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2011年6月

ばいばい ゆうやけ

今週は提出物の締め切りが続き、

本当に追いつめられた感じだった。

その中でも少しずつだが、朗読劇の台本が仕上がりつつあるのが嬉しい。

でもまあ最後まで書きあげたら、いろいろ手直ししたほうがよさそうだ。

例によって例のごとく、気分で書き進めでしまったので、

矛盾点や、一貫性を欠いたりしている箇所が、結構あるように思う。

小さな同居人は、体調が戻ってきたせいか、

私と密着していなくても大丈夫になってきた。

少し離れたところで、一人で遊んだりもできるようになった。

朝、ヤギ、クマ、犬、恐竜のぬいぐるみにタオルを布団代わりに掛け、いったん寝かしつけておいてから

「ねんねしてるね」と話しかけたかと思ったら、

タオルをパッとはいで、「朝だよ」と起こしている。

そしてぬいぐるみたちを全部抱っこすると、ぼろぼろとこぼしながらも、寝室からリビングに連れてゆこうとする。

動物たちのママのつもりなのだろう。

そして、ままごとセットの中から野菜や果物を出して食べさせようとする。

出掛ける時、エレベータの中で「あめこんこん、降ってなあい」と私に教える。

雨の時はカエルの長靴を履けるので、楽しみなのだろう。

雨か、雨でないか、は外出時のメイントピックである。

夕飯時に、空が美しい紅に染まっていた。

窓を指差してみせると、ソファに登って、嬉しそうにじいっと見つめている。

しばらく眺めて満足したようだったから、続きを食べた。

気付けば夕焼けは消え、紺色の空が広がっている。

小さな同居人は窓を振りかえって困ったような表情を浮かべた。

「夕焼け消えちゃったね。バイバイ、夕焼け」

と私が言うと、少し考え込んだあと、泣きそうな顔になった。

「また明日夕焼けに会えるかもしれないよ」と言葉を重ねてみたら、

「こわい」と呟いた。

そうか、夕焼けが消えてしまったのがどうしてなのか分からないから、怖いのかな?

