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2011年9月

せっかく つくったのに こわしちゃった

今日で試験が終わった。ばんざい。

今回、勉強はほとんど学校の図書館でやった。

テスト勉強は嫌だったけれど、いいこともあった。

気晴らしのため、一日二回くらい、ピアノ室に行って練習しているうち、「バームクーヘン」がラストまで弾けるようになった。

まだバームクーヘンじゃなくて、ボロボロクーヘンくらいなんだけど、でもまあだいたい楽譜どおり。

甘納豆という曲にも手をつけた。

素敵な曲だ。ちょっと和風なのね。たまらん。

こっちも弾けるようになりたい。

小さな同居人が風呂の後、積み木を始めた。

小さなサイズの積み木を15個くらい使って、とても複雑なかたちのものを作っている。

やみくもに積んでいるというより、何かイメージがあって建築している様子。写真に撮った。

しばらくすると飽きたようだったので片付け始めたら、「せっかく つくったのに こわしちゃった」と泣きべそをかいた。

達者にすらすらと喋ったので驚いた。

しかも泣きべそじゃなくて、泣いているフリだった。

言葉といい演技力といい、ここ数日でものすごく進化した?

私が片付けるのをやめると、3センチくらいのネズミのマスコットのための家を作り始めた。

ネズミがちょうどおさまるサイズの見事な家が出来上がった。

変形の積み木を利用した素晴らしいデザイン。こちらも写真に撮る。

なるほどねえ。

ネズミの家は何度か作ってあげたことがあるが、こういう発想は私にはなかった。

私もこんな風に成長できたらどんなにかいいだろうに。

まあ何でも地道に頑張って身につけるしかない。大人だからね。まあそれも楽しいけどね。

夜中、ゲーム会社の方からメッセンジャーで話し掛けられた。

11月から新しい仕事が始まりそうだ。

なんか、怖いなあ。どうしよう。

学校大丈夫か、とか、小さな同居人と旅行行く時間とかあるかな?とか、心配になる。

お話し自体は本当にありがたいし。面白そうな企画だし。

頑張るしかないね。

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あがる

声楽とピアノ弾き歌いの試験。

声楽はあがってしまって、まるでダメだった。

芝居でもあがるという経験がなかったから、

ああ、こういうことなんだ、と初めてしっかり認識した。

まあいい機会だったように思う。

弾き歌いも緊張したが、

教授陣が7人も前に並んでいたので、観客という感じで大丈夫だった。

ちゃんと練習して臨んだ、ということは伝わったと思う。

試験の後、誰もいない教室で「バームクーヘン」の練習をした。

ここ数日、課題曲しか弾いてなかったから欲求不満だったのだ。

30分くらい稽古したら、ラスト近くまでなんとかなぞって指を動かせるようになってきた。

本当に素敵な曲だなあ。

早く弾けるようになりたい。

気分転換できたから、図書館へ。明日のテスト科目の準備をする。

夕方まで勉強して帰宅。

サバの味噌煮と豚肉のトマト炒め、厚揚げときのこの煮物などを作ってから、園へ向かう。

家に帰ってきてからも、小さな同居人は抱っこばかりしたがる。

おかずを作っておいてよかった。

昨夜は久しぶりに深夜、友人と電話でお喋りした。

作品づくりの話などして、とても楽しかった。

私は仕事場で好悪の感情を出さず、どの人にも「ある程度」親しげな雰囲気で接している。

嫌いでも別にそれは出さない。

お互いに仕事しやすい雰囲気って大切だ。

でも、それが原因で私を信用しない人も出てくるんだな、と思った。

自分に対する感情がはっきり分からないと、満足しないタイプの人にとって、

私は警戒すべき人間なのかもしれない。

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めんくい?

