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2011年5月

なやんだ なやんだ

小さな同居人は、どんどんお喋りになってゆく。

宇宙語はさらに堪能になり、日本語もだいぶ上達してきた。

それから意味は分かっていないようだけれども、歌詞を覚えて口ずさむ。

「ちょうちょ」の途中から「桜の花の 花から花へ」あたりからラストまで。

「さいたさいた」は怪しい発音ながら全部歌いとおす。

「な~やんだ、な~やんだ、赤白黄色」と歌うのでおかしくてついニヤニヤしてしまう。

この歌詞だと、続く「どの花見てもきれいだな」というのが、

つまりどの花にしようか決めかねて悩ましい、という意味に取れる。

それもいい歌詞だなあ。

悪くない。

深夜、物語の続きを書いた。

人間は本当に苦しいことは、覚えていられない。

そんな話だ。

それがあったということだけは覚えている。

でもどんな感情を抱いたのか、どんな風に傷ついたのか、

忘れてしまう。

というか、忘れるように心が働くのだ。

私も忘れてしまった。

起こった恐ろしい出来事は記憶にあるけれど、どんな気持だったのか、ほとんど分からない。

ただ、理由は分からないが、吐き気がすることがある。

同じような出来事が起こりそうな予感がしたり、その人と同種の行動を取る人間に出会ったりすると、うっすらと吐き気がする。

それで、ああ、今ここにいてはいけない、逃げ出さなくちゃ、と分かる。

感情は忘れたが、学んだことは生かされている。

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ち に あし つけた ろまんてぃすと

学校の泊り込み合宿に行けない代わりに、作文を4本提出。

まず今日は2本。午前と午後で1本ずつ。

読書感想文。

津守真の著作を二冊読んだ。

午前は「子どもの世界をどうみるか」。

午後は「保育者の地平」。

どちらも刺激的な内容で、たいそう面白かった。

こういう勉強はためになるなあ。

泊り込み合宿に行けないのが原因で悪者扱いされ、

このところ学校でオドオドした気分になっていたが、今日は副校長先生に単位履修についてきちんとした説明が聞けたので、スッキリした。

うん。よかった。

私はちょっとしたことで、自暴自棄になりやる気をなくしがちだから、

気になる点はやはり早く解決すべきだ。

やる気をなくしてしまうと、もう元に戻らないことが多い。

まあ、そういう場合でも、表面上は分からない程度には取り繕うんだけれど、心の中は冷め切っていたりする。

約束を破られたり、信用してもらえなかったりすると、もうダメなのね。

一番イヤなのは、約束忘れられたり、言った言わないの水掛け論になること。

かなりがっかりする。

あとでやっぱり約束守るよ、と言われても気持はまったく戻らない。

面倒くさいな、私。

完全自家発電型の人間になりたいよ。

周りに左右されない人。

勉強や仕事だけでなく、好意や愛情もすぐにそうなりがちだ。

でも、約束をずうっと覚えていて守る人って、すごいと思うなあ。

地に足つけた現実的ロマンティストって感じがする。

憧れる。

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しあわせ

暑さに負けたのか、なんだか疲れやすい。

夜中、起き出して仕事しなければならないのに、ふと目を開けるともう朝。

どういうことだ?

小さな同居人を昼寝させようと寝かしつけていたら、ここでも爆睡。

ああ。

午後、スコールの中、人と会った。

馴染みの喫茶店でお茶。語り合う。

やっぱり話ができるのっていいなあ。

この人みたいに率直で思考が柔軟な人と喋っているとワクワクしてくる。

刺激しあって、いろんなアイディアが出て……。

新しい自分になれる感じ。

議論する時、いちいち自分を守ったりしないで、思ったことを話せるのはいい。

思ったことを話そう、と提案すると、ネガティブなことばかり羅列する人もいるけれど、

どうしてそうなるんだろう?

