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2010年11月

くりすます の じゅんび

目白の閑静な住宅街にある花屋&カフェにて、クリスマスリースを作る講習会に参加。

上品なおばさまたちと一緒で、ちょっと緊張する。

訊ねられたので、あの、台本などを書いておりまして……などとしどろもどろに答える。

うう、視線が痛い。

私は、有閑マダムたちから好かれたことがない。

何故だろう。

花屋のオーナーMさんに教わりながら、枝をねじって、リースの土台を作る。

そこにもみの木などの生木を差し込んでゆき、針金で固定。

さらに、配色を考えつつドライフラワーやミニリンゴ、さまざまな植物の葉っぱなどを植え込む。

小さな同居人の顔が頭に浮かんだ。

喜んでもらえるかしら。

最後、Mさんが一度壁に飾って講評をしてくださった。

「いいじゃない。すごく可愛い。配色も素敵」

わああ、嬉しいな。ほめられた。

Mさんはとてもよい教師だと思う。

ほめ上手。

帰宅してすぐ、リースを飾ってみた。

なんて華やか。

小さな同居人は、不思議そうな顔をして見つめている。

私にとっては思い切った出費だったけれど、自分で作れて良かった。

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にくみながら あいする ひび

一緒に歩いていたら、友がすごく昔のエピソードを話し出した。

『卒塔婆小町』という三島由紀夫の戯曲を、新江戸川公園で上演した時のこと。

終演後に私と話したんだそうだ。

私も、なんとなくは覚えている。

いくにんかのお客さまに「ありがとうございました。いかがでしたか?」声を掛けた。

友にも声を掛けた。

その時は、友人というほどまだ親しくなかった。

あくまでも、知り合いのスタッフであり、そして私の大切な人の恋人だった。

友に挨拶したのは覚えているが、その後何を話したかまったく覚えていない。

空白。

別の心配で頭がいっぱいだったことだけは覚えている。

彼と話して、大切な人に疑われないか。

彼女はいつも、私が彼と話すたび、疑惑の目を向けた。

礼を欠かさぬよう、他のお客さま同様に、挨拶だけはしなければ。

話は、あまり長々しないようにしよう。

でも、今日の演出について話がどんどん続いてしまう。

彼女が後ろから私を見ている気がする。

話を終わりにして、離れなければ。

でも彼は何か話している、感想が続いている、どうしよう……どうしよう……。

今となっては「どうしよう」しか覚えていない。

友は、その時のことをよく覚えているようだった。

私は、何を話したかまったく覚えていない、と答えた。

どうしよう、のほかには。

しかし断片的な記憶が二つ浮かんだ。

一つめ。

その時、友が私の顔を穴があくほど見つめていたこと。

横を向いても、視線が刺さっているのを感じた。

そして二つめは

その時の、腹立たしい気分。

「こんなに見つめるなんて、『この女、オレに気があるぞ』って勘違いしてるのかも」

そんな考えが頭に浮かんでムカムカしたのだ。

大切な人は、その後数年して、離れて行ってしまった。

もう二度と、私のところに戻ってくることはないだろう。

彼女にとって、私は、母校のようなもの。

私を、芝居を、彼女は卒業したのだ。

彼女をとても好きだったが、憎んでもいた。

私を信じようとせず、ときどきどうしようもなく下手な嘘をついた。

ぬめぬめとした女の部分を

隠そうとして、かえっていつも露わにしていた。

そういう彼女を憎みながら、

やはり、愛した。

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あかい ぶら

ときどき

小さな同居人が、引き出しから赤いブラジャーを出してきて、

これをつけろ、とすすめてくれる。

最近はグレーとか黒のスポーツタイプしかつけていない。

つけるのも、外出する時だけ。

家の中で小さな同居人と二人でいるときはつけずに過ごしている。

ありがとう。

最近、そういうのはつけないんだよ。

と、遠慮すると、自分で装着しようとかぶっている。

赤いブラが好きでたまらないらしい。

小さな同居人は、ときどき、服なども選んでくれる。

すすめてくれるのは、ピンクやオレンジなどのきれいな色ばかりだ。

確かに気を抜くと、グレーや黒ばかり身につけてしまうから、同居人の意見は大事。

うん。

もう少しきれいな、可愛いものを身につけるようにするね。

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ゆるした さき の みらい

