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2010年12月

あのよ の しゅくだい

小さな同居人が転んだりした時「いてて」と言うようになった。

大丈夫?と助け起こしながらも

素早く言葉が出たことに対してすごくびっくりした。

日本語、上手になってきたなあ。

最近やっと、「なん語」という赤ちゃん言葉を理解しかけたところなのに。

バイリンガルになる機会を失いそうだ。

最近、時間と愛について深く考えている。

私には感情の連続性が欠けている。

昨日この人を好きだったから今日も好きでいる、というのがむつかしい。

とてもむつかしい。

会わないでいると、いろいろ考え始めてしまう。

その人との未来だったり、人格分析だったり。

理屈は通っているけれど、不安要素ばかりクローズアップされる。

もう、ほとんど悪夢と言ってもいい。

私にとって、脳内の世界は現実よりも鮮やかだ。

で、その人を嫌いになったり、興味が持てなくなったりする。

小さな同居人はこの世で唯一、私の妄想を超越した存在だ。

だから、揺るがない。

他人に対して、もっと安定して、気持を抱くにはどうしたらいいのか。

時の経過とともに、感情も積み重なってゆくといい。

日本語にすると、すごく変だけど、そういうこと。

連続性がないから、私はいつも刹那的。

己しか信じない。

いや、己のことも本当は信じていない。

心が殺伐としているのは、積み重ねがないからだろう。

荒野をうろつく獣と一緒だ。

私は物語の中で、

時間の経過とともに、登場人物たちの想いを変化させる。

あるいは、変化しないことに対して焦れる人間を描く。

それがドラマだと思っている。

後ろめたい。

常に、自分にはできないことを登場人物にさせているのだ。

私の感情は連続花火のようなもの。

パッと輝いてすぐに消えてしまう、それの繰りかえし。

何も残らない。

それではいけない。

ここ数日、切実に感じる。

感情を背負って、私も生きてゆきたい。

重くても。つらくても。

小さな同居人と暮らして、愛という言葉の意味を初めて知った。

愛は感じる一瞬一瞬がすべて永遠なのに、連続する時間の中にしか、存在しない。

また変な日本語になっちゃった。

いいや。これは忘れないためのメモ書き。

いつかきちんとした言葉にできるだろう。

私が死ぬ頃かな?

死ぬまでにできなければ、あの世での宿題に。

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あした の いみ

テーブルの上にあるものを欲しい時、

「とって」と言うようになった。

今日、「うずらちゃんのかくれんぼ」を一緒に読んでいて、

「うずらちゃんはどこかな?」と訊いたら

「いた!」と言って、花の陰に隠れているうずらちゃんを指差した。

だんだん動詞的な言葉も発するようになってきた。

すごいなあ。

最近はCDを掛けると、一緒にピアノを叩いたりもする。

音階などは分からないようだけれど、リズムは取れている。

音楽教室に通わせてあげたほうがいいのかしら。

音楽がすごく好きみたいだ。

「ロディちゃんにスプーンで食べさせてあげて」と頼むと、

スプーンをテーブルから取り、ロディの口にスプーンをあてて食べさせようとする。

「ビンを拾って棚にしまってね」や「タオル、ベッドの上に置いて」というのも通じる。

だんだんコミュニケーションが楽になってきた。

楽っていうのは二つの意味で。

ラクでもあるし、楽しくも、ある。

明日、というのが、しばらく時間を置いて、という意味なのも分かってきたようだ。

「あしたはおばちゃんに会えるよ」

というとグズるのをやめて「ふーん」という顔になったりする。

夜眠ると明日になるのだ、とまではまだ分からないようだ。

時間について理解させるのはなかなか難しい。

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ぼうねんかい

今夜は劇団の忘年会。

夕方になると演出部のHちゃんや、元劇団員のOさん、近所に住むライターのHちゃんが来た。

Hちゃんは小さな同居人の相手。

他の人たちで鍋の準備。

やがて客人たちがやってきた。

小さな同居人は、またしてもホストとしての活動を始めた。

何か配ろうとしたり、皆に声を掛けて回ったり、とにかく忙しい。

みんな小さな同居人を大切そうに撫でてくれる。

例年の忘年会よりも、なんとなく男の人たちの顔がスイートなのは、同居人のせいだろうか?

