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2011年1月

うさぎ と うさぎもどき

末日ということで、レシートをジャンル別に合計してみた。

すごく久しぶりだ。

ショックなことに、去年の3月にくらべて、食費が二倍弱になっていた。

何故?外食はほとんどしていない。

というか、外食している月のほうが、食費少なく済んでる!

最近、頑張って食材買い込み過ぎ?

それともお菓子とかパンの買い過ぎ?

お供え餅とか買ったせいかと思ってみたが、それだって3千円くらい。

日々、豪華食材(あくまでも私にとっての……イチゴとか、冷凍じゃないお魚とか、ブランド地鶏とか……)をちょっとずつ購入した結果、

こんなふうになった。

よし2月は頑張って、いや頑張らないで、料理しよう。

それと、お菓子とパンの買い食いはなるべくしないようにする。(うう。私ってガキみたい)

主婦の方たちが、スーパーのチラシを見比べ、歩き回って買物をする意味が、やっと実感できた。

食費って気を抜くと、際限なく増えるなあ。

今日は午後、『ノルウェーの森』を観た。

古い古い友人が誘ってくれたのだ。

あの特殊な雰囲気を持つ小説をどうやって台本化するのか、とても興味があった。

出てくる女の人がみんな揃って甘い声をしていて、

それが気になった。

あと、原作にあるようなユーモアがほとんど感じられなかった。

これは、監督さんの好みの問題なのだろうな。

「僕」がとても自分勝手な男に見えた。

まあ原作でも多少はそのきらいはあるけれど、映画では際立っている感があった。

園に迎えに行くと、小さな同居人は、私を無視してひたすら遊んでいる。

着替えをしまっておく引き出しを整理していると、クラスメートの女の子が手伝って?くれた。

すると小さな同居人はヤキモチを焼いたのか、割り込んできて、私を呼び、そして女の子を勝気な視線で見つめた。

最初っから抱きついてくれればいいのになあ。

帰り道はバギーに乗らないと言うから、手をつないで歩いた。

夜道でウサギに遭遇。

紐につながれているが、自由に跳ね回っている。

小さな同居人は、頭の上に両手をかかげ、ウサギのまねをしてみせる。

自分こそウサギだぞ、という主張なのか?

