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2012年12月

すきとおって みえなくなったら

勘三郎さんの告別式をTVで見た。

たくさんの人が涙を流し彼の死を悼む。

「まだ信じられない」「納得できない」と口にする。

今さらながら確認した。

死に関わる儀式は生き残った人が、

死を、喪失を、現実に起こったことと信じるために、納得するために

行われるものであったか。

私は本番が入っていて師匠の葬式に行けなかった。

だから、芝居のことを人と話していて、この役は師匠にぴったりだから客演を依頼してみよう、連絡を、と思いかけて気付く。

そうだ。

師匠はもう死んだんだっけ。

だから、もう、客演は頼めないしもう話したりもできない。

彼を憎むことも、もうできない。

葬式に行けば、こんなこともないのかもしれない。

だけど、そうしたら、受け入れなきゃいけなくなるんだよね。死んだって。

もうしばらく、師匠の残像をこころに宿しておきたいかな。

それでもう、ほんとに残像が透きとおって、見えなくなってしまったら、師匠の実家にお線香をあげにいこうと思っている。

そんな日が、くるかしら。

ねえ。どう思う?師匠。

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かみ の まなざし と いんりょく の かんけい 

好きな人ができると更新できなくなる傾向があるようだ。

気持を伝えられるわけでもないし、自分でもそんなことは望んでいない。

ただ、そばにいるためにどうしたらよいのかと、ずっと考え続けている。

思いとは別にとりあえず、コード理論の勉強を続けている。

組み合わせた音が頭の中ではっきりと鳴り響くようになってきた。

不思議だなあ。

中年の錆びた脳でも、こうして訓練すれば、また新しい機能を備え始める。

小さな同居人は日々、目に見えるかたちで成長している。

でも私も少しずつだけれど、進化しているのだ。

諦めないで続けようと思う。

きっとそういう私を、神さまは見ている。

そう書いてみてはっとした。

「誰か他者の視線を感じないと、人間って不安定に陥りやすいものだなあ」と今日考えたばかりだったから。

そうか。

誰もそばにいなくて、でも誰かの眼差しを感じたい時、

人は神を思うものなのか。

一人ぼっちの人間の、頼りなくふわふわ漂う魂をひとところにつなぎとめるものは、

他者の視線だ。

惑星と同じなのかな。

太陽の存在によって、引力が発生し軌道を回っている。

視線は引力のようなものかもしれない。

それによって、魂は彷徨うのをやめ、軌道という生活をたどり始める。

孤独死する人は、経済的な困窮も大きな理由だろうけれど、

暮らしの中で「視線」が失われてしまって、

生活を動かしていくエネルギーがなくなってしまったのではないだろうか。

信仰をまったく持たない私だが、思った。

神は、求めるもの全てに「視線」を与える。

そういう意味では、宗教は生きるための、生き抜くための、

強力な「システム」なのだろう。

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ねこさわぎ

二学期最終日。

今日もコードの勉強。

帰る間際、先生に質問に行くと、またしても無愛想。

まあそういう人なんだけど。

先週から両手の指にそれぞれ絆創膏貼ってあるので気になって訊いてみた。

「他の人からも同じこと質問された」と言っていた。

そうなのか。その人も先生のこと好きなんじゃないかしら。

でもこんなにたくさん貼ってあると誰だって気になるよ。

「咳もずっと治ってないですね」とさらに訊くと「エアコンに弱いだけだから気にしないで」と言われた。

先生のことが心配だ。

ちゃんとご自分のケアもしてほしいなあ。

部屋を出る時、しみじみと「おげんきでね」と言われた。

元気でいようと思いました。

正月明け、今度お会いする時までに、さらに勉強をすすめます。

先日面白かったこと。

小さな同居人は、猫のぬいぐるみを四つ、ひもでつなげてそれを振り回しながら

「ねこさわぎだよ!」と叫んでいた。

ねこさわぎ?

