« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

かなしみ は でんせん する

小さな同居人がムーミンやクマや犬をブラシでとかしている。

すごいなあ、えらいね、と思ってたら、私もとかされた。

ありがとう。

というか、ボサボサですか?私……。

自分でとかさなくちゃダメだよね。ちゃんとします。はい。

朝、友人からのメールに気付く。

婚約者の方が亡くなったとのこと。

読みながら泣きそうになっていたら、突然小さな同居人がおいおいと泣き出した。

どうしたんだ?

泣きながら私をじっと見つめている。

私、そんなに悲しそうな顔してたかい?

ごめんね。

私の大切な人の、大切な人が遠いところに行ってしまった。

悲しいだろうなって考えてたら、悲しくなったの。

そしたら、あなたにも伝わって、泣いちゃったんだね。

伝染するね。悲しみは。

抱き合って、二人で少し泣いた。

私に、何かできるといいんだけど。

午後からWS公演の稽古に出かけた。

今日は中盤くらいまでの通し稽古をやった。

なかなか面白かった。

集中力の方向性で、演技の質が決まってくるのだ、と痛感する。

方向性が見当違いだと、本人は集中しているのに、とっちらかった印象の演技になってしまう。

|

だいしっぱい

今日は大失敗。

本公演の稽古に1時間も遅刻。

稽古時間を勘違いしていたためだ。

今日は昼間は家にいられると思い、のんびりと劇団の作業をしていたら、出演者からメールが来た。

小さな同居人を急いで保育園に送り、タクシーで稽古場へ駆けつけた。

もう、どうしようもないなあ。

反省。

何をするにもとにかく確認せよ。

でも今日はいろいろあったが、仕事ははかどった。

細かい作業がたまっていると、気になって仕方ないものね。

終わってよかった。

小さな同居人を寝かしつけてから、台本書き。

ひと息ついていたら、友人からメールが来た。

作業も終わり、台本書きも順調。

ジャストなタイミング。

どうしてるかなあ、と先週からときどき思い出していたところだった。

彼は以前からスキューバをやったりバイクの免許を取ったりして積極的な人だ。

最近では社会人劇団を立ち上げて、私はときどき相談に乗っている。

というとエラソウだけれど、愚痴を聞いてもらう時間のほうが実は多い気がする。

久しぶりにお喋りしたいなあ。

最近、複雑な気分になる出来事が続いたから、余計にそう思うのかもしれない。

|

であい の ひ

小さな同居人はまだ少し鼻水が出ている。咳も。

去年の今日、私たちは出逢った。

稽古も打ち合わせもあるが、どこにも預けたくない。

離れ離れになるのはイヤだ。

保育園には熱があると言って、断りの電話を入れた。

同居人はきっと保育園のほうが楽しいかもしれないなあ。

もう友だちもいるみたいだし。

でも今日は一緒にいましょう。

いえ、私といてください。

まだ風邪が治っていないし、それに、今日は、特別な日なのだから。

午前中は二人でふざけっこして過ごす。

同居人は何をしてもケタケタ笑う。

私も嬉しい。

きらきら輝くものの側にいられるって、なんて幸せなんだろう。

午後、小さな同居人とともに稽古場へ。

出演者の人たちがあたたかく迎えてくれたので嬉しかった。

本当にごめんなさい。

一生懸命演出するので今日だけは許してください。

夕方、帰宅。

お風呂に入って小さな同居人の夕飯を用意していたら、メンバーKさんとスタッフOさんが到着。

二人には先に打ち合わせを始めていてもらい、私は同居人にご飯を食べさせた。

私、何だか段取りが悪いなあ。

でも今日はとにかくいろんなことを端折りたくないのだ。

小さな同居人のことも、自分自身のことも。

ほんとは、稽古も打ち合わせも休むべきだったね。

ごめんなさい。

何だかどっちも中途半端になってしまった。

誕生日プレゼントとカードを渡す儀式に、二人とも参加してくれた。

小さな同居人は彼らが大好きで、ずっと楽しそうにしている。

