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2012年5月

みちに まよった あのひ

学校が早く終わった。

午後、朗読作品のプロットを思案する。

何故か最近、ドビュッシーの「夢」が頭の中でぐるぐる回る。

You Tubeでいろんなピアニストの演奏を聴いているうち、

小さな同居人が生まれたばかりの頃、近所で散歩していて道に迷った時のことを思い出した。

知っているつもりの道をぼんやりと歩いていて、ふと気付いたら見知らぬ路地にいた。

不思議といくら歩いても元の道には戻れなかった。

あの時の出来事を書いてみよう。

私小説ふうに。

ただしその物語に私自身は登場しない。

矛盾しているが、そうでないと一人称の物語は書けない。

小さな同居人は園と家とで、キャラクターを分けているらしい。

この前、帰る時、小さな同居人が「みんみん、と呼ばれ、みんなに囲まれて人気者になっていた」という話を他の子の母親から聞いた。

「ちやほやされていましたよ」

言葉通り、そう言われたのだ。

小さな同居人も嬉しそうに笑っていたそうだ。

家に帰ってから「みんみんと呼ばれているの?」と訊ねてみた。

少し黙ってから、「ううん。みんみんじゃない」と答えてくる。

「ええ?そうなの?」

「うん」と気弱な顔で頷いた後、

しばらくして「みんみんて 言われるのは いや。〇〇(小さな同居人の名)は〇〇だよ」と言う。

そうなのか……。

「じゃあママは〇〇って呼ぶね」と話すと嬉しそうに微笑んだ。

後から思った。

ひょっとしたら、園で嬉しそうだったという姿も真実なのではないか?

ただ、家では「みんみん」になるつもりはないし、そのキャラを私に知られたということも、ちょっと心外だった。

そういうことなのかもしれない。

誰だって、場所によってキャラクターが変わる。

意識的にやる場合もあるだろうし、無意識的な場合もある。

子どもたちの間で人気者になる、ということからして、

「みんみん」は「面白い」とか「可愛い」とかそういうキャラなのだろう。

家ではこんなに「気むずかしく淋しがりやのお姫さま」なのに。

こうして、私の知らない面が増えていくのだろう。

少しずつ離れていくのだ。

と思ったら、胸がズキンと音を立てて痛んだ。

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いつか おひめさまが

秋に朗読をやらないか、とお誘いがあった。

やりたいなあ。

テストのピアノ曲を探して、ユーチューブで演奏の動画をいろいろ調べていたら、ふと昔の知り合いのことを思い出した。

私はその人の演奏がとても好きだった。

いまだに気ままな生活を続けているらしい。

激しい人なので、直接向き合うのはなかなか難しいのだが、演奏はときどき聞きたくなる。

ユーチューブに動画をアップして欲しいなあと思った。

朗読。

どんな物語だろう。

いくつか、ためてある(というか自然にたまっている)アイディアがある。それを書こうか。

あまり気負わずに書きたい。

母が小さな同居人に、かえるの王様を読んでやっている。

ふと思ったのだが、童話の世界では、お姫さまに限らず女の人のところには、王子さまがやってきて、ハッピーエンドになる。

これは、女の人に、正しいことをしていれば素敵な男があらわれて幸せになれるよ、というメッセージを与えようとしているものと思われる。

いくにんかの友人の姿が頭に浮かんだ。

彼女たちはいずれも、かなり年上の男と結婚している。

そして息子を産んだ。

息子と向かい合う彼女たちの表情を見て、気付いたことがある。

以前よりもずうっと、華やかになった。

夫ではなくて、息子が王子さまだったのだ。やっと、王子さまは自分のお腹の中から出てきた。

自分について考えた。

私は小さな同居人といると、あまりにも可憐な姿に

胸がドキドキしてきて、守ってやりたくなる。

それが母の心境というものだ、と他人には言われるのだが、

少し違うような気がする。

それは恋にとても似ているのだ。

(というか、私が体験してきたどのような恋よりも鮮やかで激しい)

母として静かに見守る、というよりは、

なんだか自分が騎士になったような、そんな心境なのだ。

騎士はお姫さまに想いを抱き、命を賭けて守ろうとするが、自らは何も求めない。

そうか。

私のところへは、お姫さまがやってきたのか。

いつかお姫さまが、という曲はないのかな?

