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2012年8月

きせき が つづく きせき

私は月曜日から、保育所で実習中。

小さな同居人の誕生日があった。

三年前、うまれてきた日のことを思い出した。

本当に嬉しかったなあ。その幸福感は今も続いている。

他につらいことがあっても、この幸せはずっと消えない。

奇跡が三年も続く奇跡。

ありがとう。

こんなに大きくなってくれて。

お誕生日おめでとう。

これからもよろしくね。

三歳のあなた。

瞳は宝石のよう。髪は肩のところで波打ってつやつやと輝いている。

口から出る台詞は憎たらしさ7割、いじらしさ3割くらい。

生意気な盛りだ。

バースデーケーキを夢中で食べている様子はまるで小さな獣のよう。

プレゼントは考えた末、トランポリンにした。

部屋の中で遊べるタイプ。

飛び跳ねるのが好きだから喜ぶだろうと思ったのだ。

届いたばかりの赤いトランポリンを和室に設置し呼び寄せると、歓声をあげて走ってくる。

そして一時間弱、はしゃいでずっと跳んでいた。

音楽教室の最後に、何故か小麦粉粘土の時間があった。

私が小さな象を作って置いておいたら、

しばらくして小さな同居人が「メエメエだよ」と言う。

丸いお団子の上に、長細い楕円形のものがふわりと置いてあり、確かにそれは羊の耳に見える。

羊の頭を作ったらしい。

そういえば、朝のちょっとした合間の時間にも折り紙をハサミで切って

「お金」を作ったりするし、

一学年上のクラスの憧れのお姉さん(Kちゃん)の似顔絵を描いたりする。

私はKちゃんを見たことはないが、小さな同居人の描いた絵を見れば、

目が大きくて髪が長く、キラキラした感じの女の子だということは分かる。

とにかく手を動かして物を作ることは好きなようだ。

私も好きだから、小さな同居人の横で、工作や絵を楽しみたいと思っている。

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くらいおそらの かみなりさんが

おととい、医者に行って、お腹の具合のことや、動悸のことを話したら、

胃腸の薬と抗不安薬を処方された。

さすがに実習中は薬は飲めないが、とりあえず全部服用。

抗不安薬はものすごく眠くなるな。

でもピアノを弾いてみると、結構弾けた。むしろ調子がいいくらいだ。

ただ、頭が寝ているから、暗譜している曲を弾こうとすると、何度か間違えてしまう。

審査員の仕事はまったく捗らず。

審査対象の台本を手に持った途端眠りこけてしまった。まずい。

動悸はある程度、治った。

今日は実習のことも考えて飲まなかった。

やっぱり動悸がした。

それに加え、朝、癇癪を起こして暴れる小さな同居人を抱きかかえたら、背中の筋をおかしくしてしまった。

整骨院に行ったら軽い肉離れとのこと。

不運は続く。

まあ仕方ない。

それにしてもここ数日、小さな同居人の癇癪がひどい。

夜、おっぱいを我慢している分、いろんなことへの不満が爆発しがちなようだ。

午前中、雷が来た時、不思議な歌を作って歌っていた。

「くらいおそらの かみなりさんが こわいのよ」

しばらく続けて歌っていたが、あとは聞き取れなかった。

その時その時、思いついたことを歌にしているようだ。

歌ったあとで「このうた ままは しってる?」と訊いてくるので困る。

「知らないよ」と答えると「そうなの?」と得意そうな顔をする。

今度私も同じことをやってみようかな。

でも私には、君ほど面白い歌が作れそうにないや。

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どうき の なみ

不安とか嫌悪感とかが、不規則な波のように押し寄せてくる。

動悸が激しくなり、苦しい。喉の奥が痛い。

加えて胃が痛い。

なんだか欝っぽいのかな。ほんとにつらかったからなあ。

小さな同居人と一緒にいる時は起こらないのだが、一人きりになると、心臓ドキドキ、叫びだしたい波が襲ってくる。

昨日は仕事にならず、掃除するか眠るかだったが、

今日は執筆とか手続きとか、ピアノの練習とか、とにかく頑張った。

しばらく静かに過ごしたい。

ネットで読んだマンガに、

「才能をほめるより、努力をほめたほうが、人の能力は伸びる」と書いてあった。

それと、

頑張れ、と励ますよりも「頑張ったね」のほうがどうしていいかというと、