まずは、カードを読み上げた。

プレゼントはモビール。

カエルのと、ぶち犬のと二つ。

犬のは本当に可愛い。

子犬たちがリボンの掛かった骨を追いかけている。

小さな同居人は見るなり、掴んで壊そうとしている。

待って待って。

これは、ぶら下げて眺めるものなんだよ。

ベッドの上に吊るすまで待ってて。

そのうち眠そうになってきたので、こもりうたを歌って寝かしつけた。

打ち合わせに参加したのは、結局9時半だった。

何だかいろんな人に迷惑?を掛けてしまった一日だったなあ。

でも、とにかく今日は一日、一緒に過ごせてよかった。

今日は二人でたくさん笑った。

ささやかだけれど最高に幸せな一日。

|

くっつきむし

週末、蓼科に旅行。

旅から帰ってきたら、小さな同居人が熱を出した。

医者に診てもらうと、喉がはれているとのこと。

今日は一日、仕事はしないでくっついて過ごした。

お互いに、くっつきむし。

隣に寝ていると、昼寝もたくさんするんだなあ。

小さな同居人は眠るのが苦手なのだと思い込んでいたが、単に一人では眠れないだけなのだ。

夜、メンバーのKさんが作業をしにやってきた。

小さな同居人は大ハッスルして、何度も一人で立てるというところを見せたり、歩いて見せたりする。

今夜は4歩も歩いた。

旅先でも思ったが、本当にこの人は人間が好きだ。

人懐こい、というより社交的?

それとも幼い頃はみんなこうなのかなあ。

そうそう、旅先で「だっこし」と言われた。

「だっこして」という意味。

もちろん抱き上げた。

今のところ小さな同居人は「だっこむし」かつ「くっつきむし」である。

|

れきしのなかへ 

いつも一人称を避け、俯瞰した視点でものごと語ろうとする人には要注意。

一見すると頭良さそうで論理的に見えるけど気恥ずかしさに負けてそうしてるだけ。

地面の上を歩いちゃうと、恥をかく可能性があるし、誰かに傷つけられるかもしれないしね。

だからタコみたいに宙高く舞い上がって、上から見ようとする。

私はあんまりそういう人信用しない。

恥かいてナンボ。

それに傷つけられるのを怖がるほうが、恥ずかしい。

こういうのって大人じゃないのかな。

どっちでもいいや。

学生の時、「ベルリン天使の詩」の「歴史の中へ」って言葉に心を揺さぶられたなあ。

ふと思い出した。

|

とうめい にんげん

家族が数人、ときどき、小さな同居人に会いにやってくる。

私とはほとんど喋らず、小さな同居人にしか語りかけない。

何か用事や伝えたいことがあったら、繰りかえし繰りかえし急いで喋らなければならない。

誰も私の話など聞きたがっていない。

そういう時、自分が、透明人間みたいな気がする。

最近まで信用できるかなあと思っていた人も、ふたを開けてみたら、実は家人と同じだったのでガッカリした。

別に自分が主役になりたいとかではなくて、一人の人間として見てほしい、それだけ。

その場に存在していない、無視は悲しい。

私はどこに行っても何かの道具なのかな。

小さな同居人の世話をする係。

台本を書く機械。

そうなのですか?

何より、尊重されていない自分を小さな同居人に見られるのが恥ずかしくて、苦しい。

泣きながら蓮根をすりおろす。

まぐろの蓮根蒸しはとても上手にできた。

小さな同居人は気に入るに違いない。

どこにも安らげる場所などない。

助けて、助けて、と呟きながらゴミを出していると、にゃう、と声がした。

去年の夏、私を励ましてくれたお母さん猫だった。

そうだね。

あなたはこんなに小さい身体で、何匹も子猫を育てあげたんだものね。

もっと、しぶとくならねば。

だけどなんでこんなに悲しいんだろう。

ときどき、話したいの、それだけ。

|

こどく の せかい

最近、孤独の世界に棲んでいたので

ちょっとした優しさが心に響く。

台本書くのは楽しいけれど、やっぱりどこか心身のバランスを崩してしまう。

小さな同居人を幸せにするためには、どうすればいいのか。

台本書きながら、できるのか?