そのトピックを深めたり、問題を解決するのに役立つようなことを、

言葉でやりとりする。

それが会話だと思うんだけど。

「解決志向」の考え方のほうが私は好きだ。

コミュニケーションに対して、努力を惜しまないところも、尊敬する。

とにかく何のことでも連絡を取ったらすぐに応答をくれるし、会話をしていても嘘や打算がない。

変な駆け引きもない。

いつも誠実であろうとしている。

だからこそ関係性が深化するのだ。

尊敬する人と、時を一緒に過ごせるのは幸せ。

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たんぽぽ の たね を とばそう

携帯の待ち受けにはあまり写真を入れたことがないが、

昨日、小さな同居人が今よりもっと赤ちゃんだった頃の画像に変えた。

白いフードつきのコートを着て、こちらに笑いかけている写真。

見るたびにすごく幸せな気分になる。

心理学の講義で、エインズワースのストレンジ・シチュエーション法を知る。

赤ちゃんと母親と女性の実験者(ストレンジャー)、三人で行なう実験だ。

http://www.nutshell.jp/mind/2004/11/005.html

実験によれば、赤ちゃんの反応は回避型、安定型、両価型の三つに分かれる。

回避型の説明に、ドキリとした。

このタイプの赤ちゃんは、母親と再会した時も、抱きついてゆこうとしないのだそうだ。

母親に受け入れられている、という強い確信がないからだ。

冬頃の小さな同居人を思い出した。

私がとても忙しくて、心に余裕がなかった頃だ。

私が園に迎えにゆくと、小さな同居人は、こちらをチラチラと見ながら、オモチャで遊び始めたり、つかまえて欲しそうに笑いかけながら逃げ回ったりした。

回避型にすっぽりあてはまるわけではないが、

そうなりかけていたのかもしれない。

抱きしめたり、一緒にただ遊んだりという時間が少し足りていなかったように思う。

思えば3月頃。

園に迎えにゆくと、小さな同居人は私に駆け寄り、抱きつくようになった。

ちょうど、ゲーム台本の仕事がひと段落した時期と一致する。

頑張って「明るく、穏やか」を心掛けていたけれど、

張りつめたものを、幼いなりに感じ取っていたのだろう。

申し訳ないことをした。

講義中なのに泣きそうになった。

両価型(抵抗型)の説明を聞いて、私はたぶんこれだったんだな、と思った。

いや、今でもひきずっているからこそ、だめなのだ。

いつも愛に疑いを抱き、憎しみへと転化する。

きっと母のせいというよりは、

私の生まれつきの性質の問題なのだと思う。

連鎖させないためにも、気付いてよかったなあ。

ギリギリセーフで間に合ったかしら。

二人で帰宅する途中、買物、公園でブランコ。

タンポポの種を吹いて飛ばすのもだいぶ上手になってきた。

小さな同居人が食事中、私をじっと見つめて微笑み、

頭をなでなでしてきた。

「?」と思いながらイイ気持でなでられていると、

おもむろに「じゅっちゅ」と言ってくる。

とほほ、ジュースが欲しいためのわるだくみだったか。

困ったねえ。

最近、ワルヂエばかりついてる気がするなあ。

知恵がついてくるのは嬉しいけどなんか複雑っすねえ。

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しり は きれて いない

手首が痛い。

昨日、乱暴な使い方をしたせいだ。

自分が宇宙人になったような気がする。

孤独に対する耐性が強くなると、

一人でいるのがちっとも苦ではなくなるのはいいのだが、

人と接するのが億劫になる。

夕方、いろいろ思い出し滅入ってくる。

このままお迎えに行かぬほうがいい、という気がして、

喫茶店に入る。

コーヒーを飲み、古い友人にメールする。

彼とは同僚だった昔から、いいこと悪いこと何でも言い合ってきた。

重たいことを話しても、いつもたんたんと受けとめてくれる。

たびたび救われてきた。

キャパが広い人。

楽しい時は一緒にいたいけど、重たいのはごめん。

そういう人ならいっぱい知っている。

でもそういう人とは楽しい時も一緒に過ごしたくないと思ってしまう。

悩みを書いていたら、涙が出てきた。

泣いたらすっきりしてきた。

小さな同居人のところへ飛んでゆく。

抱き締めたら、暗い気持など吹っ飛んで行った。

夜になったら胃痛がしてきた。

しっかりせい。

頑張って、頑張って、