婚約者を亡くした友人の言葉に

胸を衝かれた。

素晴らしかった部分、憧れていた部分よりも、

ダメだった部分、仕方ないなあ、でもまあいいや、と許した部分のほうが、

諦めきれない。

諦めるのがむつかしいんです。

と、彼女はぼそぼそと言うと、小さなため息をついた。

ダメなのを許した先には、未来があったはずだから。

そうとも言った。

諦められない、という彼女の言葉は

電話を切ったあとも、私の耳にいつまでもこだましていた。

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ぐうのね

朝、医者を予約。

小さな同居人はインフルエンザ予防接種の2回目を受けた。

結局今日は保育園は休んでしまった。

仕事と家事がたまっている。

それに今日は、小さな同居人のためのお惣菜を作り置きしなければならない。

旅から帰ってきて、食べるものが不足している。

午後、小さな同居人が昼寝に入った。

私は台所に急ぐ。

怒涛のように包丁を動かし、南瓜のそぼろ煮、蓮根の炒め物、高野豆腐の煮物、トマトミートソースを作る。

先日冷凍にしておいたものとあわせれば、なんとかあさってくらいまではしのげる。

最近は食事前、料理はほとんどできない。

流しに向かった途端、小さな同居人が脚に絡みついてくるからだ。

そして身動きが取れない、助けて、みたいな悲鳴を出す。

可愛いけれど……

危なくて包丁もフライパンも握れない。

これでは二人とも飢え死にしてしまうので、すべて食事は作り置きしておくのである。

料理と洗濯が済ませて、仕事。

春に請け負っている子ども劇の件で、打ち合わせの電話。

書類をだだっと作って、メール。

やっとひと息つける……お茶でも……と思ったら泣き声がした。

目覚めたらしい。

小さな同居人はベッドの上で寝ぼけながらわめいている。

たいてい昼寝から目覚めると機嫌がよくない。

抱っこをせがむのでずっと、きゅっとしたまま過ごす。

と思ったらそれが1時間半も続き、腕が本当に疲れた。

夜、合間合間を縫って、友とメールをやりとりした。

私はふとイヤなモードに入って、重箱の隅をつつく意地悪な返信をした。

友はまったくめげない。

そこがまたイヤだ。

と思っていたら、最後は「ぐうのねも出ない」とあった。

「ぐうのね」っていったいなんだろう。

調べてみると

【「ぐう」は、苦境に追い込まれたときに発する声の擬音語】

だそうだ。

なるほど、「ぐう」ならよく私も出してるよ。

出ないってことは、苦し過ぎて「ぐう」すらも出ないってことか。

私がぐうぐう言ってしまう相手は、今のところ友である。

さぞやうるさかろう。

友は別の意味で「ぐうのね」を出さない人間だ。

アンドロイドを気取り、どんな苦しい時も、涼しい顔をしている。

その顔が浮かんだら、友の「ぐうのね」を聞いてみたくなった。

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うつ うつ な こころ

タイムカプセル掘り出しの日。

午前中、小さな同居人とともに母校の校庭へ。

すでに300人くらいの人たちが集まっていた。

「ねえ」

懐かしい声に振り向くと、

中学校時代の親友が立っていた。

着飾ってきている人が多い中、化粧もしておらず服装も地味だ。

それなのに、しんとした美しさに満ちている。

彼女の姿に胸を打たれてしまい、私は言葉がなかなか出ない。

掘り出しにはとても時間が掛かった。

その間、彼女と途切れ途切れに話をした。

私は、この人の整った顔や、親しみやすい声や、そしてあたたかい人柄が大好きだった。

今も、なにひとつ変わっていないのだ。

それがよく伝わってきた。

やがて、タイムカプセルは体育館に移された。

実行委員の人たちが中身を取り出した。

何が入っているのだろうと、みんな固唾をのんで見守る。

水彩画だ。

やがて、私の番が来て、手渡された。

人込みを抜け、絵を見た瞬間、顔から血の気がひいた。

その絵は、母と、私と、父が描いてあった。

私たち三人は、園芸店にいる。

母は悲しそうな顔をして植木鉢の花を持っている。

私はこちらを向いているのに、顔は真後ろを向いている。

つまり、顔があるべき部分は髪に覆われている。

父は後方にいる。

頭部は画用紙からはみ出したところに配置されていて、描かれていない。

そんな絵だ。

絵の中で、花々だけが美しい。

母が抱えている花も、きれいに咲いている。

なんて寒々しい、不幸な情景。

「小学校学校4年くらいから中学3年まで暗黒時代だったんだよ」

そう他人に語っていた。

でもそれは自分の気のせいなんじゃないかとも思っていた。

