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2012年3月

おさない けど ふくざつ

久しぶりに友人と会った。

先週、仕事のためドタキャンしてしまって悲しかった分、

いや、その倍くらい、嬉しかった。

気の合う人と、思いきり遠慮なく語り合える楽しみ。

幸せなひとときだった。

お互いに、苦しい思いを吐き出しあった。

でも何だか言葉にしてみると可笑しい。

ギャハハハ、笑いが止まらなくなる。

小さな同居人との最近の会話。

保育園で誰が好きなの?

と聞くと「おともだち が すきだよ」と言う。

「お友達って誰?」と訊ねると、

「〇〇ちゃんと◇◇ちゃんだよ」と女の子と男の子二人の名前をあげた。

「**くんは?」と再び問うと、戸惑った顔をして、口をつぐむ。

嫌いなのだと言う。

**くんは、入園したての頃から小さな同居人の世話を焼いてくれている、ガキ大将タイプの子だ。

4月生まれなこともあって、言葉が達者で頼もしい。

理由を訊ねると、「いっしょ に あそぼう っていってくるから」とのこと。

なにい?一緒に遊ぼうって誘ってくれているのに、嫌いだとお?

積極的に出られるのは、イヤなのね。

幼い心なりに、複雑な揺れ動きがあるらしい。

おそれいりました。

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とうとう あれ が やってきた

よく分からないがなんだかすごく憂鬱。

どうしたのだろうか。

笑顔を作るのが大変。

とにかく、なんにもしたくない、という感じ。

考えてみると、火曜日くらいからだった気がする。

やっつけ仕事的なものが終わった翌日。

仕事があるだけでもありがたいということは分かっている。

しかし今の私は身体の中に、おかしな思いが充満している。

手がつけられない。

・楽しいことなど何もない。

・私の仕事には価値がない。

・どこにも行きたくない。

・何をするのも面倒くさい。

・何をしていても時間の無駄に感じる。

・意味もなく泣きたくなる。

季節の変わり目の「あれ」がとうとうやってきたのだろうか。

小さな同居人といる時には、あまり感じないから、以前よりはまだマシなのだが。

忙しい日々が続いてきて、ここのところ少しだけ時間に余裕ができたので、

気が抜けて欝っぽくなった?

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ねたり おきたり

週末から月曜日にかけ、大量書きの仕事が入った。

土曜日は友人たちと約束があったし、

日曜日も日中は小さな同居人の相手をしなければならないため、

夜に起きてやるしかない。

体力的にしんどかったが、月曜日の昼過ぎには入稿できた。よかった。

整骨院で施術を受けたが、疲れが表に出てきた感じで、

今日は寝たり起きたり。

起きていると、身体中が痛くて、めまいがする。風邪なのか?