胸騒ぎ?大騒ぎ?とにかく猫が大勢でわやわや騒いでいる様子を意味するらしい。

面白い言葉だね。ねこさわぎ。

朝食時、窓から朝日を見て。

「おひさま が えれべーたー に のって やってきた」と呟いていた。

すごいねえ。

私には考えつかない!

子どもは言葉の天才だ。

天才の傍らにいて、自分の才の平凡さ貧しさに気付くたび、痛快な心持になる。

私がマゾなのかもしれないけれど。

こういう「ぎゃふん」って大切なんだよねえ。

ものすごく勉強になっています。ありがとう。小さなお師匠さま。

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べんきょう

今日は学校のホールで、伴奏の本番。

少し指がかじかんでいたけれど、まあそんなにひどいミスはしないで済んだ。

ちょっとアドリブ演奏なども入れて弾けたので、個人的には楽しかった。

午後、友人が学校に残るというのでつきあってピアノ室へ。

突然思い立って、コードの勉強を始めたら、以前手をつけた時より理解がスムーズになっていた。

そのせいか面白く感じた。

来春から小学校向けの表現ワークショップの手法を、

アシスタントをしながら学ぶことになりそう。

助手はピアノの即興演奏が必要だそうなので、とりあえずコードを頭に入れておかないと。

ちょっと勉強してから、手持ちの譜面を見てたら

分からない表記がいろいろあったので、質問に行った。

先生は相変わらずぶっきらぼうだったが、詳しく説明してくれて嬉しかった。

ものすごくやる気が出てきた。

ということで、今週はコード理論の勉強に集中しよう。

基本を年内に理解して、1月から3月にかけて演奏にいかせるようにしたい。

できるかなあ。

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すきだよ の びんづめ

メモ。

さっき、ネット上をふらふら彷徨い歩いているうちに、

とんでもないページを見つけた。

すごく好きな人のブログのようなもの。

読まないほうがいいと思ったけれど、やっぱり読んでしまった。

ほんとに可愛い人だなと、またまた好きになってしまった。

まあ、その発見とは関係なく、おとといくらいから、あの曲の譜読みを始めた。

題名は書けない。

私の中で一番こっぱずかしいジャンルに属する曲なのだけれど、

今のこの気持ちを表現するには、もうこれしかない!のだから仕方ない。

卒業までに絶対弾けるようにするのだ。

それにしてもアホだなあ。

こんな曲弾くなんて、私の頭、どうかしちまったんだろうか。

とにかく精進あるのみ。

妄想にふける時間があったら、次の実習用の指導案を作っておけ。

ピアノの練習をするのだ。

来年の公演、朗読劇にするか、芝居にするか迷っている。

忘年会がてらメンバーと話し合うつもりだ。

夕方、自転車に乗っている時

「おほしさま も うごいてるよ」と小さな同居人が言った。

「うーん」と返答に困ると「おほしさま は おさんぽ に いくんだね」と言う。

続けて、「おほしさま は いつ ねむるの?」と訊ねてきた。

「ええっと、ひ、昼間じゃない?きっと」としどろもどろに答えると、

私の言葉は耳に入らないのか、「ねむたくないの?」と空に向かって訊ねていた。

子どもはみんな優れた詩人だ。

小さな同居人の言葉からはいつもバニラの甘い匂いがする。

「まま すきだよ」という言葉を、いつか死ぬ瞬間に思い出せたら、どんなに幸せだろう。

ビンに入れて、胸にぶらさげておけたらいいのに。

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できたよ!

