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2012年6月

よきひ

今日はいい日だった。

午前中はピアノのレッスン。

やっつけ的に仕上げていった美女と野獣はOKもらえなかったけれど、

弾き歌いのほうは一つ、OK。

その後、来週から実習に行く施設まで、自転車で行ってみた。

そんなに遠くはなかったけれど、毎日だとどうだろう。

体力が持つだろうか。

それが終わって学校でひと休み。

ピアノの練習を一通りしてから園に迎えに行く。

「むかし、なきむ~しかみさまが~」とドロップスの歌を口ずさむと、

小さな同居人が、不思議なことを言う。

「かみさまは ままがいないの?」

なるほど、ママがいないから泣いていると思ったのか。

「神様は、夕焼けとかきれいなものを見て、感動して泣いてるんだと思うよ。

ママがいない時も泣きたくなるけど、

きれいなものを見た時も、涙出てくる時あるんだよ」

と話すと、「〇〇(自分の名)もそういうことあるよ」と生意気な顔をした。

夕暮れ時、「暗くなると猫によく会うね」と話し掛けたら

小さな同居人いわく「ねこちゃんは よるの ようせいだからね」とのこと。

詩だなあ。

幼い頃って、詩の世界に生きてるんだな。

今日、一番嬉しかったのは、

ハッピバースデーを、小さな同居人が私のために歌ってくれたこと。

いや、ただ口ずさんでただけかもしれないが、それはそれでいい。

とにかく、ありがとう。

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ひろいずむ と ですらーそうとう

夕飯の途中で小さな同居人が眠り込んでしまった。

園で昼寝をしなかったせいで、眠くてたまらなかったらしい。

早い時間からぼうっと一人で過ごした。

ベートーベンの「32の変奏曲」を繰りかえし聞く。

何故かこれを聴いていると、宇宙戦艦ヤマトを思い出す。

デスラー総統が闘いに破れるあたりのシーン。

あ、もちろん、私は最初のシリーズしか知らないから、そっちね。

なぜだろう?

とにかく、アニメの戦闘シーンを、ロマンティックに演出するなら、この曲だな。いちおし。

グールドの演奏だと、そーゆー感じがしないのだが、

キーシンだとデスラー総統が頭に浮かんでしまう。

ヒロイズムみたいのを感じるのね。

いや、つまり後者のほうが私は好きという意味。

その後、友人とちょっとメールしたりしてから、グルックの「精霊の踊り」を聴く。

透明な音に包まれながら、秋の朗読用原稿を書いた。

視点が移動する話なので、なかなか難しい。

プロットを細かく書いたのに、結局まったく見ないで書いている。

昨日たまたま「その時歴史は動いた」のラストのテーマ曲を聴いた。

ほんとにいい曲だなあ。

谷川賢作、天才。

でも作曲者本人がピアノで弾いたのを動画で見たらいまいちだった。

演奏は素晴らしいんだけど、やっぱりあれはオケの演奏がいい。

高校生がブラスバンドでやったりしないのかな。

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なげすき なのだ!

小さな同居人がしきりと口に手をあてて、ふっと吹くような仕草をしてみせる。

「それは?」と訊くと

「せんせい の まねだよ」と言う。

「先生がするの?」

「うん。これは、なんていうの?」

「ええとね、投げキスだよ」

「なげ……」

「投げキス、っていうんだよ」

考えながら小さな同居人はやがて言った。

少し納得したような顔で。

「なげ……すき」

なんと素晴らしい!

そうなのだよ。

投げキスは投げ好き!なんだよ!

歳を取ったせいなのか分からないけれど、最近ベートーベンが好きになってきた。

小さい頃は嫌いだった。

ベートーベンを好きになる時が来るなんて思いもしなかったな。

キーシンの演奏をたまたま動画で見たのがきっかけなのだけれど、

たぶん、彼が原因というより(もちろん素晴らしいのだけれど)

