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2012年9月

てすと さいしゅうび

テストが終わり、ひといきつきたいところだけれど、

これから半月、ドラマCDの締め切りが三つ。

心してやらねば。

学園祭で、グループによるハンドベルの演奏があり、そのピアノ伴奏者を探していると聞いた。

伴奏譜を先生が作られると聞いて、即、伴奏を申し出た。

そういう譜面だったらなんとしても弾きたいよ。

ってほとんどマニアの世界だな。なんのマニアだろう。

作曲家のTちゃんに今度訊いてみよ。

ピアノレッスンの指導者が後期は先生でなくなるので、もう接点もなくなってしまうし、やるしかない。

どうせ、手話部の伴奏もやるから、ホールのピアノに慣れておいたほうがいいし。

テストの帰りにピアノを少し練習。

部屋から出たら数メートル先の廊下に、先生がぼうっと立っていた。

ぎこちなく「こ、こんちは」と挨拶すると、目を反らして「ああこんにちは。やっぱりあなただったね」と返してきた。

「なんでですか」

「ショパンを弾いていた」

いや、ショパン弾くの私だけじゃないし。なるほど、先生に言われたところが直ってなかったのかな。

「ああ、同じとこ間違えてましたか?」

「いやそんな」と先生は黙ってしまった。

ああもう、何故、こんな嫌な返しかたばかりしてしまうんだろうか。

他の生徒のように、「ピンクのシャツ、似合ってますね」とか私も言ってみたいのだが、

そんなこと死んでも言えそうにない。

マゼンタに近いピンクが好きらしい。たしか筆箱もその色だった。

調べ物をしていたら、結局ネットサーフィンしていまい、

山本潤子の動画に行き着いた。

歌は知っていたけれど、歌手としては全く知らなかった。

素敵な人だな。まったく素晴らしい。

存在自体が奇跡。

なんて可愛い人なんだろう。

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てがいたい ぷらす やさしいことば

昨日の試験は、全部論述問題だったので手が痛くなった。

木曜日も同じ先生の担当する科目だから、今度はシャープペンシルやめて鉛筆にしようかな。

どの教科も優を取るのは簡単なのだが、満点を取るのはちょっと難しい。

一つ例外があって、今日のピアノ。

満点はおろか優を取るのも難しい気がする。

去年はなんとか90点行ったが、今年は選曲が……。

点が甘そうなものにすればよかったのだが、弾きたいものを選べと先生に言われてなんとなくショパンを選んでしまった。

まあとにかく楽しんで弾くしかないな。

昨夜はなんだか私は疲れきっていて、イライラしていた。

小さな同居人に当たらないようにするのが精一杯で、余計に疲れてしまった。

勉強より、こっちのほうが難しいね。

学校から今帰宅。音楽のテストが終わった。

弾き歌いで、ものすごく伴奏を間違えてしまったが、なんとか歌は続けた。

間違えた、というより、アガッてしまって一箇所左手が分からなくなってしまったのだった。

仕方がないので右手だけで続けた。

かなりショックだったが、いいこともあった。

担当の先生から「大丈夫。歌はよく歌えてた」と優しい言葉が。

間違えなかったらきっと優しくしてもらえなかったと思うので、やっぱり間違えてよかったのかもしれない。

別に単位落とすほど間違えた訳でもないし。

ピアノ曲のテストは、一箇所間違えてしまったが、

後半は自分なりに情感を出せたと思う。

いつも厳しいシャネル先生(いつもシャネルスーツを着用)からは、「よかったじゃない?」と言われた。

とにかく、先生から優しい言葉が聞けて嬉しかった。

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こさめ ふってるよ

うなされて目が覚めた。

ものすごく嫌な夢だった。

学園祭のグループ発表に関する夢。

こんな夢を見ることからしてみても、相当ストレス感じてるんだろうな。

要求される作業だけやって、あとは距離を置こう。

やるなら伴奏だな。

間違っても演出とか役者はやりたくない。

10月末に朗読劇、11月初旬に児童劇と本番が続いている。

学園祭のストレスから、なんとか身を守りたい。

おととい、小さな同居人と出掛けた。

雨がほとんど降っていないと思って「傘しまったら?」とすすめると

「まだ こさめ ふってるよ」としたり顔で言う。

小雨かあ。難しい言葉を知ってるね。

