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2010年10月

まぶしくて

簡単なお弁当を作って、公園へ。

ここはいつも混んでいるけれど、

天気が不安定だからかとても空いている。

途中ほんの少し小雨がぱらついてきた。

あずまやで昼食を取った。

小さな同居人は

しらす入りの海苔巻きを美味しそう食べている。

あとはカボチャのそぼろあんかけとブロッコリー。

それに蜜柑。

食べ終わったところで空が明るくなってきた。

日本庭園を抜け、芝生の上にレジャーシートを広げた。

小さな同居人は芝生がフカフカしているせいで

脚を踏ん張れず、転んでしまう。

一瞬、不安そうな表情を見せたものの、

すぐに立ち上がって柔らかい芝の感触を楽しみ始めた。

せっかく外に遊びにきているのに、

私は眩しがりで、目を見開いて空を見れない。

空だけじゃなく、小さな同居人の顔もちゃんと見つめられない。

眩しくて眩しくて。

ふいに小さな同居人が「ふうっ」と声をあげた。

指差したその先には、小さな赤とんぼが頼りなく漂っていた。

勇気を出して(私はトンボが怖いのだ)

人差し指を出して赤とんぼをとまらせようとしたけれど

トンボがとまりそうになると、私はきゃあっと声をあげてしまった。

小さな同居人がニヤニヤしながら私を見た。

変だよね。

どうしてトンボなんか怖がるんだろうね。

小さな同居人を芝生の上でギュッと抱きしめていると、

眩しいし、胸は甘い想いでいっぱいになるしで、

頭がちょっといかれそうになった。

今日は久しぶりに昔知っていた人のことを思い出した。

その人は「ありがとう」と人に言うくらいなら、

最初からしてもらわないほうがいい、と日常的に言っていた。

それなのに、金銭と労力の面で私にひどく依存していた。

やりきれない。

依存の一部を拒否しようとすると、激しい怒りをぶつけられ、恐怖を感じた。

次第に嫌悪感を持った。

仕事も殺人的に忙しく、体力的にギリギリの時期だったから、なおさら強く感じたのかもしれない。

「ありがとう」と言いたくないから人に頼らない。

この考え方自体は、そんなに変じゃないのかもしれない。

でも私は、それをわざわざ口に出したり、雰囲気を醸し出す人間は、危険だと思っている。

そういえば最近、友人が

人の作った食事を「片付けておくね」と言って口に放り込むのを見て、

悲しくなった。

なにげない言葉だろうけれど。

嫌いになりたくないなあ。

そんなことも影響して、今日

久しぶりにあの頃を思い出したのかもしれない。

眩しい光の中にいると、

余計にあの頃がとてつもなく恐ろしい真っ黒な日々に思えてくる。

神経過敏になっているのかもしれない。

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昔から、ロマンティックな言葉が含まれたメールや手紙をもらうことが多い。

好かれてる、というわけでもなくて、

ただ、そういう言葉が含まれていたり、そういう文体のものをもらいがちなだけである。

私が書く物語たちのせいで、

私自身もそういう雰囲気を求めてるように思われてるのだろうか。

そうだとしたら、困ったことだ。

親しい人たちは全員知っていることだけれど

私は超現実的な人間だ。

性格、ビジュアル、どれをとってもぜんぜんロマンティックじゃない。

まあ、私自身がどう思われるかはどうでもいい。

とにかくむずがゆくなる。

ついイライラして、「それはどーゆー意味じゃ」と突っ込みたくなる。

もちろん実際には滅多にやらないけれど。

私は言葉を書く時、正確さを求めてナイフのように鋭く尖らせてから外に出す傾向がある。

逆に、話す時は言葉をできるだけまあるくシェイプしてから口にする傾向がある。

どちらも、正確でない。

私自身の思っていることとは別物になる。

だいたいにおいて、正確な感情、なんてどこにも存在しない。

午前中は小さな同居人のための食事をまとめて作った。

ペンネ。

生のトマトからミートソースを作る。玉ねぎとエノキ、味を出すため缶詰のアサリも少々。

ブロッコリーとインゲンを大量にゆでて保存。

カブとチキンのスープ。

白菜や玉ねぎ、ベーコンを味を出すため入れる。ベーコンは小さな同居人に与えず、私がすべて食べるつもり。

カブの茎とシラスの炒め物。

みりんと少しだけ醤油を垂らす。

作っていたら昼になってしまった。

午後はオーディオドラマの打ち合わせのため、代官山へ。

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ぶぁーか だっこっこ

11月はお休みして勉強なぞするつもりでいたが、

仕事のお誘いがあった。

超有名ゲームの番外編だ。

「恋人はキャプテン」のGREE版を書くことになった時も驚いたけれど、

仕事って突然降ってくるなあ。

とにかく、まだまだゲームライターとしては経験が浅い私である。

声を掛けていただいたこと自体に感謝したい。

昼ごろから春から学校に通うための手続きに取り掛かった。

高校の卒業証明書と大学の卒業証明書、それに成績証明書!が必要なのだ。

両方に電話して、取り寄せの必要事項を訊ねた。

大学は近くなので直接行ってみることにしよう。

ほんとに、しばらくぶりだなあ。

楽しみ。

小さな同居人が保育園から帰ってきて、

「ぶぁーか」を連発する。

ひょ、ひょっとして「馬鹿」のこと?

