まぶしくて
簡単なお弁当を作って、公園へ。
ここはいつも混んでいるけれど、
天気が不安定だからかとても空いている。
途中ほんの少し小雨がぱらついてきた。
あずまやで昼食を取った。
小さな同居人は
しらす入りの海苔巻きを美味しそう食べている。
あとはカボチャのそぼろあんかけとブロッコリー。
それに蜜柑。
食べ終わったところで空が明るくなってきた。
日本庭園を抜け、芝生の上にレジャーシートを広げた。
小さな同居人は芝生がフカフカしているせいで
脚を踏ん張れず、転んでしまう。
一瞬、不安そうな表情を見せたものの、
すぐに立ち上がって柔らかい芝の感触を楽しみ始めた。
せっかく外に遊びにきているのに、
私は眩しがりで、目を見開いて空を見れない。
空だけじゃなく、小さな同居人の顔もちゃんと見つめられない。
眩しくて眩しくて。
ふいに小さな同居人が「ふうっ」と声をあげた。
指差したその先には、小さな赤とんぼが頼りなく漂っていた。
勇気を出して(私はトンボが怖いのだ)
人差し指を出して赤とんぼをとまらせようとしたけれど
トンボがとまりそうになると、私はきゃあっと声をあげてしまった。
小さな同居人がニヤニヤしながら私を見た。
変だよね。
どうしてトンボなんか怖がるんだろうね。
小さな同居人を芝生の上でギュッと抱きしめていると、
眩しいし、胸は甘い想いでいっぱいになるしで、
頭がちょっといかれそうになった。
今日は久しぶりに昔知っていた人のことを思い出した。
その人は「ありがとう」と人に言うくらいなら、
最初からしてもらわないほうがいい、と日常的に言っていた。
それなのに、金銭と労力の面で私にひどく依存していた。
やりきれない。
依存の一部を拒否しようとすると、激しい怒りをぶつけられ、恐怖を感じた。
次第に嫌悪感を持った。
仕事も殺人的に忙しく、体力的にギリギリの時期だったから、なおさら強く感じたのかもしれない。
「ありがとう」と言いたくないから人に頼らない。
この考え方自体は、そんなに変じゃないのかもしれない。
でも私は、それをわざわざ口に出したり、雰囲気を醸し出す人間は、危険だと思っている。
そういえば最近、友人が
人の作った食事を「片付けておくね」と言って口に放り込むのを見て、
悲しくなった。
なにげない言葉だろうけれど。
嫌いになりたくないなあ。
そんなことも影響して、今日
久しぶりにあの頃を思い出したのかもしれない。
眩しい光の中にいると、
余計にあの頃がとてつもなく恐ろしい真っ黒な日々に思えてくる。
神経過敏になっているのかもしれない。
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