読み聞かせして、明日の準備して、お風呂に入れて、寝かしつけ。

薬を飲んでいたせいか、爆睡してしまった。

メールで目が覚めて、約束していた電話。

重たくならないように気をつけるが、重たくなりがちだ。

私って人間ができてないな。

この人と話していると、自分に対するダメだしが心に浮かぶ。

親しいのに、遠い感じがする。

わがままや甘えが許されない感じ。

予定時間通りに電話を切る。

深夜、恩師にメール。

思えば妊娠中からずっといろんなことを相談したり報告したりしているなあ。

近況やら最近の思いやらを伝える。

私のおかしな日本語を、先生は苦笑しながら読むんだろうなあ。

メールしたら気持が整ってきた。

少し原稿を書く。

物語は終盤に差し掛かっている。

いつもと同じで尻切れトンボなラストを迎えそうだ。

私にとってはべつに、尻切れじゃないけどね。

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わんぱく な あにき

古い劇団員が、息子を連れて遊びにやってきた。

彼は小さな同居人より一年先輩だ。

半年ほど前までは内気な王子さまという感じだったのが

すっかり腕白小僧になった。

小さな同居人におやつを渡したり、笑わせようとしたりと、

うきうきとお兄さんの役割を果たそうとする。

とても微笑ましい。

古い劇団員と私は、同じ資格を取るための勉強をしているので、

情報交換をしたり、子育てのことを話したり。

でも実際話している時間はわずかだったかもしれない。

ほとんど、公園で走り回ったり、ブランコに乗ったり、また走り回ったり、

していた。

小さな同居人はアニキができて嬉しいのか、

ずっと興奮状態で踊ったり走ったりしていた。

友だちと遊ぶのは楽しいね。

私も、そう思う。

彼らと別れたあと、

血縁と、とてもつらくなる出来事があった。

落ち込んでいたら小さな同居人が頭や肩を撫でてくれた。

ごめんね。

私がこんなじゃいけない。

しっかりするよ。

誰が悪いとか考えても仕方ないし、すべては私の感じ方の問題。

感受性というものは、なかなか変えられるものではない。

この状況を抜け出したい。逃げ出したい。

そのためにも、頑張って学び、稼ぎ、お金をためなければ。

深夜、起き出して秋の朗読劇の台本。

その後、学校の課題をやる。

あっという間に時間が過ぎてしまう。

と思っていたら、ピアノの稽古まだやってなかった。

ちょっとだけ練習してから布団に戻ろう。

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「メルトダウン、認める」の記事を読む。

きっと最初の段階でかなり疑われていただろうに、どうして否定していたんだろう。

結果は一緒だとしても、可能性がある、と言って欲しかったなあ。

東京電力にも、政府にも、専門家にも。

情報操作しないで、いろんな可能性について、言及するべきだったんじゃないだろうか。

パニックになるから、という理由で、情報を操作するのには反対だ。

専門知識がなくても、嫌な予感がしている人は多かったはずだ。

彼らはこういうことがあると、「やっぱりねえ」と思ってしまう。

そして「事実は隠される」「嫌な予感は当たる」ということだけが胸に残ってしまう。

そういう「うっすらと汚れた」体験によって、

日本の人たちの意識の質はどんどん落ちてゆく。

どうして気付かないのだろう。

事実を知らされない、真実が見えないということは未来が予測できないということだ。

生活や思考のレベルを高く保つために

たとえ当たらなくても

予測という作業は大切だ。

それがないと、人は捨て鉢に人生を生きるようになる。

自分に選択肢がないと思うと、どうでもいいや、と最初から投げてしまうのだ。

「事実は隠される」「嫌な予感は当たる」という暗い思いを抱きつつ、

社会生活で公正さをまっとうし、かつ政治に高度な興味を持ち続けることができる人は

たいへん少ないと思う。

それとも、わざと、みんなが捨て鉢になるようにしてるのかしら。

そうなったらラクだもんね。政治家は。

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ぶたい ぶたい ぶたい

学校にいる時に、ゲームのプロデューサーの方から電話をいただいた。

ドラマCDを作る企画があり、ディレクターに紹介したい、というお話しだった。

お礼を言って電話を切った。

どうなるだろう?