最近、小さな同居人の食事はなんとか作れているが、自分の分はさっぱりだ。

ご飯たくとか何かゆでるくらいしかできない。

スーパーでお惣菜買っちゃうよう。

まいったな。

離乳食はわりと美味しくいろいろ作れてると思うのだが。

まあ作ってもあまりちゃんと食べてもらえないので

結局私が半分くらい食べている。

離乳食の中で、最近気に入っているのは、鮭のコーンクリームソース。

とうもろこしと豆乳の甘みが鮭の旨みを引き立てて、塩をまったく入れなくても、美味しく食べられる。

今日は午後は台本書き。

夜はメンバーミーティング。

Hちゃんに「15日はお疲れさまでした」と言われてほろりと来た。

こっちこそ、キミには世話になりっぱなしなのに。

|

くし と はぶらし 

小さな同居人がご飯を食べる時には、必ず座らせるようにしている。

バンボのような拉致できる椅子か、あるいはハイチェア。

同居人は座って食べるのが何より嫌いだ。

自由きままに歩きまわりながら食べたいらしい。

行儀良く食べて欲しいので、とにかく座らせる。

しばらくすると、半分泣き顔になって私の頭をなでなでし始める。

「なでなでしてやるから、ここから出してくれ」ということらしい。

困ったね。

もう「ギブアンドテイク」ですか……。

というか、ギブアンドテイクって、本能なんだろうな。

てんとう虫のついたブラシを渡すと、自分で髪をとかすようになった。

ムーミンや、私の髪もとかしてくれる。

というか実際には頭にゴチンゴチンとぶつけるので痛い。

時々、歯ブラシを渡すと、歯も磨くが、髪をとかしたりもしている。

確かにね。

同じかたちをしてる。

気がつかなかったよ。

|

しこ を ふむ

お世話になっているダンスのスタジオの発表会。

私とHちゃんで舞台監督をやる。

自分の劇団以外の現場でスタッフをやるのは初めてでとても緊張した。

もっと要領よくサポートしたいのだが、なかなかむつかしい。

午前中、場当たりとリハーサル。

これは慣れないなりになんとか取り仕切ることが出来た。

午後はホールを取ることができなかったらしく、別の場所で出演者たちは待機。

私は家にいったん戻り、小さな同居人におやつをあげたり風呂に入れた。

夕方また現場に戻り、今度は本番。

照明は大変だ。

午後の時間帯が取れていないので、18時に入って仕込み、19時半の本番に間に合わせるのだ。

どんな明かりになるんだろう?と思っていたら、すごく素敵だった。

見せ方を心得てるなあ、と感動。

Gさん、すごくセンスがいい。

深夜、帰宅。

小さな同居人は、私の母の横でぐっすり眠り込んでいた。

昼間、何度も自分で立ち上がったらしい。

何の支えもなく立ち上がり、「しこ」を踏んだ、とのこと。

しこ?

何故だろう?