小さな同居人はハイになり過ぎたのか、8時を回ったところでコテンと眠ってしまった。

時々様子を見ながら、私も忘年会に参加する。

元編集者やライター、古本屋さんなどがたまたま集まったからか、

出版業界の今後について熱い議論が交わされている。

それを横目に私は古い友人に、将来の相談をした。

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ぱーてぃー

夕方、姉の知人宅で催されるクリスマスパーティーへ。

小さな同居人は、見知らぬ人の中で最初は緊張していたが、何故か途中からホスト側にまわり、バスケットからお菓子をとって、配り始めた。

優しい方ばかりなので、「?」という顔をしながらも受け取ってくださる。

同居人はさらにハイになってきた。

ピアノを弾いたり、探検したりと楽しそう。

七面鳥も気に入って、パクパク食べた。

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くりすます いぶ

保育園に迎えにゆく前、クリスマスの夕飯をすごい勢いで作った。

連れ帰ってきてから、少し作り足す。

バタバタしていると、仲良しがあらわれた。

彼に小さな同居人の相手をまかせたあとは、

落ち着いてコンロやオーブンをいじることができた。

チキンの脚をオーブンで焼いたもの。

コーンのパンケーキにリンゴのコンポートとイチゴを乗せたもの。

クリームシチュー。

ラタトゥーユ。

ほうれん草。

小さな同居人の前に並べて、写真をパチリ、記念撮影。

同居人は早く食べたくて、怒っている。

ごめんよ。

あなたは写真なんかどうでもいいよね。

さあ、みんなで食べましょう。

友人が小さな同居人にプレゼントをくれた。

フランス製のぬいぐるみ。

こうのとりのお腹を押すと、少し調子っぱずれな不思議な音楽が鳴る。

同居人は手を叩いて音楽にノッている。

小さな同居人が眠った後、二人でたくさん語り合った。

話していると、心の中の小さな迷いが

一つ一つ消えていった。

でも際限なく迷いって出てくるんだよね。

雪みたいに空から降ってくる。

困ったなあ。

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おとなには わからない

昨日、保育園からの帰り道、ウサギに出逢った。

暗い夜道で、長い耳の毛むくじゃら?が跳ねていると思ったら、ウサギだった。

小さな同居人は発見した瞬間、「わんわん」と叫んだが、すぐに違うと気がついた。

「ウサギだよ。可愛いね」と私が言うと、

小さな同居人はドキドキした顔で、長い耳を見つめた。

飼い主が、ウサギを小さな同居人の顔に近づけてくれた。

とてもおとなしいウサギ。

茶色い毛並みが街灯の明かりにつやつやと光っている。

同居人はウサギと目が合うと、「なかよしこっつんこ」とでもいうように、おでこをウサギにくっつけた。

鼻のあたりを舐められて、「うきゃ」と嬉しそうに声をあげる。

わああ、ウサギって、すぐ齧ってくるのかと思ったら、優しいんだなあ。

「ありがとうございました。さよなら」

私が礼を言うと、小さな同居人がウサギに手を振った。

来年はウサギ年。なんだか幸運な年になる予感がするね。

今日は午前中、長い長い散歩をした。

そんなに長く歩くつもりはなかったのに、

少し遠いところにある公園に行こうとしたら道に迷ってしまった。

とにかくどうやってもたどり着けない。

諦めて、川沿いの遊歩道を二人で歩くことにした。

犬がたくさん通るので小さな同居人は大喜びである。

見覚えのある女の子が歩いているな、と思ったら、以前通っていた保育園のクラスメートのUちゃんだった。

Uちゃんのお母さんとお祖母ちゃん、それに私たちで、しばらく一緒に散歩した。

小さな同居人とUちゃんは、お互いによく覚えているようだった。

同居人がふざけかかると、おとなしいUちゃんはお母さんの陰に隠れてしまう。

それでも最後は微笑みあったりしていて、

きっと私たち大人には分からない、二人だけの世界があるんだなあ、と感じさせられた。

帰宅して、同居人が昼寝をしている間に、原稿の直しを済ませた。

終わってほっとひと息ついたちょうどその時

親しい人からメールが届いた。

その人の指のかたちを、なんとなく思い出した。

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こんど

会社勤めの時の同僚、Nくんとランチを食べた。

一度那覇に戻ったけれど、勤務している飲食店が東京に支店を出すことになって、舞い戻ってきたらしい。

全然変わっていなくて驚いた。

私も「全然変わってないねえ」と言われたけれど、いやいやそんなはずはなかろう。

あれから、15年も経っているのだから。

相変わらず距離感の近い人。

住んでいるのが割合近所だと分かったので、これから時々お昼ご飯を一緒に食べることにしよう。

台本が煮詰まったりした時、気分転換に良さそうだ。

下の名前を忘れてしまって、なんだっけ?と訊くと、

教えない、と言う。

頼むから教えて、ともう一度言うと、「じゃ~また今度ね。宿題」とのたもうた。

宿題ってねえ。

