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2011年11月

じてんしゃや の ものがたり

髪を切りに行った。

「ひとつき前と同じにしてください」とお願いして、そのままうとうとして目を開けたら、

ものすごく短くなっていた。

さっぱりで、びっくり。

そういえば、「サイドの毛、すいてもいいですか?」という声が聞こえた気がする。夢の中で。

まあ仕方ないか。

別にイヤというほどでもない。

自転車屋さんに行って、子ども用座席を後ろにも取り付けてもらった。

小さな同居人を前に乗せていたが、重さに耐えられなくなってきたからだ。

自転車は別の店で購入したが、タイヤの空気入れや、点検、部品の取り寄せなどはこちらでお世話になっている。

自転車屋さんの人は、純朴そうな青年風中年。

お父さんと一緒に営んでいるようだが、

私の担当は息子さんと決まっているようで、

お父さんに声を掛けても何故か、彼が呼ばれてしまう。

彼はいちいち赤面したり、照れたりする人なので、こちらが恥ずかしくなってくる。

しかも時々、立ち位置が近過ぎる。

私は立ち位置が近い人が昔からちょっと苦手だ。

とても優しくて、おそらくいい人だとは思うのだが。

後日、前の座席を取り外してカゴを取り付けてもらうことになった。

その予約をするのに苗字を名乗ったら、部品の注文表を目をやり、赤くなりながら私の下の名前を言って確認するので、戸惑った。

それだけ普段の生活で呼ばれないってことかなあ。

考えてみたら、私の苗字の医者が近くにもあるし、結構このあたりに同じ苗字の人がいるのかもしれない。

まあ、戸惑うようなことじゃないんだよね。

自転車屋さんでひとつ、お話が書けそうな気がする。

深夜、ゲームのプロット作りをした。

なんとなくやり方が分かってきた。

物語における「あいまいな情報」をどのように扱うか、便利に使うか、それが大切だと分かった。

急いで進めねばならない。

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ときどき

印象に残る目をしている人に出会う。

たぶん顔がこんなにも鮮やかに記憶に残っているのは、真っ直ぐに目をみて話す人だからだ。

屈託なく話し掛けられて、なんとなく視線を避け、離れていた。

優しくて真っ直ぐな人は怖い。

ちゃんと仕事をして、ちゃんと生きなければ、と思う。

ときどき思い出すかもしれない。

と思ったら、メールが来ていた。

きっと優しい人なのだ。

まずは仕事をしなければ。子ども劇と、ゲーム台本。

頑張ろう。

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おつきさま は おさんぽ に いってきたの?

朝、自転車で走っている時。

透明な水色の空に白い月が浮かんでいた。

「あんなところに、お月さまがいるよ。朝なのにねえ」

小さな同居人に指さして教えると

「おつきさま は おさんぽ に いってきたの?」と言う。

ああ。

なんて素敵なんだろう。

幼子の口からは、いつも、ふと、詩の言葉があふれだすのだ。

なんの苦労もなく。

うらやましいよ。

「そうだね。きっとお散歩に行った帰り道だよ」と答えてみた。

小さな同居人はなるほど、という顔で頷いて空を見つめている。

忘れられない言葉になる予感。

今日は小さな同居人のクラスで、保育見学。

変装して(みつあみに三角巾、大きなエプロンに眼鏡、マスク)、子どもたちを見守る。

小さな同居人も親しくしているRくんに、「おにいちゃん」と呼ばれた。

複雑な心境だ。

女装しているお兄さんに見えたのだろうか。

私って女装しても男っぽいのだろうか……。

それにしても、「おじさん」じゃなくて良かったよ。

ほっとした。

いや、ほっとしている自分も、どうかと思うが。

ちなみにRくんは私のことが気に入ったらしく、抱っこをせがんできたり、電車ごっこを要求してきたりした。

Rくんにつられたのか、ガキ大将のSくんも「おにいちゃん、どいて」とか言ってきた。

小さな同居人は、私だということにまったく気付かず(今まで変装した親に気付いた子どもは皆無だと先生は語っていた)、ひたすら怖がっていた。

大きな声で「なかないよ。だいじょうぶ、なかない」と涙目で言っていた。

「知らない人がクラスを見に来るけれど、泣かないでね」と先生から言い聞かされていたらしい。

泣かないでくれて助かった。

驚いたことに、小さな同居人は三輪車を乗り回していた。

乗れたのか……。いつから?

