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2012年1月

くるしむ ちから

以下メモ。

私は嘘くさいの嫌い。

ビジョンがなく、上っ面を滑るようにして生きる人間を嫌悪する。

そういう人間ほど、他人に上っ面学問を偉そうにレクチャーするのが大好き。

そのくせ、責任負わないし、自分がミスしても申し訳ありませんの一言もない。

泥んこになって責任を背負いながら生きるのが人生なのに。

爽やかで仕事できるぞ、みたいなネット人格が痛々しい。

生身で対すれば、事実は違うということをみんな見抜いてしまうのに。

下心とかカネが欲しいとか、生きるための普通の欲望を、そのままあっけらかんと出している人のほうが余程マシだ。

でも、そういう人間に対する反発も、仕事や表現の原動力の一つになっている。

反発心って一番、エネルギーを生んでくれるんだよね。

そういう意味では、ありがたい存在なのかも。

中学生の時読んだ、三島由紀夫の文章読本のことを思い出した。

鬱屈がなきゃダメだって書いてあった気がする。

私の場合は鬱屈より、反発だな。それに嫌悪。

何故かそういうものがあればあるほど、美しいもの、力強いものを生み出したくなるよ。

うわべの楽しみだけで生きる人生は醜い。

きちんと苦しむべき時に、苦しむ力を備えた人間でありたい、と思っている。

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かくしつ と しきんきょり

今日、確執、と書こうとして「角質」と変換されて、唸った。

うん。そうだねえ。

確執じゃなくてもいいよね。角質なのかも。

心の皮膚がかたくなって角質化し、関係がギスギスしてるだけなのかもね。

例の素敵な目をしている人と、会う機会があった。

目が合わないように、なるべくその人を見ないようにしていたが、

状況的に話をしないわけにもいかなくて、結局、至近距離から見てしまった。

そういえば「至近距離」という言葉、全然使ったことがなかった。

ちょっと違和感。

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てすと

学校では連日テスト。

火曜日は弾き歌いの試験なのに、雪で大変だった。

何が大変かって、雪のため自転車で園まで送るのがむつかしく、

タクシー拾おうとしたらまったくつかまらずで大変だったのだ。

たまたま泊りに来ていた人が協力してくれたので、なんとかタクシーもつかまり、

テスト開始二分前に学校に到着。

ギリギリセーフだ。

と思ったら、発表順は2番めなのに、1番の人が欠席で、私がトップバッターとなった……。

うう、試練に次ぐ試練。

指をあたためる時間も与えられず(次の順番の人は、その間にストーブにあたらせてもらえる)、発表となった。

「たこのブルース」を頑張って歌う。

歌詞のせいなのか、私の歌が変だからか、順番を待っている人たちからしのび笑いがもれる。

なんとか歌いきれた。

前期の指導教官から、「前期の『お花がわらった』よりぜんぜん良かったわよ」と意味深な笑みで言われる。

?なんだろう?

前期だって頑張ったのになあ。点だって満点とは言えないが悪くはなかったんだけど。

とりあえず、少し気が楽になった、と思ったら火曜日夜は爆睡してしまって、勉強できず。

でも今日もなんとか乗り切った。

今日は明日最終日で嬉しい!ということでテンションが高いのか、

3科目もあって不安!ということでドキドキなのか、

よく眠れない。

仕方ないから起きて「保健」の教科書を眺めてみた。眠くならない……。

憲法……やはり眠くなった。授業はこの人のが一番面白いんだけど。教科書はつまんないね。やっぱり。

自分の中でも名前がつけられない気持ちなのだが、

顔をみるとほっとする、

そんな人ができた。

個人的に話したことはほとんどない。

どんな人かもよく知らないのだが、たぶんとても気の合う人だと思う。

すれ違うときに挨拶したりする程度だ。

しばらくの間は、ほかほかした感情を楽しみたい。

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ねむた すぎる 

毎日ねむたすぎる。

ねむた すぎる ってなんか名前みたいだな。

ペンネーム必要なとき、これどうだろう……ダサい……。ダサすぎ。

締め切り、いつ終わるんだろうな。

と思ってたら絶え間なく新規の仕事の話がきて、

どうしたらいいのか分からない。

まあなんとかなるだろう。

いつかはラクになるかな。

適当に手を抜いて、息抜きしながら、続けていかないと。

小さな同居人は最近ウソをたくさんつくようになった。

ウソをついている自覚がある時とない時があるようだ。

不思議なウソをつくことがある。

「おばけが いるよ」とか「おおかみは おやまに かえったよ」とか「おに は たいじした」とか。

空想と現実の境目があいまいな時代は、まだまだ続く。

私は小学校4年生くらいまで続いたが、この人はどうだろう?