明日から試験が続く。

入学の時には、テストが大変だなんてところまで考えが及ばなかったけれど、

一度に9科目あるとさすがにプレッシャーを感じる。

というか、原稿書きに必死で、テスト勉強してない。

今日はさすがにちょっと勉強した。

人に小さな同居人の相手を頼み、近くのピアノ練習室へ。

弾き歌いの試験ではグランドピアノを使うから、少し慣れておこうと思ったのだ。

ペダルの感じが違うなあと実感する。

学校のはまた全然違うだろうけど、まあ気休め程度にはなった。

夜は寝かしつけの後、明日行なわれる二科目の勉強。

「家庭支援論」と「指導法言葉」。

暗記しなければならないところはだいたい覚えたけれど、

内容まではもう無理……。

眠ることにしよう。

というか勉強の途中で1時間以上も眠りこけてしまった。

まあなんとかなるだろう。

あ、そうだ。

朝、小さな同居人が

「あめこんこんだと さんぽいけないから どうしようね」と言っていた。

空が少し曇った時。

結局その後、すっきりと晴れ渡り散歩に行けた。

公園では2歳10ヶ月の男の子と交流があったが、

小さな同居人はあまり好きではないようで、避けていた。

何が気に入らないのだろう?と思っていたら5歳の男の子がやってきた。

「おにいちゃん、おにいちゃんとあそぶ」と小さな同居人は初めてその子を見るくせにニコニコ笑いながら近付いてゆく。

5歳の子は小さな同居人に「カニ歩き」とか「すべり台の新しい遊び方」などを教えている。

小さな同居人は嬉しそうだ。

最初は、教えてくれる人が好きなのかな、と思ったけれど、小さな同居人は相手をひと目見てニコニコしていたから、そうではないのだ。

めんくい?かもしれない。

その男の子は、目がパッチリとしていて少女漫画に出てきそうな男の子だった。

少年は小さな同居人に「やるよ」と言ってきれいな葉っぱをくれた。

私の分もふくめて何枚かくれて、「おおきいのは○○ちゃんにやって」と言う。

小さな同居人はきゅんとした顔をしてぼうっと男の子を見つめていた。

おい、まて。初恋か?

まだ早いぜ。

まあ、確かに素敵な子だけど。

ああいう子は、誰にでも優しいし、女扱いがうまいんだよ。

というのは小さな同居人には黙っていることにして、

私たちは昼食を取るため、少年と別れた。

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くりすます そんぐ と たいこ ぷれい

台風。

学校の授業が早く終わったので、少し図書館で仕事してから帰った。

というのが間違いのもとだった……。

午後4時頃、自転車でずぶ濡れになりながら自宅へ向かったが、正直死ぬかと思った。

いや、小さな同居人を迎えに行かねばならないから死んでる場合じゃないんだけれども。

風速はどのくらいあっただろう?

線路沿いの道で自転車ごと吹き飛ばされそうになる。

ほうほうの体で逃げ帰り、着替える。

あまりにも風が強いから、少し調べてから園に向かおうとテレビとパソコンを立ち上げる。

と、これも間違いだった……。

早く園に出発すればよかったのだ。

なぜなら雨風は強まるばかりだったのだから。

結局、風のピークの過ぎた17時半頃、園に徒歩で向かう。

一人で歩いている時は怖かったが、小さな同居人を抱っこ紐でくくりつけると、何故か恐怖は消えた。

大丈夫だよ、と言うと、小さな同居人は耐えるような顔で必死でしがみついている。

ごめんね、怖がらせて。

園に到着した時、私は怯えきっていた。

今日は母として失格。後悔の連続。

食後は二人で小さな太鼓を鳴らして遊んだ。

何故かクリスマスソングの入ったCDを掛けろと言われた。

小さな同居人は、「おまつりの おじさん だよ」と言って

マジックペンのバチで左右交互に叩く。

ノリノリ。とても上手だ。

最近、神社のお祭りがあり、和太鼓のグループが路上ライブをしていた。

小さな同居人は食い入るように見つめていたっけ。

中心になって叩いていたおじさんはなかなか上手だった。

小さな同居人はきっと彼の真似をしてみたくなったのだろう。

何度も、「おじさんだよ」と呟きながら太鼓を叩いていた。

でもなんでクリスマスソングなのか?

