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かんじょうは おきかえられない

作品を好きだ、と言われるのには抵抗を感じないけれど、

人に「作家として好き」とか「人間として好き」とか「女性として好き」とか言われるのが

「好きではない」。

何故かといえば、

作品と私は別物なんだけれど、

作品を作るのはまぎれもない私自身であり、

その私自身は、作家として作っているわけではない。

ただの、私、として作品世界を作っているのだ。

それは、「作家」とか「人間」とか「女性」とか、境界線に切り分けられない「私」なのである。

きわめて曖昧な、定義づけできない存在のまま、創作活動をおこなっていきたいのだ。

同じように。

一緒に作品を作る仲間のことも、分別したくないと思っている。

作品を通して触れ合うだけなのだとしても、

打ち合わせや現場で存在するその人、丸ごとに対して感情を持ちたい。

だから私は気持ちを伝えるとき、あえて「~として」はつけない。

でも実際は、

感情をもやもやと空気のまま持っておきたいから、

言葉にして伝えたことは数えるほどしかないかなあ。

好きとか嫌いって言葉は、代数に近いんじゃないかなと思っている。

ほとんどの感情は、ピタリとはあてはまらないけれど、ある程度の法則性を導き出すには必要な言葉。

感情は言葉に置き換えずに、モヤモヤとそのまんま保存しておけば、一番それが正確なんだと思う。

もちろんどうしても必要な場合もあるけれど。

私と小さな同居人の関係には、

空気、言葉、どちらも必要だ。

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