わああ、と、とんでもない言葉を……。

最近使った覚えがないのに。

保育園で覚えたのか?

比較的こじんまりした保育園だから建物自体が小さい。

年長組の子たちが館内で叫んでいれば丸聞こえだろう。

困ったなあ。

意味は分かっていないらしい。

ぶぁーか、だっこ、ぶぁーか、だっこっこ。

「だっこ」は「抱っこして」の意。

それにしても何故「だっこ」と絡めて言うんだ?

ぶぁーか、の部分に対してはとりあえず何も反応しないことにして

抱っこしてみる。

私の腕の中で小さな同居人は

「ぶぁーか、だっこっこ」と楽しそうに呟いている。

ブームが早く去ってくれるといいな。

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しんじられている と しんじる こと

風邪をひいた。

頭と喉が猛烈に痛い。

小さな同居人の風邪がうつったらしいのだが、

本人は軽い咳が出るほかはいたって元気。

医者に行ったが、鼻水が喉のほうに流れているだけで、気にしなくて大丈夫、と言われた。

持っていた抗生物質を飲んでみたが、

あまり効かない。

どうしていつも、風邪菌は私の中に入ると大暴れするのだろうか……。

友人からのメールに、ゆうべ泣いてしまった。

何だかよく分からないのだが、悲しくなった。

100パーセント安心して話し合える関係でありたいが、難しいのだろうか。

信用してください、というのも変だし、なんて言えばいいのか。

今日は保育園をお休みして一日中、小さな同居人と過ごした。

とても忙しいね。

何でも理解するようになったあなたと一緒にいるのは、

面白いけれど、たいへんだ。

夜、メンバーミーティングが終わってひといきついたところで、

友人に返事を書くため、メールを再び読みかえしてみる。

昨夜とは違って、

「メールの言葉ではなく、あの時合い向かいに座っていた自分を信じてください」

という文面が目についた。

そうか。

私が信じてもらいたい、と思っている時に、この人も、同じ気持だったのだ。

あの人は私を信じている。

私は、信頼されている。

いつでも、

私にとって、そう信じるのが一番むつかしい。

むつかしいことに挑戦しなければならない。

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ごまかしたり ずらしたり

今日の夕方、小さな同居人がモビールを指差し、カ~エルと小さく呟いた。

そうだね。

カ~エルだね。

と真面目に大きく頷いて答えると、何か笑いのツボにはまったのか、噴き出した。

なに?

何が可笑しいんだろ?

「かーえーるーのうーたーが~」と歌うと、手を叩いて喜ぶ。

そのうち、身体を揺すってリズムを取り出したので、

「第九」のジャズバージョンをヒトフシ口ずさみ

「踊ろうよ」と誘ったら、

とことこ隣の部屋めがけて歩き出した。

え?

どこに行くの?

と思ったら、キーボードの自動演奏のボタンを押した。

「第九」のジャズバージョンが流れ出す。

私の鼻歌も、これを真似たものだ。

なるほど。

歌を聞いて、自動演奏で聞けるって思い出したのか。

一緒にぴょこぴょこ踊った。

料理で手が離せない時に、私から気をそらすため

「クマさんにご飯をあげようね」と言うと、

ソファの上に置いてある大きなクマをぬいぐるみを私のところに持ってきた。

あ、しまった。

気をそらした隙に、料理を進めたかったのに、一部始終をドキドキしながら見守ってしまった……。

深夜、近くに住む友人が訪ねてくる。

なんとなく、二人でオトコってものについて話した。

私が「感情をごまかして喋る人はイヤだなあ」と言うと、

「肝心なところから、ずらしてくる人もイヤですよね」と友が言った。

ほんと。

男がガラスの心を守ろうとするのを、女はすぐに嗅ぎわける。

どうして守るのか?

守ろうとすればするほど、とてもみっともない。

突然、薄汚れて見えてしまう。

その先はどうなるのか?

いずれ、書いてみたい。

気の毒になる?

同情は愛に似ている。

という台詞がイギリスの古い戯曲の中にある。

日本では漱石が引用したから有名だ。

私が思うに、同情が愛に変わることはある。

しかし、愛が同情に変わったら、どうなるんだろう?

