それだけは したくない
引き受けたゲームの台本、冷静に構成を確認したら、
結構な量だということが判明。
誤算。
不安で落ち着かなくなる。
でも考えてみると、妊娠初期の頃、ひと月でその2倍以上の量を書いたことがあるのだから、たいしたことないか。
気分を安定させて臨めば、大丈夫、と言い聞かせてみる。
それにしても何で
ちゃんと確認しないで引き受けてしまうのか。
最近、家主から私の仕事が「不労所得」だと言われ
暗い気分になる。
台本を書くなどという作業は
仕事に見えないということらしい。
やはりここから出て行かなければと思う。
小さな同居人は、自立、独立を誇りに思う、そういう人間と一緒にいなければ。
そうでないと、私と同じような偏屈な人間になってしまう。
まっすぐに育って欲しい。
私は独立を渇望しているが、
それは、反面教師として、得たものだ。
小さい頃、「女は旦那さんに食べさせてもらって」という言葉を繰りかえし聞き、
女であることをどれだけ呪ったか分からない。
別に専業主婦がいけないとは今も昔もまったく思っていない。
でも食べさせて「もらって」に含まれる意味に引っかかりを感じ続けていた。
少なくとも、その意味あいにおいて言うなら、
幼い子どもに押し付けるようなことじゃないだろう。
主婦の労働の価値を教えられる前に、無力感ばかりを植え付けられているよう感じ、
重たくて仕方がなかった。
本当は、自然なかたちで、
自らの足で立つことの素晴らしさを感じたいのに。
自分で人生を切り開く生き方を評価しない人もいる。
それは分かるんだけど。
自己愛の強い人間は、自分を正当化するための真理を編み出して、子どもに伝える。
そして、自分とそっくりな人間を再生産しようとする。
私は、それだけはしたくない。
| 固定リンク
« するのも されるのも | トップページ | »
最近のコメント