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しょうどく して

今日は音楽の試験の予行演習。

ピアノの弾き歌いは

順番が最初だったせいもあり、緊張して、玉砕。

二度目はなんとかクリア。

先生にはピアノは楽勝なんだから歌頑張れと言われる。

いや、楽勝じゃないっすよ。

ほんとにギリギリなんです。だから歌がヘボくなるんです。

しどろもどろで返したが、あなたはみんなにくらべて稽古が足りない、と笑われる。

絶対何か誤解されてる……。

でも最近、先生のおかげで演奏力が少しずつ伸びているのを感じる。

「星に願いを」の楽譜、マジでダサいので適当に弾いていたが、

先生のアドバイスに従って弾いたらなんか素敵になってきた。

アレンジとか批判する前にちゃんと演奏しないといけないな。

湯山昭の「バームクーヘン」の楽譜を手に入れた。

可愛い曲だなあ。なんかフランスっぽい雰囲気だ。

後期はこれを見てもらうことにしよう。

昼休みから三時限目の空き時間に掛けて、ゲーム台本の仕事をした。

図書室のパソコンはいつもガラ空きだ。

1時間くらいでかたちになったので、ピアノの練習室へ行って過ごす。

他の科目の試験勉強は何だかまだ手につかない。

脚本の仕事の目処が立たないと、やる気がしない。

ダメだとは分かっているが。

赤点取らないように注意しないと。

小さな同居人は昨日すべり台で遊んでできたすり傷をミッキーのぬいぐるみに見せて

「すべり台でころんだのよ。しょうどくしたから いたくないよ」

と説明している。

「だいじょうぶよ、だいじょうぶ」

と自分に言い聞かせるようにつぶやく。

私には「しょうどく しょうどくして」とせがむ。

でもいざ消毒すると、

「しょうどくは きらい」と言って泣く。

どっちなんだ?

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れんきゅう

先日、朗読劇でお世話になったM氏を訪ねて挨拶。

12月中旬の子ども劇のことを相談したら、

「オレがやるよ」とのこと。

あまりにも光栄な申し出に面食らう。

本当に素敵だ。

門下生の方をどなたか紹介してもらおうと思ったのだが、まさかご自身が引き受けてくださるとは。

嬉しいなあ。

とにかく頑張ろう。

そのほか、最近、友人と久しぶりに話す時間がほんの少しだがあった。

気分が生きかえった。

相変わらず優しくて、くつろいだ気分になった。

連休は小さな同居人と一緒にデパートに買物に出掛けたり、公園でのんびり遊んだり、なじみの喫茶店に行ったりした。

ときどき、遊びに加わろうとすると、「一人で遊ぶ」とか断られることがある。

つまんないな。

ママも入れてよ。と思うけれど、まあ黙って遊びを見ている。

ボール遊びのこともあるし、砂遊びのこともある。

一人で遊びたいけれど、見ていては欲しいみたいだ。

幼心は複雑だね。

連休の途中で、上京していた親が田舎に帰った。

小さな同居人が昼寝している間にこっそりと。

目覚めてすぐに訊いてきたので、「ぶーぶに乗ってぐんまに行ったよ」と伝えると、

「○○(自分の名前)も ぐんまに いきたい。じーじと いっしょに あそびたい」と半分泣きべそをかく。

胸が痛んだけれど、明るく「散歩いこっか?」と声を掛けると、すぐに「いきたい、さんぽさんぽ」と跳ね回り始めた。ほっとする。

今日は夕方、帰ってきてから絵を描いた。

ペンで点々を描きながら「これはあめこんこんだよ」と説明してくる。

そうか、ちゃんとイメージがあって描いてるのね。

やがて蝶のようなかたちを描いたので

「これはちょうちょ?」と訊ねると、考えながら「ちがうよ、これは とんぼ」と答えてきた。

ふむふむ。

他にも「うずまき」とか「ぞうさん」とか言いながら描いている。

色は黒とか茶色とか青が好きなようだ。あとは黄緑。

洋服はピンクが好きなようなのに、何故だろう?

