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2011年10月

ど の おと

書き忘れていた。

4日くらい前の夜、小さな同居人がおもちゃのピアノを弾いていた。

珍しく単音で、意図的に鍵盤を押している感じがしたから、ドレミの歌「ドーはドーナツーのドー」を口ずさんでみた。

そうしたら、いきなりドを弾いた。

その後はレ。ミファ。

私が驚いた表情をしたら、何だろうという感じでこっちを見ている。

小さな同居人にしてみたら、私の声を同じ音がする鍵盤を押したみたに過ぎないのだろう。

ピアノに触る時も、CD聴く時も、音楽に触れる時はいつも楽しそうだねえ。

音楽を使った何か、面白い遊びを考えられるといいんだけど。

今は一緒に歌うとか踊るくらいしかできないよ。

いろんな感覚が一度に目覚めようとしている。

感覚については、何も教える必要はない、教えることはできないんだ、と気付かされる。

見守ろう。

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いっしょだから こわくないよ

日が落ちるのが早くなった。

帰宅する頃は夕闇を過ぎて、もう空は紺色。

「もう暗くなってきたねえ」と言うと、小さな同居人が「こわい?」と訊いてくる。

「ちょっとこわいかな」と答えると「○○(小さな同居人の名前)が いっしょだから こわくないよ」と手を握ってきた。

ありがとう。

くまの顔をかたどったマドレーヌを食べる時、姉が「食べたらくまちゃんが泣くかしらねえ」と言うと「おかしは なかないよ」とすました顔をしてパクッと食べていた。

私が「そうだねえ、お菓子は泣かないよね」と言うと「おばちゃま、まちがえたの?」と訊いてきた。

面白い。

くまのぬいぐるみは、泣くと思っているのに、お菓子のくまは泣かないのか。

マドレーヌのほうは、食べたいから泣かないと思っているだけで、

幼い子のファンタジー世界は結構ご都合主義なのかしら?

何でも思ったことが言葉で表現できるようになってきた。

「ほいくえん の さんぽ まま も いっしょに」などと言う。

「保育園で行く散歩には、ついて行けないんだよ。ママは大人だから、保育園で遊べないの」と話すと「いやだいやだ、いっしょに、いっしょに」と抱きついてくる。

私も行きたいよ。ほんとにね。

学校では今週も、興味深いデータをたくさん見た。

1986年くらいから、子どもの運動能力は恐ろしいほど落ちている、というのは

ワークショップなどで若者たちの様子を見ていて予想したから驚かなかったが、

外遊びに関するデータにはハッとした。

これほど幼児の運動能力に影響を及ぼしているとは思わなかった。

外遊びの時間と、運動能力は、ほとんど比例している。

まあ当たり前って言えば当たり前だけど、運動能力って、天性のものってイメージがある。

でも、実際は後天的な部分も大きいと、これを見ればハッキリと分かる。

子どもを教える立場にある人は、身体を動かすことに対して、楽しい、と思えるように、考えていかなければならない。

テレビとゲームは恐ろしいね。それと携帯。

日本ではそういうことを言うと、すぐに極端だとか何とか袋叩きに合うけど、本当だもの。

みんな企業のまわしものになっちゃったの?それか中毒にされちまってるのかしらん。

悪影響を及ぼすものは他にもあるとか言ってさあ。

それはそうだと思うけど、主原因から気をつけていかないとダメでしょう。

だからといって制限だけしても仕方ない。

もっと他にも面白いものがあるってことが分かれば、子どもはそちらを選ぶ。

だけどあまりにも

都会には安全に走り回れるところが少ない。

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たくさん の きせき

今朝、小さな同居人が「ほいくえん で あーんて ないたよ」と言ったので、

「どうして泣いたの?」と訊ねた。

「かなしいことが あったの」だって。

しかもソファに突っ伏して嘘泣きまでしてみせた。

ガキ大将くんに泣かされたことはある。保育士さんが連絡帳に書いてくれたから知っている。

しかし、もう2週間くらい前だ。

それ、ずいぶん前のことだよね?と突っ込むと

えへへと笑い出した。

どーゆーこっちゃ?

もう可愛いなあ。

お風呂の後、何かを持ってきて「にじゅうはちど だよ」と言ってきた。

28度?