最近、言葉の豊かさの点では、小さな同居人に追い越された感じだ。

時制は「おととい」という言葉が出現した。

近い過去は「きのう」で、ずうっと前のことを「おととい」というらしい。

最近か、そうじゃないかは、小さな同居人の主観による。

昨夜、「ダーウィンがきた」で、コアラの生態を見た。

最後、赤ちゃんだったコアラが一歳になり、巣立ちをするところを見た。

離れていくコアラを、お母さんコアラはじいっと見送った。

私が泣くと、小さな同居人が理由を訊ねてきた。

「コアラ、ママとバイバイしたの見てたら、淋しくなったの」と話すと

小さな同居人は番組の内容も、まだ半分くらいしか分かっていないので、

キョトンとしていた。

眠る前、突然「五歳になったら、(自分も)まま と ばいばい するの?」と

心配そうに訊ねてきた。

「ううん。まだずうっと バイバイしないよ」

「どのくらい?」

「人間は20歳になるまで バイバイしないんだよ」

「ばいばいして どうなるの?」

「バイバイしても 仲良くするんだよ」

「……」

不安そうな顔をしている同居人の頭を撫でているうち、私も眠ってしまった。

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ばいばい しないよ

「ごさいに なったら ままと ばいばいなの?」 

朝起きてからまた、小さな同居人が不安そうに言う。

コアラの番組で見た「巣立ち」が気になるらしい。

昨夜は、20歳になったらバイバイだけど、その後も仲良くするんだよ、と伝えたが、

それじゃやっぱり心配だよね。

「バイバイしないよ。ずっと一緒なの」と答えると

やっと笑顔が戻り、抱きついてきた。

ごめんね。ずっと一緒だよ。

だけど、ママはストーカーみたいにならないように、気をつけるつもりだよ。

今日のテストは、一限目はテストの裏に講義の感想書くということだったので、

「大好きな授業でした」と中学生みたいなこと書いておいたぜ。

なんだか気持ちがすっきりしてきた。

やってみるもんだな。

まあ、その後、グループ発表に関する苦言を書いてしまったのだが。

テストが終わった後は、学校でピアノの練習したり、試験勉強したりした。

Nさんと一緒。

授業中の発言などを聞いて、可愛くて頭のいい子だな、と思っていたが直接喋ったことがほとんどなかった。

だけど話してみて何で彼女の意見がいつも面白いのか、分かった気がした。大学で社会学を学んでいたらしい。

保育改革とか、教育行政についての意見など、いつも一皮むけているな、と思っていた。

「もてねーっす」って言ってたけど大丈夫。あなた可愛いから。

結婚できるかなあ、と心配していたので

「大丈夫。結婚するのは簡単。でも離婚は大変だから、結婚する前に死ぬほど考えたほうがいいよ」と答えておいた。

死ぬほどじゃないけど、私も去年の春くらいは、考えてたっけ。

考えた末に、やっぱりやめにしたのだった。

本当に正解。

結婚していても、やはり私はあの人を好きになっただろう。

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きづく

ここのところ、また憂鬱が復活している。

金曜日は臨床心理の講義がある日で、その日はそのまま先生がスクールカウンセリングのために学校に残る。

四限の後、カウンセリングを受けた。

ここに来るのは二回目だ。

先生に、最近のぐちゃぐちゃした気持ちを混乱したままぶちまけたら、その後はすうっと、ラクになった。

混乱とは。

8月中旬から続く憂鬱の中、私は恋情に似た想いを抱えている事に気付いた。

一時的に舞い上がったけれど、

考えれば考えるほど、憂鬱から一時的に救われるための仕掛けを、私の無意識が用意したのではないかと疑いが起こった。

相手に対しても違和感があった。

素晴らしい人であるのは間違いない。

しかし私に対してどうかというと、どちらかと言えば冷たい、そっけない部分を見せることが多い。

話に耳を傾けてはくれない。

その点で、母と非常に似ている。

これまで私は、私は家族によく似た人物を好きになるという事を繰り返してきた。

うんざりする。

幼い頃からつらいと感じ、今も逃げ出したいと思っている家族関係を、私は他人との間にも再現しなければ気がすまないらしい。

いわば、不幸になるための道筋を、わざわざ自分で探して選び取る、というのが私の人生。

そして思いが成就した後は、上記の事実に気付き、ぞっとして逃げ出す、というパターンだ。

今回もそれではないのか?

