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2011年2月

まほう の じかん

先日、小さな同居人とめぐり逢ってから、一年と半年を迎えた。

目をつむるとまぶたの奥で、これまでの日々が、

メリーゴーランドのようにまぶしく鮮やかに駆け抜ける。

あの日以来、私は奇跡の時間を過ごしているのだ。

小さな同居人は今日も、

つま先で立ったり、くるりと回って踊ったり、アイドルのように口に手をあてて笑ったり、どうぞと言って絵本を差し出したり、しゃがみ込んで足の間から世界を眺めたり、ブランコに一人で乗ったり、つないだ手を振り払って走り出したり……

素晴らしいことを次々とやってのける。

一日の終わり、ほかほかした小さな掌に口づけする。

今日もありがとう。

魔法の時間をありがとう。

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ぼうれい との かいわ

深夜、学生時代の古い友人から突然電話が掛かってきた。

近況など語り合う。

友人に好きな人がいることは以前から感じていたが、

本当のことを知って、驚いた。

そんなに長い間、一途な恋をしていたのか。

時々しか連絡を取らないし、こっちの片想いかもしれない。

でも心の中にその人が棲みついているから

長いこと逢わなくても何も不足はない、満足。

その言葉を聞いて、私は何故か、友人の孤独を思った。

孤独にも二種類ある。

心の中まで一人ぽっちな孤独と、心の中に誰か棲んでいる孤独。

友人の言葉を聞いていて、後者を連想した。

友人が本当に孤独かどうか、実際には分からないけれど。

私は後者に陥ることがよくある。

いつも心の中の人影と会話しているから淋しくはない。

でも時々、その人影が半分透けて見える瞬間があって、

ああ、これは亡霊なのだな、

私は現実にはいない、脳内で作り出した架空の人物と話をしている、

今話している人は、私自身の化身に過ぎないのだなあ、

と痛いほどに感じて、すごく悲しくなることがある。

私は、心の中に棲みついてしまった人物とは、現実世界では会わなくなってしまうことが多い。

師匠しかり。

舞台で知合い、私にあまりにも強い影響を与えた古い友人たち何人か。

師匠は、私の頭の中ではもう20年近く亡霊であり続けたが、この前、現実世界でもそうなってしまった。

いまだに舞台を作るたび、師匠と古い友人たちの亡霊と、私は格闘している。

私の場合、恋愛対象の人物が心の中に棲みつくことはまずない。

というか私にとって恋愛は非常に現実的なので、

その人が心の中に棲みついたら、

つまり、現実から離れて仮想の世界に入ったら、

関係は終わりになる。

電話を切ったところで、親しい人からのメールに気付いた。

返信を打ちながら

最近の自分は本当の気持を語らず、耳障りのいい言葉ばかりだと思った。

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つばめ の みかた

小さな同居人は朝起きると、まず絵本を持ってくる。

今一番のお気に入りは、「おやゆびひめ」だ。

この絵本は絵は可愛いのだが、文章が幼児向けでないので、

私が適当に編集して読むことにしている。

小さな同居人が好きなシーンは、冬が来て凍えるところ。

木の葉のコートを身に着け寒がっているお姫様のマネをして喜んでいる。

王子さまと出会うところでは王子にお辞儀をする。

この話、ツバメに同情を感じるのだが、きっと作者のアンデルセン自体もそう思ってたんだろうな。

なんとなく、後半はツバメ目線で書いてある気がする。

お姫様はどうして王子さまを選んでしまうのかなあ。

ツバメが可哀想だ。

気持を打ち明けないで、お姫様の幸せを見守る決心をするツバメもツバメだ。

(いや、そうは書いてないんだけど、私はそう読んじゃう)