もうすぐクリスマス。

部屋を小さな同居人とともに、紙で靴下やハート、ツリーを作ってデコレーション。

クリスマスツリーが欲しいというので買ってきて飾っておいたら、

小さな同居人が「きらきらは?」と言う。

なるほど、電飾が欲しかったのね。

今度は電飾を購入。電池式だがなかなかキレイだ。

すごく喜んで、「もっとかざりたい」と言い出した。

昨夜はツリーの装飾を作るのに夢中だった。

カレーを作っていたら「みてみて。できたよ!」と、折り紙をリボンの形に切り抜いたものを差し出してきた。

切り抜いた花などと一緒にツリーに飾った。

それにしてもハサミを器用に使う。

技術的にはもう、私と同じくらいかもしれない。

小さな同居人だけではなく、同じクラスの子は全体的に手先が器用だ。

ひらがなもほとんどの子が読めるらしい。

塾や教室に通っている子はほとんどいないし、園の先生も勉強のようなことはさせておらず、のびのび遊ばせているだけなのに、不思議だ。

よい先生が揃っている園に入園できて本当にラッキーだった。

早ければいいということはないが、

遊びながら自然にできることが増えていくなら、これに越したことはない。

私自身、ピアノを去年から再開、練習していく中で、人生に喜びが増えたと感じている。

この歳になっても、成長することはこんなにも嬉しい。

幼い心にとってはなおさらだろう。

私と小さな同居人ふたりの「できたよ!」と輝く笑顔が、ずっと続くといい。

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まま すきだよ

来週の月曜日、手話部の発表につきあって伴奏することになった。

新しい曲があるので、少しでも時間があったら練習しなければ。

伴奏をいくつか引き受けるようになってから、先生と話す機会が増えて嬉しい。

これから卒業まで先生の講義がないのが本当に残念だ。

コードの勉強をして質問しに行くつもりだったけれど、

伴奏やらテストやらで練習が忙しく、ほとんどすすんでいない。

何とかしなくては。

小さな同居人は最近「まま すきだよ」と頻繁に言うようになった。

三週間前にとうとう卒乳したので、その影響もあるかもしれない。

おっぱいを飲むということが、愛情表現だったのだろうか?

それがなくなり少し気持ちが宙ぶらりんになって、好き好きと連発するようになったのか。

私も一緒にいると一時間に一度くらいは「大好きだよ」と言ってしまうので、

私のマネかもしれない。

数日前からクリスマスのデコレーションを手作りして、家の壁面を飾っている。

模様のついたマスキングテープは、ほんとに重宝。

クレヨンと一緒に使うと面白い味わいになる。

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すてきな さいくる

今日は一日家にこもって仕事。

さきほど、目標としていた分量に辿り着くことができた。王手。

明日の昼までならなんとか書きあがるだろう。

というか、時間は十分にあったのだからもっと早くに手をつけるべきだった。

朝から、仕事に飽きると、ピアノの練習をして、また仕事、というサイクルで過ごした。

とてもはかどるので、これからもこの方法でいこう。

「ドコノコキノコ」の弾き歌いの練習と、ドビュッシーの「夢」、ショパンのノクターンも新しいものを少しさらった。

三度で上下に素早く移動するところ、あまりうまくいかない。

音の同時性がいまいちで美しくない。

幼い頃はどうしていたのだろう?こんなことで悩んだことなかった。

もうこれはハノンとか、そういう練習をしなければならないかもしれない。

大嫌いなのに。

やれば少しラクになることは分かっている。でもなあ。

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ひくと はねる

原稿を書く気がしなくて、仕事を数日間ほったらかしにしていた。

さすがに書き始めないと締め切りに遅れる……。

ということで昨夜から着手。

この土日は、小さな同居人とのんびり過ごした。

ここのところ心に余裕がある。

それを感じ取っているのか、小さな同居人もすこぶる機嫌がいい。

今、好きな遊びは折り紙や切り紙、お絵描きなど、手先を使うものばかりだ。

私も小さい頃、手作りするのが好きなほうだったけれど、これほどではなかったように思う。

先日、購入したピアノがやっと家に来た。

私がピアノを弾くと、小さな同居人がトランポリンで跳ねて遊ぶ。

楽しい時間だ。

明日は学校行事のクリスマス・ミサで

教会のハモンドオルガンを弾く。

どうなることやら。

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