ウサギは、疑り深いまなざしで、こっちを見ている。

撫でるとほわほわとした感触の中にぬくもりがあった。

可愛いなあ。

楽しく遊ばせてもらっていると、どこからか、お散歩犬も現れた。

この犬は朝、通園する時に遭遇する顔見知りである。

犬とウサギもお互いを知っているらしく、無言で目線を交わしあっている。

小さな同居人が犬を真剣に観察しているすきに、

バギーに乗せてしまった。

家まではまだまだ遠いのだ。

足を毛布でくるんで、頭にフードをかぶせたら出発進行。

アイアイを歌いながら、夜道をどんどん進んでいった。

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からす を みはる

家族の祝いごとで、豆腐の懐石料理屋さんで食事。

街を見下ろす眺めのよい個室でゆったりしたひとときを過ごした。

といっても、小さな同居人は、カラスが飛び回るのを窓から見張ったり、湯葉を作る四角い鍋に興奮したりと忙しい。

それに豆腐に目が無いから、もちろん今日の料理はすべて大好物。

お腹がいっぱいになると、

小さな床の間に立って、踊りのワンマンショー?を繰り広げた。

たくさん食べて、たくさん遊んで、その後は公園へ。

ベビーカーでゴトゴト揺られて遅めの昼寝。

夕方仕事でメールしたほかは、一日仕事をほとんどしなかった。

私はサボリ魔だけれど、意外に、まる一日休む、という過ごし方はめったにしない。

だからドキドキする。

ああ、まあ明日から仕事しよう。

どちらにしろ、オーディオドラマの設定案が送られてきたので週半ばくらいに一度入稿しなければならない。

春から学校に行くし、それまではたくさん仕事しなくちゃね。

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ゆび を きる

おととい夕方、ゲーム台本をすべて入稿。

考えてみたらお正月から取り組んでいたのだから、結構時間が掛かったなあ。

まあ大量だったし、2本あったからそれなりに大変だったのかな。

最後は頭が狂いそうになるくらいのスピードで書いた。

早く書き終えないと、オーディオドラマの仕事がいつ始まるか分からないし。

それに子供劇の準備もあるし。

気が焦っていた。

昨日は2月の子供劇のためのプランを詰め、Sちゃんと作業。

今日はやりたいと思ってたことを全部やる。

午前中は、クリスマスリースを分解。

小枝でできた輪っかの土台だけ生かして、新しくアレンジしなおす。

とりあえず飾れる状態にして玄関扉に掛ける。

その後、お茶&読書。

午後は掃除と洗濯と料理。

お惣菜を3種類作って冷凍。

途中、包丁で指を切った。

文字通り、ザクッと音がした。

痛みより音のほうが強烈で、「あれ?へんな音がしたなあ」と思っていたら

血がほとばしり出た。

痛みには鈍感な私だが、「肉を切る音」には激しく動揺してしまった。

指先だから出血量が半端ない。

頭とか指って怪我すると大袈裟にいっぱい出るけど、どうしてだろう?

血は2時間ほどしてやっと止まった。

小さい頃から血が止まりにくい。血小板が少ないのだろうか?

無理やり液体絆創膏をつけたら、固まったあと、またその裂け目から血が噴き出してきた。

医者に行けばよかったが、時間が惜しかった。

料理を作り終えるところまで行きたかったのだ。

小さな同居人がウサギのまね(両手をウサギの耳のように頭につける)をさかんにするようになった。

それと、地団駄のような不思議なステップを踏んでみせる。

すごく素早い。どちらかというとラテンっぽいリズムだ。

あと、お相撲さんの四股のように、片足ずつノッシノッシと踏んでみせる。

上記を次々と繰りかえしながら、リビングを走り回る。

ときどきボールも蹴ったりする。

最近、寝かしつけに1時間10分は絶対に掛かってしまう。

長い時は2時間。

私のほうが疲労困憊して眠ってしまい、「先に寝るなよ」と起こされることも多くなってきた。

ぺちぺちと頭を叩かれる。

頬にチュウされることもある。

顔の側面に濃厚な湿り気を感じて、犬?何かの動物?うう……

うなされながら目を開けると

小さな同居人がぐりぐりと顔を押し付けている。

頬から引きはがしお腹の上に乗せて揺すってやる。

少し満足したのか、欠伸をして目を閉じる。

と、次の瞬間、お腹の上で立ち上がろうともがき始める……

この繰りかえしである。

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あまく するどい いたみ

ここ二ヶ月ほど、小さな同居人が一番好きな遊びは、

「ねかしつけごっこ」である。

自分が眠たくなってくると

何故かベッドや床にぬいぐるみを並べて、ハンカチや毛布を掛ける。

そして、思い切り手を振りかぶってトントン叩く。

小さな同居人自体は、トントンではほとんど寝ない。

試してみたことはあるが、私のトントンは、効果がない。

分かりやすいような分かりやすくないような。

なんで自分が眠たいくせに、ぬいぐるみを寝かしつけようとするんだろう。

と思っていたら、最近自分も寝転んでトントンしている。

トントンされて眠りたいのか、と思ってしてあげると、飛び起きる。

「おっと、うっかり寝るところだったぜ」という感じ。

真夜中、私がもうすでに眠っているのに、突然起き出して、トントンしてくる時がある。

テニスのサーブみたいに腕の振りかぶりが大きいから、かなり痛い。

寝かしつけの歌も歌う。

メロディーから察するに「江戸の子守り歌」。

ただ、原曲とは違って、長調っぽく聞こえるので、アレンジを加えてあるのか?

週末来ていた母が、小さな同居人に「再会ごっこ」を教えたら、

すごく気に入って一日のうち、何度もやるようになった。

【再会ごっこの概要】

まず二人組みになり、互いに少し離れたところに立つ。

「××ちゃん、逢いたかったよ」

「ママ」

と叫びあったのち、走り寄って抱き合い、感涙にむせぶ。

小さい頃、蜜蜂ハッチの冒険の母子再会のシーンを、母にやらされた覚えがある。

もちろん私がハッチ役で、母がハッチのママという配役。

何故、母は私に「母を探して三千里」とか、ハッチとか、マーヤとか

母を探す物語ばかり繰りかえし読んで聞かせたのだろう?