あなたの下の名前を私はずっと考えてなくちゃいけないわけですか。もう。

会計の時も、今度会った時におごってもらうから。今度今度と言って、自分の分を払わせてくれない。

今度、というのが、社交辞令に聞こえないんだよね。

というか、彼の「今度」は必ず実現する。

昔も今も。

それって、沖縄の距離感なのか、彼独自のなのか、よく分からない。

散歩がてら、ちょっと離れた駅まで送って行った。

若い頃の私は、こんなに近い立ち位置で人と接していたのだ、と楽しくも複雑な気分になった。

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くねくね

家の前の道路で、工事。

あまりにもうるさくて仕事できない。

といってもさっき入稿したから、時間に追われる作業はしばらくないけれど。

請求書やら、契約書やら、手続きに関する仕事をやる。

あああ、うるさい。

蝉が鳴いてるとかだったらもっとうるさくても耐えられるのに。

心が不安定。

と思ったら、15年くらい会っていない昔の同僚からメールが来た。

新卒で入社して2年目から4年目くらいまで、彼と私はコンビを組んで働いていたのだった。

会社を辞めて、故郷に帰ったのかと思い込んでいた。

私のアドレスをその当時の上司から聞いた、という。

近いうちランチを食べることになった。

あの時はお互い子どもだったからつまらないことでぶつかったなあ。

「そのクネクネするのやめて」と言われたことがある。

私はどうも、会話していて首を傾げて人を見つめたり、壁に寄り掛かったりするクセがあるらしい。

彼はそれを見て落ち着かない、イライラした気分になると言っていた。

そんなこと言われても。

彼の指摘が理解できず腹立たしく思ったが、最近友人から「誘っているの?」と言われて合点した。

そうか、職場でそんなことされたら、気持悪いし生理的にウケつけないだろう。

ごめんね。

全然そんなつもりないのに。

小さい頃のあだ名が「くねこ」だったっけ。

ぴしっと座っていられず、いつも何かにもたれていた。

首を傾げるのは何故だろう?

自分でもまったく意識がないから分からない。

誘う、なんてとんでもない。

とにかく、久しぶりに会うのだ。

くねくねしないように、気をつけよう。

彼がどんな人間になっているかうまく想像できないが、

少なくとも私はぴしっとして、大人になったところを見せつけたいと思っている。

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くうき は すきとおって いる

twitter になんとかbotっていう言葉のロボットさんみたいのがいて、

私もタモリさんのとかフォローしている。

思ったんだけど、私が人としているやりとりっていうのは、

bot に近いのかもしれない。

心から考えたことを人に投げ掛けるというより

なんか面白そうなこと、その場に適したことを、機械的に選び、オートモードで切り返す、みたいな。

やりとりを重ねてゆくと、ときどき人から好かれることがあるんだけれど、

あまり信用できない。

私本体じゃなくて、私のやりとり機能に執着しているだけみたいな気がするし。

「やりとり機能」は、私本体とすごく遊離している。

それが悩みの種。

誰でも素のままの自分を受け入れてくれる人を探している。

私もその一人だった。

昔は。

今は、もうどうでもいい。

偏屈で、うるおいがなく、殺伐とした精神世界に生きている、それが私。

ファンタジーを紡ぐのが仕事だが、心の中にファンタジーは少しも宿っていない。

外側にも内面にも可愛らしさがない。

現実主義者だから持たないものには興味がない。

今身につけているもの、持っているものだけでやりくりし、生きている。

その世界は人から見ると灰色に見えるかもしれない。

でも私の中では、それほど澱んでいるわけでもない。

強い風が吹いていて寒いけれど

空気は透き通っている。

小さな同居人と、しっかり手をつなぎ、風に吹き飛ばされないようにしながら、

注意深く、進んでゆこう。

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わかれぎわ の かお

「キスすれば本当に好きかどうか分かる」って昔、私が言ったんだそうだ。

師匠が私の名言として、その当時の恋人に言ったらしい。

私は覚えていない。

まあ、言ったかもしれない。

大学時代、ヌーヴェルヴァーグにかぶれていたので、

映画の感想文のつもりで、師匠の前でそんなことを呟いてみたのかもしれない。

ふええ、恥ずかし。

師匠が名言だと思っていたはずはない。

恋人を傷つけて楽しむために、私を利用したのだ。

そういう人だった。

だけど、彼女は言葉通りそう信じていて、彼が亡くなった後に私に教えてくれた。

師匠。

あたしはあの時もそんなことホンキで言ってないですけどね、

今は真面目にこう思います。

別れ際の相手の顔がどう見えるかで、自分の真実が見えてくる。

自分から離れてゆくその顔が、美しく、輝いて見えたら

それは、本当に好きだということではないでしょうか。

最近分かったんです。

今、気付きました。

私は師匠の顔をよく、美しいと思っていました。

好きだったかな?