お相撲さんみたいに、しっかり立ったということか。

ダンスのI先生からいただいたプレゼントの袋を開けると、バレリーナの格好をしたウサギのぬいぐるみだった。

ウサギの顔は少し、小さな同居人と似ていた。

|

たって あるいて いりゅーじょん

小さな同居人がしっかりと立つようになった。

両手をテーブルや椅子からパッと離し、マジシャンよろしく手をヒラヒラさせる。

ちょっとしたイリュージョンですな。

手を離して万歳することもある。

オーブンレンジの前や、乾燥機の扉、鏡など、自分の姿が映るところで立って、自分の姿を確認している。

どうだ、おい、と自分に向かって自慢している感じである。

自信満々で顔を見るから、おいでおいでと言うと、一歩二歩……で倒れた。

とにかく二歩歩けた。

今日はイリュージョン、そういう日。

|

きかれたら こたえる

昼、台本を書く。

まだまだ方向性が定まらないので、右に左にふらふらしながら進めてゆく。

小さな同居人は、最近ずっと立ったままだ。

つかまっていることもあるし、一人で立っていることもある。

支えなしで立つのは、素晴らしいことだと思っているらしく、自慢そうな顔をして私を見る。

私もほめる。

すごいねえ。すごいすごい。

仕事の合間に、小さな同居人への贈り物をネットで購入する。

ほんとは気に入りの雑貨屋にでも買物しに行きたいが、この暑い中、日中二人で出掛けるのは無理だ。

贈り物はモビールだ。

毎年増やしていったら、家中の天井が動物だらけになりそう。

楽しみ。

この前、かなり昔のことを友人に話したら、それが回り回って、思いがけぬ人の耳に入ったようだ。

結果、不快な目に遭っている。

話すからいけないのかもしれないけれど、でも嘘もつきたくなかった。

秘密にするような内容でもないと思ったし。

誰にも迷惑も掛けていない。

ある人に関して、何故あんなに仲が良いのか、と訊かれたので正直に昔あった出来事を話しただけだ。

モラルに反してもいないし、ドロドロした内容でもない。

友人はそれを訊いて驚いてはいたが「納得した」と少し笑っていた。

問題ないと思ったから、共通の知人何人かに話したのだろう。

受け取り方がいろいろあるんだろうな。人によって。

まあ仕方ない。

知人はきっと私が長いこと嘘をついていたと思ったのだろう。

違うのだ。

私は訊かれたら答える。

自分からはめったに話さないだけだ。

特に女優さんたちの前では。

私に求められるのは話を聞くこと。

自分語りは不要なのだ。

|

じゆう を まもる

姉が私の結婚相手を姉の周囲のまっとうな人たちの間で探していると言う。

冗談だとは思うが、暗い気分になった。

私が現在、どんな精神状況にいるのか、きっと想像もつかないんだろうなあ。

家族の力を借りるということは、心の自由を侵略されるということなのか。

血縁の人々と接するといつも孤独でたまらなくなる。

私には発言権も選択の余地もない。

居場所はない、と思い知らされる。

小さな同居人を連れて、どこか遠くへ行きたい。

自由でいようと思ったら、一生、安心できないのかな。

意志のある一人の人間としていようと思ったら、自分で自分を守らないといけないのだろうか。

大丈夫、大丈夫。

小さな手のひらが、私を胸をぱんぱんと軽く叩いた。

はい。

強くなります。

負けないよ。

私は、私とあなたの自由を、必ず守ります。

|

ちいさな て

「ちびたんのだいぼうけん」を上演するため、朝から品川区の保育園へ。

園の中にあるフリースペースのようなところに仕込む。

布をたくさん使ったら、面白い雰囲気が出せた。

照明を仕込み、場当たり。

お客さまは30人くらいと聞いていたが、結局70人にふくれあがった。

客席は超満員。

1歳~5歳までのこどもたちと先生、お母さんお父さん。

最初は緊張したが途中から芝居に集中できた。

園児たちは、歌や掛け声など、熱心に参加してくれた。

カーテンコールのあと、バイバイと手を振ったり、おどけたポーズを取ったら、幼い子たちに手を握られた。

小さな手、手、手。

嬉しかった。

片付けの最中、園長先生に挨拶。

音楽監督のT氏を紹介する。

帰り道、みんなでお洒落な蕎麦屋に寄った。

もう少しラフなところがよかったが、意外に居心地良かった。

楽しかったなあ。

また保育園で何か上演してみたい。

反応がビビッドだから、やりがいがある。

帰宅。

預かってくれた家族が帰り、小さな同居人と二人きりに。

同居人は突然ものすごく甘えモードになり、私から離れなくなる。

この暑いのに、ぴったりくっついて過ごす。

ところで最近、意味もなく(いや、あるのかもしれないけど)私のおへそを見たがる。

何故?

|

とうもろこし

久しぶりに朝から夕方まで、小さな同居人とのんびり過ごす。

とうもろこしの絵を見て、小さな同居人が舐めようとした。

そうか、そんなにとうもろこし、美味しかったのかい?

この前初めてかぶりついて以来、夢中らしいのである。

ペットボトルを入れる袋を見つけて一生懸命、肩にかけようとしている。

私が鞄とかポシェットをたすき掛けにするのを真似したいのだろう。

今度カバン作ろうか。

あんまり上手くできないかもしれないけど、小さいポシェットみたいの作ってあげよう。

今日は何度かひとりで立っていた。

いずれも、知らないうちに両手を離してしまい、びっくりしているうちに、尻もちをつくというパターン。

夕方、入浴してから保育園へ預けリハ会場へ。

まだまだ改善できる点があると、痛感した。

やっぱり前日にリハを組んで正解だ。

帰り道、みんなと何気ないことをいろいろ喋る。

楽しいね。

保育園で小さな同居人と再会。

家に帰るなり何故か歯磨きしたがる。

歯ブラシを渡してやると、ゴシゴシ口の中をこすっている。

歯ぐきがむずがゆいのかな?