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くっじら

保育園に預けた後、学校見学へ。

ここなら自転車で来られるかも、と思った。

ピアノの練習室がめちゃくちゃ多い。

生徒は自由に使っていいのだそうだ。

すごいなあ。

幼児教育を学ぶという目的とは別に、ちょっと魅力を感じてしまう。

授業とは関係なくピアノの練習したいなあ。

チャイコフスキーの子どものための小品集とか挑戦してみたい。

見学で一緒だった隣国出身の方と、帰り道ご飯を食べた。

来日して長いし、濃い生き方?をしているから、

私よりも東京に詳しい。

看護専門学校とここと、迷っているらしかった。

すごいなあ。

気圧の影響か、今日はとても肩凝りがひどい。

小さな同居人は風呂の中で「くっじら」と言っていた。

私がくじらのオモチャのゼンマイを巻きながら

「いま、くじら~」と歌ったら

湯船の中で身体を揺すって「くっじら」と小さく叫んだのだ。

夕飯の後、ベッドの上で二人で絵本を眺めていたら、手をたたき出した。

「手をたたきましょ~」と歌ってみたら、

「おてて、たたっ」と歌いだした。

その後「てをたたっ」とも歌っていた。

いろいろ分かってきたんだなあ。

あと、ネッシーのぬいぐるみは「ねー」。

何だか憂鬱な気分。

今は不用意に、人について知りたくない。

私にとって知るって、近付くんじゃなくて遠ざかるってことなのかも。

ううん、やっぱり違うな。

ネットを挟んで知るのと、直接話して分かるのとじゃ、全然内容が違ってくる。

ニュース知るのには手っ取りばやいけれど。

なんか重たいね。私って。

きたならしい言葉が胸に浮かぶようになったら、

その相手から離れる潮時が来ているのだと思う。

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あめ の よる

昼夜と、WS公演の出演者たちと会った。

求める人には、一対一でこれからのことなど相談に乗った。

若い人たちの不安や、表現への熱意がストレートに伝わってくる。

応援したいなあ、と痛いほどに思った。

年末までにワークショップを開催するかどうか、少し迷っていたのだが、

みんなと話していると、やりたくなってきた。

せっかくWS公演でそれぞれ何かを掴みかけたんだから、もっと伸ばしてあげたい。

行く末を見届けたい、そんな気持が胸にあふれてきた。

夜、昔々のワークショップ参加者と会う。

彼とはもう長いこと友だちである。

今回、公演を通じて彼のやっているボランティア活動にほんの少しだけ協力させてもらった。

駅の近くのパスタ屋さんで食事をしながらお喋り。

協力活動の報告とともに、近況などを話した。

彼は聞き上手なので、どんどん喋ってしまう。

あれあれ……。

なんだか話し過ぎてしまったかなあ。

と、その時、自宅から電話。

小さな同居人が騒いでいるらしい。

データの受け渡しのため、メンバーを待つつもりだったが、すぐに帰ることにした。

外に出ると雨がさらに激しくなっていた。

メンバーに断りの電話を入れている私に、彼はさっと傘を差しかけてくれた。

なんて紳士なんだ。

ワークショップの参加者として初めて出会った頃をふと思い出した。

すごく繊細な男の子に見えたっけ。

その人が大人になり、いつの間にか私のしょーもない話を聞いてくれるようになったのだなあ。

と、その時、高架下の、傘が必要ないところについてしまった。

急いでいた私は慌ただしくお別れの言葉を告げた。

さようなら。

また。

帰宅して、小さな同居人と再会。

興奮状態で家中を歩きまわっているので、抱き締めてどこにもゆけないようにした。

小さな同居人は私をかじったりしばらく暴れていたが

そのうちに、電池が切れたように

コトリと眠り込んだ。

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まぎらわしい ことば

小学校2年生の子が書いた、あざといくらいに見事な読書感想文。

http://d.hatena.ne.jp/kaien/touch/20080105/p2

彼女自身の実体験を挿入していること自体がものすごいアイディアだし、

どのエピソードも、胸を揺さぶられる内容だ。

たぶん誰もが体験するようなことだろうけれど、

こうは書けない。

彼女の親は、たいへんだなあ。

こんな天才を、どのように導いたらいいのか。

いや、導かなくてもいいのか?

分からないな。

深夜、友人と電話で話した。

私たちは恋愛関係にない。

過去もそうだったし、これからも。

そのことを最近互いに言葉で確認した。

友人が会話の中で、まぎらわしい言葉(好き)をまたしても言った。

先日も争点の一つになった表現だ。

でももう論争はしない。

そんなことには意味がない。

私が流したら「流したね」と笑った。

文脈から言って「頑張って芝居を続ける私」を評価したに過ぎないのだから

流さずしてどうするのだ?