昼寝の間や、夜中に起きてこっそりと仕事をする。

早く全部入稿したいなあ、これ。

テスト勉強もしなければならないし。というか、勉強する時間あるのかなあ。

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ふれーず かん

昨日、やっと夏休みの宿題をすべて提出し終えた。

ギリギリセーフ。

家ではほとんど書く時間ないから、学校の図書館のパソコン借りてなんとかやり終えた。

図書館のパソコンは画像がいじれないのが難点だ。

司書さんも優しいし、ほっとできる空間だ。

下校前の30分は、ピアノの練習をすることにしている。

もっとまともな演奏ができるようになりたい、その一念からだ。

テスト準備のためもあるけれど。

先生のおっしゃる「フレーズ感」を出すためには、もっと注意深く演奏せねばならない。

だけど指がなかなか言うことをきいてくれない。

先生は私に対してとても厳しいし、時々嫌味をおっしゃるのだが、ここのところ腕が上がったのもその一言のお陰である。

そういう意味ではプロの教師だ。

今日からゲーム台本の仕事に復帰することにした。いや、もっと前に始めなくちゃならなかったんだけど、レポートが終わるまではやる気になれなかった。

さてと。仕事しますか。

メモ。

ここのところ授業で、レッジョ・エミリアの幼児教育について学んでいる。

7月にワタリウム美術館で展示を見たばかりなので、

すっと頭に入ってくる。

人から誘われて行ったのだが、見ておいて本当によかった。

その日は精神状態が悪く、その人とはうまくコミュニケーションが出来なかったが、展示の内容は非常に良く覚えている。子どもたちの作品も、映像も、印象深かった。

講義を受けながら、誘ってくれたその人を思った。

私は、二つの点でかなわないと思っている。

優しさと知性。

私には優しさが欠けている。

というか知性がないから、優しくないのか。

私にはいつも「フレーズ感」が足りない。

演奏でも、会話でも。注意深さや思いやりがない。

「音がぶつ切り」と先生に言われたのを思い出した。

「一つの旋律になっていない」

私だって、好きでそうなっているわけじゃない。

何故かそうなってしまうのだ。

長いこと、荒れ野みたいな精神世界に生きてきたせいかもしれない。

とにかく、私だってぶつ切りでなく、一つの旋律を奏でたい。

優しく言葉をつないで会話したい。

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はんせい

公演終わって初めてのミーティング。

本公演、ワークショップ公演、音楽朗読劇の三本立てを振り返る。

制作スタッフから非常に有意義な意見をいくつか聞くことができた。

自分と違う視点を持つ人間を、私はいつも尊敬する。

プロだ。すごいなあ。

こういう意見を聞くと、信頼がさらに深まる。

Hちゃんからも、面白いことをいくつか聞けた。

私の知らない、自主稽古の様子などを聞いた。

ワークショップ公演出演者の成長ぶりが分かって面白かった。

それと、ふと思ったのだが、楽屋の割り振りなども、本番の完成度を左右する鍵になるのではないか。

反省は大切だ。

過ちを認めることを恐れず、どんどん反省すれば、次回はもっとよい舞台を作れる。

そう信じている。

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ないてましゅ

小さな同居人の鼻に少し血がついている。

綿棒で掃除をしてあげようとすると、泣いた。

「じぶんで」と言う。

自分で鼻のお掃除なんてまだ早いぞ。

断ると泣いたのだ。ぽろぽろ涙を流して。

「あれえ、にこにこいい子の○○ちゃんはどこにいったのかなあ?」と言うと、

「ここでないてましゅ」と答えた。

珍回答に思わず吹き出すと、

自分でもおかしいと思ったらしく、きゃははと笑い始めた。

最近少し難しい会話もこなせるようになり、

ますます意思疎通がスムーズになってきた。

それにも増して、ユーモア。

冗談をたくさん言ってくる。

以下、メモ。

同じ価値観を持った人というのはほとんどいない。

だから何かを共同で行なう場合、まずはお互いの価値観を明らかにした上で、ではどうするのか、調整する必要が出てくる。

しかし、価値観を表明すること自体を敬遠し、身構える人たちもいる。何故なのだろう?