それ以前に、ここ数年で私の感性が変わったせいなのではないだろうか。

ダサくて、力強いところが、生きてるって感じで素敵だ。

ぐええっ……言葉にするとまた、メチャクチャ、ダセえ。

昔から私は、

生き生きしてたり、若々しかったり、センシティブだったり、力こぶを感じさせるものだったりすると、

ダサい、と斬り捨てる傾向がある。

まあ照れてたんだろうね。

なんか直視できない感じ。

でも最近は、そういうエネルギッシュな感じもいいな、って思ったりする。

そういうものに対して、客観的になったのかな。

枯れてきたのか……。

力こぶに対して、ユーモアを感じ取ったりもするようになった。

といっても、好きになったからといって、ベートーベンを自分で弾いたりはしないと思う。

力強いのはたぶん無理。

そういう体力がない。

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すきなものが たくさん

試験で弾く曲を探して動画サイトでいろいろ聴き漁っていたら

そのうちに用向きは忘れてしまい、

キーシンの演奏にはまる。

特にベートーベンが素晴らしいと思った。

今度、CDを買ってみようと思った。

学校での空き時間は、ほぼすべてピアノを弾いている。

レッスンでやらなければならない弾き歌いの他、

ノクターン、それにソナタ集からいくつか。

ボロボロのソナタ集は、10歳くらいの頃使っていたもの。

もちろん全音の青いやつ。

思うように弾けなくてあまりにも頭にきた私は、あるページをちぎって、ベランダから投げ捨てた。

音符の紙吹雪。

ひらひらと、庭の芝生に舞い落ちたっけ。

親にばれないように、あとで拾っておいた。

最近見返して笑ってしまった。

私がちぎったのは、まったく弾いていない曲のページだった。

たぶん、弾く曲だと譜面なくなると困るから、そういうページを探して破ったのだろう。

小さな同居人のお店屋さんごっこ。

折り紙で作ったカエルをテーブルにならべて

「なにがいいでっかぁ?」と声を張り上げる。

「まま、おきゃくさん で きて」と言うので

お客になって、店に行ってみた。

「どっちがいいでっか?」

何故関西弁なのだ?と思いながら、薄紫色の折り紙を指差す。

「これはだめ。〇〇(自分の名前)のだから」

ええ?

じゃあどっちがいい?と訊く前に、自分用に取っておけばいいのに。

「自分のを店頭に並べると、お客さんが欲しがるし、売らなくちゃいけなくなるよ」と話すと、

ごそっとお気に入りの折り紙をどけた。

残ったのは灰色のカエルだけ。

むう。欲張りだなあ。

でも、好きなもの、欲しいものがたくさんあるのは、素敵だね。

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おばけじゃないよ かぜだからね

ラジオで喋ったらなんとなく頭の中が整理されて、

また表現活動を続けていこう、という気持ちになれた。

何度かこうした場で喋ったことはあるが、こういうのは初めて。

パーソナリティーの亀井さんはほんとに聞き上手だ。すごいなあ。

書くことをやめようと思ったことはないが、

とにかく、久しぶりに気分が上向き。

学校では相変わらずピアノばかり弾いている。

やっと、指が動くようになってきた。小さい頃の半分くらい。

二十何年かぶりにピアノに復帰して一年。

去年は弾けば弾くほど、指の違和感に悩まされたが、

最近は、少し楽しめるようになってきた。

夏休み明けのテストの曲として、リベルタンゴのピアノソロの譜面を担当の先生に見せた。

「試験にはもっと華やかなのがいい」と反対された。

(曲が悪いのではなく、これをかっこよく弾きこなすテクニックがない、と判断されたのだろう)