探してみよう。

騎士か。やっと、憧れていたものになれるのかもしれない。

ありがとう。

私のところへ来てくれて、とても嬉しいです。

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ぴあそら を ひいてみる

自分の仕事も、友だちのヘルプで入っていた執筆も、すべてひと段落。

ヘルプはまた要請があるかもしれないが、それほど大量ではないし、要領もつかめた。

これからは、小さな同居人との時間をのんびり楽しみたい。

最近、ギリギリ感が多少漂っていたように思う。

器楽のテストはピアノの弾き歌いとソロ演奏と一曲ずつということになった。

弾き歌いは決まっているが、演奏のほうはどうしよう。

今レッスンで弾いている湯山昭やショパンもいいけれど、

ここらでピアソラに挑戦するのも悪くないな。

私のスーパーダメダメなリズム感を鍛えるよいチャンスかもしれない。

なんとなくクラシックでテスト受けるのは嫌だというのもある。

何十年もピアノから離れていたので、指がもう子どもの頃ほど動かないのを痛感している。

テクニック的には中学1年の時の半分くらい。

もちろん、他のジャンルでもテクニックが必要なのは同じだが、

クラシックだと「より気になる」と思う。

頑張って鍛えても、おそらくもう子どもの頃のあの感覚には戻れない。

だったらいっそのこと、何か自分をレベルアップするための機会と捉えて、

多少へたくそでも新しいジャンルに挑戦したい。

ピアソラで新しい曲をやって、暗譜間に合うかしら。

調べたらピアソラのピアノソロの楽譜、面白そうなのは高かったり、輸入楽譜屋に行かないと買えない。

仕方ないから無料でダウンロードしてみた。

とりあえず、仕上げに間に合わなかったら、湯山かショパンかどっちかにしよう。

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わたしは わたしから うまれた

時々、小さな同居人はずるいタイミングでキスしてくる。

いたずらして注意されたあととか、都合が悪いことが起こった時。

だけど、キスの仕方が間違っている。

自分のほっぺたを私の頬にくっつけてくるのだ。

それで「ちゅうしたいの」とか言う。

私がほっぺたにちゅうするものだから、キスとは頬を使うのだ、と勘違いしている。

面白いからそのままにしとこう。

入浴後、すっぽんぽんの時に、

「ままは どこから うまれたの?」などと訊いてくるので驚いた。

「ママは おばあちゃんのお腹から 生まれたんだよ」と答える。

そのあと、「〇〇(小さな同居人の名)は どこから生まれたの?」と訊ねると、

「〇〇から」と言って自分のお腹を指さして悪戯っぽく笑っている。

ぎええ!またしても凄いことを言ってるぞ。

哲学的だな。確かにね、そうかもしれない。

ええと……ママもね、哲学とかよく分かんないけど(哲学科卒業してるくせに分からないの!)たぶん……

自分って自分から生まれる気がするよ!

最近のあなたは、言葉の一つ一つが冴え渡っていて、脱帽です。

ママは言葉を使ってお金を稼いでいますが、

今のあなたには到底かないません。

大きくなると、誰もが凡人になりますが、

かつて天才だったことを、成長しても忘れてはなりませんよ。

そんなことを心の中でつぶやきながら寝かしつけた。

パソコンを開くと、原稿の戻り。週半ばまでに第三稿をあげることに。

新たな原稿の依頼。ドラマCD。これは再来週の半ば締め切り。

平和な日々はなかなか続かない。

でもまあ、ピアノの練習は頑張って続けよう。

なんとなく調子が出てきたところだし。ね。

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やさしく なったね

夜。

お風呂の後、何を着て寝るかで、いつももめる。

今夜も出しておいたズボンでは気に入らず、「むらさきいろのずぼん」と言い始めた。

素直に引き出しを開け、出して渡す。

すると小さな同居人。

「まま、やさしくなったね」とうっすら微笑みを投げてきた。

ぎょええ、今のセリフはいったいなんだ?

「ええ?ママ、最近怒ってばっかりだったかな?」と訊くと

「うん。ごはんの とき おこる」と言う。

確かに夕飯の時、今夜は叱った。

遊んで食べるのはまあ百歩譲って仕方ないとしても、

食べながらテーブルの下で私の脚を何度も蹴りつけ、

「やめなさい」と言ったがふざけてずっと笑っているので、

「蹴られると痛いの。ほんとに痛くてつらいんだよ」と大きな声で話した。

「おこる」とは、そのことを指しているのだろう。

何か誤解がある気がしたので、夕飯の時、何故叱ったのか、理由をもう一度話した。

小さな同居人は「へえ」という反抗的な表情で私の話を聞いている。

まいったなあ。

でも、「もう蹴らないでね」と言うと、頷いたから一応分かってはいるのだろう。

まあとにかく、確かにお風呂の後は、気分が穏やかになっていたかもしれない。

見抜かれて、焦ったんだろうな。

とにかく驚いちゃったよ。

言葉も態度も、なんか大人なのね。

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やっと へいわな ひび

さきほど、ドラマCDの脚本の第二稿を入稿。

疲れた。

ゲームの仕事から引き続きということで、結局去年の12月から数えると半年だ。

長かった。

でもこれでほぼ完了。

しばらくは平和な日々が続くだろうか。

7月の実習までは、ピアノの練習。あ、それにテスト勉強か……。

それに請求書も何通か。

ポメラ、意外に使用期間が短かったなあ。

講義のノート、ポメラでとろうかなあ。

でも勉強にならないか……。

心に余裕ができたので

園からの帰り道を、小さな同居人との遊びの時間として有効活用したい。

時間にすると30分くらいだけれど、何をしようか。

公園に寄る?