違いを明らかにしなければ、どうするのか具体的なことが決められない。そこをうやむやにしても、後々トラブルになるばかりだ。

人生を通して培われたものを、批判するつもりもない。というか、できない。もし言うとしたら好悪くらい。

もう一つメモ。

仕事を依頼する場合に、一番大切なのは価値観を伝えることだと思う。何を優先させるか。それが伝わっていれば枝葉の部分まで、だいたい依頼通りになるはずだ。

別のメモ。

自分からモーションを掛けておいて、

相手とほんの少し親しくなると、

「あの人から勘違いされていて困っているの」と周りに吹聴するタイプの女の子がいる。

そして相手の秘密や身体的な欠陥などについてシラッと友人たちに洩らす。

今まで、たくさんそういう女の子を見てきた。

気の毒なのは相手の人たち。

周りの人たちにこっそり変態呼ばわりされてしまう。

というか、そう言われているのを知らないので、何故周囲の視線がこんなに刺さるのか、と不思議に思っている。

村上春樹ふうに言うと、スポイルされた女の子、とでもいうのだろうか。

だいたい餌食になるのはこれまた決まったタイプの人たち。

陥れられた彼らが、仕事や友人を失ったりするのも見てきた。

私自身巻き込まれたこともある。

「あの人が私につきまとっていて悩んでいる、助けてください」と女優に言われ、

相手に注意した。

演技力のない女優が涙を流して泣いて頼んでくるのだ。本当だろうと思った。

しかし後から分かったが、それは

嘘だった。

しかし、今は思うのだ。

餌食になる方も、どうかしている。

確かに気の毒だけどさ、自分で気をつけようよ。

ストーカー、とか、変態とか言われる前に。

メールもね。

仕事上の短い連絡メールが意味ありげなものとして、周りに回覧されちゃってるし。

現場で知合った人と付き合うのはまったく自由なのだが、相手に暴露されないくらいの主導権を握って欲しいのだ。

というかそういうことまでは考えられないからその分、仕事場でおかしな行動を取ってしまうのかもしれないけれど。

その結果、周囲の人の目がさらに厳しくなる。

とにかく彼女たちは怖い。

何も悪気なんかないけど、そういうことが楽しくて仕方ないのだ。

最近は面倒なので、

そういう女の子とも、餌食になる側とも、

一緒に仕事をしないことにしている。

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旅と帰京

週末、小さな同居人とともに、蓼科へ。

保養所の近くでは森の散策を楽しみ、

遠出は牧場二つに行き、小さな同居人は大満足。

牧場では、一緒に馬に乗った。

もちろん引き手はいるのだが、スリルがあった。

道産子とかではなく、普通のサラブレッドだったせいか、

距離が長かったせいか。

私自身は、乗馬が得意なのではないか、と思い込んでいる。

小さな同居人は、初めてなのに全然怖がらず、自然に身体を預けていた。

私より得意なのかもしれない。

車山のリフトにも乗り、低空飛行?を楽しんだ。

草原をリフトでフワフワ飛んでいると、夢の中にいる気がした。

幸せというのはこういうことをいうのだろうか。

息もつけないくらい、美しく輝いている瞬間。

そして、今日の夕方、電車で帰ってきた。

小さな同居人は、疲れているらしく、お風呂の中でもう寝グズリ出した。

泣いているうちに何で怒っているのか分からなくなったらしく、

抱っこ抱っこといいながらしゃくりあげている。

仕方ないので電気を全部消して、「もうねんねしようね」と言ったら

泣き止んで、「ズボンはいてない」と言い出した。

はかせると、今度は「ママ、はだか」と言う。

そうなのだ。キミが泣いているから、着る余裕がなかったのだよ。

二人とも服を着終わると、おっぱいを欲しがる。

添い寝して飲ませると、そのまますぐに寝てしまった。

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げきじょう に いきたい