小さな同居人の手元を見ると、たまご型の温湿度計があった。

確かに湿度のほうの目盛りは28パーセント。

まさか、目盛りを読み取った?そ、そんなわけはない。

とりあえず、適当に言ってるだけかもしれない。

温度のほうの目盛りは、25度を指している。

「どっちが28度なの?」と訊くと

「こっち」と湿度計の目盛りを指で押さえた。

う、嘘だろう……。

きっと、私が今日は何度だねえ、なんて言ってたのを覚えこんだだけ……とは思うんだけど、

どうして、28度なの?何故正解なんだ。

とにかく単位が間違えてるところは可愛い。

パーセントだよ。度じゃなくて。

でも、そんなことは言わなかった。湿度の計算法とか、実は私もよく分かんないし。っていうか、まだ10までしか数えられないんだしね。

「ほんとだ。28度だよ。よく分かったねえ」と言うと、

小さな同居人は「まあね」という顔で、そっと棚に温湿度計を戻した。

家族が小さな同居人のことを知りたがるから電話で時々報告していたが、

もうやめようと思った。

どうも勘違いしているようなのだ。

自分の子どもを天才だと思い込んで英才教育を施そうとしている変な人たちがいるけれど、

一歩間違うとこいつもそうなる、と思い込んでいるらしい。

そんなこと私がするわけがない。

幼い子どもはたくさんの奇跡を起こす。

それに対して感動したり、面白がったり、不思議がったりすることは、ちっとも悪いことではない。

そうすることと、天才児だと思い込んで早期教育を施したり、人に自慢してまわることとは、まったく無関係だと思う。

そういう人たちは本当には心を揺さぶられていないから、そういう二次的な行動に出るのではないだろうか。

だって本当に感動したらそれで満たされてしまうし。天才児、なんて名前をつけなくても、ああすごい。こんな発見があった。それで十分なのだ。

電話するのももったいない。

人間性なり知性なりを信頼してないんだろうな。

それも自由だ。

血がつながっていれば家族だとか、思わないなあ。

気持を分かち合えれば、友だちだって家族だと感じるし。

ふつうに会話できない間柄をなんと呼ぶのだろう?

幼い頃のことを思い出した。

私は、花の絵を描くのが好きだった。

小学校三年生の時、ユリの絵を描きあげてすぐに家人に持って行った。

嬉しくて「見て見て~」と言ったら一瞥して「そんな風に自慢するものじゃない」と叱られた。

本当にがっかりした。

見て微笑んでくれればそれでよかった。

自慢するなだって?

家族にも自慢できなかったら、友だちに自慢してしまう嫌な奴になるんじゃない?