ウチの三輪車は乗りにくいのだろう。いや、乗る気がないだけ?

園での様子が分かって良かった。

先生に抱きついてばかりの甘えん坊だということもよく分かった。

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あまく みたされる

学校は相変わらず嫌なところだし、

その他の対人関係もうまくいっていない(相手は気付いていないかもしれないが、私はとにかくそう感じている)のに、

幸せだ。

小さな同居人のことを考えるだけで幸せ物質が脳内で放出されるのが分かる。

身体中が甘く、満たされる。

夜。寒いので夕飯後の散歩はやめて、家の中でおいかけっこをした。

私の家は細長いかたちをしている。割合に走る距離は長い。

今日は劇団のミーティングをした。

劇団の預金通帳を見ながら、被災地への寄付を相談する。

劇団のお金に私とHちゃんでお金を足して、少しまとまった金額で送ろうということになった。

どこへ送るか。

Hちゃんがある理由から日赤はイヤだというので、他のところを検討してみることにする。

まずは調べてみないと。

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みんな まま を さがしている

朝、小さな同居人。

和室にぽつんと取り残されたロディを発見する。

「ね、ろでぃちゃん は さびしかったの?あーんて ないたの?」と訊ねた後、

「ままに でんわして あげるね」と言い、

ロディの細長い耳に私の携帯電話をあてがう。

そのあと「まま~まま~」とちょっと哀れっぽい声でロディの台詞を演じた後、

私に話しかけてきた。

「まま、ろでぃちゃんは おばちゃまは?」

ロディに叔母がいるのか、ということらしい。

真相は知らないが、とにかく「いるよ。ろでぃちゃんにも おばちゃまは いる」と答えると、

小さな同居人はほっとした顔で、ロディに「おばちゃま くるからね」と言ってなぐさめ始めた。

とにかく、小さな同居人に言わせると、ありとあらゆるぬいぐるみがママを求めて泣いているのである。

クマちゃんも、ねこちゃんも、ワンワンも、チュウちゃんも、みんな「ママ~ママがいないの」と泣いているのだ。

小さな同居人は、ぬいぐるみ側の台詞となぐさめる自分の台詞と両方言わねばならないので結構忙しそうに演じている。

私はかなり複雑な気分だ。

淋しいのだろうか。

だけど、その遊びの時に私が入っていくと、邪魔もの扱いされる。

実物のママは登場してはならないらしい。

たぶんファンタジーなのね。

まあ、母を探すのってファンタジーというか、そもそも物語の原型みたいなものだし。

ちゃんと途中でママ役のぬいぐるみも登場して、(何故かクマの母親がワニだったりもするのだが)感動的な再会シーンも展開される。

私はそうっと息をころして、小さな同居人のつむぐ母と子の物語を見守っている。

しかしどうして小さな同居人は、「だいじょうぶだよ」と泣き叫ぶぬいぐるみたちをなぐさめる時、あんなに満足そうなのか。

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くっする じぶん に おこる

この週末は学校の行事に参加せねばならず、ものすごく憂鬱だ。

クラスの中では怖い感じの女の子たちが嬌声をあげ、ひたすらハイになっている。

講義中に、つけ睫毛など「顔の突貫工事」を行なう人たち。

その他にも楽しくなっている人たちは大勢いる。

そういう人たちだけでも十分成り立つはずなのに、全員参加を強制する理由はなんだろう?

学業のためになるとはまったく言いがたいイベントであるのに。

お金を払えば参加しなくてすむなら、欠席したい。

一日一万円くらいなら即、払いたい。いや、二万円でも。

こんなことのために小さな同居人との貴重な時間が失われ、仕事も休まなくてはならないのは何故だ?

