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ただ の わたし

個人としての私と仕事をするペンネームの私。

仕事の名前で呼ばれる時に「小さな同居人を含めた個人的な状況」を前提にされるのはとても気になる。

何故って、ペンネームの私が小さな同居人を産んで育てているわけではないからだ。

子どもを産んだのはただの私。一人の人間。女。

ペンネームで呼ばれた時はすなわち仕事の領域に入っていると判断する。

その中で「お母さん」扱いされたりすることにはたいそう抵抗がある。

私自身はいつでも、つまり仕事の時も含めたすべての時間、小さな同居人との関係を前提にして生きている。

すべての時間を捧げる覚悟でいる。

でもそれは私自身の問題だ。

他人が「演劇人の私」と小さな同居人を結びつけるのはいやだ。

同じく、小さな同居人にペンネームの私を結びつけられるのもいやだ。

「自分が出産したから、母を美化する作品を書いたんでしょう?」とたくさんの聴衆の前で、劇評家のA氏に言われたこととも無関係ではない。

私はその作品で母を美化などしていない。

「認識のずれ」を描いたつもりだったし、そもそも作品の発想は出産の三年前に浮かんでいたものだ。

しかし私のプライベートを知った彼女は、そうは捉えてくれなかった。

筆力の無さを指摘されるならいいのだが、プライベートと絡めて批判(批評ではないと思う)されたのには大きな失望を覚えた。

それまで「ただの私」と「仕事するペンネームの私」をそんなに分けて考えていなかったけれど、その出来事以来、とても気になっている。

私は、友人たちにはペンネームで呼んで欲しくない。

彼らと仕事する時にも同様だ。

仕事でしか会わない人はペンネームでいいけれど。

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