私が母を描いた物語を長い間書き続けているのは、

その影響を強く受けているものと思われる。

小さな同居人は、私とではなくて、母と再会ごっこをやりたがる。

私が複雑な思いを抱いていると感じたのか。

私だって再会ごっこは好きだ。

でも、ほぼ毎日、私は夕方、園で感動の再会をしているからなあ。

迎えにゆくとたいてい、小さな同居人は、抱きついてはこない。

泣きそうになりながら、さりげなく振舞って、私から抱きつかれるのを待っている。

私もさりげなく近付いて抱きしめる。

すると首すじのところに小さく噛みついてくる。

甘く、鋭い痛み。

その注射を受けると、私の心は仕事を忘れ、小さな同居人だけのものになる。

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ほのかな ねつ

心の通いあう人からメールが届くたびに

灯りがともったように心が明るくあたたかくなる。

心の内壁に、ほのかな熱を感じる。

その熱は、

達観したり諦めたりせず、あがいてみよう、という原動力になっている。

闇雲にもがくのではなくて、冷静に捉えた上で、あがいてみる、抵抗してみる。

それは、現実をよりよく変えるためのレジスタンスだ。

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ゆめごこち

寝かしつけを終わって、仕事を再開。

しばらくして、小さな同居人の咳が止まらなくなった。

授乳して、加湿器の近くで抱っこ。

こもりうたを歌っていたら寝入ったが、鼻の調子が悪いせいか眠りが浅い。

ほっぺたをくっつけて抱っこ、ゆらゆらとさまよった。

本当はもう眠っているから、ベッドに寝かせても大丈夫。

早くパソコンの前に戻らねばならない。

でも頬をくっつけていると夢心地で、もう二度と離れたくない、そんな感じ。

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れいぎただしい おとな の ように

園からの帰り道、小さな同居人が道端の猫に、「こんばんは」と言って会釈をした。

あまりにもはっきりとクリアに聞こえたので、本当に驚いた。

そういえば

半月ほど前に、公園で出逢った猫に「こんにゃち~(こんにちは)」と言って頭を下げていることがあったっけ。

その時は赤ちゃんぽさの残る発音だったから、それほどびっくりはしなかったのだが、

今日のは普通の大人みたいだった。

いや、普通じゃないか。

あんまり会釈しないよね。こんばんはって。

「礼儀正しい大人」みたい、というのが正解?

昨日は、古いつきあいの人たちとコンタクトがあった。

一人は会社勤めの時の先輩で、もう一人は長い間、私を支え続けてくれている友人だ。

先輩は、謙虚なのかオレ様なのかよく分からない人だ。

私は男性の魅力に疎いのでよく分からないが、

たぶん「いい男」のジャンルの真ん中に属するタイプではなかろうか。

背がすごく高くて、顔立ちがはっきりしていて、黒目がち。

優しくて、どこかごう慢。

自分が小柄だから背の高い人はなんとなく苦手だけれど、彼には威圧感を感じたことがない。

マヌケなところをいくつか知っているからか。

とても気があって、よく休憩の時、お喋りした。

喋り足りなくて、飲みに行ったりもしたっけ。

同じ職場の時より、私が希望の部署に異動してから、先輩の人間的な大きさを強く感じた。

ピンチの時、何度か助けてもらったなあ。

しかも恩に着せないところがすごい。

気張らずにゆくのだ、というメールに少し泣けてきた。

先輩らしい。

夜、友人が電話をくれた。

この前、電話で話した時の私が不安定だったからか、心配したらしい。

彼も不安定な人だから、私だって心配なのだが。

話していたら頭の中が整理されて落ち着いてきた。

友人の言っていることも、要約すると「頑張りすぎるな」。

私、そんなに気張ってないし、頑張ってないし。

そう見えるのかしら。

いや、でもまあ少しは頑張らないと。

友人は話足りなかったのか、

今日さらにメールが届いていた。

今月二つ目のゲーム台本に取り掛かった。

一つ目より早く進めないと、と思って資料に目を通していたら、チーズアーモンドを一袋食べてしまった。

姉から近江屋のロールケーキももらったので、今日は間食ばかりしてしまった。

ブリと蕪の煮物とホワイトカレーと青菜炒め、頑張って作ったのに、

ほとんど食べられなかった。

小さな同居人は、ブリが気に入ったようだった。

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かくれんぼ と おにごっこ の ちがい

「かくれんぼ」と「おにごっこ」って何が違うんだっけ?