「好き」という言葉を分解して、台無しにしたくない。

とにかくこれで、私も安心してまぎらわしい言葉を使える。

「そんなに会えないと淋しい」と伝えた。

これでおあいこ。お互いさまだ。

小学二年生の女の子の言うとおりなのだ。

変なところで頑張り過ぎず、さらりと生きよう。

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かんかく の せんど

私、なんか変なことを言ってしまったかしら、と突然気になる。

気にしても仕方ないんだけど、記憶がくるくると頭の中で回ってしまって止まらない。

感じたことをそのまま口に出しちゃダメかしらね。

もういい大人なんだし。

悪いことはよく考えてから言ったほうがいいけれど、

良いこと、楽しいことは、なるべく感覚の鮮度が落ちないうちに話したい。

でも、言われたほうはとまどうのかな。

若い頃のように、「自分もそう思ってたよ!ほんとにそうだよね」と

相手が共鳴してくれること、あんまりなくなったなあ。

何故かっていうと、相手もまた歳を重ねて分別がついているからだ。

私は、相変わらず分別あんまりないけど……。

とにかく、用心深く振舞って、自分の感情を守ったりごまかしたりするのは、

性に合わない。

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さようなら ばんぼ

小さな同居人のバンボ椅子を、飯田橋に住んでいる元劇団員に譲ることにした。

同居人にはもう、この椅子は小さすぎて、身体がおさまりきらない。

それなのに、同居人は無理やりその中にしゃがもうとしたり、踏み台にしてソファに乗ろうとする。

気にいっているようだけれど、バイバイしようね。

この可愛らしい赤い椅子は、もっと役にたつお家に行ってもらおう。

小雨の中、元劇団員に届けに行く。

こじんまりしたマンションはとても居心地良さそうだ。

室内の雰囲気は、どちらかといえば、彼女より旦那さんの好みに合わせられていると感じた。

夫婦の間はなかなかうまくいっているようだ。

なんとなくほっとした。

赤ちゃんを抱かせてもらう。

男の子っぽい匂いがプンプンする。

実は人生の中でも一番、男の匂いがする時期らしい。

男の匂いもいろいろあるけど、彼のはいい男の匂いだ。

男前になるね、きっと。うん。

帰り道、長袖シャツや、ズボンを買った。

寒くて仕方ないよ。

帰宅するといくつかの学校から資料が届いていた。

まだ資料は届いていないけれど近所の専門学校が一番良さそうだ。

カソリック系のこじんまりしたところ。

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て を のばす

保育園に迎えに行くと、

小さな同居人はプラスチックのカップを重ねて夢中で遊んでいる。

呼びかけても、余裕でにっこり笑い返し、私に抱きついてこない。

そっか。

もう慣れたんだなあ、と少し淋しく思いながら着替えやタオルなどの回収をしていると

小さな同居人がいきなり泣き出した。

無理やりにでも抱き締めて欲しかったみたいだった。

再会して嬉しかったのを、照れて素直に出せなかったのか?

分かるよ。

なんか、その瞬間に感情を出せないんだよね。

私もそうだから、よく分かるよ。ごめん。

今度からこっち向いてくれなくても、抱き締めることにしよう。

お互いの気持は分かっているんだもの。

確認は必要ないんだ。

そうだ。

人を幸せにできる瞬間があったら、今度こそ手を伸ばそう。

それこそ反射的に。

思想とか信念とか言ってる場合じゃない。

だって、そうあることじゃないんだから。

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くさりかけ の しんじつ

低空飛行気味。

仲良しからメールが来てたので、めずらしく弱気な文面で返信してみた。

というか、彼は弱気なのに気付かない気がする……。

気付かないくらいだから仲良しじゃない?

いやいや、そんなことはない。

まあいいのだ。

弱音を吐いてみた、というのが重要。

今は落ち込む、というより、単に気持が悪いのだ。

ちょっと吐き気がする。

孤独だから?

いや、違う。

なんか、そういう清清しい感じじゃない。

何で気持が悪いのか、自分でもよく分からない。

五年後くらいに分かるかもしれない。

果実のように、真実の答えは、突然忘れた頃に

ぽとりと地面に落ちてくる。

その頃には、答えは完全に熟している。

いや、たいていの場合、少し腐りかけている。

他人を幸せにするのは、容易ではない。

タイミングもあるし、個々の思惑もある。

ただし思惑というのは、どうでもいい時もある。

ジャストな瞬間のエネルギーにくらべれば各々の思いなどゼロに等しい。

私はタイミングにいつも気付くのに、実行に移せないタイプである。

その瞬間にジャンプすれば、最高に幸せにできると分かっていても、ジャンプできない。

細かいこと、信念とか、価値観とか、そんなことが気になってしまう。

人は私のためにいつもジャンプしてくれるのに。

私はできない。

そのうち、したいんだけど。

カエルみたいに、助走なしで。

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けづくろい と つばさ

自然のままでいたいと思っている。

エステとか整形とか、アートメイクとか。

やるのは自由だけど、私は興味ないなあ。

どうしてそんなにキレイでいたいの?

素敵とか、カッコいいって言われたい?

でも、後から加えた人工的なものに対して評価されてるだけだよ。

それでいいのかしら。

猫の毛づくろい程度で十分だと思うよ。

だって、どの猫も、それなりに愛嬌あるもの。

外見の魅力ってそんなに大切なのかなあ?

本当の姿を見てもらわなくちゃ、私は嫌だ。

さらけ出す、というような大げさな感じじゃなく、自然なままで接し合えたらいいのにな。

大人になると、そうはいかないんだね。

見た目で「気持悪い」と最初から男の人に近づかない女の人は多い。

そういう人から、「差別しないよね」とよく言われる。

違うな。

精神的な気持悪さのほうを重視してるだけ。

犬や猫と同じ。

外見の問題でいうと、全然可愛くない人間もまた、いないと思う。

自然、と、プライド、は関係しているかもしれない。

見た目を気にする人は、「プライドのためのプライド」も奇妙に高い。

そこからは何も生まれないのに。

そういう人を見ていると、自分を守るための壁を何重にもめぐらす作業でいつも忙しそうだ。

傷つかないための工夫に時間と手間を掛けるより、

自分自身が本当に望んでいることにエネルギーを集中させたい。

そのために少しブザマな存在になってしまうなら、

それはそれで構わない。

コンプレックスに理解がない、と言われそうだけど。

あるよ。

私だって。

こんなに小さいし、女らしい顔かたちには程遠いし。

でも人間の持っているエネルギーは有限だから。

コンプレックスを「具体的に解消する」ためのお金と努力を、別なところに使いたいと思っているだけ。

外側はいびつでもいいや、と思っている。

心は、自由になれるからね。

努力次第で、いくらでも。

カゴの外に飛び出したいと思っている。

そのためには翼を強く、大きく、鍛えなくては。

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あかちゃん の ぷらいど

早朝、小さな同居人の声で目が覚めた。

ベッドの隅で「ばあっばあっ」と繰りかえしている。

なあに?