本当だったのだ。

真実。

20代後半から10歳の少年の物語を描いてきた。

鬱々とした子どもの心を、延々と、書いてきた。

それは、私自身の物語だったのだ。

私は怖くなって、画用紙を二つに折って、カバンの中に押し込んだ。

そして小さな同居人の髪に顔を埋め、匂いをかいだ。

そうだ、同居人には、こんな思いをさせたくない。

そのためにはどうしたらいいのか。

どうしたらいいのか。

これから一生懸命考えよう。

以上のことを文字にできたのは、

さっき、友人に電話で話したからだ。

ぽつりぽつりと喋っているうち、冷えて固まった、醜悪なかたちの溶岩みたいになった

黒々とした思いが、少しずつ溶けてきた。

絵のことを話したあと、

こんな話をした。

恋愛感情は、キラキラしたガラスの破片か、あるいは昆虫の羽根のようなもの。

とてももろいし損なわれやすいから、

培養液のようなものに浮かべて保存しなければならない。

その透明な液体は、互いの「人間性から染み出る何か」である。

その液体こそが重要。

恋愛は簡単だが、その液体を用意するのが大変だ、

とも話した。

突然、はっきりとビジュアル的なイメージで浮かんできたから、伝えずにはいられなかったのだ。

私はお母さんなの?と友人が聞いた。

「そうだと思ったけれど、違った」

「あの時ドキドキした」

「私は、ほっとしたよ」

あの時はほっとしたのに、

ドキドキしたというのを聞いて、

私も緊張してきた。

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かいてんもくば

タイムカプセル掘り出しは、明日だ。

今日は何にもやることがない。

町外れにある小さな遊園地へ出掛けた。

ひどい赤字経営だと聞いていたけれど、本当にすごい。

ほとんど客がいない。

乗り物は良く手入れされているし、スタッフも丁寧で優しいのに、残念だ。

小さな同居人と私たち家族だけの貸切みたいだ。

すごいなあ、私の書く、恋愛ゲームのクライマックスシーンみたいだ。

遊園地の貸切なんて。

今日は、二人だけで過ごそう。ここは、僕たちだけの世界だ。

なあんてね。

メリーゴーランドに乗った。

まだ木馬にまたがるのは無理だから、馬車のかたちのシートに乗り込む。

照明が輝き、オルゴールのようなキラキラした音楽が流れる中、

メリーゴーランドが回りだした。

小さな同居人は木馬を指差して、「ぱかっ、ぱかっ」とおおはしゃぎ。

何だか夢のようだ。

こんな美しい世界が、この世にあるなんて。

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けむ に まく おとこ

午後、小さな同居人とともに、故郷へ。

タイムカプセルを掘り出すという母校のイベントに参加するためだ。

埋めたのは30年前。

引き取りは親にも頼める。

しかし、何を入れたのか、さっぱり思い出せない。

見られてマズイものだったら、困る。

帰郷し、自分で受け取ることにした。

小、中学校と、暗黒時代だった。

そのせいか、感傷的な気持はあまり湧いてこない。

小さな同居人は、電車の中で比較的おとなしかった。

故郷に近い駅を通り過ぎて、高校の時に通った街へ。

改札の方向へ歩いていると、先生が手を振っているのが見えた。

私も手を振りかえす。

お久しぶりです、というと、久しぶり、と先生は笑った。

小さな同居人とともに、先生のピカピカの車に乗り込む。

流れているのは、クラシックだ。

私にも名前の分からない少しマニアックな曲。

私たちは広々とした喫茶店でお茶を飲んだ。

小さな同居人は、ときどき何か話しに参加してくるけれど、

なんだかおとなしい。

先生はお洒落でダンディで、しかも聞き上手なのだが

いわゆる「寡黙な男」ではない。

どちらかといえば、饒舌なタイプだ。

作文指導の際、そんな先生は、私を煙に巻くようにして、

演劇をすすめてくれた。

先生とのお喋りによって、

演劇に興味を抱くようになったのは間違いないのである。

まあ私が勝手に煙に巻かれているだけなのかもしれない。

とにかく、先生はなんというか……

スマートでお洒落で、しぶくて照れ屋、という四拍子揃ったお人なので、

女子生徒を過剰にドキマギさせるのだ。

私もご多分にもれず、頭をくらくらさせながら話を聞いていたから、

今となっては内容をほとんど思い出せない。

帰りは、先生が車で送ってくださった。

小さな同居人とともに、先生の車が角を曲がるのを、ぼうっと見守る。

ありがとうございます。

また、お話ししてください。

今日は何度かゆうべの出来事が頭に浮かんだ。

消化できないことって、胸に残るものだ。