やっと戯曲賞審査の仕事が終わった。

というか終わらせた。

パソコン開いたら小松先生から催促?念押しのメールが届いていた。

ふう~。もう終わりましたよおだ。ふん。

明日から蓼科。

小さな同居人と旅なのだ。

「ママと一緒に劇場に行きたい」などと最近言うようになった。

なんか、胸が痛くなるよ、そのせりふ。

ママはもう、しばらくの間、劇場には行かないんだよ。

これから学校の日々が続くのだ。

もっとも12月はまた本番だが。

小さな同居人は夢のように可愛らしい。

楽譜を見て、「これは?これは?」と意味を知りたがったり、

「なめちゃうぞ」と私の手や顔を舐めたりする。

かと思えば、ぬいぐるみのクマにライバル意識むき出しで、「○○(自分の名前)のママよ」と言い放つ。

パソコンに、先日朗読劇でご一緒したピアニストのM氏からメール。

優しい言葉に、ふうっと緩む。

ありがとうございます。

私のようなものに、そんなもったいない。

M氏にはいろんなことを勉強させていただいた。

またご一緒したい。

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ふたたび

再び登校。初日。

久しぶりの授業は頭に入るような入らぬような。

先日、一緒に仕事をした人と、メールでやりとりをする。

このままにしておいたら、今までと一緒だという気がしたからだ。

今後も仕事をしたいと思っている。

だから、考えても理解できないことを質問する。

私の意志や思いが伝わらない中、

相手の不快感が伝わってきて、とても恐ろしいが、やはり勇気を出して、言葉にしなければ、話さなければと思う。

本当なら会って話さなければならないところだけれど、相手は私に時間と手間を費やすことなど望んでいないだろう。

価値観を理解し、相手に合わせた言葉と方法を選んでやり取りしたいと考える。

これまで、うまく行かない相手からはすぐ離れてしまった。

けれど、それではいかにも人間関係が刹那的で、コミュニケーション自体に成長が望めない。

ダメだろう。それじゃ。

何故うまく行かなかったのか、何故誤解したのか、何故理解できないのか?

こうした言葉の往復を不快に思う人はいるかもしれない。

でも私は必要だと思っている。

優しさには理解が必要なのだ。

逆に理解のない優しさは、感情的打算から出ていることが多いと思う。

私は現場での自分に、本当の優しさを求めている。

表現の現場にもっとも大切だと考えているからだ。

優しさ=洞察力とも言える。

私はそれが欲しい。

だから根気良く、言葉を往復させ、会話を続けるつもり。

いつか、何かが見えてくるはず。

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ふけつ

今日は後片付け。

客演のHさんとOさんが、朝早くから集まり、荷物の降ろしや車返却をしてくださった。

作業のために、昨夜の打ち上げでも飲みをそこそこに、切り上げてくださったとのこと。

労を惜しまないその姿勢に、頭が下がるばかりだ。

心おきなく話せる仲間にめぐり合えて、本当によかった。

昨日、恩義のある人が、現場で仕事と無関係に、ある行動をしているのを見た。

不潔さを感じ、もう一緒に仕事できないと感じた。

そして、数人からそれを目撃したと苦情を聞いた。

別れの時、私は礼の言葉を述べたが、次回の注文に対しては言葉を濁した。

何度も訊かれるので、

仕事の内容には満足しているが、正直、むつかしい、と話すと

重ねて理由を尋ねられた。

思い切って、私が感じたことを話すと、

その人は「正直に話してくれてありがとう」と言った。

そして今日、人の口から、私の信頼する別の人も、やはり同じようなことをしているのを知った。

この業界の人々は、みんな同じなのだろうか。

現場で楽しいことと言ったらそれだけか?