同居人が向かっているものは、「いないいないばあ」という絵本の最終ページだった。

のんちゃん?が顔を覆っている絵が載っている。

それに向かって自分も同じポーズを取り、「ばあっ」とやっているのだ。

なるほど。

文字は読めないが、本は読めるようになったんだね。

朝食後、今度はリビングにある小さな絵本をめくりはじめた。

本が好きなのか。

私が忙しくしている間に、ずいぶん成長したんだなあ。

もっといろんな本を用意してあげなくちゃ。

図書館にも行ってみよう。

二人でいると、おっぱいばかり欲しがるので川べりに散歩に行く。

昨日、保育園2日目、靴を履いて散歩に行ったそうだ。

靴嫌いなのにほんとかな?と思っていたら、ほんとだった……。

まったく靴を嫌がらない。

靴を履くと楽しいことがあるって分かったんだなあ。

川べりの公園で、いろんな乗り物に乗った。

木で作った馬、鳥、ぶた。

以前来た時は少し怖がっていたが、今は楽しくて自分で乗り物を揺らしている。

昼過ぎ、小さな同居人を姉と親に預け、大学の説明会へ。

うーん、なんかここはパスかな。

ビジネスの香りがし過ぎてます……。

もちろん、みんなどの業界も商売なんだろうけど……。

夕方、劇団のHちゃんが家に公演荷物の整理にやってきた。

小さな同居人は大喜び。

ほうっほうっと声を出しながら自慢げに歩いてみせる。

こうしてみると、「自慢」というのは本能なんだ、とつくづく思う。

保育園に行くと、赤ちゃんはみんな何かで得意になっているし、自慢ばかりしているもの。

みんな自慢したいんだ。

人間は。

おそらく生まれつき。

社会化されるにつれ、抑えられるのかな。

自慢ばっかりしてる人は、本能が抑えられていないだけだ。

可愛いもんだよ。

許してあげようね。

最近、世間ではあんまり良くないとされる人間性のほとんどが、本能的な部分だと気付く。

プライドが高くて、人の言うことが素直に聞けない……幼い子のほとんどがそうだ。

一人で立って歩くには、飛んだり跳ねたりができるようになるには、自分で何かを判断できるようになるには、それが必要なのだ。

助けの手を払いのけ、よろよろと歩き、転んだら自分の失敗を心から悔しがる。

つまずいてひっくりかえったのを人に見られたのが恥ずかしくて泣く。

それがあって、成長する。

大人になると、成長自体がゆるやかになるから、「プライドが高い」っていう面だけがクローズアップされちゃうんだなあ。

しかも、大人のプライドってもっと複雑で、

失敗を人に悟られないように必死になったりするし。

私はプライドのために、大切なものを失いたくない、と思っている。

いつも。

そういう人をたくさん見てきている。

ポリシーとプライドは遠くかけ離れている。

ポリシーは捨てたくないが、大人の複雑なプライドは、まあどうでもいいや。

赤ちゃんのプライドを、もう一度取り戻したい、と思う。

プライドのためのプライドではなく、一人で立つための、プライド。

私も成長したい。

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げんとう あそび

掃除して、小さな同居人のためのお惣菜を3品作り、小分けして冷凍。

春から通う学校、どれにしようか資料を眺めていたら、一日終わってしまった。

小さな同居人は公演が終わったのが分かるのか、

保育園から帰ってくると私とべったりくっついて離れない。

新しい保育園に通い始めてから、ハイハイが少なくなり、歩いてばかりである。

4月生まれの先輩が多く、誰もハイハイしていないからかもしれない。

夕暮れ、懐中電灯で遊んだ。

少し暗くなった寝室の中を小型のライトで照らすと、モビールの陰が壁にゆらゆらと浮かび上がる。

犬と象と、カエル、星、花のボール。

幻燈遊び。

小さな同居人は、光と影と懐中電灯の関係をなんとなく理解したようだ。

ライトを振り回し、光が動くのを楽しそうに見つめている。

遊びも工夫するといいよねえ。

また面白いこと、考えておくね。

あと本も買わなくちゃなあ。

今度、二人で行こう。

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誤解も含めて、人も世界も好きになれるといい。

そうなりたい。

私は愛の少ない人間で、何かを自然に好きになる、とかあんまりできない。

好きになれそうなものがあったら、根気良く見つめてみることが大切だ。

芝居も、そうやって好きになった。

芝居から離れている自分を想像できなかった。

それだけの理由で続けることにした。

これは学生時代。

離れていることが想像できなければ、

続けるべきということだろう。

私もたくさん誤解している。

それをたくさんの人がきっと、許してくれているのだ。

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あたらしい ばしょへ

新しい保育園への登園初日。

準備は万端だが、小さな同居人は今日に限って寝起きが悪い。

私はせっかく早起きしたのに、結局到着したのはギリギリだった。

4ヶ月先輩の男の子が、おもちゃを次から次へと手渡してくる。

何から何まで世話しようとしてくる。

保育士の人が説明してくれる。

「彼は同じ保育園にお兄さんがいるんで、お兄さんからしてもらったことをそのまま、人にしてあげたいんです」

なるほど。

ありがたいけど、そんなにチュウしてこないで……。

同居人はしばらく半泣きで私にしがみついていたが、

園のベランダに乗り物がたくさん揃っているのを発見すると、「ほーう、ほう」と大興奮。

外遊びの時間になると、夢中になって乗り物にまたがったり、押したりし始めた。

今日はお昼ご飯を食べて、退園。

帰り道はぐっすり眠った。

たくさん暴れたせいか。

私はなんだか元気がない。

小さな同居人の相手をしている間はなんとか笑顔を保てたが、

眠り込んだ途端、顔から生気が消えてしまった。