ううん、やっぱり。

それはないと思います。

別れ際に、あなたが私に向かって芝居をしていたからですよ、美しく見えたのは。

演じているあなたは、本当に惚れ惚れするほどいい男でした。

そうだ。

稽古場でもない路上で、何故あなたはそんなことをしたんだろう。

雪の散らつく西武新宿駅の前で、「またな」と手を振る芝居。

あれは師匠に「恋人ができました」と報告した夜。

バーのようなところで話をして、外に出たら粉雪が舞っていて、寒いから急いで行こうとすると、師匠は私の頭にそっと触れた。

向かい合って二言話した。

たしか幸せに関することだった。

歩き出すと、「またな」と言う声が聞こえた。

振り返ると、師匠が美しい顔で、手を振っていた。

雪といい、吐く息がキラキラと輝くことといい、師匠の完璧な表情といい、まるで時代錯誤な芝居の1シーンみたいだと思った。

師匠。

私は最近、いろんなことが分かってきました。

ううん、分かったような気がしているだけかな。

どっちも同じことさ、とあなたなら言うでしょう。

私はあなたよりたくさん生きて、たくさん表現活動をします。

愛について分かったことがあれば、

また報告します。

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りんかくせん

年上の友人から長いメールが届いた。

最後に、反対、と書いてあった。

そうだなあ。

確かに、よく考えてから決断しなくては。

未来を繰りかえし描き、輪郭線がはっきりするまで、とことん相手と話し合うべきなのだと思った。

将来をイメージする上で経済的なことはとても大切だ。

これまでも私は現実的だった。

でも、そういう観点から話をすると、どの人も失望し感情的になった。

彼らが私に期待するのは、「詩的な面」だけだった。

そんな面は私のどこにも存在しない。

詩は作品の中だけにしか、存在しないのに。

彼らにとって現実は、夢の世界の足を引っ張る、枷でしかない。

いつも私の気持は固くこわばった。

今、ときどき姿をあらわして私の隣を歩く人は、現実を静かに話し合えるタイプの人間だ。

まだ、実際には少ししか話していないけれど。

日常を冒険として、作戦を立てて乗り切ってゆく。

十五少年漂流紀みたいに。

平凡な生活が、幼いころ夢見た「樹の上の家」での暮らしみたいになればいい。

ありあわせのもので、おままごとのように暮らすのだ。

刺激的で、勇気と誇りに満ちていて。

いつだってそんな風に生きていたい。

私の夢は、いつも現実とつながっている。

だから途方もない大きな夢を抱かないのかもしれない。

それでいいの?