混乱しているまま話すと、冷静になってきた。

その人の近くに寄らないようにしようという思いが強くなってきた。

というか、どう考えても近寄れるような機会も状況も生まれるはずもないが。

とにかく自分の意志として、遠く離れていようと思った。

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よかったことを かんがえる

昨日はなんだか異常なほど疲れていた。
で、今起きた。
テスト勉強して、講義受けて、芝居の稽古っていうのはきついかもね。

今日からもう芝居の稽古は休みだからちょっと楽できるけど。

朝から暗い気持ちなんで、
昨日あったよいことを考えてみよう。

◆一つ下だと思っていた役者から「俺、同い年っすよ」と言われた。
仲間って感じがして嬉しかった。

その役者が私の憧れの女優と知り合いで、今度会わせてもらうことになった。
ああ、ドキドキする。
実年齢を聞いてびっくりした。
五つ年上だった。清楚な人はいつになっても可愛いらしいままだ。

◆弾き歌いの課題曲、やっと歌えるようになった。
昨日はほとんどミスなしで歌えた。

◆ピアノテストの曲(ノクターン)も、だんだんまとまってきた。

◆夕飯(しょうが焼きとご飯、野菜の味噌汁、ひじき煮、トマト、ほうれん草おひたし)を
小さな同居人が残さず食べられた。

次。朝起きて、よかったこと。

◆肩の凝りが、だいぶ良くなっている。あんまり痛くない。

以上。

いいこともあるじゃないか。

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かんきゃくさんかがた いべんと

午前中は、学校でピアノのレッスンを受けた。

昨日、私が「歌詞が出てこなくなる」とボヤイたことを、先生が本気にして試験の心配をしていた。

そうじゃないんだよなあ。

口ごもりながら「違います。最近、情緒が不安定で……」と苦しい言い訳をすると、

(いや、それはほんとなのだけれど)

「ああ、要するに愚痴りたかったの?」とバサッと斬られた。

正直、ほんの少しでいいので優しくして欲しい。

何故、いつも私に対して口調がS気味?