とにかくしばらくの間、おとなしく休もうと思う。

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ほのぼの

パソコンを開いたら、仕事で関わっている人からメールが来ていた。

優しくて実直な人柄が伝わってきて、ほのぼのする。

なんとなく、応援したくなる雰囲気の人だ。

久しぶりに女優のSちゃんに電話してみた。

正月、お見舞いに行った時に、台本執筆をすすめたのを、ふと思い出したのだ。

原作ものを書いたとのこと。

送ってくれるよう頼んだ。

読むのが楽しみだ。

今年は子ども劇以外は無理かもしれないが、来年、小さな場所で、短編を上演してみたい。

自分のためのものも時々執筆しないと、

お金のために書き続けられない気がする。

今年はそのために、ささやかな作業を積み上げていこう。

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あきらめない こころ

小さな同居人と、井の頭動物園に行った。

この前、アドベンチャーワールドでたくさん動物を見まくったばかりなのに。

何で行きたがるのかと思いきや、到着して納得。

目的はメリーゴーランドだった。

その後は、ジャングルジム。

危なっかしい手つきで登っていたが、そのうち、一番上まで到達。

年上の子たちが登っているのを、見よう見まねで習得したらしい。

すごいなあ。

私は2歳半の時、こんなに登れなかっただろうな。

「じゃんぐるみむ じぶんで のぼれた」

得意顔で言ってくる。

じゃんぐるみむって……うふふ、可愛いねえ。

最近、朝ごはんの時でも「ごはん たべおわったら あいす たべようね」と言ってくる。

作った感じの笑顔で。

「アイスは夕ご飯の後ね」と答えると

「でもね たべようか ね ね」と笑顔で返してくる。

全然、諦めない。

アイスってそんなにいいかなあ。

まあとにかく、こういう諦めないところが、ジャングルジムやら、壁のぼりやらを制覇するために、大いに役に立っている気がする。

小さな同居人は、家でご飯を食べるのが好きらしい。

旅から帰ってきた後の夕飯で、鳥手羽の煮物に向かって「これすきだよ すきだよ」と呟く。

ジーンとした。

ホテルの豪華な食事の後で、私の作った料理をこんなに熱っぽい視線で見つめてくれるなんて。

「お家のご飯好きなの?」

「うん、すきだよ ままは?」

「ママも好きだよ。ほっとするよね」

「ぜんぶ たべようね」

本当に嬉しかった。

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たび

二泊三日の旅から帰ってきた。

小さな同居人とともに、白浜アドベンチャーワールドへ。

同居人は、動物たちにはあまり興味を示さなかったが、

(というか、大人たちが「見ろ見ろ」と促すのでイヤになった部分もあるかもしれない)

行く途中に乗った飛行機と、場内にある観覧車などの乗り物は、とても気に入ったようだった。

パンダが珍しい動物だとか、どうでもいいのよね。

私もパンダがあまり好きでないのでそれは理解できる。

大人がああしよう、こっちを回ろう、あれを見て、と、

盛り上がれば盛り上がるほど、

子どもって冷めちゃう。

私も小さい頃、両親との旅行が苦痛でたまらなかったなあ。

写真を見ると、全然笑っていない。

恩知らず、とは別の次元の話。

感謝の気持ちはあったけれど、楽しくなかった。

「あれを見ろ」

「早く歩いて」

「これは珍しいんだぞ」

「面白いだろう」

「美味しいだろう」

感じる前に、指定されるから、息が詰まった。

私はせめて、「美味しいね」「わあ、面白いね」と自分の感覚として伝えたい。

こう感じて欲しい、というのは、たとえ幼子に対してであっても、傲慢な欲求だと思うから。

大人はいろんな理由で(お金と労力の元をとるため、子どもを喜ばせるため……)

急いで、たくさん見て回ろうとする。

だけど、子どもは今が大切。

何が価値があるかなんてどうでもよくて、自分で楽しいことを見つけたい。

見ろと言われて見つけるんじゃなくて、発見したいのだ。

受身じゃなくて、自分の手で、面白いことを見つけたい、気付きたいのが子ども。

喜ばせようと提案しすぎるのは禁物。

喜ばせようとしすぎて、大人が主役になってしまうのは、よくある話だ。

子どもが望むのは、いつも、とてもささやかなこと。

のんびり、好きなことをさせてやらなければ。

ホテルの遊び場や大浴場での、ゆったりした時間は楽しかったようだ。

以前、牧場に行った時のほうが、

動物には興味を持っていたなあと思う。

私も、いろいろ、学びながら

小さな同居人が楽しめる企画を立てたいと思う。

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しょうどく は やめて

小さな同居人の指先に傷があったので、手当てしようと言ったら

「しょうどく は やだ やめて」と泣き出した。

「消毒、どうして嫌なの?」と訊ねると「しみるから やだ」と言う。

沁みるかあ。

よくそんな言葉すらすら出るなあ。感心。

痛いから、とかそういうおおざっぱな言葉じゃないのね。沁みるのね。なるほど。

「しょうどく しないで おくすりだけに して」と言う。

あんまり嫌がるので、

よく水洗いしてから、薬だけつけることになった。

普通に会話ができるようになった。

もはや語彙に関しては大人とあまり変わらない。

それでも知らない単語がまだまだあるようだ。

自転車が欲しいのだと言う。

どういうの?と訊ねると「もつところが ない じてんしゃ」だとのこと。

私が一輪車に乗ってるマネ(両手でバランスを取るポーズ)をしたら、頷いた。

「こうえん、 ぶらんこ なくて おすべりある ところ で みたの」だと言う。

確かにその公園では、時々一輪車の練習をしている子を見掛ける。

二歳半で一輪車はまだ早いんじゃないだろうか。

「もう少し大きくなってからね」と答えると

「そうねえ、もっと おおきく なってからよねえ」と妙に分別くさい顔になった。

その分別顔、どこで覚えたんだ?