しばしば訊かれたし、今後も訊かれるだろう。

以前、大志を抱ける人がうらやましかったのだけれど、

小さな同居人と出逢ってから、すべてが変わった。

夢が小さいか大きいかなんて、どうでもいい。

現実の空気がこんなにいい匂いの、鮮やかな色をしているなんて。

手にした夢をそうっとあたためながら、勇気を持って歩いてゆこう。

雨の日も風の日も。

午後、新しく受注したゲーム台本の打ち合わせ。

このシリーズに出演する声優さん、本当にものすごい人ばかりで圧倒される。

実力派の大物ばかり。

声優マニアの人にはたまらないんだろうな。

プロデューサーやディレクターの方々も温厚な良い方たちだった。

頑張って書かなくちゃ。

小さな同居人は、ここ数日、帰宅するとおっぱいばかり欲しがる。

ほとんど会話ができない。

ただ、抱っこというのもできない。

少しでも近くによると「ぱいぱい」と騒ぎ出すから、

絵本を読んだりちょっと知的な?遊びはほとんどできない。

ご飯は十分食べているし、やっぱり淋しいのだろうか。

預けている時間は、クラスの中では最短なのだけれど、

生まれてから一年と少しなのだ。

私と離れているのはまだまだむつかしいのかもしれない。

なにしろ、私だってすごくむつかしいのだから。

いつも匂いをかいで安心していたい。

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ふてき な ひょうじょう

小さな同居人の通うクラスにガキ大将がいる。

こんなに幼い、赤ちゃんから卒業するかしないかくらいの子どもの世界にも、

ボス猿は存在するのだ。

まったく驚かされる。

彼は顔立ちの整った、少し不良っぽい感じのする男の子だ。

同居人より5ヶ月くらい生まれが早い。

言葉も達者に喋る。

ガキ大将は、小さな同居人にいたくご執心である。

入園当初から、抱きついたり撫でたり、キスをしようとしたり、とにかくありとあらゆるかたちで強引に好意を示そうとする。

朝、入ってゆくと、わき目もふらずにやってきて、小さな同居人を抱き締めようとする。

いつも小さな同居人が困って泣きそうになるので、保育士さんや私が割って入るのだけれど、

ガキ大将くんは決して諦めない。

何がなんでも側にいたいらしいのである。

何故そんなに気に入られてしまったのか、謎である。

小さな同居人には何となくの理由は分かっているのかもしれないけれど。

男の子って生まれた時から男の子なのかなあ。

ちなみにガキ大将くんは、好きな人の母親だからなのか、

私にも優しくしてくれる。

いやいや、そんなに気を遣われても……。

交際は絶対に許さんぞ、とちょっと頑固親父の心境になる今日この頃。

今朝も驚いた。

登園するとすぐに午前のおやつの時間だ。

少し離れたところにあるテーブルでは、準備が進んでいる。

小さな同居人のコートを脱がせていたら、ガキ大将が飛んで来た。

「おやつ」と言って小さな同居人を引っ張ってゆこうとする。

「コート脱いでるから待ってね」と私が言うと、

いったんテーブルまで行って、戻ってきた。

手にしていたのは、エプロンだった。

それも、小さな同居人のもの。

え?

テーブルに積んであるみんなのエプロンの中から、それが小さな同居人のエプロンだと、どうして分かったのだろう?

同居人のエプロンは、いろんな柄のが日替わりなのだ。

見分けるには、たくさんあるそれぞれの柄(クマ、ウサギ、ストライプ、チェックなど)をすべて憶えるか、あるいはひらがなで書いてある名前を読み取るしかない。

字がもう読めるのか?

驚く私を尻目に、ガキ大将は「えぷ」と言って、小さな同居人の首にそれを掛けようとした。

小さな同居人が戸惑って半泣きになると、保育士さんが来た。

「エプロン掛けてあげていい?って訊いてからやらなくちゃ」

すると、ガキ大将は「いい?」と聞いて、小さな同居人の首にエプロンを掛けた。

小さな同居人は最初はあまり嬉しそうでなかったが、私と保育士さんがニコニコしているのを見て少し笑った。

それに乗じてガキ大将が強引な感じで手を握ろうとする。

保育士さんが「手をつないでもいい、って訊いてね。優しく」と口を出すと、

今度はそうっと手に触れた。

小さな同居人が私を見た。

「連れていってもらえば?仲良くね」と私が言うと、小さな同居人はガキ大将と一緒にテーブルに歩き出した。

小さな同居人はガキ大将に椅子までおとなしくエスコートされていたが、

保育士さんがそばを離れるとすぐに、

彼の手をさっと振り払った。

そして、不敵な表情を浮かべた。

ガキ大将くんは、悲しそうな顔で自分の席へすごすごと引き下がっていった。

ガキ大将くんにも驚いたけれど、同居人の不敵な顔にもびっくりした。

いつから、あんな顔をするようになったのか。

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あるいて すすめ

昨夜から今日にかけて、気持が不安定になり、いくにんかの友人に連絡。

一人は、カメラマンをやっている友人。

長いつきあいの中で、私の弱点を知り抜いている。

学生の頃は、二人でドライブしたなあ。

マーヴィン・ゲイとかエセ爽やかなBGM掛けて、とんでもないスピードで街を走り抜けたっけ。

私が悩みをボソボソ語ると、なるようにしかならない、と明快に言い切った。

大きな声に鼓膜が、痛いほど震えた。

深夜、年上の友人にメール。

彼はいろんな世界を案内してくれるけれど、私はいつもあんまりちゃんと学ばない。

不肖の弟子だ。

朝、目が覚めたら返信が来ていた。

会う前に悩みの内容をメールしろ、とのこと。

仕事を始める前に、今の状況を簡単に説明したものを送ってみた。

簡単にしすぎたので、何で悩んでるか分からないかもしれない。

というか、悩んでないのかな。私ってほんとは。

昼頃、別の友人から電話があった。

出られなかったので、後で掛けなおした。

話すのはすごく久しぶりだ。

最近、関東に戻ってきたとのこと。

落ち着いて。冷静に考えたほうがいい。

と説得される。

そうか、私、冷静じゃなくなってるのかな。

人に相談しているうちに、仕事をする気分になってきた。

今日は、暗くて寒い小雨まじりの天気だ。

私が歩いている心の中の風景と同じ。

そう思っていたら、問題の人からメールがあった。

暖房を入れたが、寒くて、鼻の奥が痛くなってくる。

カイロを背中に貼るのだ。

そして、歩くのだ。

孤独でも、寒くても、歩いてすすめ。

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「す」 や 「あ」 から はじまる ことば

午前中、少し離れた公園へ。

帰り道、ぽうっとしていて道に迷った。

あれ、私いまどこにいるんだろう?