去年の秋くらいまではそのパターンだったが……。

遊んで楽しい公園をいくつか探さなくちゃ。

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ひと に あう

ゴールデンウィークの後半は、連日人と会っている。

初日は隣のクラスのSさんとその息子の一歳の男の子。

車で家に来てくれた。

昼食を食べに行き、その後は家で遊んだ。

小さな同居人は、時々先輩のような顔つきで、おもちゃの遊び方などを伝授している。

Sさんとはなんとなくウマが合うと初対面から感じている。

率直で飾り気のない人だ。

将来の計画などを語り合って楽しかった。

二日目はやはり学校の友人二人。

どちらも、昼食を一緒に食べる仲間たちである。

19歳と30歳だからみんな年齢が10ずつ違うのだけれど、お互いのことをずけずけ言い合ったりして、なかなか楽しい。

小さな同居人は、二人に甘えたりして楽しそうにしている。

夕方、晴れたので川沿いにある公園に行った。

「はしのある こうえん」と小さな同居人が呼ぶ場所だ。

円柱状のジャングルジムが二つ、それにコンクリートの山型滑り台があり、

その三つの間を二つの「うんてい」が橋のようにつないでいる。

そういう大型遊具がここにはある。

小さな同居人が、今現在一番好きな遊びは、

「高いところに登って遊ぶこと」である。

危険なので、私にとっては頭痛の種であるが、

本人にとっては面白くて仕方がないらしい。

実際、小さな同居人は小柄なのに登るのがものすごく上手である。

おそらく、ジャングルジムや、鉄棒に関して言うと、4歳児くらいの熟達度である。

好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものだ。

とにかく、そこで遊びまくった。

でもまあ、昨日は保育士の卵が二人も見張っている状況だったから、

いつもよりは気疲れしなかった。

今日は前の二日間とくらべると、古い友人と会った。

知り合ったのは5年くらい前だろうか。

劇団のお客さんの友人ということで、みんなで一緒にお茶を飲んだ。そんな縁だったと思う。

気持ちがすさみ、3年くらい前、どうしようもないくらい気持ちが荒んでいた頃があった。

その頃に、随分支えてもらったが、ここのところ公演以外で顔を合わせていなかった。

小さな同居人と三人で、井の頭動物園に行く。

混んでいたが、吉祥寺の街中よりは空いていた。

小さな同居人は、慣れていない人には警戒して表情を崩さないのだが、

珍しくニコニコしていた。

確かに、私もこの人に警戒したことは一度もない。

穏やかで優しく、とにかくとても温かい人柄なのだ。

ただ、私とは価値観がすごく違う。

それを忘れると、意見が激しくぶつかってしまうので、気をつけている。

ぶつかっても、一つもいいことがない。

私的な関係において、価値観が議論によって変わるなんてことはまずあり得ないのと、

「恩義のある人に激しく反論してしまった」と私の良心?がシクシク痛むからである。

とにかく、ぶつからないように心掛ければ、

穏やかで楽しい時間を過ごすことができる。

落ち込んでいる時に、助けてもらったことは、一生忘れない。

まったく世界の違う人と会って話すと、気分が変わるなあと思った。

自分に対して、いい意味で、冷静になれる。

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なんでも おぼえている

実家に一泊したあと、伊香保温泉に行ってきた。

小さな同居人と、温泉からほど近くにある牧場へ向かう。

羊やヤギ、ウサギとの触れ合いを楽しんだ。

でも、一番喜んだのは、実家の町にある公園の大型遊具だった。

複数の滑り台とジャングルジムと、網のぼり?が一体化したようなもの。

現在、小さな同居人の一番の関心事は「よじのぼる」ということにある。

思う存分登って降りてを繰りかえし、すっかり満足したようだった。

牧場では、一緒に馬に乗った。

前は喜んだのに、今回はあまり喜んでいないように見えた。

家に帰ってから訊いたら、「ままと いっしょだから」とふてくされた様子で呟いている。

一人で乗りたかったということらしい。

ママは二人で乗るのが好きなのにねえ。さびしいなあ。

ポニーだったら3歳から一人で乗れるらしい。来年は挑戦できるよ。

と思っていたら

「ひとり で のるのは さんさいからだよ」と言ってきた。

牧場で看板の文面を読んでやったのだが、覚えていたらしい。

はあ、まったくもう、何でも覚えてるんだねえ。すごいや。

 

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