それに、歌に対する要求がいつも厳しすぎる。そこまで感情表現しなくちゃダメなのかなあ。試験曲なのに。

歌詞に対する思い入れが強いのかな。

この曲、暗い人を応援する歌だし。先生もたぶん性格が暗い。

まあ、いいや。努力はします。

午後は、児童劇の稽古。

休み時間、役者たちと近況を語り合う。

お互いに、率直なところをぶちまけあう。

今週末、恋人が出て行く、という人もいた。それはほんとにつらかろう。

私も、最近静かに狂っていることを話した。

奇妙な嗜好?を知っても、誰も驚かず普通の顔でいろいろ質問された。

小さな同居人は、トランポリンの周りにぬいぐるみを並べる。

そして私をぬいぐるみたちと同じ場所に座らせる。

でもって、自分はトランポリンに乗り、上から声を掛ける。

「みんな、みててねっ」

ガンガンに歌って踊る。

既成の曲もあるが、オリジナルと思われる不思議な曲もある。

跳ねて踊って跳ねて跳ねて転んで歌って……めちゃくちゃ楽しそうだ。

「めえめえちゃんも おどって みよっか」

と、何故か先輩口調で羊のぬいぐるみに声を掛け、私に渡してくる。

要するに、羊のぬいぐるみを操って踊らせろってことなんだけど。

そのうちどんどんぬいぐるみを渡され、操るのがすごく大変になってくる。

小さな同居人は、カワイの音楽教室のCDを自分で掛けて、さらに盛り上がっている。

「まま、きて」と引っ張られ、私もトランポリンに乗って跳ねて踊る。

どうやら、観客参加型のイベントを想像しているらしい。

テレビは「ダーウィンがきた」と「いないいないばあ」見せてないのだけれど、

アイドルの存在をもう既に知っているような行動だ。

困ったなあ。

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もうふ に なりたい

友人と電話で話す。

最初は作品のこと、次に好きな人のこと。

語り合いながら、来し方を思う。

大学入学以来、恋愛はするが恋心はない、そんな日々が長い間、続いていたのだと気付く。

私の繰り返してきた「恋心の薄い」恋愛には、決まった特徴があって、

同じコースをたどって一周か二週走ると終わるのだ。

好きになってしまいそうな人に少し距離感を持って接してきたのは、

中学から高校にかけての恋と喪失があまりに鮮やかだったせいかと思う。

その人は「あなたを包む毛布になりたい」と私に言った。

明るい茶色の目が夕日に透けて、きらきらとオレンジ色に光るのを私は見つめた。うっとりするほどきれいだった。

私も何か返したかったけれど、胸がいっぱいで言葉が見つからなかった。

結局、私たちは離れ離れになってしまった。

「住む世界が違う」という言葉がその人の口から何度か出た後、別れを告げられたのだった。

私はしばらく抜け殻のようになり、やがて恋を恐れるようになった。

我ながらアホだと思うけれど、

私にとっていまだに恋っていうのは、オレンジ色のキラキラを見つめることなのね。

あるいは、胸がいっぱいで言葉を見つけられない状態のこと。

今は、たぶんその状態。

キラキラしたものをはるか彼方に見つけた。

その人にとっては、まったく私など子ども同然。一生手など届くはずもない。

とりあえず、目の前にあることを頑張ろう。

などと中学生のような目標を立ててみる。

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どくしょ

なんとなく、松浦理英子の小説を読んでいる。

今は「裏バージョン」。

好きな世界だ。

構成アイディアも、文句なく面白い。

この人の作品は、

情景描写の言葉に、理屈っぽい感じの四角い言葉を選んで使ってあるのも、面白い。

独特のユーモア感覚だなと感じる。

昨日は「ナチュラル・ウーマン」を読んだ。

面白いけれど、どうして花世が主人公から離れて行ったのか、

よく分からなかった。

というか、分からないから恋愛小説として成り立っているのだろうけれど。

三つ連作になっていて、時間軸がループになっているという形式も、興味深い。

この形式は、私も戯曲を書く時、参考にしてみたい。

女どうしの恋愛、の特徴みたいなものが直接的に伝わってこないのは、

この作品に男性が登場しないせいだ。

そのあたりはどうなのだろう?と考えた。

だって、この作品の読者はこういう恋愛には慣れていないはずで、だからこそ、女どうしならでは、というところが知りたいのではないかと思うのだが。

性描写や、台詞の一部では、それが感じられるのだが、

全体としては、ふつうの恋愛小説だな、という感じ。

んー、まあそれでいいのか。

文体や、構成のアイディアなどはとても好きなので、一気に読めた。

そろそろ、10月28日の朗読劇について、考えていかねばならない。

原稿は書きあがったので、あとは朗読と音楽の打ち合わせ。

掃除をしていてふと気付いた。

小説とは、読者の知りたいことを書くことではないはずだ。

うん。

雑誌のゴシップ記事とか、大衆小説とかはそれでいいのかもしれないけれど、

芸術作品は違うのね、きっと。

私はいつも、作品を書く時、

観客が知りたいことを書いてしまう。

というか、自分が知りたいことを書く。

書きながら観客と登場人物の視点、両方を往復していて、

どちらかといえば、観客の知りたいこと、観たいことを書いていると思う。

そういう意味では、芸術家には程遠いのかもしれない。

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こういうの ほしい?