小さな同居人と遊んでいると、よくそんなことを考える。

同居人はオニしかやりたくないらしい。

しかも、「もういいよ」と言われるまで待っていられず、探しに来てしまう。

クスクス笑いながら走ってくるので、

待たなければいけないってのはどうも分かっているようだ。

私と同じで、禁をおかすことにワクワクするタイプなのだ。

見つけた、とか、いた、とか、あった、というのを

最近は全部「った~」という表現でまとめているようだ。

確かに、一つの言葉で片付くよね。

しかも一音だし。

10日ほど前、小さな同居人に奥歯が生えてきた。

歯ぐきがむず痒いらしく、すぐに噛み付いてくる。

今日はとても幸せな一日だった。

朝起きたら青空が広がっていて、気付けば傾いた日差しに雲が金色に輝いていた。

いつもと同じでとても忙しかったけれど、

時が過ぎるのがゆっくりと感じる瞬間もあった。

ずっと、忘れないようにしよう。

抱き締める、という愛もあるし

隣にそっと座る、という愛もあるのだと思う。

どの愛も、出逢ったら、出くわしたら、大切にしなくては。

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むらさきいろ の せかい

午後、お誘いを受け、音楽スタジオへ。

この組曲は、私の芝居の読書感想文のようにして書かれたものだそうだ。

今日はその稽古に立ち会った。

重たかった心が少しずつほぐれてゆくのを感じる。

どの曲にも独特の雰囲気がある。

薄暮、闇、路地、運河、夜空……流れ星……。

演奏家二人のやりとりもとても新鮮で、楽しかった。

稽古が終わると、そうそうに退散した。

ひょっとしたらもう少し長居しても許されるのかもしれないが、

早く帰ってゲームの台本を書かなくては、という気持になったのと、

今は少し精神的に病んでいるから、おかしなことを言って迷惑を掛けるといけない、と思った。

何かの拍子に泣いてしまいそうだ。

それは、なんとなく、フェアでない気がする。

相談に乗ってくれそうな人の前で泣くのは、とても卑怯だ。

小さな同居人と早く会いたい。

薄暮の中、急ぎ足で園に向かった。

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おねがいごと

心が腐敗してゆく感じがする。

低空飛行。

原稿はかろうじて書き続けているが、いつどうなるか分からない。

うまく眠れない。

ゆうべ古い友人と電話した。

優しくて美しいものが好きだけれど、現実の地面を、いつもぐっと踏みしめて生きている人。

綺麗なものを愛するが、ゆめみがちやきれいごとを嫌う人。

しばらく電話に寄り掛かるようにして、喋り続けた。

私はいつも頼ってばかりいる。

私の身体には、血の代わりに嫌悪と憎悪が流れているのかもしれない。

そんなことを思う。

自分がそうだからって、

他人の美しく素敵な夢の世界を邪魔したくない、とも思う。

それがその人にとって最高の幸せならば、

何も意見すべきではない。

私にできるのは、そのような価値観と距離を置くことだけだ。

そして、現実の冷たい風に凍えぬよう毛布をかぶりつつも、

立ち止まらず進むこと。

さあ原稿を書こう。

美しい夢を紡いで、お米や歯ブラシや、小さな同居人のための小さな靴下、絵本、それにオムツを買うのだ。

ゲーム台本の中の魔女にお願い事をしてみよう。

どうか、激しい嫌悪と憎悪が私から去りますように。

価値観の異なる人の幸せを心の底から望むような、曇りのない魂を、私にください。

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だれだって だれにも

一緒にいてどんどん距離が遠のいてゆくタイプの人がいる。

それは私の中だけでの問題なのか、

それとも、お互いにそうなっているのか。

分からないのだけれど、

人間関係の中で、ときどきそういう現象に遭遇する。

何気ない当たりさわりのない話ばかりして、核心部分は避ける、そんな会話ばかり繰り返しても、未来へは進めない。

今日、仕事先で世間話をしていて、突然、

あなたはどうなの?

