ダンシングベイビーてのが登場したけど、あれに似ている。

どこで覚えたんだろう。

私も家人も、友人たちも、誰もそんな動作はしないのだが。

あ、でも、「こもりうた」ライブの練習やリハを見てるので、何か影響を受けたかもしれない。

ちなみにこの動作、大人がやるととてもつらい。

後ろシャッセって結構大変だ。

ヒップアップの運動でもでもこういうのあったっけ。

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ほんのう

あと少し。

木曜日が最後の締め切り日だ。

血管がプッツンするんじゃないかと心配になる。

外注の仕事は、ほとんどが他人の世界感にのっとって台詞を書く作業だ。

頭の変なところを使う。

使っちゃいけない言葉とか、頻繁に使わなくちゃいけない言い回しなどがあるが、法則性が読めるまで、時間が掛かる。

その世界感が好きじゃなかったりすると、大変苦痛だ。

でも、苦痛を伴わない仕事なんてない。

こういう大量書きの仕事を受けると、ボキャブラリ少なさを痛感する。

これからはもっとためになるものを読んで勉強しよう。

と、思うのだが、いつも次の仕事が来るまでに間に合わない。

どうにかしたいなあ。

進歩のない私にくらべて、小さな同居人の言語能力は飛躍的に伸びている。

ムーミン、わんわん、ハチ、ネッシー、うさちゃん、ボール、カエルなどの単語が分かる。

ハチさんをください、と言うと、ハチのぬいぐるみを取ってきて渡してくれる。

ボールは転がしたり投げたりして、キャッチボールができるようになった。

飽きっぽいから、長く続いても10往復くらい。

運動能力も進化を続けている。

真夜中になると、ベッドのヘッド部分にあるチェスト(40センチ弱の高さ)によじ登り、壁に手をつきながらせわしなく歩きまわったり飾ってあるぬいぐるみを私の頭に投下したりする。

嫉妬?の感情もすでに芽生えているようだ。

今日は私の母がムーミンのぬいぐるみを抱っこしたり可愛がってみせたら、不満の声をあげていて、面白かった。

やきもちって本能なのかもしれないな。

小さな同居人を見ていると、感情について、改めて分かることがある。

人間の感情は、ほとんどが本能なのだと感じる。

理不尽な感情爆発を大人になってもさせている人がいるけれど、

あれは、赤ちゃんと同じだ。

赤ちゃんだからキラキラとして可愛いし、生きている証としてとれるのだけれど

大人になるとどうしてあんなにグロテスクに見えるのだろう。

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おりじなる かいわ って?

絶え間なく締め切りが続く。

こういう生活、私には向いていないなあ、とつくづく思う。

真夜中書いていると、小さな同居人がいつの間にやら起き出して、パソコンの横に来て怒り出す。

ごめんね、締め切りが、とかぶつぶつ言い訳しながら原稿打ち続けていると、頭を柵にぶつけて泣く。

諦めて一緒に眠る。

すると締め切りに間に合わない。

困った。

結局、家族や友人の手を借りることになる。

人に助けてもらわないと、小さな同居人との日常を維持できない。

生活のための仕事なのに、生活できないとは本末転倒だ。

この仕事もあと少しで終わる。

終わったら何をしよう。

高校受験の時、受験日が済んだら(受かったらではなくて)何をしようといつも考えていた。

「吉川栄治の三国志を読もう」と決めてずっと楽しみにしていた。

宮本武蔵を読んで面白かったから、三国志も面白いだろうと、見当はついていた。

楽しみにしてたら、受験期間の苦痛が少しだけ減った。

あの時の私には受験の意味が分からなかった。

高校に行くためにはそれしか選択肢がなかったから、仕方なかった。

受験なしで入れるところがあったら、別に進学校じゃなくても、そっちに入りたかった。

話がそれた。

この仕事が終わったら、何をしよう。

一番最初に思い浮かべたのは、小さな同居人と午後、退屈すること。

昼下がり、一緒にうつらうつらしたり、公園で鳥の声を聞いたり。

二番目は、友人と会話をすること。

散歩するのもいいなあ。

台本の仕事をやっていると、会話が極端に減る。

特に書く量が大量になってくると、出力方法を「文字」に集中させなければならない。

頼まれた仕事の登場人物が

ひっきりなしに頭の中で喋っているので、

自分は喋れない。

正直、廃人になってくる。

会話、いいなあ。したい。自分の言葉でね、オリジナル会話。

何言ってるんだか分からなくなってきた。

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まま といれ 

余裕が欲しい。

一日があっという間に終わりすぎる。

小さな同居人とゆったり遊ぶ時間が欲しい。

同居人は、家中のドアを閉めてまわるようになった。

ドアのストッパー金具の外し方を覚えたらしい。

小さな同居人の安全のためにドアを開けてストッパーで固定してるのに、外して閉めてしまう。

まったく。

最近はとっかかりのないただの壁に手をついて、つたい歩きをするようになった。

二足歩行の日も早いかもしれない。

トイレの扉は半分開けて入るようにしている。

全部閉めるとかえって、ドアを叩いてきたりして、ゆっくり入れない。

アイコンタクトができれば、離れた場所にいても我慢できるようだ。

今日はトイレに入っていたら、突然「ママトレニャ」と言うのが聞こえた。

見ると寝室にいる小さな同居人と目が合った。

トイレにいる時、呼ばれると必ず「ママトイレ」と叫び返しているが、それを真似たのだろうか?

たまたま呼ばれなかったので無言でトイレに入っていた。

「ママトレニャ」と発したくらいだから、私がいる場所がトイレという名前だと、分かっているのだろう。

初めての言葉(ママ以外に)が「トイレ」だったらどうしよう。

何だかイヤだなあ。

あ、それと、そろそろ言葉遣いに気をつけたいもんだと思っている。

きれいな言葉で喋りたい。

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