自分の考えたとおりに生きるのもいいんだけど、

元気でいられる範囲内にしておかないと。

そうでないと、同居人がかわいそうだ。

人の考えに合わせて行動するのは悪いことではない。

自分を変化させるきっかけになる。

あまりにもポリシーに縛られすぎると、世界は私の思考の及ぶところまでしか、存在しなくなってしまう。

潔癖で狭量な人間になりたくない。

誤解されている私も、私なのだ。

私を誤解することで気分が良くなったり生きやすくなるなら、どんどんすればいい。

物語と同じだ。

それは読む人のためにある。

外に見えている私もまた、見る人のためにある。

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明日は、区立保育園への入園日。

準備に忙しい。

こんなにいろいろ手作りしなくちゃいけないなんて、びっくりだ。

今までお世話になっていた近所の保育園に小さな同居人を預け、

ひたすらミシン掛け。

カタカタカタ……ミシンの音を聞いていると、意識がどうしても内向きになる。

ああ私きっと、好きになりたかったんだなあ。

どんなかたちでもいいから、好きになりたかったのだ。

だからしっかり向きあってみようと思った。

ずっと逃げてばかりいた。

気付かないフリをしているうちに、

気付くことができなくなった。

久しぶりに、他者の気持を受けとめてみたくなった。

二年前、恐怖の日々で、麻痺してしまった心がやっと回復してきた。

そう思うと少し嬉しかった。

でも……

目を閉じ耳をふさげばよかった。

目にした表情も耳に飛び込んできた言葉も、もう消せない。

それは、記憶の壁にシミみたいにこびりついてしまった。

悲しいなあ。

何か大切なものが消滅してしまった。霧みたいに。

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ちかちか もえる

恋ってなんだろうと思う。

人によっていろいろあるんだろうけど、私は単純に、手をつないでみたくなったら、そうなんじゃないかと思っている。

それって範囲が広すぎて、定義になってないかもしれない。

バイなのかと突っ込まれることを覚悟で言うと、

昔から女の子と手をつないでも、ドキドキする。

というか、男と手をつなぐより、ハードルが高い。

最近歩くようになった同居人と、手をつないで廊下をさまよう。

心の中で何かがチカチカと燃え始めた。

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ふけつ な すうしき

今日は午後劇場に小さな同居人連れていって、

抱っこしながら稽古とゲネをやって、

保育園に送っていって、とんぼがえりして、本番とバラシ。

倉庫に荷物を戻し、ワークショップ公演の打ち上げに顔を出した。

とても疲れた。

最近、嫌なことを思い出す。

20年近く前、車の中で、男に押し倒された。

私の古い友人でもあり、恋人のことも知っていた。それなのに。

抵抗してやめさせた。

すごくショックだった。とても怖かった。

そこで一切の交流を絶てばよかったのだが、私は彼を切りたくなかった。

表現活動の大切な仲間だったからだ。

あまり彼を責めることもせずに、3年が過ぎた。

勇気を出して、彼にあの時は傷ついた。とても恐ろしかったと伝えた。

「キミの勘違いじゃないの?俺がキミにそんなことをするはずがないだろ?」

記憶違いだと決め付けられた。

吐き気がした。

彼を友だちだと思っていたが、そうではなかった。

自分の恥を隠すために、人を傷つける人だった。

勇気を出してまっすぐ話すのが怖くなった。

だけど時々いまも、話してみる。

ずるいのは嫌だから、まっすぐに、訊いてみる。

答えを聞きたいというよりは、「答え方」が見たかったりする。

まっすぐな人かどうか。

真の勇気を持った人かどうか。

どうしようもなく好きになることもあれば、

冷たく凍りついた感情を持つこともある。

前者を強く望んでいるが、

実際には後者ばかりかもしれない。

おそらくずるさもスキルなのだ。

賢く立ち回っていれば、恥もかかないし、傷つかない。

世間的には評価されるべき心の技術なのだろう。

私は嫌い。

それは、ごちゃごちゃと無駄のある数式のように、不潔で、美しくない。

あちこち傷だらけになりながら、まっすぐ進む人でありたいし、

そういう人と一緒にいたい。

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しんじなければ よかった

理不尽な出来事があった。

誤解なのかもしれない。

でも、誤解でないとしても、結局は同じことだ。

私のやり方とは合わない。

仕事なら、やり方が合わなくても、調整できるけれど、

生き方に関してはやはり曲げられない。

私を人間として認めてくれる人と、一緒にいたい。

宗教のように、博愛の精神で救われたりするのはまっぴら御免だ。

誇りを失いたくない。

失うくらいなら、限界ギリギリでも、一人で闘うほうがマシ。

言葉ってこんなに信頼できないものだったのか。

改めてそう思う。

信じなければ良かった。

そうすればこんなに失望しなかったのに。

こんなに孤独にならなかったのに。

人に頼るからこういうことになるのだ。

もっとよく考えればよかった。

言葉の裏を読めば、よかった。

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2日目

本公演2日目。

昼、ゲーム台本のライターさんたちが皆で来てくれた。

一人をのぞいて実際にお会いするのは初めて。

感想が聞けてとても嬉しかった。

夜は私が20代の頃から観にきてくださっているたいへん古いお客さまや、

最近知り合ったばかりの男優のMさん、それに映像関係の友人。

人とメールをやりとりしていたら、またしても誤解を受けた。

言葉を扱う職についているのに、どうしてすぐこうなるんだろう?