と突然問い掛けられた。

胸がズキン、とした。

そういえば最近、

他人から私の心境を訊ねられる機会などほとんどない。

仕事に関した部分だけ答えて、気持について触れるのは避けた。

本当は、いろいろ話せたらどんなにいいだろう。

その後は稽古。

久しぶりにストレッチをたくさんやった。

保育園に迎えに行くと、ガキ大将くんが小さな同居人の手を引いて私のところに連れてきてくれた。

小さな同居人は、仕方ないなという顔でガキ大将くんのされるままになっている。

というか、何故イヤなのに手を振り払わないの?

長いものには巻かれろ、ということを覚えたのか、それともちょっとは好きなのか?

帰り道、あんまり冷えるから小さな同居人の手袋を買った。

このサイズは1種類しかない。

キティちゃんを押すと、キュッて鳴るやつ。

手袋はめたら押せないし、押そうとすると、脱ぎたくなる。

オモチャにもなるよ、というのが売りだろうし、確かに可愛いけれど、手袋としては微妙だ。

案の定、小さな同居人はすぐに外して遊び始めた。

もう。

仕事をしていて、あなたはどうなの?と訊いてきた時の表情が頭に浮かんだ。

社交辞令的な言葉だとしても十分に嬉しいはずなのに、あの時、胸が痛んだのはどうしてだろう?

本当の気持は誰にも話せないからか?

誰だって、大人になれば、誰にも本当の気持は話せない。

私だけでなく。

その真理にも近い事実が、私をとてつもなく孤独にさせる。

あなたはどうなの?

訊いてくれてありがとう。

ありがとう。

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午前中、台本書き。

午後、小さな同居人の予防接種。

夜……近所の女優さんが訊ねてきてくれるというので楽しみにしていたら

なんと私が小さな同居人とともに眠ってしまった。

気付けば約束の時間を1時間以上も経過。

慌ててメールすると、寝かしつけで一緒に眠ってしまったのだろうと思っていた、という優しい返信が。

来週会ってくれるそうだ。

ああ、寛大な心に感謝である。

まったくもう。

最近寝かしつけてるのか、寝かしつけられてるのか、さっぱりわからない。

というか、私のほうが先に寝入ってしまってるかも。

小さな同居人の睡眠導入力?は最強である。

仕方ないので、台本をたらたら書いた。

あとは仕事のメール数本。

以前から、小さな同居人が私を噛みついてくる。

「痛いからダメよ」と教えると

最近は、自分の指を噛んでみせて、「へへ~ん、痛くないよ~」という表情をするようになった。

その「へへ~ん」という顔がすごく変で、本当に笑える。

教育効果を考えると笑っちゃいけないのだろうが、

あまりにも可笑しい。

噴出しそうになりながらもこらえて、「噛むのはダメ」ともう一度伝える。

立派にギャグ(しかも不条理ギャグ)として通用するような変顔である。

写真を撮っておいて、大人になったら見せてやりたいなあ。

今日は未来について人といくつか話した。

希望を感じたら、自分に対して否定的な気分が抜けてきた。

優しい気持や、感受性が戻ってきた。

気持が安定していないと、早書きはできない。

結局、気分を保つこと、そのための環境を整えることも含めて、仕事なのだ。

まあ、気分が悪いのを我慢して書くのもできるけれど

それだと普通のペースでしかはかどらないから、時給が落ちる。

自己否定は、役者の演技には必要だけれど、

いまやっているようなゲームとかオーディオドラマの台本の執筆にはほとんど不要だと思う。

まあ自家発電で自己否定や反省している分にはいいんだけどね。

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朝、ちょっと寝坊。

小さな同居人と慌ただしい朝を過ごす。

午前中、ゲームの台本をババッと書く。

かなりの短時間だがなかなかはかどった。

昼、昔の同僚とランチを食べた。

会ったのは1時間くらい。

いい気分転換になる。

同じ部署で勤務だった頃、よくこうして昼食を取ったことを思い出した。

あの頃は何を話したっけ?

彼は当時、すでに恋人のいる年上女性に恋心を抱いていた。

謎の多い女の人だったなあ。

お喋りしていたら突然、自分の店を出すかも、と言うので驚いた。

ほんとに?