今日は園で成長を祝う会があった。

小さな同居人は、最初は少し内気な表情だったが、途中から客席に顔をきちんと向けてしっかり演じていた。

すごいね。

上の学年の子どもたちの劇や歌は、どれも質が高く、びっくりした。

やらされている、という感じはなくて、出番なども自分でほとんど判断して演じている。

大人の役者でも、出はけの判断をきちんとできない人がたくさんいるのにねえ。

今、私自身が勉強中なので、いくつかの幼稚園で子どもの発表会を見学しているが、こんなに子どもたちがのびのびと、しかも完成度の高いものをやっているところはなかった。

どの学年も、芝居をやりたくてやっている、という熱気が伝わってきた。

こじんまりとした保育園で、園庭も小さくて、設備も古い。

でも、先生は本当に素晴らしい方ばかりだ。

子どもたちにとっては、それが一番幸せなことだろうと思う。

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くうそう の せかい

この前、なんとなくぼおっと、ある人のことを考えていたら、

その人から電話が掛かってきたことがあった。

もちろんただの用事だったが。

驚いたし、なんとなくおかしな、気恥ずかしい気分だった。

その人とは直接の関係ではなく、どちらかというと間接的な縁だ。

手掛ける領域も、興味も、まったく被っていないと思う。

話したことも何度かあるだけ。

その人に対する空想が広がるのは、縁が遠いせいなのだと思う。

毎日会う人のことを思いめぐらせたり、物語に登場させたりするのには、抵抗がある。

といっても、時々やってしまうけれど。

去年、ある用向きで遠出して、その人とは出先で初めて顔を合わせた。

家と学校との往復の日々を送る私にとっては、現実離れした時間だった。

ファンタジー的な。

そういう時空?の中で会ったというのも、最近その人が、私の空想の水先案内人になっている一つの原因だと思われる。

色川武大の短編「小さな部屋」の主人公にものすごい共感を覚える。

私の場合、ここまで極端じゃないけれど、似ている。

現実の知人や友人を、空想に登場させると、

だんだん空想の中での人格に執着を覚えるようになり、

現実世界での交流を避けたくなる。

空想の世界が壊れるくらいなら、現実世界では接触したくない、という感じ。

昔の同僚が、故郷に帰ることになった。

驚きはしなかったが、少し残念な気持ちになった。

東京で夢を叶えて欲しかったなあ。

故郷で、夢が実現するといいけれど。頑張ってほしい。

よく行く喫茶店が閉店することになった。

ほんとに困った。

仕事でクサクサした時、これからどこに行けばいいんだ?

あーあ。

お店を経営するのって大変なんだなあ。

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におい

最近の小さな同居人。

お風呂の前、着替えを用意する時、私のレギンスとか出してきて、

「まま、おふろからでたら これ きようね。ねっ!」と

まるで小さな子どもに話すように私に言ってくる。

私のマネをしてるのか?

ご飯のさいちゅうに足をテーブルの下でバタバタさせるので、

「ご飯の時はダンスはしないよ」と言ったら、

自分の足に向かって、「ご飯の後でダンスしようね、ねっ」と話しかけていた。

一日のほとんどの時間、ぬいぐるみに台詞をあてて、一人芝居?をやっている。

(手が足りなくなってくると、私や周りの大人に頼んでくる)

この前やっていた、くまのぬいぐるみと小さな同居人の会話。

(もちろん小さな同居人の一人芝居)