焦れったいなあ。ツバメ。

と、ツバメにばかり感情移入しちゃうのだ。

ツバメはあんまり冴えてない感じの男って感じ。でも実直。真心はある。

王子さまは生まれながらにして、カッコいい男。身分とか才能にめぐまれてる人なのね。

ドラマとか見てても私はたいてい前者の味方。

うん。

私は断然ツバメを応援する。

昨日、最後の原稿を入稿し終えた。

これから学校が始まるまで、ひと月。

それまでは時間が結構あるはずだ。

このスキに秋の本公演と、音楽劇の台本の構想を練るつもり。

楽しみだなあ。

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ぐるぐるどかーん

明日は荻窪「クレモニア」で本番。

予約は一週間前に予想動員の120%以上に達し、

あえなくそれ以降のお客さまにはお断りを入れている。

2回ステージで計画すればよかったなあ。

正直、荻窪はアウェーの地。こんなに殺到するとは思わなかった。

とても嬉しいが、ほんとうに予想だにしなかった結果で、驚いている。

お断りしたお客さまには本当に申し訳ない思いでいっぱいだ。

ごめんなさい。

この次、計画する時は、もっと考えます。

小さな同居人は、

おとといは「はと」昨日は「せんせい」今日は「ばなな」と言葉がどんどん増えてゆく。

私が「ああ~まただだをこねてる~」と時々言っていたら

「だだ」が気に入ったらしく、ベビーカーに乗っている時、

「だだ~」「だだ~」と連呼する。

今日は午前中は川沿いの道を散歩。

おとなしいゴールデンレトリバーと出会う。

仲良くしていたら、小さな同居人は顔を舐められて、大喜び。

猫とも出会う。

この猫、時々遭遇する。

小さな同居人はこの猫にお辞儀をして挨拶する。

いつも角に立っているので「辻猫」と命名したい。

目があうたびに何故か鳴く。太っているし、お腹が減っているのでもなさそう。

淋しい、というより淋しがりやなのだろう。

午後は通し稽古と打ち合わせ。

帰ってきて、当日パンフや配布物の印刷。

小さな同居人は「ぐるぐるどかーん」ばかり見たがる。

今のところ、テレビやDVDはまったく見せていないが、「ぐるぐるどかーん」と「ころころりんとごろごろごん」だけは例外にしている。

映像を見せない理由は、夢中になりすぎることを懸念して。

母などに聞いたところによると、

私は小さい頃、本も好きだったが、テレビ漬けでもあったらしい。

だから馬鹿なのかもしれない、と最近思う次第である。

映像って見てると頭が麻痺してきて、なんか中毒っぽくなる。

あれがいかんのでは、と思う。

「ぐるぐるどかーん」は振付が気に入ったらしい。

二、三日にいっぺんくらいしか見せていないのに、

ほとんど一日中、夢中で踊っている。

確かにあの音楽、麻薬っぽいよね。

私も頭の中でずっと前奏の部分が鳴っている。

明日はなかなかタイトなスケジュールだけれど、

とにかく楽しみつつ頑張ろう。

子どもたちに喜んでもらえるといいなあ。

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「ちびたんとねむりひめ」本番。

朝から三鷹市福祉会館で仕込み。

なんだかいろいろあって、仕込みに手間取ってしまったが、

なんとか本番を無事迎えられた。

お客様の反応は最初少し固い感じだったが、

だんだんノリがよくなってきた。

仕込みがなんかきつかったので、体力的に大変だったけれど、

楽しめる本番だった。

「ロボットくん、好きです」と言われてちょっと照れた。

子どもたちに喜んでもらえて、本当に嬉しい。

帰りに、ワークショップと次の作品のご注文をいただいた。

ありがたい。

重ねて注文をいただけるということは、何よりも

喜んでいただいたという証だと思っている。

飛び上がるほど嬉しかった。

帰宅して小さな同居人との時間を過ごす。

つむじを曲げてしまってなかなか私を構ってくれないが

夜になると、私にぴったり張り付いて離れなくなった。