あのマイペースなキミがそんなこと考えるようになったかね。

びっくりだ。

なんだか追い越された感じでちょっと悔しい。

いいなあ、大きな夢があるんだねえ。

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それだけは したくない

引き受けたゲームの台本、冷静に構成を確認したら、

結構な量だということが判明。

誤算。

不安で落ち着かなくなる。

でも考えてみると、妊娠初期の頃、ひと月でその2倍以上の量を書いたことがあるのだから、たいしたことないか。

気分を安定させて臨めば、大丈夫、と言い聞かせてみる。

それにしても何で

ちゃんと確認しないで引き受けてしまうのか。

最近、家主から私の仕事が「不労所得」だと言われ

暗い気分になる。

台本を書くなどという作業は

仕事に見えないということらしい。

やはりここから出て行かなければと思う。

小さな同居人は、自立、独立を誇りに思う、そういう人間と一緒にいなければ。

そうでないと、私と同じような偏屈な人間になってしまう。

まっすぐに育って欲しい。

私は独立を渇望しているが、

それは、反面教師として、得たものだ。

小さい頃、「女は旦那さんに食べさせてもらって」という言葉を繰りかえし聞き、

女であることをどれだけ呪ったか分からない。

別に専業主婦がいけないとは今も昔もまったく思っていない。

でも食べさせて「もらって」に含まれる意味に引っかかりを感じ続けていた。

少なくとも、その意味あいにおいて言うなら、

幼い子どもに押し付けるようなことじゃないだろう。

主婦の労働の価値を教えられる前に、無力感ばかりを植え付けられているよう感じ、

重たくて仕方がなかった。

本当は、自然なかたちで、

自らの足で立つことの素晴らしさを感じたいのに。

自分で人生を切り開く生き方を評価しない人もいる。

それは分かるんだけど。

自己愛の強い人間は、自分を正当化するための真理を編み出して、子どもに伝える。

そして、自分とそっくりな人間を再生産しようとする。

私は、それだけはしたくない。

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するのも されるのも

新年。

と打ち込もうとしたら、信念が最初に出た。

今年が信念の年になりますように。

元旦も二日も、首と肩が痛んで、かなり調子が悪かった。

今日は調子がいい。

さわやかな元旦でなかったのが残念。

二日に初詣に行っておみくじを引いたら

大吉だった。

短気に気をつけて、気長にね、みたいなことが

争いごと、人間関係、学び、総運のところに書いてあって、

びっくりした。

短気だとは思ってなかった。

気が変わりやすかったり、決断が早いだけなのだと思っていた。

そっか。

短気の可能性もあるな。

根気がないから、気が変わるとか?

気をつけなくちゃ。

なんだかここのところずっと気持がぐらぐら、ゆらゆら、している。

音と匂いは似ている。

どちらも、記憶と結びつくと、どうしようもないほど鮮やかな情景となり、

頭から追い出せなくなる。

最近、頭にこびりついてしまった旋律がある。

胸の中でその音楽が鳴り始めると、落ち着かない。

どこかが痛くなる気がする。

演奏を聴いている時の、なんでもない光景を思い出す。

その時の心境も。

気持を落ち着かせたくて、親しい人に電話をしてみたが、

うまく説明できなかった。

小さな同居人は、「じってんしゃ(自転車)」「ぽっぽ(鳩のこと)」と言えるようになった。

「かえるの歌」「ぞうさん」「げんこつやま」に合わせて踊ったりもする。

これまで小走りという感じだったが、今日は大人のようなフォームで走った。

でもまだ、靴を履くと難しいかもしれない。

ここ一週間くらいでソファに登れるようになった。

そのうちジャンプして降り始めるかもしれない。

危なっかしい。ドキドキしてくる。

一緒に散歩をしていたら、鳩に向かって「だっこ」と叫んでいた。

鳩に抱っこしてもらいたいのか、鳩を抱っこしたいのか、どっちだろう?

でもたぶん本人にとってはどちらでも同じことなのだ。

己と他者の境界線がまだはっきりしないうちは、するのもされるのも、違いはない。

今日はたくさん仕事をした。

明日もこの調子で頑張りたい。

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