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2013年9月

さっかくできないから つらい

土曜日、レッスンに行った。

ベートーベンはつらいなあ、と思いながら弾く。

譜面上では簡単そうに見えるのに、正確に弾くのは難しい。

表現するのはもっと難しい。

表現しようとした途端、技術的な綻びが爆発、とんでもないことになる。

あんまり苦しそうだからか、「こういう曲を弾くことは、あなたの表現の役に立っている?」と先生に質問されてしまった。

さらにつらい。

本音を言うと、技術が足りなくてもそれなりに聞ける演奏に仕上がったと「錯覚できる」曲を弾きたい。

でも、それじゃボロボロの指のまま一生終えることになる。

しっかり練習しなければいけない。

それは理解している。

小さな同居人は、最近「ままのことが すきなの」と言って、涙ぐんでみせるようになった。

「おひるごはん たべてると ままに あいたくなって ないちゃうの」などと言う。

おいおい、どうしたんだ。恋わずらいか?

というわけでもなく……。

「でも なきたくて ないてるんじゃないって れんらくちょうに かいてね」などと

ちゃっかりしたお願い事をしてくる。

園で幼児クラスに進級してから先生が少し厳しくなったらしい。

そのため情緒不安定気味。

最近、夢中で遊んでいる時以外は、ほぼ抱っこで生活している。

落ち着くといいねえ。

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じぶんだけの さくひん

小さな同居人が、病気になった友だちに何かプレゼントを作ろうとして折り紙を切っている。

その時に、ふと呟いた。

△△(小さな同居人がよく遊んでもらっている大人の名前)と一緒に作るのは嫌なのだと言う。

「どうして?」と訊ねると、「すぐ全部作っちゃうから」と言う。

小さな同居人は横に置いてある切り紙の作品をチラッと眺めながら小さな声で言う。

それはまるでレースのハンカチのようにデザインされ、カットされている。

数日前、△△はその作品を私に見せるとき、誇らしげに小さな同居人が作ったのだと、報告してくれた。

もちろん私には、彼女自身が小さな同居人に指示を与えて作ったものだと分かっていたが、反論はしなかった。

彼女が、小さな同居人と遊んだという達成感をかたちにしたいという欲求を持っているとしても、仕方がない、と思ったからだ。

「自分のしたことの見返りや証が欲しくなる」というのは文字にして書くと禍々しいようだが、

人として当然の人情である。

保育の現場でも、そのような場面には多々遭遇する。

しかし、小さな同居人は表面はニコニコしていても、内心、アドバイスを細々受けて作るのはイヤだったのだろうし、それを自分の作品だと、私に報告されるのも、恥ずかしかったのだろう。

子どもはいつだって、自分だけの、自分自身の作品を作りたいと強く望んでいる。

私も自分が、表現をずっとやってきたから、子どものそういう気持は痛いほど分かる。

その気持、守ってあげられなくて、本当にごめんなさい。

今度、そんな場面に遭遇したら、私からきちんと話さなければと思う。

往々にして大人は完璧なものや、上手にできたほうが本人も嬉しいだろうと思って、アドバイスやら指示を無意識のうちにしてしまう。

保育の現場で見ていても、自負心の強い人ほど、そうなりやすい。

見守ること。

子どもに提案をする時には回数をしぼり、意識的に行うこと。

何より、子どもの気付きやアイディアが生まれる瞬間を待つこと。待ち続けること。

どれもすごく難しいけれど、それができる大人にならなければ。

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