自分でも、よく分からない。

どうして、すいっと、ふところに飛び込んだのか。

自分にとって、どういう種類の事件なのか。

この記憶はどこに保存したらいいんだろう。

深夜、

自分も何度も思い出している、と友人からメールがあった。

胸を打たれた。

正直さと純粋さは、私にとっては、同義語だから。

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さむい よる

心細い時、ピンチの時、いつも母を求めているのだ、

現実のお母さんではなくて、夢のお母さん。

そんな時、私は赤ちゃんになっている。

寒い夜、そんな話をした。

外に出たら、雨が降っていた。

暗闇の中で

肩に手が置かれたら、すいっと

身体が魚のように動いて

友のふところに入ってしまった。

友は包むように抱きしめて、頭をなでてくれた。

最初、お母さん、と思ったが

しばらくして、違うと感じた。

でもいーや、少しじっとしていよう。

そこはとても、居心地がよかった。

ここでは、きっと赤ちゃんにはなれないけれど、私という存在にはなれると思った途端、

目の端に涙がにじんできた。

私も友もずっと黙ったままだ。

さっきまであんなに喋っていたのに、どうしても言葉が出てこなかった。

喋ろうとすると、途端に息苦しくなった。

きっと、何かが壊れるのが怖いのだ。

私は、静かにおやすみなさい、と伝えた。

友も静かに同じことを言って、去っていった。

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ぴくにっく

昼、友人が重いものを運ぶ手助けをするため、家に来てくれた。

お礼に昼ご飯を出した。

といってもありあわせのものだ。

オムレツや煮物、作りおきの惣菜を四角い陶器のお皿に少しずつ盛りつけただけ。

それに、ヨーグルト。底に蜜柑のマーマレードを敷いてヨーグルトを重ね、上にイチジクを垂らしたもの。

友人はくりかえしおいしいと言って食べてくれた。とても嬉しい。

午後、果物と飲み物、遊び道具のボールなどカバンに詰め込んで、立川の昭和記念公園へ。

小さな同居人は電車の中では眠そうだったくせに、着いた途端、忙しそうに歩き回る。

ここはとにかく犬だらけだ。

犬好きの同居人にとって、天国のような場所。

ここの銀杏並木に来るのは久しぶりだなあ。

今日は晴れていて、木漏れ日も金色。

夢のように美しい。

私は眩しいのにヨワイから、風景を眺めるのに、目を普通に開けていられない。

美しくキラキラしたものを、いつもものすごく薄目でしか、見られない。

とは言え、小さな同居人と二人きりだと、ゆっくり風景など見ている余裕がない。

最近は、すぐに走り出して好きなほうへ行ってしまうから、目が離せないからだ。

今日は友人がいるから、遠くの風景や空を、見る余裕があるのだ。

本当に感謝である。

芝生の上で、バナナやブドウを食べた。

そう言えば昨日、小さな同居人は「ブドウ」と叫んだのだった。

蜜柑のほうが好きなのに、

「ブドウ」を先に覚えるなんて、なんだか変だなあ。

木で作った馬みたいな龍みたいな、不思議な動物たちに跨ってみたり、

あちらこちらの犬と挨拶したりしているうち、

日が傾いてきた。

帰りの電車はすごく混んでいたが、友人がいるので助かった。

心地よい振動のせいか、小さな同居人は深い眠りに落ちた。

最近の心境などについて話した。

自分を分析して弱点を克服しようとしている、でもなかなかうまくゆかない、などなど……。

駅の改札で私と小さな同居人は、友人と別れた。

改札を抜けてから振り返ると、友人も振りかえって手を振った。

帰ると小さな同居人はまたハイになり、家中を走り回った。

寝かしつけているうちに、私も眠り込んでしまった。

とても不思議な夢を見た。

友人が出てきた。

今まで見た中でもダントツに奇妙な夢だった。

私が友人に言っていたセリフは面白い。かなり新感覚。

芝居か、朗読短編として、そのうち書いてみようと思った。

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くだもの の ひ

午前中、昔住んでいた町の公園へ。

ミカンや柿、リンゴなど、果物を小さな同居人のおやつ代わりに持ってゆく。

公園には小型犬から大型犬まで勢ぞろいだ。

小さな同居人は可愛いらしい犬よりも、

毛のボサボサとした、どちらかといえば、モサッとした「ぶさいぬ」が好きなようだ。

柴犬などのすっきりした犬が好きな私とは少し趣味が合わない。

枯葉舞い散る木立の中、絵を描いている二人組みに出逢った。

小さな同居人は、興味津々でキャンバスを見つめている。