風で葉っぱやカーテンが揺れるのも、しばしばこわがっている。

不思議なものってこわいよね。

でもこわいくせに、興味があるのだ。

面白そうに「こわいこわい」と連発していることもある。

いろんな「こわい」があるよね。

大人になると、忘れちゃうけれど。

いろんな「こわい」を教えてね。

一生懸命思い出してみるから。

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あたえあう

親しい人と小さな同居人と三人で夕飯を食べた。

炊き込みご飯やクリームスープ、焼き魚に野菜の煮物。

食後には、いただいたマンゴープリンを食べる。

とても美味しい。

卵が入っていないから小さな同居人も食べられる。

でも砂糖が入っているから少しだけ。

小さな同居人はしみじみとした表情で「おいしー」と呟いた。

食事中、来週誕生日なのだ、と私が言うとびっくりしていた。

前にも何度か何かの拍子に口にしたことがある。

まったく覚えていなかったのだろう。

親しく言葉を交わすようになる前から、仕事の打ち合わせなどで会うとき、その人に誕生日プレゼントや簡単なお祝いをしていたので、なんとなく複雑な気持になった。

人が人を大切にする、ってどういうことなのかなあ。

自分の誕生日など言わなければよかったかもしれない。

最近、心の余裕がなくて、誰ともしっかり話してなかった。

生きているのが精一杯。

そんな感じだった。

そういう生活をしていると

自分が人に「してあげた」ことだけ、頭に残っていて、

「してもらった」ことは忘れてしまうもんなのね。

それは醜い。

逆にしないと。

美学にのっとって、気持をコントロールすると、

自然に湧き起こってくる愛みたいなものが、失われがちになる。

信条をとるか、感情をとるか。

たぶん前者を選ぶと、私から人間的な魅力は失せると思う。

まあ魅力なんてものが私に存在するのかどうかは、

意見の分かれるところかもしれないが。

生理的なものも含めた上での愛って、猫がエサをもらって懐くのと似ている。

何をもらうか、何をしてもらうか、ってやっぱり関係あると思う。

お互いに与えあって、与えるものがどんどん大きくなってゆくようなら

それは豊かな関係と言えるのかもしれない。

もらった分だけ返す、とか、もらったけどまあごまかしてしらんぷりしとけ、っていう

ショボイ人間にはなりたくないなあ。

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じこまんぞく も いい

小さな同居人は体力を完全に回復した。

朝から晩までずっとご機嫌で、鼻歌が止まらない。

言葉も飛躍的に増えた。

私も彼女が口にする言葉のほとんどを理解できるようになった。

保湿ローションのふたが開かないと

「かたい。あけて」と頼んできたり、

自分で作った電車(ブロックを組み合わせて50センチ以上ある力作)が分解すると「こわれちゃったねえ」とつぶやいたり。

自分は何でもできる、という強い気持がある一方で

自分は赤ちゃんだという意識が時折顔を出すらしく、何か心細いような出来事が起こると、おっぱいを欲しがる。

私は胃腸の調子はほぼ治ったのだが、

一週間ほとんど食事が取れなかった代償は大きく、

体力が戻らない。

少し動くと頭がくらくらしてしまう。

正直、日常生活を送るのがやっと。

特に、料理するのがしんどい。

でも今夜はなかなか美味しいものが作れてよかった。

ハンバーグのクリーム煮。

小さな同居人好みの一品になった。

手製の冷凍ハンバーグの在庫がなくなったから、近日中に作っておかねば。

あると便利だ。

午後はピアノレッスン。

先生は辛辣だけれど楽しい人だ。

もっとちゃんと練習してゆこう。

製作物の課題を夜なべで片付ける。

しんどいなあ。

原稿も書きたいし、時間と体力が欲しい。

気分転換にパソコンをのぞいたら、優しいメールが届いていた。

ああもう、寄り掛かりたい。

そんな心境。

昨日、ガエタノ神父が講義で「本物の愛は無償なのだ」とおっしゃった。

ただで何かを食べさせる、何かしてあげたくなる、それが愛だそうだ。

自分について考えた。

ここでは小さな同居人は除外して考える。

今、あらためて考えるまでもないからだ。

私は食事を作ってご馳走したり、相手の都合を考えて行動する。

必要があれば、人のためにお金を使うこともいとわない。

ガエタノ神父的に言えば、私は愛を相手に向けているということになる。

でも、私は愛を受けているのだろうか?

愛うんぬんの前に、

人に何かしてあげるのが好きな人と、

そうじゃない人がいると思う。

私は前者だけれど、別に善人でもないし、愛情深いタイプでもない。

ただの習性だ。

そして、好き嫌いを言うなら、私は前者の人が好きだ。

自分のことはあまり好きではないのに不思議なのだが、とにかくそれは譲れない。

与えることに喜びを感じる人を尊敬する。

見栄で「エエカッコシイ」するんじゃなくて、心の充足のために行動するのってかっこいいな。

うん。

その点に関しては、自己満足が悪いとは思わない。

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小さな同居人の熱が下がった。

顔に発疹が。

ひょっとして突発性発疹だったのだろうか。

医者に診せて確認とらねば。

今日は一限目だけ出席して帰ってきた。

小さな同居人と二人で家でゴロゴロしていると、私も元気になってきた。

私も身体、弱っているからなあ。

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だうん しました

木曜日夜明けから嘔吐・下痢。

連日病院で点滴を受け、なんとかしのぐ。

一日で4キロ痩せた。

トイレ回数は木・金と、1時間に10回くらいだったのが、

本日は一日に7回くらい。

だいぶ回復した。

少しほっとしていたら、小さな同居人が突然、発熱。

またたくまに40度に上がった。

急いで休日夜間でも診てくれる病院へ。

でも当番のお医者さんが今夜は来られぬという。

そんなことってあっていいのか?

仕方なく、タクシーを再び拾い、少し離れたところにある病院へ。

そこは入り組んだ路地の先にあるのだが、

タクシーの運転手さんは「抜け道」を使う、という。

しかもうろおぼえらしい。

なんとなく嫌な予感がして、「遠回りになってもいいので、大きな道沿いにお願いします」というが、

聞こえてないのか、どんどん細い道に入ってゆく。

「ここなんすよ、抜け道。これ、細い道でしょ~」と得意そう。

大丈夫かな、とハラハラしていると、案の定、迷子。

「あれっおかしいなあ、道がなくなってるよ、こっから一本で病院に行ける道があったはずなのに」と大きな声でがなっている。

うわあ、もうどうしよう。

この人、なんかおかしい。

狂ってるよ。このタクシーの運ちゃん。

ああもう、よりによって、こんな時に。

小さな同居人はくねくねした道に酔ったのかぐったり。

私もお腹が痛くて、もう半端じゃないくらいつらい。

脂汗をかいていると、倍くらいの時間を掛けてなんとか到着。

病院では、看護婦さんもお医者様も丁寧に診察してくれた。

ああ、助かった。

小さな同居人はおそらく心配ないとのこと。

様子をみることになった。

帰り道、薬を処方されたわけでもないのに、小さな同居人の熱がどういうわけか下がり始めている。

嬉しいけれど、何故だろう?

先生の言うとおり、何もしなくても良くなる、ということ?