雑なのかな。言葉が。

伝わらない気持は存在しないのと同じ、という文面に涙が止まらなくなった。

あまりにも悲しい。

正直言って、人の胸の奥をどの程度覗いていいのか、私には分からないのだ。

自分自身、人に気持を推測されるのが嫌いだし。

ずぶずぶと他人の心の沼に足を踏み入れるのってどうなんだろう?

心細い。

どうしたらいいのか。

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よかん

朝、友人に助けてもらって小さな同居人を劇場に連れてゆく。

午前中、本公演の場あたりの続き。

小さな同居人は最初興味深そうに見ていたが、

そのうちぐっすり寝入ってしまった。

劇場の中に入ると落ち着くようだ。

お腹の中にいる頃から、なじみが深いのだろう。

場面5以降をあたった。

照明N氏と音楽T氏のセンスは

まったく色が違うのだが、奇妙にマッチしている。

昼、場当たりを終えて、小さな同居人とともにいったん帰宅。

田舎からきた両親に小さな同居人を預け、再び劇場へとんぼ帰り。

なんとか、リハーサルの時間に間に合った。

リハーサルの時、

「これはとてつもなく面白い舞台に化ける」という予感がした。

本番、ドキドキしながら、見守る。

前半、お客さまの笑い声にほっとした。

でもまだまだ。

予感はまだ予感のままだ。

いつ化けるか、と思っているうち、ラストシーン。

カーテンコールの後の暗転の中、お客さまの拍手はなかなか途切れなかった。

お客さま、ワークショップ公演の出演者なども交え、初日乾杯。

多くの方が初日を祝ってくださった。

化けはしなかったが、よい舞台だった。

スタッフも役者も精一杯やってくれた。

しかし私の役割は満足することではない。

予感を現実に変えるため、ダメだしをしてまわる。

帰ろうとしたら、受付の方から大きな花束を渡された。

見知らぬお客さまから。

本当に嬉しい。

ありがとうございます。

家のお気に入りの場所に飾らせていただきます。

これからも頑張って舞台作ろう。

うん。

やんなきゃ。

今日、人から愛されていると、直感する瞬間があった。

ふとした拍子で、あまりにも何気ない瞬間なので、錯覚かもしれないけれど。

というか、たぶん錯覚なのだ。

だけどあまりにもその時の感覚が鮮やかだったので、

書き留めておきたくなった。

その人自身もきっと、そういう瞬間について意識していないに違いない。

たとえ今、意識しているにしても、すぐに忘れてしまう。

だから、ここに、書き留めておこう。

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いっしょ に げね を

今日はワークショップ公演と本公演両方の場あたり。

夕方、保育園に小さな同居人を迎えに行き、友人と一緒に劇場へ。

移動がとてもラクだ。

友人がベビーカーを押してくれるし、電車の乗り降りも助けてくれる。

夜はワークショップ公演のゲネ。

小さな同居人とともに客席で見守る。

同居人は最初は興味深げに観ていたものの、

そのうちピアノの音色にうっとりして、寝入ってしまった。

その後、照明や演技の直し。

結局終わったのは深夜だった。

小さな同居人は直しの途中、目を覚ましたが

とてもおとなしい。

とにかくピアノの音が好きみたいだ。

帰り道は音楽監督のT氏が手伝ってくれた。

優しい人に囲まれて私も小さな同居人も幸せものだ。

明日はいよいよ本番だ。

とにかく幕が開くその時まで、努力をやめないこと。

それが大切だ。

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しこみ いちにちめ

朝から小屋入り。

舞台美術、少してこずったがなかなか素敵。

二つの公演でガラリと雰囲気が変わる。

ワークショップ公演は不器用ながらかわいらしい感じだし、

本公演は辺境の地という雰囲気。

どちらも私の世界だ。

夕方、小さな同居人を保育園に迎えに行き、一緒に劇場へ戻った。

電車の乗り換えなどを友人が手伝ってくれて

とても助かった。

おかげで少し、ひと息つけた。

舞台はちょうど明かり作りをやっていた。

それにピアノの調律。

小さな同居人と二人、客席で見物する。

抱っこ紐で私の腕の中にいる同居人は、とても楽しそうだ。

おとなしく、調律の音に耳を傾けたり、明かりの変化に反応したりしている。

そのうち姉が劇場に来た。

再び小さな同居人と離れ、舞台の準備をすすめる。

明日の場当たりが楽しみだ。

どんな舞台になるのか。

とても未知数。

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明日は小屋入り

人に対して得体の知れない感情を抱くのはイヤだ。

できればネットなどで知っている人の情報に遭遇したくない。

目の前にいる時に抱く感情は生のもの。

だからいい。

それ以外の時に、「何かを通して」言動に接してしまうと、

おかしな感情を抱きやすい。

不必要にイラついたり、嫌悪を感じたり、

あるいは不条理なほど恋したり。

一番最後のは今まで一度もないなあ。

ありゃ面白いのに。周囲にはそういう人がたくさんいる。

私はたいてい幻滅しちゃうことが多い。

昔は噂話くらいしか、そういうのがなかったのかな?