女の人が、振りかえったので、挨拶した。

「こんにちは。絵の真ん中にいる生物はなんですか?」

「怪獣です」

女の人が小さな同居人を優しい目で見た。

「私たちの絵の中に描き入れてみてもいいですか?」

私が頷くと、

男の人の絵筆がキャンバスの上で素早く動き始め、

二匹いる怪獣のうち片方の口からみるみる紐が垂れてきた。

その紐の先に、小さな同居人がきょとんとしてぶらさがっている。

ワイヤーアクション?みたいな感じだ。

公園を散歩した後は、昼寝とお昼ご飯。

帰り道、デパートに寄り、小さな同居人の冬服を買った。

子供服のブランドで白いクマがトレードマークの店がある。

小さな同居人はその等身大?のクマの像がいたく気に入り、

ごにょごにょと話し掛けたり抱きついたり、「頭をこっつんこ」したりする。

そしてその横にある鏡の中に自分の姿を発見すると、

駆け寄っておもむろに熱烈な「ちゅう」をした。

自分だと分かってやっているのか、自分だと気付かず自分好みの子だな、と思って反射的にちゅうしたのか、よく分からない。

でも小さな同居人はパチン止めを外したり髪を自分でとかしたりする時、

鏡を見てやっているので、

おそらく自分だと気付いていない、ということはないんじゃないかと思う。

とにかく自分好きなんだなあ。

人間って、自分好きで生まれてくるんだ。

鏡の前で嬉しそうにポーズを取ったり踊ったりする小さな同居人は

たまらなく素敵。

帰ってきてからほんの少し

戻ってきた原稿の直しをやる。

1時間くらい掛かるかな、と思っていたが

集中してやったら30分で終わった。

終わってしまうと、なんだか物足りないような気分になった。

それにしても今日はいろんな果物を食べた。

バナナ、ミカン、柿、リンゴ、ぶどう。

果物の日。

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さっかー

公園に行ったら少年サッカーのチームが練習していた。

小さな同居人に「サッカーだよ」と言ったら、

興奮している。

いつも私と二人でやっているボールの蹴りっこと同じだと、理解したらしい。

熱心に見つめているが、風が冷たくなってきた。

行こうよ、と促すと、激しく抵抗された。

もっと見ていたいらしい。

保育園の年中組から参加できるらしい。

サッカーへの興味が続くなら、考えてもいいかもしれない。

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くふう が かんじん

ものすごくむか~しから憧れと尊敬の対象であり続けた人と、

数年前から手紙をやりとりするようになった。

ときどきだが、会って話したりもする。

その人に憧れ始めたのは、先日亡くなった師匠よりももっと昔。

この前、初めて携帯メールをやりとりしてしまった……。

連絡事項をやりとりしただけなんだけれど、

なんかもう、ドキドキしてしまう。

彼は、私の台本の欠点を瞬時に見抜く。

そして、それを粗ではなく特徴として捉えて、感想を送ってくれる。

知性もすごいけれど、直感もすごい。

占い師をやるとよいのに、と思う。

メールは、なるべく送らないようにしよう。

当たり前のことだし、現実的に考えて送るわけもないのだが、憧れの人のアドレスが携帯に入っていると思うと、落ち着かない気持になるのである。

正直、心臓に悪い。

いっそのこと、消去しておこうか。

そういえば、私は一番気持を打ち明けられる友人の電話番号を、登録していない。

というか、ふた月くらい前に消去してしまったのである。

一方的に頼りすぎてしまうのと、

言わなくてもいいようなことまで話してしまう気がして、

電話番号のデータを消してしまったのだ。

相談ではなく、用事や連絡ならメールで事足りるだろうし。

それからは、いちいち、メモを見て掛けている。

そうすると、滅多なことでは電話しなくなる。

ちょっとひと工夫。

なんとか、自分の足で立ち続けるには、

いろんな工夫が肝心なのだ。

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こべや

憂鬱な出来事があった。

午後、小さな同居人が再び熱を出し、病院へ。

私も何だか喉が痛くて寒気と吐き気がするので、診てもらおうと思ったが

インフルエンザの予防接種のため内科は混んでいる。

病院のロビーで電話が鳴った。

友人から。

心配だから掛けてみた、とのこと。

病院だからとすぐに切ったが、

鉛のような心と体が少し軽くなった気がした。

小さな同居人は薬を飲むとすぐに回復し、バタバタ走り始める。

うう、やめて、静かに休んで……!!!