と思ってたら、夜中、胃痛で目が覚めた。

薬を飲んでおさまるのを待つ。

気をまぎらせようと、今これを書いている。

要するに、強制、公権力みたいなものに対して、屈してしまった自分が嫌なんだね。

納得できないことをやっている自分が許せないのだ。

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すとれす と おうと

昨日はゲーム脚本の打ち合わせで取引先へ。

2件目の打ち合わせ先でめまいと悪寒がして、トイレへ。

吐いてしまった。

なんだろう?

大体打ち合わせは終わっていたので帰らせてもらい、小さな同居人を迎えに行った。

その間も震えが止まらなかった。

小さな同居人と二人きりの時に私の身に万が一のことがあってはいけない。

もし私が倒れたら

三階だから小さな同居人は閉じ込められた状態になってしまうだろう。

不安だから頭に浮かんだ人と姉に、体調不良なことを伝えておいた。

小さな同居人は私の具合が悪いのを察してなのか、すごく不機嫌だ。

私は微笑もうとしているが、きっと自然じゃないんだろうな。

夜寝る前にすごく泣いてしまった。

単なる寝ぐずりなのかもしれないけれど。

今日は学校を休んだ。

学校も最近かなりストレスフルだから、行ったら吐くだろう。

学園祭に無理やり参加させられるのは何故なのだ?

全員参加を強いられることで、学生がどんどん冷めてゆくのが分からないのだろうか。

何の意味があるのか、さっぱり分からない。

先生は「勉強できる人ばかりがいいという訳じゃありませんからね」と言って

まともな講義をしない人もいるし。

そんなこと言うからヤンキーの人たちは寝るか携帯いじるか私語してしまうのだ。

先生、あなたの仕事は学問を教えることでしょう?

だったら、彼女たちの学びのモチベーションを落とすような言動をすべきじゃない。

彼女たちの態度がどうあろうと、とにかく先生はプロなのだから。

医者と整骨院に行って診てもらう。

胃腸が過敏になっているとのことで、薬をもらう。

午前中余った時間で、少し仕事をした。

有意義な時間だった。

午後は稽古に行く。

早く後半部分の台本を仕上げなければという気持になってきた。

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しごと と がっこう

貧血なのか、とにかく目の前の画面が暗い。

何故だ。

午後から子ども劇の稽古へ。

心を一つにして作品を作るのは楽しい。

苦しいことはあるが、やっぱり芝居は続けたい。

帰宅すると、小さな同居人は少し怒っている様子で相手にしてくれないが、

しばらくしたら、私の背中に顔をすりつけて匂いをかいだりしている。

可愛い。

深夜、ゲーム会社の方とチャットにて打ち合わせ。

打ち合わせというか、いろいろ教えられることばかり。

足を引っ張らないように気をつけないといけないなと思う。

学校の帰りに週一くらいで通わないといけないかもしれない。

ピアノの稽古をいつやるかが課題。

せっかく指が動くようになってきたのだ。練習は続けたい。

来春の実習、一つだけで助かった。

仕事もやって実習も二つというのは不可能だった。

おかげでその分来年の夏がとんでもないことになってしまったが、まあ何とかなるだろう。

ダメならダメで、1年余分に勉強するだけだ。

なるべくそうならないようにはしたいけれど、

仕事もやらないわけにはいかない。

長い目で見たら、仕事は休まないほうがいい。

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ながい つきあい

井の頭公園に行って、散歩。

午後、姉の家で小さな同居人は昼寝。

私はその間に古い友人と会って打ち合わせ。

12月に上演する子ども劇の舞台美術のアイディアを出し合う。

ついでにパソコンの買い替えについても相談。

ちょうど良さそうなものを探してもらう約束をする。

何故かこの人にはいろんな頼みごとを自然にできる。

理由もない安心感。

かっこつけてなくて、賢ぶらない(こういう日本語あるのか?)ところが

この人の長所だと思う。

もう一人、こういう感じの人を知っている。

性別は違うけれど、似ている。

その人とも、つき合いがずいぶん長い。距離感も近い。

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