今、本当に体力の限界だ。

でもお金は欲しい。それにすごく面白そうな企画だった。

やれるといいなあ。

体力が欲しい。

ずぶ濡れになりながら自転車を走らせ帰宅。

着替えながらパソコンを開くと、

高校時代の恩師からメールが届いていた。

ありがとう。メールくださるなんて、思いもよりませんでした。

一人の古い生徒に過ぎない私を、いつも気に掛けてくださる。

先生、会いたいなあ。

たくさん相談したいことあります。

私、どうしたらいいですか。

夜はメンバーでミーティング。

頑張ろうという気持がますます大きくなってきた。

舞台、舞台、舞台。

楽しんで苦しんで楽しんで。

作曲家から、また新しい音源が届いた。

私の書いている朗読劇の、歌部分の音源だ。

イメージのすり合わせをしながら、音と言葉のやりとりを続けている。

いつも彼のメールは「おはよう」から始まり

私の返信は「こんばんは」から。

まるで太陽と月みたい。

ヘッドホンを耳にあてると、

音が風花のように、キラキラと輝きながら、私の身体を通り抜けていった。

ふと、あの人のことが頭をかすめた。

あなたは、風花のことを知っているかしら。

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にじます

みっちり四限目まで、ピアノレッスン。

自由曲としてショパンのワルツ持っていったら、二つほど音を誤読していてOK出なかった。

おお、情けない……。

でも楽しい。

子ども向けの曲ばかりでなく普通の曲もレッスンしてもらえるのはいいなあ。

昔のようにはなれないまでも、

楽しく弾けるくらいのところまでいきたい。

童謡の弾き歌いとコード練習はOKが出た。よかった。

帰り道スーパーに寄って、にじますを買う。

小さな同居人の大好きな魚だ。

塩焼きにしよう。

迎えにゆき、帰ってすぐお風呂に入れる。

出てすぐにチャイムが鳴った。

今夜は、夕飯に人を招いたのだ。

にじますはとても美味しかった。

夕飯をたいらげ、デザートにはっさくを食べた。

今日の小さな同居人はとても嬉しそうで、何度か笑いが止まらなくなった。

合間合間にいろんな話をした。

私ばかりが喋っていた気がする。

その人は微笑みながら耳を傾けてくれた。

こんなに満ち足りた気分になったのは久しぶりだ。

小さな同居人を寝かしつける時間がきた。

その人は優しい顔で何度も振り返りながら帰って行った。

寝かしつけている間、その表情が頭に浮かんだ。

が、すぐに暗闇と静寂の波に、のまれてしまった。

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わんわんがいないよ

午前、小さな同居人とともに散歩へ。

最近は「わんわんがいないよ」とか「じいじがいた」などと文の形で喋るようになってきた。

午後、学校のレポートと制作物をやる。

なんとか完成まであと一歩というところまでやって夕方。

実習のための証明写真を撮りに行ったり、小さな同居人を風呂に入れたりしてあっという間に時が過ぎる。

夜、家人に小さな同居人を預け、古い友人と夕飯を食べた。

早朝から山に登ってきたそうだ。

山で心臓麻痺を起こした人がおり、救助の現場を見たとのこと。

今年は天候が少し奇妙で、そのせいか事故が多いという。

私の知らない世界をたくさん知っているんだなあ。

話をするたび、いつも別の風景を見せてくれるのが楽しみ。