ショパンのノクターンをいくつか弾いてみせたら、暗譜できるならOp.9-1がおすすめと言われた。

暗譜できんのかな……。

小さな同居人とお風呂に入っている時。

窓に、風に揺れる樹の影が映った。

小さな同居人は一瞬ハッとしたが、

「おばけじゃないよ、かぜだからね。こわくないよ」と自分に言い聞かせるように言う。

「そうだね。葉っぱの影だよ。でも赤ちゃんの頃は、怖がって泣いていたね」と答えた。

小さな同居人はしたり顔。

「うん。あかちゃんはねー、こわがるのよねえ」

もうお姉さんだものね。

でも一瞬、ひそかに怖いと思ったその感覚も、あってもいいんだよ。

大切な感覚だよ。

忘れないで。

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こどもだからね

朝。

小さな同居人が、ぶどうパンからぶどうだけをほじくりかえして食べている。

「パンも一緒に食べよう」と声を掛けると

「こどもだからね」と妙に分別のある笑顔で言い返してくる。

絶妙な間合いだったので思わず絶句。

「大人は?」と訊ねると「おとなは ぱんも たべるけど こどもは ぶどうだけ」と言う。

そうか……。納得しながらも「いや、子どもも ほじくらないで食べるでしょ。赤ちゃんだけだよ、そんなことするのは」と言ってみる。

ちょっと演技しながら「残念だよねぇ。赤ちゃんは甘いお菓子は食べられないしねえ」と言ってみると、

突然パンを口に放り込み始めた。

それでよろしい。

先日、ビルのイベントで無料で似顔絵描いてくれる、というのがあったので参加してきた。

小さな同居人は、絵描きのお姉さんが気に入ったらしく、

帰宅してから「にがおえやさんごっこ」を始めた。

めぼしい人物(ぬいぐるみ含む)をソファに座らせ、向かいに自分の小さなテーブルと椅子を持ってきて、画材(クレヨン、クレパス、ペン、ノートなど)を並べる。

見ているとまずは黒マジックで輪郭を描く。

その後に、色のペンやクレヨンで色づけ。

絵描きの人の手順とまったく同じに描き入れていく。

じいじ(私の父)の番が来て、驚いた。

ものすごくみごとな絵を描いた。

目と鼻と口と、髪の毛。二歳児とは思えない出来だ。

私や母のはぐちゃぐちゃなのだが、なぜ彼の顔だけ、こんなに素晴らしい?

もちろんぐちゃぐちゃの絵も嬉しいけどね。

それにしても、似顔絵を描いてもらったという経験だけで、こんなにも盛り上がるのだなあ。

ささやかでもいいから、実体験だ。

そうそう。明日6月6日はラジオに出演する。

そのため、午前中ピアノのレッスンが終わったらすぐに吉祥寺へ行かねばならぬ。

むさしのFMに2時から。「発信!わがまち武蔵野人」という番組だ。

マイクを通すと私の声は不気味になる。

まあラジオだし、顔が出ないだけマシだな。

同世代で、ほぼ同じ境遇にある人が、明日デートだとウキウキしている。

彼に持っていく惣菜の献立で頭がいっぱいな様子だ。

手には珍しくマニキュア。

彼女は性格も素直でとても可愛らしい。

男に恋するのは、素敵なのだろうな、と思う。

遠い場所にいすぎて、実感としては分からない。

考えてみると、私は30代の前半くらいから「恋する」という心境から遠ざかっていたように思う。

恋愛中毒だったからいつも渦中に身をいていたけれど、

心から好きな人がいる、というわけでは全くなかった。

何で恋愛中毒だったかと言えば、自分に自信がなかったからという一言につきる。

自分の欠点を直視するのが嫌だった。恋愛という状況を作り、その沼の中で溺れるふりをして、逃げていた。

今がいちばん人生でウキウキしているかもしれない。

世界は透明でいい香りのする空気に満ちている。

道端に咲いている花に、こんなに愛情を感じたことはかつてなかった。

小さな同居人と生きる世界は、しっとり柔らかであたたかい。

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ぜっく する できごと

さっき、秋の朗読用のプロットを書き終えた。
だいたいのイメージはかたちにできたと思う。

最近、学校で嫌なことがあった。
もともと私は、
身体的なことや年齢、学歴、ハンディキャップをねたに冗談を言ったりことに、生理的嫌悪感がある。

出来事について簡単にメモしておくと、
トイレでそういうことをネタに笑いを取ろうとしている人がいた。
その言葉は広範囲な意味があるけれど、
上記のことに関連しているので、一般的にはよいイメージを持たれない言葉だ。

たまたま居合わせた私が戸惑っていたら、
気にしすぎ、神経質、という反応がかえってきた。
本人にとっても、「つい冗談で」「深い意味はなく」なんだろうな。

私が絶句したことに対して、
微妙な攻撃的リアクションを返してくるので、
「私はそういうことは言わないけど、言うのは自由だよ」と穏やかに伝えて去った。

そう。
私は絶対に口にしない。
言うとしたら、自分についてくらいかな。

人は他人に対して、自由に言葉を発する権利がある。
それは否定しない。

でもね。
そこは幼児教育や保育を学ぶ学校なのだ。
そういう言葉が口から「つい」飛び出してしまうような人に、
その種のことに対して、嫌悪感ではなく、むしろ楽しいという感覚を持っている人に、
小さな同居人の保育を任せたいとは、
とても思えない。

彼女の自由を私は認める。
でも、私がそう感じて、絶句する自由も認めてほしいのだ。
私は非難していない。
ただ、その冗談に笑わなかっただけ。
言葉を失っただけだ。

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