後者は相手のしたことを認めているからだそうだ。

なんとなくは分かっていたけれど、言葉で説明してもらうと、理解できるなあ。

今日は一つ台本を仕上げた。

とりあえず、おめでとう。

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たいせつ に する

とても息苦しい週末だった。

終わってほっとしている。

一つ書き留めておかなければならない。

これはメモだ。

何か良いことを人にしてあげた、施したからと言って、

その人に対して何を言ってもいい、ということにはならない。

ひどいことを言われたり、上から物を言われたりするくらいなら、

何もして欲しくない、そっとしておいて欲しい、という人もいるのだ。

私もその一人だ。

そして、私も他人に対して、上記のマナーを守った態度を取りたいと望んでいる。

オリンピックの競泳リレーの選手の、「コースケさんを手ぶらで帰す訳には行かない、とみんなで話した」という発言には相当な違和感を感じた。

いや、もちろんみんなで話してもいいけど、それを本人に伝わる形で、公に流すのは生理的に嫌だ。

百歩譲って、公の場で喋るなら、20年後とかのインタビューで「あの時、実は……」というかたちでやってほしい。若者よ。

言われた本人がどう感じたかではなく、自分のプライドだけでなく、他人のプライドも大切にする姿勢が欲しいなあ。

そして、もっとも恐怖を感じるのは、この出来事を美談とする感性だ。

ああ。でも、作品を書く上では発想の起点になりやすいな。

この種の恐怖感って。

夜。仕事する気にもならず、古い友人に電話。

この人と話すといつも、守られているという感じがする。

あなたはいつも自分の生き方ができていて、うらやましい。

その後、近所に住むSちゃんと話した。

執筆のことやら人間関係のことやら。

たくさん喋り笑う。だいぶ落ち着いた。

ありがとう。

ほんとうに感謝です。

友だちがいる。一人じゃないんだ。

と思ったら、生きる勇気がわいてきた。

人を大切にする、というのは、何かをしてあげることではない。

「話を聞くこと」だと思う。

先回りして何でも言ってしまったり、

教えてばかりで、教えてもらおうとしなかったり、

日常の細かなことまで指図したりするのは、

信じていないから。

そのような中にいたら、いつの間にか、それが普通になってしまう。

私も小さな同居人も、人を大切にできなくなる。

悪循環なのだ。

何かをしてあげたいけれど、話は聞きたくない、とすれば、それは自己満足のため。大切にする、ということとは別。

私は、私の話を聞かない人の近くにいるべきではないと思っている。

人はお互いに話を聞きたい相手と一緒にいるべきだ。

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にんしん ごっこ

夜。

突然、小さな同居人が「あかちゃん が いるの」と大人びた微笑を浮かべながらふくらんだお腹をさする。

えええ!?どーゆーこっちゃ!

よく見ると、Tシャツがふくらんでいて、すそから猫のぬいぐるみの足の先がのぞいている。

そーゆーことか。はあ、びっくりした。

「ねこ の あかちゃん が いるのよ。このなかに」

と大切そうにお腹を撫でている仕草が、妙にリアルだ。

保育園で臨月を迎えているママを見かけるので、刺激を受けたのか……。

「そう。赤ちゃんがいるのね。素敵だね」と私が答えると

「あかちゃん は まあるくなってるのよ」と、得意げに教えてくれた。

何故あなたは知っているのだろう?不思議。

確かに赤ちゃんは丸くなって入っているのですよ。

「ままも わんわん の あかちゃん、 おなかに いれて」と要求してきたので、

仕方なく私も犬のぬいぐるみを妊娠した。

しばらくして小さな同居人は、妊娠に飽きたのか、「じゃあ うまれるよ」と産み落としていた。

ずいぶん早いですな。しかもめちゃくちゃ安産だし。

産まれた猫のぬいぐるみを、抱っこして「よしよし」などと言ってあやしている。

その後、自分が赤ちゃんの頃使っていたおくるみに、私の産んだ?犬のぬいぐるみと並べて寝かしつけていた。

すごいなあ。

もうママになれるじゃん。

と思っていたら、眠る時はやっぱりおっぱいを飲みたがった。

ときどき大人びた表情を浮かべたりもするが、まだまだ赤ちゃんなのだなあ。

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