仕事そのものには楽しさがないのだろうか。

自分の職責を果たすことよりも、

仕事以外のそのような楽しみのほうが優先されるのか。

だとしたら、もう演劇業界など、もう終わりになるがいい。

こんなことは本当に言いたくないけれど、

レベルが低すぎる。

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み も こころ も いたい

先日、劇場から姉に電話すると、

小さな同居人が出て、「ママどこにいるの?何してるの?」と訊ねてきたから

「Hちゃん(演出助手)と劇場にいるよ」と伝えると、

「○○(自分の名前)もHちゃんと遊びたい」と言ってきた。

先月くらいから日常会話ならほとんど話せるようになった。

今日は昼間のオフ時間、

一緒に東京ドームの「アソボーノ」に行ってみた。

最初は年上の子どもたちが遊び狂うさまに、圧倒されていたが

そのうち慣れて走り回りだした。

遊具の集まる広場、おままごとやお店屋さんごっこのできるエリア、パズルや組み立てオモチャで遊べる場所、赤ちゃんの広場などいろいろあって面白い。

小さな同居人は磁石のついた組み立てオモチャが気に入ったようで、

まもなく腰を落ち着けて

一生懸命、おうちを作っていた。

夕方から劇場に行き、シーンの手直し。

小さな同居人は、時々役者の口真似をして何か呟いている。

そのうち少し自由な時間ができたので、

一緒にピアノを弾いて遊んだ。

公演が終わったらすぐに学校の試験が始まる。

私は「お花がわらった」を弾き歌いのテスト曲として選んでいる。

暗譜するために、ときどきこうしてピアノがあるところで稽古している。

小さな同居人は、最近、音符が音楽と関係があると気付いたらしく、

家でも楽譜を見つけると、おもちゃのピアノのところに持って行って、

でたらめな弾き歌いを始める。

途中で楽譜を「えーと」となどと覗いたりするのが面白い。

小さな同居人を見ていると、いつも胸が痛くなる。

目の奥が熱くなる。

喉が疼く。

めまいがするほど幸せなのに身も心も痛いのだ。

何故なんだろう?

これを陶酔感と呼ぶのだろうか?

劇作家協会の審査台本、早く読まねばならない。

明日からちゃんと取り組もう。

いや、今夜から。

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ろうどくげき

朗読劇初日。

午前中リハーサル。

稽古不足のため、基本的な部分で苦しむ。

本番はなんとか、読みきることができた。

終演後、何人かのお客様からお褒めの言葉をいただく。

そうか。

そんなに悪くはない出来だったのか?

でもやっぱり納得はできない。

もう少し頑張らねば。

本公演は、典型的な二日目芝居という感じ。

よいところもあるが、演技上のちょっとしたミスが多い。

照明、音楽ともに、完成度が上がってきただけにもったいない。

丁寧な作りこみが必要な作品だ。

ダメだしには少し時間を掛けた。

ワークショップ公演は、会心の出来。

中盤くらいまではスピーディな展開を楽しめた。

でももっと良くなる。

そう信じて、終演後いろんなアドバイスを行なう。

照明、舞台監督、制作と、よいスタッフに恵まれて、本当に幸せ。

私のような人間と一緒に仕事をしてくれて、ありがとう。感謝。

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ごうじょう

とうとう本公演初日。

どうなるか。

現代劇を書いたのは久しぶりだし、このテーマが受け入れられるのか、不安でもある。

ドキドキしながら客入れをしていたら、

尊敬する劇作家、小松幹生氏が客席に入ってきた。

うわわ。

ぺこりと挨拶すると、「面白いの?これ」と冗談交じりに言われる。

「面白いんです。私は面白いと思ってるんです」と真面目に返すと、

「はは、そうなの?じゃあ期待しよ」というお言葉。

うわあ。真面目に返すんじゃなかった。

本番が始まった。

うまくいっていないシーンもあるが、

全体的にはよい出来だったように思う。

ロビーで小松先生の感想をお伺いする。

「面白かったよ」とおっしゃっていただいたので、ひと安心。

いや、安心しちゃいけないのかな。よく分からないけど。

台本上の弱点も指摘してくださった。

自覚していたけれど、どうしてもそのように書きたかったのだと言うと、

何故か嬉しそうに笑い出した。

私も強情な人間が好きだが、小松先生もそうなのかもしれない。

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