それはそれでいいね。

私もそういう時代に生まれればよかった。

結局会ってみないと分からないんだよね。人って。

私だって、他人から見れば、このブログとは全然イメージ違うのだろうし。

まあ極端で、激しい。

白黒つけたがる、っていうのは一致してるのかも。

夜、古い友人が訪れた。

米粉のロールケーキをいただいた。

美味しい。

小さな同居人を抱っこして、低い声でボソボソ喋っていたら

同居人は寝入ってしまった。

二時間ほどお喋り。

いい気分転換になった。

その後、音楽監督のT氏が場当たりで使う音源を玄関先まで届けてくれた。

眠気でもうろうとした頭で見るT氏は何だか落ち着いていてとても大人だった……。

ちゃん付けで呼ぶの、もうやめよっかなあ~。

お互いもういい大人なんだよね。

そうか。

月日は確実に流れているのだ。

一緒に仕事をやる時のスタンスはずっと変わらないけれど。

明日は小屋入りだ。

頑張らなくちゃ。

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つっぱってっ

午後、積み込み。

明日劇場に持ってゆくものすべてをワゴン車に積んだ。

ずいぶんたくさん持ってゆくんだなあ。

と思ってたらいろんなものを積み忘れたことに気付いて

演出助手のHちゃんとへこんだ。

彼女が帰った後、図面を直して舞台美術の最終チェック。

いろいろ大変だけど、楽しんでやろう。

落ち着いて、冷静に。

だけど楽しむ。

ああでも本当に疲れた。

ちょこっと寄り掛かって眠りたい。

大丈夫だよ、と言ってもらいたい。

まあ言ってもらうまでもなく、大丈夫なんだけどね。

と言ってしまうところが、可愛くないなあ。自分。

仕方ないのね。

いろんな方向につっぱってないと、倒れてしまうからさ。

バランス保つためには

つっぱりましょ。

うん。

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がむしゃら

貧血なのにご飯を食べる時間がない。

小さな同居人のご飯作って食べさせて一緒に遊んで家事ひととおりやって……

そして公演のための準備をしていると、

あっという間に一日が終わってしまう。

今は純粋に、生活と芝居だけ。

それ以外の時間がない。

いや、生活もちゃんとできてないな。

ご飯食べろよいい加減。

自分に腹が立つが、まあそんなところでエネルギー無駄遣いしてもね。

穏やかに穏やかに。

公演の準備、全体的に遅れていたけれど、

ここにきて持ち直したように思う。

あともう少し。

今回の舞台美術、とても楽しみだ。

本公演で使うテント。

デザインはしたものの、どうやって作るんだかさっぱり分からなかったのだが、

古い劇団員に相談したらテント枠を作ってくれた。

本当に器用だ。なるほど……。

その枠に私とHちゃんで布をつけて、本日完成!

秘密基地みたいだ。

ああ~小さい頃、こんなテントがあったら、楽しく遊べただろうなあ。

いろんなものを持ち込んで、一日を過ごす。

本とか。ラジオとか。

クッキーとかお茶とか。

あ、そうそう小さな小さなテーブルね。

小さな同居人は、古い劇団員に対して好意を抱いたらしく、

夕飯を食べながらしきりにポーズを取ってみせる。

うどんをつるつると吸い込むようにして食べてゆき、

最後の1センチくらいを、ひと呼吸「ため」を作ってから

「ちゅるっ」と飲み込むというギャグ?を何度もやってみせる。

やってみせておいて、自分でウケて笑いだす。

楽しいね。

そんなことの合間に近況を聞いた。

まあまあ元気なようで、ほっとした。

また一緒に芝居がやれるといいなあ。

小さな同居人を寝かしつけ、作業をやりながら思った。

約束が守れないけれど、ピンチの時には必ず助けてくれる人と、

約束必ず守ってくれるけれど、ピンチの時に助けてくれない人と、

どっちがいいんだろう。

前者のほうが好き。

でもどっちも良くない。

舞台そのものより、「芝居周辺」に興味ある人とは

私はやってゆけないなあ。

飲み会とかつきあいとかで「ネットワークを広げる」……ですか……。

もっともらしい口実つけて酒飲んでるだけの場合も往々にしてあるし。

変に合理化しなきゃいいのにね。

別に飲むこと自体にはまったく異論ないけど、合理化には反対。

まあ人は人。

高校時代に書いた作文のタイトルどおりで「人それぞれ」なんだな。

私個人に関して言えば、ガムシャラに稽古と舞台作りに打ち込み、完成度を高めたい。

まっすぐで泥臭い努力、私は絶対に必要だと思っている。

演劇人生長くなると、何故みんなやんなくなるんだろう……。

最高に楽しいのにね。

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