好きな人ができてもひと月に一度くらいしか会わなくていいそうだ。

「私は一週間に最低一度くらいは会わないと、恋愛感情が続かない。ひと月に一度だと、まったくドキドキしなくなる」と教えたら驚いたような顔をしていた。

ひとそれぞれの習性があるんだよね。

どちらが正しいとか正しくない、というのはないんだと思う。

ただ、違っているだけ。

でも習性ってなかなか変えられないんだよね。だからこそ、お喋りしながら理解しあう必要があると思う。

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身体中、はんぱじゃないくらい痛い。

連休、小さな同居人と暴れすぎたか。

学校でも、移動するたびに「いたた、いたた」と呻いてしまい

みんなの失笑?苦笑?を買う。

小さな同居人は言葉が達者になってきた。

靴下はいて、と言ったら、「あとで」と言われてしまった。

私が散歩に行く前ぐずぐずしていると、「はやくはやく」と急かす。

私、そんなにあなたに「あとで」と「はやく」を言ってるかしら。

反省。

トイレの小窓に、公園の八重桜の枝が当たって、影を作っている。

すりガラスに葉の影が揺れるのを見て、「こわいこわい」と言う。

ただ言っているだけなのかな、と思っていたら、

そのうち泣き出した。

どうして?

何かのイメージがふくらんだのか?

でもまだお化けなんて知らないだろうし。

窓を開けて「葉っぱが風で揺れてるだけだよ」と教える。

「はっぱ……」と一応は納得した様子。

でも窓を閉めてまた影の状態になると、しばらくしてまた指差して泣き出す。

そうだよね。

理性で、恐れを乗り越えるのってむつかしい。

でも想像力が豊かなんだなあ。

影が揺れるだけで泣くほど怖くなれるなんて。

小さな同居人を抱き締めながら、その豊かな内面世界をうらやましく思った。

深夜、指人形のアイディアを練るため、ネットで調べ物。

カエルってマニアがたくさんいるのねえ。

資料には事欠かない。

でもあまりマニアックになってもだめだろうし、どうしようかなあ。

火曜日までに決定しなければならないのにまだ決まらない……。

明日は絶対、整骨院に行こう。

やってたらの話だけど。

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つり を もくげき

三人で遠出。

海の近くにある公園に行く。

小さな同居人は初めて「釣り」を目撃。

絵本「よるくま」のママの魚を釣っている絵を同じだと、理解したらしい。

ピンときた顔をしている。

たくさん歩いて、たくさん笑い、たくさん抱っこした。

幸せなひととき。

帰りの地下鉄、小さな同居人は私の胸でうとうと。

隣には今日の公園を探して連れていってくれた人が座っている。

ふとまなざしが重なった。

その人は一瞬、目をそらしてそれからこっちを向くと、口を動かした。

電車の音で聞こえなかったけれど、何を言ったか分かった。

時間が、止まったような気がした。

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うつくしい やくそく

私を必要としている人もいれば、

私がいないほうが楽しく暮らせる人もいる。

もし後者だと気付いたら、

遠く離れるのが、

唯一、

その人に対してしてあげられることなのかもしれない。

あとは、心の中で

幸せにね、と呟くくらい。

どうしてそんな風に笑っていられるの?