と思ったらすぐに電池切れで眠った。

私も薬を飲んだせいか一緒に寝入ってしまった。

夜更け、目が覚めた。

頭痛はだいぶおさまっている。

昼間、電話をくれた友人に電話する。

小さな同居人の具合など報告していると、

彼は穏やかな声で「あなたは大丈夫?」と私の体調を訊ねてきた。

何だかはっとした。

うまく言えないけれど、

一人の人間として扱われている感じがして、

とても嬉しかった。

一人きりでいると、

小さな同居人の相棒で、舞台人で、脚本書きで、

その三つの側面しか自己認識できなくなってしまう。

「友人という他人」がいてこそ、

初めて私は私という個人に戻れるのかもしれない。

ボソボソ話していると

気持がほぐれてゆくのを感じた。

電話を切ったあと、

小川洋子の短編「六角形の小部屋」を思い出した。

この人の存在はカタリコベヤに似ている。

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にゅうこう

午後3時ぴったりにドラマCD用脚本を2本入稿。

ほっとした。

これから、料理と洗濯をやろう。

それにしてもなんでずっと涙目なんだろう。

気分的な問題じゃなくて、今日はただ目が痛いだけ?

空気が乾燥してるからかな。

午前中、仕事をしていて、年下の友人からのメールに気付いた。

とても綺麗な写真が添えられていた。

佐賀で行なわれたバルーンショーの写真。

気球、乗ってみたいなあ。怖いけど。

仕事がうまく行っているとのこと。

いいなあ。素敵。

今いちばん輝いてるんだね。

メールを読みながら、眩しく思った。

私も少しは頑張らないと。

台本書いてもちっとも頑張っている気がしないので、

これから洗濯と料理を頑張ろう。

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しらない ひと の やさしさ に

最近やりとりするようになった人は、

実は、あまりよく知らない人である。

正確に言うと、知り合いの知り合い。

ある専門職に就いている。

お互いに素性や人柄、どんな仕事をしているのかもある程度、知っているが、

二人で話したことがほとんどない。

それなのにメールが来ると、つい返信してしまう。

彼のメールはたいてい長い。

しかし、押しつけがましくないし、思いやりにあふれている。

優しい雰囲気だ。

言葉を扱う仕事についているから思うのだが、

字面から優しさをかもし出すことなど、たやすいことだ。

たぶん、こんな自分は少し病んでいるのだと思う。

人の優しさも素直に受け取れないし、

素直に受け取らないくせして、

優しさにすがっているし。

愚かだし、病的。

大人版「ちびたん」みたいだ。

不毛。

不毛な引きこもり。

さあ、仕事しよう……。

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なみだめ

心のエネルギー値がなんか低い気がする。

グジグジ、ジトジトと涙目になりながら原稿書き。

そう思ってたら、

最近やりとりするようになった知り合いから、メールが届いた。

返事を書いていたら

少し気分が直ってきた。

この場合、治る、かしら。

原稿書きあがったら、囲碁教室、予約しよう。

今の私は、頭の働きが悪過ぎて、まっとうなことなど何も考えられない。

気分が暗いと、家事や仕事ははかどる。

原稿は、もうほとんどあがったと言ってもいい。

夜中にもう少し書き足して、

明日、シェープ(刈り込んだり、体裁を整えたり)。

頭がおかしくなりそうだ。

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ぜんしん ぜんしん

昼間、頑張って書いたけどそれほどは進まなかった。

夜中も書こう。

私って落ち込みやすいのかな?

さっき思った。

他人と比較できないからなんとも言えないけれど、

もっと人とガンガン、イヤミなんかもぶつけあって生きてる人もいるんだから、

私も丈夫にならないといけないな。

私の周りでは、イヤミ言ったり無神経な発言する人は、

みんな楽天的だ。

・イヤミを言っていることに気付いていない。

・無神経と率直な物言いとの区別がついていない。

・自分の身に置き換えて考えられない。

ひどい悪意があってイヤミ言う人はまずいない。

ほんのちょっとした悪意とか、無頓着さなんだよね。

でも、私にくらべて非常に素晴らしいところは、楽天的なところ。

自分をポジティブに捉え、前に進むのは、すごく良いこと。

私は逆立ちしたって叶わない。

まずは力をつけるのだ。

前に進む力をつけよ。

そんなことを、女の子のためのオーディオドラマを書きながら、考える。

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夜明け前

小さな同居人を寝かしつけて、そのまま寝てしまった。

夜明け前に目を覚まして、書き始める。

週の半ばには入稿だ。

先週はいろいろ続いてしまい、書けなかった。

頑張って巻きなおすしかない。

ちょっと書き進めてみたらペースがつかめてきた。

おそらく十分間に合うだろう。

1時間集中して、しばらく休んで1時間集中して……を繰り返せばなんとかなる。

継続して書こうとすると

煮詰まってしまう類のものだと踏んだ。

少し休んで、保育園に送った後、また書こう。

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そんげん

何を言っても無駄なのだろうか。

自分がされたらイヤなことはしない。

意味もなく侵すのは何故?