学校のオープンキャンパスで、手話部の発表の伴奏をした。

どっと疲れた。

本番で使うピアノを一度も弾いておかなかったのは失敗だった。

大きなミスはなかったが、いくつかミスタッチがあった。

転調して少し音が難しくなる瞬間に、ピアノの先生がピアノに映ったため、

動揺し迷走しそうになった。

前日に求められた、楽譜とは別バージョンのエンディングは、なんとか弾けたのでよかった。

時間がないので、適当に自分で作ったのだが、音楽的に変なところがないのかは自信がない。

そのうち、先生に質問してみよう。

学校を出たところで、先生とすれ違った。

「きれいに弾けていましたよ」と例のぼそぼそした感じでおっしゃるので、

「先生がピアノに映ったので、トチリました」と私もボヤッキーで答えてみた。

考えてみると、この連休、試験勉強のために教科書を持って帰るべきだったなあ。

ちょっと失敗だったかもしれない。

ろくろく講義を聴いていないくせに、去年よりも満点の数を増やしたいと考えている。

まあ、満点でも80点でも評価は同じだけど、単なる自己満足。

内容的には、去年とくらべてあまり面白い講義がなかった。今年の前期。

面白い教科があっても、大教室すぎて、興味が半減したり、というのもいくつかあった。

後期はもっとつまらなくなりそう。

神社のお祭りに小さな同居人と行く。

帰ってきて、光るスーパーボールをうっとり眺めながら

「ままも こういうの ほしい?」と小さな同居人が答えた。

「欲しいよ。くれるの?」と訊ねると、

「ううん」と首を振る。

くれないなら、何故欲しい?と訊くのだ、おぬし。

まったくね。

ますます女っぽくなってきた……。

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たいみんぐ

今日は雑用で一日忙しかった。

不快な出来事もあった。

昼休みは、ピアノ伴奏を頼まれご飯を食べずに終わってしまった。

しかも名前もよく知らない人から嫌がらせをされて、うっすらと不快だった。

たぶん私の何かが気に触ったのだと思う。

同じ人物に一年ほど前にも不愉快な台詞を言われたことがある。

午後の授業の後、家で仕事の連絡をいくつか済ませ、そのままカワイのショールームへ。

ピアノの試弾のためだ。

その中古ピアノは三年前のモデルで新しく、スペックも素晴らしい。

しかし、私のイメージよりも随分「鳴る」ピアノだった。

少しこもった音が好きな私としては、ちょっと残念。

それを伝えると、他のものをすすめられたがそれは新品でとても高い。

来週また試弾のため、再度訪れることになった。

園に迎えに行き、夕飯を作っている途中で、身体中が痛いのに気付いた。

風邪か?