まあそれ以前の問題で、本ばかり読んでて偏屈だったから、ほとんど友だちいなかったけどさ。

ほめるって現象がほとんど起こらない家庭だったっけ。

喜びに関することは理性でなるべく平坦に押さえ込み、マイナス面に関することはとことん怒りを爆発させ感情的に動く、そういう暮らし。

暗くて窮屈で、喜びがなかった。

いつも、おどおどしていて、そういう自分を見せまいと、どんどん無表情になっていった。

私が欠点だらけでしかも可愛げのない子どもだったから、そういう対応を受けたのだ。

おそらく他の家族にとっては、生き生きした暮らしの場だったとは思う。

とにかくそういう環境で育った人間だから、ほめる、という引き出しがまったくなかった。

人の素敵なところに気付く。そしてそれを相手に伝える。

その二つは人生を豊かにする重要な要素だし、仕事をする上でも大事なポイントだ。

自分という人間を自覚する5年ほど前までは大変だったが、それ以後は人間関係も何とかなっている気がする。

とにかく負の連鎖を断ち切りたい。

そもそも喜びは理性で解析する必要なんかない。

マイナス面を改善する時には理性が役に立つ。

「普通に穏やかに会話しているところ」を小さな同居人に聞かせたい。

友人たちと、会う時間を作りたい。

そういう環境に育った人間が、今、こんなに喜びに満ちた生活を送っているなんて、

そのこと自体が奇跡だ。

小さな同居人は、私にも大きな奇跡をくれた。

穏やかに静かに、暮していけるといいなあ。

小さな同居人には、私のような思いはさせたくない。

のびのびと楽しく。

そんな暮らしを作るのだ。

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しんらい できない

信頼できない。

tナントカにやたらマメに呟いたりブログをアップしたりして

人恋しさを満たそうと必死なのに、

きちんと仕事や身近な人との連絡をできない人。

うっすらとした人間関係ばかり広げようとして、

結局手元にはきちんとした絆が残らない。

年齢に関わらず、構ってちゃんっているものだ。

私も気をつけないとだ。

うんうん。

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ちいさな りくつ

ここのところ、疲れなのか、生来の怠惰のせいか分からないけれど、

寝かしつけるとそのまま眠ってしまい、朝まで起きられない、ということが続いていた。

そのせいで余裕があるはずの締め切り仕事も、ちょっとギリギリな感じになったきた。

おいおい。

どうしたんだろう。

とにかく眠たいのだ。

そうそう。

この前、小さな同居人と一緒にスーパーに買物に行こうとしていたら、

「ままは こないで」と言われてしまった。

食料品売り場の横に真っ赤なスーパーカーがあって、

それにずうっと乗っていたいから、私に来て欲しくないらしい。

私がいると、5分くらいしか乗せてあげないし、

他に待っている子がいれば、「じゅんばんこだよ」と小さな同居人に降りるように声を掛ける。

ちょっと鬱陶しいのだろう。

だからと言って一人でスーパーに行かせる訳にもゆかない。

「そんなこと言わないで、一緒に行こうよ」と伝えると「いいよ」と頷いた。

言うことにいちいち、小さな同居人なりの理屈があるから面白い。

「あめこんこんだと さんぽにいけないから どうしようねえ」などと

空を見上げて憂い顔をしたりする。

小さな頭をフル回転させて、いろんなことを考えているのだ。

男性の老人を指して考え考え「あのひとは おとなの おじさん?」などと少し奇妙な質問を発したりもするけれど、

小さな同居人なりに考えた結果なので、

「うーん。そうだねえ。おとなのおじさん。あっそうだ。おじいさんとも いうね」

などと答えてみる。

前は何にでも興味があったのが、最近は少し偏ってきた。

積み木遊び。電車遊び。ファッション?