本当に気付かないだけなのか。

知人から、本とCDを手渡された。

表紙には「パパにうたってもらおう」と書いてあった。

知人の友人が、小さな同居人に贈ってくれたものだと言う。

友人には悪意がないのよ、と知人は語った。

私もそれは知っている。

その人は日本語が読めない。

私も、感謝して受け取りたいが、やはり断った。

家に置いておくことはできない。

少なくとも

小さな同居人が、事情を理解できるようになるまでは。

知人は気まずくても、受け取る時、自分の友人に表紙の言葉の意味を伝えるべきだった。

そうしない限り、同じことがずっと続く。

私が逆の立場ならば

絶対にそうする。

そうしなければ、両方の尊厳を無視しているように感じるからだ。

友人も、小さな同居人も日本語が読めないからいいでしょう?

そういう問題じゃない。

繰りかえし「友人には悪意がないの」と言われるのが一番キツかった。

それを理解できないわけではない。

悪意なんてない。

とてもいい人だと私も知っている。

そして、

そのプレゼントを断る私にも、悪意はない。

しかし、私の意図は歪んでとらえられ、知人の怒りを買った。

自由はないのか。

いずれにせよ、今は小さな同居人との生活を守るので精一杯。

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こじんてきな もんだい

小さな同居人が突然、高熱出して、夜間診療へ。

心配ないとのこと。

良かった。

人の言葉にすぐ影響受ける自分がイヤだ。

小さな同居人のことで、打ち明け話した時に、

「私の友だちも同じだよ~」と言われると悲しくなる。

あなたの友だちと一緒じゃないかもしれないのに、と思ってしまう。

一般化してほしくて、打ち明けるわけじゃない。

子持ちの友だちはきみだけじゃない。

きみもその一人。

みんな同じ悩みを抱えてるよ。

そう言われた気がしてしまう。

とても個人的なことを、押し広げられてしまうのは悲しいな。

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ひひひ ばんざい

不安とか不満とか不思議とか、

不のつくものがたまってきて、限界値だなあ、と思ってたら

仕事で電話した相手が話を聞いてくれたので

いや向こうはそういうつもりはなかったかもしれないけれど、

仕事以外というか、仕事周辺のいろんなこと、

垂れ流し的にダラダラ喋ってしまった。

なんか申し訳ないなあ。

ああ、でも話すのって楽しい。

時々だからなおさらそう感じるのかな。

喋りって、ものを作り出すのとは別の楽しさがある。

なんていうか「消費」に近い。

時間の浪費?

エネルギーの空費?

なんとでも言え。

タバコも博打も、女?(私の場合は男か?)もやらないんだから

せめてお喋りくらいさせてくれ。

それにしても、ぜんぶ「費」がつくね。

ひひひ万歳!

小さな同居人は、最近寝る前、ものすごくハイだ。

突然飛び跳ねたりする。

音楽に合わせて身体をひねるような動きをしたり、

ダンスも本格的になってきた。

保育園で何か教わっているのだろうか?

囲碁をきちんとした教室で習いたい。

今は下手すぎる。

もう少し手を読む力をつけなければ。

ネットで調べたら近くで見つかった。

費用はたいそう安い。

今度行ってみよう。

小さな同居人が小学生になったら、一緒に遊べるかな。

きっとすぐに追い越される。

その日が怖いけど楽しみ。

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もうそう の ぶんるい

ドラマCDの仕事をすることになり、

資料のCDを聴く。

世の中、いろんなものがあるんだなあ。

男も女も、異性に対してファンタジーを持っている。

ファンタジーへの旅立ちをお手伝いするのが私の仕事なのか?