淋しかったんだね。

ごめんね。

深夜、寝かしつけてから原稿をひとつ仕上げて入稿。

やっとひといきつけるかな、と思っていたら

小さな同居人が目を覚まし、泣き出した。

おっぱいをやり、抱き締めても、だっこだっことせがむ。

もう抱っこしてるのに。

お腹の上に乗せて揺すってやると、その時だけは眠るのだが、

降ろそうとすると、起きてしまう。

寝ているのに、肩がパンパンになってきた。

結局私もいつのまにか眠ってしまった。

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リハ

今週本番なのに、ゲーム台本の加筆依頼がどどっと送られてきた。

展開上、分量を多くしたいとのこと。

困った。

とにかく大量に書き増さなければいけない。

ゆうべは朝の四時まで執筆。

今日はリハ。

雪の中、小さな同居人とともに会場に向かう。

たまたま近所の会場を手配できてよかった。

子供劇だから、小さな同居人に見てもらおうと思ったのだが、

慣れない場所だから心細くなったのか、

私にすがりついて離れない。

仕方ないので共演者たちに話し、

最初の30分くらいは抱っこしたまま演技をする。

抱っこするとさっきまでの不機嫌が嘘のよう。

私の腕の中でニコニコと、舞台を堪能している。

途中、歌手さんメインのシーンで落ち着いたので、

お願いしていたシッターさんに頼んで客席側で見てもらうことにする。

歌や踊りの最中は、とても楽しそうに身体を揺らし、リズムに合わせている。

小さな同居人の反応で、

どこが面白く、どこが退屈なのかが痛いほど分かった。

演出サイドとしてはとても有意義。

リハの後、早速直しを掛けた。

それにしても小さな同居人と一緒に演じることを許してくれた、寛大な共演者たちに

心から感謝である。

小さな同居人が、リハ中、奇声を発したりすることもなく、

芝居と音楽を楽しんでくれたことにも驚きを感じた。

リハの後、あさっての本番で使う道具類を荷出し。

そして打ち合わせ数件。

本当にくたくた。

それにしても、髪はぼうぼう、言うまでもなくノーメーク。

これじゃいかんなあ。

もともとなりふり構わずの人間だけど

最近さらに磨きが掛かってる気がする。

こんな私に、親しい人はいつも優しい言葉を掛けてくれる。

言われているうちに、本当に可愛くなれるような気がする。

言葉の魔法。

小さな同居人とともに一度眠り、深夜起き出して執筆。

こっちはほんとの魔法について書く。

さて、寝よう。

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ふわふわ しろい ゆき

園に送ろうとして、玄関の扉を開けたら、みぞれから雪に変わるところだった。

小さな同居人にとっては一年ぶりの雪だ。

(それまでも雪がちらついたことはあったが、だいたい昼寝中だったりしたので)

「ほう、ほう、ぷったんにゅにゃんぶっぷっまなにゃ」という反応。

最近、大人の使うような単語もちらほら飛び出すが、

宇宙語?もさらに達者になってきた。

痛がる時は、「いたたた」だし、物を発見した時は「あった、あった」と言う。

靴下を脱いで隠し、それを私が発見すると、あったあったと興奮する。

自分でそこに隠したくせに。

園に着くと、ちょうど午前のおやつの時間。

みんなで小さなテーブルを囲み、エレガントな紳士淑女になって、ティータイムを楽しんでいる。

小さな同居人もエプロンを自分で身につけ、静かに着席する。

ドキドキしながら見守っていると、なんとお茶もおやつもこぼさずスマートに食べている。

家で食べる時は、あんなにしっちゃかめちゃっかなのに。

夢のように、エレガント。

誰に強制されたわけでもないのに、どうしてみんなあんなに行儀がいいんだ?

しかも楽しんでる様子だし。

外に出ると、雪はさらに本降りになっていた。

親しい人に「雪だよ」とメールしようとして、「幸」と打ち間違えた。

いや、間違いじゃないのかな?

幸が降ってくるなんて、素敵。

雪と幸。

フワフワ、白いところは似ているかも。

ゆきの降りしきる中、未来のことを考えながら、歩き続けた。

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ねばりけ

お風呂の時、小さな同居人は私の背中に隠れてじっとしていることが多い。

「あれえ?どこにいったのかなあ」などと言うと、クククと忍び笑いをもらす。

飛び出してきたい気持でウズウズしながら私に発見されるのを待っている。

私が振りかえって「つかまえた」と言うと、嬉しくて笑いが止まらない。

つかまえて欲しいのは、入浴時に限ったことではなく、いつでもどこでもである。

突然、私を意味深な目線でチラッと見た後、物陰にさっと身をひそめ、じいっと待っている。

私は探しまわるフリをして、ぬいぐるみのクマやロディに「どこに行ったか知ってる?」などと訊ねてまわる。

そして、最後に発見して「みっけ」とか「いた~」と叫ぶと、キャハハハと笑い転げて逃げてゆく。

最近は、私の身体を洗いたがるようになった。

石鹸を手につけて、私の背中とか脚をこすってくる。

その後、シャワーを私に向ける。

アヒル隊長(お風呂用おもちゃ)を洗ってあげて、と言うのだが、

反応がないからつまらないらしい。

私が相手だと「くすぐったい」とか「つ、つめたいっ」とか「わあっやめて」とかいろいろ悲鳴をあげるから面白いのだろう。

他にもご飯を食べさせたがったり、

トイレに一緒に入るとペーパーをちぎって、私の脚の間に挟んできたりと

とにかく私の世話を焼きたがる。

嬉しいけれど……自分でできるんだよ。

私は、こう見えても大人だから。

深夜、人と話をする。

大切な人と問題が起こったとき、距離を置くことでしか、自分の気持を表現しないのは、損だ。

そんな話をした。

距離を置いたり、冷静さを保つのは、失敗を恐れるから。

とその人は言う。

失敗とはなんだろう?

取り返しのつかない、本当の失敗って、

大切な人から必要とされなくなってしまうこと。

執着を持たれなくなってしまうこと。

必要とする、とか執着する、って粘り気のある感情だと思う。

おそらく愛は、その粘性によってコーティングされ、保存されるのだ。

ちなみに何もコーティングされていない愛は、宗教における「愛」かな。

守りのない、感情だけがあふれる瞬間、人は人に対して、激しい愛着を感じる。

小さな同居人との生活から、私はそれを学んだ。

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やさしさ を つらぬく

プライドを守るために、人に優しくできない人と、

プライドを持つがゆえに、人に優しくする人がいる。

私は後者になりたいと思う。

本当の意味での誇りを持ち、自分に自信を持っていれば、

他人の気持を大切にできるはずだ。

周りの人たちに、いつもノビノビしていて欲しい。

だから、人のために何かしようというとき、「してあげようか」とは言わない。

「ありがとう」を言われなくてもとんちゃくしない。

でもだからと言って、彼らが私を踏みつけてもいい、わけではない。

対等なところに立つ、というのはすごく勇気がいる。

その辺にある適当な台の上に立って、人を見下ろしながら話すのは簡単だ。

安全だし、怪我がない。

でもフェアではないし、そんなことで守られるプライドは、本物のプライドではないと思う。

優しさを貫くには、強くなる必要がある。

肝に銘じよう。

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かなしい きぶん

新規のところから台本の仕事が来るかもしれない。

来たらなるべく頑張ろう。

仕事、とにかくやらなくちゃ。

とりあえず、今月締め切り2件。そっちを早くなんとか仕上げないと。

悲しい気分が抜けない。

何が悲しいのか、うまく言葉にできない。

オドオドした気分になるのがイヤなのに、

とうとうそうなってしまった。

オドオドしてしまうと、感覚が鈍磨する。

感情が抑圧されて、ぼんやりと悲しい気持だけが残る。

少し昼寝をしたら気分が戻ったので仕事にかかった。

短時間だがよいペースで書けた。

続きは夜中にやろう。

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