数の観念が出てきたようで、時々20くらいまで数えている。

同じものを重複して数えたりしているので、正確ではないが、とにかく数えている。

見ているとつくづく歌が好きなんだなあと思う。

音程も正確だ。

私は歌がもともと得意でないが、小さな同居人を見ていると、頑張らなければという気持ちになる。

おかげで学校の音楽の成績はまずまずだ。

歌というのは短いお芝居なのだ。

気持ちを前に出して、思い切って表現すればいい。

伝わる、と信じて、歌うこと。

小さな同居人から、学んだ。

この前、弾き歌いの先生から「あなたの歌は独特。でもお金を取って聞かせてもいいと思う」と言われた。

ほとんど励ましの意味と思うが、嬉しかった。

歌声も美しくなく、素質ゼロの私でも、音楽を通して何か表現できる。

それが嬉しいし、幸せ。

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すーぱー で かいもの を する おつきさま

今夜は月が冴え冴えと明るい。

朝、一緒に自転車に乗っている時に、ぽっかり浮かんだ白い月を見て、

「おつきさまが おさんぽしてる」と言っていたのを思い出した。

園からの帰り道、「ほらお月さまが散歩しているよ」と指差したら、「おかいものしてるの」と真剣な顔をして言う。

「お買い物?どこに買いに行くの?」と訊くと近所のスーパーの名を告げた。

しかも「おみずを かってくるのよ」と言いそえるからおかしかった。

不思議なことを言うなあ。

家に着くころ、「もうくらいから、おつきさま、おさんぽにいけないの」と言う。

夜に散歩行きたがって困る時、

「もうくらいからお散歩は朝になって明るくなったら行こう」と言って聞かせている。

自分とお月さまは一緒の存在なのね。

だから、朝は散歩だけど、夜は買い物なのねえ。

幼いなりの論理で一生懸命考えて話しているのだ。

それにしても、たくさん話すようになったなあ。

ほとんど普通に会話している。

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あきらめない こころ

小さな同居人を連れて、友人に会いに行く。

色川武大の小説を数冊、届ける。

私はこの友人の、向上心とか、諦めない心とかが、とても好きだ。

それから、自分のダメなところを真っ直ぐに受け入れるところ。

それらを美しいと感じる。

尊敬も。

いつも話していて、私なんかよりもよほど文筆に向いているのではないかと思う。

今後、体調のこともあるから、外で働くのはほどほどにして、文章でお金を稼いでみたらどうかとすすめてみた。

才能のことはよく分からない。

でもお金を稼げる人と、そうでない人は、私にもなんとなく分かる。

友人はおそらく、前者だという予感がある。

今の時代、ライター一本で食べていくのはなかなか大変だが、いくつかの仕事の中のひとつであれば、こんなによいものはないと思う。

家でできる仕事って、子持ちの人や、持病のある人などにとっては強い味方だ。

力になりたい。

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新年

あけましておめでとう。

とあまり爽やかな気持で言えなかった。

昨日は嫌なことがあり過ぎた。

私はやっぱりこの家で余所者なのだと感じる。

小さな同居人のための棚一つ買って置くにも、

ここに住んでいない家人たちの了解が必要なのだ。

一人から了解を得ても、他の家人の意見ですべて覆される。

ここでは普通の会話が成り立たない。

早くここを出ていきたい。

私が尊重されない場所は、小さな同居人にとってもよくない。

子どもは、母が馬鹿にされるのを絶対に見てはいけない。

私のようになってしまう。

小さな同居人との暮らしと、仕事と、どのように維持していけばいいのか、

それが課題だ。

とにかく仕事をしなければならない。

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