分かっちゃいるけど、複雑な気分になる。

以下、頭の整理。

夢の世界限定の話だけど、女の人は、やっぱり人間として尊重されるのより、性的に見られるのが好きみたいだ。

女の子として。なのね。

守ってもらったり、優しくされたり、ささやかれたり、引っ張ってゆかれたり、

とにかく「られ」のアラシなのだ。

男性対象のものは次のどちらかが多い。

・性的な部分をぼかしてロマンティック効果を増大させたもの→観客には勝手にモヤモヤしてもらう。

・性的な情報が中心だが、笑いやストーリーなどその他の付加価値もつけたもの→「性」以外の大義名分によって手に取りやすくさせる。

まあ男性対象のものも、受け身系はあるけど……。

ああもう、そんなこと、どうでもいいよ。

今、なんか普通のお喋りがしたい。

仕事しなくちゃいけないんだけどね。

分かっちゃいるけど。

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かいわ の かわり

今日は祝日。

保育園はお休み。

なのに、小さな同居人は朝ご飯を食べ終わると

小さな布カバンをひょいと肩に掛けてとことこ出掛けようとする。

どこか行きたいんだねえ。

待ってね。

ちょっと掃除してから。

掃除のシートを用意してたら、ワイパーを担いで持って来てくれた!

こんなに長くて重たいもの、よく持ってこられたね。

私が掃除に夢中になっていたら、ボールを蹴り始めた。

ボールは投げるより、蹴るほうが好きみたいだ。

私も。

大きくなったら、一緒にサッカーしたいね。

11時頃、近くの公園へ。

楽しそうに鳩を追いまわす。

たまりかねた鳩が翼をバタつかせる。

小さな同居人は、ドキドキ、おどおどしながらも、やっぱり追い掛ける。

鳩ぽっぽ大好きなのだ。

そのうち小学生の男の子たちがやってきてサッカーやり始めた。

小さな同居人は「あっ」という顔で彼らを見守る。

そうなんだよ。

サッカーってね。

みんなで蹴りっこするの。

ボールのやりとりが会話の代わりなんだよ。

夕飯を食べ終わったところで、団員ミーティング。

秋の本公演の収支報告と、今後の活動について。

今日は貧血のため視界は暗かったが、

悪くない一日だった。

人の優しさに触れ、心が少し柔らかくなった。

もっと力を抜いて、気楽に生きよう。

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かぼちゃ の ちゃちゃちゃ

昨日は大学へ卒業証明書と成績証明書を取りに行った。

稽古場の近くなのでしばしば校門近くは通るけれど敷地内に足を踏み入れるのは15年ぶりくらい。

ピラミッドのかたちをした校舎はもう無くなっていて、10階建てくらいののビルが建っていた。

残念だね。

あの変な大講堂、好きだったのに。

帰りに、数年前までライブの仕事をもらっていた「花よろず」に行った。

静かな通りに引越ししているが、相変わらずお洒落な店構え。

花とリースがセンス良く飾られている。

オーナーのMさんは花屋さんも続けているらしい。

入った途端、可愛いパピヨンが脚にまとわりついた。

「お久しぶりです」と言うと、すぐにMさんは「ああ」と頷いた。

お茶を飲みながら近況報告をしあった。

Mさんは、現在この店の二階に住んでいるとのこと。

黒ずくめの格好をしているのにMさんは本当にお洒落だ。

素敵だなあ。

1時間ほど喋って、イチジクのジャムを買って帰った。

今日は小さな同居人と一日一緒に過ごした。

風邪がなかなか治らないので、保育園はお休みしたのだ。

夕方、小さな同居人が外に出たがって叫び出した。

風邪っぴきだから公園に行くわけにもいかない。

考えた末、近くの喫茶店に行くことにした。

まだ出逢って間もない頃、何度か二人で行った店だ。

マスターは、渋くてかつチャーミングな笑顔の持ち主だ。

若い頃はアフリカを放浪していたらしい。

小さな同居人は壁にかかっているアフリカのお面を指差して、何か呟いている。

何をかたどったものですか?と質問すると、「昆虫だよ」と返ってきた。

虫かあ。

ちょっと怖いけど、可愛い感じもするね。

喫茶店には占いをやるという女の子がいて、ちょっとお喋りした。

普段は歯科助手として働いているとのこと。

むー。

いろんな人生があるね。

帰りにはスーパーに寄った。

今日は仕事できなかったけれど、

料理もまとめて作れたし、二人でゆったり過ごせた。

いい一日。

それにしても、豚肉は嫌いなのに、何故カボチャのそぼろ煮だと

美味しそうに食べるのだろう?

オモチャのチャチャチャの替え歌で「カボチャのチャチャチャ」と歌ったら、

リズムに合わせて身体を揺らしながら食べていた。

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