帰宅して、小さな同居人を寝かしつけ、学校のレポートを書く。

ああ、ほんとうにきついなあ。

もっと体力が欲しい。

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こどく を おそれない

朝、学校の駐輪場で突然、アイディアが湧いた。

ああ書き留めておこうと思っていたら忘れてそのままに。

講義の途中、ふと思いだした。

そうだそうだ。

物語の世界へトリップしたら、30分くらい意識がとんでしまった。

急いで頭の中で見てきたことをメモする。

1限の授業は非常につまらない。教科書をただ声を出して読ませるだけだ。

順繰りにあててゆくだけ。

本当にびっくりする。

教壇に立っている人は教員なのだろうか?

とても人柄は良さそうな人物なのだけれど、講義はやっぱりプロが担当して欲しい。

だって学校なんだからさ。

考えてみると、女の人だけの集団って、高校以来なんだなあ。

高校は変人ばかりだったから、お気楽だった。

今とはまったく違う。

男だけの世界も大変だろうけれど、女のみの社会もまた然り。

でも「女」ってものを見つめなおすよいチャンスかもしれない。

女の物語を書き続けている私にとっては。

グループワークなどの際も、今は気が重くなる出来事が続いているけれど、

見方を変えれば、観察するよい機会を与えてもらっていると言える。

リーダーのあり方、仕事の振り方、若い女の子たちがやる気を出すのはどんな時か?

自分のためにメモしておきたい。

ここ数日、見ていて学んだのは、

やっぱり「まとめる立場」の人は、どんなに人数が多くても

メンバーひとりひとりと「顔を合わせて」話をするべきだ、

ということである。

人間、相手を認めないと、本音をなかなか言わない。

本音を言えないような環境で、アイディアが出るわけがない。

みんなの意見が欲しい、と思ったら

まずはひとりひとりと、あいたいしてみる。

そして、仕事は割り振って、それぞれの担当にまかせること。信用すること。ねぎらうこと。ほめたたえること。重要:作業を請け負うことは、まとめ役の仕事ではない。

仕事ジャンルを広く見渡して矛盾があれば、交通整理。

情報をオープンにすること。決定事項でなくても、面白いアイディアが出たら皆に知らせたり、感想を聞いてまわったりする。それを繰り返していれば、皆も自分から意見を言うようになる。

一番大切なのは、「あなたたちを信じている」という笑顔。

指示や意志表明は、はっきりとした語り口で明瞭に。

感情的にならないこと。

質問を非難と受け止めるなど、被害妄想的にならないこと。

悪意にはノンキな笑顔で対応。鈍感になること。

そして。

孤独を、恐れないこと。

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ばくはつき

学校のグループワークで芝居を作らなければならない。

とても苦痛だ。

イヤなのは、芝居のことを舐めている人のフォローをしなければならないこと。

私は中間管理職的な立場だ。

芝居のことを知らない人と一緒にやるのは嫌いじゃないけれど、

馬鹿にしている人とは、イヤだなあ。

何故か、そういう人が怖くて仕方がない。

つらい日は小さな同居人との再会がことさらに嬉しく感じる。

ああ、会えてよかったなあ。

もう何も怖くない、そんな感じ。

小さな同居人はついに、言葉の「爆発成長期」に突入したのか、

ものすごいスピードで言葉を覚えてゆく。

一度聞いただけで覚える単語もあるようだ。

昨日、テントが張ってあるのを見て名前を教えたら、

今日は指さして「てゃんと」と私に教えてくれた。

私も知ってるよ。てゃんと。

言葉を聞いたら一部だけでもメモしたいと思っているのに、

最近全然できていない。

二語文が日常的に登場するようになってきたが、

たぶん園では言えていないのではないかと思う。

園では大変おとなしいらしい。

内弁慶の外地蔵なのだ。

夜、古い知り合いと電話した。

一人は役者。

一人は芝居のもと仲間。

それぞれ、いろんなものに耐えて頑張っている様子だった。

私も耐性を高めよう。

団体行動がもの苦手な私にとって、学校はストレスのたまるところだけど……

そうそう、今週の良かったこと、素晴らしかったことを考えよう。

今週は、ピアノレッスン、先生にイヤミは言われたが6曲もOKもらえた。

これはすごくラッキーで素晴らしいこと。

イヤミくらい言わせてやれ。

うん。思う存分言うがいいよ、先生。

私が受けとめてしんぜよう。

ふっふっふっこの調子。

パソコンを開くと高校時代の恩師からメールが届いていた。

ほのぼのした語り口のメール。

この前ももらったのだが、返信がむつかしく、書けずにいた。

先生の言葉は、厳しい言葉の時も、優しい穏やかな文面の時も、

同じくらい冷静で的確だ。

プロの教師なのだ。

ふと、帰り道、A師匠に似た後姿を見たのを思い出した。

自転車で追い越してみると、師匠とは似ても似つかない男だった。

師匠はもう死んでしまって、どこにもいない。

芝居の師匠はいなくなってしまったけれど、

私には、人生の師がいる。

幸運なことだ。

先生に長い返信を書いた。

またしても不器用な、どうしようもない文面。

今の気持を、書いた。

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