新しい歯が生えてくるのかもしれない。

さて、明日は早いからもう寝よう。

頑張ろう頑張ろう。

楽しみ。

|

とりっぷ

午後、うだるような暑さの中、小さな同居人を保育園に送る。

こんな時は保冷剤が役に立つ。

小さな同居人が熱中症にならないように、ハンカチでくるんでバギーの座席の中に置いておく。

短時間であれば、なんとか外出可能だ。

10月本公演「まなこ の おく の ちいさな おんな」のオープニングシーンを書いた。

また箱書きもしないでボーっと書き始めてしまった。

大丈夫かなあ。

伏線とか考えながら練りに練った構成の台本って、私はあまり好きじゃないんだよなあ。

なんだかむずがゆい感じ。

それと、昔よくあったのは、構成が出来上がった段階で、気持が完結してしまって、書きたいという意欲が半減してしまうこと。

るんるん気分を重視するなら、やっぱり箱書きなしで物語世界にトリップするのが一番だ。

物語のことや、小さな同居人のこと、いろいろ話したいなあ。

あの人に。

遠く離れてしまったあの人に。

さて、これから自信を失わないように気をつけないと。

物語を書き終えるまでは。

|

した を みない で

リハから帰宅。

郵便受けを覗いてみると恩師からの便りが。

心が急き、エレベーターの中で封を開ける。

先日送った作品の感想に添えて

「綱渡りのコツは、下を見ないこと。自分の感覚を信じること」とあった。

私が小さな同居人との暮らしを「綱渡り」と描写して送ったことに対する返答だ。

下を見ないこと。

自分の感覚を信じること。

はい。

先生の言葉、大切にします。

最近、芝居も生活も人間関係も、何もかもがなんとなく怖くて

枯れそうな植物の根のように

心がグラグラしていた。

もっと自分を信じてみよう。

小さな同居人は、最近なんだかとても甘えん坊になった。

片時も私から離れていられない。

先週の本番前後、あまり相手ができていなかったからだろうか。

今週も本番はあるが、リハーサルは二回だけなのであとは大体一緒にいられる。

小さな同居人は私を笑わせようと新しいギャグをどんどん試してくる。

私はというと、歌もギャグも、お話しのネタも、いつも同じ。

これではいかん、と思う。

もっとレパートリーを増やさなくちゃ。

最近は風呂場が気に入ったらしい。

風呂場は危険なので入れないようにしたいのだが、勝手に戸を開けて入って行ってしまうのである。

仕方ないので、遊びが終わるまで見守っている。

シャワーヘッドをマイクのように口にあててみたり、風呂のふたを外してヘッドを投げ込んでみたり……。

|

いまこのしゅんかんも

乳幼児を置き去りにして死なせた大阪の事件に、泣いた。

壁にはお母さんを探した指の跡が残っていたという。

残酷過ぎる。

こういう事件があるたび、母になる資格がない人間は産むな、という意見が多く出る。

そんな議論は子どもを救うという目的の前には無益。

何の意味もない。

今この瞬間も、どこかに同じように閉じ込められている子どもが、放置されている子どもが、いるかもしれない。

・母という役割を放棄したくなった時に、子どもを放置する、殺す、という選択肢しか思いつかないのは、何故なのか?……もちろん放棄はいけない。しかし、ただ禁止したり罰を与えるだけでは、親を追いつめるだけ。子殺しの問題は解決しない。

・どうして、役所や児童相談所に行くという選択肢が頭に浮かばなかったのか?……少しの間育児を休めば、気持が持ち直してこうはならなかったかもしれないのに。緊急一時保育とか、ひとり親支援を使うという方法もあったはずだ。

・明らかに異常な子どもの叫び声を聞いたら、周囲の人はどうやって救えばいいのか?

一人でも多くの子どもの命を救うために、みんなで考えなければならない。

|

ふぇあってなあに?

とても胃が痛い。

昨日食べ過ぎたせいなのか、それとも疲労のためか。

薬屋に胃薬を買いにゆく途中、突然、強烈な思いにとらわれた。

そうだ、あれから1年が経とうとしているのだ。

去年の夏、私は一人で大きな荷物を背負って病院に行き、そして、小さな同居人と出逢った。

そして冬、小さな同居人を抱いて役所や裁判所を回り、手続きに奔走。

自分のどこに、あんなパワーが潜んでいたのだろう?

違うな。

やろうと思えばなんだってやれる。

それなのに今の私は弱いフリをして、人に頼ってばかりだ。

そんなことを考えたらまた、胃がキュッと痛んだ。

背中までジンジンする。

胃薬を飲んで、ワークショップ公演の稽古へ。

稽古の後、もう一度薬屋に行き、違う薬を買った。

もう痛くて仕方ないよ。

人間関係も何だかつらくなることが多いもんなあ。

信用していた人から誤解されるときつい。

感情に関する誤解って、解こうとすると角が立つ。

だから諦めてそのままにするしかない。

好きじゃない人から好かれていると誤解され、好きな人からは好かれていないと誤解され。

私は「好かれる」よりも、「気があると思われる」ことが圧倒的に多い。

その人たちは、自分は私を特に好きじゃないのに私から愛されていると思い込む。

何故なんだろう。

いつも優しく接するから?

だけど私は、好き嫌いであんまり態度を変えるのって好きじゃない。

フェアじゃない気がするし。

人って、自分は何とも思われていない、とか、嫌われてる、とか思ったら

何となく萎縮してしまうんじゃないのかな。

好悪関係なく、私は周囲の人に、リラックスしていて欲しい。

心は自由。だから私のことをどう思おうが勝手だ。

そう自分に言い聞かせるけれど、やっぱりイヤな気分。

|

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »