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2011年3月

ちゅう えへへ

午前中は知人から頼まれた仕事を仕上げ、メールで送った。

昼、懐かしい街で、人と会った。

カフェのようなところでご飯を食べた。

唐辛子が入りすぎていて閉口していたら、相手が箸でつまんでぜんぶ取ってくれた。

なんだか実験みたいで面白かった。

小さな同居人は、ドアの開け閉めが好きだ。

トイレに入っていると、ドアを開けて入ってくるのだが、そのうち「ククク」と笑いながら出てゆき、扉を閉めてしまう。

本当は開けて出られるけれどドアをドンドン叩いて「開けて、開けてよ」と言うと、キャッキャッという笑い声が聞こえる。

そして扉をまた開けてくれる。

私が出ようとすると、また扉を閉めてくる。

またドンドン扉を叩いて頼む。

笑い声。

その繰り返しだ。

それにしてもドアノブはだいぶ高い位置にあるのだ。

よく手が届くなあと感心する。

背伸びが得意なのか?

そういえばバレリーナのように爪先立ちで歩いていることがある。

今朝。

小さな同居人が「さいた~」と歌いながらオモチャのピアノを弾いていた。

もちろんデタラメなのだが、ときどき、音程があっている。

偶然かもしれないが。

歌と楽器が結びつけたい、という気持が起こってきたらしい。

最近、叱られたりして都合の悪いことが起こると、

ほっぺたにちゅうしてきてエヘヘと笑う。

困ったものだ。

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たんぽぽ

今日は園を休んだ。

二人で一日一緒にいた。

小さな同居人は熱もないし、咳もおさまったし、いたって元気だ。

散歩三昧で楽しく過ごした。

公園でタンポポを見つける。

小さな同居人はまだ絵でしか見たことがなかった。

「タンポポだよ」と言うと、すぐには分からなくてぼうっとしていたが、

「ほら、ちょうちょのカレンダーにあった黄色いお花、タンポポ」と言うと

分かったようで「あ~っぽぽっ」と答えた。

午後、元劇団員が子供を連れて遊びに来た。

元気そうで何よりだ。

小さな同居人は「さいたさいた」などを歌ってみせる。

客人の前だと緊張するのか、声が小さい。

気の弱そうなところを久しぶりに見た。

内弁慶、外地蔵なのだな。

被災地の孤児たちのことが気になる。

何人いるのか、どこにいるのか、行政も正確には把握できていないとのこと。

頼る人のいない子どもがたくさんいるのだろうか?

自分に何ができるのか、考えているだけで、どんどん時間が過ぎていってしまう。

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さいた~

小さな同居人が、かなりはっきりとした口調で歌うようになった。

今は「チューリップ」がお気に入りだ。

「さいた~さいた~」と振付つきでくちずさんでいる。

(歌えるのは「さいたさいた」のところだけ)

言葉もそんなに喋れないうちから歌って踊るのだから、

歌や踊りというのはよほど本能に近いのだろう。

「いつもいっしょに」という絵本を読んでいるとき、

ウサギがドアをノックする音を、机や床を叩いて表現していたら、

マネするようになった。

そのページを開くやいなや、コツコツと何かを叩いてみせ、

その後、ウサギのマネをする。

頭に両手をあてて(これはウサギ)、そして、自分を抱き締め「ううう」と言う。

自分を抱き締めるのは、寒がっているつもりなのである。

クマが泣くシーンでは、「えんえん」と泣きまねをしてみせるし、

ラスト近くでもやはり泣いてみせる。

演じるのも本能なのだろうか。

三角や丸や半丸、四角の積み木を

それぞれの形にくりぬいた穴から箱に落とすオモチャがある。

今日久しぶりに遊んでいるのを見たら、

ほぼ全部のかたちを完璧に落とせるようになっているので驚いた。

単なる四角などではない、複雑な形のものもあるけれど、

それもきちんと穴にはめて落としていた。

成功すると、自分で拍手して喜んでいる。

赤ちゃんの脳ってすごいなあ。

何も分からずに生まれてくるのに、一年と半年で、こんなに高次のことができるようになるなんて。

形を認識、同じ形の穴を認識、指先を動かして形にはめこむ、成功して嬉しいという感情に結びつける……。

教育して、というより自然にそうなってゆくのだからすごい。

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ひょうげん

午前は打ち合わせ。

昼、帰宅してから、晩ご飯のおかずを作った。

夜は久しぶりに劇団ミーティングだ。

秋公演のことを話し合う。

表現活動で、今、何ができるのか。

しっかり考えなければ。

意見を交し合い、刺激を受けたい。

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あのよ の まっく

昼、仕事がひと段落。

ふと昔の仲間のことを思い出して電話してみた。

話の流れで久しぶりにお茶を飲むことになった。

十年ぶりに会ってやっと分かった。

彼は変人ではない。

ノリというか、行動が不思議なだけで、考え方は普通の男なんだ……。

いや、それも含めてやっぱり変人と呼んだほうがいいのか。

今はどんなピアノを弾くのだろうか。

この前のコンサートには行き損ねてしまったので、次回はぜひ聴きにゆきたい。

亡くなった師匠の話もした。

師匠を美化しない、これが私と彼の、昔からの共通点。

彼は昔から私のことを「ハチャメチャな女」と呼ぶ。

そのたびに違和感がある。

ダメ女と言われるならともかく、ハチャメチャ。

私はそんなに自由じゃない。

型にはまってウンウン唸っている側の人間だ。

だから自由を求めてるのに。

師匠の話をしていたら、無性に会いたくなった。

師匠は底意地の悪い一面を持っていたが、何故か私の人生相談に対して、優しかった。

ひどいことを言われたりされたりしたのは

私に関しては芝居関係だけだ。

でも、師匠はプライベートでも容赦なく人を傷つける人だったはずだ。

今から思い返すと、師匠から愛されていなかったからなのではないかと思う。

師匠は付き合った女や、弟分をいつもこっぴどく傷つけていた。

猫が獲物で遊ぶみたいに、最後はボロボロにしてしまった。

傷つけられた人間は、中毒みたいになってもっと傷つけられようとするか、

心の病気になるかのどちらかだ。

愛されていなかったのかもしれないが、それはそれでいい。

むしろ、愛されていなかったから、ボロボロにされなくて済んだ。

師匠と話したくなった。

相談している最中、なんとも言えない優しい、物悲しい、犬のような目で、私を見ることがあった。

師匠のアドバイスはほとんど参考にならなかったけれど、

話を聞いてもらうのは好きだった。

深夜のマックでコーヒー飲みながら、また、お喋りしたいなあ。

いつか私も死んだら、また師匠に人生相談できるだろうか。

ところで。

あの世には、マクドナルドがあるのかしら?

昔のことなど思い出して心がゆらゆらしたせいか、

物語を書きたくなった。

深夜、運河の街の物語を書く。

筆が進んだ。

深夜、人から短いメールが来ていた。

顔文字って正直よく分からないけれど、気持が少し伝わってきて、嬉しかった。

この人も

犬のような目をしていることがあるな。

そう思ったらなんとなく安心してきて、眠くなった。

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きえてから さがしても

今日は午前中仕事。

昼過ぎ、若い友人とお茶を飲んだ。

彼はサラリーマンだけれど、趣味で病院ボランティアと演劇をやっている。

私なんかよりよほどしっかりしているのに、いつも意見を真面目に聞いてくれる。

謙虚で、爽やかなだけでなく、現実的な視点が備わっているので、こちらも遠慮しないで話ができる。

刺激されて、なんかもっと頑張ろうという気持になった。

ありがとう。

帰宅して少し仕事してから夕飯の用意。

小さな同居人は鳥もも肉の照り焼きが、とても気に入ったようだ。

入浴して寝かしつけ。

昼寝を少ししかしなかったせいか、寝つきがいい。

この連休、仲良しと話したり会ったりできてよかったなあ。

地震以来、顔を合わせる、ことにとても意味を感じている。

人間ってすごくはかない。もろい。

突然消えてしまう存在なんだ。

震災で、そんなことを頭に、身体に叩き込まれた。

無意識のうちに、存在をきちんと確かめたい感じたい、と思っているのかもしれない。

人間の肉体もはかないが、感情もまた、はかない。

数日前は鮮やかだった気持も、何かがきっかけでふっと消えてしまう。

消えてから探しても、もう遅い。

二度と見つからない。

今はそれがとても怖い。

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おれんじいろ に そまる

両親と姉が来ていて、小さな同居人はとても楽しそうだ。

はしゃいだ声に、家の中の空気が、オレンジ色とかピンク色とか、華やかな色に染まってゆくようだ。

ついに、二語文が出てくるようになった。

ママ、あった(ママがいた、という意味だと思う)とか、

ワンワンかいて(犬を描いてくれ)とか、次から次へと出てくる。

ほっぺにキスしてくるようになった。

特に、何か都合の悪いことが起こった時や、何か許して欲しい時などに。

にこにこっと笑ってから、ちゅう、と吸いついてくる。

ここ数日、「ちょうちょ」の歌がブーム。

音楽に合わせて、手をひらひらさせ踊るようになった。

夜、古い友人と中華屋でご飯を食べた。

友人は紹興酒、私はひたすら食べる。

話題は、大河ドラマをどんな監督さんに撮ってもらいたいか、とか

震災のこと、原子力のこと、小さな同居人のこと。

それから、お互いの近況について。

人情味あふれる言葉に、ほろりとくる。なんだか救われた。

瞬く間に時が過ぎてゆく。

もっと一緒にいたいのになあ。

肩を並べ言葉少なに夜道を歩いた。

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せいだく あわせ のむ

御徒町に行って、自転車を見てきた。

4月から学校が始まる。

朝は小さな同居人を園まで送って行って、そのまま学校へ向かう。

時間がギリギリなので自転車でないと間に合わない。

帰り道は上り坂になるので、電動自転車にした。

漕ぎ始めのふらつきをこれで防止できる。

小柄な私に合っているものは、種類が限られる。

せっかくなのでデザインが気に入ったものにした。

ちょっと値は張る……。

まあなんとかなるか。

貯金もしなければならない。やりくりしなくちゃ。

今日はいろんな人とメールや電話でやりとりした。

大阪にいる会社時代の先輩、大学時代の友人、映像を作っている親しい人。

古いつながりばかり。

地震のこと、近況など、報告しあう。

優しい言葉が往復する。

ありがとう。

なんとなく落ち込んでいた気持に、色彩が戻ってきた気がする。

ふと、私は言い訳しない大人でありたいなあ、と思った。

正しいか、正しくないか、だけを行動の基準にしていると、

人を追い詰めてしまうことがある。

何が幸せか、実はそれが一番大切なのかもしれない。

「清濁合わせ呑む」ような考え方は、生理的にはあまり好きではなかったのだが、

すとんと、もっと大らかにいこうや、という気分になってきた。

私は一般的にはどうみても「正しくない人間」の部類に入る人間なのだ。

それなのに友人たちはみんな優しい。

私も大きな人間になりたい。

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こわい できごと

すごく怖いことがあった。

とりあえず対策を講じなければならない。

業者を手配。

どうしたらいいのか、具体的な方法は分かっているけれど、気持が動揺している。

心細い。不安だ。

なんかめまいみたいな、ぐらぐらした感じを覚える。

こういう時、共感したり、気持を引き受けてくれたりしてくれる人がいない。

うんうんと頷いて、話を聞いてくれたらいいのに、と思う。

不安ながらも午後は音楽スタジオに頼まれた地図の作成作業をした。

だいぶはかどった。

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こめ を わかちあう

小さい袋だけどお米をやっと買えた。

レンジでチンするご飯は、小さな同居人はあまり好きではない。

これで炊きたてご飯を食べさせられる。

たくさん料理を作った。

煮魚、手羽元の照り焼き、トマトスープ、クリームシチュー、カブの葉の炒め物。

常備菜として作りおきしてあったベビーホタテの生姜煮を刻み

しいたけ、米とともに炊飯器へ。

おいしい炊き込みご飯になった。

人が来て仕事を手伝ってくれた。

お米がない、というのでビニール袋に入れて渡すことにする。

ソファに座って、今後を語り合う。

少しだけ気分が落ち着いた。来てくれてありがとう。

私は謝らない人を、尊敬できない。

わざとやったことじゃなくても

自分の行動が人にとって悪いことにつながったなら

やはり謝るべきだと思うのだ。

そして、今度はこうするね、と提案する。

関わりあいを深化させてゆく上で、とても大切なことのように思う。

理由を語るのはいい。

それぞれの人に

それぞれの都合があるのだから。

でも、理由ばかり「主張する」のは間違っている。

何故ならそれは、相手の理解と許しを前提にした甘えだからだ。

前提にするということは、相手の心の自由を、侵すということ。

たいそう、美しくない。

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いたい いたくない

午後は久しぶりに集中して作業ができた。

夕方、突然電話が鳴った。

古い友人から。

久しぶりに私の家を訪ねてきたいとのこと。

夕飯をご馳走した。

私と小さな同居人がお風呂に入る間は、

仕事をして待っていてもらった。

それなのに寝かしつけをしていたら、眠ってしまった。

揺れで目が覚めて、リビングに行くと、仕事をしていた。

二人でお茶を飲んだ。

私は今回の地震と関連して感じたことをいくつか話した。

知らなかった一面に接して、人に違和感を持ったこと。

大人って何だろう?

友人は、プライドが高すぎて、周りが見えない人間は痛い、という話をしてきた。

親しい人が、実際は明らかにリストラの口実として言われたことを、上司の言葉を「認められた」と誤解して有頂天になっていたそうだ。

友人を含めて、誰も本当のことを言えなかったが、しばらくしてから本人もやっと真実を理解した。

「無意識に本当のことを分かりたくないって思っていたんじゃないかな。プライドを守るために」

友人は「ほんとに痛い」と少し悔しげに言った。

たしかに。

周りの人が全員気付いているのに、本人だけが知らないことって、結構ある。

たいていの場合、本人も、意識の奥のほうでは分かっているのだ。

ほんとのことを受け入れて、かっこ悪くても、もがいて頑張ればいいだけの話なのに、

真実を認めたら、

自分という人間がガラガラガッシャンと崩壊しちゃう、と思い込んだ結果、

他人にも自分にもうそぶくのが習慣になってしまう。

「違うよ、自分はすごいんだ、かっこいいんだ」

別にすごくなくても、かっこよくなくても、いいじゃない?

そんなことより、

自身を直視して、何ができるか考えられるという能力のほうが、

よっぽど大切だと思う。

自分をまっすぐ見つめるって、苦痛だけどね。

でも、その痛みに耐えられたら

「痛くない」大人になれる。

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はぐくむ

職場やネットなど、

ある程度の距離感がある人間関係の中で、

つまり

他人の目があるところで

人に優しさを示すのは簡単だ。

賞賛されるから派手な満足を得ることができる。

家族や親密な人に優しくするのは

とてもむつかしい。

他人の目がないところ、

他人からほめられる見込みのない場所で

優しさを保つには、本当のプライドが必要だ。

私は街中とか駅とかで、困っている人を見かけるとすぐに助ける性質だ。

でもそれは本当の優しさとは違う。

自己満足のためなのだ。

誰もほめてくれなくても、見知らぬ誰かを助けるなんてすごいと

自分が自分をほめている。

助けること自体は善行だから続けてゆくべきだが、

私の自己満足は少し醜い。

そう思っている。

それにくらべて、

親しい人には、意識的にでないと、優しさを示すことができない。

優しくしても、近い間柄だと当たり前なので誰もほめてくれないし、

第一、気付いてもらえない。

落胆する。

そんな馬鹿げた落胆を感じる自分に落胆する。

そしてそのあと……立ち直る。

自分が少しだけ大人になった気がする。

誰も見ていないところでも、

手を抜かず生きてゆくことが、少しずつ

できるようになったから。

広く浅くを目指す関係の中で、明るく素敵な人間を演じるよりも、

地に足つけて、

人と向き合いたい。

親しい人ともっと親しくなりたいし、仲間とはもっとぶつかり合いたい。

そのためにも、優しさと思いやりを、忘れずにいたいなあ。

省かずにいたいなあ。

それが愛を育むということなのだと思う。

親しい人に優しくするためには、相手の人間性を踏まえなければならない。

相手をよく知らなければ、優しくできない。

つまり、とても高い水準の知力と心の強さが必要。

私にできるだろうか。

私は近しい人と、愛を育むことができるだろうか。

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うんが の まち で

組曲を聞きながら、物語について考えをめぐらせる。

運河の街のものがたり。

アイディアはだいぶ浮かんだ。

以前から持っているテーマなので自分にとっては新鮮味がないが、

プロットはなかなか刺激的だ。

というか、あまり新しいテーマって、

浮かんでこない。

昔、大作家の誰かが言っていた。

いかに多作でもそれは皆「処女作のバリエーション」に過ぎない。

本当かな。

私に関しては当たってる。

仕事で書く台本以外は、テーマはほとんど同じだ。

他人からはそれなりにバリエーションがあるように見えるらしいが、

私の中ではやっぱりつながっている。

でも才能のある人は違うんじゃないかしら。きっと。

いろんなテーマのものを書ける、ということと

いろんなテーマを持てる、ということは

まったく異なる。

私は前者だが、後者にはなれない。

だが、私が本当になりたいのは、後者である。

久しぶりに書きたくなってきた。

処女作以来続いているテーマが、久しぶりに切実になってきたから

というのもあるし、なにより、魅力的な音楽に出逢ったから。

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ゆれ

寝かしつけているうちに眠ってしまった。

揺れで目が覚める。

眠ったままの小さな同居人の上にかぶさるようにして、息をひそめた。

しばらくしてテレビをつけた。

震源は静岡。

東海か……なんだか怖い。

何故だかこの数日で体重が減ってしまった。

何かお腹に入れよう。

ゆうべ、私は一人なんだと痛いほど感じた。

誰にも頼れない。

悲しいけれど、静かに受け止めよう。

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気分が重く、立ち歩くのもやっと。

動悸が激しい。

どうしたんだろう、私。

小さな同居人が微熱を出し、保育園に迎えに行く。

後で知ったが東京は午前中、放射性物質が通過していたらしい。

心配ない量のようだけれどやはりいい気分はしない。

おとといくらいからお米が切れて買いに行ったら

どこにも売っていなくて驚いた。

仕方ないのでレンジでチンするパックご飯を買い置きした。

小さな同居人は炊きたてのご飯が何よりも好物なのに。

これからしばらくはうどんとパンと、レンジのご飯で我慢してもらわなければならない。

チャーハンにすれば食べるかな。

とりあえずある分でなんとかしのごう。

幸いパンは近くにおいしいパン屋があるし。

パソコンを開いたら、最近親しくなった人からメールが来ていた。

彼とは遠慮なくはっきりと物を言い合っている。

言い合う一方で、互いに持っている優しい感情も言葉にするから

安心なのだ。

機嫌を取らないと成り立たない関わりなど

健全ではない。

悩みや弱さ、疑問をぶつけあってこそ

信頼は築かれる。

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なに が できる

11日に起こった地震のため、

小さな同居人は少し落ち着かない。

おっぱいばかり欲しがって私の姿が少しでも見えないと、動揺する。

小さな同居人を守るため、

地震、火事など起こりうる災害を予想しシミュレーションしてみる。

荷物はまとめた。

でももう少しコンパクトにすべきかもしれない。

自分が何をすべきなのか、分からない。

正直、仕事が手につかない。

福島の原発の件に関して言うと、

報道規制がひかれすぎている気がする。

アップ後、削除されているニュースページが多いことからして、

政治が関与しているのだなあと思ってしまう。

正確にずばりと言ってくれたほうが、パニックにならないんじゃないか。

これからどうなるのか、という予想を最良の場合と最悪の場合くらいは示してくれるといいのに。

率直な言葉で。

エネルギー関係の仕事をしている知人と話したが、

質問をするだけで、一般人はパニックになるから困るんだよね~、という反応なので

私も困った……。

非常の場合に備えて買い置き(買占めではない)をしている人たちを完全に馬鹿扱いである。

一般人は何にもせず、考えず、ボウッとしていてお上から言われることだけやっていろということらしい。

小売業に従事していた経験から言うと、災害時に買い置きしておくのは決して悪くないと思う。

流通経路がダメになったら長期欠品してしまうし。

我が家の被害は姿見が割れてしまったのと、グラスが一つ割れてしまったことくらい。

親しい人ともひんぱんに連絡を取ることにした。

知恵と勇気をもって、頑張ろう。

とりあえず今は、私に何ができるのか、考えなくてはならない。

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とおい まち へ

心のバランスが崩れたようだ。

無意識下ではやはり不安でオロオロ動揺しているのだろうか。

深夜、人と電話。

思い掛けない言葉を聞いた。

はっと息の止まる思い。

きっと何気ない言葉で、悪気はないのだろう。

でも、つらい。

まだ深くは知らない人だけれど、

だんだん信じたいと思っていたから、悲しかった。

頼ってはいけないのだと思った。

その言葉が真実なら、やはり耳にしてよかった。

悲しいけれど、仕方ない。

私の舞台に想を得て組曲を作ってくれた作曲家がいる。

その組曲をヘッドホンで聴いていたら、物語が浮かんできた。

今までも断片的な情景は浮かんでいたのだけれど、

人物が動いてセリフを言い始めた。

でも語り部を誰にするか迷っている。

どうしようかなあ。老女にするか、中年男にするか。

組曲の三番目の曲がとても気に入っている。

気楽で憂鬱な雰囲気のジャズ。

音源は作曲家自身の手による演奏だが、たいそう魅力的だ。

ジャズの流れる遠い街をさまよって、ふと我にかえる。

少しの間のつもりが、1時間半以上過ぎていた。

さっき耳にした言葉も、話した相手も、遠くに感じる。

遠い出来事。

そして、そう感じること自体が、とても淋しい。

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ちいさな どうきょにん

今日は発表会なのに、保育園に行けなかった。

熱は下がって元気なので、よけいに残念。

本人は私と一日中一緒にいられると分かると、嬉しそうにニコニコしている。

うん。

これでいいのだ。うんうん。

遅い朝食を取り、二人で公園まで歩いてゆく。

最近、鉄棒にぶら下がるのがブームになっているらしい。

手が届かないのに、指差して「ぶら下がらせてほしい」と懇願してくる。

午後、Hちゃんが来た。

一緒に「ちびたん」を撮影。

先日の舞台を見に来てくれた子どもたちに

写真入りのポストカードを作って送ろうということになったのだ。

小道具をいくつかセットし、「お花見をしているちびたん」を撮った。

その後、古い友人が訪ねてきた。

いくつか作業を頼んだ。

その後、時間が少しあるようだったので小さな同居人の相手を頼んで、

夕飯の支度や風呂掃除をさせてもらった。

小さな同居人は、友人が大好きなようだ。

なついている、というより、対等な友人としてみているような感がある。

今日の夕飯は「茄子の肉味噌炒め」と「野菜のクリームシチュー」。

野菜のシチューは、濃い目に作って冷凍しておいたものを解凍して、豆乳を加えてのばし、最後にゆでたほうれん草を入れた。

なかなか美味しいなあ。

同じものを使って、グラタンとかも作れそうだ。

四角や三角や円柱や半丸の積み木を、そのかたちの穴を通してケースに収めるというオモチャセットがあるのだけれど、

小さな同居人はここ半月くらいでメキメキできるようになってきた。

積み木遊びと音楽系の遊び、それに絵本に関しては

すごく集中力がある。

いわさきちひろの「青い鳥」で、「おかあさんのしあわせ」を描いたたいそう美しい絵がある。

なんとも言えないふんわりした微笑みを湛えた、女の人の顔。

小さな同居人はいつも、そのページを開き、「ママ、ママ」と私に言ってくる。

ええ?私、そんなにキレイじゃないよ。

文字も読めないし、誰かが教えたわけでもないのに、

どうしてそれが「母」をあらわすものだと分かったのだろう。

不思議。

表情とか、そういうものだろうか。

だとしたら、赤ちゃんにも分かる普遍的なものを描いたいわさきさんは

本当にすごい。

なんか、気付けば仕事がたまっている……。

ちゃんとやらなくちゃ。

明日は日中動けるからバシバシ片付けよう。

思えば今日は一日じゅうおっぱいをあげていた。

胸がひりひりする。

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だれ も しんじない

この前の現場に、置き忘れた靴を取りに行った。

事務所にいたスタッフのI氏とお喋り。

練馬区は保育園の入園状況が厳しくなさそうだ。

知らなかった。

一発で第二希望に入れたと言っていた。

午後は区役所で諸々の手続き。

結構時間が掛かった。

そのまま帰ろうとしていたら、電話が掛かってきた。

小さな同居人が熱を出したとのこと。

医者に予約を入れ、園に向かう。

ああ。明日は発表会なのに、結局参加できない。

とても残念だが、本人はまだ赤ちゃんで発表会の意味が分かっていない。

要するに残念がっているのは私と親族だけ。

まあいいや。

医者では隔離された部屋に通された。

インフルエンザの検査をしたが、陰性とのこと。

何故?予防接種したのに検査?