はっとしてあたりを見回すと、見覚えのない家の建ち並ぶ住宅地にいた。

もとの道に戻らなければ。

でもそもそも「もとの道」ってどれ?

このあたりの道は迷路のように曲がりくねっている。

「あ~あ」と小さな同居人ががっかりしたような声を出した。

「ごめんね。私たち迷子になっちゃった」

その時、かすかに電車の音がした。

よかった。線路沿いの道に出ればなんとかなる。

胸をなでおろしながら歩き出した。

なんだか怖くなる。

私はときどき、音がまったく聞こえなくなるくらい、意識の世界に入り込んでしまうことがある。

さっきもそうだった。

公園を出てバギーを押していたら、ふと異世界に入ってしまったのだ。

きっかけは、覚えている。

恋についてちらっと考えた。

ほんの一瞬だ。

そうしたら、懐かしい路地が見え、昔の人に出逢い、小さな同居人の未来を目撃し……

気付いたら見知らぬ道を歩いていた。

小さな同居人と一緒の時には絶対に避けたいのに

もうすでに何度かやらかしている。

どうしたら意識を現実につなぎとめておけるのだろう。

午後、外出。

人と半地下にある喫茶店でお茶を飲んだ。

窓際に座ったら、犬が私を見つけて、寄ってきた。

ガラス越しにコミュニケーションをかわす。

好きだよ。いいこだね。と私がささやくと、犬は「大好き大好き」としっぽを振ってくれた。

ああたまらない。

人間ともこんな風に会話できたらどんなにいいだろう。

何も加減しないで、ストレートに。

今のところ小さな同居人とはそうしている。

でもそのうちに、できなくなってしまうのかな。

帰宅してみると、小さな同居人は昼寝をせずに待っていた。

ベッドでおっぱいをあげながら寝かしつける。

小さな頭にくちびるをつけて、「す」から始まる言葉や、「あ」から始まる言葉をたくさん呟いた。 

甘い香りのする細い毛が、口にまといついてくるのが、何だか切なくて少し胸が苦しくなる。

小さな同居人は穏やかな寝息をたてはじめた。

私もやがて、その平和なリズムに、のみこまれていった。

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じゅけん

本日、春から通うつもりの学校の受験日。

朝から小さな同居人がぐずっていると思ったら、吐いた。

ノロウィルスか?と不安になるが、幸い熱はない。

医者にお昼ごろの予約をし、母親に世話を託し、試験会場へ。

筆記と面接が終わって、タクシーで家へ戻る。

小さな同居人とバギーを積んで、医者へ急行。

診察結果はノロではなく、ただの風邪とのこと。

よかった。

小さな同居人は、同じくらいの男の子たちに絡まれてちょっとイヤそうな顔をしている。

男の子って、ある時期まではすごく積極的だ。

何故?