久しぶりに会った昔の同僚に訊かれたっけ。

自分でも分からない。

立っていなければならないから。

あるいは、自分の暗さに人を巻き込みたくないから。

深夜、物語を書く。

お話とは関係なくふと思う。

約束を守る、貫き通すっていうのはロマンティックだ。

現実にはあまり起こらないことだから。

生活の中では

何か自分の欲求を通すために約束して、

欲求が通ったら約束を反故にする、

そんなのばかりだ。

約束がずっと続くって、美しい。

続けるってことは、いろんなことを乗り越えるということだ。

それができる人間は、しなやかで、強い。

私はそうなりたい。

美しい約束のなかで、生きていたい。

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ぶーわんこ

朝ご飯を食べてすぐ、小さな同居人が「ぶーわんこ」と言い出す。

ブランコに乗りたいのだ。

川沿いの遊歩道へ向かう。

雨は降りそうで降って来ない。

遊歩道をしばらく歩いてから、少し引き返して公園へ。

小さな同居人は、手前の角で立ち止まり、「こっちこっち」と言う。

よく分かったね。確かに左。

でも、公園はもう一つ向こうの角だよ。

説明しても思い込んでいて、なかなか進んでくれない。

抱きあげて歩き出すと、私の腕の中で暴れながら泣いた。

いつもの曲がり角に到着すると、やっと理解して微笑んだ。

帰り道でバナナをおやつに食べてしまったせいか、昼ご飯はあまり進まない。

眠かったようで、コロンと眠ってしまった。

小さなことが積み重なって、精神的につらい出来事が続く。

メールや電話をしてみようかな、とも思うが、やめておく。

重たいだけだ、きっと。

そういう私はたぶん、とても鬱陶しいのだ。

私はおそらく、支えてもらう、という星のもとには生まれていない。

いつでも支える側にまわるべき人間なのだ。

不公平かもしれないが、それが真実ならば認めるしかない。

明るく柔らかく微笑んでいよう。

それができない時は、

深夜起き出して一人で泣けばいい。

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かみなり の おと

東京に戻ってきた。

ここ数日、帰郷していたのだ。

昨日は、小さな同居人とともにグリーン牧場へ。

マザー牧場より小さいようだが、どちらかというと広く感じた。

羊や牛の赤ちゃんに小さな同居人は大喜びだ。

めえええ、もおおお、と鳴き声を大きな声でマネしてみせる。

実家の近くを散歩したら、いろいろ変わっているところがあって面白かった。

鯛焼き屋でケーキも焼いてる店がある……。

シナモン風味のリンゴが入った鯛焼き、とても美味しい。

東京に戻ってきて、また日常に戻った。

ご飯を炊いて、味噌汁を作って、魚を焼いた。

小さな同居人は旅で、お腹がすごく減っていたらしく、ガツガツと食べる。

こういう食べっぷりだと、作るのも楽しくなるね。

深夜、起き出して学校の課題をやった。

歌に合わせて操る、指人形を作る。

犬、猫、ひよこ、ねずみ、カエル。

なかなか可愛くできた。

目玉専用のビーズを使ったら、表情が生き生きとして見える。

ちょっと高いので買うのを躊躇したのだけれど、

これは正解だなあ。

そういえば、昨夜は春雷で目が覚めた。

すごく大きな音だったし、唐突だったから、しばらく何が起こったのか分からなくて、とても怖い思いをした。

見ると携帯に、昔の同僚からメール。

先日、深夜、電話で話したことについて、心配してくれたらしい。

彼は人情に厚い人間だ。

私より格が上の人だな、という感じがする。

ああそう、いろんな意味で器が大きいのだ。

だからこそ、一緒に組んでいた時うまくやってゆけたんだなあ。

私がトンガッてしまうときも、彼はひょいっとかわしてくれた。

あれから仕事でも、日々の暮らしでも、随分いろんな人と出会ったけど、彼みたいな人はあんまりいない。

心配してくれてありがとう。

返信を書いていたら、気持が少しほぐれてきた。

そう、ここ数日、気持が冷えてこわばっていたのだ。

優しくしてもらうと、

その人より偉くなった気分になってしまう人間と

その人を尊敬し頭が上がらなくなってしまう人間がいる。

私は後者だ。

だって、私のような者に優しくしてくれるなんて。

器が大きいに決まっている。

私も人を許して認められる人間になりたい。

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