測ってみると微熱。

今日は少しだけ例の人と話した。

お互いに忙しかったので、用件のみ。

話した直後に、ある考えに思い当たって、気持ちが暗く、落ち着かなくなった。

ひょっとしたら、

このタイミングで、しかも距離感のある人を好きになった理由は、

お盆くらいから感じているこの憂鬱から逃れるためなのではあるまいか。

距離感のある人へどんな思いを抱こうと、日常に物理的に影響を及ぼすこともなく、無害だからだ。

親しくしているSが、長期の出張でそばにいないことも関係しているような気がする。

いろいろ考えてきたら、

昨夜から続いている楽しくくつろいだ気持ちが、また憂鬱に引き戻されてしまった。

心身ともに絶不調だが、夕方、お迎えに行ってからはいろいろ頑張った。

夕飯も、会話も、絵本読みも、洗濯も、風呂も、歯の仕上げ磨きも。

小さな同居人は、食卓に置かれたぽん酢のラベルを指して

「『ぽ』だね。それと、『ん』だよ」などと言う。

字が読めると、いろんな発見があって楽しいようだ。

基本は幸せなのだ。

でも一度憂鬱になると、なかなか抜け出せない。

これからは、憂鬱になると想定されるものは、避けて生活したい。

家族との旅は止めようと思っている。

私には無理なのだ。

血縁を満足させることは大切なのだろうが、

まずは、小さな同居人との暮らしに対する責任を全うしたい。

笑顔でいられるような状況を、自分で守らねば。

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どきどき に きづく

昨日、友人と話していて、ある人に対して恋心を抱いていることに気付いた。

その時、全然別のことを話していたらふとある人が頭に浮かんで、

そういえばこの前ドキドキしたなあ、

と胸が痛み出した。

口では、「オープニングにこんなシーンを持ってくるのはどうか」などと作劇上のアイディアを話しているのに、

頭では、何故その人にドキドキしたのだろう?と考えている。

しばらくして、「ああ、恋なのだ」と理解した。

創作の話が終わった後、その人のことを話した。

友人曰く、「ああ、あなたが好きな典型的なタイプ」だそうで。

分析によると私は、「純粋で幼い少女の心を執拗に持ち続けていて、それがゆえに世間一般的な幸せは手に入れられない」人に心を奪われるそうだ。

気付かなかったよ。

そうなのか。まあそうだ。

つーか、中学くらいからそうなんだから、いい加減気付いとけよ。

個人的に言葉を交わす機会は一週間に一度あるかないかだから、

その人が何歳なのか、どんな背景があってそこで働いているのか、知らないけれど。

私よりはものすごく年上で、極端なロマンチストであることを隠して生きてきた、ということだけは分かる。

優しくてユーモアがあるが、滅多に笑わない。

そんな人。

親しくなるなんてことはまずなさそう。

そのうち、作品にしたいと思う。

あとは、夢に浸りながらピアノでも弾こう。

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それを いったら おしまい

劇作家協会の新人戯曲賞の審査が終ったと思ったら、

審査結果が届いていないと協会からメールをもらった。

ええ?と確認すると、どうも用紙の裏面、つまり白紙をファックスしてしまったらしい。

ほんとにねえ。何やってんだか。

週末は腹痛と審査と11月にやる児童劇の練習であっという間に終わってしまった。

まあこれからは少し余裕があるはず。

月末には学校の試験もあるから少しは勉強しないと。

小さな同居人は、ますます言葉が達者になってきた。

生意気な顔で

「くがつは 〇〇ちゃん(保育園の友だち)と ばあばの おたんじょうび だよ」

などと言う。 

遊びの中で、何気なく「それをいったら おしまいだよ」なんて言うからびっくりする。

確か「めっきらもっきらどおんどおん」という絵本にそういうセリフがある。

覚えたのだろうか?

家ではほとんどの時間、トランポリンで跳ぶか、ハサミとノリで工作するかして遊んでいる。

ハサミで切っている時、こちらはヒヤヒヤしながら見守るが、

本人はそんなことも知らず、達者な手つきでチョキチョキやっている。

身長はひと月にだいたい一センチのペースで伸びている。

秋冬物はほとんど新しく買い揃える必要がある。

近いうちに買出しに行かねば。

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ながい たびじ

実習がやっと終わった。

長い旅路だった……。

久しぶりにパソコン開けてみたら仕事の注文。

ありがとうございます……。でも少しだけ……休ませてください……。

よく見たら初稿アップは10月半ばとのこと。

うひひって喜びかけたら、思い出した。

戯曲賞の審査、20本くらいまだ読んでないんだった……。ああ……。

仕方ない。

学校に持って行って読もう。つまんない講義はどうせ暇なんだし。

小さな同居人が突然「たいそうの せんしゅになる」と言い出した。

保育園の連絡帳に「保育士の手にぶら下がって一回転しました」とあったので、

それで先生に乗せられたか?

確かにねえ。

あなたはジャングルジムやらトランポリンやら鉄棒やら、体操系のものが大好きなようだけど……ママは心配なのだよ。

落ちたらどーするんだ。まったく。

でもまあ、あなたが好きなら止められないし、応援しますが。

この前まで「きてぃちゃんに なる」って言ってたのにねえ。

最近、ところどころ字が読めるようになった。

「ま」「み」「ん」「く」「る」「ち」「か」などを本から拾って読んだり、

道を歩いている時、道路の「とまる」を見て「ほらみて 『る』があったよ」と指差したりする。

一人で本が読めるようになるまであともう少しか。

紐を結ぶのも上手になった。

この前、ジャージみたいなズボンのウエストの紐がキツイのでよく見たら、10回くらい続けざまに結んであった。

小さな同居人がいたずらしたらしい。

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