念のため訊ねたら、予防接種は三ヶ月で効力が切れるらしい。

知らなかった。

早く受けすぎてしまった。

今度から11月の末あたりに受けることにしよう。

幸い元気が良く、食欲もある。

でも薬を飲ませたらぱたりと眠った。

今日は夕方からなんとなく気持が不安定だ。

小さな同居人の体調悪いから心配なのは当たり前だけど、

それだけではない感じ。

ひょっとして……心細いのかな。私は。

それも当然か。

今、私のいる状況で胸を張って?安心できる人間なんていないだろうし。

助けてくれる人たちはいる。

彼らは仕事と酒を飲む予定の合間に「手を差し伸べてくれる」。

でもそういう棚ボタ式、場当たり的な恵みに日々接していると、

なんだか自分が物乞いになった感じがしてくる。

長期的な予定が立てられないのも苦痛だ。

突然の来訪なども喜んで受け入れなければならない。

でも、その一方で、

善意に対して、素直に喜べない自分もイヤだ。

落ち込んでくる。

一人ぽっち。

全部しょって立たなければならない。

誰も信じない。

そう決められればいいのだけれど。

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にちようび と こんどうようこ

とても楽しい日曜日だった。

午前中は小さな同居人と、私と姉の三人で散歩。

川沿いの遊歩道を三輪車でパトロール。

小さな同居人は、三輪車にまたがると

勇ましい顔になる。

どことなく誇らしげな表情。

午後は小さな同居人を預け、ランチとお茶。

少しのんびりした時間を過ごせた。

帰り際、駅の構内で並んで歩いていて

ふと隣を見たら、笑っている。

何故なのか訊いたら、「幸せで」と言う。

たしかに。

お腹いっぱいで、楽しくて、気持を共有できたら、

それは幸せ。

電車の中、貸してもらった近藤ようこの「水鏡綺譚」を読んだ。

「上臈」に涙がこぼれそうになった。

ああ、素晴らしい物語だ。

以前から近藤ようこのファンではあったけれど、

この作品は知らなかった。

「あじさいの唄」を初めて読んだ時と同じくらい

衝撃を受けた。

すごいなあ。私もこんな話が書けたらいい。

いつか。

私ももっと上を目指さなければ。

久々にそんな気持になった。

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ひなまつり

午前。

なんとか加筆修正分のゲーム台本を仕上げ正午少し前に入稿。

今日は昔の同僚とランチを食べた。

この人はマイルドな変人。

でも、もう少し大人の男になってもいいのになあ、同い年の私は思う。

三時ぴったりに、古い友人が来訪。

今日はレーザープリンターを設置してもらう約束だ。

このプリンターもらったのはいいんだけど、

大きくて重くてとても自分では設置どころか

パソコンの近くに運ぶこともままならなかった。

手伝ってもらったら設置も接続もすぐにできてしまったので、ほかにもお願い事をした。

昨日、届いた三輪車の組み立て。

それと、劇団のデータシステムを少し直してもらった。

ほんとにありがたいなあ。

今日は全部順調にはかどった。

浮かれながら迎えに行くと、小さな同居人が珍しく抱きついてきた。

わあい。嬉しいな。

二人でルンルンと帰り、ついに三輪車と対面。

小さな同居人は鼻息を荒くして、またがる。

私が手を出すとすごく怒るので、しばらく見守るだけにした。

夕飯の時間が近付き、降りようねと言い聞かせたが降りないので、無理やり抱っこしたら泣き叫び始めた。

それから30分ほど癇癪がおさまらない。

たいへんなひなまつり。

結局、夕飯に可愛い海苔巻きを作るはずが、ちょっと素敵でないものになってしまった。

まあいいか。

泣いた後はすっきりしたのか、

機嫌よくご飯を食べ、また三輪車。

そのまま寝るまで上機嫌は続いた。

夜中、目を覚ましてメールをチェック。

と……。

お昼に加筆修正して送った分が、再び直しとのこと。

ああ……。すべて順調とはゆかなかった。

ということで早速直し。

親しい人からメールが何度か届き、和やかな気分で仕事ができた。

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ぽーん と うまれる

どうして自分はこんなに人間が嫌いなんだろうと思う。

好意とか愛の絶対量が、足りない。

だからこんなに心が殺伐としてしまうのだ。

砂漠のような感じで殺伐としているなら

心の中の眺めもさぞ美しいだろうと思うのだが、

不安や不信感が茨となって鬱蒼と茂っている。

見通しが悪い。

空も地平線も見えない。美しくない。

小さな同居人の健康診断でもらった小冊子に書いてあったけれど、

幼児には保護者の笑顔がとても大切だそうだ。

安心するという体験が、セロトニン神経を発達させるとのこと。

セロトニン神経がうまく作られていないと、

不安や恐怖が、うまく処理できない脳になるらしい。

私って、ひょっとしたら笑顔がない家庭で育ったのかもしれない。

そういえば、小さな同居人と一緒にいると、意識的に笑顔になる。

幸せを感じるから、というのもあるけれど、

一種恐怖感があるからだ。

心の中にある不安を表情に出してしまわないか、という「不安」。

作った笑顔、というのとも違うけれど、

とにかく意識して笑顔なのは確かである。

でも笑顔でいると、心の中も少し明るくなるし、行動も活発になる。

良い方向へ向かうスパイラルが生まれる。

ここ半年くらい、

小さな同居人がお風呂の時に

私の帝王切開の手術痕を指差して興味を示す。

そのたびに「ここからぽーんと産まれたんだよ」と答える。

するといつも嬉しそうな顔をして笑う。

最近、面白いことがあった。

「おやゆびひめ」の

「お花の中から小さな小さなお姫様が生まれました」のくだりを読んだ時、

真剣なまなざしで、指でお腹に横線を描き、「ぽーん」と言った。

そっか。

うまれる、という言葉をそういう風に理解したのね。

お腹を切らないで生まれる場合もあるんだけど……。

とにかく面白い。

言葉、認識……いろんなものの可能性を、小さな同居人が日々教えてくれる。

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