くまが、シーサーの置物を怖がっているという設定らしい。シーサーのことは、沖縄の神さまだよ、と教えたことがある。

くま「あーん、かみさまこわいよう」 

小さな同居人「かみさま こわくないのよ」

くま「こわいようこわいよう」

小さな同居人「だいじょぶよ かみさま たすけてくれるのよ」

くま「あーんあーん」

小さな同居人「だっこする? だっこしようね」

くま「こわいよこわいよ」

小さな同居人「ぎゅってしようね だっこ」

他にも、くまのぬいぐるみは、実にいろんなものを怖がるので、

小さな同居人はいつも、安心させるのに忙しい。

保育園では怖がりで名高い小さな同居人なので、代償行為としてこういう芝居を作るのだろうか。

怖がるのは、想像力が豊かな証拠だろうが、

たいてい抱っこしたくなってきた時に、怖い怖いとか言って抱きついてくるので、ひょっとしたら口実では?とも思う。

あと、私の匂いを頻繁に嗅いでくる。

顔を私の脚や、胸や、背中に押し付けて、すうーはあー、とやる。

甘えたい時だろう。

抱っこしてよいよいしてあげる。

そういえば、幼稚園の実習でも、よくクンクンされたっけ。

「せんせいは いいにおいだねえ」と言う子が多かった。

柔軟剤の匂いだろうか?

小さな同居人はたぶん違う理由だと思うけれど。

今日は模造紙を床に広げて、一緒に絵を描いた。

その上から、ハサミで色紙を切り抜いて、のりで貼り付けた。

ハサミも上手に使えるようになってきた。園でもやっているらしい。

のりを指して「これは なに」と訊くので、「スティックのり」と答えると

「すちくのび」とか「してききぼ」などめちゃくちゃに繰り返し、楽しそうに笑う。

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あかるさ と はんせいりょく

久しぶりに学校で授業と補講を受ける。

補講はホームルームの時間に欠課が多かったため受けることになった。

本を読んでレポートを出せばいいのだが、なんだかなあ。

ホームルームって講義じゃないのに。

授業はなんと30分で終わってしまった。とほほ。どーゆーつもりだよ。

友人たちと話し、ピアノを練習して帰ってきた。

ポジティブにものを考えるということと、

反省をして次に生かすということを両立させるのは

むつかしいのだろうか?

と考えさせられる出来事があった。

その人物は、いつも前向きで爽やかで、笑顔が素敵なところが魅力なのだが、

失敗した時に、自分の落ち度を認めることができない。

私だけ意地悪な目で見られてて、という言葉が出る。

気にしないで次に行く、と言うが、次の機会も同じ失敗をしてしまう。

つまり、繰りかえす。

アドバイスを求められても、むつかしい。

自分の失敗を冷静に受け止められない人に、助言しても意味がない。

と、思っていても、周囲の人間は心配だから、話をしようとする。

そしてうまく行かず、無力感を持つ。

だけど、失敗しても、常に前向き、明るいというのは、大きな魅力だ。

ふと思った。

ひょっとしたら、この輝くような明るさは、反省しないからこそ、のものではなかろうか。

自分について冷静に考えてしまったら、こんな笑顔は出てこないのかもしれない。

だから、自分の失敗を認められない、改善できない、というのは欠点ではないのかもしれない。

輝くような明るさと表裏になっているとしたら、

そのまんまにしておくべきなのかな、という気もする。

その人の望んでいるような仕事方面での成功は、

反省力?がないと難しいだろうが、

明るさというのは人間関係においてものすごい武器になるのだから。

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かくていしんこく

確定申告を、初めて税務署でやった。

今回はいろいろ分からないことがあって、質問しながらやりたかったのだ。

親切な人ばかりでよかった。

来年、どうしようと思う。

去年のカウントにしようと思ってたのが、こちらは次回分にと言われてしまい、

だけどそうすると来年は結構キツイ……。

知り合いのライターさんにいろいろ訊いて、

対策を練りたい。

昨日、雪かきやったら腰が痛くて仕方ない。

整骨院に行こう。

明日から中旬締め切りの仕事にかかろうと思うけど、資料がこない。

どうしたものか。

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