記憶の霧をさまよう
記憶力がないので苦労している。
妊娠する前まではしばしば死を企図することがあり、
そのたびに持ち物を整理・処分していた。
過去に人からもらった手紙などを発見し、何も思い出せず、悩むことも多かった。
この手紙をくれたのは誰で、私にとってどんな人物なのか?
何故こんな手紙をもらったのだろう?
記憶の小さな小さな欠片を集めてきてつなぎ合わせる
ジグソーパズル作業を続けるうち、
記憶は結局蘇らないのだが、死への思いが薄れるというパターンで
生きながらえてきた。
最近はまったく異なるきっかけで記憶の断片を集めるようになった。
昔の知人と会うことで、その人との昔の場面がふと蘇る。
しかし場面自体の持つ意味が分からないのだ、例えば自分にとって都合の良いものなのか、それとも、思い出したらいけないような嫌な意味を持つものなのか。
長い歳月が経ちすぎて、いくら小さな欠片を集めても一枚の絵にはならない。
それでも今という地点から見て、やっと分かったことがある。
その人と何気なく行ったところは、その後、他の誰とも行かなかった。
もうひとつ。
理由はどうしても思い出せないが、私はその人に恋をしていなかった。
口論が多かったとか、私に結婚を約束した人がいた、という点は、
当時の滅茶苦茶な私の行動と考え合わせると、大きな理由にはならない。
何故なのだろう。
穴だらけのジグソーパズルを燃やすと、煙が疑問符の形にたちのぼる。
記憶を探るという作業は、何かしら生きる力を与えてくれるものなのかもしれない。
のろのろふらふらと歩き続ける程度の力を。
さてコーヒーを飲み原稿を書こう。
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