帰宅して、小さな同居人とともに、昼寝。

実は私も喉が痛くて吐き気がする。

絶不調。

目覚めてパソコンを開くと、取引先からメール。

現在オーディオドラマの注文をいただいているところから、ゲーム脚本の依頼があった。

締め切りが割合に近い。

年明け、仕事が詰まってきたなあ。

締め切りの嵐だ。

普段の私ならば何も問題はないくらいの量だけれど、小さな同居人が今は体調を崩しやすいので少し不安。

でも頑張らなくちゃ。

来年から学費もかかる。

補助金が出るとはいえ、それだけに頼りたくはない。

朝、優しい人からメールがあった。

犬のような茶色い目のことを考えた。

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さんだるさん

昔からの望みは、穏やかで静かな生活を送ること。

でも性格を直さないと、とても実現しない。

それは分かっている。

楽しみのために昆虫やネズミを捕まえていじくりまわし、めちゃくちゃにして、ぽいと放り出す。

気に入らないことがあれば、ふいと逃げ出して煙のように姿を消す。

そういう猫にそっくりだ。

不幸にしてあんな可愛らしさは備えていないけれど、それ以外は。

その習性は、いつも、私の幸せの邪魔をする。

ふとサンダルさんのことを思い出した。

猫のいる飲み屋さんで出会ったダンディな初老の人。

猫を抱き上げる時には、迷いがあってはいけないよ。

胸に少しでも迷いや怖れがあれば、猫は爪を出してくる。

彼はときどき「ネコツカイ」としての心得を教えてくれた。

サンダルさんは店にくるとまずサンダルを脱ぐ。

そして素足で店の猫、トムのお腹を撫でるのだ。

トムのあのうっとりした顔。忘れられない。

気位の高いトムのことだ、きっと他の人がやったら怒るだろうに。

トムは、サンダルさんの魅力、威厳?に支配されていた。

店のママもまた、トムを強引かつ的確に扱った。

トムはママに捕まえられると、不満そうに鼻を鳴らすが、すぐに甘えた目で彼女を見上げるのが常だった。

トムにとってのママやサンダルさんのような存在が、

私にもいつか現れるだろうか。

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うんが の ある まち

音楽家M氏と2月にやる子ども劇の件の打ち合わせ。

その後、今度一緒に作ることになっている作品の打ち合わせ。

彼のピアノ演奏を初めて聴いた。

ユーモアと独特の暗さがある。

私の作品を見て、読書感想文のように書いた曲だ、と言った。

一緒に演奏をしている人がM氏のことを先生と呼んでいるのに、はっとした。

そうだ、ここ数年、一緒に活動しているピアニストのIさんも元はといえば、M氏のお弟子さんなのだった。

言い回しがとても丁寧だから、彼が偉い人だということを忘れていた。

今日聞いた曲は組曲のようになっていた。

これはあくまでも素材で、このイメージに合わせて歌詞を書き、またそれに曲をつけて……

という手順でやることになっていたけれど、

これをそのまま使って、歌は間にはさんでいったほうが面白いのはないかと思った。

そう提案すると、M氏はニコニコして頷いた。

曲は5曲あった。

耳を傾けていると自然に風景が見えてきた。

運河の流れる、古い港町。

霧が少しかかっている。

昨日イヤなことがあって、気分が重かったけれど、

M氏の曲を聞いていたら、楽しくなってきた。

音楽と言葉だけで、遠くまでゆけるのだ。

そうだ、遠くまで旅しよう。

その町の運河はどこまで流れているのだろう。

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てがみ を かきおえる

午前中入稿。

後は年末に二本。

おそらく中旬までひと休みできるだろう。

心の中でお別れの手紙を書きはじめたら、

終わりの日が近付いている。

手紙を書き終える日が、最後の日。

ネットで発言を眺めていて

この人は私の存在がなくても、生きてゆけるのだろうな、と思う。

生活よりも、そこそこ楽しく明るく華やかな場所で生きることを選ぶ人間だ。

金はなくても酒は常に飲みたい、人間関係を拡張したいという強い欲求。

そういう人生もありだと思う。まったく否定しない。

しかし、私はキライなのだ。

小さな手を握り締め、心細さに震えながら荒れ野を歩く私とは

住む世界が違う。

何かを捨てなければ、大切なものは手に入らない。

私はたくさん捨てた。

そしてこれからも、必要があれば、惜しみなく捨てようと思っていた。

降りしきる小雨の中、傘を差しかけられて、少しの間入れてもらった。

でもよくよく話を聞いてみたら、行き先が違っていた。

そういうことなのかもしれない。

私は幸せで安全な場所を目指す。

道の途上がどんなにつらくても、暗くても、そして遠くても。

地図を見ながら計画を立て、地道に進むのだ。

二人で酒を飲む、

思わせぶりなやりとりを楽しむ、

たくさん眠る、

きれいな服を着る、

そんな私一人だけのちっぽけな喜びなんか。

この小さなぬくもりを抱き締めた時の

目のくらむような幸せにくらべたら。

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となりよりちかく

仕事の資料として、オペラ『カルメン』のCDをアマゾンで購入。

モッフォという人がカルメン。

指揮はマゼール。

ブックレットで全訳を読む。

なるほど、小説よりさらに台詞(歌詞)が刺激的。

「好いてくれないならこっちから好いてやる」

「あたしを愛したら危ないよ」

「カルメンは言うことなんかきかない。自由に生まれて自由に死ぬ」

むう……まじですごい。

闘牛士エスカミーリョとのやりとりで

「俺が愛していると言ったら?」

「愛しちゃダメって答えるわ」

これにもやられた。

すごいなあ。圧倒される。

何がすごいかというと、この女が評価されるヨーロッパの土壌がすごい。

日本では、こーゆう女はあんまり受けない。

オッカナイ、とか、ゴーマン、とかで。

少しマゾッ気がある人や一部マニアの間では「たまらない」ということになるのだろうけれど。

私はマニアなんで、たまらないっす。

ふりまわされてみたいのです♪

でも、カルメン的要素は、誰でもほんの少し、女性なら持っているんじゃないだろうか。

奥底に眠っているだけで。

私も自分の気持が変わってしまったら、もう二度と戻らないと知っている。

だから人を好きになった時は、相手の心変わりより、自分のが怖い。

一度気持が損なわれたら、もうダメなのだ。

自分でもどうにもならない。

気持が続くよう、注意深く過ごすようにしている。

「隣にいたい」でも「一つになる」でもなく、

「隣より近くにいたい」と願ったら、それは愛なのだろうか、と最近思った。

こんなことを言ったら

近所に住む心の友はおそらく泣くだろう。

私には何ができる?

