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すきとおって みえなくなったら

勘三郎さんの告別式をTVで見た。

たくさんの人が涙を流し彼の死を悼む。

「まだ信じられない」「納得できない」と口にする。

今さらながら確認した。

死に関わる儀式は生き残った人が、

死を、喪失を、現実に起こったことと信じるために、納得するために

行われるものであったか。

私は本番が入っていて師匠の葬式に行けなかった。

だから、芝居のことを人と話していて、この役は師匠にぴったりだから客演を依頼してみよう、連絡を、と思いかけて気付く。

そうだ。

師匠はもう死んだんだっけ。

だから、もう、客演は頼めないしもう話したりもできない。

彼を憎むことも、もうできない。

葬式に行けば、こんなこともないのかもしれない。

だけど、そうしたら、受け入れなきゃいけなくなるんだよね。死んだって。

もうしばらく、師匠の残像をこころに宿しておきたいかな。

それでもう、ほんとに残像が透きとおって、見えなくなってしまったら、師匠の実家にお線香をあげにいこうと思っている。

そんな日が、くるかしら。

ねえ。どう思う?師匠。

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