ファッションはよく分からないが、私が横縞のシャツを着てると、「しましま着たい」と言い出す。

それと、好きな服と嫌いな服がある。

アクセサリーショップの前を通ると入りたがり、「きらきらしてる」とうっとりする。

街歩きに精を出す一方、

家にいるほとんどの時間は積み木をしているようになった。

絵本を読もうと誘っても、あまり相手にしてくれない。

積み木で家を作って、そこに小さなぬいぐるみを住まわせている。

建設した家の中にテーブルや椅子を積み木で作り、

おままごとに発展することもある。

そういえば、工事現場が大好きなようだ。

通りかかると、最低15分くらいは見学しなければ気がすまない。

クレーン車とショベルカーをこよなく愛する。

少し大きくなったら、工場見学に連れていこう。

私も小学生の時、一番面白かった場所を聞かれて「秩父のセメント工場」と答えた記憶がある。

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こどもげき の しんさく

学校が早く終わったので家に戻って、子ども劇の新作台本を書き始めた。

やっと。

楽しんで書き進められるような気がする。

もうストーリーや構成などは決まっているので書くだけだ。

人形含めて4人という少ない人数でどれだけダイナミックなものが作れるか、ワクワクする。

これからピアノをちょっと練習しに行こう。

深夜はレポートを書かないと。

寝かしつけで一緒に眠ってしまって、

一時半くらいに目を覚ましてレポートを三つ書いた。

今日はいろんなことをやったなあ。

一つ一つはそんなに大したことでなくても、たくさんの種類をこなすってことはそれだけでも結構疲れる。

明日はピアノのレッスンだが準備が間に合っていない。

毎週あるってことは、毎週進歩してなくちゃいけないってことなんだよねえ。

う~困った。

この前、打ち合わせが入ってしまって、

古い友人とお茶する予定を結局キャンセルしてしまった。

最近、スケジュールを組むのがむつかしい。

その前には行きたかったドキュメンタリー映画も見逃しているし、

お世話になった方のコンサートも見逃してしまった。

行きたい美術展があるけれど、これも無理かなあ。

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まよい

小さな同居人の通う保育園の運動会に参加した。

運動会なのに、あまり運動に関する出し物がなくて不思議だったが、

楽しかった。

小さな同居人は泣いたりぐずったりもせず、楽しそうにマラカスを振って踊った。

そうそう。

客席に戻ってから、泣いているクラスメートの頭をなでなでしてあげているのが印象的だった。

すっかりお姉さんだねえ。ほんと。

夜、ゲームの打ち合わせで街へ。

思ったより責任が大きい仕事であることが分かり、内心動揺する。

その分、お金もいい。

引き受けるかどうか、非常に迷う。

お金は欲しいけれど、学校の勉強もあるし大丈夫だろうか。

小さな同居人との時間を確保できるだろうか。

深夜、親しい人に電話で相談する。

話しているうちに、頭が整理されてきた。

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まち を つくる

小さな同居人はここのところ、積み木遊びに打ち込んでいる。

積み木を40個くらい使って、家とかベッド、すべり台、階段、電車を作る。

家は10個から15個くらいの積み木を左右対称に組んであり、

なかなか丈夫そうだ。

やがて、それぞれの構築物は道でつなげられ、街のようなものに発展する。

「まっててね。すぐつくるからね」

作っている間、街の住人に話しかけている。

住人は主に、薬屋でもらったゾウやカエルの小さなマスコット。

小さな同居人は彼らを積み木でできた道を散歩させたり(「あるこ~♪」と歌う)、家の窓から顔を出させたり、すべり台で遊ばせたりする。

作り始めると止まらない。

六畳の和室は普段誰も使っていないから、小さな同居人の積み木部屋?になっている。

昨日は、歯磨きしようと声を掛けると「いそいでつくるから。いそいでつくるから」と言い返してきたので面白かった。

描くことにも強い関心がある。

一週間ほど前から、紙に小さな塊(一センチ弱の三角形みたいな感じのもの)をいくつも描いて「とんぼ」とか「ぶーぶだよ」とか言うようになった。

ときどき自分の名前を言いながら書いていることもある。こちらは文字のつもりらしい。

今日は大きな楕円形を赤いペンで描いて、「カバさんだよ」と言っていた。

ひと月ほど前から、二、三日に一度、大きな白い壁面に小さな同居人の絵を貼っている。こうしてみると、発達がはっきりと分かって面白い。

最近の絵は配色がとても美しい。

幼いながらにいろいろと好みがあり、水色とオレンジ色の組み合わせが多い。青も好き。

小さな同居人は絵を貼られるのが嬉しいようだ。

今日も描きおえると、「はってね、はってね」とねだってきた。

二歳になったばかり。

これからどんな風に進化してゆくのだろう。

わくわくしながら小さな寝顔にほおずりする。

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のうりょく

今日、女の子たち(私よりも年上の人もいたし、年下の人もいた)と話していて、

私の男性観って変だと痛感した。

いや、私にとってはフツーなんであるが、おおかたの人にとっては奇妙みたいなのだ。

変人とか、可哀想な人、と思われると後々面倒なことになりそうなので

好奇の目で見られ始めたところで口を閉じた。

ま、いいや。

私がのびのび喋れる場所なんて、なかなかないんだよね。

古い友人たちくらいかなあ。

だけどさ、どういう価値観を持っているにしろ、

家族とかダンナの仕事やステータスを自分の手柄みたいに言うのはカッコ悪いと思うなあ。

どうせなら自分のこと、自慢しようよ。

大人なんだから。

せっかく長く生きてるんだもの。自分にも素敵なところあるでしょ。

私はどういう仕事が偉いとか、稼ぎが多ければ凄いとか、思わないなあ。

私の周りの堅気な人々って、

自分のことは低く言って、配偶者や家族のことは高く言う、

というのが大多数なんだけど、

それってなんで?

自分を自慢したら、その分だけ自分に責任持たなくちゃいけなくなる。

そーゆーのが成長のもとになる。

私はそう思う。

自慢じゃなくてもいい。

とにかく自分に出来ること、自分の能力を、機会があったらときどき、言葉にしてみる。

そうやってプレッシャー掛けると、さらに能力が高まると思うのね。

ああ。

会いたい人にはなかなか会えないし、淋しいなあ。

遠慮しないで話したい、語り合いたい。

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おきられなくなった

少し体調を崩してしまったのかな。

月曜日に学校から入稿して以来、寝かしつけの後、起きられなくなった。

今夜はやっと起きたら、もう23時過ぎ。ひとつ予定をすっぽかしてしまった。

ドタキャンして本当に申し訳ない。ごめんなさい。

パソコンを開いたら、脚本の依頼。こちらは舞台だ。

古い知り合いだから引き受けたいけれども、時期次第。

年末まで執筆仕事は予定びっしりだし、年明けは実習が二つもある。それにテスト。

とにかく目の前にあることからしっかりやろう。

ゲーム関連の請求書を送る。

学校課題のパネルシアターの原案。

ピアノの練習。

注文をもらっている子ども劇の台本。

11月から始まるゲームの仕事の資料に目を通すこと。

体力は少し戻ってきた気がする。

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やっとやっと

やっとゲーム台本に関連した諸々の仕事が終わりそうだ。

残すは一つ。

明日、学校の図書館で書いて片付けてしまおうと思う。

うう。

頭痛が痛い、と書きたくなるほど頭が痛い。

昨日は秋の本公演の人たちと話した。

自分の演出について振り返るとてもよい機会となった。

もっと話を聞きたかったが、待っている人もいるし、なかなかゆっくりもしていられない。

役者の人たちがもっと短時間で稼げる仕事につければいいのに、といつも思う。

しかも水商売とか風俗とかではなくて。

だって、演出の操り人形としてでなく、創造的な仕事として役者をやろうとすると、

ものすごく時間が掛かるし、気持に余裕も必要だと思うからだ。

水商売とか風俗じゃないほうがいいと思うのは、

色気と時間は有限なので、そんなところで費やさず、芝居で使う分に残しておいたほうがいいと考えるからである。

職業に貴賤はないが、水商売は多くの女性に客観性を失わせる。

向いている人はそうでもないと思うが。

ということは、若いうちに技能を何か身に着けたらいいのかな。

純粋に芝居に使える時間が、役者の人たちに必要だ。

だから昔の役者には(今も一部そうなんだろうけど)パトロンがいたのかなあ。

うーん。

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