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あい を ためす

小さな同居人が、私に対してだけ、ダダッコになる。

他の人が相手をしている時には、いつも通り明るく楽しそうなのに、

私がそばに行って世話をしようとすると、

突然、軟体動物のようになって、床にダラッと転がってしまう。

固形物がいきなり液状化する感じである。

そして、挑戦的なまなざしで一瞥したあと、ニヤッと笑う。

「さあ、どうする?」とでもいうように。

私が他の人と話していると、

突然膝の間に入ってきて、手を噛んでくる。

「痛いっ。ダメだよ」と言うと、また挑戦的な顔で私をちらっと見る。

ここ三週間ほど、重症の風邪に続けてかかったせいだろうか。

とてもワガママ?になった。

?をつけたのは、ワガママについて、私がよく理解していないから。

というのは、私自身が「ワガママ」と親兄弟から言われるせいだ。

自分としては理屈が通っていると思っていることでも言われるから、

私の思考システム自体がワガママウイルスに冒されているのかもしれない。

小さな同居人は愛を試しているのだろうか。

恋愛で愛を試すと、必ずといっていいほど、壊れる。

試された側はやがて背を向け去ってゆく。

小さな同居人のテストは

工場で行なわれる強度チェックのように冷厳だ。

ギュッと伸ばしてみたり、思い切り叩いてみたり、振り回したり。

千切れないか、凹まないか、倒れないか。

いっしょうけんめい限界値を探っている。

恋愛のとは違って、試されている私はとても切なくなる。

苦痛にうめきながら、同時に少し嬉しい。

強度チェックにいそしむ同居人の姿にけなげさを感じているからなのか、

耐えている自分に自己満足を感じているのか、

試す側と試される側の緊張感がたまらないのか、

よく分からない。

「橋の下の娘」という映画があったっけ。

あれに近いのかな。

まだ経験したことがないけれど、

きっと「特別な恋愛」は

愛を試す作業もまた、楽しいのかもしれない。

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はんがー がんがー

小さな同居人は、ハンガーが好きである。

お風呂場や寝室にあるハンガーを、「ガンガー、ガンガー」と指差して叫ぶ。

ガンガーを渡すと、今度は掛けろと要求する。

掛けると、取ってくれと要求する。

堂々めぐりである。

熱が下がって体力が回復したせいか、家の中を走り回る。

最近、クリスマスの飾りつけをした。

天井には、魔法使いのお婆さんの人形。

ノルウェーのおみやげ。お婆さんはクリスマスっぽい赤と緑の服を着て、ほうきに乗っている。正直可愛いのか怖いのか、よく分からない。

クリスマスリースを何種類か。

それにトナカイのぬいぐるみ。

本当は、窓にぶら下げる飾りもいくつか持っているのだけれど、これはまだ。

早く飾らないと、クリスマスが終わってしまう。

早く早く。

小さな同居人は、挑戦的な顔をすることが多くなった。

性格が私に似てきたのか?

困ったな。

今日気がついた。

やっぱり私は犬が異常に好きだ。

見つめあうと、うっとりしてきて抱き締めたくなる。

お前はいいこだね、うん、分かってるよ、という気分になる。

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ねつ

小さな同居人が連日熱を出す。

朝、微熱があって下がる場合もあるし、

夕方になって高熱になる日もある。

ここ3週間ほど、保育園に行けた日は数えるほど。

微熱があるだけで、心配ない場合はいい。

仕事はできないけれど、一緒にいられる幸せを感じる。

高熱が出ると眠り込んでしまうことも多いから、仕事はできそうなのだけれど

実際は、気になって手につかない。

来週締め切りの仕事、どうしよう。

土日になんとか頑張れるだろうか。

まあなんとかなるか。

友は最近、私の目ばかり見る。

私は友の右目しか見ない。

何故だろう。

私が友の目を見るようになったのは、ここ数日のこと。

それまではずっと、意図して見ないようにしてきた。

見てはいけないような気がしていたのだ。

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