くりすます
昨日、クリスマスイブは、猛烈に調子悪かった。
身体じゅう痛くて閉口。
秋に身体を壊す直前の症状と似ていたので、かなり動揺した。
おまけに早朝からとても理不尽なメールが何通も来て不快だった。
私とその人は遠くかけ離れた人間だと思うのだが、何故か似たもの同士だとその人に思われているらしいのだ。
すごく困った。
でも誤解されるようなことを私がしたのかもしれない。
何も覚えがないけれど、そうなのかもしれない。
私は似たもの同士ではありません、共感できない、と一応説明付きで返信したが、
ますます不快な内容になっていった。
もうどうしようもないから返信をやめた。
本当にごめんなさい。
傷つけるのは嫌なのですが、私は自分と他人の区別がつかなくなっている人は苦手なんです。
イブは小さな同居人も私もお腹の調子が良くなかったので、ケーキは食べなかった。
でも一緒にオセロをしたり、トランプをしたりしてのんびり過ごしてとてもほのぼのとしたイブだったと思う。
クリスマス当日の朝は、小さな同居人がツリーのところにプレゼントを発見して大喜び。
青いドレスを一着と、カラー輪ゴムでアクセサリーを作れるというリリアン編みのようなキットと、アナと雪の女王のカレンダー。
日中は仕事に追われた。
ゲーム執筆の仕事は、はい、この作業今日中にやってください、とかが時々ある。
閉口。
前日に言ってくれるとありがたいんだけど。
仕事自体は手早く処理できても、その時間を確保するのが大変だ。
結局仕事を始めてしまうと、息抜きなんてなかなかできない。
ママ友たちは、子どもを預けて飲みに行く人とか多いけれど、
本当に羨ましいな。
友だちと飲みに行くことを正当化できるのが羨ましい。
それって自己肯定力みたいなのが必要だよね。
「行きたいから行く」とか、「仕事で疲れたから」とか。
でも根底には「自分は頑張った」とか
「息抜きが許されるくらいの自分には価値がある」っていう意識があるんだろうなと思う。
息抜きは、本当は絶対に必要だって、私も思っているんだけれど、
母親から植え付けられた罪悪感みたいのが抜けない。
子どもを産んだら、自分のやりたいことをやったらいけない、という強迫観念。
だから自分の仕事のキャリアに関係のあることしかできなくなってしまっている。
秋に病気になったのも、なるべくしてなったとも言える。
自分を高めようと努力しても、結局自己肯定力は高まらないんだよね。
高めよう、じゃなくて、楽しいことをやったほうがいい。
息抜きしないと食べられなくなって病気になる。
また繰り返しにならないように、生活をもっと見直そう。
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